JR和歌山線の粉河駅から粉河寺に向かう参道沿いに、「桃谷政次郎記念館」という看板が掲げられた一軒の家屋があります。
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続きを読むこの家は、大阪市に本社を置く「株式会社 桃谷順天館」の創業の地であり、創業者である桃谷政次郎氏の記念館です。
桃谷順天館は、日本の弱酸性化粧品の先駆けとなった「明色アストリンゼン」や、我が国広告史に残る作品と言われる「美人は夜つくられる」というCMコピーなどで知られる老舗化粧品メーカーです。
桃谷政次郎の生家は寛永年間から粉河で代々薬種商「正木屋」を営む家系で、政次郎自身も21歳で紀州初の薬剤師となりました。
そんな政次郎は、経営難に苦しむ家業の立て直しのために東京へ出て東京帝国大学で薬学の勉強を行いました。そんな中、実家に置いてきた妻がニキビに悩んでいたことから、サリチル酸という成分を主原料とした化粧水を考案したのです。
粉河へ戻った政次郎が妻「コウ」にこの化粧水を薦めたところ、コウの肌は近所でも話題になるくらい美しくなっていきました。その評判を聞きつけた近所の女性達が続々とこの化粧水を求めて正木屋を訪れるようになったため、政次郎はこれを「にきびとり美顔水」と名付けて広く売り出すことになったのです。
驚くべきことに、この製品は130年後の現在もなお現役商品「美顔水」として販売され続けているのです。
明治18年(1885年)、政次郎は正木屋を「桃谷順天館」と改めました。これが現在に続く「株式会社 桃谷順天館」のルーツとなります。
大正10年(1921年)には本社を大阪に移転しますが、その後も桃谷順天館の評判はますます高まり、昭和4年(1929年)にはついに美顔化粧品を天皇陛下・皇后陛下に献上するまでに至ります。
また、積極的なCM展開でも知られ、ミス・ユニバース日本代表の伊藤絹子(八頭身美人)や女優の香川京子、浅丘ルリ子、巨人の長嶋茂雄、俳優の石原裕次郎、プロレスラーの力道山などを次々にイメージタレントとして起用し、話題を呼びました。ある年代の方々には、TV「明色ものまね歌合戦」の番組スポンサーとしてもお馴染みだと思います。
そんな桃谷順天館のWEBサイトでは、桃谷政次郎と妻コウによる美顔化粧水開発の物語がマンガで読めるようになっています。
http://www.e-cosmetics.co.jp/manga/
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投稿日:2015/07/28