2026/07/22 - 2026/07/22
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さっくんさん
モスクワ二日目は、赤の広場、ザリャージェ公園を経由してモスクワ川沿いを散策、クレムリンをグルっと一周してから、クレムリン内部の聖堂広場を見学しました。その後お高い聖ワシリィ寺院を堪能、モスクワを後にして、今回の旅の目的地、カザンに向けて飛び立ちました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
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さて、朝になりました。先ずは一服。嗚呼曇っています。写真は一枚しか撮りませんでしたが、この位置、訪れる度にポルシェが停まっているのです。しかも違う車種のポルシェが。何故でしょう?ポルシェ専用の駐車位置なのでしょうか?
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奥のドームがある建物の屋上を注目していると、ヤバい事になってるではありませんか!カメラをズームします。
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「おい、お前、早まるんじゃないって!」
「俺に構わないでくれ!もう、もう、俺なんて…。」
飛び降りを止めているのかと思いきや、後ろの人、ナイフ持ってる?おまわりさ~ん!! -
一服を終えたら朝食です。流石ロシアの老舗ホテル、ビュッフェも盛り沢山。貧乏性の私のお皿も盛り沢山。
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昨日と同じ道を辿って赤の広場を目指します。
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ボリジョイ劇場の脇を通り過ぎます。今度来る時は観劇にい行こうかな?
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カザンの聖母聖堂、国立歴史博物館が見えてきました。赤の広場もすぐ其処です。
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赤の広場への門、ヴァスクレセンスキー門。
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そしてレーニン廟。
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クレムリンの象徴の一つ、スパスカヤ塔。
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残念ながら午前中は赤の広場から聖ワシリィ寺院を眺めると逆光になってしまいますので裏側に回り込んで…。
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スパスカヤ塔とを並べて。
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さらに進んでモスクワ川に架かるボリジョイ・モスクヴァレツキー橋方面を眺めます。
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ザリャージェ公園に向かいました。前方にはスターリン様式で建てられたビルディングが聳えています。この様なスターリン様式で建てられたビルディングは7棟あり、セブンシスターズと呼ばれています。8月1日に起こった爆弾テロは、その内の一棟に入っている高級レストランで起こりました。
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ザリャージェ公園に設けられた、モスクワ川に飛び出すように設けられた展望台から、クレムリンを眺めました。
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赤の広場方面も眺められます。
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モスクワ川とボリジョイ・モスクヴァレツキー橋。
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視線を右に少しずらしてクレムリンを眺めます。
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クレムリン内には幾つかのロシア正教会が建てられています。ソビエト時代は宗教活動は停止され、博物館として利用されていた様です。
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再び聖ワシリィ寺院とスパスカヤ塔のコンビを眺めました。
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モスクワはそろそろ通勤ラッシュでしょうか?片側が集中して車列が出来ています。
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公園脇には小さなロシア正教会が建っていました。
後日調べるとパラティ・ポヤル・ロマノヴィフと呼ばれるロマノフ家貴族の館と呼ばれる、歴史的建造物・博物館だそうです。 -
再び聖ワシリィ寺院付近まで引き返し、クレムリンを一周する為、ボリジョイ・モスクヴァレツキー橋方面に向かいます。
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道路沿いには花壇が設けられ、短いロシアの夏を謳歌する様に花が咲き乱れています。
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イチオシ
そんな花越しに聖ワシリィ寺院を振り返りつつ橋を渡ります。
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クレムリンの角っこ迄到達しました。本当に大きな城壁です。但しクレムリンの周囲の城壁は2,25キロ、皇居が約5キロですから、皇居の半分程度です。
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小さな塔が連立しています。
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イチオシ
再び、聖ワシリィ寺院とスパスカヤ塔。クレムリンを一周してクレムリンを見学したら、そっちへ行くから待っててね!
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カザンのクレムリンも川沿いに位置している事から、クレムリンは川沿いに建てる様式があったのでは無いでしょうか?また、クレムリンの対面にグム百貨店がありますが、カザンのクレムリンのスパスカヤ塔の対面にも、現在は用途が変わってしまっていますが、嘗ては百貨店だったそうです。因みにモスクワ川は、ヴォルガ川水系で、モスクワのクレムリンからカザンのクレムリン迄船で行けます。(航路があるかは知りません。)
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モスクワ川を挟んで救世主キリスト大聖堂とクレムリン。
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橋を渡ります。クレムリンが、聖ワシリイ寺院が、離れていきます。
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こう眺めていると、クレムリンの巨大さを痛感します。想像していたより、建築物は多く無さそうです。が、実は地下深く機密を建てられた空間が設けられ、其処にプーチンがお座しているのでは無いでしょうか?
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目下、戦争を指揮していると思われる場所の構内に、多くの観光客が出入りしていると言う不思議。日本なら、戦時中になったら、国会議事堂のみならず、半径◯百m一般市民立入禁止になりそうだけど…。
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不思議な程平和な川沿いですが、これを書いている最中、8月1日に、クレムリンも近い高級レストランで爆弾テロが発生とのニュースが入ってきました。庶民の手が届かない程の高級レストランなので、よっぽどの旅人さんじゃ無ければ、巻き込まれ無いでしょうが、それによる交通規制や、セキュリティ強化により、混乱は必至でしょう。滑り込みセーフでした。
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ボリジョイ・モスクヴァレツキー橋を渡り切り、モスクワ川に沿ってクレムリンを眺めながら歩みを進めます。
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この中にプーチンはいるのでしょうか?今日は出勤しているのでしょうか?彼はどんな表情で席に座っているのでしょうか?歴史上の独裁者の後を追う様に、彼もその経歴の最期を汚名を持って終止符を下ろそうとしています。
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ソ連崩壊後、多くの国が独立しました。しかし彼はそれらの国々に影響力を及ぼす事に固執し、反抗的な国には軍事力を惜しみませんでした。その矛先がまず向かったのがグルジアです。プーチンは、グルジア等コーカサス地方がロシアの人々から差別的な風潮がある事を利用して、チェチェンを制圧する事で支持率を上げてきた経緯があります。
一方グルジアは独立初期から、国名をソ連風のグルジアから英語のジョージアに変更し、私が訪れた17年には、未だEUに加盟していないのにEUの旗を堂々と掲げていました。つまり反ロシアを明確に打ち出していました。 -
プーチンはジョージアにロシア人が多く暮らす地域のロシア人を守る事を口実にジョージアに侵攻、其処に南オセチア、アブハジアと言う傀儡国家を建設しました。こうした経緯の延長線上で、2014年、親ロシア派と親NATO派で国を二分するウクライナに侵攻、ジョージアの時と同様に、ロシア人を守る事を名目にクリミア半島およびウクライナ東部を併合しました。今回は傀儡国家を作る事無く自国領としました。
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あろう事か、これらの事変に世界は静観を決め込みました。流石にクリミア半島併合時は経済制裁こそありましたが、それだけでした。しかし、その辺からウクライナの親ロシア派と親NATO派の綱引き合戦が活発になります。ウクライナの国のトップを決めるのに、ロシアとNATOの干渉合戦です。無効選挙に毒殺の疑惑まで加わりどの沼の様な状況になったのを覚えています。
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そんな中ウクライナのトップに立ったゼレンスキー。最初こそ勢いがありましたが、紛争直前には支持率は低迷。NATOの悪魔の囁きに乗ったか、自分で立ち上がったかは知りませんが、紛争直前はかなり過激な親ロシア派叩きに没頭していました。そして遂にプーチンが切れてしまいます。
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イチオシ
私は非常にガッカリしています。ゼレンスキーもやり過ぎましたが、それ以上にプーチンともあろう者が、こんな若造に切れてしまうとは…。南オセチアやクリミアは国の一部分に過ぎません。今回は国の首都を陥落させようとしたのです。
プーチンはこの作戦を三日で終わらせようと考えていた様ですが、首都を落とせたとしても、散り散りになったウクライナ兵がパルチザンを形成し、ゲリラ戦法で対抗し、やがて西側諸国がそれを支援し、そして泥沼の戦いになると何故解らないのでしょうか?プーチンはアフガニスタンを忘れたのでしょうか? -
いや、それ以上にこれが罠だと何故気づかなかったのでしょうか?ゼレンスキーが独力でそんな強がりを続けるのはおかしいと何故気づかない?バックにNATOと言う大物が控えている事等簡単に解ったであろうに…。一国の首都を陥落させて、只の経済制裁で終わるとでも考えていたのでしょうか?貴方には本当にガッカリさせられました。
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然しながら、私にはいつか停戦がなされたとしても、ウクライナがどんなに健闘したとしても、我々が望む様な結果にはならない様な気もしています。このままロシアが崩壊してしまうと、得をするのは間違いなく中国で、それを世界は望まないでしょう。NATOもロシアの弱体化こそ願いますが、崩壊は望まないでしょう。
ウクライナが多くをNATOから支援を受けている以上、これは只のウクライナだけの戦争では無いのです。スポンサーの意向は大切です。スポンサーの意向によって、この戦いは終わるでしょう。ロシアのメンツを保ちつつ、つまりウクライナの失った領土の多くは戻ってこないと思います。だからこそ、私はウクライナに戦って欲しくなかった。無様でも、罵られても、争うべきでは無かったと思うのです。 -
それにしても、こんな馬鹿な二人の争いに徴兵された両国の人々が余りにも憐れでたまらなくなります。ロシアはロシア人以外の異教徒や異民族を徴兵しています。彼等は自分達とは全く関係の無い戦いを強いられ、そして命を失っています。
一方ウクライナも、男性の出国を禁止し、それに反したら、刑務所行きです。お互い、闘いたくも無い人々が強制的に闘わされ、命を失っているのです。
本当いい加減にして欲しいです。思わず月光を歌いたくなります。(仕事中心の中でずっと歌ってる(笑))
https://youtu.be/iyw6-KVmgow?si=e4jZ6D2pq82gQvog -
さて、クレムリンを一周して、遂にクレムリンに突入します。プーチンジイチャン首洗って待ってろよ!俺が説教してやる!(笑)
逆光に向かって進め!
クレムリンには、大きく分けて聖堂広場、武器庫、ダイヤモンド庫の三つにチケットが分かれています。私は武器にもダイヤモンドにも興味が無いので、今回は聖堂広場に限ってチケット購入しています。 -
クレムリンの観光客の出入り口となっているトロイツカヤ塔と大クレムリン宮殿。如何にもな紋章が飾られています。
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イワン大帝がこれより高い建物を建てることを禁じた為、長らくモスクワで一番高い建物だったと言われるイワン大帝の鐘楼がお出迎えです。
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イワン大帝の鐘楼とパトリアーシェ宮殿。ロシア正教総主教座の宮殿で、十二使徒教会が接続されています。
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大砲の皇帝と呼ばれる大砲。当時は世界最大の口径を持っていたそうです。開館間近で人込みは少なかったのですが、大砲は子供達に大人気で大砲ごときにかなり待たされてしまいました。
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クレムリンの中心に立つウスペンスキー大聖堂。ロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア皇帝が戴冠式を行い、モスクワ総主教の葬儀が行われた場所でもあります。
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イチオシ
右から、ウスペンスキー大聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、そしてアルハンゲルスキー聖堂。
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アルハンゲルスキー聖堂は、大天使アルハンゲル・ミハイルが祀られています。また、歴代のモスクワ公、ロシア皇帝の墓所でもあります。
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ブラゴヴェシチェンスキー聖堂は、イワン大帝の指示により建てられた聖堂。純ロシア様式の性格が強い聖堂です。
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ウスペンスキー大聖堂を正面から眺めました。正面入り口はフレスコ画で装飾されています。
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右からアルハンゲルスキー聖堂、イワン大帝の鐘楼、ウスペンスキー大聖堂。
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大クレムリン宮殿、壮観です。この向こうに大人気の武器庫やダイヤモンド庫があります。
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右からアルハンゲルスキー聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂。アルハンゲルスキー聖堂の背後にイワン大帝の鐘楼。
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ブラゴヴェシチェンスキー聖堂単体。
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アルハンゲルスキー聖堂の背後にウスペンスキー大聖堂。
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ブラゴヴェシチェンスキー聖堂と大クレムリン宮殿。
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イチオシ
今度は、アルハンゲルスキー聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、大クレムリン宮殿を並べました。
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今度はアルハンゲルスキー聖堂とブラゴヴェシチェンスキー聖堂、右隅にイワン大帝の鐘楼を添えて。
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アルハンゲルスキー聖堂入口のフレスコ画。
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ウスペンスキー大聖堂とイワン大帝の鐘楼のツーショット。
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右からウスペンスキー大聖堂、中央にアルハンゲルスキー聖堂、左にイワン大帝の鐘楼、三者揃い踏み。遠くから俺も忘れるな!とブラゴヴェシチェンスキー聖堂の声が聞こえてきそうですが、どうやっても全てを一緒にと言う訳にはいきません。
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最後にウスペンスキー大聖堂を単体で。白い体に金色のスライム型帽子を被った聖堂群。聖堂同士の組み合わせを楽しみました。
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当時世界最大の鐘になる筈でしたが、鋳造中に火事が発生、水がかかってしまった事で金にヒビが入ってしまい未完に終わりました。鐘の皇帝と呼ばれています。
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リザパラジェーニヤ教会の丁部が見えました。皇帝の礼拝所として作られた小ぶりの教会です。
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元老院が見えました。嘗てレーニンもここに暮らしていた様です。現在はロシア連邦大統領府として利用され…
「其処かぁあ~!チェ~ストォ!」
…?…大統領がいる時は、丸屋根の上に大統領旗が掲げられるそうです。丸屋根?旗?ネェじゃないか?スネークが侵入した事に気づいて逃げやがったな!チッ…。 -
クレムリンを後にします。少々緊張を持っての入場でしたが、入ってしまえば素敵な場所でした。でも、こうしている間にも、此処から殺戮の指示がでているのですよね。此処で「戦争やめろ!」とか言ったら、二度と此処から出れないでしょう。はい、口チャック、ロッキーチャック。
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トロイツカヤ塔の前面は広大な庭園になっています。花壇に咲き乱れる花の向こうにクレムリンを振り返ります。
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インバウンドが減ってしまった穴埋めに、共産党のお友達をビザ無し待遇にした事で、某国の旅人さんも大勢いらしてます。やめた方が良いよ…。一般人ですら、ウクライナ軍より破壊力あるよ、この人達。
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続いて赤の広場に戻ってカザンの聖母聖堂を見学します。一般的にロシアの聖堂内は撮影禁止です。スマホで撮影している人もいますが、ルールは守りたいので撮影は許可が明確でない場合、控えています。残念ながら此処も同様です。
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さて、モスクワの聖堂巡りのクライマックスと言えば此処です。聖ワシリィ寺院です。現在、国立歴史博物館の分館ともなっている為撮影も可能です。しかしその分値段が半端ありません。今朝のクレムリンの聖堂群すら1100ルーブルだったのに、単体で2000ルーブルもします。
私のテーマでもあるモスクなら未だしも、専門外の未知の事も多い正教会に2000も払うのは豚に真珠では無かろうか…。いいや、折角ここ迄来たのですから、拝見させて頂きましょう。 -
教会内部は結構狭いです。何故なら聖ワシリィ寺院はなんと一つの寺院では無いのです。外側には特徴的な玉葱状と良く説明される(実際は礼拝に重要な蝋燭をモチーフとしている)九つの尖塔がありますが、その其々が八つの小聖堂となり、中央の大聖堂と合わさり、ワシリィ寺院を形成しているのです。
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そんな訳なので内部はぎゅうぎゅう詰めで迷路の様な構造となっています。また、大聖堂は勿論の事、小聖堂其々にもイコノスタシスを有しているので、この寺院一つ巡っただけでも9つの聖堂を巡った様なものなのです。9つの聖堂が見られて、た~ったの2000ルーブル!一つにつき、た~った200ルーブルちょっと!ね?其処の奥さん、お得でしょ?
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イコノスタシスとは東方正教会の独特の様式で、教会の最深部をイコンが描かれた壁で覆い、至聖所と信者が祈祷する場所を隔てています。簡単に言うと内部はスタッフオンリーと言う事。神域と人を隔てているとも言えます。歴史的なイコンが描かれ、宗教的且つ芸術的価値も持ち合わせています。
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私はこれ迄イスラームをテーマに旅を続けて来ましたが、その道中で正教会の文化圏も良く被る事から、その過程で正教会の教会を訪れてきました。それもその筈、イスラームはビザンティン帝国と戦い、彼等の文化を吸収する事で急成長を遂げました。
またイスラーム教徒キリスト教は元は同じ宗教です。イエスはイスラームにとっても聖人のひとりです。そんな同じ環境で歴史を紡いできた両文化ですから、同じ地域にモスクと正教会の教会が被るケースは多々あります。 -
旧ビザンティン帝国領だった地域は元より、特に三つの宗教が折り重なったヴァルカン半島の旅では多くの正教会の教会を訪れる機会に恵まれました。また中央アジアの旅やヴァルカン半島の旅では、キリル文字にも触れる機会がありました。
ボスニアヘルツェゴビナのサラエボでは、ユーゴ紛争の影響で、二つの民族が旅人には見えない国境線を引き、街を二分して、決して交わる事無く暮らしています。我々は移動出来ますが、国境線は見えませんが、道に立てられた看板が、アルファベットからキリル文字に変わった事を確認し、国境を越えた事を知りました。 -
イスラームの旅が続けば続く程、残す場所は少なくなり、この度、キリル文字と現代正教会の総本山とも言えるロシアを訪れる事が出来ました。カソリックと正教会は大きく異なる性格があります。先に述べたイコノスタシスは正教会独特の様式です。運営方法も大きく異なりました。
カソリックがヴァチカンとして国とは独立した機関として、中央集権化したのに対し、正教会はビザンティン帝国の庇護の下発展しました。しかしビザンティン帝国はオスマン帝国に滅ぼされてしまいます。その後、正教会はそれぞれの国の庇護の下、運営される事になります。なので〇〇正教と、国名を先につけ呼ばれる事が多いのです。
(形式上とはなってしまいますが、現在でもトルコのイスタンブールに東方正教の総主教座が残されています。) -
こうして各国に散り散りになった東方正教ですが、ビザンティン帝国との繋がりや、当時の国力から、ロシア正教は、東方正教会の継承者として自負しています。事実東方正教会最大の信徒を持ち、名実共に東方正教会を牽引する立場にあると言えます。
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然しながら、ロシア正教の聖堂の、一般的に玉葱状、実は蝋燭状の尖塔を持つその独特のスタイルは、本家であるビザンティンの正教会の教会とは大きくスタイルが異なります。いったいどうしてなのでしょう?
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その最大の理由はロシアの気候にあります。ロシアはご存じの通り大量の雪が降ります。玉葱モトイ、蝋燭型だと、雪が滑り落ちやすいのです。更に蝋燭だと心理的にも炎を意味するので雪が溶けやすい?逆にビザンティン様式の様な緩やかで大きなドームは雪により損壊の危険性があるのです。
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また、ロシア地域の建築の特性として木材が豊富なので、昔は木造建築が多かった事が挙げられます。木材では大きなドームは作れませんが、蝋燭の火の部分や先細りする尖塔は木造で表現できます。キジ島に残る木造の立派な聖堂をいつの日が見に行きたいものです。
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ロシアに降り積もる大雪と、其処に暮らす人々の信仰心が、蝋燭型のまたとない聖堂を作り出したのです。
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イチオシ
さて、聖堂の二階部分に登ってからが、寺院散策の本番です。中央の礼拝堂を八つの小聖堂が取り囲み、ひとつひとつお参りして回ります。中央の礼拝堂では時折讃美歌のデモンストレーションが行われます。うっとりする歌声でした。
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エルサレムからキリスト教がヨーロッパに齎され、様々な苦節と変遷を経て、ローマ帝国の国教となったキリスト教でしたが、やがてローマ帝国は東西に分裂、帝国の分裂はキリスト教の分裂にも繋がりました。西ローマ帝国のカソリックと東ローマ帝国、即ちビザンティン帝国の東方正教会です。
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両者はお互いを破門し、分断が深まる中、時と共にその風習も変わりました。先に述べたイコノスタシスの存在も然りです。カソリックの教会と言えば長椅子が整然と並べられていますが、ロシア正教では、基本的に椅子はありません。ロシア正教では立ったまま礼拝を行う事で神に敬意を示すと考え、それはキリスト教の伝統的なスタイルでもあります。
(南スラブの地域では椅子を持つ教会も存在します。) -
正教会の教会では、肌の露出が少ない落ち着いた服装が求められる他、女性は髪を覆わなければなりません。これもキリスト教原初のスタイルを受け継いでいると言えます。モスクと同等の配慮を持って拝観したいものです。
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イチオシ
そもそも、こうした宗教施設に肌の露出が激しい服で訪れる旅人が後を絶ちませんが、暑いからとは言え、私には到底理解が出来ません。自分の家族の墓参りに、その様な格好で行くのでしょうか?墓参り中にそんな格好の観光客が訪れたら不快に思わないのでしょうか?配慮と言う二文字が欠如した人は、こうした場所に訪れるべきではありません。
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また、この髪を覆うスタイルが、悲劇を生んでしまった歴史があります。カソリックによる侵略戦争、十字軍のエルサレム侵略です。彼等は髪を覆った正教会の女性をムスリマと誤認し、虐殺し、家屋を破壊しました。そしてモスクだと思い扉を開けた時、自分達の犯した罪に気付きました。其処は正教会の教会だったのです。
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そもそも彼等はその後の第四次十字軍でエルサレムでは無く、同胞のビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを襲撃し、滅亡寸前に追い込んでいます。
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カソリックと正教会の教会内で大きな印象の違いを与えるものとして、絵画の違いが挙げられます。ルネッサンスの洗礼を受けた、西ヨーロッパに位置するカソリックの国の教会の宗教画は、それ以降劇的に変化を遂げ、動きのあるダイナミックな宗教画が数多く描かれました。
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一方ルネッサンスの影響を受けなかった正教会の宗教画は、原初のスタイルのまま、動きの少ない、正対した姿で描かれています。正教ではこれらの絵画をイコンと呼び、非常に重要視しています。
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さて、私はイスラームについて学ぶ中で、北方の国々、特にロシアでは、余りに寒い地方に暮らすので、強い酒ウォッカを呑む習慣があり、だから酒を禁忌とするイスラームはロシアでは版図を広げられなかったと言う俗説があるのを知りました。本当でしょうか?
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実際ロシアを訪れる事になったので、その真偽を確かめてみました。すると、ロシアの前身でもあるキエフ・ルーシ国家の基盤強化の為、ウラジミール聖公が、国教を定める事となり、いくつかの宗教を選考する事になりました。その際、ウラジミール聖公が「飲酒はルーシの喜びである。」としてイスラームの信仰を却下したと言います。そして彼が選んだのが東方正教会だったのです。
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これを知り私は成程と思いました。口伝が繰り返される事により、いつしか主語が変わってしまったのです。ウラジミール聖公が選別した事実が、いつしかロシアの寒さに変化したのです。
我々は時に映像や印字された文字にまんまと騙されてしまいます。ソースが怪しい情報は、一旦保留して、その裏を取ってみる。それを怠り、そのままを伝えてしまう事で、間違った情報を拡散してしまう事に繋がるのです。旅行記を書く端くれとして、しっかりしないとと思いました。 -
時代が進むとモンゴル軍の遠征にキエフ・ルーシ国家は壊滅的被害を受けます。しかし、オスマン帝国も同様でしたが、イスラームによる支配は、異教徒に対して寛大な事が殆どです。税制上の不利などはあったものの、信仰自体を制限する事は少なかったです。こうした事で、タタールのくびき時代も、この地方の信仰は保たれました。
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しかし、この地方の正教に最大の危機が訪れます。ソビエト連邦の誕生です。聖職者達は死刑及び流刑にされ、全国に3万あったと言う教会は、500如何にその数を減らしたと言います。同じ共産国の某国も、文化大革命と言う文化破壊を敢行しましたが、現在は共産党自体が世界から粛清されつつあると思います。
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さて、この聖堂の建てられた経緯は、イワン雷帝がカザン・ハーン国の首都カザンを制圧した戦勝記念として建てられました。戦争の勝利と言う、聖なる場にはちょっと相応しくない由来で建てられたのです。赤の広場にはワシリィ寺院の対面に、カザンの聖母聖堂と言う、これまたカザンの名を冠した聖堂があります。中には重要なイコンがありましたが、ピョートル大帝が首都をサンクトペテルブルクに遷都した際に、移動され、彼はサンクトペテルブルクにカザン大聖堂を建立し、其処に収められました。
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イワン雷帝ばかりでなく、ピョートル大帝も大切にしたカザンの聖母のイコン。其処からも、如何にカザンと言う街が、ロシアにとって重要な街であったかが伝わってきます。現在紛争中のキエフが、ロシアの生誕の地とするならば、カザンは、其処を奪取した事で、長らく続いたロシアにとっての暗黒時代、タタールのくびきの時代に終止符を打ち、現代へと続くロシアの再生の基点となった、第二の故郷であると捉えたからでは無いでしょうか?
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それにしても、あのソビエトの時代も通り越し、現在もタタールスタン共和国の首都として、そしてロシア連邦の第三の都市としてカザンは君臨します。異文化、異教徒の街として異例のポジションだと思います。
例えば同じ共産国の某国では、異教徒の扱いは悲惨なものです。これはロシアの民度の高さもあると思いますが、西側の国だって、異教徒、異文化の人々と同じ待遇が出来たかと思えば疑問に感じます。カザンとはどの様な街なのでしょう?カザンと深い関わりを持つワシリィ寺院内で、カザンへの旅に想いを馳せました。 -
小聖堂と小聖堂の狭く暗い通路を辿りながら、其々の聖堂のイコノスタシスに息を呑みながら、八つの聖堂を拝観しました。すごく濃密な時間を過ごせたと思います。
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そして一周を終え、中央の大聖堂に凱旋しました。私は実は博物館、美術館が苦手でもあります。興味が無い分野だと苦痛なだけですし、逆に興味ある分野だと、情報量が多過ぎて頭がパンクしてしまいます。
でも、こうした本物の建物の中を巡りながら、実際の場所にイコノスタシスを並べてあれば、すんなり頭に入ってくるから不思議です。勿論博物館の様に後付けで陳列された貴重な品もいっぱいあります。何故此処が歴史博物館の分館と定められているか理解しました。九つの聖堂が狭い構内にぎっしりと凝縮されている、ワシリィ寺院ありのままの姿が、博物館そのものの様なものなのです。 -
聖ワシリイ寺院を堪能させて頂きました。高かったけれど、中も観なければ勿体無いと思う、納得の聖堂でした。
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因みに聖ワシリィ大聖堂と表記されている事がありますが、大聖堂(カテドラル)は原則的に一つの街に一つと定められている事を鑑みれば、モスクワにはクレムリン内にウスペンスキー大聖堂が存在するので、クレムリン外に建つ聖ワシリィ寺院は大聖堂にはあたらないと私は考えます。勿論大聖堂であるか無いかで、ワシリィ寺院の評価が変わる事は一㍉足りとは変わりません。
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スパスカヤ塔を見上げます。クレムリンの建築群、クレムリン周辺の街並み、それらは非常にヨーロッパ的であり、それらヨーロッパに勝るとも劣らない、壮観なものでした。でもそれは、ロシアが常にヨーロッパに視点を注ぎ、ヨーロッパに追いつけ、追い越せと努力を重ねたからに他なりません。
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240年続いたタタールのくびきにより立ち遅れた遅れを取り戻そうと、ピョートル大帝がモスクワよりヨーロッパに近い、サンクトペテルブルクに遷都を実行したのも、エカテリーナ二世が狂った様にヨーロッパの絵画を収集したのも、そんなロシアのヨーロッパへの強い憧れがあったからでした。憧れ、それは裏返せばコンプレックス。つまりロシアはヨーロッパに対して劣等感を抱いていました。
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対してヨーロッパ諸国は東方に生まれ、急激に拡大を続けるロシアに脅威を感じました。自分達とは異なる思想を持ち拡大し続ける巨大な国家に、地球上のあらゆる地域を植民支配し、我こそが勝者と思い込むヨーロッパ諸国の唯一の脅威、そしてロシアはナポレオンもヒトラーさえも歯が立ちませんでした。ロシアはヨーロッパにとっては脅威だったのです。
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そんな互いを劣等感と脅威と言うネガティブな視線で見つめ合う、両者の歪んだ思いが、その狭間にあるウクライナで激突してしまいました。そもそも歴史を追うと言う事は、人の歴史は、争いの歴史を追うと言う事でもあります。たまたま此処を訪れたこの瞬間、その争いが現在進行中に訪れてしまったと言う事なのかもしれません。人の歴史は「この過ちを二度と繰り返さない。」と言う戦後の誓いを破りつつ永遠とループを繰り返さねばならないのでしょうか?
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本来イスラームをテーマとした私の旅に、二つの国の戦いは蚊帳の外の出来事で、余り関わり合いたくない事でもありました。しかし当該国を訪れるにあたって、歴史に没頭したくとも、割り込んできてしまい、考えずにはいられません。こうしている間にも、我々は歴史に、争いと言う愚かで、切ないページを書き加えています。
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強い日差しにグム百貨店に逃げ込みました。グム百貨店、ワシリィ寺院からカザンの聖母聖堂迄、つまりは赤の広場の端から端まで長さがあります。半端無く広大です。一軒一軒訪れたら、一週間程かかってしまうかもしれません。
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昨日地下鉄に乗って、余りの感覚の短さに、こんなに運航して採算が合うのか心配になりました。日本の百貨店は何処も青息吐息の状態ですが、こんなべらぼうに広い百貨店、採算が合うのでしょうか?それとも採算性ばかり問われる日本の社会が、おかしいのでしょうか?これで採算が合うのなら、日本の社会は何処かで過剰に中抜きチューチューされているのではないでしょうか?それならその犯人を排除する方が採算が合うのではないでしょうか?
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冗談は兎も角、この広大なスペースに、エアコンを効かせるだけでも天文学的電気代になると考えてしまう私は心配性過ぎるでしょうか?
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此処を訪れて、やり残してしまった事はアイスクリームを頬張る事。どうやら名物だった様です。皆アイスクリームを頬張りながら店巡りを楽しんでいます。暑くてアイスクリームを頬張るのに最適の日だったのに…。勿体ない事をしました。
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ヤマグチと言うメーカーはご存じですか?私はマッサージをしないので知りませんでしたが、ロシアでは至る所でみかけました。こんな昨今、日本のメーカーらしきものをよく見かけたので印象的でした。
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ヴァスクレセンスキー門を潜って、一旦赤の広場を離れて食事に出かけます。
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ロシアで困った事と言えばキリル文字が読めないので食事が挙げられますが、それはレストランに留まらず、コンビニ、スーパー、マーケットの類が少ない事です。郊外の住宅地へ行けば結構見かけるのですが、街の中心には少ないです。私は胃が弱いので、朝食をしっかりとれば、昼は軽食で良いのですが、その軽食を買う場所が少ないのです。
他の旅人さんの旅行記では、結構あると書かれていました。私は食物探すのが本当に下手なのでしょう(´;ω;`) -
観光地にあるあるの軽食スタンドや屋台の様なものも少なく感じました。まさかクレムリンや赤の広場にそれらを求めませんが、余り見かけませんでした。ロシアは夏場は短く、冬は厳寒なので、こうしたスタイルは採算が合わないのかもしれません。そんなこんなで昼食のチョイスが毎度の事難航しています。
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昼食を探しにウロウロします。クレムリンの近くだけあって、高額そうなレストランばかり…。昨日見つけたKFCもどきは、機械の注文で、キリル文字が読めなくて玉砕済み。
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だからと言って、昨日入ったアジア系の集まるフードコートに再び行くのも憚れます。さて、どうしましょう?
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ガイドブックにレストランは高級。安く食べたいなら、日本で言う学食みたいなシステムの店は手頃な値段で食べられると書いてありました。以前カザフスタンで入った事があります。さて、見つかるでしょうか?
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ありました!私の訪れた時は大行列!みんな一般市民や工事の方々。それでこれだ!と思い、真偽も問わず並びました。
果たしてビンゴだったのですが、余りの行列、慣れない作法で、どれにしようかな~と悩んでいると、あれよあれよと列は先に進んでしまい、あっという間にお会計のオバチャンの場所に…。 -
お陰様で、こんな貧相な昼食に(泣)
ビュッフェだと食い意地張るのに、惨敗です。今度は空いている店にしようかと…トホホ。 -
気を取り直してホテルでバッグを回収しました。
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んで、空港に向かう地下鉄の最寄り駅迄歩けば、赤の広場も目前なので、赤の広場に別れを告げにやってきました。
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中も外も立派な大聖堂でした。ワシリイ寺院にサヨウナラ。
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赤の広場にサヨウナラ。
プーチンさんに伝言です。
今度来る時迄、戦争終わらせるんだぞ!
歯磨いたか?
風呂、入るんだぞ!
by いかりや長介from heaven. -
地下鉄に乗り込みます。
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乗車した駅はチアトラーリナヤ駅。日本風に言えば(ボリショイ)劇場前です。構内でブローシャチ・レボリューツィ駅と連絡しています。
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多くの旅人さんは、此処からベラルースカヤ駅でアエロ・エクスプレスに乗り換える様ですが、今回は2号線の終点迄向かい、其処から空港行きの高速バスに乗り換えます。
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アエロ・エクスプレスは国際線ターミナルに到着しますが、高速バスは国内線(B)国際線(C)の双方に停車しますし、料金も安いそうです。更に、今回私は国内線利用なので、高速バスの方がドンピシャに停車します。
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外れの電車に乗ってしまい、終点二つ前で運行終了、仕切り直しです。
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終点のボウリノ駅に到着です。どうやってこれがボウリノになるの?キリル文字…もう暗号以上にムズい(泣)
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空港への高速バスは待ち時間ゼロと言うか滑り込みセーフ。(20分間隔程度はある。)でも、その変わりギュウギュウ詰め。私は老人に思われたか、ロシア人のヤンチャ坊主に席を譲られそうになった。優しいねぇ、ロシアのヤンチャ坊主。
席を譲られるなんて、人生初体験です。私もそんなに老いてしまったのか…。 -
シェレメーチエヴォ国際空港の国内線制限ゾーン。成田どころか羽田の制限ゾーンも完敗です。
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アエロフロートのスチュワーデスさんが歩いていました。今時珍しい、サンダーバード、いや、サンバーダードから抜け出してきたかの様なデザイン。色はド・オレンジ!カッケー!
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル -
そして、これが嘗て泣く子も黙ったアエロフロート。機内で写真撮ろうものなら、サンバーダードにボッシュートされたそうです!
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル -
で、これが機内誌。カッケー!
で、読んでビックリ!使用機材がボーイングにエアバスってどう言う事だよ!ロシアの民用航空機会社は詳しく知らんが、ミグとかスホーイとか、ロシア製だとばっかり思ってた。残念!
てか、て言う事は、メンテナンスの機材とか、ちゃんと用意出来てるのかしら?
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル -
2時間未満のフライトなんかに、モニターなんて必要無いぜ!でも、菓子は食わせてやる!ってか?
相変わらず、サンバーダードは格好良い!
さぁ、お待ちかねのカザンに向けて出発進行です!!
最後迄ご覧になってくださり、ありがとうございました。
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