2014/09/02 - 2014/09/02
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blumentalさん
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観光6日目、荷物をゲッティンゲン駅のロッカーに預けてカッセルを観光した後、少しだけゲッティンゲンの観光です。観光の目玉となる大物はありませんが、大学生がたくさん生活している街、そして飾らない普通の街という雰囲気を味わえました。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月27日(水) 10:45関空~15:00ヘルシンキ経由17:30~18:30ハンブルク着(ハンブルク泊)
8月28日(木) ハンブルク、シュヴェリーン、リューネブルク(ハンブルク泊)
8月29日(金) ハンブルク、リューベック(ハンブルク泊)
8月30日(土) ベルリン(ハノーファー泊)
8月31日(日) ゴスラー、ヒルデスハイム、ハノーファー(ハノーファー泊)
9月01日(月) ブレーメン、ツェレ、ハーメルン(ハノーファー泊)
9月02日(火) カッセル、
★ ゲッティンゲン、
ハン・ミュンデン(ハン・ミュンデン泊)
9月03日(水) フルダ、アルスフェルト、フランクフルト(フランクフルト泊)
9月04日(木) 11:45フランクフルト~15:10ヘルシンキ17:20~(機内泊)
9月05日(金) 8:55関空着
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- フィンランド航空
-
カッセルの観光後、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ14:36発のICEでゲッティンゲンに14:54到着(近い!)。
駅前の広場は何もなく、すっきり整然としているのに。。。 -
駅横の木立ちにはこのとおり、凄い数の自転車です。さすが大学の街!
人口12万に対し、ゲッティンゲン大学(ゲオルク・アウグスト大学)の学生は3万。つまりこの街の4人に1人は大学生ですね。 -
駅前から東に伸びるゲーテ通りGoethe Alleeを進みます。1801年夏、ゲーテは1か月間この通りの12番地で暮らしました。たったそれだけで通りの名前になるなんて、さすが超大物。
ゲーテは父親の願いでライプツィヒで法学を学ばされますが、本当になりたかったのはゲッティンゲンの文学の教授だったそうです。ここの大学の文学部はそんなにすごい所だったんですね。でも私にはゲッティンゲン大学と言えば大物科学者が大勢いた超名門理系大学のイメージがあります。 -
歩道には金の玉のオブジェ。
前を歩くオジサンの後ろ頭と並ぶのを期待してたんですが、近づいてくれませんでした。 -
通りの名前はプリンツェン通りPrinzenstr.に代わり、さらに東へ。
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ヴェーエンダー通りWeender Str.と交差する地点は歩行者ゾーンの中心で「へそ」Nabelと呼ばれています。へそにあるのが、このダンス像Der Tanzです(1982年作)。タイトルを知らずに見たので何の像なのかさっぱりわかりませんでした。
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タイトルを知ってからも、決してダンスには見えませんでしたが。
2人が互いに仮面をはぎ取ろうとしているのか、貼り付けようとしているのか。何かの比喩だと思いますが、もう少しわかりやすく作ってほしいですね(大きなお世話と、作者に言われそうですが)。 -
ここで左折、ヴェーエンダー通りを北へ。
適度に整備され、適度な広さ、適度な店数、適度な歩行者数、適度ににぎやか。のんびり歩くのに最適な通りです。 -
すぐに聖ヤコビ教会St. Jacobi Kircheが登場。ゴシック様式のなかなか大きな教会(1361-1433年建設)。
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身廊。プロテスタントの教会。
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白壁に赤ラインの天井はいいのですが、注目すべきは壁の装飾。ゴシックの柱に白、赤、グレイの幾何学模様、こんなの他所では見たことありません。
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内陣中央の二重翼の祭壇Doppelflügelaltar(1402年作)。扉が開いていればキリストの16のシーン、扉が閉じられると聖ヤコブの8シーンに変わるそうです。さらに扉の奥の彫刻と合わせ、平日、日曜、祭日によって3種のパターンが見られるそうです。
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拝廊側のパイプオルガン(1966年作)。
やはり、壁の装飾が奇妙。特に左の柱、ブロックを積み上げて立体的に見せるような模様が教会の装飾に使われているのは驚きです。 -
教会の裏のユーデン通りJüdenstr.を北に進むと右手に白壁のかなり大きな木組みの家があります。市立博物館Städtisches Museumです。
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きれいな白壁です。右隣は壁がはがされているようですが、これから塗り直すのでしょうか。これらは全部、元郵便局の建物で1979年から博物館として使われています。
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ヴェーエンダー通りに戻って教会の北側から。
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シュレーダーの家Schrödersches Haus(1549年建築)。ルネサンス様式の装飾、彫刻が素晴らしい木組みの家。
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再び、ダンス像の交差点。このままヴェーエンダー通りを南へ。
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マルクト広場Marktに出ました。
広場の西側に立つのは旧市庁舎Altes Rathausです。奥に見える尖塔は聖ヨハニス教会。 -
1270年建築の建物が1369年から市庁舎として拡張されました。1978年の新市庁舎の完成まで役場として使われています。
市庁舎の前には「がちょう娘リーゼル」の泉Gänseliesel-Brunnenがあり、この街のランドマークになっています。 -
私にはこの像がガチョウを売りに来た少女に見えます。この像はグリム童話と結び付けられていますが、グリムのガチョウ娘は「がちょう番をする娘」のことで、全くイメージが異なります。本当にグリム童話の主人公として作られたのか疑問に思っています。
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1898年ゲッティンゲン市が市庁舎前の泉の再設計のために像を公募しました。候補作のいくつかを一般公開したところ、単純な女の子のイメージが市民受けしたらしく、この像が選ばれたそうです(1901年設置)。タイトルはGänsemädel(ガチョウ娘)で、リーゼルの名はありません。
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観光街道としてドイツ・メルヘン街道Deutsche Märchenstraßeができたのは1975年ですから、グリム作品とは関係なく制作されたものが、メルヘン街道とのからみで、いつの間にかガチョウの登場する話「がちょう娘リーゼル」にこじつけられたのではないでしょうか。
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ところで、ドイツ・メルヘン街道は70以上の街によって組織され、観光街道として整備されています。日本ではゲッティンゲンはグリム兄弟ゆかりの街であり、メルヘン街道の街として扱われていますが、実はゲッティンゲンはドイツ・メルヘン街道に加盟していないんですよ。なぜだか知りませんが。(写真はゲッティンゲンのマンホール)
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イチオシ
このガチョウ娘はレプリカで、オリジナルは1990年に市立博物館に移されています。1926年にガチョウ娘へのキス禁止令が出されましたが、2001年に像の設置100周年を記念して市議会はこれを解除したそうです。
博士号を取得した学生さん、同じキスをするなら博物館のオリジナルにした方が誇れると思いますよ(でも実際にしでかしたら、まず学長が市に謝罪しに行き、さらに学位取り消しなんてことになるかも?)。 -
マルクト広場からもう少し南へ、クルツェ通りKurze Str.を歩いてみます。木組みの家もかなりあり、昔ながらの街並みが残っています。
ゲッティンゲンの大戦時の被害は鉄道施設が主で、旧市街の被害はわずかでした。同じ州のハノーファーやブラウンシュヴァイク、すぐそばのカッセルなどがすごい爆撃を受けたのとは大違いです。 -
これはゲッティンゲン大学のおかげでしょうか。なにしろ、ヨーロッパの学術拠点として、ケンブリッジとゲッティンゲンは互いに爆撃しないという協定をイギリスとドイツ間で結んでいたくらいですから。
クルツェ通りには白壁に焦げ茶の木枠の家が続いています。横長のこんな木組みの家にすごく惹かれます。 -
老舗のレストラン兼宿屋のzum Schwarzen Bären(黒熊)。この街の代表的木組み家屋のひとつ。入り口には1600年建築と書かれており、1637年から2011年まで営業していたようです。
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正面の壁には、宿泊した人の名前を書いたプレートが3枚。ヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト、ルートヴィヒ・ウィンドゾースト、レヴィン・シュッキング。残念ながら知っている名前は鉄髭博士アイゼンバルトだけ(次はハン・ミュンデンに行きます)。
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黒熊の店を閉じてから3年経つのでしょうが、歴史的建造物だけにもったいないです。壁には落書きがいくつかありますが、こういうのを見ると腹が立ちますね。
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黒熊の少し南に立っているのが聖ミヒャエル教会St. Michael Kircheです。宗教改革以降ゲッティンゲンはずっとプロテスタントの街でしたが、やがてカトリックも許可され、最初にできたのがこの教会(1787年建造)。残念、閉まっていました。
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大天使ミヒャエルの像って、教会によって全く違いますね。
(左)ここのミヒャエルは全く迫力ありません。踏まれている悪魔も滑稽です。
(右)今回の旅行で出会った中ではハンブルクのミヒャエルが一番かっこよかった。(5日前に撮影) -
クルツェ通り、聖ミヒャエル教会の向かい側あたり。自転車屋もあります、学生の街には重要です。
そろそろ駅に向かう時間です。今来た道を逆戻り、マルクト広場方向へ。 -
広場が近づくと聖ヤコビ教会の尖塔が出現。高さ72m、旧市街では一番高い塔です。
このゴシック様式の塔はもともと先が尖っていましたが、何度も雷によって損傷し、1697年にバロック様式の丸屋根に置き換えられました。円筒型の塔の先にしょうちゃん帽をかぶせたような姿はとてもユニークで印象的です。 -
イチオシ
マルクト広場から北の風景。左の家の木組みもなかなかのものです(1階はアイスクリーム店)。左に曲がるとパウリナー通りPaulinerstr.。
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パウリナー通りを少し西に行くとプロテスタントの聖ヨハニス教会St. Johannis Kircheがあります。1300-48年ごろゴシック様式で建造。
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北(左)の塔は高さ62m、南(右)の塔は高さ56.5m。左右対称でなく、屋根の形も異なります。北塔は2005年の火災で損傷し、改修されたそうです。残念ながら、ここも閉まっていました。
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パウリナー通りから北へ、パーペンディーク通りPapendiek沿いの庭で出くわした奇妙な彫刻。後でノーベル賞作家ギュンター・グラスの作品「手の中のヒラメ」Butt im Griffであることを知りました(2004年設置)。「ブリキの太鼓」の作者は彫刻家でもあったんですね。
※我々の訪問の翌年(2015年)4月、ギュンター・グラスはリューベックでお亡くなりになりました。 -
この傍に別の彫刻もありました。本の横に座っているのはゲッティンゲン大学の物理学教授リヒテンベルクLichtenberg(1742-99)。絶縁体表面の分岐放電によってリヒテンベルク図形を発見した人。この彫刻は1992年、生誕250年に作られたそうです。
彫刻ばかりに気を取られ、後ろの壁は聖パウリナー教会Paulinerkircheであることに気づかず、後でこれを知りました。 -
駅前広場横の自転車置き場を通り抜けて駅へ。
観光の目玉となる大物はない街ですが、たくさんの見残しがあります。旧市街からは外れますが、大学も見に行けばよかったと思いました。
スーツケースをピックアップ後、ゲッティンゲン16:14発のRBで今夜の宿、ハン・ミュンデンに向かいました(16:52着)。
(ハン・ミュンデン)https://4travel.jp/travelogue/11688007
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この旅行記へのコメント (3)
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- ベームさん 2021/04/21 16:30:02
- 書き込み有難うございました。
- blumentalさん、
ゲッティンゲン、ハン・ミュンデンに限らずよく調べておいでです。
ゲッティンゲンのゲーテアレーの名称の由来が分かりませんでしたが、ゲーテが一時住んでいたのですか。
ハン・ミュンデンの黒熊亭の建物は私が見た2年たってもそのままなんですね。立派な木組みの家なのに勿体ないことです。
旅も終わりに近づきましたね。私のたどった町とほぼ重なっていたので楽しみにしていました。海外旅行はまだしばらく駄目でしょう。私はもう海外には行きませんが、blumentalさんはまだ機会がおありと思います。そのうちに新しいブログにお目にかかれることを期待します。
-
- mom Kさん 2021/04/11 17:49:54
- なあるほど
- ”大学の街”だったのですか。なあるほど、ゲッティンゲン。あの落ち着きとカジュアルなおしゃれさとなんとなく安全な雰囲気は、アカデミックからくるんですね。全然知らずに途中下車。ペルシャ料理のテラス席のお客さんたちの顔ぶれ思い出しても納得。
昔ボローニャに下りたときも「この町なんだ!」と驚いたことを思い出しました。ヨーロッパの中世に始まる大学の街を結果的に多く歩いています。
黒熊はいつまで営業されていたんでしょうか。この手の宿、アデレードで見つけて、ホテルから移動した経験あり。blumentalさん、宿泊可能なところご存じならお教えください。
- blumentalさん からの返信 2021/04/12 19:34:13
- Re: なあるほど
- mom Kazukoさん、
コメントありがとうございます。そうです、大学生の街なんです。ご指摘のとおり、街の落ち着きと安全な雰囲気はアカデミックです。大学生のアンケートによると、ゲッティンゲンのいい点は凄く治安がいいこと、悪い点はこれといった観光名所がないことらしいです。でもこれは昼間の話。
mom Kazukoさんのゲッティンゲン、ワールドカップに歓喜するおじさんが印象的でした(再読しました)。でも、大学生が店を占領してワールドカップのTV観戦を始めたら、夜はけた外れの大騒ぎでしょうね。そんなレストランの上階に宿泊でもしたら、夜は眠れないでしょうね。
blumental
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