2025/06/10 - 2025/07/07
6位(同エリア18件中)
マリアンヌさん
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アルル2日目は、かねてから行きたかったサント=マリー=ド=ラ=メールに出かけました。帰りにポン・ド・ゴーに立ち寄ってフラミンゴを見ることも出来ました。アルルに戻りゴッホに因んだ史跡も訪れました。
6/10 羽田発イスタンブール経由
6/11 トゥールーズ着
6/12 モワサック修道院、モンパズィエ
6/13 ミランド城、マルケイサック、べナック=エ=カズナック、
サルラ=ラ=カネダ、
6/14 ヴィトラック、スイヤック、ロカマドゥール、ドンム、
ラ・ロック=ガジャック
6/15 コロンジュ=ラ=ルージュ、カルンナック、コンク
6/16 コルド=シュル=シェル
6/17 アルビ、トゥールーズ
6/18 カルカッソンヌ
6/19 コリウール、ペルピニャン
6/20 サン=マルタン・デュ・カニグー修道院、カブスタニー
6/21 サン=ギレム=ル=デゼール、モンペリエ
6/22 モンペリエ
6/23 ニーム
6/24 アルル
6/25 サント=マリー=ド=ラ=メール、カマルグ
6/26 アヴィニョン
6/27 ユゼス、アヴィニョン
6/28,29リル=シュル=ラ=ソルギュ
6/30 ルシヨン
7/1 エクサン・プロヴァンス
7/2 ヴァロンソル、ムスティエ=サント=マリー、サン=クロワ湖
7/3 ルールマラン、ゴルド、ルシヨン、フォンテーヌ=ド=ボークリューズ
7/4 シルヴァカンヌ、エクサン・プロバンス
7/5 マルセイユ
7/6,7マルセイユ発イスタンブール経由羽田着
*参考図書「フランス・ロマネスクへの旅」
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アルルの朝、オーナーのギルバードさんが朝食を用意して下さった。
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サント=マリー=ド=ラ=メールに遠足。
アレーナに沿って進みます。 -
バス停脇の広場ではマルシェがたっていた。
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Portagnelバス停からA50線でLes Razeteursバス停へ。
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ローヌ川を渡り、ひたすら南へ。
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バスの車窓から白い馬が見えた。
カマルグ(ローヌ川と地中海に囲まれた三角州地帯)は、塩や白い馬で有名だ。 -
ここにも白い馬が。
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1時間弱でRazeteursバス停に到着し、サント=マリー=ド=ラ=メールの街へ。
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6月だけどすっかり夏、持参したジーンズは暑すぎてサンドレスに惹かれるけど、丈が長いと歩きにくいなんて考えながら。
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聖母マリアに捧げられた最初の教会堂は、3人のマリアが建てたとされる祈祷所があった場所に、6世紀初めに建てられたそう。
542年のアルル司教カエサリウスの遺言書により、教会堂はアルルのサン・セザール修道院(旧サン・ジャン修道院)に寄贈された。
聖母マリアに捧げられた最初の教会堂は、3人のマリアが建てたとされる祈祷所があった場所に、6世紀初めに建てられたとされる。542年のアルル司教カエサリウスの遺言書により、教会堂はアルルのサン・セザール修道院(旧サン・ジャン修道院)に寄贈されます。
10世紀後半、サラセン人を一掃したプロヴァンス伯ギヨーム1世により、教会堂は再建されたが、この教会堂は1061年に破壊されたよう。サント マリー ド ラ メールの教会 寺院・教会
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1080年、アルル大司教により、教会堂はモンマジュールのサン・ピエール修道院に譲渡される。要塞のようなロマネスクの教会堂は、12世紀後半に建設された。
この頃教会堂はノートル・ダム・ド・ラ・メールという名になった。 -
14世紀、教会堂の壁の上部が高くされる。
1448年に実施された発掘調査を契機に、教会堂内部に残されていたメロヴィング朝時代の教会堂は破壊され、クリプト、サン・ミシェル祭室が整備された。 -
後陣の窓部分。
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正面のファサードの扉からは入れず、入口はどこだろうと一周し、角の入口から有料で入っていった。
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すると階段を上がり、屋上に出た。
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地中海が見える。
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数人が教会の屋根に上がって行ったので、つられて上がってみたら少し怖かった(笑)
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でも屋根の上からは、より良い景色が望めた。
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イチオシ
街の教会も絵になるね。
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教会のHPより。
「紀元45~46年頃、この地で初めてキリスト教のメッセージが伝えられ、それは瞬く間にアルル、ローヌ渓谷一帯、そして2世紀にはまもなくリヨンへと広まりました。
この聖域は、イエスの母である聖母マリアに捧げられています。」 -
「私たちは古代より「海の聖母」の名でマリアに祈りを捧げてきました。ここには、キリストに従い、他の弟子たちと共にカマルグ海岸に上陸し、キリストの復活の福音を最初に伝えた聖女、マリア・サロメとマリア・ヤコブの遺体が眠っています。この聖域はプロヴァンスにおける最初の巡礼地の一つです。 」
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教会下の広場が見える。
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下りていくと、広場には自転車旅を楽しんでいる女性たち。みんな体力あるなぁ。す
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教会への入口は、ここのよう。
この扉の上にはカマルグの十字架。この十字架は1920年代にデザインされたもので、クロスは信仰を、錨は希望を、ハートは慈悲の心を象徴しているそう -
伝承によると、西暦45世紀、ステファノの殉教後、エルサレム近郊のベタニアの家族とイエスの親族は、櫂も帆もない船でパレスチナから追放され、確実に死を覚悟していた。
この船、あるいはカイサリア・マリティマとアルルの外港の間を航行していた商船のいずれかに乗って、最初のキリスト教徒たちは今日「レ・サント・マリー・ド・ラ・メール」と呼ばれる場所に上陸した。
コンポステーラに入港していた聖ヨハネと聖ヤコブの母マリア・サロメとマリア・ヤコブはカマルグに留まりました。
マルタはアヴィニョンとタラスコンへ出発した。マクシマン、ラザロ、マグダラのマリアは、イエスの口から聞いた御言葉を携えて、東のエクス、マルセイユ、サント・ボーム、サン・マクシマンへと向かった。
マグダラのマリアは、サロメやヤコブと共に、イエスに従い仕えた女性たちの一人だった。 -
<聖マリア・ヤコブと聖マリア・サロメ>
キャプションより。
「福音書記者たちがクレオパのマリア、ヨセのマリア、あるいはヤコブのマリアと呼ぶこともあるマリア・ヤコブは、聖ヨセフの兄弟クレオパの娘でした。
彼女はアルファイと結婚し、4人の息子をもうけました。聖ヨハネの兄弟と区別するために小ヤコブと呼ばれたヤコブ、ユダ、ヨセ、シモン、そして数人の娘です。
長男と次男はキリストの使徒となり、ヨセとシモンは弟子にとどまりました。彼女はナザレで、マリアとヨセフの近くに住んでいました。
マリア・サロメは、ティベリア湖畔のベツサイダ出身の漁師ゼベダイの妻でした。彼女には、イエスの随行員の中でも特に有名な二人の息子、大ヤコブとヨハネがいました。彼らは最初からすべてを捨ててイエスに従いました。したがって、この二人の女性はイエスの家族の一員でした。芸術作品では、彼らは聖母マリアと彼の母である聖アンナと一緒に描かれることが多い。
福音書全体を通して、彼女たちの足跡が見出されます。まずキリストの生涯、使徒行伝の旅の途中で、彼女たちは惜しみない世話をしました。
「彼女たちはイエスに従い、仕え、あらゆる必要を満たした」(ルカ8:1-3)。そして、イエスに忠実であり、受難の際、十字架の足元まで付き添いました。
「小ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母サロメ」(マルコ15:41-マタイ27:55)。
そして、彼女たちは使徒や弟子たちと同じ運命を辿ります。新しい信仰を告白した彼らは、マリア・サロメが亡くなり、彼女の息子の一人である大ヤコブがヘロデ・アグリッパの刺し傷によって剣で処刑されるという、初めての死別を経験しました。」 -
西暦46年頃にプロヴァンスに到着したイエスの弟子、聖マリア・サロメと聖マリア・ヤコブ
5月と10月の巡礼時には行列により海まで運ばれ、12月の巡礼では街中を練り歩くそう。舟には、マリア・サロメとマリア・ヤコベ、イエスの遺体に塗るために聖女達が買った香油が入った壺が見える。 -
これは1448年の発掘調査の際に発見された、聖女達の枕と呼ばれるもので、この石の上に頭蓋骨があったそう。
キャプションの続き。
「プロヴァンスの伝承によると、聖マリアと聖サラは、ベタニアの家族、マルタ、ラザロ、マグダラのマリア、そしてマクシミンとシドニオスを含む弟子たちと共にパレスチナから追放されました。
帆も櫂もない小さな船で地中海を渡り、カマルグ海岸のオッピドゥム・ローと呼ばれる小さな港に到着しました。
上陸した浜辺で、聖人たちはマクシミンの助けを借りて土をこねて祭壇を築きました。
すると、祈りを捧げると砂の中から水が湧き出しました。この淡水の泉は今も見ることができ、サント・マリー・ド・ラ・メール教会の中央にある井戸に水を供給しています。
聖マリア・ヤコブと聖マリア・サロメはそこに留まり、小さな礼拝堂を建てることにしました。仲間たちはこの地域を伝道するために出発しました。聖サラは彼らと共に残りました。数年間祈りを捧げた後、マリア・ヤコブが先に亡くなり、数ヶ月後にマリー・サロメも亡くなりました。
二人は、現在の教会の敷地にあった泉の近くの小さな礼拝堂に埋葬されました。後に聖サラも彼らに加わりました。」 -
サント=マリー=ド=ラ=メールにマグダラのマリアが上陸して云々とほわっとした感じで来訪したのだけど、マグダラのマリアは何処へ行ったの?ということで、前述のようにサント・ボーム山塊へ向かって洞窟で瞑想したらしい。
今もgrotto of Sainte-Baumeは、巡礼地となっている。 -
内陣。
奥にはサン・ミッシェル礼拝堂。マリア・ヤコベとマリア・サロメの聖遺骨が納められた聖遺物箱が保管されているそうだが、一般公開はされていない。 -
クリプトへ。
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聖女達の従者サラに捧げられたクリプト。
かつて聖女達の住居はクリプトの位置にあったとされ、2人のマリアとサラのものとされる聖遺骨は、旧クリプトの下で発見された。
サラの遺骨はシンプルな木箱の中におさめられ、クリプトの祭壇の下に置かれた。
祭壇は、3世紀の石棺の蓋を利用して作られている。 -
クリプトの奥、祭壇の右側に、カラフルな衣装とビジューを纏ったジタン(北インドのロマニ系のロマ)の守護聖人、サラの彫像。
ます。
5月の巡礼の時、聖女達を載せた小舟が運ばれる前日に、サラの彫像はジタンによって海まで運ばれる。これは従者であるサラが、聖女マリア達を迎える様を表現している。そして彫像は、半身海に沈められるそう。
今日もなお、サラの人物像については謎に包まれている。
一説によれば、サラは聖女達の従者で、上エジプト出身のため、肌は褐色でサラ・ラ・カリ(サラ・ラ・ノワール=黒いサラ)という名前であり、聖女達と共にパレスティナから小舟で地中海を渡ってやって来たとされる。
また別の説によれば、サラはカマルグを支配していた、ジタンの祖先にあたるケルトの一部族の王の娘であったとされる。サラはイエスの死に立ち会う聖女達がやって来るというヴィジョンを得て、海岸まで行って聖女達を出迎え上陸するのを助け、聖女達の従者になった、ということだそう。 -
<聖サラとは誰ですか>
キャプションより。
「サラは聖マリア・ヤコブと聖マリア・サロメと並んで崇拝されています。福音書には彼女について何も記されていませんが、1世紀または2世紀初頭に遡る外典文書、1116年の主イエス・キリストの遺言には、サラが聖女たちと共に空の墓を発見し、使徒たちにキリストの復活の福音を伝えるために出発する様子が描かれています。
彼女はピラトの妻だったと言われていますが、キリスト教に改宗したために拒絶されました。彼女はエジプト出身とされており、それが彼女がジプシーの守護聖人である理由を説明しています。
語源的には、「ジプシー」という言葉はエジプト語の訛りで、15世紀初頭にフランスに到着したジプシーを指して使われた言葉です。
聖サラを「召使い」(つまり、パレスチナにおける聖マリア姉妹の「友」であり、ローヌ川岸での彼女たちの仲間)と見なす伝承によれば、彼女はパレスチナを去る際、聖マリア姉妹と共に船に乗ったのではなく、彼女たちの後を追うことを熱望したとされています。
そこでマリー・サロメは彼女に外套を掛け、彼女はその上に登って船に乗り込みました。
彼女はカマルグでマリー・ヤコブとマリー・サロメの運命を辿り、彼女たちと共に埋葬されました。彼女の聖遺物は聖マリア姉妹の遺物の足元で発見され、地下聖堂の祭壇に安置されました。」 -
アプスの柱頭彫刻は、12世紀後半に制作された。
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望遠で少し撮ってみた。
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クリプトから上がったら身廊が人でいっぱいに。
海の聖マリアへの巡礼。HPより。
「この場所はサンティアゴ巡礼路に指定されており、多くの巡礼者がここで立ち止まり、クレアンティアルのスタンプを押してもらいます。
また、イタリアやヨーロッパ各地からルルドの聖地へ向かう巡礼者にとっても、非常に人気の高い立ち寄り場所となっています。
2021年5月より、サント・マリー・ド・ラ・メールからマルセイユ、サント・ボームを経由してサン・マクシマンまで、徒歩による巡礼路が開通しました。」 -
エクス・ヴォート(祈願が成就したことへの感謝の印として教会などに奉納される品物)でしょうか。奇跡やお礼の単語が見えた。
絵馬と似ているが、絵馬は今後の成功を祈願して奉納されることが多いのに対し、エクス・ヴォートは過去の出来事への感謝を表すという点で異なる。 -
身廊の壁の柱頭。
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絵画でも人気のマグダラのマリア、改めてググってみると。
芸術作品で描かれる「罪深い女」や「回心した娼婦」というマグダラのマリア像には聖書的根拠はない。
マグダラのマリアが聖書に登場する機会はあまり多くなく、十字架につけられたイエスを見守る婦人の一人として、埋葬の立ち合い、復活したイエスとの出会いとのこと。(四福音書)また、ルカ福音書によると悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たちの一人であったよう。 -
キリスト教の発生と時を同じくして、グノーシス主義と呼ばれる考え方が東地中海世界に広がった。キリスト教の内外に影響を及ぼしたグノーシス主義は、独自の神話や二元論を唱えて、正統な教会の思想家たちと対立することになる。
最初の異端とも言えるグノーシス主義は、自分たちの世界観を正当化するために数々の偽書を作成、その文書の一つに『マリア福音書』がある。
ペトロら弟子たちはイエスが去ったことに悲しみ、恐れからか、宣教の旅に出ることにしり込みするが、マグダラのマリアと思われる女性が立ち上がり、ペトロたちが知らない「救済者」の教えを語りはじめる。
ペトロはイエスがマグダラのマリアにだけ教えを伝えるはずがないとする一方、イエスは他の弟子よりもマグダラのマリアを愛しており、彼女にだけ特別な教えを伝えたのはありえることだという内容になっている。
マリア福音書に見られるペトロとマグダラのマリアの対立構造は、ペトロを筆頭とする正統教会と対立するグノーシス主義者という構図と一致するよう。 -
外典のひとつフィリポ福音書には、イエスが度々マグダラのマリアの口に接吻していたと記されているそうで、マグダラのマリアがイエスの恋人として描かれているのにはフィリポ福音書の影響があるのではとのこと。
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イチオシ
白い壁にブルーの椅子が似合う。
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4世紀、キリスト教がローマ帝国に認められる一方でグノーシス主義が弱体化すると、それまで見られていたようなペトロに対抗する人物としてのマグダラのマリア像は姿を消していく。キリスト教はローマ帝国の国教となっていく過程で、いわゆる「男性原理」に基づく統治体制を形成していき、女性の指導者という考えが薄まっていく。
神学者アンブロジウス(340頃-397)は、「ノリ・メ・タンゲレ」(我に触れるな)を復活のイエスに出会ったマグダラのマリアがイエスから「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われたと解釈し、マグダラのマリアに対するペトロら男性の優位性の証拠とした。 -
男性原理の支配する西方教会は、グノーシス主義により女性指導者とみなされたマグダラのマリアを貶めようとする動きを継続。
イエスに接吻して香油を塗った「罪深い女」(ルカ7・36-50)やラザロやマルタの姉妹であるベタニアのマリア(ヨハ12・1-8)、「姦通の女」(ヨハ8・3-11)といった聖書に登場する様々な罪深い女とマグダラのマリアが同一視されるようになった。 -
美味しそうなものが並んでいたけどテイクアウトして食べる場所がなくて。
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初期中世の間に形成された「罪深い女」としてマグダラのマリア像を固定して広めた最大の著作は、ヤコブス・デ・ヴォラギネ(1230頃-1298)の黄金伝説だという。
聖人について紹介した黄金伝説の中で、マグダラのマリアは「回心した娼婦」として描かれ、そのイメージが定着するようになった。
また、黄金伝説には、マグダラのマリアは南フランスのプロヴァンスに宣教に向かい、その地で没したとも記されているそう。
そのためマグダラのマリアはプロヴァンス地方の保護の聖女とされている。 -
当時、そのプロヴァンスを支配していたアンジュー家は、北は英国、南はシチリア島やナポリまで広大な地域を支配していた。こうしてマグダラのマリア崇敬は、西ヨーロッパ中に広がることとなった。
それにしても聖書的根拠のない「罪深い女」「回心した娼婦」というイメージがマグダラのマリアに付与されたとは、酷い話だと思う。 -
小さなサント=マリー=ド=ラ=メールの街、ぐるぐる歩き回った。
ただ、海沿いの道までは少し距離があって、暑いので海を見るのはいいかなと。 -
消しゴムしてますが、観光客にかなり人気のようで、小さい街は人で溢れかえっていた。
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ひと休みしようとカフェを探して、この木陰カフェでレモネード。
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そしてB&Bのギルバードさんにすすめられたこともあり、Razeteursバス停からPont de Gauバス停へ。
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バス停からほど近いポン・ド・ゴー(Pont de Gau)へ。
ポン ドゥ ガウ鳥類公園 広場・公園
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実は昨年、サルディニアのカリアリ近くのナトゥラーレ・モレンタルジュス・サリーネ公園にフラミンゴを見にいったのだけど出会えなかったので、今回も期待していなかった。
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湿地帯に行く途中にはTシャツショップなどもあった。
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カフェで休む方たち。
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名前はわからないけど鳥さんがお出迎え。
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白い鳥も飛んでいる。
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するといるではありませんか!
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フラミンゴだ。
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えっ、あちこちいるんですけど。
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それも結構近いところに。
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向かい合ってると可愛い。
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いやはや期待していなかっただけに多さにビックリ。
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飛ぶと赤いところが目立つ。
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ということで1時間弱眺めて満足してアルルへ戻った。
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昨日、夕食を食べた広場へ。
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鎧戸とテーブルと椅子の色合わせがいい感じ。
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レストランを物色。
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遅めのランチにバーガーをいただいた。パテがすごく厚くて食べ応え抜群だった。
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手を取り合うお年寄りが睦まじい。
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アイボリーの鎧戸もいいな。
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お洒落な雰囲気のお店が多いね。
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なんとカフェ・ヴァン・ゴッホに来てみたら閉店してる!
夜のカフェテラスを再現して観光名所だったのに。
AIに聞いてみたら、経営者が脱税をしていたことが発覚し、裁判で有罪判決を受け2023年7月から法的理由により営業停止しているそう、残念。 -
エスパス・ヴァン・ゴッホへ。
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ここの風情は昔と変わりない。
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ゴッホが「アルルの治療所の庭」に描いた中庭も当時と同様に復元されている。
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ゴッホは有名な耳切事件の際、切り落とした左耳たぶの治療の為にこの病院に2週間入院した。
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黄色い回廊が復元されていて、絵画を彷彿させる。
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これこれ、パネルが展示されていた。
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好きな画家ゴッホに束の間、思いを馳せた。
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遅めのランチだったので、スーパーマーケットで軽い夕食を買って。
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宿に帰ります。
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無事にサント=マリー=ド=ラ=メールへ遠足出来て良かった。
B&Bに到着。 -
部屋で夕食をとって寛いだ。
翌日は、アヴィニョンへ向かいます。
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