2025/01/16 - 2025/01/17
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たびたびさん
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陀々堂の鬼はしり&紀北の四日間の後半は、一泊二日で久しぶりの加太と和歌山市内に粉河寺周辺の散策です。
加太と粉河寺周辺はありますが、イントロとしては和歌山市のこと。和歌山県の観光地というとまずは高野山。空海が開いた密教の総本山です。ただ、観光地というよりも現役の宗教都市かな。浮かれた気持ちで回るような雰囲気ではないですね。それに次ぐのは、那智の滝や熊野本宮大社のある熊野エリア。熊野エリアは、新宮、那智勝浦、串本くらいまでが一つの塊りでしょう。アクセスは悪いですが、古来からのあこがれの地としての輝きは今でも健在です。そこにもう一つ、南紀白浜を加えれば和歌山県の観光はほぼ終わり。和歌山の観光の対象として和歌山市を考えるのは正直かなり優先順位が下がるような気がします。
しかし、そうは言っても、和歌山市は徳川御三家のひとつ、徳川家康の十男、徳川頼宣を祖とする紀州藩55万5千石の城下町で、八代将軍、徳川吉宗を生んだ街。吉宗以降、徳川将軍は、吉宗の四男宗尹を家祖とする一橋家の養子となった慶喜も含め、すべて紀州藩と関係する人物で占められていて、徳川宗家とかなり特別な関係です。ただ、一方で、それに見合う目立った歴史がないというのも正直な印象。たぶんそれは、幕末の動きに関係しているような気もします。ちなみに、同じ御三家でも、水戸藩は勤王の総本山。尊王攘夷の思想を世にまき散らして、開明派を勝手に自認する徳川斉昭の憤懣は桜田門外の変を引き起こし、徳川幕府の権威を地に落としました。また、天狗党の乱に始まる党内の分断は血で血を洗う報復の繰り返し。明治維新でも有為の人材を輩出することはありませんでした。幕末の大きな攪乱要因だったし、深い禍根を残していると思います。対して、薩長と正面から対峙したのは、尾張藩。あの会津藩主、松平容保だけでなく、尾張藩主として東海道、中山道沿いの大名に新政府への恭順を働きかけた徳川慶勝ほか高津四兄弟の苦悩と奮闘は、とてもドラマチックですね。
一方の紀州藩は、鳥羽伏見の戦いで中立を崩さず、その後も勤王の立場で維新政府に恭順したことで戦禍は免れましたが、なにもしなかったという印象は否定できないと思います。ただ、一点名誉のために付け加えるとするなら、第二次長州討伐の際の芸州口の戦い。先例に倣って、先鋒を勤めた彦根藩が総崩れとなり、それに続く高田藩、幕府正規軍も敗退。代わって、洋式の装備を備えた紀州藩が前線に投入されると戦線は膠着状態。なんとか引き分けに持ち込んだという実績は少し誇れることかもしれません。
さて、大藩、紀州藩の城下町だった和歌山市ですが、今では人口35万人のいち地方都市。それにしてはちょっと過大とも思えるほどの広い市街地にJR和歌山駅と南海和歌山市駅の二つの玄関があって、その中間にある和歌山城周辺の主要部を歩くだけでもかなり大変です。また、和歌山城は別として、和歌山市の観光の中心はむしろ市の南部。和歌浦から片男波、紀三井寺、養翠園や番所庭園もある雑賀崎ですからね。その辺りは少し分かりにくい構造だし、和歌山市の観光なんてという割には、意外に手ごわいラインナップが揃っています。
で、今回歩くのは大きく言えば和歌山城の周辺のこれまでチェックし忘れていたようなマイナースポット。これでさえ、あれこれ拾っていくとたくさんあって時間がかかる。ちょっと回りくどくなりましたが、なんでもないようでいてそうでもない。容易ではない和歌山を感じてもらえたら嬉しいですね。
なお、和歌山市の旅行記は今回が二回目。基本的なところは前回の旅行記で押さえていますので、参考まで。(https://4travel.jp/travelogue/11205681)
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後半は、ここから二日。一日目は、朝イチで加太に向かいます。
和歌山市駅から加太駅まで向かうのは南海電鉄 加太線。電車はめでたい電車。鯛のロゴがかわいらしいです。和歌山市駅から加太駅までの路線という感覚もあるかな by たびたびさん南海電鉄 加太線 乗り物
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加太駅から加太の市街に向かう途中、これは旧加太警察署庁舎。
大正10年に建てられた木造二階建、瓦葺の洋風建物。当時の加太は大阪湾を守る重要な要塞地域。その地域を守る警察署はそれなりに重要な位置づけだったようです。
なお、戦後は、住友金属の進出で河西地区の人口が増加。警察署はそちらに移動となったということです。 -
加太の市街に入ってきました。入口にあった加太の道標から淡島神社へと続く参拝道があわしま街道。これが加太のメインストリートです。
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あわしま街道を進んで加太市街の中心部に入るとすぐにあるのが加太春日神社。
はっきりしませんが、神武天皇東征の際、紀国造氏の祖である天道根命が創建したという伝承もあって、古いことは間違いないですね。 -
本殿が国の重要文化財なのですが、建物群の奥の方にあって、全体を見るのは難しいです。
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同じ並びにある称念寺。山門はなかなかの構えの四脚門。江戸時代末期に建てられたものです。
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加太の市街を北に抜けると加太海水浴場。湾の奥に位置していて、砂浜の部分がたっぷり。この砂浜を使って、何でもできそうに思えますが、最近はバーベキューのできるビーチとして人気があるのだとか。なるほどねという感じです。
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イチオシ
そこからすぐに加太港。漁船や釣り船が停泊しています。
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そのまま海沿いに進みます。
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沖合に見えているのは友ヶ島。戦前は大阪湾を守る要塞基地。今でも廃墟となった砲台跡が点在していてラピュタの島として人気があるようです。
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さて、もうここは淡嶋神社の参道入り口です。
淡嶋神社 寺・神社・教会
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参道を進むと社殿が見えてきましたが、相変わらず鮮やかな赤い社殿が美しい。
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イチオシ
さっきまでの海の青さがまだ目に残っていて、それとの対比でもまた映えるのかもしれませんけどね。
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そして、ここに来たら、見どころはなんといっても人形供養の人形たち。
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社殿の縁にはおびただしい日本人形が並んでいて、なんでしょうねえ。
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きれいな顔立ちにきれいな衣装。
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イチオシ
持ち主からは手放されてしまいましたが、それでも、最後まで凛とした美しさを保っていて健気な姿。私も命の際までかくありたいものだと思います。
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ほかにも境内にはあちこちに人形たち。
立派なコレクションみたいで、 -
これもなかなか楽しませてくれました。
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境内。奥の方には針供養の碑も。淡島神社と言えば人形供養ですが、針供養もあるんですね。まあ、針供養はここだけでなくあちらこちらで見かけますが、こちらの針供養は2月8日。ぜんざいの無料接待もあるようです。
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で、朝一番で加太に来た理由の一つは、この満幸商店。淡島神社の境内入ってすぐの人気店なんです。
朝からこんなのを食べると一日機嫌よく過ごせそうな気持ちになります by たびたびさん満幸商店 グルメ・レストラン
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朝早くからおばちゃんたちが忙しそうに開店準備をしていて、やっぱり活気がありますね。
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イチオシ
いただいたのは、あわしま丼。三種類の貝の煮たのがご飯の上にかかっているという素朴なものですが、なんでしょうねえ。シンプルにうまい。山椒の香りもあるし、塩加減というか味の濃さや具とご飯の量のバランスとかも含めて、ドンピシャの逸品。朝からこんなのを食べると一日機嫌よく過ごせそうな気持ちになります。やっぱり朝を狙って来たのは正解でしたね。
さて、これで任務完了。和歌山市に帰りましょう。 -
帰り道、もう一つ気になっていたキシモト商店にも寄ってみます。
春日神社すぐ。しかし、看板もないので、知っていないと見過ごすでしょうね。 -
サーターアンダギーと揚げパンがありましたが、
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イチオシ
昔ながらの揚げパンの方をいただきました。
砂糖をまぶしたパン生地の素直な甘さとふわふわの食感だけでも素晴らしいのですが、そこに深みのある甘さの餡子が加わると、もう得も言われぬおいしさのハーモニー。これは加太に来たら絶対に外してはいけないお店だと思います。 -
和歌山市駅に戻ってきて。
駅ビルの東隣り、和歌山市民図書館もチェックです。かなり立派なビルで、和歌山市駅の駅ビルよりこっちの方が立派かもしれません。
和歌山市駅の隣りの和歌山市民図書館には、蔦屋書店が入っています。図書館の中に書店というのはあり得ない組み合わせだったのですが、それにスタバを組み合わせて -
イチオシ
館内にはスタバもあるし、とってもあか抜けていますよね。
まあ、このパターンは今やあちらこちらで見かけるようになって、こちらもそのパターンなのですが、ここは建物がとても大きいので、くつろぎの感覚がさらにアップしているように感じます。 -
和歌山市駅の北側というか裏側に回って、これは河西橋。紀ノ川に架かる人道橋で、全長は478m。わざわざ架けたものかと思ったら、もとは加太軽便鉄道が建設した鉄道橋の紀ノ川橋梁。それを転用して使っているようです。
ひょろっと長く伸びた感じが面白い。工事中のようでしたが、長く使えるといいですね。 -
そこから、今度は有吉佐和子記念館です。
和歌山市出身の作家、有吉佐和子の東京都杉並区の自宅を復元した建物。有吉佐和子はこの自宅でベストセラーのすべてを執筆したとありました。東京都杉並区の自宅を復元した建物 by たびたびさん有吉佐和子記念館 美術館・博物館
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二階に書斎があって、シンプルな机といす。大先生という感じではないですが、静かな環境ではあったような感じ。代表作の「紀ノ川」「華岡青洲の妻」も和歌山のテーマ。地元で愛されるのは当然かなと思います。
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ここからはしばらく和歌山市街の散策です。
旧西本組本社ビルは、昭和2年に建てられた地元の大手土木建設業者の本社ビル。ネオ・ルネサンス様式によるビルディングですが、和歌山市内にあって戦災を逃れたというのはかなり貴重なことのようですね。カーキ色の上部と石造りの下部のツートンカラー。今でもちゃんと存在感がある建物です。 -
和歌山市立こども科学館は、まずは重厚だけどユニークなデザインの建物がインパクトあり。
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子供向けでも、こういう施設は意外に勉強になることが多いんです。
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紀伊半島の岩石の分布とかを説明したり、そこから地球生命史に進んで、藻類時代→シダ植物時代→裸子植物時代→被子植物時代、無せきつい動物時代→魚類時代→両生類時代→は虫類時代→ほ乳類時代の流れとか。人類の歴史なんかほんのちょっぴりとか、手書きのパネルだと素直に入ってくるように思います。
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さらに中心部に進んで。
フォルテワジマは、かつて和歌山にあった老舗百貨店、丸正の建物を引き継いだ商業ビル。フュージョンミュージアム、わかやまスポーツ伝承館が目当てでしたが、会社のオフィスやなんだかんだとあって、雑居ビルみたいな感じもありますね。二階には銀行の支店も入っています。
で、これがフュージョンミュージアム。 -
昭和36年の創業。和歌山市に本社があるニット機械製造・販売メーカー、島精機製作所がプロデュースする体験型の博物館です。自転車を5分こぐと編み機が作動して、手袋ができるというもの。
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それはそれで楽しい体験ではあるのですが、本当にすごいのは複雑な構造の手袋が継ぎ目なしで一発で編みあがるという技術ですよね。どこでどういう具合になっているのか。不思議なことだと思います。
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もうひとつのわかやまスポーツ伝承館もその隣り。
和歌山の野球史、和歌山の水泳史、和歌山ゆかりの金メダリストといったコーナーがあって、それぞれがなかなかの迫力ですね。一番お馴染みなのは高校野球かな by たびたびさんわかやまスポーツ伝承館 名所・史跡
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イチオシ
ただ、一番お馴染みなのは高校野球かな。智辯和歌山とか箕島とか。甲子園では誰もが知っている古豪ですからね。やっぱりこうした古豪も地元の熱烈な支援があってのもの。そうした空気もしっかり感じることができました。
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フォルテワジマを出てすぐのぶらくり丁商店街。ここが和歌山駅と和歌山市駅の中間辺りになります。
戦前は、大阪ミナミと肩を並べるほどの繁華街・歓楽街だったこともあると言いますが、駅から遠いこともあって、中核だった先ほど触れた丸正百貨店の破綻など衰退傾向には歯止めがかからなかったようですね。しかし、まあまあこんなもの。地方はこれが普通です。 -
昼飯は、このエリアのとんかつ荘 フジマルへ。
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リーズナブルな値段のとんかつ定食で、お昼時は客足が途切れることはありません。ソースは、デミグラスとトマトソースの二種類から選びます。私はトマトソースの方を選びましたが、普通のとんかつソースでもおいしそうですけどね。分厚くて、ちょっとワイルド系。気軽な感じでいただける店内の雰囲気もさすがです。
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ここから南に向かって寺町の方へ。
途中、和歌山城のお堀に出ました。 -
イチオシ
天守閣群がきれいに見えています。
和歌山大空襲で焼失した後、鉄筋コンクリートで再建されたものですが、とてもバランスが良くてクレバーな感じ。私はけっこう気に入っています。 -
岡公園公園の陸奥宗光像も久しぶり。
陸奥宗光は不平等条約にあった治外法権の撤廃に成功した立役者というのが有名ですが、日清戦争ではかなりの強硬派。やはり、カミソリというだけではなくて、そういう蛮性も持っていないと幕末の動乱を泳ぎ切ることはできなかったんだろうなと思います。 -
寺町に入りまして。
恵運寺は、紀州藩初代藩主徳川頼宣が紀州に入封した元和5年(1619年)、武田信玄に仕えた名軍師、あの山本勘助縁の山本家が創建した曹洞宗の寺です。 -
入ってすぐのところに山になった墓石があって、これは紀州西郷家のものとの説明。紀州西郷家は、徳川秀忠の生母、西郷の局が家康の側室となる前、三河西郷家に嫁いでいた時の息子を祖とする家。秀忠とは異父兄弟の関係。結局、徳川家康の十男である徳川頼宣(母は万)に仕えることになって、ここが菩提寺というわけですね。いろんな関係があるものです。
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大恩寺も寺町通りにある浄土宗のお寺。
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本堂の正面からは緩やかに上がっていく墓地の全景が見えて、とてもきれいに整備されているのが分かります。
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その墓地の一角に小原桃洞の墓というのがあって、県の指定文化財。紀州の本草学の先覚者として高く評価されている人物ということです。
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寺町からは東に向かって、今度は和歌山ビッグホエールを目指します。
ミナトベーカリーは、まだ寺町通り沿い。小さなパン屋さんだし、通り過ぎようと思ったのですが、なんとなく気になる雰囲気。どこということではないのですが、いいお店の予感がして入ってみました。 -
ムムム。ハード系のパンとか迫力があって、これはただものではないですね。プチライ麦パンをいただきましたが、これは至福の味わい。もしかして、今まで食べたパンの中で最高クラス。予感は的中。まったくすごいお店に出会ってしまいました。
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ちょっと気をよくして。
同じ寺町通りの蒲鉾の濱辰商店にも寄ってみます。創業は明治37年。もともとは和歌浦にあったそうですが、今は和歌山市内、寺町通沿いにお店を構えます。 -
ショーケースに並んだ量り売りのかまぼこを適当な種類混ぜてもらって食べ歩き。いろんな味を楽しみましたが、それぞれに味わい深いものがあるような。やっぱり老舗の味だと思います。
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イチオシ
和歌山ビッグホエールに到着。
これは旧国鉄の鉄道貨物ターミナル跡地に建てられた多目的アリーナ。
スポーツの会場としてだけでなく、コンサートの会場としても使われるよう。
和歌山らしく、鯨をイメージしたデザインはなるほど!という感じ。今は使われていませんが、クジラの潮吹きに見立てた噴出装置まで付いているようです。鯨をイメージしたデザインが大きな特徴 by たびたびさん和歌山ビッグホエール 名所・史跡
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さらに東に向かって。
津秦天満宮は、菅原道真を祀る神社。道真が太宰府に向かう途中、和歌吹上の浦に船をつけ、津和田村の「千早の杜」(現在の津秦天満宮の境内地)を訪ねられたという縁。その際、御子を隣村の神前の里、中務家に預けられたとも伝わるようです。 -
本殿の三段重ねの破風と妻のデザインは、聖徳太子の廟と同じですけど、大丈夫かなあと思ってしまいました。
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少し北に向かって。
鳴神社は、式内神社。一時は衰微していたようですが、享保4年(1719年)、紀州藩による社殿の再建を仰ぎ、神田5石余の寄進を受けています。 -
本殿が二つ並んでいて、速秋津彦命と速秋津比売命。伊邪那岐命・伊邪那美命二神の間に産まれた男女一対の神です。
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昨日の花山温泉の方まで戻ってきて、これは鳴神貝塚。
説明によれば、貝塚は、紀の川南岸の花山丘陵南西端の標高6~10mの斜面。明治28年、近畿地方で最初に発見された縄文時代の貝塚だとか。出土する土器は、縄文時代中期から晩期(約5500~約2500年前)にかけてのものが多いようです。 -
そして、とうとう日前神宮 國懸神宮まで帰ってきました。
同じ境内に左に日前神宮、右に國懸神宮と二つの神社があり、総称して日前宮。両社とも式内社で、紀伊国一宮です。
なお、祭神である日前大神は天照大神の別名。神体の鏡は伊勢神宮の八咫鏡と同等のものという言い伝えもあり、なかなかの神社かと思います。 -
日前宮駅からJR和歌山駅へ。
更科 本店は、駅前のふれあい通り。昭和レトロの渋いお店です。名前からするとそば屋さんなんですが、とんかつ定食がすごい量だとかオムライスがうまいとかの事前情報もあって、まあ何でもありっぽい感じ。 -
で、周囲が何を注文するかを見ていたら、若い人だとカレーとかとんかつがけっこう多いですね。そうこうしていたら隣りの人がオムライスを注文したので、吊られてそれにしてみました。
分厚くて香ばしい焼きの卵がとってもいいし、中のチキンライスも妙にうまいですね。けっこう満足。帰りには大将が奥の方から大きな声でありがとう!と挨拶してくれて、それも気持ちがよかったです。 -
では、今夜の宿、HOTEL CITY INN WAKAYAMAへ。
和歌山駅前は駅前なんですが、少し離れた場所。巨大な建物ですが、コンビニが入っていたりして、入り口から入ると雑居ビルのような雰囲気もありますね。一方、フロントにはそれなりの人数がいて、どうしたんでしょうねというくらい。部屋はちょっと狭い感じだし、ちょっとごちゃごちゃしている感じもなくはないですが、全体としてまあ許容範囲です。 -
翌日は、粉河寺です。
和歌山駅から最寄りの粉河駅まで。30分ほど。
粉河駅から粉河寺へは1kmちょいですから、岩出駅から根来寺に比べるとかなりアクセスはいいですからね。それにその間にしっかり市街があって、こんなに違いがあったかなあとちょっと認識を改めました。 -
大神社は、もう粉河寺大門の手前。もともとは、藤堂高虎が氏神として崇敬していたとも。目立っているのは、境内に立つ樹令千年余と推定される紀の川市指定の天然記念物の大楠樹。境内だけではなく辺りを睥睨していて、素晴らしい勢いです。
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粉河寺の大門です。宝永4年(1707年)の再建。入母屋造、本瓦葺きの楼門で、和歌山県では高野山、根来寺に次ぐ大きさ。ただ、こうして見ると根来寺の大門は大きかったですねえ。ともに、国の重要文化財です。
粉河寺 花見
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大門から中門へは川沿いの道。この雰囲気も粉河寺らしいものですね。
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そして、中門へ。
これも国の重要文化財。入母屋造、本瓦葺きの楼門で、左右に四天王像を安置します。 -
中門を抜けると本堂です。
で、一段高いところの建つ本堂の手前。本来なら石垣がある場所にあるのが、国の名勝、粉河寺庭園です。枯山水庭園といってもかなりの異色。桃山時代に作庭されたと言いますが、これが庭園であること自体、俄かには分からないかもしれませんね。 -
巨石の豪快な組合わせはちょっと破格のインパクト。計算されているようないないような。雑然と積まれているように見えなくもなくて、どうかすると工事現場に置かれた岩の山といったイメージの方が分かりやすいかも。
ただ、使われているのは雑賀崎の青石、琴浦の紫石、竜門山の竜門石といった紀州の石。ここに運ぶだけでもかなりの労力だったと思います。 -
そしてこちらが本堂。二重屋根の正堂と礼拝のための一重屋根の礼堂を前後に並べた形式。ただ、正面に建つと奥の正堂の軒破風と手前の礼堂の唐破風が重なって見えるので、とても自然な構え。間にある千鳥破風が隠れるのは計算したものかどうかは分かりませんが、かなりうまくいった意匠だと思います。
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では、本堂(礼堂)の中へ。
本尊の千手観音は正堂に安置されているのですが、絶対秘仏で過去にも公開はされたことがないのだとか。ここは西国三十三か所の第3番札所ですが、西国三十三か所ではもしかしたらここだけかも。何でも、正堂には井戸があって、千手観音はその中に中吊りされているのだとか。火事を恐れてそのようになっているようですが、すごいお話です。
なお、寺は天台宗系の粉河観音宗の総本山。創建は宝亀元年(770年)。粉河寺縁起からして千手観音の説話があって、天台宗云々より観音信仰で隆盛となった歴史。清少納言の枕草子でも触れられていて、朝廷や貴族の庇護も厚かったようです。 -
粉河寺からはもう少し周辺散策。紀伊長田駅に向かって歩きます。
気比神社は、粉河寺ともう少し近いと思いましたが、けっこう歩きますね。まあまあ開けた場所に割としっかりとした構えがあって、それらしい雰囲気です。 -
神社は、旧猪垣村・藤井村の産土。本殿は江戸時代の初期に建てられたもので二間社流造というのも見どころです。
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さらに歩いて、長田観音です。
延喜21年(921年)に創建されたという真言宗(古義)山階派の寺。こちらも秀吉の紀州征伐で焼き討ちされて荒廃しますが、その後、紀州藩の庇護を受け、紀州藩の永世厄除祈願寺に。境内はちょっと殺風景な感じもしなくはないですが、妙によく整備されていて、今でも参詣者が多いことが分かります。 -
紀伊長田駅から今度は下井阪駅へ。
西国分塔跡は、塔跡の芯柱の礎石が塔跡の基壇に残されているというもの。 -
石の中央をまあるく削り取って、その真ん中にはまた小さな穴。この上に柱が建っていたのは容易に想像できますね。なかなか精密な加工です。
ここは、紀の川市東国分にある紀伊国分寺跡の西方800mの位置。ここでは、他の伽藍は確認されていないようです。 -
で、紀伊国分寺の本体は、この紀伊国分寺跡歴史公園。
天平13年(741年)、聖武天皇の勅願で建てられた紀伊国分寺の跡がきれいに整備されていました。 -
創建時の国分寺の講堂跡基壇には、元禄13年(1700年)に再建された本堂がポツンと建っていてそれが唯一のアクセント。
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周囲は七重の塔跡の礎石とか当時の遺構が保存されています。全国にある国分寺跡の規模としては、中くらいかな。
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周囲の見晴らしがいいのも適地を考えた場所なんだと思います。
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紀伊国分寺跡に隣接して建つ立派な資料館、紀の川市歴史民俗資料館です。
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展示は、紀伊国分寺の模型や史跡からの出土品など紀伊国分寺の関連ほか、
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紀ノ川沿いの荘園や武士団の成り立ちに、浅野幸長の検地から徳川頼宜から始まる紀州藩の時代の特産品など、和歌山県全体にも関わる解説があって、けっこう充実していました。
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下井阪駅から和歌山駅に戻ってきました。
昼飯は、駅ビルの地下にある丸美商店。和歌山ラーメンの人気店で、学生とか地元の人で賑わっていました。 -
スープに煮詰めた感のまろやかなコクがあって、しゃきっとした麺と合わせたのが和歌山ラーメン。さりげない味わいですが、なかなかうまいものですね。
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和歌山電鉄で、ここからもうひとふんばり。伊太祁曽神社を訪ねます。
ところで、和歌山電鉄には個性的な車両が何種類かあって、一昨日のうめぼし電車もそうですが、たま電車はその代表格。和歌山電鉄のスーパー駅長に就任した日本を代表する働く猫、たま駅長をモチーフにした列車です。 -
面白半分のものかなと思ったのですが、さにあらず。
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デザインは本格的で、写真や絵のデザインは美術館並。なかなかの見応え。けっこう感動です。
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イチオシ
伊太祁曽神社の伊太祈曽駅に到着するといちご電車とも遭遇。
輝く白い地に鮮やかな赤色が配されて、遠くからでも目を奪う、抜群の存在感を放ちます。和歌山電鉄、なかなかやってくれています。 -
では、伊太祁曽神社へ。
素戔嗚尊の子、五十猛神を祀る紀伊国一宮 by たびたびさん伊太祁曽神社 寺・神社・教会
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こちらは、素戔嗚尊の子、五十猛神を祀る紀伊国一宮。わかやま電鉄貴志川線沿線にある日前宮、竈山神社と当神社を詣でることは三社参りと称されるのだとか。小高い場所に構える割り拝殿を抜けると、
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拝所、本殿。
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古社ならではの清々しい空気を感じます。
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伊太祈曽駅から竈山駅まで戻って、先ほど触れた三社参りの最後、竈山神社へ。
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神武天皇の長兄、彦五瀬命が竈山に葬られたという伝説があり、その彦五瀬命を祀る神社。境内は、奥が深いし、悠々としたかなり構えですね。
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ただ、社殿等が整備されてこうした構えになってきたのは明治になってからとも。日前神宮、伊太祁曽神社と合わせてこれで三社参りは完成です。
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竈山神社まで来たので、もう少し足を延ばします。
中言神社は、小さな集落の細い路地を抜けた先。かつて、当地を支配していたとされる女酋長、名草戸畔(ナグサトベ)を祀る社。 -
白い鳥居が鮮やかで、今でも地元で大事にされていることが分かります。名草戸畔は、神武東征で誅された側ですが、いったんは、神武東征軍を撃退させたとも。神武天皇が大和に入る直前のお話。神話の世界がこんなところにもありました。
さて、ここで日が暮れてきて、時間切れかな。
和歌山駅に戻って、広島に帰ります。四日間の旅、お疲れさまでした。
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