ゴスラー旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 観光4日目、昨晩から宿はハノーファーです。昨日、当初の予定になかったベルリン行きを加えたため、今日はゴスラー、ヒルデスハイム、ハノーファーの観光という忙しい1日に。<br /> まずはゴスラーから。今日以降に観光する街は全て初めての訪問地なのでわくわくしています。<br /> 2年前に女房を海外旅行に連れ出したのがきっかけで、毎年夏に夫婦で行く海外旅行も今回で3回目。今回は北ドイツからメルヘン街道を南下するルートで計画しています。<br /><br /> 旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。<br /> 8月27日(水) 10:45関空~15:00ヘルシンキ経由17:30~18:30ハンブルク着(ハンブルク泊)<br />  8月28日(木) ハンブルク、シュヴェリーン、リューネブルク(ハンブルク泊)<br /> 8月29日(金) ハンブルク、リューベック(ハンブルク泊)<br /> 8月30日(土) ベルリン(ハノーファー泊)<br />★8月31日(日) ゴスラー<br />        ヒルデスハイム、ハノーファー(ハノーファー泊)<br /> 9月01日(月) ブレーメン、ツェレ、ハーメルン(ハノーファー泊)<br /> 9月02日(火) カッセル、ゲッティンゲン、ハン・ミュンデン(ハン・ミュンデン泊)<br /> 9月03日(水) フルダ、アルスフェルト、フランクフルト(フランクフルト泊)<br /> 9月04日(木) 11:45フランクフルト~15:10ヘルシンキ17:20~(機内泊)<br /> 9月05日(金) 8:55関空着

2014夏 北ドイツとメルヘン街道の旅06:ゴスラー

34いいね!

2014/08/31 - 2014/08/31

17位(同エリア109件中)

blumental

blumentalさん

 観光4日目、昨晩から宿はハノーファーです。昨日、当初の予定になかったベルリン行きを加えたため、今日はゴスラー、ヒルデスハイム、ハノーファーの観光という忙しい1日に。
 まずはゴスラーから。今日以降に観光する街は全て初めての訪問地なのでわくわくしています。
 2年前に女房を海外旅行に連れ出したのがきっかけで、毎年夏に夫婦で行く海外旅行も今回で3回目。今回は北ドイツからメルヘン街道を南下するルートで計画しています。

 旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
 8月27日(水) 10:45関空~15:00ヘルシンキ経由17:30~18:30ハンブルク着(ハンブルク泊)
 8月28日(木) ハンブルク、シュヴェリーン、リューネブルク(ハンブルク泊)
 8月29日(金) ハンブルク、リューベック(ハンブルク泊)
 8月30日(土) ベルリン(ハノーファー泊)
★8月31日(日) ゴスラー
        ヒルデスハイム、ハノーファー(ハノーファー泊)
 9月01日(月) ブレーメン、ツェレ、ハーメルン(ハノーファー泊)
 9月02日(火) カッセル、ゲッティンゲン、ハン・ミュンデン(ハン・ミュンデン泊)
 9月03日(水) フルダ、アルスフェルト、フランクフルト(フランクフルト泊)
 9月04日(木) 11:45フランクフルト~15:10ヘルシンキ17:20~(機内泊)
 9月05日(金) 8:55関空着

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
鉄道
航空会社
フィンランド航空

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  • 朝7時前のハノーファー中央駅、薄暗い中、駅を散策。今朝はホテルの朝食を頼まず、駅で買って列車内で食事です。<br />今日は近郊列車だけの利用なのでニーダーザクセン・チケットを購入(2人で26ユーロ)、しかも今日は日曜なので9:00以前でも使えます。<br />

    朝7時前のハノーファー中央駅、薄暗い中、駅を散策。今朝はホテルの朝食を頼まず、駅で買って列車内で食事です。
    今日は近郊列車だけの利用なのでニーダーザクセン・チケットを購入(2人で26ユーロ)、しかも今日は日曜なので9:00以前でも使えます。

  • 今日から残り4日間の訪問地は全て初めての場所ばかりなので楽しみです。<br />ハノーファー7:48発のREで8:57ゴスラー到着。ゴスラー駅舎の東側です。

    今日から残り4日間の訪問地は全て初めての場所ばかりなので楽しみです。
    ハノーファー7:48発のREで8:57ゴスラー到着。ゴスラー駅舎の東側です。

  • 駅前から南東に延びるローゼントール通りRosentorstr.を進むとローゼン門Rosentorがあり、その前には立派な体格のカップル像がありました。

    駅前から南東に延びるローゼントール通りRosentorstr.を進むとローゼン門Rosentorがあり、その前には立派な体格のカップル像がありました。

  • 日曜の朝なのでまだ人がいません。静かで綺麗な通り、ローゼントール通りを南に進みます。

    日曜の朝なのでまだ人がいません。静かで綺麗な通り、ローゼントール通りを南に進みます。

  • 通りの西側に見えた聖ヤコブ教会St. Jakobkirche。

    通りの西側に見えた聖ヤコブ教会St. Jakobkirche。

  • ローゼントール通りは途中からホケン通りHokenstr.に名前を変えて南に伸びています。石畳の両側に木組みの家や鱗壁の家が並んでいる光景には感激です。

    ローゼントール通りは途中からホケン通りHokenstr.に名前を変えて南に伸びています。石畳の両側に木組みの家や鱗壁の家が並んでいる光景には感激です。

  • ホケン通りの西側にシューホフ広場Schuhhofがあります。かって靴職人のギルドがあった場所のようです。広場北側には薬局Hirsch-Apotheke(1780年建築、1808年から薬局)。

    ホケン通りの西側にシューホフ広場Schuhhofがあります。かって靴職人のギルドがあった場所のようです。広場北側には薬局Hirsch-Apotheke(1780年建築、1808年から薬局)。

  • この広場に面した建物は素晴らしい。広場の西側風景です。

    イチオシ

    この広場に面した建物は素晴らしい。広場の西側風景です。

  • 広場の南側にはマルクト教会Marktkirche。

    広場の南側にはマルクト教会Marktkirche。

  • シューホフ広場の東側(ホケン通りの突き当り)にはマルクト広場Marktplatzがあります。<br />マルクト広場の北側風景です。

    シューホフ広場の東側(ホケン通りの突き当り)にはマルクト広場Marktplatzがあります。
    マルクト広場の北側風景です。

  • 広場の東側です。こちら側は灰色一色。木組みもいいですが、灰色の鱗壁も素晴らしい。<br />

    広場の東側です。こちら側は灰色一色。木組みもいいですが、灰色の鱗壁も素晴らしい。

  • 右の建物、ホテルSchiefer上部には、1968年にランメルスベルク鉱山採掘1000周年を記念して製作された仕掛け時計があります。鉱山の採掘シーンを再現した人形が出てくるそうですが、時間が合わず見るのを断念。<br /><br />

    右の建物、ホテルSchiefer上部には、1968年にランメルスベルク鉱山採掘1000周年を記念して製作された仕掛け時計があります。鉱山の採掘シーンを再現した人形が出てくるそうですが、時間が合わず見るのを断念。

  • 広場の西側には市庁舎Rathaus。15世紀の建造です。

    広場の西側には市庁舎Rathaus。15世紀の建造です。

  • 広場の中央にはマルクトの泉Marktbrunnen。この泉を中心に放射状に石畳が敷かれています。

    広場の中央にはマルクトの泉Marktbrunnen。この泉を中心に放射状に石畳が敷かれています。

  • 泉の上部には金ピカの帝国の鷲Reichsadler、帝国自由都市の紋章です。ゴスラーは1267年ハンザ同盟に加わり、1290年から帝国自由都市となっています。

    泉の上部には金ピカの帝国の鷲Reichsadler、帝国自由都市の紋章です。ゴスラーは1267年ハンザ同盟に加わり、1290年から帝国自由都市となっています。

  • 広場の南側に建つカイザーヴォールトKaiserworthは、1494年建造の仕立て職人のギルドハウスで、現在はホテルHotel Kaiserworth。ここだけオレンジ色なんで目立ちます。窓と窓の間には皇帝の像が横並びに飾ってるのですが、そんなのはどうでもよくって。。。<br />

    広場の南側に建つカイザーヴォールトKaiserworthは、1494年建造の仕立て職人のギルドハウスで、現在はホテルHotel Kaiserworth。ここだけオレンジ色なんで目立ちます。窓と窓の間には皇帝の像が横並びに飾ってるのですが、そんなのはどうでもよくって。。。

  • 注目したのはこちら。建物の端っこにドゥカート小僧Dukatenmännchenというのがいまして、尻からドゥカート金貨を生み出すというか、、、ひねり出しています。ゴスラーの富を排泄しなくても。<br />

    注目したのはこちら。建物の端っこにドゥカート小僧Dukatenmännchenというのがいまして、尻からドゥカート金貨を生み出すというか、、、ひねり出しています。ゴスラーの富を排泄しなくても。

  • カイザーヴォールトから南に伸びるヴォールト通りWorthstr.を少し覗いてみました。<br />素晴らしい木組みの並びです。焦げ茶の木枠も灰色の木枠もいいし、木枠の装飾も品があります。

    イチオシ

    カイザーヴォールトから南に伸びるヴォールト通りWorthstr.を少し覗いてみました。
    素晴らしい木組みの並びです。焦げ茶の木枠も灰色の木枠もいいし、木枠の装飾も品があります。

  • 一方こちらはカイザーヴォールトから西に伸びるマルクトキルヒホフMarktkirchhof。

    一方こちらはカイザーヴォールトから西に伸びるマルクトキルヒホフMarktkirchhof。

  • マルクトキルヒホフに面しても、素晴らしい木組みの家がずらり。この街はたいしたもんだと改めて感心。木組みの密集度が半端ではありません。

    イチオシ

    マルクトキルヒホフに面しても、素晴らしい木組みの家がずらり。この街はたいしたもんだと改めて感心。木組みの密集度が半端ではありません。

  • 市庁舎の南側がマルクトキルヒホフに面しています。屋外階段を上がってみましたが閉まっていました。

    市庁舎の南側がマルクトキルヒホフに面しています。屋外階段を上がってみましたが閉まっていました。

  • マルクトキルヒホフにあった変わったモニュメント。痛そうですが何なのか?

    マルクトキルヒホフにあった変わったモニュメント。痛そうですが何なのか?

  • 市庁舎の裏(西側)にはマルクト教会(聖コスマス・ダミアン教会)Marktkirche St. Cosmas und Damian。1151年には文献に登場しているそうです。

    市庁舎の裏(西側)にはマルクト教会(聖コスマス・ダミアン教会)Marktkirche St. Cosmas und Damian。1151年には文献に登場しているそうです。

  • 教会の西側の尖塔は左右の形が異なっています。北の塔(左)は高さ66m、南の塔(右)は65.4m。残念ながら教会は閉まっていました。

    教会の西側の尖塔は左右の形が異なっています。北の塔(左)は高さ66m、南の塔(右)は65.4m。残念ながら教会は閉まっていました。

  • 教会の南、マルクトキルヒホフの西端です。右(南)に伸びるホーア通りHoher Wegを進みます。

    教会の南、マルクトキルヒホフの西端です。右(南)に伸びるホーア通りHoher Wegを進みます。

  • 東西に流れるアプツヒト川(どう見ても水路)の手前には、えらく立派な石造りの建物がありました。どうやら実科学校RealSchule Hoher Wegのようです。実科学校は職業教育も行う中等教育学校のひとつです。<br />

    東西に流れるアプツヒト川(どう見ても水路)の手前には、えらく立派な石造りの建物がありました。どうやら実科学校RealSchule Hoher Wegのようです。実科学校は職業教育も行う中等教育学校のひとつです。

  • 学校の壁にこんなプレートを発見。<br />「ハインリッヒ・ハイネ(1787-1869)が1811-1866年にこの学校で算数の先生をしていた」....何とあの詩人のハイネがゴスラーで算数を教えていたとは(自分としては大発見のつもりでした)。<br />帰国後確認したら、詩人のハインリッヒ・ハイネの生年は1797-1856年、スペルもHeyneではなくHeine、残念、別人でした。いったいこの人は何者なんでしょうか、大した人なのか?<br />

    学校の壁にこんなプレートを発見。
    「ハインリッヒ・ハイネ(1787-1869)が1811-1866年にこの学校で算数の先生をしていた」....何とあの詩人のハイネがゴスラーで算数を教えていたとは(自分としては大発見のつもりでした)。
    帰国後確認したら、詩人のハインリッヒ・ハイネの生年は1797-1856年、スペルもHeyneではなくHeine、残念、別人でした。いったいこの人は何者なんでしょうか、大した人なのか?

  • 学校のある角を東に曲がり、小川沿いのクラッパーハーゲン通りKlapperhagenを少し歩くと水車小屋Lohmühleがありました。オーク樹皮(Lohe)を粉砕し、皮なめしに使うタンニンを取り出すための水車(Mühle)です。<br />

    学校のある角を東に曲がり、小川沿いのクラッパーハーゲン通りKlapperhagenを少し歩くと水車小屋Lohmühleがありました。オーク樹皮(Lohe)を粉砕し、皮なめしに使うタンニンを取り出すための水車(Mühle)です。

  • 水車小屋の反対側にまわってみるとスズ人形博物館Zinnfiguren-Museumでした。鱗状スレートの三角屋根がとても美しい建物です。

    イチオシ

    水車小屋の反対側にまわってみるとスズ人形博物館Zinnfiguren-Museumでした。鱗状スレートの三角屋根がとても美しい建物です。

  • アプツヒト川沿いにホーア通りまで戻ります。川と呼べるようなものではありませんが、ゴスラー郊外でゴーゼ川に合流します。<br />人通りもなく、静かで落ち着いたすごく雰囲気のいい場所でした。

    アプツヒト川沿いにホーア通りまで戻ります。川と呼べるようなものではありませんが、ゴスラー郊外でゴーゼ川に合流します。
    人通りもなく、静かで落ち着いたすごく雰囲気のいい場所でした。

  • ホーア通りに面して大聖十字救貧院Grosses Heiliges Kreuz(1253年建造)があります。屋根がそのまま出窓になったような奇妙な形をしています。

    ホーア通りに面して大聖十字救貧院Grosses Heiliges Kreuz(1253年建造)があります。屋根がそのまま出窓になったような奇妙な形をしています。

  • 貧民救済施設として建てられた建物を利用して、現在は美術工芸家たちの工房や販売所となっています。

    貧民救済施設として建てられた建物を利用して、現在は美術工芸家たちの工房や販売所となっています。

  • ホーア通りの南の突き当りには「大聖堂入口の間」Domvorhalleがあります。もともとここには大聖堂(1050年ハインリヒ3世が建設)がありましたが、1820年に老朽化のため取り壊され、玄関部分だけが残っています。<br />建物の手前に首だけの石像が2個転がっていました。

    ホーア通りの南の突き当りには「大聖堂入口の間」Domvorhalleがあります。もともとここには大聖堂(1050年ハインリヒ3世が建設)がありましたが、1820年に老朽化のため取り壊され、玄関部分だけが残っています。
    建物の手前に首だけの石像が2個転がっていました。

  • 大聖堂入り口の間の西側、芝生を挟んで丘の上に皇帝居城Kaiserpfalzがあります。<br />1050年にこのロマネスク様式の宮殿を建てたのは神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世(在位1046-56)です。ちなみに、あの「カノッサで屈辱」を味わうハインリヒ4世は彼の息子で、ゴスラー生まれです。

    大聖堂入り口の間の西側、芝生を挟んで丘の上に皇帝居城Kaiserpfalzがあります。
    1050年にこのロマネスク様式の宮殿を建てたのは神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世(在位1046-56)です。ちなみに、あの「カノッサで屈辱」を味わうハインリヒ4世は彼の息子で、ゴスラー生まれです。

  • 当時、皇帝は決まった首都を持たず、あちこちの城を移動して統治を行っており、その居城のひとつがここです(1253年まで皇帝居城として利用)。現在の城は1868-79年に復元されたものです。<br />この城は丘の上にぽつんと立って見栄えはいいんですが、皇帝の城に城壁も堀もなく、敵に攻められたらイチコロだと思うんですけど、心配なかったんでしょうか。

    当時、皇帝は決まった首都を持たず、あちこちの城を移動して統治を行っており、その居城のひとつがここです(1253年まで皇帝居城として利用)。現在の城は1868-79年に復元されたものです。
    この城は丘の上にぽつんと立って見栄えはいいんですが、皇帝の城に城壁も堀もなく、敵に攻められたらイチコロだと思うんですけど、心配なかったんでしょうか。

  • 城の前には 二人の騎馬像があります。<br />一人はドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム1世(在位1871-88)。一昨日、リューベックでもお会いしました。

    城の前には 二人の騎馬像があります。
    一人はドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム1世(在位1871-88)。一昨日、リューベックでもお会いしました。

  • もう一人は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世(在位1155-90)、通称、赤髭王バルバロッサ。<br />しかし、城の前庭を飾る皇帝が何でこの二人なんでしょうか。この城を造ったハインリヒ3世では役不足?

    もう一人は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世(在位1155-90)、通称、赤髭王バルバロッサ。
    しかし、城の前庭を飾る皇帝が何でこの二人なんでしょうか。この城を造ったハインリヒ3世では役不足?

  • 左端の部分が聖ウルリッヒ礼拝堂St. Ulrich Kapelle。観光馬車が通っていますね。

    イチオシ

    左端の部分が聖ウルリッヒ礼拝堂St. Ulrich Kapelle。観光馬車が通っていますね。

  • ここの「皇帝の間」が見所となっているようで、見学することに。<br />

    ここの「皇帝の間」が見所となっているようで、見学することに。

  • 城の2階の皇帝の間Kaisersaalです。ドイツの歴史を物語る壁画で覆われています。

    城の2階の皇帝の間Kaisersaalです。ドイツの歴史を物語る壁画で覆われています。

  • 壁画も見事、天井も見事なんですが、この広間の壁は東向きなため、この時間帯は外の光がもろに壁面に反射し、よく見えません。写真でもこのとおり、壁画をまともに撮ることはできませんでした。

    壁画も見事、天井も見事なんですが、この広間の壁は東向きなため、この時間帯は外の光がもろに壁面に反射し、よく見えません。写真でもこのとおり、壁画をまともに撮ることはできませんでした。

  • そしてさらに気に入らないのが、このたくさんの紫色の椅子。こんなもん、中世には無かったじゃろうに。<br />

    そしてさらに気に入らないのが、このたくさんの紫色の椅子。こんなもん、中世には無かったじゃろうに。

  • そんなわけで、後ほど絵葉書を購入。見たかったのはこんな風景です。

    そんなわけで、後ほど絵葉書を購入。見たかったのはこんな風景です。

  • 皇帝の間から見下ろした城の前庭です。

    皇帝の間から見下ろした城の前庭です。

  • ウルリッヒ礼拝堂地下にハインリヒ3世の墓碑や、博物館部分には城からの出土品の展示がありましたが、特に印象に残るものはありませんでした。<br />城内展示品で撮った写真はこの1枚。漫画っぽい顔が面白かっただけの理由で撮ったのですが、城のどこかに設置していた「帝国の鷲」のオリジナルかも。<br />

    ウルリッヒ礼拝堂地下にハインリヒ3世の墓碑や、博物館部分には城からの出土品の展示がありましたが、特に印象に残るものはありませんでした。
    城内展示品で撮った写真はこの1枚。漫画っぽい顔が面白かっただけの理由で撮ったのですが、城のどこかに設置していた「帝国の鷲」のオリジナルかも。

  • 皇帝居城の裏側にも回ってみました。

    皇帝居城の裏側にも回ってみました。

  • 裏庭にあったブロンズの彫刻「ゴスラーの戦士」Goslarer Krieger。ヘンリー・ムーアの作品です(1973-74年製作)。

    裏庭にあったブロンズの彫刻「ゴスラーの戦士」Goslarer Krieger。ヘンリー・ムーアの作品です(1973-74年製作)。

  • 皇帝居城の前庭から北の風景。

    皇帝居城の前庭から北の風景。

  • さらに旧市街の風景。灰色の屋根と茶色の屋根が混在しています。<br />これから居城の北側をまわり旧市街散策の続きです。

    さらに旧市街の風景。灰色の屋根と茶色の屋根が混在しています。
    これから居城の北側をまわり旧市街散策の続きです。

  • 皇帝居城の丘の北側に沿ったリープフラウエンベルク通りLiebfrauenbergの家並み。歪んだ灰色の屋根、苔の色も加わっていい味出しています。

    イチオシ

    皇帝居城の丘の北側に沿ったリープフラウエンベルク通りLiebfrauenbergの家並み。歪んだ灰色の屋根、苔の色も加わっていい味出しています。

  • ここのすぐ北にはアプツヒト川。川沿いのノイエ通りNeue Str.には西方向にスレート壁が家がずらり。

    ここのすぐ北にはアプツヒト川。川沿いのノイエ通りNeue Str.には西方向にスレート壁が家がずらり。

  • 逆方向、ノイエ通りの東方向には狭い石畳の両側に木組みの家がずらり。

    逆方向、ノイエ通りの東方向には狭い石畳の両側に木組みの家がずらり。

  • ノイエ通りと交差して北に伸びるオーベレ・ミューレン通りObere Mühlenstr.を北に進みます。<br />スレート屋根が並ぶ中、右の茶色の瓦屋根が目に留まりましたが、瓦が垂直に並んでいるのには驚きです。

    ノイエ通りと交差して北に伸びるオーベレ・ミューレン通りObere Mühlenstr.を北に進みます。
    スレート屋根が並ぶ中、右の茶色の瓦屋根が目に留まりましたが、瓦が垂直に並んでいるのには驚きです。

  • 下から真上(ほぼ垂直方向)を見上げたらこのとおりです。まとめてずり落ちてこないか、真下に立つのに勇気が要りました。

    下から真上(ほぼ垂直方向)を見上げたらこのとおりです。まとめてずり落ちてこないか、真下に立つのに勇気が要りました。

  • オーベレ・ミューレン通りの北端、ベルク通りBergstr.に面して木骨組みの大邸宅ジーメンスハウスSiemenshausが建っていますが、生憎修復中。 <br />建てられたのは1693年で、あのドイツの大企業、ジーメンス創業者の御先祖様の家です。

    オーベレ・ミューレン通りの北端、ベルク通りBergstr.に面して木骨組みの大邸宅ジーメンスハウスSiemenshausが建っていますが、生憎修復中。 
    建てられたのは1693年で、あのドイツの大企業、ジーメンス創業者の御先祖様の家です。

  • ベルク通りに面し、ジーメンスハウスの斜め向かいにはマグヌス・カルステンの家Magnus-Karsten-Haus(1573年に鋳鐘職人マグヌス・カルステンによって建造)。現在はホテルZur Börseです。焦げ茶色の木組みと壁の円形模様が綺麗です。<br /><br />

    ベルク通りに面し、ジーメンスハウスの斜め向かいにはマグヌス・カルステンの家Magnus-Karsten-Haus(1573年に鋳鐘職人マグヌス・カルステンによって建造)。現在はホテルZur Börseです。焦げ茶色の木組みと壁の円形模様が綺麗です。

  • ベルク通りを東に進むと道が二又に分かれていますが左側にさらにベルク通りが続きます。分岐点に建つ屋根が二層になった木組みの家には1523年という文字が。<br />ゴスラー旧市街には16世紀以前に建造された家が170軒近くあるそうです。

    ベルク通りを東に進むと道が二又に分かれていますが左側にさらにベルク通りが続きます。分岐点に建つ屋根が二層になった木組みの家には1523年という文字が。
    ゴスラー旧市街には16世紀以前に建造された家が170軒近くあるそうです。

  • 通りが湾曲していれば、それに合わせて玄関も湾曲しています。<br />

    通りが湾曲していれば、それに合わせて玄関も湾曲しています。

  • ベルク通りを東に。上部は木組みで、下部は煉瓦の家や、全面スレートの鱗壁の家など様々。

    ベルク通りを東に。上部は木組みで、下部は煉瓦の家や、全面スレートの鱗壁の家など様々。

  • ベルク通りの東端、マルクト通りとの合流点に建つパン職人のギルトハウスBäckergildehaus(ゴシック様式の下部は1501年、ルネサンス様式の上部は1577年建造)。マルクト教会のすぐ西側に位置します。

    ベルク通りの東端、マルクト通りとの合流点に建つパン職人のギルトハウスBäckergildehaus(ゴシック様式の下部は1501年、ルネサンス様式の上部は1577年建造)。マルクト教会のすぐ西側に位置します。

  • 煉瓦と木組みとスレート屋根と3要素全てミックスしたような作りです。ここでは出窓の家に出会ってなかったので、ひときわ引き付けられます。家の上半分の縮小版を張り付けたような出窓ですね。

    煉瓦と木組みとスレート屋根と3要素全てミックスしたような作りです。ここでは出窓の家に出会ってなかったので、ひときわ引き付けられます。家の上半分の縮小版を張り付けたような出窓ですね。

  • すぐそばで魔女に出会いました。首からぶら下がったお勧めメニューのHexenküche Kohlroulaude (魔女料理のロールキャベツ)ってどんなものでしょうか。

    すぐそばで魔女に出会いました。首からぶら下がったお勧めメニューのHexenküche Kohlroulaude (魔女料理のロールキャベツ)ってどんなものでしょうか。

  • 次はマルクト通りMarktstr.を西へ。ゴスラー音楽学校Kreismusikschule Goslar。木組みの街並みからこんなのが現れるとちょっと驚き。

    次はマルクト通りMarktstr.を西へ。ゴスラー音楽学校Kreismusikschule Goslar。木組みの街並みからこんなのが現れるとちょっと驚き。

  • マルクト通りの西端から右折してベッカー通りに入ります。<br />焦げ茶と白壁が調和した右側の家はAckerbürgerhaus Beck(1592年建築)。現在は旅行者用アパート。

    マルクト通りの西端から右折してベッカー通りに入ります。
    焦げ茶と白壁が調和した右側の家はAckerbürgerhaus Beck(1592年建築)。現在は旅行者用アパート。

  • ベッカー通りから一本北に並行するヤコービ通りJakobistr.を歩きます。通りに面してメンヒェハウス美術館Mönchehaus Museumがあります。近代美術館ですが、建物は1528年建造の年代物。

    ベッカー通りから一本北に並行するヤコービ通りJakobistr.を歩きます。通りに面してメンヒェハウス美術館Mönchehaus Museumがあります。近代美術館ですが、建物は1528年建造の年代物。

  • メンヒェハウス美術館の中庭側だったでしょうか。中には入りませんが、外観だけ観察。<br />

    メンヒェハウス美術館の中庭側だったでしょうか。中には入りませんが、外観だけ観察。

  • ヤコービ通りを東へ。振り返って見たメンヒェハウス美術館の東側の面。どこを歩いても木組みの家と灰色の鱗壁が目に入ります。

    ヤコービ通りを東へ。振り返って見たメンヒェハウス美術館の東側の面。どこを歩いても木組みの家と灰色の鱗壁が目に入ります。

  • さらに一本北に並行するシルダー通りShilderstr.に移動すると、通りの北側には学校Ratsgymnasium Goslar(日本の中高一貫校に相当)がありました。何と1528年の建造です。<br />ゴスラーの学校はどの校舎も立派すぎますね。諸侯の宮殿であってもおかしくないような建物ばかり。

    さらに一本北に並行するシルダー通りShilderstr.に移動すると、通りの北側には学校Ratsgymnasium Goslar(日本の中高一貫校に相当)がありました。何と1528年の建造です。
    ゴスラーの学校はどの校舎も立派すぎますね。諸侯の宮殿であってもおかしくないような建物ばかり。

  • 学校の南側には聖ヤコブ教会。カトリックの教会です。シルダー通りからみた教会の西側です。

    学校の南側には聖ヤコブ教会。カトリックの教会です。シルダー通りからみた教会の西側です。

  • 開いていたんで飛び込んだらミサの最中でした。こっそり1枚撮って立ち去りました。

    開いていたんで飛び込んだらミサの最中でした。こっそり1枚撮って立ち去りました。

  • 教会の東側が、行きがけに通ったローゼントール通りです。通りから見た聖ヤコブ教会です。

    教会の東側が、行きがけに通ったローゼントール通りです。通りから見た聖ヤコブ教会です。

  • ローゼントール通りを北に、駅方向に戻ります。ローゼン門の隣にあるノイヴェルク教会Neuwerkkircheに寄りましたが閉まっていました。がっくり、ゴスラーでの教会の内部鑑賞は収穫ゼロ。<br />こちらはプロテスタントの教会です。カトリック、プロテスタントにかかわらず、ゴスラーの教会はどれも同じような形をしていますね。

    ローゼントール通りを北に、駅方向に戻ります。ローゼン門の隣にあるノイヴェルク教会Neuwerkkircheに寄りましたが閉まっていました。がっくり、ゴスラーでの教会の内部鑑賞は収穫ゼロ。
    こちらはプロテスタントの教会です。カトリック、プロテスタントにかかわらず、ゴスラーの教会はどれも同じような形をしていますね。

  • ローゼン門前の立派な体格のカップル像(名前ないの?)の横を通って駅に向かいました。<br />ゴスラーの街並みは予想以上に素晴らしかったです。歩いていない通りもたくさんあり、こんな街には1泊して朝夕に散歩してみるべきかと思いました。<br />次はハノーファーに戻る途中にあるヒルデスハイムに寄ります。12:06発のREでヒルデスハイムへ(12:41着)。<br /><br />(ヒルデスハイム)https://4travel.jp/travelogue/11675704

    ローゼン門前の立派な体格のカップル像(名前ないの?)の横を通って駅に向かいました。
    ゴスラーの街並みは予想以上に素晴らしかったです。歩いていない通りもたくさんあり、こんな街には1泊して朝夕に散歩してみるべきかと思いました。
    次はハノーファーに戻る途中にあるヒルデスハイムに寄ります。12:06発のREでヒルデスハイムへ(12:41着)。

    (ヒルデスハイム)https://4travel.jp/travelogue/11675704

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この旅行記へのコメント (2)

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  • salsaladyさん 2021/03/03 08:36:46
    別人のハイネさん?
    ☆ヨーロッパ紀行は古くても新しい?いつ見ても建物や通りが清々しくて~

    ☆ハインリッヒ。ハイネ~ならば詩人だと思いますよね。どんな先生だったのかな?

    ☆オーストリアで同じ様な経験をしました。雨の中、ガイドさんに急かされながら歩く途中の建物に「ドップラー」のプレートが有ったことを思い出し、音楽家のドップラーと説明したら・・・全然違います。とコメントを戴き、訂正したことが~

    ☆故きを温ね、新しきを知る世界が再び来ますように~

    blumental

    blumentalさん からの返信 2021/03/04 20:18:34
    Re: 別人のハイネさん?
    salsaladyさん、
     コメントありがとうございます。詩人のハインリッヒ・ハイネがゴスラーに!? なんて、私としては大発見のつもりが同姓同名の間違いとは、残念。
     以前拝見したsalsaladyさんのハルシュタット・ザルツブルク再読しました。すいません、不勉強でフルートのドップラーの方を知りませんでした。理系人間の私にはドップラーといえば物理学者の方が浮かびます。この旅行記のおかげで彼がザルツブルク出身ということを知ることができました。ありがとうございます。
     いつ見ても建物や通りが清々しいというご意見、全く同感です。数多い木組みの町の中でもゴスラーは格別でした。
         Blumental

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