アヴィニヨン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
アルルからアヴィニヨンに移動しました。3度目の来訪でしたが以前はツアーでの来訪でしたので、気分にまかせて街を散歩しました。<br />サン・べネゼ橋と教皇庁を再訪し、プティ・パレ美術館を訪れました。思っていたより収蔵品が素晴らしかったです。<br />そして泊まれないけど豪華なホテルサロンでお茶も楽しみました。<br />楽しみにしていた貴族の館B&amp;Bに宿泊しました。<br /><br />6/10 羽田発イスタンブール経由<br />6/11 トゥールーズ着<br />6/12 モワサック修道院、モンパズィエ<br />6/13 ミランド城、マルケイサック、べナック=エ=カズナック、<br />   サルラ=ラ=カネダ、<br />6/14 ヴィトラック、スイヤック、ロカマドゥール、ドンム、<br />   ラ・ロック=ガジャック<br />6/15 コロンジュ=ラ=ルージュ、カルンナック、コンク<br />6/16 コルド=シュル=シェル<br />6/17 アルビ、トゥールーズ<br />6/18 カルカッソンヌ<br />6/19 コリウール、ペルピニャン<br />6/20 サン=マルタン・デュ・カニグー修道院、カブスタニー<br />6/21 サン=ギレム=ル=デゼール、モンペリエ<br />6/22 モンペリエ<br />6/23 ニーム<br />6/24 アルル<br />6/25 サント=マリー=ド=ラ=メール、カマルグ<br />6/26 アヴィニョン<br />6/27 ユゼス、アヴィニョン<br />6/28,29リル=シュル=ラ=ソルギュ<br />6/30 ルシヨン<br />7/1  エクサン・プロヴァンス<br />7/2  ヴァロンソル、ムスティエ=サント=マリー、サン=クロワ湖<br />7/3  ルールマラン、ゴルド、ルシヨン、フォンテーヌ=ド=ボークリューズ<br />7/4  シルヴァカンヌ、エクサン・プロバンス<br />7/5  マルセイユ<br />7/6,7マルセイユ発イスタンブール経由羽田着<br />*参考図書「フランス・ロマネスクへの旅」

ペリゴール・リムーザン・ラングドック・プロヴァンスをめぐる28日間【16】アヴィニヨン

32いいね!

2025/06/10 - 2025/07/07

45位(同エリア464件中)

マリアンヌ

マリアンヌさん

アルルからアヴィニヨンに移動しました。3度目の来訪でしたが以前はツアーでの来訪でしたので、気分にまかせて街を散歩しました。
サン・べネゼ橋と教皇庁を再訪し、プティ・パレ美術館を訪れました。思っていたより収蔵品が素晴らしかったです。
そして泊まれないけど豪華なホテルサロンでお茶も楽しみました。
楽しみにしていた貴族の館B&Bに宿泊しました。

6/10 羽田発イスタンブール経由
6/11 トゥールーズ着
6/12 モワサック修道院、モンパズィエ
6/13 ミランド城、マルケイサック、べナック=エ=カズナック、
   サルラ=ラ=カネダ、
6/14 ヴィトラック、スイヤック、ロカマドゥール、ドンム、
   ラ・ロック=ガジャック
6/15 コロンジュ=ラ=ルージュ、カルンナック、コンク
6/16 コルド=シュル=シェル
6/17 アルビ、トゥールーズ
6/18 カルカッソンヌ
6/19 コリウール、ペルピニャン
6/20 サン=マルタン・デュ・カニグー修道院、カブスタニー
6/21 サン=ギレム=ル=デゼール、モンペリエ
6/22 モンペリエ
6/23 ニーム
6/24 アルル
6/25 サント=マリー=ド=ラ=メール、カマルグ
6/26 アヴィニョン
6/27 ユゼス、アヴィニョン
6/28,29リル=シュル=ラ=ソルギュ
6/30 ルシヨン
7/1  エクサン・プロヴァンス
7/2  ヴァロンソル、ムスティエ=サント=マリー、サン=クロワ湖
7/3  ルールマラン、ゴルド、ルシヨン、フォンテーヌ=ド=ボークリューズ
7/4  シルヴァカンヌ、エクサン・プロバンス
7/5  マルセイユ
7/6,7マルセイユ発イスタンブール経由羽田着
*参考図書「フランス・ロマネスクへの旅」

  • アルル二日目の朝、ギルバートさんが用意して下さった朝食を食べ、なんとアルル駅まで車で送って下さった。<br />今までB&amp;Bにはずいぶん滞在してきたけれど、送迎、遠足のアドバイスなどホスピタリティNo.1だった。<br />Merci beaucoup.

    アルル二日目の朝、ギルバートさんが用意して下さった朝食を食べ、なんとアルル駅まで車で送って下さった。
    今までB&Bにはずいぶん滞在してきたけれど、送迎、遠足のアドバイスなどホスピタリティNo.1だった。
    Merci beaucoup.

  • アルル発8:46<br />アヴィニョン着9:03<br />B&amp;Bまで徒歩15分、今日も20Kgの荷物を引いて歩きます。

    アルル発8:46
    アヴィニョン着9:03
    B&Bまで徒歩15分、今日も20Kgの荷物を引いて歩きます。

  • 駅からメインストリートのレピュブリック通りを真っ直ぐ行き、旧市街へ。<br />アヴィニヨンはツアーで2回来ており、3回目の来訪。

    駅からメインストリートのレピュブリック通りを真っ直ぐ行き、旧市街へ。
    アヴィニヨンはツアーで2回来ており、3回目の来訪。

  • お宿に到着。イオニア式の柱の玄関、古い館です。

    お宿に到着。イオニア式の柱の玄関、古い館です。

  • まだ午前の早い時間、荷物を預けて観光へ。<br />B&amp;Bの場合、数週間前と前日に到着時刻や荷物の預け方を確認します。<br />今回はアルル同様、お住いの自宅にお邪魔するということで、到着時に在宅しているか確認しました。

    まだ午前の早い時間、荷物を預けて観光へ。
    B&Bの場合、数週間前と前日に到着時刻や荷物の預け方を確認します。
    今回はアルル同様、お住いの自宅にお邪魔するということで、到着時に在宅しているか確認しました。

  • アヴィニヨンは、ローマ帝国時代はガリア・ナルボネンシス属州の主要都市の一つだった。8世紀にはフランク王国に滅ぼされ、12世紀にはプロヴァンス伯領、次いでトゥールーズ伯領となった。

    アヴィニヨンは、ローマ帝国時代はガリア・ナルボネンシス属州の主要都市の一つだった。8世紀にはフランク王国に滅ぼされ、12世紀にはプロヴァンス伯領、次いでトゥールーズ伯領となった。

  • 中世末のカタリ派運動の中ではカタリ派を支持した結果、1226年にアルビジョア十字軍を率いたフランス王ルイ8世によって占領され、武装解除された。カタリ派を支持した街への処罰として、市の城壁は破壊された。

    中世末のカタリ派運動の中ではカタリ派を支持した結果、1226年にアルビジョア十字軍を率いたフランス王ルイ8世によって占領され、武装解除された。カタリ派を支持した街への処罰として、市の城壁は破壊された。

  • 1309年にローマ教皇クレメンス5世がアヴィニョンを居所に定め、1377年まで教皇庁所在地とした(アヴィニョン捕囚)。<br />以後、フランス革命で没収されるまでアヴィニョンはフランス国内の教皇領の飛び地となった。

    1309年にローマ教皇クレメンス5世がアヴィニョンを居所に定め、1377年まで教皇庁所在地とした(アヴィニョン捕囚)。
    以後、フランス革命で没収されるまでアヴィニョンはフランス国内の教皇領の飛び地となった。

  • アヴィニヨンといえばトロンプ・ルイユ(だまし絵)。

    アヴィニヨンといえばトロンプ・ルイユ(だまし絵)。

  • 緑がいい感じにつたっている。

    緑がいい感じにつたっている。

  • オルロージュ広場。

    オルロージュ広場。

  • アヴィニヨン市庁舎。

    アヴィニヨン市庁舎。

  • 本当は親しくさせていただいているアヴィニヨンと西荻窪に住まうアンティーク古道具ショップオーナーとアヴィニヨンで会おうと思っていたのだけど、残念ながら入れ違いで彼女は東京だった。

    本当は親しくさせていただいているアヴィニヨンと西荻窪に住まうアンティーク古道具ショップオーナーとアヴィニヨンで会おうと思っていたのだけど、残念ながら入れ違いで彼女は東京だった。

  • アヴィニヨン教皇庁、大きすぎて写らない。広角で歪んでる。

    アヴィニヨン教皇庁、大きすぎて写らない。広角で歪んでる。

    法王庁広場 広場・公園

  • まずはローヌ川方面へ。

    まずはローヌ川方面へ。

  • デコラティブな館。教皇庁前の広場は観光客で溢れていた。

    デコラティブな館。教皇庁前の広場は観光客で溢れていた。

  • ノートルダム・デ・ドン大聖堂。ここも人が鈴なりだった。

    ノートルダム・デ・ドン大聖堂。ここも人が鈴なりだった。

  • 小路へ。

    小路へ。

  • プロヴァンスといえば石鹸、色とりどり。

    プロヴァンスといえば石鹸、色とりどり。

  • カラーのセミの飾りが面白い。<br />ショップの展示に車を使ってる。

    カラーのセミの飾りが面白い。
    ショップの展示に車を使ってる。

  • ローヌ川沿いに出た。

    ローヌ川沿いに出た。

  • アヴィニヨンに来たからには、サン・べネゼ橋を見ないと。

    イチオシ

    地図を見る

    アヴィニヨンに来たからには、サン・べネゼ橋を見ないと。

    サン ベネゼ橋 史跡・遺跡

  • 1226年のルイ8世によるアルビジョア十字軍の攻撃により、4分の3が破壊されてしまったそう。再建を試みたが、1603年のローヌ川の洪水でアーチが1つ崩壊し、続けて3つが壊れると、ペストの流行も追い打ちをかけ、橋の維持や修理が難しくなり、再建は放棄されることとなったとのこと。

    1226年のルイ8世によるアルビジョア十字軍の攻撃により、4分の3が破壊されてしまったそう。再建を試みたが、1603年のローヌ川の洪水でアーチが1つ崩壊し、続けて3つが壊れると、ペストの流行も追い打ちをかけ、橋の維持や修理が難しくなり、再建は放棄されることとなったとのこと。

  • 教皇庁方面へ戻りましょう。

    教皇庁方面へ戻りましょう。

  • サン・ベネぜ橋への観光客のようだった。

    サン・ベネぜ橋への観光客のようだった。

  • きれいにセットされているね。

    きれいにセットされているね。

  • 岩と同化してる教皇庁の建物、そこをくぐり抜けて。

    岩と同化してる教皇庁の建物、そこをくぐり抜けて。

  • こちら側が教皇庁見学の出口のよう、ミュージアムショップが見えた。

    こちら側が教皇庁見学の出口のよう、ミュージアムショップが見えた。

  • 広場を抜けて。

    広場を抜けて。

  • 鍵も受け取りたいので、部屋が準備出来るという時間に一旦宿へ。

    鍵も受け取りたいので、部屋が準備出来るという時間に一旦宿へ。

  • 今晩のお部屋。<br />La Petite Saunerie

    今晩のお部屋。
    La Petite Saunerie

  • 写真で見ていたとおりの素敵な部屋。

    写真で見ていたとおりの素敵な部屋。

  • クマさんもいました。

    クマさんもいました。

  • 再び観光に出発。

    再び観光に出発。

  • この日も暑かった。

    この日も暑かった。

  • ワンちゃんもグッタリ(笑)

    ワンちゃんもグッタリ(笑)

  • アヴィニヨンには、翌日の遠足のため余裕をもって2泊することにした。<br />この日はノープラン、3度目だけど、とりあえず教皇庁へ。

    アヴィニヨンには、翌日の遠足のため余裕をもって2泊することにした。
    この日はノープラン、3度目だけど、とりあえず教皇庁へ。

    法王庁広場 広場・公園

  • 夏季なのでイベントがあるよう。

    夏季なのでイベントがあるよう。

  • 教皇宮殿は、アヴィニョン捕囚(1309年~1377年)の際に教皇が住んだ宮殿。

    教皇宮殿は、アヴィニョン捕囚(1309年~1377年)の際に教皇が住んだ宮殿。

  • 当時フランスとローマ教皇庁は対立しており、フランス王フィリップ4世は教皇クレメンス5世に教皇庁の移転を要請、クレメンス5世はアヴィニョンを座所とした。<br />イタリアは神聖ローマ皇帝によって侵略されており、ローマに帰ることもできなかった。

    当時フランスとローマ教皇庁は対立しており、フランス王フィリップ4世は教皇クレメンス5世に教皇庁の移転を要請、クレメンス5世はアヴィニョンを座所とした。
    イタリアは神聖ローマ皇帝によって侵略されており、ローマに帰ることもできなかった。

  • 1377年になると教皇庁はローマへ戻るが、その後の教会大分裂期には、対立教皇のクレメンス7世とベネディクト13世が1408年までこの宮殿を座所とした。

    1377年になると教皇庁はローマへ戻るが、その後の教会大分裂期には、対立教皇のクレメンス7世とベネディクト13世が1408年までこの宮殿を座所とした。

  • フレスコ画が残る。

    フレスコ画が残る。

  • 1433年、宮殿はローマ教皇庁の財産になるが、徐々に劣化していく。<br />追い打ちをかけたのがフランス革命で、宮殿は破壊と略奪に遭ってしまった。

    1433年、宮殿はローマ教皇庁の財産になるが、徐々に劣化していく。
    追い打ちをかけたのがフランス革命で、宮殿は破壊と略奪に遭ってしまった。

  • 過越しの子羊で装飾されたキーストーン、14世紀<br />幻想的なガーゴイル、14世紀<br />

    過越しの子羊で装飾されたキーストーン、14世紀
    幻想的なガーゴイル、14世紀

  • 14世紀または15世紀の扉、多彩色の痕跡が残る木製。<br />フレスコは戴冠の様子でしょうか。

    14世紀または15世紀の扉、多彩色の痕跡が残る木製。
    フレスコは戴冠の様子でしょうか。

  • 副総督衛兵のスイス衛兵衣装。キャプションより。<br />「1506年にローマで創設されたスイス衛兵は、1573年からアヴィニョン教皇庁の兵士に取って代わりました。副総督のすべての旅に同行しました。<br />スイス衛兵は既に現在のバチカン衛兵の制服を着用しており、その制作はミケランジェロ、あるいはラファエロの作とされることもあります。<br />アヴィニョン・スイス衛兵隊は1790年に廃止されました。この衣装は、カルヴェ美術館に保存されている18世紀のオリジナルの複製です。」

    副総督衛兵のスイス衛兵衣装。キャプションより。
    「1506年にローマで創設されたスイス衛兵は、1573年からアヴィニョン教皇庁の兵士に取って代わりました。副総督のすべての旅に同行しました。
    スイス衛兵は既に現在のバチカン衛兵の制服を着用しており、その制作はミケランジェロ、あるいはラファエロの作とされることもあります。
    アヴィニョン・スイス衛兵隊は1790年に廃止されました。この衣装は、カルヴェ美術館に保存されている18世紀のオリジナルの複製です。」

  • クレメンス5世、ヨハネ22世、ベネディクトス12世、クレメンス6世など<br />アヴィニヨン捕囚の教皇たちのパネルが展示されていた。

    クレメンス5世、ヨハネ22世、ベネディクトス12世、クレメンス6世など
    アヴィニヨン捕囚の教皇たちのパネルが展示されていた。

  • 今年の展示は、アーティスト、オトニエルによる「コスモスあるいは愛の亡霊」とのこと。<br />大きなビーズ?のようなもので飾られていた。<br />

    今年の展示は、アーティスト、オトニエルによる「コスモスあるいは愛の亡霊」とのこと。
    大きなビーズ?のようなもので飾られていた。

  • 教皇宮殿のポンティフィカ庭園。

    教皇宮殿のポンティフィカ庭園。

  • 階段を上がって。

    階段を上がって。

  • ポンティフィカ庭園がよく見える。

    ポンティフィカ庭園がよく見える。

  • 要塞のような建築。

    要塞のような建築。

  • 中庭にもアーティスト、オトニエルの作品。

    中庭にもアーティスト、オトニエルの作品。

  • フランス革命などで内部はガラガラだから、アート展示にはピッタリかも。

    フランス革命などで内部はガラガラだから、アート展示にはピッタリかも。

  • コスモス的な?

    コスモス的な?

  • 床にタイルの展示もあった。

    床にタイルの展示もあった。

  • ほっこりした柄。

    ほっこりした柄。

  • 絵葉書から。<br />撮影禁止のフレスコ画が素晴らしい部屋。

    絵葉書から。
    撮影禁止のフレスコ画が素晴らしい部屋。

  • 絵葉書から。<br />書斎は鹿狩りの様子などが描かれた見事なフレスコ画に覆われていることから、「鹿の間」の名でも呼ばれている。

    絵葉書から。
    書斎は鹿狩りの様子などが描かれた見事なフレスコ画に覆われていることから、「鹿の間」の名でも呼ばれている。

  • かつての墓所でしょうか。

    かつての墓所でしょうか。

  • 彩色が少し残っている。

    彩色が少し残っている。

  • アートな空間。

    アートな空間。

  • ブルーのネックレスみたいで綺麗。<br />ペトラルカのカンツォニエーレに触発されたジャン=ミシェル・オトニエルは、ユーモアのある詩的で抽象的なコレクションを提示しているとのこと。<br />ちょうどエクサン・プロヴァンスから現地ツアーでペトラルカが、カンツォニエーレを創作したフォンテーヌ・ド・ボークリューズを訪れた。

    ブルーのネックレスみたいで綺麗。
    ペトラルカのカンツォニエーレに触発されたジャン=ミシェル・オトニエルは、ユーモアのある詩的で抽象的なコレクションを提示しているとのこと。
    ちょうどエクサン・プロヴァンスから現地ツアーでペトラルカが、カンツォニエーレを創作したフォンテーヌ・ド・ボークリューズを訪れた。

  • 大礼拝堂。<br />今年の展示、アーティスト、オトニエルによる「コスモスあるいは愛の亡霊」<br />のメイン会場なのかな。

    大礼拝堂。
    今年の展示、アーティスト、オトニエルによる「コスモスあるいは愛の亡霊」
    のメイン会場なのかな。

  • 大礼拝堂のポルタ。装飾がほとんど壊れているけど。

    大礼拝堂のポルタ。装飾がほとんど壊れているけど。

  • 屋上部へ。

    屋上部へ。

  • ローヌ川が見える。

    ローヌ川が見える。

  • 観覧車もあるんだね。

    観覧車もあるんだね。

  • 穏やかなプロヴァンスの景色。

    穏やかなプロヴァンスの景色。

  • ノートルダム・デ・ドン大聖堂には、結局行き損ねた。

    ノートルダム・デ・ドン大聖堂には、結局行き損ねた。

  • ミュージアムショップ。何も買わなかったけど。

    ミュージアムショップ。何も買わなかったけど。

  • 実のところ、猛暑のこの日、巨大な教皇庁宮殿内はクーラーがあるわけでなく、室内とはいえ、とても暑かった。

    実のところ、猛暑のこの日、巨大な教皇庁宮殿内はクーラーがあるわけでなく、室内とはいえ、とても暑かった。

  • プティ・パレ美術館へ。<br />歴史地区の端に佇むプティ・パレは、14世紀前半に枢機卿が滞在するための住居として建てられた。そのすぐ後にローマ教皇ベネディクトゥス12世が購入し、アヴィニョン司教が居住するための館として整備された。教皇のための宮殿との対比の中で、「小さな宮殿」を意味する現在の名称で呼ばれるようになった。

    プティ・パレ美術館へ。
    歴史地区の端に佇むプティ・パレは、14世紀前半に枢機卿が滞在するための住居として建てられた。そのすぐ後にローマ教皇ベネディクトゥス12世が購入し、アヴィニョン司教が居住するための館として整備された。教皇のための宮殿との対比の中で、「小さな宮殿」を意味する現在の名称で呼ばれるようになった。

    プチ パレ美術館 (アヴィニヨン) 博物館・美術館・ギャラリー

  • 大天使サン・ミッシェル(伊ではミカエル)がお出迎え。<br /><br />プティ・パレは1335年にローマ教皇が邸宅として購入したが、放置され、 15世紀に改修された。その後、要人(1498年にはチェーザレ・ボルジア、1533年にはフランソワ1世、1660年にはオルレアン公爵など)の住居として使用された。<br /><br />わぉ推しのチェーザレ・ボルジアが住んだとは・・・

    大天使サン・ミッシェル(伊ではミカエル)がお出迎え。

    プティ・パレは1335年にローマ教皇が邸宅として購入したが、放置され、 15世紀に改修された。その後、要人(1498年にはチェーザレ・ボルジア、1533年にはフランソワ1世、1660年にはオルレアン公爵など)の住居として使用された。

    わぉ推しのチェーザレ・ボルジアが住んだとは・・・

  • 受胎告知、ヨセフの夢。12世紀半ば。アヴィニヨン、サン=リュル修道院。<br /><br />訪問。16世紀半ば。アヴィニヨン、サン=リュル修道院。

    受胎告知、ヨセフの夢。12世紀半ば。アヴィニヨン、サン=リュル修道院。

    訪問。16世紀半ば。アヴィニヨン、サン=リュル修道院。

  • 絡み合った葉模様で装飾された二重柱頭を持つ双柱。12世紀。<br />サン・シフラン大聖堂回廊。

    絡み合った葉模様で装飾された二重柱頭を持つ双柱。12世紀。
    サン・シフラン大聖堂回廊。

  • 美しい装飾の柱頭。

    美しい装飾の柱頭。

  • まさかここでロマネスクの柱頭を見れるとは思わなかった☆

    まさかここでロマネスクの柱頭を見れるとは思わなかった☆

  • 礼拝室だったのかな、鮮やかな天井。<br /><br />そしてイタリア中世絵画が結構、収蔵されていた。<br />気になったものを少し撮ってきた。

    礼拝室だったのかな、鮮やかな天井。

    そしてイタリア中世絵画が結構、収蔵されていた。
    気になったものを少し撮ってきた。

  • 1310年の巨匠として知られる匿名の画家(14世紀前半にピストイアで活躍)<br />キャプションより。<br />「14世紀初頭にピストイアで活躍した「1310年の巨匠」(この「威厳の聖母」にちなんで名付けられた)は、トレチェント絵画における独自のアプローチを体現しています。チマブーエの影響を受け、ビザンティン美術から荘厳な人物像を継承しながら、この作品に新たな繊細さをもたらしました。<br /><br />チマブーエの主要な弟子であるジョットの写実主義とは対照的に、彼は量感よりも表現力を重視し、ほっそりとした、ほとんど抽象的な形態を特徴としています。<br />主要都市の周縁に位置するトスカーナ地方の証であるこの傑作は、前世紀の伝統に忠実な極めて個人的な表現主義とゴシック様式の優雅さを、分類不能な様式で融合させています。この叙情的で独特な感性によって、彼はジョット派の重要人物となりました。この運動は、新しい発展を無視することなく、支配的な自然主義に抵抗しました。」

    1310年の巨匠として知られる匿名の画家(14世紀前半にピストイアで活躍)
    キャプションより。
    「14世紀初頭にピストイアで活躍した「1310年の巨匠」(この「威厳の聖母」にちなんで名付けられた)は、トレチェント絵画における独自のアプローチを体現しています。チマブーエの影響を受け、ビザンティン美術から荘厳な人物像を継承しながら、この作品に新たな繊細さをもたらしました。

    チマブーエの主要な弟子であるジョットの写実主義とは対照的に、彼は量感よりも表現力を重視し、ほっそりとした、ほとんど抽象的な形態を特徴としています。
    主要都市の周縁に位置するトスカーナ地方の証であるこの傑作は、前世紀の伝統に忠実な極めて個人的な表現主義とゴシック様式の優雅さを、分類不能な様式で融合させています。この叙情的で独特な感性によって、彼はジョット派の重要人物となりました。この運動は、新しい発展を無視することなく、支配的な自然主義に抵抗しました。」

  • ニコロ・ディ・トンマーゾ<br />ピストイアとフィレンツェで活動、1346年から1376年の間に知られる。<br />三連祭壇画

    ニコロ・ディ・トンマーゾ
    ピストイアとフィレンツェで活動、1346年から1376年の間に知られる。
    三連祭壇画

  • プッチオ・ディ・シモーネ作 フィレンツェ(1345年から1365年まで活動)<br />三連祭壇画

    プッチオ・ディ・シモーネ作 フィレンツェ(1345年から1365年まで活動)
    三連祭壇画

  • アレグレット・ヌーツィ(1315年頃-1373年)<br />キャプションより。<br />「6つのアナエスを持つマエスタの聖母、1365-1370年。<br />このパネルは19世紀にジャンピエトロ・カンパーナ侯爵(1809-1880)によってチマブーエの作品として購入され、侯爵の絵画コレクションの大部分は現在プティ・パレに所蔵されています。<br /><br />侯爵のコレクションのカタログには、この作品はチマブーエの作品とされる別の作品(第5室所蔵の「聖クリストフォロスと幼子イエス」)と並んで記載されていますが、この作品はチマブーエの死後50年以上経ってから制作されたものです。<br />聖母マリアの玉座の背面を覆う、亀とオウムの模様をあしらった豪華な錦織は、チマブーエが観察していた13世紀にイタリアとスペインで制作された数々の貴重な織物と共鳴しており、それらは14世紀半ばのフィレンツェの工房に今も見受けられます。」

    アレグレット・ヌーツィ(1315年頃-1373年)
    キャプションより。
    「6つのアナエスを持つマエスタの聖母、1365-1370年。
    このパネルは19世紀にジャンピエトロ・カンパーナ侯爵(1809-1880)によってチマブーエの作品として購入され、侯爵の絵画コレクションの大部分は現在プティ・パレに所蔵されています。

    侯爵のコレクションのカタログには、この作品はチマブーエの作品とされる別の作品(第5室所蔵の「聖クリストフォロスと幼子イエス」)と並んで記載されていますが、この作品はチマブーエの死後50年以上経ってから制作されたものです。
    聖母マリアの玉座の背面を覆う、亀とオウムの模様をあしらった豪華な錦織は、チマブーエが観察していた13世紀にイタリアとスペインで制作された数々の貴重な織物と共鳴しており、それらは14世紀半ばのフィレンツェの工房に今も見受けられます。」

  • マグダレーナの巨匠(1260年から1300年までフィレンツェで活動)の工房<br />キャプションより。<br />「最後の晩餐 1280年頃。<br />このパネルは、13世紀末にフィレンツェで活動したマグダレーナの巨匠の工房で1280年頃に制作された、希少な作品です。<br />15世紀後半に大部分が再制作されましたが、オリジナルの顔立ちはそのまま残っています。キリストと使徒たちの顔立ち、荘厳な表情、そして人物たちの正面からの階層構造は、チマブーエの影響を如実に示しており、ビザンチン絵画の面影を今なお残しています。<br />この作品は東洋の図式に忠実な構成を維持しているが、同時代の作品や後の『キリストの嘲笑』でチマブーエが採用した手法ほど自然主義的ではないにもかかわらず、チマブーエが開発した斬新さを反映した空間効果がすでに導入されている。」

    マグダレーナの巨匠(1260年から1300年までフィレンツェで活動)の工房
    キャプションより。
    「最後の晩餐 1280年頃。
    このパネルは、13世紀末にフィレンツェで活動したマグダレーナの巨匠の工房で1280年頃に制作された、希少な作品です。
    15世紀後半に大部分が再制作されましたが、オリジナルの顔立ちはそのまま残っています。キリストと使徒たちの顔立ち、荘厳な表情、そして人物たちの正面からの階層構造は、チマブーエの影響を如実に示しており、ビザンチン絵画の面影を今なお残しています。
    この作品は東洋の図式に忠実な構成を維持しているが、同時代の作品や後の『キリストの嘲笑』でチマブーエが採用した手法ほど自然主義的ではないにもかかわらず、チマブーエが開発した斬新さを反映した空間効果がすでに導入されている。」

  • フィレンツェのマリオット・ディ・ナルド。1393年から知られる。1424年に没。<br />「謙遜の聖母子と四人の聖人と三人の音楽天使」

    フィレンツェのマリオット・ディ・ナルド。1393年から知られる。1424年に没。
    「謙遜の聖母子と四人の聖人と三人の音楽天使」

  • ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ 1368年よりフィレンツェで知られ、1415年に没。<br />『謙遜の聖母』

    ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ 1368年よりフィレンツェで知られ、1415年に没。
    『謙遜の聖母』

  • ナルニの巨匠<br />15世紀初頭、ナルニとテルニ(ラツィオ州)で活躍。<br />聖母子像

    ナルニの巨匠
    15世紀初頭、ナルニとテルニ(ラツィオ州)で活躍。
    聖母子像

  • ジョヴァンニ・ディ・パオロ(ダ・グラツィア)<br />シエナ。 1417 年から知られ、1482 年に死亡。<br />キリスト降誕<br />聖アンサノと聖ガルガノか?

    ジョヴァンニ・ディ・パオロ(ダ・グラツィア)
    シエナ。 1417 年から知られ、1482 年に死亡。
    キリスト降誕
    聖アンサノと聖ガルガノか?

  • バルトロメオ・カポラーリ(バルトロメオ・ディ・セーニョーロ・ディ・ジョヴァンニ)<br />ペルージャ。 1442 年から知られている。1505 年より前に死亡。<br />受胎告知

    バルトロメオ・カポラーリ(バルトロメオ・ディ・セーニョーロ・ディ・ジョヴァンニ)
    ペルージャ。 1442 年から知られている。1505 年より前に死亡。
    受胎告知

  • ボッティチェリ工房、フィレンツェ、1445年作、1510年没。<br />聖母子と幼子洗礼者ヨハネ

    ボッティチェリ工房、フィレンツェ、1445年作、1510年没。
    聖母子と幼子洗礼者ヨハネ

  • ボッティチェリ工房、フィレンツェ、1445年作、1510年没。<br />聖母子と天使たち

    ボッティチェリ工房、フィレンツェ、1445年作、1510年没。
    聖母子と天使たち

  • サンドロ・ボッティチェリ(サンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・フィリペピ)<br />フィレンツェ、1445年作、1510年没。<br />聖母子像

    サンドロ・ボッティチェリ(サンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・フィリペピ)
    フィレンツェ、1445年作、1510年没。
    聖母子像

  • ボッティチェリとフィレンツェの工房、1445年 1510年没。<br />ヴィーナスと3人のプットー

    ボッティチェリとフィレンツェの工房、1445年 1510年没。
    ヴィーナスと3人のプットー

  • バルトロメオ・デッラ・ガッタ(あるいはマッテオ・ラッポリ?)作とされる<br />フィレンツェ、1448年 アレッツォ、1502年。<br />受胎告知

    バルトロメオ・デッラ・ガッタ(あるいはマッテオ・ラッポリ?)作とされる
    フィレンツェ、1448年 アレッツォ、1502年。
    受胎告知

  • フランチェスコ・ボッティチーニの工房、フィレンツェ、1446年。1498年没。<br />天使と共に幼子を礼拝する聖母

    フランチェスコ・ボッティチーニの工房、フィレンツェ、1446年。1498年没。
    天使と共に幼子を礼拝する聖母

  • ルカ・ディ・パオロ (ディ・ニコロ・ディ・パオルッチョ)<br />マテリカ(マルケ州)。 1470 年から知られている。1493 年以前に死亡。<br />聖ヒエロニムスと聖フランシスコの間のケルビムの栄光に包まれた聖母子

    ルカ・ディ・パオロ (ディ・ニコロ・ディ・パオルッチョ)
    マテリカ(マルケ州)。 1470 年から知られている。1493 年以前に死亡。
    聖ヒエロニムスと聖フランシスコの間のケルビムの栄光に包まれた聖母子

  • ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴィットリオ)<br />ヴェネツィア、1440~1445年。 1501~1502年に死去。<br />リミニの聖ジュリアン (?)<br /><br />好きな作家、まさかアヴィニヨンで見れるとは思わなかった。

    ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴィットリオ)
    ヴェネツィア、1440~1445年。 1501~1502年に死去。
    リミニの聖ジュリアン (?)

    好きな作家、まさかアヴィニヨンで見れるとは思わなかった。

  • ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴィットリオ)作 ヴェネツィア、1440-1445年<br />1501-1502年に没。<br />二人の天使の間に座る聖母子像

    ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴィットリオ)作 ヴェネツィア、1440-1445年
    1501-1502年に没。
    二人の天使の間に座る聖母子像

  • ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴィットリオ)<br />ヴェネツィア、1440-1445年。1501-1502年に没。<br />二人の音楽天使像の間にいる聖母マリアの幼子崇拝<br /><br />美しいクリヴェッリが見れて幸せ。

    イチオシ

    ヴィットーレ・クリヴェッリ(ヴィットリオ)
    ヴェネツィア、1440-1445年。1501-1502年に没。
    二人の音楽天使像の間にいる聖母マリアの幼子崇拝

    美しいクリヴェッリが見れて幸せ。

  • 宮殿の中庭でひと休み。

    宮殿の中庭でひと休み。

  • 美術館は涼しかったけど、外は猛暑。<br />ミストシャワーが設置されていた。

    美術館は涼しかったけど、外は猛暑。
    ミストシャワーが設置されていた。

  • 午前中にレセプションで伺って、15時からティータイムがあるということで、やって来た。<br />Hôtel La Mirande

    午前中にレセプションで伺って、15時からティータイムがあるということで、やって来た。
    Hôtel La Mirande

    ラ ミランド ホテル

  • シャンデリアが豪華なラウンジ。

    シャンデリアが豪華なラウンジ。

  • お好きな席にどうぞとのことで中へ。

    お好きな席にどうぞとのことで中へ。

  • 贅沢な雰囲気。このサロンにしようかな。

    贅沢な雰囲気。このサロンにしようかな。

  • 泊まれないけど、アフタヌーンティーなら出来るもんね。

    泊まれないけど、アフタヌーンティーなら出来るもんね。

  • やはりこちらのパティオの席にしましょう。

    やはりこちらのパティオの席にしましょう。

  • 自家製ペストリー、タルト、シュークリームなど好きなものを選びます。

    自家製ペストリー、タルト、シュークリームなど好きなものを選びます。

  • サヴァランとジュースをいただいた。<br />確か飲み物とセットで14ユーロでした。

    サヴァランとジュースをいただいた。
    確か飲み物とセットで14ユーロでした。

  • もともと14世紀に建てられた建物で、17世紀には枢機卿の邸宅でもあった歴史あるホテル。

    もともと14世紀に建てられた建物で、17世紀には枢機卿の邸宅でもあった歴史あるホテル。

  • 植栽が眺められるのテラス席もあるよう。

    植栽が眺められるのテラス席もあるよう。

  • 優雅なひとときでした。

    優雅なひとときでした。

  • アヴィニヨン歌劇場。

    アヴィニヨン歌劇場。

  • フランスの街で良く見かけるメリーゴーランド。

    フランスの街で良く見かけるメリーゴーランド。

  • お洒落なアイアンフェンス。

    お洒落なアイアンフェンス。

  • メインストリートに豪華な館が並ぶ。

    メインストリートに豪華な館が並ぶ。

  • もと教会がギャラリーに。

    もと教会がギャラリーに。

  • 翌日の遠足のため、バスターミナルに行って確認。

    翌日の遠足のため、バスターミナルに行って確認。

  • セント・マーシャル・スペース.<br />片側に観光案内所、もう一方にプロテスタント寺院が建つエスパス・サン・マルシャルは、歴史が深く染み付いた場所とのこと。<br />サン・マルティアル寺院の跡地には、かつてマヨルカ王の宮殿が建っていた。<br />ナポリ王妃でありプロヴァンス伯爵夫人でもあったアンジューのジョアンナ1世が住んでいた。<br />何世紀にもわたって、この建物は修道院、教会、修道院、寺院へと変遷し、2007年からはアヴィニョン音楽祭の期間中、劇場としても利用されているそう。

    セント・マーシャル・スペース.
    片側に観光案内所、もう一方にプロテスタント寺院が建つエスパス・サン・マルシャルは、歴史が深く染み付いた場所とのこと。
    サン・マルティアル寺院の跡地には、かつてマヨルカ王の宮殿が建っていた。
    ナポリ王妃でありプロヴァンス伯爵夫人でもあったアンジューのジョアンナ1世が住んでいた。
    何世紀にもわたって、この建物は修道院、教会、修道院、寺院へと変遷し、2007年からはアヴィニョン音楽祭の期間中、劇場としても利用されているそう。

  • サン・マルシャル修道院の遺跡。<br /><br />ここに「Via  Avenio」という帆立貝の絵がついたプレートがあった。<br />調べてみると、ヴィア・アヴェニオ、つまりアヴェニオ通りは、ローマとコンポステーラを結ぶ交差点に位置しており、アヴェニオ通りはアヴィニョンを二つの主要な出発点としているということのよう。<br />

    サン・マルシャル修道院の遺跡。

    ここに「Via Avenio」という帆立貝の絵がついたプレートがあった。
    調べてみると、ヴィア・アヴェニオ、つまりアヴェニオ通りは、ローマとコンポステーラを結ぶ交差点に位置しており、アヴェニオ通りはアヴィニョンを二つの主要な出発点としているということのよう。

  • 公園のようなスペースは市民の憩いの場となっているようだった。<br />この日も18,000歩散歩してお疲れ気味、20時から外食する気になれず、テイクアウトで食材を購入した。

    公園のようなスペースは市民の憩いの場となっているようだった。
    この日も18,000歩散歩してお疲れ気味、20時から外食する気になれず、テイクアウトで食材を購入した。

  • ただいま。お館B&amp;Bに帰ってきた。

    ただいま。お館B&Bに帰ってきた。

  • 中庭があるよう。<br />

    中庭があるよう。

  • でも部屋が落ち着く。

    でも部屋が落ち着く。

  • マジックアワーにちょこっと撮影。

    マジックアワーにちょこっと撮影。

  • 美しい教皇庁の夜景。

    美しい教皇庁の夜景。

  • 旧市街で近いのですぐに戻って。

    旧市街で近いのですぐに戻って。

  • 壁紙が素敵なお部屋ですね。<br />明日は、ユゼスに遠足に行きます。

    壁紙が素敵なお部屋ですね。
    明日は、ユゼスに遠足に行きます。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • mistralさん 2025/09/06 15:27:15
    アビニョン
    マリアンヌさん

    こんにちは。
    アビニョン、懐かしく拝見しました。
    調べてみたら2013年の旅でした。
    その折には、念願かなってHotel la Mirandeに宿泊しました。
    マリアンヌさんもそこでお茶をされたんですね。
    入り口などは目立たない佇まいでしたが、内部はさすがでした。

    Petit Palais 美術館、これまで2度、入れずにいます。
    ほとんど諦めていますが、今回マリアンヌさんの旅行記で拝見できました。
    クリヴェッリの絵画などが揃っていて見応えがありそうですね。
    ツアーで行ったおり、ガイドさんからチェーザレ・ボルジアがしばらく
    滞在していたと聞いて、ますますその後に行ってみたかったのでした。

    今回のマリアンヌさんの旅は、懐かしい地、行ってみたかった地ばかりで
    うずうずしてきています。

    mistral

    マリアンヌ

    マリアンヌさん からの返信 2025/09/06 22:01:28
    RE: アビニョン
    mistralさん こんばんは。

    2013年の旅を拝見しました。
    豪華ホテルのHotel la Mirandeに宿泊されたのですね。素敵なお部屋、羨ましいです。
    私はお茶がやっとです。
    まぁ素敵なラウンジの写真撮らせていただけたので良かったですけど(汗)

    Petit Palais 美術館、入れなかったのですね。
    私は旅程のバス調べなどを最後までしていて、美術館について全く予見なしで訪れました。
    思いの外、ロマネスクの柱頭も少しあり、ルーブルとの関係上か良質なイタリア絵画を多く見ることができました。ボッティチェリの聖母子は、ミラノのポルディ・ペッツォーリのほうが好きすが、クリヴェッリを見れてラッキーでした。

    チェーザレ・ボルジアがしばらく滞在していたとは!萌えです☆
    改めて調べて加筆させていただきました。

    私はmistralさんの行かれたフランス各地は、まだまだ未踏地が多くて優先順位に悩みます。
    よろしければまた覗いてみてくださいね。
    そうそうウサワンはもうすぐですか?私も楽しみです。

    マリアンヌ
  • salsaladyさん 2025/09/05 08:23:46
    ローマ法王庁(教皇)。。。サン。ヴぇネゼ橋。。。
    ☆あまりに懐かしいプロヴァンス地方! アヴィニヨンの橋~マリアンヌさんは子供の頃唄いませんでしたか?”しゅらぽんdぅあヴィ二ヨンオニドンセ。。。あの橋の上で踊りたいと想って行ったけれど、直前にブーツの足をひねって何もできずに法王庁の前のオープン喫茶でギャルソンとお互いへたくそな英会話をした記憶!でも楽しかったなあ~

    ☆旅を続けていると、こんなローカルな一日が一番記憶に残る(マリアンヌさんは毎日が記憶に残る素晴らしいB&B とオーナーとの思い出。。。素敵だわ!

    マリアンヌ

    マリアンヌさん からの返信 2025/09/05 14:14:41
    RE: ローマ法王庁(教皇)。。。サン。ヴぇネゼ橋。。。
    ☆あまりに懐かしいプロヴァンス地方! アヴィニヨンの橋~マリアンヌさんは子供の頃唄いませんでしたか?”しゅらぽんdぅあヴィ二ヨンオニドンセ。。。あの橋の上で踊りたいと想って行ったけれど、直前にブーツの足をひねって何もできずに法王庁の前のオープン喫茶でギャルソンとお互いへたくそな英会話をした記憶!でも楽しかったなあ~

     →プロヴァンス行かれたのですね。あはは、私も25年ぶりです。
      私は日本語で「アヴィニヨンの橋でおどるよ、おどるよ」でした(笑)
      行かれた時にブーツの足をひねられたのですか?
      でもギャルソンと英会話とは流石です!

    ☆旅を続けていると、こんなローカルな一日が一番記憶に残る(マリアンヌさんは毎日が記憶に残る素晴らしいB&B とオーナーとの思い出。。。素敵だわ!

     →そう、ローカルな何気ない思い出が記憶に残って、それが旅の醍醐味のような・・・ 
      いつまで出来るか一人旅、日々のアクシデントを乗り越えれるかです(汗)
    マリアンヌ       

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