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西光万吉寓居跡

名所・史跡

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西光万吉寓居跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11555966

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施設情報

施設名
西光万吉寓居跡
住所
  • 和歌山県紀の川市西井阪
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
yoshimune-kun さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(1件)

岩出・紀の川 観光 満足度ランキング 48位
3.03
アクセス:
3.00
民家の脇にありますので、駐車場はありません by yoshimune-kunさん
人混みの少なさ:
4.00
バリアフリー:
3.00
見ごたえ:
3.00
  • 水平社宣言の起草者の碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/10(約10年前)
    • 0

    西光万吉は、明治28年(1895年)、奈良県南葛城郡掖上(わきがみ)村(現在は御所市)に生まれました。幼少時から出自を理由...  続きを読むにいわれのない差別に苦しんだことから、青年期には社会活動に積極的に参画し、ついに大正11年(1922年)3月、差別の解消と人間の尊厳の確立を目的として「全国水平社」を設立するのです。

    万吉は全国水平社の創設者であるとともに、「日本最初の人権宣言」といわれる「水平社宣言」の起草者でもありました。この宣言の最後の一節に書かれた「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という言葉はあまりにも有名です。

    永く奈良を拠点として活動を行ってきた万吉ですが、昭和16年(1941年)に和歌山県打田町(現在の紀の川市)に転居し、以後、生涯をこの地で過ごました。
    この頃から、万吉の関心は差別問題から反戦平和の取り組みへと移っていきました。昭和26年(1951年)に発表した論文では、「祖国防衛のために百万の戦闘軍をつくるより 世界平和のために百万の奉仕団をつくりたい 何千億の軍事費用をつかうより 何千億の平和費用をつかいたい」と述べるなど、「不戦和栄」を訴える言論活動を盛んに行いました。

    昭和45年(1970年)、万吉は享年76歳で生涯を終えますが、それまで30年近くの歳月を過ごした紀の川市の住居跡に、これを記念した「西光万吉永住の地 不戦和栄の碑」が建立されています。  閉じる

    投稿日:2015/08/06

1件目~1件目を表示(全1件中)

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