2026/04/01 - 2026/04/06
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chemireさん
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岡崎城
別名 竜城・竜ヶ城
康正元年(1455)頃、西郷頼嗣(稠頼)により乙川北岸の明大寺の地に築城されたのがそのはじまり。
その後、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移し本格的な城を構えて以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。
天文11年(1542)12月26日、城内の坂谷の邸(現在の二の丸から坂谷曲輪周辺)で、竹千代(後の家康)誕生。6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、他国で幼少期を過ごしています。
永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が信長に討たれ、19歳の松平元康は岡崎城へ帰還。後に家康と改名し、ここを拠点に三河を統一。
永禄9年(1566)25歳で徳川へ改姓。
元亀元年(1570)29歳で遠江国浜松に居城を移す。
天正15年(1590)秀吉に関東移封を命じられ、江戸城に入城。家康の関東移封後は、豊臣家臣・田中吉政が入り城を大規模に拡張。2007年の発掘では、岡崎城が江戸城・大坂城・姫路城に匹敵する日本で4番目の規模を誇った城だったことが判明しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
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4月2日(木)
岡崎城へ。
東岡崎駅の観光案内所でもらった冊子「どこいく岡崎」に家康公の略歴や歴史MAPが載っていて、分かりやすく勉強になりました。 -
「どこいく岡崎」より
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「どこいく岡崎」より
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「どこいく岡崎」より
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「どこいく岡崎」より
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「どこいく岡崎」より
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「どこいく岡崎」より
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ガイドマップ
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10:32
大手門から入った方が城郭の様子が分かりやすいと思いながらも、菅生神社を参拝してから竹千代通りを進み、神橋を渡って本丸を目指しました。 -
風呂谷曲輪
本丸南側に位置する幅の狭い曲輪です。本丸に四ヶ所ある虎口のひとつ「風呂谷門」へと通じる経路に対して本丸側の櫓群から横矢が掛かります。
門へと通じる階段は、幅が狭いうえに左側面と平面の二方向からの横矢が掛かるため、攻め手には厳しい構造となっています。 -
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石垣は自然石をそのまま積んだ野面積み。
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風呂谷曲輪の階段を上って、
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本丸に入りました。
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龍の井
康正元年(1455)
龍神の出現により別名を龍ヶ城とした。
天文11年(1542年)
徳川家康生誕の朝、城楼上に金の龍が現れたという伝説が残る。 -
龍城神社
この時は人影もまばらだったのですが、写真を撮っているうちに鳥居を越えるほどの長蛇の列となりました。参拝客は、インバウンドが半数を超えてるのではと思うほど多かったです。 -
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御祭神
徳川家康公 本多忠勝公
参拝後に御朱印をいただきました。龍城神社 寺・神社・教会
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岡崎城天守(復興天守)
元和3年(1617)本多康紀が三層3階地下1階の複合天守を再建。
明治の廃城令で解体後、昭和34年(1959)三層5階で復興。敷地は龍城神社、岡崎公園として整備されました。岡崎城 名所・史跡
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家康公遺言
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天守の手前にあるのは藤棚。
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天気が良く桜も満開ということで人出が多く、最上階の本来は無かった廻縁に次々と観光客の姿が見られていて、混雑していたらじっくりと史料を読み込めないと思い天守と家康館の入館を断念。
ここまで来てとも思ったけれど、内部の様子はHPや4トラの旅行記で楽しめるし、復興天守というのも入館しなかった理由の1つです。家康が生まれたお城だというのに、現存天守じゃないなんて残念でなりません。 -
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本丸天守台石垣
城内でも最も古いと伝わる天守台も野面積み。隅角の算木積みは未発達な段階。 -
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山岡荘八文学碑
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伊勢神宮遥拝所
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遥拝所の裏を下ってみると、
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キシノウエトタテグモ生息地の説明板がありました。
石垣の隙間に巣を作る県内でも希な蜘蛛で、市指定天然物だそうですが目を凝らしても見つけられなかったです。 -
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本丸埋門北袖石垣
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高さ10mを超える大規模なもの。横方向の目地が一部揃うことから江戸時代前期の構築と考えられるそうですが、ロープが張られ近づけないようになっていました。
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東照公胞衣塚
家康公のえな(へその緒・胎盤)を埋めたと伝えられる塚。 -
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天文11年(1542)12月26日に岡崎城内で誕生した竹千代(家康)の産湯に、この井戸の水が用いられたと伝えられています。
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ここから先は、人の映り込みを避けるために曲輪を行ったり来たりしながら撮影。なかなか案内図通りに進めませんでした。
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田中吉政
小田原の陣の山中城攻めで功績を挙げ、家康の関東移封後は、豊臣家臣・田中吉政が岡崎城主となっていますが、山中城跡を訪ねた旅では、その名を目にすることはありませんでした。
気になって調べてみたら、関ヶ原の戦いでは石田三成を捕らえ、筑後柳川を領するまでになりましたが、もとは農民だったそう(通説)。
城を訪ねるたびに、いろんなことが学べて面白いです。
2025/01
山中城跡へ
https://4travel.jp/travelogue/11954734#bbs -
持仏堂曲輪腰巻石垣
説明板より先は進入禁止。 -
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江戸時代前期に構築された石垣で、後世の改修を受けることなく現在まで残る貴重なもの。下が石垣、上が土塁で造られています。
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左が直角の持仏堂曲輪腰巻石垣、右が曲線の本丸腰巻石垣。その先に廊下橋の石垣が見えます。もちろん、ここも進入禁止。
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坂谷曲輪
本丸と二の丸の西側に位置し、本丸や二の丸よりも標高が一段低い曲輪で、搦手口となる坂谷門は枡形を構成し、外側には馬出しも備えた虎口を形成。関ヶ原の戦い後、城主となった本多氏により豊臣氏を睨み城西の防衛拠点するために構築されています。 -
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家康公・竹千代公ベンチ
廊下橋の手前には出世ベンチと名づけられた石のベンチがあります。
ここは人気の撮影スポットのようで、みんなが次々と竹千代像の隣に座るので、持仏堂曲輪と坂谷曲輪を往復しながら、誰もいなくなった時にやっと撮れたもの。撮影後、縁起を担いでベンチにちょっとだけ座ってみました。 -
廊下橋
かつて持仏堂曲輪から本丸(天守裏)へ架かっていた橋。緊急時に落とせる構造だったようです。屋根付きの木橋だったそうですが、大正9年(1920)にアーチ型石橋に架け替えられ、現在は進入禁止。 -
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曲輪から天守に直結する廊下橋の仕組み(本丸から脱出できるように架けられた)は珍しく、国内唯一現存するもののようで、渡って真近に鏡石を見たかったな。
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鏡石
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廊下橋の手前から覗き込むと、かなり深い堀だと分かります。
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再び本丸の北側にある持仏堂曲輪を回って二の丸広場へ。
二の丸能楽堂を門からちょっと覗き込みつつ撮影。この後、しかみ像の前を通って三河武士のやかた家康館はスルー。武将隊のイベントが行われていて人集りができていました。 -
本多平八郎忠勝公銅像
徳川四天王の筆頭。生涯57回の合戦で、かすり傷ひとつ負わなかったという無敗の猛将。関ヶ原の戦いでは、東軍の最高司令官である軍監を務め自ら手勢を率いて首級を挙げ、多くの戦功により初代桑名藩主となっています。 -
槍の切っ先に止まった蜻蛉が真っ二つになったという逸話を持つ名槍「蜻蛉切」と、鹿の角をあしらった「鹿角脇立兜」の姿。
桶狭間の戦いで今川軍が敗走した際、増水した川に道を遮断され松平元康(後の家康)が退路を進めなくなる危機に瀕すると、一頭の鹿が現れ浅瀬へと導いてくれたという逸話があり、その鹿を戦勝の神である八幡神として鹿角の兜を装備するようになったと伝わります。 -
からくり時計塔
偶然、作動する時間に前を通ったので、家康公の舞をちょっと見学。毎時、00分・30分に作動するようです。 -
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大手門
1993年(平成5)再建高さ11m、幅16.4m。
大手門発掘調査では、土地開発や道路建設などによる撹乱が大きく痕跡の確認には至らなかったそう。 -
岡崎城下二十七曲り
天正18(1590)年から10年かけて、当時の岡崎城主・田中吉政が、城の防衛を目的に整備した曲がりくねった岡崎城下の街道。 -
二の丸
本丸と持仏堂曲輪の北側に位置し、家康が生まれた場所として「御誕生曲輪」とも呼ばれます。 -
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太鼓門跡の石垣
二の丸から持仏堂曲輪への入口の門で、江戸時代には櫓が建ち城下に時刻を知らせる太鼓が置いてありました。 -
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雁木にある転用石を探しに持仏堂曲輪へ。
本丸の北側に位置し、名称は家康が所持した阿弥陀仏を安置した堂があったことに由来します。
城内で最も強固な防衛を誇る曲輪で、二の丸から侵入した際は、180度方向転換をして狭い帯曲輪を通らなければ本丸大手虎口に行けず、側面からの横矢を受けることになります。 -
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雁木。実は、みごとな清海堀に気を取られ、通り過ぎてしまってから戻りました。
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マーク部の、端にある下段の石が転用石。正面からは全くわからなくて、見つけるのに時間がかかってしまった。
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多くの人が雁木の前を通っていたのに、覗き込んで撮っていたのは私だけ。
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清海堀
本丸と持仏堂曲輪を隔てる大規模な空堀で、岡崎城の最初の築城者 西郷頼嗣の法名 清海入道に因み名付けられました。
戦国時代の城のほとんどは土塁だけで造られ、石を使った堀を持つ城は、全国でも岡崎城のみと言われているそうです。 -
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空堀を支える石垣は、田中吉政時代のものと伝わりますが、土塁を含めた縄張りは家康時代のものともいわれるそうです。
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木のもとに 汁も鯰も 左久良哉
芭蕉
元禄3年(1690)伊賀上野で詠んだもの。 -
清海堀を望みながら坂を下り、辰巳櫓台へ。
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辰巳櫓台下石垣
城内で一番完成度の高い布積みの石垣で、稜線は直線になるよう江戸切で仕上げられています。
野面積み、打ち込み接、切り込み接と、時代とともに進化する石垣を同じ城の中で全部見られるのも、岡崎城の面白いところ。 -
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龍城堀(本丸堀)
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風呂谷曲輪と隠居曲輪の屏風状の石垣が面白い。
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12:36
龍城堀にかかる神橋を渡って東岡崎駅に戻ります。ここまででちょうど2時間が経過。天守と三河武士のやかた家康館には入館しなかったし、見ていない曲輪や櫓もあるけれど、家康のことを学ぶ貴重な時間でした。
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2026/04 春 満開の桜と古戦場と城跡めぐり
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