2026/04/01 - 2026/04/06
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chemireさん
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豊臣秀吉・秀次が築いた八幡山城の城跡へ。
現在は石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺が京都から移築されています。
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4月6日(月)
ABホテル近江八幡での朝ごはん。生たまごがあったのが嬉しかったです。 -
ホテルのフロントに荷物を預かってもらい、チェックアウト。 JR近江八幡駅からバスに乗り、八幡山ロープウェー乗り場へやって来ました。
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この飛び出し坊やは走っているのではなく、ロープウェーの車両の窓から顔を出してます。
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往復チケットを購入。麓から山頂まで、徒歩なら40分くらいで登れるようです。
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ロープウェーは15分間隔の運行。
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採石場なのかな。山の形が変わってる。
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振り返た景色は安土城跡や観音寺城跡方面らしいのですが、しっかり見ることもなく通過してしまいました。
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約4分で頂上へ到着。
八幡山の山頂に、かつて存在した八幡山城。
豊臣秀吉・秀次が天正13年(1585)に築いた城郭で、秀次が城主となり、天正18年(1590)には小田原の役の功によって清須城に移りましたが、八幡山城と城下町の造営に果たした役割は大きかったと考えられています。
秀次の移封後には、京極高次が入封。文禄4年(1595)に秀次が自害に追い込まれると、八幡山城は廃城となり高次は大津城に移りました。 -
ロープウェー乗り口の近くから見えた近江の町並みや水郷。
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山頂散策マップを確認。見学の所要時間の目安は30~45分くらい。
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二の丸趾
本丸の一段下の部分に位置します。 -
乱積みの石垣が残っていたけど、展望館が建てられ、その裏は庭園になっていてなんだか変な感じ。植え込みは要らないな。
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次は、本丸跡にある村雲瑞龍寺へ。
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八幡山城は、築城から10年で廃城され石垣の大部分は後世の改修を受けることなく現在に至ったため、秀吉時代の石垣を見ることができる貴重な城です。
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八幡山城では、安土城から10年後の石垣の水準が分かるそうなのですが、今回の旅では雨で安土城登城を断念。技術の進歩を理解するためにも、計画を立て直さなきゃ。
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まだ未発達といわれる算木積み。いろんな箇所で宝立印塔や石仏が転用石として用いられていると、帰宅してから知りました。あ~ぁ見逃しちゃった。
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石垣の合間から生えた木。改修を受けないと、こんな風に生命力を感じる場にも出会えるのね。
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本丸の桝形虎口跡に建てられた山門に向かって、石段を上ります。
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村雲瑞龍寺
日蓮宗唯一の門跡寺院。豊臣秀吉の実姉、羽柴智の方により開基。智の方の実子である秀次、秀勝、秀保が非業の死を遂げ、秀次の一門は処刑。智の方は菩提を弔うために出家し、慶長元年(1596)京都の村雲に寺を創建。昭和36年(1961)に現在地に移されました。 -
さすが本丸。石垣が、とっても立派。
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本尊は、一塔二尊四菩薩(釈迦牟尼如来)。
尼門跡で、代々皇女や公家の娘が住職に就かれているそうです。
参拝後に書き置きの御朱印をいただきました。 -
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八幡山最高点285.7m。
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説明書き通りに石段に戻ると、
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戦国の階段という表示に気付きました。
桝形虎口の急な石段を、武士たちはどんな思いで通っていたんだろうと思いながら、 -
山門を抜け北の丸趾に進みます。
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草木の茂る石垣。
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土や落ち葉に埋もれた石垣。頑張れば、石垣の上まで上れそうな感じの所もありました。
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北の丸趾。
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西の湖と水郷、観音寺城があった観音寺山、安土城があった安土山などを望めます。
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右端が観音寺山、その手前が安土城趾。
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西の湖。
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北の丸趾から西の丸趾ほ、よく整備されていて歩きやすい。
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西の丸趾。
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標柱上部に描かれていたのは、豊臣秀吉の家紋である五三桐。琵琶湖が見える眺めの良い場所なので、人がたくさん集まっています。
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でも、黄砂のせいなのか遠くが霞んでる。
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肉眼でなんとか見えた比叡山。
水茎岡山城は南北朝時代の築城当時、一帯が琵琶湖水面で浮き城とも称され、足利幕府の興亡にその名を刻んだ城だそう。 -
水茎岡山城跡を望んで。右が頭山、中央が大山。
応仁の乱で将軍の権威は衰え、諸国の守護の力が強まった時代であった1508年(永正5)、室町幕府の11代征夷大将軍・足利義澄は城主・九里信隆(六角氏被官)を頼って身を寄せ、後に12代将軍となる義晴がここで誕生しています。
その九里氏も、六角氏の征伐により1525年(大永5) に滅亡。この頃に水茎岡山城は廃城となったそうです。
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室町幕府まで手を広げてしまうと覚えられないから、八幡山城趾から眺めるだけにしたけど、歴史の詰まった城の名を知ることが出来たのは嬉しい。 -
次は、出丸趾へ向かいました。
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ここも、散策路が整備されていて歩きやすかったけど、
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石垣は荒れた感じ。
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出丸
木が伐採され270°の眺望が楽しめます。下部の石垣は1585年築城当時のもの。
眺めが開けてるのに、ここには人がいませんでした。 -
中央の木を避けるように、反時計回りに歩いてみます。
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琵琶湖に沿って広がる平野の景色。住宅街や田園を見下ろせる出丸は、西の丸よりのんびりできました。
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では、来た道を引き返してロープウェー乗り場のある二の丸方面へ。
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西の丸趾は、この時だけ人の姿がなかったけど、すぐにインバウンドの団体がやって来ました。桜の季節とはいえ、石垣しかない城跡によく来るなぁ。
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ロープウェーに乗る前に、展望館内を見学。
八幡山城の歴史、秀次公一族の最期を描いた悲劇絵巻や出土品などが展示されていました。 -
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豊臣秀次(1568~1595)
豊臣秀吉の実姉・智の子。子どものできなかった秀吉の養子となりました。 -
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天正13年(1585)豊臣秀次が近江国八幡山城の城主となり、のちに八幡山城下町を築く。
天正18年(1590)家康の関東移封に伴い秀次は尾張清洲城に移り、八幡山城には京極高次が入封。
1591年(天正19年)に秀吉の嫡男である鶴松が亡くなったことから、改めて秀吉の養嗣子となり、文禄の役の開始前に関白の職を譲られ家督を相続した。
文禄2年(1593)秀吉の側室・淀殿が秀頼を生むと、徐々に秀吉との関係が悪化。
文禄4年(1595)冤罪疑義をかけられ高野山へ追放された後に、切腹(享年28)。秀次の妻子や乳母など一族も処刑され、八幡山城は廃城となり京極高次は大津城に移封。 -
八幡山城を調べていたら、秀次の宿老筆頭だと出てきた田中吉政の名。あれ?関ヶ原古戦場で見た田中吉政の陣跡には、東軍と記されていたはず。気になって更に検索してみました。
天正13年(1585)秀次が近江八幡43万石を与えられると吉政はその筆頭家老となり、天正18年(1590)秀吉の命により家康が岡崎城から関東へ移封された後は、吉政は岡崎城へ入城。文禄4年(1595)秀次が自害させられ多くの家臣が処分を受けた際に吉政のお咎めはなく、のちに加増され岡崎城10万石の大名に。
そして、秀吉の死後は家康に接近し、関ヶ原の戦いでは、東軍に属した吉政が敗走する西軍の石田三成を捕縛。
豊臣側だったから西軍という単純な構図ではない関ヶ原の戦いを、ここでも学ぶことになりました。 -
秀次公一族の最期を描いた悲劇絵巻。
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秀次の切腹の経緯については諸説あり。
秀次は身の潔白を証明するため自ら高野山へ赴き、自死。秀吉は秀次を生かしておく心づもりだったとか、後付けで秀次謀反の罪を着せたのだとか。
真実は分からないけれど、秀次の妻子たちだけでなく侍女や乳母までもが処刑された事実は変わらず、戦国乱世を生き抜くためとはいえ秀吉の恐ろしさを感じます。
一方で、粛正によって秀吉の身内はさらに減り豊臣政権の弱体化を招き、その後、家臣たちの分裂が関ヶ原合戦の火種となったとも言われていて、命を落とした人々には申し訳ないけれど、歴史って不思議だし面白いな。 -
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先義後利栄。義理人情を第一と考えている西川利右衛門の家訓。義を先にし、利を後にすれば栄えるという近江商人の理念を学んでから、ロープウェーに乗り下山しました。
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