2025/02/20 - 2025/02/20
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gianiさん
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鳥栖と佐賀の中間に位置する神埼市は吉野ヶ里遺跡に隣接しており、弥生時代まで遡る天皇家の歴史が関係しています。平安時代は、皇室領の神埼荘が広がり、時代を作った院政の基盤にもなっています。中世には平清盛が日宋貿易の拠点として平氏繁栄の基礎となり、江戸時代は長崎街道の宿場でも有数のインフラを誇りました。
程よく歴史が感じられる景観と絶品食堂があるので、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
- 旅行の満足度
- 5.0
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旅のはじまりは鳥栖駅
JR長崎本線へ乗り換えます。
佐賀駅までは本数が多く、価格面も併せて第一の選択肢になります。 -
サロンパスでお馴染み久光製薬の企業城下町でもあります。昭和9年発売開始なので、2025年で満90歳です。
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サロンパスの基となったのは、伝統的な製法で作られた田代の朝日萬金膏です。大石膏盛堂は、現在も朝日萬金膏が看板商品です。田代売薬↓
https://4travel.jp/travelogue/11955201 -
ほどなくして神埼駅へ到着。
何もない駅前です。神埼駅 駅
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2006年に神埼町を母体に千代田町/脊振村が合併して神埼市が誕生します。駅チカ図書館横の神埼情報館は、アンテナショップとちょっとした資料館が付属しています。
地理的には、神埼町を中心に北に背振村、南に千代田町が位置します。 -
地名の由来
景行天皇の時代に、この地域を荒ぶる神が人々を害したが、景行天皇が宮を建てると災厄が止んだので、神幸(かむざき)が転じて神埼となったとの言い伝えがあります。 -
7世紀末の持統天皇の治世中に肥国は肥前と肥後に分かれます。
710年に肥前国神崎郡が誕生し、712年には神埼郡衙が設置されます。吉野ヶ里遺跡に西接する遺跡からは、郡衙の台所で使われた土器から神埼厨の文字が見られます。
※~ヶ里という地名は、条里制の名残です。 -
郡の中心地として、都へ繋がる西海道(支線)の宿場駅/烽火台が置かれます。舶来のステイタスだった仏教寺院が開基され、駅ヶ里付近を拝領します。
平城京で出土した725年の木簡には神崎津と書かれ、神埼に港があったことが分かります。 -
836年に勅旨で田地開発されたのを機に1015年には皇室領の神埼荘が成立し、鎌倉時代には肥前国最大の荘園となります。
鳥羽上皇の信任厚い平忠盛は、神埼荘の預所だった1133年にここを拠点に日宋貿易を行いました。宋の陶磁器などが出土しています。
神埼荘は院政の経済基盤でしたが、承久の乱を機に鎌倉幕府は後鳥羽上皇から没収して、御家人に再配分されます。 -
武家政権下で、神埼は一色/菊池/少弐氏などの支配を受けます。龍造寺氏の支配を経て、跡を継いだ鍋島氏の下で江戸時代を迎え、佐賀藩領および蓮池支藩領となります。有明海に面した広大な干潟は網の目のようなクリーク(水路)が張り巡らされ、耕地は増大していきます。
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江戸時代に街道整備に力がそそがれ、神埼には長崎街道の宿場が設けられます。
新政府の元では、1878年に神埼郡の郡役所が置かれ、裁判所等の行政機関が順次設置されます。1891年には鳥栖~佐賀間の鉄道が開業し、神埼駅が設けられます。同年には、熊本や門司と鉄路が繋がりました。1893年に町制、2006年に市制を敷きます。
では、現地を訪問します。まずは1kmほど東へ移動します。 -
小倉から続く旧長崎街道沿いに、人工的な丘が見えます。
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長崎街道で現存する唯一の一里塚です。
大概は跡地に大木が植わっているだけで、小高い丘(塚)として目印になっていた様子を遺していません。ひのはしら一里塚 名所・史跡
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火の柱一里塚
1604年の幕府令で、街道沿いに底辺9m四方の塚を一里毎に設け、木を植えることになっていました。こちらは11×14mの長方形で、規定よりも大きなサイズです。1665年の記録によると、長崎街道の一里塚の中でもとりわけ立派で、櫛田宮の朱塗り鳥居がここにあったことが由来です。塚の頂上には、いぼ地蔵が鎮座します。 -
現在も、いぼ地蔵が祀られています。いぼ地蔵は高い所が大好きで、脊振山と高さを競うために塚は高く盛られました。
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高さ7.3mと記録にある塚の頂上からは、佐賀平野と脊振山が見渡せます。
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一里塚を下りて、
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神埼宿を目指します。
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笹隈川を渡ると、神埼宿の東構口です。
蔀木戸が置かれて通行を取り締まっていました。
6~22時まで通行できました。 -
橋を渡ると、味で評判の穴場菓子店が。
長崎街道はシュガーロードとも呼ばれ、出島から合法的に流出した砂糖が手に入るレアなルートで、貴重な砂糖を使用した菓子が江戸時代から発達しました。 -
神埼1丁目交差点を直進します。右折すると、JR神埼駅です。
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沿道には、味のあるラーメン屋さんも。昼間から暖簾が掛かっています。
宝来軒 グルメ・レストラン
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突き当りを左折します。
100mほど進むと今度は右折し、クランク状になっています。 -
クランク部分は、こんな感じ。名物の神埼素麺をあご出汁で味わえるお店も。
素麺の製法は小豆島から伝わったそうで、島原の乱の際に神埼宿を通過した幕府軍の兵士の間で好評だったそうです。 -
その奥には、大石太郎が福岡で設立した旧大石銀行(1893-1932)神崎支店(1926までに開設)の文書庫が残っています。飲食店として現役です。
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道路の反対側には、情緒ある建築。
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最初の交差点を右折して、長崎街道は馬場川を渡ります。
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馬場川
水運面でも重要な水路でした。この先に船着場がありました。 -
プライベートな橋も架かっています。
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真っ直ぐ進むと右に櫛田宮が現れます。宿場の中心です。
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櫛田宮の入口の前で左折します。
角には高札場もあり、宿場の中心でした。 -
角にある古賀酒店は、造り酒屋でした。
江戸時代には、神埼宿の心臓部である問屋場でした。人馬の継立、助郷賦課などの業務を行い、羽根武右衛門によって経営され、駅馬26匹と大規模なものでした。 -
櫛田宮
神埼荘の総鎮守です。鳥居の扁額は、順徳天皇(在1210-21)の御宸筆(しんぴつ)と言われています。 -
二の鳥居は1602年奉納、肥前鳥居と呼ばれる様式です、
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太鼓橋の手前には、樹齢1000年を超える琴の楠がそびえます。景行天皇が埋めた琴が楠になったと言われています。
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櫛稲田姫、素戔嗚尊、日本武尊が祭神として祀られています。
素戔嗚尊がヤマトノヲロチを退治する際、櫛稲田姫は櫛に姿を変えられて彼の髪に挿された状態で闘いに臨みました。
1115年の社殿造営の際に、伴氏と本造氏が勅旨として下向し、そのまま土着化して宮司を世襲します。現在の宮司は、執行氏です。櫛田宮 寺・神社・教会
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社殿の裏には、景行天皇が西暦81年に櫛稲田姫を祀るために築いた櫛山があります。
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平忠盛は、1133年に日宋貿易のために博多の神崎荘倉敷に櫛田宮を祀りました。
倉敷とは、荘園から年貢や特産品を領主へ送る時の積み出し場です。
櫛田神社は757年創建とされますが、学術的には平忠盛が神埼の櫛田宮から勧請したのが実態とされます。 -
神埼と博多は40kmほど離れていますが、現在の国道385号線のルートで背振山地を越えて宋と交易したという説が有力です。一方で、6世紀磐井の頃から有明海は大陸と密な交易があったので、神崎津から直接交易していたという説も全く否定できないようです。実際、当時の海岸線から多くの宋伝来のものが出土しています。
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旧古賀銀行神埼支店
1911年に進出、建物は1914年築です。花崗岩の円柱とモルタル塗りの壁が印象的です。内部は吹き抜けになっています。古賀銀行は1885年に設立、柳川支店/長崎支店に次いで開業しますが、1933年の金融恐慌で解散します。その後は助産院/歯科として使用されました。 -
神埼情報館には、古賀銀行神崎支店の支店長が使用した椅子が展示されています。
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御茶屋跡
藩主別邸で、佐賀藩主が参勤交代の際等に利用しました。長崎奉行や他藩の大名が宿泊する際は、本陣として機能しました。現在はコミュニティセンター/体育館となっています。 -
そのまま直進すると
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小林薬局
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随分と古い看板が。
佐賀の乱が起きた1874年頃に開業した小林三世堂がルーツです。神埼宿は激戦地でした。 -
年季の入った門は、佐賀の乱の戦火を潜った歴史もので、裏門を移設したそうです。表札には、佐賀藩士であることと、佐賀の乱では官軍に付いたことが書かれています。
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明正寺の向かいを左折すると、水路に沿って旧道に入ります。
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脇のお堂には、県重文指定の木造薬師如来像が祀られています。元々は櫛田宮の本地仏でしたが、明治の神仏分離政策により移動しました。
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情緒ある光景です。
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馬場川沿いには、
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櫛田宮の下の宮があります。
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馬場川の反対側はこんな感じです。赤レンガ壁も遺ります。
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長崎街道へ戻ります。
原岡家住宅は1884年築の商家で、櫨蝋などで財を築きました。 -
手前の浄光寺と奥の真光寺は、脇本陣として要人が宿泊しました。
長崎街道は、ここで右へ曲がります。 -
真光寺には、シーボルトも宿泊しています。
神埼宿には寺院が25も存在したそうで、ものすごい数です。 -
暫く進むと大圓寺があります。
境内には、河童地蔵が安置されています。 -
1949年の水害で、田手川の堤防で偶然見つかりました。カッパ封じのまじないの一つとして用いられたもののようです。何とも愛嬌のある顔です。
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この地区は、通りに面した間口が狭い建物が多く残っています。
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西構口
城原川に面した場所に西構口がありました。宿場はここまでです。
木戸口は蔀(しとみ)戸なのが、非常に珍しいです。蔀は柱の上の部分が蝶番になっており、カパカパ動く構造です。民家の扉に付属している猫専用の出入口と同じ構造です。 -
横には、そうめんコロッケを出すお店も。
まんえい堂 神埼宿場茶屋店 グルメ・レストラン
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現在は国道34号線に神埼橋が架かっています。
1957年築の年代物です。 -
城原川を少し下ると、渡し場がありました。
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国道34号線を1km程進むと、昔ながらの環濠集落の土地割りが残ります。
全国でも珍しい「くど造り」の民家が再現されています。
屋根の真ん中が凹んでいます。葦辺の館 名所・史跡
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側面
凹型なのがわかります。横武クリーク公園 公園・植物園
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正面からはコの字型の屋根であることが分かりません。
築200年超にして現役の国の重文指定「くど造り」民家山口家を訪問した旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11819638 -
濠は非常に不自然な形をしています。大きさも不揃いです。これは、干潟時の水の流れ道をそのまま活用している名残です。
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クリーク(水路)は、人間/農業の水源であると同時に、排水路でもあります。そして運河も兼ねています。満ち潮の際は水が押し戻され、比重の重い海水が水路の下に溜まり、表面に淡水層ができます。
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椿がきれいでした。
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神埼周囲には、環濠集落から発展した古城跡がたくさん見つかります。
姉川城址は歴史価値が最も評価されています。姉川城跡 名所・史跡
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おまけ
神埼宿には、宝来軒という店があります。
1964年創業の豚骨ラーメンのお店です。
佐賀県庁が主宰する『後世に残したい店」にも選ばれる名店です。 -
毎日食べられる優しくもしっかりしたスープです。
共に創業したご主人は亡くなられ、現在はおかみさんが一人で切り盛りし、昼休みなしの通しで営業しています。 -
煮干し系醤油ラーメンと比べて、とんこつは出汁を取るのに長時間煮込む必要があるので、昨今のガス代高騰が悩みの種だそうです。今もまじめにだしを取っていることが、スープを飲めばすぐに分かります。
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おでんも絶品、こちらは対照的なタレで、熱燗との相性が最高です!
均一料金で、タネは常時5種類はそろっています。
長居できる時間泥棒のお店です。
長崎街道は、蓮池往還が分岐する境原宿を経て、佐賀城下へ通じます。
佐賀城下の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11746677
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