2025/06/10 - 2025/07/07
13位(同エリア63件中)
マリアンヌさん
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モンペリエを出発してローマ時代の薫りが残るニームを訪れました。
保存状態の良い遺跡が多く、まるでイタリアに来ているような錯覚を覚えました。
6/10 羽田発イスタンブール経由
6/11 トゥールーズ着
6/12 モワサック修道院、モンパズィエ
6/13 ミランド城、マルケイサック、べナック=エ=カズナック、
サルラ=ラ=カネダ、
6/14 ヴィトラック、スイヤック、ロカマドゥール、ドンム、
ラ・ロック=ガジャック
6/15 コロンジュ=ラ=ルージュ、カルンナック、コンク
6/16 コルド=シュル=シェル
6/17 アルビ、トゥールーズ
6/18 カルカッソンヌ
6/19 コリウール、ペルピニャン
6/20 サン=マルタン・デュ・カニグー修道院、カベタスタニー
6/21 サン=ギレム=ル=デゼール、モンペリエ
6/22 モンペリエ
6/23 ニーム
6/24 アルル
6/25 サント=マリー=ド=ラ=メール、カマルグ
6/26 アヴィニョン
6/27 ユゼス、アヴィニョン
6/28,29リル=シュル=ラ=ソルギュ
6/30 ルシヨン
7/1 エクサン・プロヴァンス
7/2 ヴァロンソル、ムスティエ=サント=マリー、サン=クロワ湖
7/3 ルールマラン、ゴルド、ルシヨン、フォンテーヌ=ド=ボークリューズ
7/4 シルヴァカンヌ、エクサン・プロバンス
7/5 マルセイユ
7/6,7マルセイユ発イスタンブール経由羽田着
*参考図書「フランス・ロマネスクへの旅」
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モンペリエ2泊目の朝、朝食を前日は外の席でいただいたので、この日は中のお席で。ペールグリーンが素敵なお部屋。
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プレーンな軽めの朝食をオーダー。
フランスは本当にバゲットが美味しい。 -
トラムで駅まで行き電車に乗った。
モンペリエ発9:06
ニーム着9:38 -
ニーム駅から真っ直ぐに伸びたプラタナスの道。
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荷物を引いて歩くこと15分ほど。
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ホテルに到着。
Hôtel Marquis de la Baume -
シャンデリアがいい感じ。
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そしてこの吹き抜け、一目惚れして予約した(笑)
荷物を預けてandiamo! -
ホテル界隈は旧市街、観光ポイントが近い。
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カテドラルは、この時間は閉まっていて先へ進みます。
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かなり古そうな建物。
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イオニア式の柱、リノベーションして使っているのかな。
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教会前広場のカフェは朝食を食べている方が多かった。
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落ちつた佇まいの旧市街。
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ニームには、メゾン・ド・カレ、円形闘技場、ディアナの神殿、古代ローマ博物館に展示されている貴族の邸宅のモザイク画など、ローマ帝国時代の史跡が良好な形で残っており、「フランスの小ローマ」と称されるているそう。
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メゾン・ド・カレが見えてきた。
「この神殿は1世紀に建立、4世紀にキリスト教の教会に転用され、ローマが国教をキリスト教と定めた後に異教の神殿などが破壊された際にも破壊を免れた。
その後、会議場などに使われ、フランス革命期には政府所有の馬のための馬小屋となり、さらに市の公文書保管庫とされた。1823年以降は美術館となった。そのフランス語の名称は古語 carré long に由来し、「長方形」を意味しており、この建物の外形を指している。」(Wikiより)メゾン カレ 史跡・遺跡
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フランス南西部オクシタニー地方のニームの歴史は紀元前8世紀頃にさかのぼる。
「ローマの平和」と呼ばれるパクス・ロマーナ時代を開いた皇帝アウグストゥスの治世には、古代ローマ帝国の主要都市として約6万人が住んでいたといわれるそう。 -
新たに世界遺産に登録された神殿メゾン・ド・カレは、1世紀に建てられたパクス・ロマーナ時代の代表的な建築。
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ローマのパンテオンに次ぐ保存状態の良さとのこと。
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屋根が庇のように長く突き出したポルティコ(ポーチ)。
ローマのパンテオンを思い出すような天井。 -
コリント式の柱。
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上を見上げるとこんな感じのエントランス。
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細かい意匠。
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1世紀に造られたローマの確かな技術。
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<皇帝崇拝>
紀元前31年、アクティウムの戦いでの勝利後、オクタヴィアヌスはアウグストゥスの名誉称号を授けられた。これは、彼が神々に選ばれ、守護された摂理的な人物であることを示すためのものだった。
<アクティウムの海戦>
前31年、アントニウス、クレオパトラ連合軍がオクタウィアヌスに敗れた海戦。 -
彼の死後、元老院は彼を聖化することを決議し、divus(神格)とした。この瞬間から、現代の歴史家が「皇帝崇拝」と呼ぶものが始まった。これは、生前、皇帝と皇族に捧げられた栄誉と、死後に神格化された人々を崇拝するものだった。
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メゾン・カレは現存する数少ないローマ時代の神殿の一つで、紀元前1世紀末から紀元後2世紀初頭にかけて建てられた。
この神殿は、アウグストゥスの孫であり、ニームの守護者であり、アグリッパの息子である夭折したガイウスとルキウスに捧げられているそう。
「青年の王子たち」という称号は、彼らをゼウスとユピテルの双子カストルとポルックスになぞらえているそう。
内部はこんな感じ、円形闘技場とセット券14.5ユーロ。 -
左から
ルキウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌス、紀元前1世紀の彫刻された頭部の現代版複製/ローマ、アラ・パキス博物館
ガイウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌス、紀元前1世紀の彫刻された頭部の現代版複製/ローマ、アラ・パキス博物館
ローマの将軍であり政治家でもあったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパ/パリ、ルーブル美術館。 -
セギエ修復における柱頭。キャプションより。
「この柱頭は、1778年から1781年にかけてニームの学者ジャン=フランソワ・セギエによって行われたメゾン・カレの修復作業で得られたものです。
この装飾はローマ・コリント式様式に属していることを示しており、そのバランスとアカンサスの葉の自然主義的な表現がここに見られます。
この柱頭の重要な断片は18世紀に石膏で作られ、失われた装飾を補うために作られました。2006年から2010年にかけて行われた建造物の完全修復中に撤去され、元の石材に追加されたレンズ石によって完全に置き換えられました。」 -
復元図が展示されていた。
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唐草模様のフリーズなど美しい。
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ニームは、近世、繊維産業が発展し、ジーンズの生地で知られる「デニム(de Nîmes)」発祥の地という顔も持つとか。えー!どういう意味?と思ったら。
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17世紀、ニームは絹の織物業が盛んになり、Serge de Nimes(セルジュドゥニーム)と呼ばれていた。その後、綿織物へと遷移し、丈夫な生地が作られるようになった。
18世紀には、イタリアのジェノバを中心とし、このセルジュドゥニーム(ニームの織物)が海外へ輸出されていった。その中で、インディゴ染めされたセルジュドゥニームが、新大陸アメリカへ渡り、時を経て、19世紀に、あのリーバイ・ストラウス氏の手元に行き、遂にリーバイスが歴史の表舞台に現れたのだそう。
ジーンズってリーバイスからだと思ってたけどイタリアジェノバ由来だそう。
ジーンズはデニム生地を使用したズボン、ジーンズって呼ばれる前は「ジェノイーズ」って名前だったそうで、イタリアの貿易都市ジェノバの船乗り達が穿いていたズボンを総称してる言葉で「ジェノバの人の◯◯」って意味とのこと。 -
ヴィクトル・ユゴー通りは、プラタナスの木陰にカフェやレストランが並ぶ。
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サン・ポール教会。
1835年既存の構造は「信者にとって危険」であると見なされるまでに劣化し、新しい教会を建設した。全国規模のコンペが開催され、勝利した設計は、パリの建築家でありヴェルサイユ宮殿の管理者であるシャルル=オーギュスト・クエステルによるもので、12世紀のスタイルに触発され、ロマネスクとビザンチンの影響を融合させている。 -
ロマネスクとビザンチンの影響を受けたファサード。
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ロマネスク風ティンパヌム。
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側面のティンパヌム。
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3身廊。
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主祭壇。イポリット・フラントランによるフレスコ画とのこと。
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青い天井。
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サン・ミカエルやピエタ。
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薔薇窓。
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聖母子のステンドグラス。
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イチオシ
ローマ時代の円形闘技場。
円形闘技場 史跡・遺跡
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保存状態の良いほぼ完璧な姿。
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2000年前に建てられたとは思えない美しいアーチの造形。
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階段を上って。
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ローマ帝国の闘技場の中では中規模だそうで収容人数は20000人ほど。
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黒ずんだ岩が経年を感じさせる。
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アーチがしっかり残っている。
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この日も猛暑、客席にいると焦げてしまいそうに暑い。
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人の流れを緩和するように考えて作られている通路。
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空が見える、あと少し上へ。
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一番上まで上った。
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きれいに楕円の客席がつくられている。夏場はコンサートが行われるそう。
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通路を自由にまわることが出来る。
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剣闘士の紹介パネルが数枚、展示されていた。
<アルベラス>
「ハサミは、半月型の袖を持つ剣闘士の剣です。ギリシア語の「arbelos」は靴屋のナイフを意味するため、アルベラスとも呼ばれます。この言葉の方が適切です。実際、このハサミは、一部の剣闘士の袖に付いている半月型の袖と同じ形をしています。
ハサミは「arbelas」とも呼ばれますが、これは靴屋のナイフを意味することから、より適切な言葉です。一部の剣闘士の袖に付いている半月型の袖と同じ形をしています。」
<よく訓練された者は、臆病にも攻撃を避けるよりも、攻撃を受けることを好む!> キケロ -
<挑発者>
「剣闘士は、もし我々が彼を彼らより弱い者と戦わせれば、自らの名誉を傷つけられると信じている。彼らは、我々が危険を冒さずに戦っても栄光を得られないことを知っているのだ。
挑発者は湾曲した盾、左足が膝まで見えるすね当て、そして冠のない兜を装備していた。短剣を携え、彼の基本的な武器は盾であり、時には敵を攻撃するために用いられた。彼は共和政末期に登場した。挑発者は確かに、初期の剣闘士のほとんどが通った基本的な武器であった。」 -
数年前ヴェローナを訪れた折はアレーナには入らなかったし、大昔、ローマのコロッセオに行った以来の闘技場だった。
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円形闘技場周りのカフェ、パリっぽい。
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この歴史的建造物は、アルフォンス・ドーデ高等学校らしい。
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暑さしのぎもかねて考古学博物館(Museum Romanité)へ。
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画面を撮ったのでおそらく・・
フォカイア人の植民と地中海貿易。
紀元前6世紀から5世紀。
黄色の交易ルートは、エトルリア(現イタリア)のヴェイオ(Vulei) カエレ(Caere)から南仏のSégobriges(セゴブリゲス)つまりマッサリア(現在のマルセイユ)へ。
緑色の交易ルートは、カルタゴ(現チュニジア)やEbusus(イビサ島の古代フェニキア人の植民地)からElystquesz(エリスティケス)へ。 -
ピンクの交易ルートは、シバリス(Sybaris現イタリアターラント付近にあったギリシャ都市)からマルセイユへ。
ブルーの交易ルートは、アレリア(Aleria ) 現コルシカ島 (Corse)からマルセイユへ。
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<ガリア時代>
ニームの地に都市集落が築かれ、そこに定住した人々、アレコミック族の起源を物語っています。彼らは源泉の精霊ネマウススを崇拝していました。 -
左上:兜をかぶり武装した戦士の像。紀元前5世紀後半。
右上:台座にトルクと胸部の彫刻と彩色装飾が施された男性胸像 。紀元前7-6世紀。
左下: 未成形の陶器の壷。紀元前9世紀。
右下:ループハンドル付きのアンフォラ。紀元前1世紀? -
<恐怖政治の時代、フランス地中海地方における頭叩きの習慣>キャプションより。
「ガリア南部では、多くのオッピダ(戦利品の持ち主)が戦利品を公共の場や共同の場に持ち込み、室内に展示したり、ニーム近郊のカイラールのように城壁の近くに設置したり、玄関に掛けたり、また住宅内に保管したりしていました。
また、エクス=アン=プロヴァンス近郊のアントルモンのように、地元の英雄の栄光を称える石像の近くには、死者の生首が石像として描かれていました。
紀元前2世紀にプロヴァンスを旅したギリシャの歴史家ポセイドニオスが伝える慣習によると、これらの証はすべて、敗北した敵の斬首、そして勝利者がこれらの戦利品を保存し、誇示していたことに遡ることができます。この広く普及した慣習は、地元住民の勇敢さを明確に思い起こさせ、外国人に感銘を与えようとしたのです。」 -
<ローマ時代>
都市住居を通して、時にはモザイクやフレスコ画で豪華に装飾されたローマ文明を想起させます。ヴィラ・ローマの寝室の復元、コレクションの至宝であるペンテウスのモザイク、ジャン=ジョレス地区の大きな池を飾ったネプチューン像などが
含まれます。
<ネプチューンの噴水像>
この像は、ラテラン宮(ヴァティサン宮)のネプチューン像をモデルにしており、リュシッポスまたはその弟子の作品(紀元前3世紀)をモデルにしています。
左手には、ネプチューンの力の象徴である三叉槍の柄が握られています。海と泉の神の伴侶であるイルカのような海の怪物が、右前腕に巻き付いています。紀元前1世紀。 -
ほぼ完全な状態で残る床のモザイク画。3世紀頃。
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モザイク画の中央の場面は、エウリピデスが舞台用に脚色したペンテウス伝説を描いているそう。
ペンテウスとは。
エウリピデスの悲劇「バッコスの信女」に出てきてディオニュソスの策略によって、狂乱した母親アガウエーを含むバッカイ(ディオニュソスの女性信者)に引き裂かれてしまう。 -
ホントにきれいに残っている。
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拡大して。
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これも見事な幾何学模様。
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これも全体的に良く残っている。
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図柄が面白い。
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角に描かれている鐘のようなラッパみたいなものは何なのかな。
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これもギリシャのお話からでしょうか。
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他にもたくさん。
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左は、古代ローマのオベリスクの台座?
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墓碑や祭壇でしょうか。
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碑文が書かれた祭壇のよう。
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<アントニア・ミノル(小アントニア)として知られる女性像>
この像の髪型と特徴は、クラウディウス帝の母であるアントニア・ミノルの肖像画を彷彿とさせます。しかし、地元の石灰岩が使用されているため、この特定は妥当ではないようです。この衣装はローマ市民が公の場で着用する衣装で、ベルト付きの長いドレス(ストーラ)、ゆったりとしたコート(パラ)、そしてつま先が閉じる革靴(カルチェオリ)で構成されています。
法律により、既婚女性は頭にベールをかぶり、髪を編むことが義務付けられていました。この全身を覆う衣装は、女性に求められる美徳、すなわち貞節、慎み深さ、そして威厳を象徴しています。足元まで届くドレスの長さとイヤリングは、裕福な家庭環境を物語っています。西暦1世紀前半
<犬を連れた子供の像>
この作品は、紀元前3世紀のギリシャの単一の原型から作られた、同じ寸法の白大理石像群の一部です。同一原型の複製がこれほど多く発見され、その由来が判明していることは稀です。これらの地理的分布は、芸術的な原型が帝国全土で流通していたことを物語っています。
ローマ時代の家屋や庭園には、動物と遊ぶ子供の像が多く見られました。遊び心、郷愁、あるいは優しさに満ちたこれらの像は、当時家庭に活気を与えていた家族の子供たちの姿を映し出しています。 -
生活用品も出土してるのね。
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紀元1世紀の 吹きガラス類。
2000年も前のガラスとは思えない。 -
こちらも美しい造形。
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<亡くなった夫婦の肖像画と耕作風景が描かれた石碑>1-2世紀
<ミネルバの頭像>1-2世紀
<頂点にヘッドバンドをつけたメルクリウス(ヘルメス)の像>
この像は、額の上に頂点を追加することで、メルクリウスの伝統的な表現を再構築した図像様式に従っています。これは、トートの羽根、葉、あるいは蓮の花びらと解釈される可能性があり、ヘレニズム時代のギリシャ・エジプトの習合におけるヘルメスとトートの象徴に関連しています。帝政ローマ時代。 -
<祭壇> ローマ帝国時代 。
<アポロンの像>
この像はリュキアのアポロンの型に従って作られ、前腕を頭に置いています。
この特徴的な姿勢は、物憂げな休息、あるいは予言的な霊感の表れと解釈されています。「リュキア」という名称の由来には2つの説があります。1つは、オリジナルがアテネのリュケイオンと呼ばれる体育館に展示されていたという説です。もう1つは、光の神アポロンの姿(ラテン語でlux)に由来するという説です。ニームの像は、この像の複製の一つである「フィレンツェのアポロノ」のかなり忠実な複製です。紀元1世紀。
<女性肖像を描いたフォルトゥナ像>
フォルトゥナは、もともと母性と豊穣の女神でしたが、時を経て幸運とチャンスの女神となり、ローマ人から深く恐れられました。気まぐれによって、権力、勝利、幸福をもたらす一方で、不幸、破滅、隷属、不名誉をもたらすこともありました。
故人の肖像と女神像が結び付けられているのは、彼女の特質と、生前家族にもたらした祝福を象徴していると言われています。西暦330~350年 -
<ボナ・デア像?>
蛇が巻き付く右腕が欠落しているため、この像の正体は不明です。ニームの住宅街で発見されたことから、私的あるいは共同体的な信仰が示唆されます。ボナ・デアはローマとラティウムで崇拝される守護女神です。彼女の信仰は帝国全体に広まっていたわけではなく、ガリアのナルボンヌに最も多くの証拠が集中しています。そのため、ニームに2体の像が存在することは異例であり、ローマ人またはラティウムの住民がこの都市に定住していたことを証明しています。紀元前1世紀
<肖像画付きの墓碑> 西暦1世紀末 。
ジュリア・プリヴァータは、生前、自分と家族のためにこの墓を建立させました。
墓碑には、ジュリア・プリヴァータの肖像画と、次の墓碑銘が刻まれています。ジュリア・プリヴァータ、孫娘のポルシア・クァルティナ、夫のクァルティヌス、孫のセクストゥス・ポルキウス・ユリヌス、娘のヘルビア・クァルティナ、義理の息子のセクストゥス・ポルキウス・ヘカタイオス、もう一人の孫のセクストゥス・ポルキウス・ユリアヌス。記念碑の上部には名前が刻まれていますが、肖像画は保存されていません。 -
<イル諸島の埋葬用壷>ガラス製。紀元前75~50年
< イタリアのワインアンフォラ> -
さすが小ローマといわれるニーム、色々出土している。
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中央は花綱ならぬ果実綱、豊穣のイメージなのかな。
下にはロムレス、レムス的な図。 -
<ヴァルボンヌの石棺>
西暦1世紀末、埋葬の慣習化に伴い、石棺の使用が義務付けられました。上流階級の人々にとって、石棺は富、成功、そして宗教的信仰を誇示する手段となりました。
石棺は都市の墓地や一族の領地に置かれました。ヴァルボンヌの石棺は、7世紀までピレネー山脈産の大理石を用いて南西部の工房で制作され、ガロンヌ川周辺とナルボンヌ西部の地域に限定されていました。
この石棺は、柱で区切られた全身像からなるシリーズに属しています。中央には、新しい律法を掲げるキリストが描かれています。
<石棺の断片(イエスに慈悲を乞うカナン人の女性)>紀元350~375年。
<動乱の時代>
5世紀以降、南部地域は中央・東ヨーロッパ(ヴァンダル族、西ゴート族、東ゴート族)と北ヨーロッパ(フランク族)からの新たな民族の侵入により、激動の時代を迎えました。6世紀と8世紀には、フランク族と西ゴート族の拡大圏の端に位置するセプティマニアの辺境都市として、ニームは比較的平和な時代を過ごしましたが、6世紀初頭にイスラム教徒が到来し、725年にアンバサによって征服されました。
西ゴート王国の崩壊後、ニームはフランク族の支配下に置かれました(6世紀半ば)。新しいカロリング朝の組織は急速に崩壊し、伯爵と子爵が徐々に権力を握るようになりました。
<怪物の戦い>
このレリーフでは、グリフィンが鋭い歯を持つ怪物を爪で掴んでいます。力強い幾何学的形状を特徴とするキュビズム様式が、この場面に大きな力を与えています。
この作品は、フィデンツァとパルマの大聖堂で活躍したベネデット・アンテラミの作品と考えられます。このレリーフは、フィデンツァで見られる配置で、他のレリーフと並んで配置されていたと考えられます。11世紀後半。 -
<中世ロマネスク>
叱責を描いたフリーズの断片。
誘惑を描いたフリーズの断片。
カインとアベルのフリーズ断片。12 世紀
<大聖堂>
中世に建立され、1096年に奉献された聖母マリアと聖カストル大聖堂は、何世紀にもわたって幾度となく改築されてきました。現在の建物が中世に起源を持つ唯一の証拠は、基部がロマネスク様式、上部がゴシック様式の鐘楼と、古代美術の影響を強く受けた西側ファサードの一部に見ることができます。
このファサード上部を飾るフリーズは、南フランスにおけるロマネスク彫刻の傑作の一つです。
旧約聖書の場面、アダムとイブの誘惑、罪、叱責、楽園からの追放、アベルとカインの犠牲、そしてアベルの殺害を描いています。 -
<鷲の装飾が施された柱頭>12世紀。
<過ぎ越しの子羊を描いたキーストーンの破片>11~12世紀。
<半平板装飾のブロック>
19世紀にローマ遺跡の発掘調査中に破壊されたサン=マルタン=デ=アレーヌ教会を飾っていました。これらの場面は、聖書のエピソード、聖人、隠者、そして鷹狩りを描いています。紋章が刻まれていることから、寄進者たちがフリーズの制作に協力していたことが示唆されます。14世紀 -
イタリアのプーリアの渦巻型クラテル。紀元前4世紀後半。
イタリアプーリアの赤絵式アンフォラ。紀元前5世紀後半。
ルカニアのアンフォラ。紀元前4世紀後半。
キウージ・ルコンバ出土のエトルリア埋葬用壷。紀元前1世紀初頭。
. 故人の肖像が描かれたエトルリア埋葬用壷の蓋。 -
何だかフランスを旅していることを忘れそうなローマな世界だった。
そして猛暑の日差しが厳しい日中、冷房の館内は快適だった。 -
ニームのシンボル「ワニとヤシの木」。
紀元前1世紀、ローマ皇帝アウグストゥスがクレオパトラ率いるエジプト軍を征服した際、ワニ(=エジプト)がヤシの木に繋がれているデザインの硬貨を鋳造して祝福し、功のあった軍人にニームの街を与えたと伝えられているそう。 -
ジェラート食べて一休み。
キッチュなお菓子屋さんがあった。伝統菓子のカリソンや色とりどりのパッケージが可愛い。荷物になるから買えなかったけど。 -
カトリック大聖堂(Cathédrale Notre-Dame-et-Saint-Castor de Nîmes)
修復中でファサードが見れなかった。
旧約聖書の場面を描いたフリーズもあったようで残念。
考古学博物館で断片を少し見れただけでも良かった。ニーム大聖堂 寺院・教会
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聖母マリアと聖カストルに捧げられたニーム大聖堂は、古代ローマ時代に起源を持つ。1096年、教皇ウルバヌス2世とトゥールーズ伯レーモン4世によって奉献された。
現在の宗教施設は、発掘調査で発見された7世紀の遺跡に基づいている。
これらの考古学的痕跡は、ローマ時代から最初のロマネスク様式の教会が建設されるまで、この場所が継続的に利用されていたことを示している。 -
ロマネスク、ゴシック、古典主義の影響が絶妙に融合しているそうで、鐘楼はロマネスク様式になっている。古代の石の使用が、この場所にアウグストゥスに捧げられた神殿があったという説を裏付けているそう。
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1096年に教皇ウルバヌス2世によって奉献されたロマネスク様式の建物は、13世紀のアルビジョワ派に対する十字軍の際に被害を受け、その後1567年の宗教戦争中に完全に破壊された。
宗教戦争で被害を受け、1567年にはカトリック教徒は大聖堂の脇にある司教区の中庭の井戸に投げ込まれ、その後プロテスタントの暴徒が鐘楼を破壊しようとして大聖堂を攻撃したそう。その後何度も改修工事が行われたそう。 -
側面に聖母の礼拝堂。
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聖母マリアの背景のフレスコもいい感じ。
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柱頭はこんな感じ。
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説教壇。
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<聖カストルへの祈り>キャプションより。
「聖母マリアと共にこの大聖堂の守護聖人である聖カストルよ、弁護士としての職務を、最も恵まれない人々や弱い人々を弁護するために捧げられたあなたよ、正義を求める兄弟姉妹を支えることができるよう、私たちを助けてください。
聖カストルよ、すべてを捨て、神を喜ばせるために兄弟姉妹に共同生活の規範を与えてくださったあなたよ、神の愛の中で共に生きることができるよう、私たちを助けてください。
聖カストルよ、困難な時代にあなたを選んだ信徒たちを導くために司教の職を受け入れてくださったあなたよ、私たちが自らを捧げ、他者に奉仕する責任を認識できるよう、私たちを助けてください。」
周歩廊に聖遺物箱もあったようなのだけど見損ねた(汗) -
アプトの聖カストルは、最初は弁護士だったが、妻との婚姻関係を放棄し、修道生活を送った。彼は、自らの意に反して、アプトの住民から司教に選ばれた。
司牧の使命に全身全霊を傾け、419年教皇インノケンティウス1世の召命を受け、ヴァランスの司教マクシムスの判決を執行した。
ステンドグラスは19世紀のもの。 -
バロック様式のロザリオ礼拝堂。(17世紀)
アルル出身のポーレによって建てられたバロック様式の傑作とのこと。アンティム=ドニ・コオンの司教職の下で1669年に完成し、コオンの墓がここに安置されている。
ロザリオはイエス・キリストの母マリアに捧げられており、聖母マリアの表現によく見られるバラの花輪を表す教会用語のラテン語「rosarium」にその名前が付けられているそう。 -
オルガンは17世紀に設置されたそう。
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夕食はタイ料理にしようと立ち寄った。
ところがパネルでオーダーするシステム、フランス語がわからないまま、何となく操作したけどオーダーのペーパーが出なくて注文終了したのか?だった。
すると親切な女性が手伝ってくれた。
ところが、次々と3人前の料理が来てしまった!どうやら初め私が操作したのは2人分セットだったらしく、次にお手伝いいただいた注文が重なったよう(笑)
お店の方に支払はいいけど支払い額記載のレシートが欲しいと伝えたつもりだったのだけど、クレームを言ってるように思われたみたいで紙袋に2人分入れ、持ち帰ってと。ホテルに持ち帰っても食べれないから置いてきてしまった、ごめんなさい。 -
ホテルに戻った。感じのいいレセプションの方に荷物は部屋に入れてありますと。
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この吹き抜け階段が素敵だな。
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上の階から階段を降りてみた。
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1階まで降りてきた。
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旧市街の立地が良く、メゾン・ド・カレや円形闘技場も徒歩圏で便利だった。
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浴槽もあって久しぶりにゆっくりお風呂に浸かった。
翌日は、アルルへ向かいます。
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旅行記グループ ペリゴール・リムーザン・ラングドック・プロヴァンスをめぐる28日間
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