2026/04/01 - 2026/04/06
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chemireさん
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大垣の旅初日に閉館時間となり入城できなかった大垣城天守に訪れ、ゆっくりと内部を見学。その後に、大垣市郷土館へ。両館で関ヶ原の戦いをおさらいしました。
大垣城
別名/麋城・巨鹿城
天文4年(1535)の創建当初は水門川の流れを外堀に利用した小規模なものでしたが、慶長元年(1596)伊藤祐盛が城主のときに天守が造営されたといわれています。
関ヶ原の戦いでは、西軍の本拠地となりました。その後、寛永12年(1635)より明治に至るまで大垣藩戸田家11代が十万石の城主を続け、明治6年(1873)の廃城令でも一部の建物は破却を免れて天守・艮隅櫓が国宝(旧国宝)に指定されていましたが、昭和20年(1945)の空襲により焼失。昭和34年(1959)に天守が再建され、後に改修が行われています。
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4月4日(土)
12:15
むすびの地記念館から15分ほど歩いて大垣城へ。
初代藩主 戸田氏鉄像に挨拶して、 -
西門から登城。一昨日、化石探しで訪ねたのでルートが分かっているからどんどん進みます。
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春の芭蕉祭開催中にて入館料は無料でした。
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中山道・美濃路が通り、水門川・揖斐川を経て伊勢湾につながる陸・海・川の要衝であり、「美濃をするものは天下を制す」といわれるほど軍事・経済上の要地であった。
豊臣秀吉は、この城を東国に対する「要」の城と重視していた。 -
大垣城城主・伊藤盛正は豊臣の家臣であったため、関ヶ原の戦い時には石田三成ら豊臣方の西軍の主力部隊が入城して根拠地となっています。
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西軍唯一の戦であった杭瀬川の戦い
関ヶ原の戦いの前日の9月14日、三成の謀将・島左近は一計を案じて東軍の一部を杭瀬川付近へ誘い出し、予め川の周辺に隠しておいた伏兵と共に挟み撃ちにし勝利。 -
家康が大垣城西北の岡山に陣を取ったという知らせが入ると、三成は妹婿にあたる福原長堯(ながたか)に大垣城を守らせ、関ヶ原へ出発。
東軍が勝利し城内の武将達が東軍に寝返ったあとも、長堯のみが本丸に立てこもって奮戦し、家康の勧告により降伏したのは合戦の8日後のことで、長堯は城内にいる兵達の助命を条件に剃髪、自刃。 -
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大垣中心部から、西へ15kmほど離れた関ケ原盆地で決戦が行われた関ヶ原の戦い。
西軍の本拠地となった大垣城に詰めていた主な武将(というか、私の知っている武将)は、以下の通り。
石田三成・大谷吉継・宇喜多秀家・毛利秀元・吉川広家・安国寺恵瓊・小西行長・長宗我部盛親・島津義弘
西軍に(もちろん東軍にも)、加藤清正がいない。最近、やっと戦国時代の武将の名前や動きが解るようになってきました。 -
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一般に「津軽屏風」と呼ばれる関ヶ原合戦図屏風をもとに再現した「杭瀬川の戦い」のジオラマ。
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この頃の大垣城は三層。
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杭瀬川の近くでは、首を討ち取られた武士が倒れていたり、
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八幡宮で武運長久を祈る武士の近くを、抜き身の力を担いだ武士が首を下げて走っているところまで再現されています。
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討ち取った首
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関ヶ原の戦い前日の昼頃、会津の上杉景勝の討伐から引き返し、大垣城に籠もる三成ら西軍に対抗するため家康が小高い丘である岡山に着陣。当時は周囲を見渡せる絶好の要衝でした。
短期野戦に持ち込みたい家康は、大垣城を素通りして大坂へ向かうという噂を西軍に流し、これにより西軍は大垣城を深夜に出発し関ヶ原へ。翌15日未明、家康は西軍の後を追い、午前6時頃には関ヶ原における最初の陣を桃配山に置きました。 -
天下分け目の合戦に勝利した家康は、ここを徳川ゆかりの地と記念して岡山の名を勝山に改めたと伝えられています。
ジオラマを見るだけで20分以上。面白いし、とっても勉強になりました! -
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一昨日、塀に張り付くように見上げた邪気を踏みつける鬼(瓦)は、こんな感じだったんですね。
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おあむ物語
少女時代に落城寸前の大垣城から、たらいに乗って堀を脱出。年老いてから近所の子供たちに、戦いの様子を語り継いだそう。 -
関ケ原の戦いで裏方を務めた女性たちの仕事のひとつの「首化粧」。男たちが討ち取ってきた首をきれいに洗い、上級武士と見えるようにお歯黒を付け、恩賞をより多く得られるようにしたといいます。
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最上階の展望室へ
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かつての大垣城にあった「時の太鼓」。打撃面には、大垣城を治めた歴代大垣藩主・戸田氏の九曜紋が記されています。
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「天気よければ大垣様の時の太鼓の音のよさ」
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お天気が良ければ、関ケ原の戦いの際に東軍が布陣した岡山(現在の勝山)方面など大垣市内の風景を一望できたのですが、厚い雲に覆われていたので四方にあるパネルを見て眺望を想像しました。
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14:00
天守を出て、 -
大垣市郷土館へ。
大垣藩最後の家老・戸田鋭之助の屋敷跡で、正門と船板塀は当時のもの。
こちらも芭蕉祭により入場無料でした。大垣市郷土館 美術館・博物館
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盆栽と石畳で彩られた日本庭園
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麋城の井戸
水の都 大垣では、どこの家庭でも井戸が掘られるようになり井戸槽(ぶね)と呼んでいたそうです。 -
一部を除き撮影OK
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ロビーにある関ヶ原合戦図屏風(複製)
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こちらの合戦図は江戸初期のもの。
郷土歴史室には江戸後期のものがあり、そちらは撮影不可でした。 -
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館内には歴代藩主の肖像画、武具、甲冑、調度品や、郷土ゆかりの美術品などが収蔵・展示されています。
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金紋入り箪笥
薩摩藩主・島津重豪公の第九女親姫が大垣藩主・九代戸田氏正公に輿入れのとき特参したもので、島津家使用の丸に十文字と牡丹の紋章が施されています。 -
九曜紋入調度の展示
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大垣城郭の200分の1模型
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14:40
ジオラマで城郭の様子を確認して、見学終了。次は、彦根に向かいます。 -
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