2014/06/04 - 2014/06/05
334位(同エリア1489件中)
さっくんさん
ライオンの中庭の大改修が完了するのを待ちに待ったアルハンブラ宮殿。
遂に対面の時が来ました。
少しでもライオンの中庭の良い写真が撮りたい!と望む旅人には悪条件しかない大改修の結果に私の作戦は功を奏するでしょうか?
緊張感満載で早起きして突撃します!
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早朝、未だ陽の昇らぬ前に起床し(眠れて無い汗)宿を後にしました。
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未だ人っ子一人いない道をアルハンブラ宮殿目指し歩みます。
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石榴の門を潜ります。
震えているのは武者震いです(嘘) -
散歩に良さげな緑道も、今は緊張に満ちています。
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小さな滝の流れが緊張する心を癒してくれました。
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アルハンブラ宮殿に突入しました。
チケットブースにはチラホラ当日券狙いの旅人が。
予約済みの私は心臓を脈打たせながらナスル宮を目指します。 -
アルカサバの城壁が朝陽を受けて燃え上がります。
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ナスル宮一番乗りを無事果たしました。
でも誰もいないので何処に並べば良いか解りません。
いや、私が基準になれば良いのです。 -
開幕一時間を切った頃からチラホラ人が集まりだし、最早後ろは長蛇の列。
皆さん、ゆ~っくりナスル宮を御見学御願い申し上げます。
貴方達がライオンの中庭に辿り着くその瞬間迄、私はライオンの中庭を独り占めさせて頂きますから。 -
ナスル宮最前列から入り口を睨みます。
運動会の徒競走思い出します。 -
いよいよメスアール宮に入ります。
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メスアールの間です。
嘗て政治や裁判が行われていた場でした。 -
アルハンブラ宮殿を代表するモザイクがありました。
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祈祷室からアルバイシン地区を臨みます。
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メスアールの中庭に出ました。
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コマレス宮、アラヤネスの中庭に到着しました。
幾度と無く写真を眺め胸をときめかせていた光景が今、目前にあります。 -
コマレス宮側から見たアラヤネスの中庭。
(後程戻っての撮影の為、観光客が混じっています。) -
天井の装飾も手抜き無しです。
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コマレスの塔内部、大使の間へ入りました。
謁見に使われた場です。 -
天井を見上げます。
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星空をモチーフにした天井がとてもロマンチックです。
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ミフラーブです。
イスラーム教徒はメッカの方角に祈りを捧げる為、その方角を示す窪みです。
日本なら西になりますが、スペインなら東になります。 -
吸い込まれてしまいそうです。
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そして遂にやって来ましたライオンの中庭。
慌てない!
慌てない! -
装飾のきめ細かさが今まで見てきたものとは明らかに違います。
政治の場だったメスアール宮、外交の場だったコマレス宮に比べライオン宮は王のプライベートの間。
此処があってこそアルハンブラ城塞がアルハンブラ宮殿に変わります。 -
まるでレースの様な細やかな装飾。
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内側から見上げました。
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イスラーム建築の特徴はシンメトリーに拘る事。
左右対称は見る者に安定感と落ち着きを与えます。
ヨガとか瞑想とかしたくなります。 -
更に他に誰もいないのが良い。
シンメトリーの安定した世界、更に無音。
営業時間に比べればほんの一瞬に過ぎないのですが、永遠の一瞬の様な…。
時が止まったかの様な光景の中、二番目の旅人の靴音が静寂を打ち破る迄カメラをしまい放心状態で中庭と対峙しました。 -
正方形の中庭に十字に水路を張り(真上から見ると田の字になる。)中心に水盤を置く(此処ではライオンの噴水)形態は四分庭園と呼ばれ、イスラームを代表する庭園建築であり、それは楽園を表したものです。
この庭園様式はイスラーム以前のペルシャに起源があり、ペルシャ語で囲まれた庭=中庭を意味するパイリダエーザと言う言葉がヨーロッパに渡りパラダイスと言う単語の語源となりました。 -
私の貸し切り時間が終了すると、芋づる式に人々増え始めました。
他の見所をグルグル周り、再びライオンの中庭に戻ってくれば、其処には某国のツアーのオバチャン達がライオンの噴水を取り囲んでました。
皆さん揃ってライオンを覗き込むものですから、某国オバチャンのお尻の噴水になってしまいました(大泣) -
アベンセラフェスの間。
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そして二姉妹の間からリンダラハの望楼を臨みます。
人気の高いエリアなので観光客が入ってしまうと全く絵にならない構図です。
早起きは三文の得です。 -
二姉妹の間の天井を飾るムカルナス。
これ程緻密なムカルナスを見るのは初めてです。 -
思わず首がおれそうになるくらい見上げてしまいました。
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そしてリンダラハの望楼。
息を飲む美しさです。
ピーク時にはこの構図でさえロープすれすれに人が横並びになってしまうのでクリアな写真を撮るのは難しいです。 -
実はこれまで私は宮殿の見学は余り好きではありませんでした。
歴史的価値観からつい行ってしまうのですが、豪華絢爛過ぎる装飾や調度品の数々にやがて胸焼けを感じてしまうのです。
それは
「どうだ!凄いだろ!」
と思い切り人の意識に介入してくる美意識です。 -
しかしナスル宮で私が受けた印象は落ち着きでした。
周囲に施されたアラベスクや、決して華美に走らない中庭。
意識して見れば卓越した技術を持って作られているにも関わらず、決して押し付けがましくない。
そんなところに非常に好感が持てました。 -
アルバイシン地区が一望出来ました。
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アルハンブラ宮殿と言えばこれ?
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アルハンブラ物語を執筆しアルハンブラ宮殿を救ったとも言えるワシントン・アーヴィング氏が滞在した部屋がありました。
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アルハンブラ宮殿から眺めるシエラ・ネヴァタ山脈も素敵です。
嘗てのスルタンもこの景色を眺めていたのかな? -
此処から順不同でアルハンブラ宮殿のアラベスクを並べます。
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イスラームと言えば中庭が有名ですが、どうして中庭なのでしょう?
それには二つの大きな理由が考えられます。 -
ひとつはイスラームが生まれた環境です。
イスラームは砂漠で生まれた文化です。
砂漠で人工的な自然を保持するには砂嵐や強烈な直射日光を遮る為、周囲を壁で覆わなければならなかった。
つまり庭を作ろうものなら中庭が必然だったのでしょう。
でもそれだけではありません。 -
イスラームは作物を得づらい砂漠の文化。
交易に依存した文化だったので商業が発展しました。
しかし交易は大きな利潤を生む反面貧富の差を産み易い性質があります。
過度な貧富の差は社会不安そして国家転覆の危機さえ孕みます。 -
イスラームでは貧富の差対策として富める者は持たざる者へ喜捨を推奨する事で富の再分配を促しました。
また、人の羨望が妬みに変化しない様に華美な外見を忌避しました。
だからイスラームの街並みは何処も朴訥な外観が多いのです。(扉だけは装飾が許されたのでチュニジアやザンジバルでは芸術性に溢れた扉が有名です。)
こうした理由からイスラームは美を内面に秘め庭を内側に築きます。 -
その教えは建築に限らず服装にも関わります。
女性を覆う漆黒のベールは強烈な直射日光や砂嵐から肌を守る実利も勿論強い動機ですが、一方女性の美をひけらかす事が生みかねないトラブルを抑制する事も期待されています。
だからイスラームの女性はベールで身を覆います。
しかし私は知っています。
その中身は中庭同様、外側から想像も出来ない艶やかなものであろう事を。
ある時スークを彷徨っていて女性の下着売り場に迷い込んでしまったのです。
それはそれは日本人には想像し難い艶やかな世界で卒倒しそうになりました。
脱線しましたが、イスラーム、彼等は美を内側に秘めるのです。 -
リンダラハの中庭です。
此処でナスル宮見学は終了です。
計画を遂行し、期待以上に満腹状態ですが、未々アルハンブラ宮殿探索は続きます。 -
バルタル宮にやって来ました。
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ちょっと引いてバルタル庭園を含めてバルタル宮を眺めました。
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フェネラリフェへ向かう途中アルハンブラ宮殿を眺めます。
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今度は薔薇を交えて。
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今度は一輪で。
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小窓から覗くアルバイシンの街並み。
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嘗てグラナダを守っていただろう城壁が残っていました。
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アルハンブラ宮殿を遠望します。
アルハンブラ宮殿と言いますが、実際は宮殿はほんの一部に過ぎません。
政治、外交等国を動かす多くの機能が集結した城塞です。
先に述べた通り、外観には質実剛健なイスラーム建築なので(後世にはタージ・マハル等豪華な建築も登場しますが。)外観こそ武骨そのものです。 -
元々果樹園だった下の庭園。
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砂漠に暮らしたイスラームの人々にとって、緑と水に溢れたアンダルシアは、まさに楽園と映ったでしょう。
水と緑に楽園を想像したイスラームの人々。
彼等が求めた楽園=中庭建築はイスラーム圏の東西の端、東の端はインド・ムガル様式にて。西端は此処アンダルシアのアルハンブラ宮殿で、その傑作を生み出す事となりました。 -
四分庭園で有名なものに、インド・ムガル帝国が築いたタージ・マハルの前庭や同じくムガル帝国の都市現在のパキスタン・ラホールに位置するシャーラマール庭園(タージ・マハルはシャー・ジャハーンが愛妻の為に建てた霊廟だが、此方は愛妻の為に築いた庭園。)や四分庭園のルーツのイラン・シーラーズのエラム庭園が有名ですが、一般の建物の四分庭園も規模は小さいながら趣深いものも多く、中には由緒ある中庭がレストランに改装されていたりして、中庭文化を体験出来ます。
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夏の離宮フェネラリフェ、アセキアの中庭です。
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園内に大規模な池を掘り、その湖面に借景となる山が逆さに映る…なんて言う日本庭園の技術にも舌を巻きますが、水が貴重な当時のイスラームの人々にとっては、そんな庭園なんて、想像だに出来なかったでしょう。
でも、この庭園が、水を憧れ続けた人々の憧れを形にしたものだと思うと、感慨深いものがあります。 -
反対側から。
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王室の夏の離宮だったフェネラリフェ。
中央に配置された水路と噴水が、落ち着きと涼しさを与えてくれます。 -
緑のトンネルを抜けてアセキアの中庭を後にします。
季節には花のトンネルになるのかな? -
アルハンブラの蓮。
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6月の地中海沿岸の旅は各地で色とりどりの花が出迎えてくれて嬉しいです。
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花盛りです。
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セカーノの散歩道を歩みもと来た方面へ戻ります。
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アルハンブラ宮殿と言えば糸杉も忘れてはならない風景です。
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レコンキスタ完了後キリスト教徒が建て加えた違和感半端無いカルロス5世宮殿。
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アルハンブラ宮殿最後に訪れたのは、その本質とも言える城塞部分のアルカサバ。
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戦いの歴史を振り返って見ても、その後のスペインが植民支配で中南米で行った事を振り返って見ても、勝者は敗者の文化を尽く抹殺してきた訳ですが、此処アンダルシアでは驚く程イスラームの歴史的物件が残され、文化が根付いています。
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その理由は当時イスラームの文化が圧倒的にヨーロッパを上回っていたからです。
彼等はイスラームに敵対しながらも畏敬の念を持っていた。
だから彼等はそれらを破壊出来なかったのです。
コルドバ、セビーリャと続く旅の中、私はそれを実証するものに触れていく事になります。 -
1492年レコンキスタが完了しアルハンブラ宮殿が落城します。
イスラーム達は嘗て自分達が渡ってきた地中海を逆に渡り北アフリカに落ちていきました。
しかし今も尚彼等にとって、アルハンブラ宮殿は彼等の心の故郷であり続けています。 -
最後にアルカサバからグラナダ市街を一望しました。
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グラナダ市街に戻って来ました。
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市場を覗きます。
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再びアルバイシンの坂道を登ります。
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この坂を登れば、あの風景が待っている…。
人をワクワクさせる坂。 -
再びやって来たサン・ニコラス展望台。
昨日はドキドキしながら眺めていましたが、今は達成感と共に。 -
グラナダの名物と言われるトルティーヤを頂きました。
美味しい!
何が入ってるの?と調べて愕然!
なんと豚の脳◯そと金◯まらしい。
て事はあのプニプニした食感は?
コリコリしたのは?
知らない方が幸せな事もあります。 -
此方も名物ガスパチョ。
冷製スープと聞いて余り期待していなかったのですが、これなら樽でもいけそう! -
これはアルハンブラ宮殿場内ではありませんが、こうした趣向は好きだなぁ。
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アルハンブラ宮殿のチケットを頼んだ地元の代理店に洞窟フラメンコへの少人数ツアーを申し込みました。
フラメンコはセビーリャでも見ましたが、そちらは本格派か撮影不可、一方此方は観光向けなので写真を臆する心配は無用です。 -
舞台は長細い洞窟の中、我々が到着した時はガラガラでしたが、横の席は団体専用と隅っこに追い払われてしまいました。
後から其処へ陣取ったは某日本代表のツアー御一行様。 -
でも、どうやら特等席は我にあり!
細長いステージ(ステージでは無いですが)を踊りつつ左右に行ったり来たり、そして決めのポーズは決まって私に向かって決めてくれます。 -
隅っこの席は時にステージとして使われるのか、一段高い場所にあります。
其処に腰かけると決めポーズの度に踊り娘さんと目が合います。
思わずどっぷり感情移入してしまいます。 -
踊り娘よ!
たが為に踊れ! -
初めて目前に見るフラメンコは想像以上に激しいものでした。
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感情剥き出しと言いましょうか?
打ち鳴らすフラメンコ・ギターは弦楽器と言うより打楽器的ですらあり…
打楽器と言えばアフリカ。
それはイスラームが北アフリカからイベリア半島へ渡って来た道程と符号します。 -
フラメンコは元々イスラームが神に捧げていた舞踏に大きく影響を受けていると言われます。
オッレ!と言う独特の掛け声のルーツは、イスラームが神に唱えるアッラーが変化したものであると言う説もあります。 -
それがやがてロマが持ち込んだ舞踏と融合し、今のフラメンコに発展していったのでしょう。
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抑圧された人々の、言葉に出せない思いの丈を表現したかの様な。
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熱く
激しく
そして哀しい。 -
心を揺さぶられる舞踏でした。
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お見事!
目と目が合う度圧倒されました。
大勢の中だけど、まるで私の為に舞って頂いている様な、そんな気持ちにさせてくれたステージでした。 -
フラメンコと前後しての紹介となりますが、ツアーでは大抵サン・ニコラス広場の夜景がついてます。
まずグラナダの夜景を眺めます。 -
そしてアルハンブラ宮殿です。
これで見納めです。
しっかり脳裏に焼き付けて! -
とっても素敵なアルハンブラの思い出が出来ました。
次回は後ウマイヤ朝の首都コルドバを訪れます。
最後までご覧になってくださりありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- kummingさん 2019/07/22 20:20:24
- ありえな~い(-。-;
- ほぼほぼ独り占め?!?
さっくんさんの高鳴る胸の鼓動が聞こえるような、ライオンの中庭に到るまでの緊張感溢れる道のりを、私も共にドキドキしながらご一緒させて頂きました♪
初志貫徹、ホントに独り占め~^ ^人っ子ひとりいないライオンの中庭♪おめでとうございます(^o^)
私なんて、1つやり過ごしても次から次に押し寄せる団体様御一行に追い立てられる様に、メチャクチャな順路でやみくもに廻ってしまった記憶しかない(-。-;
押し付けがましくないイスラム建築、同感です!まだセビーリャのアルカサルとここしか行った事無い、にも関わらず、カトリックの“どうだ~!これでもか~”と言わんばかりの豪華絢爛には、やや尻込みしてしまう今日この頃……。世界がキリスト教を中心にまわっている昨今、私たちは、そちら側から見た歴史にほぼ洗脳されているのでは?イスラム教が諸悪の根源、的な思考から逃れてみれば、意外にももし勝ったのがイスラム文明であったなら?!?カトリック教会が行った悪行もたいがい酷かったという事に目を閉じる必要はない、と独り言ですが(笑)
トルテイージャの中味がコリコリ、プリプリ!?(°_°)食べてみたかったな~
コルドバ編もあるなんて、超楽しみ♪
- さっくんさん からの返信 2019/07/23 18:45:14
- Re: ありえな~い(-。-;
- こんばんは
ライオンの中庭迄の道程は本当にドキドキハラハラでした。
幸い順路は逆走も可能だったので逸る気持ちで中庭まで進みました。
オフシーズンなら未だしも、確実に人がいない時間を狙えば朝イチに一番乗りしかない!
と苦手な早起きに挑戦しました。
確かに冷静に歴史を振り返ると異端潰しに明け暮れたキリスト教の歴史に比べ、イスラームは異教徒に寛大であったと言えます。
後ウマイヤ朝がコルドバに首都に置いた時期やアッバース朝全盛は、ヨーロッパ等辺境に過ぎず世界の中心はイスラームにありました。
日本で言う五街道の様にバグダッドから5つの街道が東は中国の西安から西はアフリカ迄延びていました。
そんなイスラームの街道を旅するのが私のライフワークみたいなものになり…。
そしてその各地で出逢う事になるイブン・バトゥータの名前。
マルコ・ポーロより以前に中国からアフリカ迄旅したイスラームの大旅人。
彼の書き残した大旅行記を読破したいものですが、邦訳だと中々入手しづらいのが悩みの種です。
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