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山号 大洞山。通称は、大洞弁財天。<br />1695年(元禄8年)、藩主の井伊直興によって彦根城の鬼門除けとして開かれました。<br />

大洞弁財天 長寿院

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2026/04/01 - 2026/04/06

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chemire

chemireさん

山号 大洞山。通称は、大洞弁財天。
1695年(元禄8年)、藩主の井伊直興によって彦根城の鬼門除けとして開かれました。

  • 4月5日(日)<br />11:47<br />佐和山城駐車場で案内板を確認。

    4月5日(日)
    11:47
    佐和山城駐車場で案内板を確認。

  • 桜が満開でした。

    桜が満開でした。

  • 大洞弁財天<br />長寿院<br />当時の日光東照宮の改修を行った甲良氏が動員され、領民1人につき1文を徴収して造られたそうです。<br /><br />境内は南西向きで境内入口は2つ。西側入口が正面ですが、龍潭寺・井伊神社側から境内へ。

    大洞弁財天
    長寿院
    当時の日光東照宮の改修を行った甲良氏が動員され、領民1人につき1文を徴収して造られたそうです。

    境内は南西向きで境内入口は2つ。西側入口が正面ですが、龍潭寺・井伊神社側から境内へ。

  • 経蔵

    経蔵

  • 経蔵

    経蔵

  • 本堂は大洞山(211m)の中腹にあり山道を登りながら進むため、経蔵の屋根を見下ろせました。

    本堂は大洞山(211m)の中腹にあり山道を登りながら進むため、経蔵の屋根を見下ろせました。

  • 本堂。別名は弁才天堂。<br />権現造、本瓦葺。元禄8年(1695)建立。国指定重要文化財。本堂に向かって左にあるお堂は案内板がなく(見落としたかも)名前が分かりませんでした。

    本堂。別名は弁才天堂。
    権現造、本瓦葺。元禄8年(1695)建立。国指定重要文化財。本堂に向かって左にあるお堂は案内板がなく(見落としたかも)名前が分かりませんでした。

  • 彦根日光と呼ばれることに納得する見事な彫刻。装飾は、どれも素晴らしいものばかり。

    彦根日光と呼ばれることに納得する見事な彫刻。装飾は、どれも素晴らしいものばかり。

  • 彫刻だけではなく屋根も見応えがあります。凝った棟瓦を、しばらく鑑賞しました。

    彫刻だけではなく屋根も見応えがあります。凝った棟瓦を、しばらく鑑賞しました。

  • 宝蔵<br />校倉造。元禄8年 (1695)造営。県指定有形文化財。<br />

    宝蔵
    校倉造。元禄8年 (1695)造営。県指定有形文化財。

  • 阿弥陀堂。元禄8年 (1695)造営。県指定有形文化財。<br /> 

    阿弥陀堂。元禄8年 (1695)造営。県指定有形文化財。
     

  • 楼門。別名は二天門。<br />入母屋造、本瓦葺。元禄8年 (1695年)造営。県指定有形文化財。裏(本殿側)には白狐が鎮座し、楼上には大黒天像4000体を安置。<br /><br />境内からは、琵琶湖方面を望めます。

    楼門。別名は二天門。
    入母屋造、本瓦葺。元禄8年 (1695年)造営。県指定有形文化財。裏(本殿側)には白狐が鎮座し、楼上には大黒天像4000体を安置。

    境内からは、琵琶湖方面を望めます。

  • 楼門を別の角度から。

    楼門を別の角度から。

  • 楼門表側左右の柱間に安置された堅牢地天と、

    楼門表側左右の柱間に安置された堅牢地天と、

  • 毘沙門天。

    毘沙門天。

  • 楼門内の装飾も見事。

    楼門内の装飾も見事。

  • 楼門から総門へと向かうそこそこ急な階段に、ここが山の中腹であることを実感させられながら参道を下ります。<br />始めは石段と総門に気を取られていましたが、正面に彦根城を望めることに気付き感動しました。

    楼門から総門へと向かうそこそこ急な階段に、ここが山の中腹であることを実感させられながら参道を下ります。
    始めは石段と総門に気を取られていましたが、正面に彦根城を望めることに気付き感動しました。

  • 総門<br />四脚門、切妻造、本瓦葺。造営年不明。<br />

    総門
    四脚門、切妻造、本瓦葺。造営年不明。

  • 石段を下りる途中にスマホでズーム。<br />佐和山からは彦根山を見下ろせるわけで、だから彦根城築城時に佐和山城は解体・移築されてしまったのかなと思いました。三成(の城)に見下ろされるなんて、許せないことなのだろうから。

    石段を下りる途中にスマホでズーム。
    佐和山からは彦根山を見下ろせるわけで、だから彦根城築城時に佐和山城は解体・移築されてしまったのかなと思いました。三成(の城)に見下ろされるなんて、許せないことなのだろうから。

  • 石段の途中にある二の鳥居を振り返って見た木造明神鳥居。扁額は「大寶王」。長寿院は寺院ですが、鳥居が神仏習合の時代の面影を残しています。

    石段の途中にある二の鳥居を振り返って見た木造明神鳥居。扁額は「大寶王」。長寿院は寺院ですが、鳥居が神仏習合の時代の面影を残しています。

  • 12:22<br />参道の石段を下りきって、東海道本線(琵琶湖線)の踏切を渡った先が、西側入口である長寿院の正面。石造明神鳥居の扁額は宝珠のような意匠で判読が難しいけど、右横書きで「弁才天」と書かれています。<br /><br />鳥居を撮っていると電車が通過。創建時には、こんな光景は想像できなかったんだろうなぁと思いながら線路沿いを歩き、佐和山城趾への登山道入口のある龍潭寺へと向かいました。<br /><br />・・・・・・・・・・<br /><br />いま思えば先に寺社4つを巡るのではなく、龍潭寺から佐和山城趾に向かい、下山しながら長寿院を訪ねた方が効率的だったみたい。なかなか身に付きませんが、ルートの下調べって大事です。<br />

    12:22
    参道の石段を下りきって、東海道本線(琵琶湖線)の踏切を渡った先が、西側入口である長寿院の正面。石造明神鳥居の扁額は宝珠のような意匠で判読が難しいけど、右横書きで「弁才天」と書かれています。

    鳥居を撮っていると電車が通過。創建時には、こんな光景は想像できなかったんだろうなぁと思いながら線路沿いを歩き、佐和山城趾への登山道入口のある龍潭寺へと向かいました。

    ・・・・・・・・・・

    いま思えば先に寺社4つを巡るのではなく、龍潭寺から佐和山城趾に向かい、下山しながら長寿院を訪ねた方が効率的だったみたい。なかなか身に付きませんが、ルートの下調べって大事です。

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