2026/07/21 - 2026/07/21
239位(同エリア1852件中)
さっくんさん
本来カザンのみを旅する予定でしたが、乗り継ぎの関係で訪れる事になったモスクワ。結果的に訪れて本当に良かったと思います。モスクワを訪れる事により、ロシア史に於けるカザンと言う街の立ち位置を掘り下げられたと感じました。
文中でクレムリン近辺に宿泊、行動すれば安全と推測していましたが、8月1日、クレムリン近辺の高級レストランで爆弾テロが発生してしまいました。被害に遭った方々の冥福を祈ると共に一日も早く停戦が叶い、嘗ての様に様々な国の旅人さんが、この街、この国で、交流出来る日が来る事を祈ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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四度目の正直で、現地に定刻に到着出来ました。これが当たり前になると嬉しいのですが…。ホテルはクレムリンにも程近いブダペストホテルを選びました。以前ならモスクワを訪れる日本のビジネスマンにも重宝されたと言う老舗ホテルです。私としては立派過ぎるホテル。しかし、いつウクライナのドローンが飛んでくるか解らない情勢。クレムリンに近ければ近い程安全でしょう。ゼレンスキーはクレムリンには攻撃出来ない。そんな事したら自滅ですから。木を隠すなら森の中。身を隠すならクレムリンです。
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ホテルの人々もとても優しかったです。以前の共産党の国々なら、こうしたサービス業界でも慇懃無礼だったものです。ロシアの人々は笑わない…そんな言い伝えも全くのデマです。スパシーバって呂律が回らず謝意を示した私に皆笑顔で見送ってくれました。入国審査のいい加減さと言い、これが嘗て旅人に恐れられていたソ連の人々?と拍子抜けしてしまうぐらいでした。
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これがブダペストホテルの看板。私がこの旅を通じて苦しめられたキリル文字です。本当暗号を読んでいる気分になります。何度も繰り返されるフレーズで漸く読める文字は出てくるのですが、意味が解らなければどうしようもありません。
でも、これがあるから旅が面白くなるのです。そしてそれ以上に言葉は、それを話す人々にとって失ってはならない民族的アイデンティティでもあります。昨今キリル文字を捨て、アルファベット化を推進する旧ソ連の国々がありますが、キリル文字は残して欲しいと願います。伝わりやすい、便利だから…そんな安っぽい発想で、自らの言語を捨てないで欲しいと願います。(我が国にも言っている!) -
イチオシ
ホテルから歩いてクレムリンを目指します。スマホが一定時間使えなくなると聞いていましたが、使えました。インスタ等などは使えません。(VPNを弄れば使えるかも?) MAPS MEは問題無く仕えたのでそれを頼りに向かいます。
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街並みは北部ヨーロッパに近いです。ロシアはヨーロッパに対するコンプレックス、ヨーロッパに追いつけ、追い越せ!的な性格が強かったので、そうなるのも自然の事と思いますが、日本だって同じ穴の狢にも思えます。英語をまともに話せないのに、街にはアルファベットが溢れかえっています(笑)
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出ましたぁ!これぞヨーロッパ!と言う建築です。整然としていて威圧的。格好は良いけれど私的には長時間いると、なんか叱られている気分になり落ち着かない(笑)
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此処はクレムリンも程近いモスクワの中心部。嘗ては世界中のブランド店が立ち並ぶ地域です。グッチがありました。勿論閉鎖中です。
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此方はティファニー。当然休業中です。然しながらブランド店など無くなろうと、生活に何一つ支障を与えるものではありません。海外からの旅行者はカードが使えない?なぁに、昔に戻っただけです。イラクもアフガニスタンもそんなものです。私にとっては痛くも痒くもありません。ごめんね!NATOのお偉いさん(笑)
そう言えば私のパスポート…イラク、アフガニスタン、リビアそしてロシア。アメリカに喧嘩売ってる様なパスポートになってしまった(笑)これも痛くも痒くも無いけど(笑) -
それにしても車道には欧州の高級車が走り回り、歩道にはインバウンドと地元の人が埋め尽くす。目隠しをして此処に連れてこられたら、先ず戦時中とは思わないでしょう。余りにも平和な光景に、ふと違和感を感じます。此処からそう離れていない場所で、今日も戦争が継続され、確実に人の命が奪われているのです。
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この光景を目前にしてふと考えてしまいます。もし日本が戦時中となってしまったら、街はどの様な光景になるのでしょう?この銅像のおじさん同様しかめ面で考え込みます。古くは大戦中、近年では東北大震災、そしてコロナ。日本では強力な同調圧力が世間を覆いました。
東北大震災一か月後の三月に、六月の旅の予定を組んだら、上司に
「こんな状況で旅するのか?」
と詰問され、頭が?で一杯になりました。もし私が旅をキャンセルしたら、東北の復興が少しでも進捗するなら、考えても良いと思います。もし私の血縁に東北の人がいるのなら、彼等の手助けに向かうべきかもしれません。でも何等繋がりの無い私が好きな行動を自粛しても、何の影響も及ばない筈です。それに私は法を犯している訳でもありません。 -
多分日本が戦時中となったら、なんか国中葬式状態になりそうで怖いです。ってか戦時中に入る前に私は必ずや国外に出ますが…。人はそれぞれ運命があり使命があります。ドライに感じるかもしれませんが、私にはロシアの目前の光景が当たり前の光景に感じます。不幸な人もいれば幸せな人もいます。もし自分が不幸な人達に何も出来ない、若しくは何もする気が無いのなら、自分のすべき事、やりたい事に専念すべきだと私は思います。
例えば私の腫瘍が悪性になったとして、私の周囲の人がまるで葬式みたいに気を遣われたら嬉しいでしょうか?もし治療の手助けをしてくれるなら、それは本当に嬉しいですが、何も出来んのなら、葬式みたいな顔するより、普通に接して貰った方がよっぽど嬉しいと思います。
自分の正義感を振りかざして、人の行動を制限するのは如何なものか?と私は思います。人は人、自分は自分です。
https://youtu.be/7NU8HC1YUBA?si=T21uTas8bkbC7tl8 -
地下鉄の入り口の脇からクレムリンに抜けるアンダーパスで、一人の音楽家がチェロを弾いていました。その彼のチェロの音色を聞いて私は不覚にも号泣してしまいました。
その曲はAdagio in G minor(Albinoni)嘗てサラエボを旅した時、今は絶版となってしまっている様ですが、「サラエボのチェリスト」と言う本を読みました。
実話を基にした小説で、市場に買い物を来ただけなのに、爆撃を受け無く亡くなった22人の市民の為に、爆撃が続く広場で、抗議の為あるチェリストがこの曲を演奏し続け、その音色が人間性を失いつつあったサラエボの人々が勇気を取り戻していくと言う物語です。
この国もまた争いの真っただ中、それを忘れちゃいけないよ!とチェリストの音色は私に優しく問いかけている様でした。
この男性は、此処で紛争が集結する迄、此処でAdagio in G minor(Albinoni)を弾き続けるのでしょうか?
https://youtu.be/yNyXLSyrGi4?si=4kDgdOuE4pyWowhd -
アンダーパスを潜ると華やかなスペースに出ました。私は未だ気付いていませんが、左手にある建物はグム百貨店です。
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今度は可愛らしいロシア正教会の教会がありました。未だおバカな私は気付いていませんが、赤の広場に建つカザンの聖母大聖堂です。
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建物にかけられた電飾を眺めながら、夜になったら奇麗だろうなぁとか考えながら角を曲がってビックリしました。
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赤の広場じゃあ~りませんか!もっと、入場に手荷物検査があったり、厳しく管理されているものとばっかり思っていたので、ふと角を曲がったら、最早其処は赤の広場だったので驚いてしまいました。お隣の国の天安門広場の様に、広大であっても、どこかで監視されている様な威圧感等全く感じません。もしかすると私自身、西側諸国のプロバガンダに毒されていたのかもしれません。
https://www.instagram.com/reel/DbVl86QMCMy/?igsh=MWl4eXczcnl5Z3B5ag== -
イチオシ
と言う事は貴方はカザンの聖母聖堂ですね。こんな可愛らしいお姿とは!東方正教系の色遣いは優しくて暖かくて、好みなのですが、ロシア正教独特の丸みを帯びたデザインが色彩と合わさり、やわらかいイメージを強調している様に感じます。
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一方ソビエト時代の建築を含め、ロシアの近代建築は直線的でスパルタンな威圧的建築が主流で、その対比も面白いです。
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開放的な広場です。クレムリンやグム百貨店の直線的な建築の威圧感を、聖ワシリィ聖堂の曲線美が上手く相殺しています。ところでどうして赤の広場と呼ばれるか知っていますか?ロシアの古語で「美しい」と言う意味の言葉で、その古語が時代の変遷と共に「赤」と言う意味に変わったので、本来「美しい広場」と呼ばれていた広場が、いつしか赤の広場へと変わったのです。
つまり、赤の広場の赤は、共産党とは全く関係が無いのです。此処でも私はイメージに踊らされていたと言う事です。人とはどうしてこう、イメージに惑わされやすいのでしょう?そしてそれが大勢を伴った時、嘘は誠となり、時に我々は大きな過ちを犯してしまうのです。 -
そしてモスクワと言えばこれ、いやロシアと言えばと言うべきでしょうか?聖ワシリィ聖堂です。ロシア正教独特の玉葱ドームと良く呼ばれますが、実際は蠟燭をイメージしたものです。東方正教会は礼拝に何かと蝋燭を用います。それにしてもデザインは勿論、彩色は唯一無二の存在であり、クレムリン脇に建つ存在感は半端無いです。
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右側に聳えるクレムリンの壁面にはレーニン廟が控えます。中央アジア諸国では、レーニン像が撤去されたり、辺鄙な場所に左遷させられたり、散々ですが、実際本家の廟さえ、ソ連解体時に撤去しようとの声もあったそうです。
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イチオシ
もし、聖ワシリィ寺院が無かったら、赤の広場は威圧的な雰囲気の広場だったかもしれません。広場の左右のクレムリンとグム百貨店も、ロシア式のスパルタンな建築ですから。それをこの寺院一棟の存在で中和させているのが見事です。
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この聖ワシリィ寺院。モンゴルとの闘い、即ちイワン雷帝が苦節の末カザンを制圧した戦勝記念として建てられたと言います。ロシアの中枢を司る赤の広場の南端と北端に、カザンと言う街に因んだ聖堂が建てられている。如何にロシアにとって、カザンと言う街が重要だったかを窺い知る事が出来ます。
タタールスタンの歴史だけでは無く、ロシア史としても重要な位置であったに違いないカザンと言う街が、モスクワを知る事で、より一層興味が深まりました。 -
此方はグム百貨店。ロシアを代表する老舗百貨店です。それにしても広大な床面積。日本ではとても採算が合わないと思います。日本では百貨店は閉店に次ぐ閉店。寂しい事ですがこれも時代の流れでしょうか?って自分も百貨店に行く動機が最早ありません。今やアマゾンがあればそれで全部住んでしまいそうな…。百貨店は最早、幼い頃の屋上遊園地とお子様ランチの記憶の中に…。
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この壁の奥はクレムリン。今日はもう遅いので明日お伺いしたいと思います。首洗って待ってろよ!説教こいてやるプーさん(笑)ってかお隣の国のボスもプーさんでしたね。共産党はプーさん大好きなのかな?
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クレムリンの入場料が1,100ルーブル(武器庫やダイヤモンド庫は別料金)なのに、聖ワシリィ寺院はなんと2000ルーブル。貧乏旅行者は頭を抱えてしまう料金です。明日まで悩もうと思います。
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聖ワシリィ寺院、本来の名はポクロフスキー寺院。カザンを制圧したイワン雷帝が、その美しさに驚き、真似されない様、二人の設計技師の目をくり抜いたと言われます。確かに二度見、いや何度見しても飽きさせない建築です。
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此方は数あるクレムリンの門の中でも一際目を引くスパスカヤ塔。カザンのクレムリンにも同名の塔が存在する事からクレムリン様式の日本の城郭で言う大手門に当たると思います。大統領など要人が出入りする門と言われていますが、現状こんな場所からプーチンの出入りは考えられないでしょう。
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クレムリンを北端から南端まで歩き切りました。残念ながら本日はもう18時を過ぎています。聖ワシリィ寺院の拝観時間も終了です。北緯が高いモスクワではまだまだ日は高いので、そんな気が全くしません。
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聖ワシリィ寺院の背後に回りました。拝観料が高いのは、もちろん集客力がある為ですが、現在は寺院と言うより国立歴史博物館の分館としての役割も果たしているからです。どんな内部なのでしょう。明日が楽しみです。
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赤の広場を出て、聖ワシリィ寺院の真裏に出ました。此方からの風景は、残念ながら今の時間は逆光になります。赤の広場から聖ワシリィ寺院を撮影したければ、夕方以降。逆に反対側から撮影したいなら午前がお勧めです。
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聖ワシリィ寺院とスパスカヤ塔。今日は逆光、明日の下見です。
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クレムリンに沿ってモスクワ川方面に向かいます。
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何処から眺めても、直線的なスパスカヤ塔と曲線が美しい聖ワシリィ寺院の対照的な姿が美しいです。
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季節柄か、何処でも花が咲き乱れていて美しいです。日本の北海道も同様ですが、北国では花の咲けるシーズンが限られるので、字の如く花が咲き乱れるのです。
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イチオシ
世界観は美しく、赤の広場には世界各国から訪れた観光客の幸せそうな笑顔であふれています。一方、ウクライナとの国境付近では今も殺し合いが続けられ、こうしている間にも命が失われています。そして、この壁の向こうで、今日も殺し合いの作戦が寝られているのかもしれません。
殺し合いじゃなくて戦争でしょ?と言われるかもしれません。いや、同じ意味じゃないですか?プーチンは特別軍事作戦と呼びますが、戦争も一緒、皆自分の犯している人殺しを正当化したいだけ。戦争=只の殺し合いです。 -
この頃解ウクライナ紛争のニュースやユーチューブ見ると吐き気催すんです。変に思いませんか?この殺し合いに、どうやったらウクライナは勝てるのか?ロシアを倒せるか?何処から拾ってきたのか解らない自称軍事評論家がいきりながら解説する。まるで、サッカーの戦法を解説する様に、殺し合いの作戦を解説している。なんか気色悪さを感じます。
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イチオシ
そして強烈な既視感に襲われるのです。ウクライナの攻勢を猛々しく報道し、ロシアの劣勢を大体的に宣伝する。これって…大本営発表と…全く変わっていないです。人々は変われない生き物なのでしょうか?
こんなプロバガンダに簡単に騙され、更にはそんなプロバガンダに洗脳され、頭でっかちになって、其処へ行ったことも無いくせに何でも知っている風な顔で自分の正義を押し付けてきたりさえする。
自分が勝手に妄想を信じ込むのは其々の自由ですが、人に思想を押し付けるのはやめて頂けませんか?そんな幻滅した気分の時には、STING氏の名曲から大好きなフレーズを
Be yourself No mattser what they say
https://youtu.be/PXnrMNK-A8M?si=H5hvrAdxPuCdh8rz -
報道ではウクライナの兵士が勇敢に戦う姿ばかりが描かれます。本当にそうでしょうか?軍人なら未だ解ります。戦う事、防衛する事が職務だからです。しかし現在多くの一般市民も召集されています。プーチンはロシア人以外の異民族や異教徒を軍に招集しています。それって人種差別です。
一方ウクライナも男性の国外退去が認められていません。もし不法に国外退去しようとすれば逮捕され懲役が化されます。しかし抜け穴はあります。途方も無い金を政府に払えば国外退去を認められます。即ち貧乏人の男は懲役か兵役かの2択の人生です。これって人権侵害です。 -
こうして両国の不本意ながら殺し合いに参加させられる一般市民が、どうして勇敢に戦う事が出来るでしょう?もしいたとしたら彼はサイコパスです。本当は、恋人や家族と離れ離れにされ、失意の中散っていった兵士がどれだけいた事でしょうか?
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私はこの春、健康診断で腫瘍が発見されました。悪性か?良性か?不運な事にGWを挟んだので、結果が出るまで待たされ、非常に心もとない日々を送りました。ネットには強がった記事を書きましたが、本当は夜に大泣きしながら枕を殴りました。
「なんで俺なんだ?なんで今なんだ?」
自分の体に出来た腫瘍は、自分の不摂生により、自分の細胞がテロを起こした様なものなので、悲しい事ですが自業自得で我慢が出来ます。でも、自分の死の可能性を直前にし、足が震えました。もし、他人に、戦争に行け、つまり死の可能性を叩きつけられたら、私は絶対受け入れられないと思います。 -
戦争に行くと言う事は、自分の恋人、友人、家族と離れ離れになり、自分の命も失いかねないと言う事です。強制的に招集された両国の兵士達はどんな想いで散っていったのでしょう?報道が言う様に皆勇敢に戦ったサイコパス集団だったのでしょうか?私はそうは思いません。そんな彼等の本音が全く聞こえてこない、いや意図的に封じ込め、英雄譚にすり替えられている事に恐怖を感じています。
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日本も同じです。神風特攻隊の逸話は現在でも尚、永遠のゼロとか美談が続きます。幼かった彼等が、本当に国を守る為勇敢に特攻を果たしたのでしょうか?
当時は(現在も?)戦わない者は非国民と言う強烈な同調圧力が世を覆っていました。もし自分が招集に反対でもしたら、育ててくれた両親が、まだ幼い兄弟が、村八分に遭うかもしれない。自分が志願して家族を守らねば!そんな想いで唇を嚙む思いで、家族を守る為飛び立った若者が多かったのではと思うのです。 -
そもそも特攻隊の活躍が美談化されたのは、戦後特攻隊に若者を送り出した上級兵達が、自分達に世論の矛先が向かうのを避ける為、彼等の美談を作り上げたのが始まりです。菅原道真、崇徳上皇然り、特攻隊員も神に祀り上げられたのです。人っていつだって都合の良い生き物です。
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もし彼等が喋れたのなら、国を守る為に散った勇敢な特攻隊員と言う現在の評価を知ったなら、何と答えるでしょう?私だったら
「冗談じゃない!そんなんじゃない!英雄なんかにされてたまるか!」
と叫ぶ様な気がします。私は永遠のゼロを鑑賞した元特攻隊員の生き残りの老人が、
「そんなんじゃない…もっと残酷なものだった…美談にしないで欲しい。」と涙ながらに語っていたのが忘れられません。
国の為に貴重な命を散らせてくれた彼等の死を無駄にしない為にも、美談にして逃げるんじゃ無く、真実に向き合うべきだと思います。 -
重たい事を考えつつ再び赤の広場に戻ってきました。まるで紛争をサッカー中継の様に語る報道も同様、現地の首都に訪れて尚、一切戦争の痛みが伝わって来ない事に違和感を感じつつも、私は完璧に蚊帳の外の存在、私に出来る事は私のすべき事を懸命に熟す事。即ち旅を続ける事です。気を持ち直しましょう。
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振り返れば夕刻も過ぎ、順光となって、更に雲も晴れ間が増して、聖ワシリィ寺院が美しく聳えていました。毎年の事かは解りませんが、私の今回の旅では、この天気の変遷に非常に悩まされました。全く天気予報が当てはまらない。と言うか晴れ、曇り、小雨、雷雨…すべての気象情報がコロコロ繰り返される、晴れてるのに小さな雲が通りかかると雨が降り、通り過ぎると強烈な日差しが訪れる。そんな感じでした。
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イチオシ
そんな感じなので、素敵な画角に出逢ったら、後から通る場所だからと思っても、その時撮影に向いた空色となる事は先ず無いので、好条件の時に必ず撮影しておく事を強くお勧めします。因みに7月は一番暑い時期で、8月には最早涼しさを感じると言います。これだけ天気がクルクル変わるので、湿度は結構高く、日本の6月後半に近い感覚です。
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そんな天候なので、一日歩き倒すと体中汗だらけで、ホテルに戻るや否やシャワーに直行したくなる気候でした。砂漠の様な乾燥しきった地方では、暑さは酷くても乾き過ぎていて、汗さえ即時蒸発してしまうので、テント生活でシャワーが無くとも数日は耐えられますが、ロシアの夏は一旦ホテルに戻る都度シャワー浴びたくなる程湿度が高く感じました。
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赤の広場を後にしてグム百貨店の脇道に入ります。
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此処からちょっと別件の行動をしたのですが、それは長くなるので次回に紹介したく思います。そんな訳で2~3時間時計を進めます。
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要件を済ませ戻ってきましたが、未だ明るくてビックリしました。夜の9時は過ぎていた筈です。胃の変調で、朝しっかり食べてしまえば、後は夕食しか食べない私ですが、いくら何でもおなかが減ってきました。
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ホテルがあるのはクレムリン周辺なので、治安も良いし、便利な界隈なのですが、それだけにお高そうなレストランが多くて、中々覚悟が決まりません。
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あ、あれはもしかして、ケンタッキー・フライド・チキンが撤退した後に、勝手に跡を継いで生まれたインチッキー・フライド・チキンじゃないですか?アメリカ資本等絶対日本では食べませんが、今回ネタには好都合です。レッツ・トライ!
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ごめんなさい。敢え無く玉砕しました。タッチパネルの機械で注文するんです。キリル文字が解らないので買い方が全く解りません。そそくさ撤収です。
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なんだかド派手にライトアップされたビルにフードコートがあったので入りました。
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私としては不本意でしたが、ロシア料理は無く、ロシアから見ると海外料理が売りのフードコートの様でした。タイ料理、韓国料理に、日本料理もありました。何周もぐるぐる回って、結局ロシアから一番近いジョージア料理をチョイスしました。
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ジョージア料理はロシアで人気が高い様で、モスクワは勿論カザンでも沢山見かけました。ジョージアは私も訪れた事があり、ジョージア料理は馴染みがあります。本当はハチャプリと呼ばれるジョージア風ピザが食べたかったのですが、此処では敢えて食べた事の無い料理に挑戦しました。
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店内はこんな感じ。世界の何処にでもあるフードコートです。私は街歩きに没頭する余り、食事には無頓着、無研究で、結局適当に終わらせてしまう事が多いのが反省点です。今回もキリル文字が解らない事を言い訳に、適当に済ませてしまうダメダメなこと多かったです。大いに反省しなければなりません。
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食事を終えてビルから出ると、漸く街は夜の姿になっていました。ビルの電飾も更にド派手に映えています。
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戦時中でエネルギー不足と言う情報も聞きますが、首都モスクワは平常運転です。ヤバい国ではあっという間に計画停電になってしまいます。
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食後、ホテルはすぐ其処でしたが、電飾を眺めていたら赤の広場も見たくなり疲れを押し切って赤の広場へと戻りました。モスクワは明日の夕方飛び立ちます。モスクワの夜景を見れるのは今宵だけです。見ない訳にはいきません。
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常に新しい国々を訪れると言う旅のスタイルを続ける限り、一度訪れた国は、次の機会はもうないかもしれないと言う想いに繋がります。だから、せめて明るい内はホテルに戻る事無く、見所を周りたいと言う想いに繋がり、更に夜景が奇麗だとその時間が加わります。
更に北緯が高い国の夏場は、日没が遅く、結局朝ホテルを出たら最後、ホテルに戻るのは日が変わる頃。流石にアラ環には堪えます。たぶん私が白夜の街を訪れたら、リゲイン状態になってしまうでしょう(笑)
そう言えば、リゲインが流行っていた時代は、私の旅の考え方も全然今と異なりますが、リゲインのテーマの歌詞に出てくる街全部を旅したいなと思っていました。やっとモスクワを訪れ、その夢を叶えられました(笑) -
グム百貨店迄戻ってきました。
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吊るされた電飾が奇麗です。
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カザンの聖母聖堂もライトアップされています。
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赤の広場に戻って来ました。夜十時近くになっているにも拘らず、広場には昼とそう変わらない人手があります。ロシアはヨーロッパより治安が悪いとよく聞きますが、私の体感は真逆なものでした。大抵広場を見渡せば、その中で幾人か、若しくはグループで挙動の不審な人物を見かけるものです。あれは…観光目的ではないと。でも、夜の赤の広場にはそんな雰囲気は感じられませんでした。
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国立歴史把握物館もライトアップされています。聖ワシリィ聖堂は国立歴史博物館の分館の役割があるので、赤の広場の南北に国立歴史博物館が存在する事になります。
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ロシアの治安が安定しているのは、赤の広場に留まらず私の滞在した全域で感じた事です。中心部ばかりの街歩きなので、郊外は解りませんが、街の中心部でさえ薬物中毒を患うホームレスが屯すると言う欧米諸国の様な光景には一度も遭遇しませんでした。
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私はこれ迄ずっとイスラーム圏を旅してきました。昨今は退避勧告が出され観光客が殆ど訪れない、即ちイスラーム本来の良さを感じられる国々を旅してきました。長く同じ様な環境に浸っていると、外界に出るのが恐ろしくなるものです。ですから私も今回、ホームであるイスラーム圏を離れてアウェーである国に旅する事に緊張を感じました。更にそれがヨーロッパより治安が悪いと聞くロシアだったから尚更です。
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しかしおっかなびっくりやって来てみれば、それらは全くの杞憂でした。無論戦時中ですから不測の事はおきるかもしれません。しかし此処ロシアの人々は、アフガン、イラクの人々、同様、皆素敵な人達でした。少なくとも私の出逢った人達は…。
グム百貨店も全体が電飾で飾られています。なんかテーマパークに来た気分になります。 -
輝かしく照らし出される赤の広場。然しその実態はクレムリンは要塞であり、聖ワシリィ寺院はカザン・ハーン国との戦勝記念に建てられた聖堂です。即ち二つとも戦争に関わる建築群です。そして世界の街の中心には、必ずやそんな建築群で溢れかえっています。フランスのパリを筆頭に世界各地で建てられている凱旋門はそれの代表格とも言えるでしょう。決して赤の広場が特別な訳ではありません。
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人の歴史はある意味戦争、即ち殺し合いの歴史とも言えるでしょう。そしてその記憶は、美しい建築へと置き換えられていきます。そして失われた兵士の命は美談として英雄に置き換えられていきます。そして歴史は再び繰り返されます。私はそんな中、搔き消されてしまうだろう声に耳を傾けたく思います。言葉より、言葉の行間に、真実が隠されている事が多いからです。
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私の大好きなゲーム、メタルギアソリッドで印象的なフレーズがあります。
人の人生は子供達に遺伝子情報を伝える為だけじゃない。人は遺伝子では伝達出来ないものを伝える事が出来る。言葉や音楽や映像を通して。見たもの、聞いたもの、感じた事…。怒り、哀しみ、喜び…。俺はそれを伝える。伝える為に生きる。
俺達は伝えなくてはならない。俺達の愚かで、切ない歴史を。
それを伝える為に、デジタルと言う魔法がある。人間が滅びようと、次の種がこの地球に生まれ様と、この星が滅びようと、生命の残り香を後世に伝える必要がある。
未来を創る事と、過去を語り伝える事は同じなんだ。 -
この国は、世界各国同様、これまで幾つも戦争を乗り越えてきました。そして正に現在も戦争の真っただ中にいます。この紛争が終わったら、もう一つ美しい建築が生まれるのでしょうか?もう一つ美談が加わるのでしょうか?
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イチオシ
聖ワシリィ寺院の威容が夜空に浮かび上がります。聖堂とは裏腹に、戦勝記念に建てらえたと言う血生臭い経歴を持ち合わせます。
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クレムリンの先頭の頂点に、ソビエト時代の象徴でもある赤い星が整然と輝いていました。
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赤の広場の夜景も見納めです。嘗て旅人の前に立ちはだかっていた鉄のカーテン。ソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦となって以来訪れる旅人も多くなったのも束の間、ウクライナ紛争が起こって以来、再び旅人の前から遠のきました。
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然しながら実際訪れて見れば、其処には恙無い日常があり、我々と変わらぬ笑顔があり、豊かな文化と歴史を示す建築群が満載で、一気に私の心を揺さぶりました。確かに現在の戦争を始めたプーチンは許されない行為をしたと思います。しかし国と人々や文化、歴史は異なるものです。様々な憶測に騙されず、此処に来れた事、決断出来た自分を誉めてやろうと思います。
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日が変わろうとする頃、漸くホテルに戻りました。余りに蒸し暑くて、何をする前にシャワーを浴びたいです。嗚呼そして、戦争と言う重くて、ジメジメした話題も洗い流したいです。明日はクレムリンに潜入します。
権力者達の敵対に同調し、ソッポを向きあうなんて、余りにももったいない。ロシア、此処に暮らす人々や、文化、歴史が正確に伝わる事、いつの日か、旅人が自由に行き来出来る日が来る事を心から願います。ロシアより愛をこめて!
https://youtu.be/eRBvHDuDbRU?si=F1XVxxSNhrYmDfKr
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旅行記グループ ヨーロッパの旅
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