2024/10/30 - 2024/10/30
20位(同エリア542件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2024/10/30
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三池炭鉱専用鉄道・西原駅跡
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三池炭鉱専用鉄道・四山駅跡
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三池炭鉱専用鉄道・四山坑線跡
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三池炭鉱・四山坑跡
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四山坑・通用門(?)跡
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三池炭鉱専用鉄道・国鉄荒尾駅連絡線跡
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この旅行記スケジュールを元に
かつて石炭の運搬や通勤に使用されていた三池炭鉱専用鉄道敷。
一部世界遺産に認定されている本線と、そして幾つかの支線から構成されていました。
これまで「三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!」シリーズで線路跡のすべてを歩いたつもりでしたが、二つの支線跡を歩いていないことに気がつきました。
一つは本線と四山坑を結んだ「四山坑線」。もう一つは本線と国鉄荒尾駅(鹿児島本線)を結んだ「国鉄荒尾駅連絡線」です。
両方なく痕跡を見つけることも困難ですが、この二つの線の後を歩いてみました。
(2025-10-22公開)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
今回の旅は「四山坑線」と「国鉄荒尾駅連絡線」を歩きます。
地図の左下、赤の点線で囲った部分です。
行程は、まず四山坑線(四山駅跡→四山坑跡付近)、続いて国鉄荒尾駅連絡線(四山坑跡→JR鹿児島本線荒尾駅)です。
「四山坑線」は、1923(大正12)年の四山坑開坑にあわせて引かれ、1992(平成4)年に廃線となります。
始まりの1923年は明治以降二番目に開かれた七浦坑が閉坑され、まさに新旧の坑の転換点でした。大牟田市の高取山周辺で始まった三池炭鉱が、徐々に西側に進み、有明海近くで採炭を行い始めたことが反映されていると思います。
そして、廃線となった1992年の五年後には三池炭鉱そのものが閉山となっています。 -
【三池炭鉱専用鉄道敷跡・西原(にしばる)駅跡】
旅は西原駅跡(熊本県荒尾市)から始まります。福岡県大牟田市との県境近く、三池港と万田坑の間に位置しており、かつては炭鉱社宅が周囲に広がっていました。
それでは、西原駅跡付近から四山坑線と国鉄荒尾連絡線が本線から分岐していたと思われる四山駅跡付近へ向かいます。 -
国道389号を渡ります。
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炭鉱鉄道跡の右側(北側)のやや広い道を進みます。
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イチオシ
【三池炭鉱専用鉄道・四山駅(停車場)跡?】
福岡県との県境に近いあたり、このあたりに四山駅(停車場)があったのでしょうか。
四山駅は炭鉱鉄道が三池港まで延伸されたとき(1905=明治38年)ではなく、少し年数が経ってから(1920=大正9年)設けられました。四山坑の開坑や坑への支線の敷設のためだったと思います。 -
道の突き当りです。ここが熊本県荒尾市と福岡県大牟田市の県境になります(道路は右手に細い道が続きます)。
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ここから戻る形になります。線路跡地の中にコンクリートの縁のようなものが見えます。縁の左側が高くなっているのでホームのようにも見えますが、本線の線路跡かも知れません。
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東方向へ進みます。このあたりで、本線に沿っていた四山坑線と国鉄荒尾駅連絡線が少しずつ逸れて行ったのではないかと思います。
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国道389号から振り返って撮影。
ここから四山坑線跡を歩いてみます。 -
こちらは四山の丘(山?)です。頂上には四山神社があります。炭鉱鉄道四山坑線は、この丘の右側(北)から前面(東)を廻りこみ、左側(南)の先へ向かいます。
(強引に二つの写真をくっつけたので変な写真になってしまいました) -
四山の東側。緑の線のあたりを炭鉱鉄道は走っていたのではないかと思います。右側の細い道は昔からの道。左の広い国道389号は一部線路跡の敷地も含んでいると思われます。
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四山の南側に廻りこみます。このあたりでは南側の道路の右端を走っていたのではないかと思います。
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四山の南側、このあたりから道路から離れて右側の空地が線路跡だと思います。
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四山の南側。四山坑跡に近づきます。
このあたりの道路は、三池炭鉱閉山後に設けられました。周囲は工場用地になっていくつかの施設があります。 -
ふり返って撮影。広大な跡地は、今はソーラーパネルが設置されています。
石炭から太陽光へ。時代の移り変わりを実感します。
今は、有明海はもう少し西側(この写真では右側)ですが、かつては四山坑のすぐ側まで海岸線が迫っていました。坑の敷地自体が一部は海を埋め立てて造られていたそうです。この道路もその頃は海か、海岸だったと思われます。 -
フェンス後越しですが、太陽光発電の奥の方(西側)へやってきました。
この周辺が四山坑の竪坑櫓があったあたりと思われますが、痕跡は無に等しいです。 -
こちらは以前、四山神社で撮影した、かつての四山坑竪坑櫓です。世界遺産の宮原坑や万田坑の鉄骨製の櫓とも異なり、鉄筋コンクリートのワインディング式の竪坑櫓でした。残念ながら爆破解体されてしまいました。
かつて、三池炭鉱を紹介する絵葉書では四山の緑と桜を背景に、この櫓が描かれていました。
四山坑は、世界遺産の宮原坑、万田坑に続いて1923(大正12)年に開かれた坑です。1965(昭和45)年に閉坑となりましたが、大正末から第二次大戦後の三池炭鉱全盛期を支え続けた坑です。
そして、1960年の三池争議の舞台でもありました。 -
イチオシ
ズームアップすると、コンクリートの巨大な擁壁のようなものが見えました。ごくわずかに残る四山坑の跡でしょうか。
かつて四山坑の門には、争議で暴力団に刺殺された組合員の方の慰霊碑があったそうですが… -
道路を挟んで反対側には木材の大きな工場がありました。この先にはかつて広大な炭鉱社宅があり、荒尾市・大牟田市にまたがっていたました。
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ここで四山坑跡と、その北側の四山神社の丘の間の細い道を進んでみます。古い道です。
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やがて道路の左側(南側)にコンクリート(?)の古い柵が見えます。四山坑の敷地の外側だったのでしょう。
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その先、昨から塀に変わります。
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赤錆びた門がありました。
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イチオシ
その先、いかにもかつて炭鉱の施設があったような雰囲気になります。
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そして…わかりにくいと思いますが、板で覆われた先に門のようなものが見えました(赤の点線で囲った部分)。ここが四山坑の通用門だったのでしょうか。
★後からわかったのですが、1992年の地図には、このあたりに「三井三池鉱業学校」や「三池鉱業技能センター」がありました。それらの通用門などだったのかも知れません。
「三井三池鉱業学校」は、通称”鉱山学校”と呼ばれ、1946年に大牟田市内の三井工業学校(現在の三池工業高校=三池集治監跡地)の中に設けられ鉱山で働く技術者が養成されました。学生でありながら三池炭鉱の従業員として給与・日用品や食料の配給もあったそうです。しかし1950年に三井工業高校が県立三池工業高校となり、転出したそうです。この四山坑の場所に転出したのでしょうか。戦後の学制改革により鉱山学校は高校卒の資格が取れなくなり、炭鉱の経営悪化もあって、1961年に閉鎖となりました。(大牟田市が作成した「炭鉱と暮らしの記憶 エピソード集2」に記載された内容をまとめました)
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これにて三池炭鉱専用鉄道四山坑線跡及び、四山坑跡の散策を終了。
次は再び四山神社の側の鉄道分岐点付近に戻り、国鉄荒尾駅連絡線跡を歩きます。 -
【国鉄荒尾駅連絡線跡を歩く】
国道389号付近の本線からの分岐点に戻ってきました。写真の左は西原駅。国鉄荒尾駅連絡線は、すぐ右側(南側)にありました。
国鉄荒尾駅連絡線が設けられたのは、1942(昭和17)年。第二次大戦中の頃です。戦争のため、国内の輸送は海上から陸へ切り替えられました。石炭も例外ではありませんでした。当時の三池炭鉱の主力坑であった四山坑や三川坑の石炭を国鉄と連絡させるには、本線をぐるっと廻り旭町支線を経由して大牟田駅で接続するより、ごく短い距離で済む荒尾駅からの方が効率的だったのかも知れません。
荒尾駅連絡線は、第二次大戦後の1948(昭和23)年にいったん休止、1961(昭和36)年に再開され、1977(昭和52)年まで運行されました。 -
このように、今は空地となった場所を走っていたようです。
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空地の突き当り、新しめのアパートが見えます。恐らく廃線後に土地が売却されて建てられたのだと思われます。
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連絡線の南側の道路を進みます。
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道路の右側は築年数の経った住宅など。左側は集合住宅や新しい家などがあり、連絡線の跡地です。左右で明らかに違った景色が見られます。
連絡線は、左側(北側)を本線と並行して東へ進みながら、ゆるやかに南方向へカーブしていたようです。 -
その先の交差点のあたり。連絡線はこのあたりから今の道路になっている部分を走っていました。
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線路跡の道路。カーブしているのがわかります。このあたりで東から南へ方向を変えます。
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その先の交差点を過ぎると道は狭くなります。写真の赤い矢印が連絡線の跡。道路を外れて左側を走っていました。
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左手にはJR鹿児島本線の線路があります。このあたりではJRと並行するように連絡線跡は進みます。
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連絡線はアパートのあたりを通っていたようですが、この先、再び細い道路上を通ります。
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JRと並行して走っていた連絡線。
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イチオシ
その先の踏切から北側を振り返って見ました。
地図上で確認できる炭鉱鉄道の国鉄荒尾駅連絡線は、左側の赤い実線を走っていたようです。しかし、どうも途中で切れている線路は、かつては連絡線と接続していたようにも思えます(赤の点線部分)。 -
踏切から反対側(南方向)を見ます。線路の先に荒尾駅。このポイントで接続していたのでしょうか(赤の点線部分)。
一方地図で確認すると線路の右側(西側)の駐車場を連絡をは走っていたようです(赤の実線)。 -
線路の右側(西側)には細長く広い商店街用の駐車場が見えますが、どうも、炭鉱鉄道の跡地を利用しているようです。
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JR荒尾駅に着きました。
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荒尾市生まれの、詩人・海達公子の碑がありました。北原白秋に絶賛されながらも、若くして亡くなりました。
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JR荒尾駅。なかなかに、シブい雰囲気のある駅舎です。
荒尾駅 駅
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駅前ロータリー。かつては炭鉱景気で賑わっていたのでしょうが、今は静かなたたずまいを見せていました。
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駅前の駐車場(炭鉱鉄道の跡地)を歩いていると、「入口」のゲートが見えます。
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【カフェレストランNANA】
”おいしい珈琲の準備ができております”…歩き疲れお腹も減っています。ゲートに吸い込まれるように入ります。 -
小さなお庭もあって、ほのぼの落ち着く雰囲気。
*後でネットで調べてわかったのですが、1953(昭和28)年創業、2024年の時点で創業71年という老舗のカフェレストラン(コーヒーショップ)です。1953年といえば、三池炭鉱の全盛期でしょうか。 -
イチオシ
お庭に面した席に着きます。
駐車場からお庭を通って入りましたが、どうも、反対側が正式(?)の入口のようです。
店内はテーブル席にカウンター席。
レトロカントリーな内装と雰囲気。落ち着ける感じです。
接客も明るくフレンドリーな感じで…10月とはいえちょっと暑い日。のんびりリラックスして食事ができました。 -
メニューです。ブレブレの写真で申し訳ありませんが、なんと日替わりランチが800円(税込)。
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800円というリーズナブルさですが、スープ付。
お店は常連らしきお客さんが次々に訪れ…長く営業されているようで、地域で親しまれているカフェレストランです。 -
本日の日替りは酢鶏。甘辛く酸味も感じられて美味でした。
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甘酢で艶やかに光る酢鶏。
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アイスコーヒーも付いていました。
尚、すぐ前の商店街駐車場は、二時間まで無料とのことでした。
荒尾駅にも近く、駐車場は目の前。JRでも車でもOKなお店です。 -
こちらが正式(?)な出入口。表から見ると南欧風でもあります。
昭和28年創業、ほっとできる雰囲気のカフェレストランです by Decoさんナナコーヒーショップ グルメ・レストラン
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歩いている途中で気になった駅北側の踏切近くの居酒屋さん。夜のみの営業のようです。
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”だるま”の字が特徴的です。
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居酒屋さんの前の道。どこかで見たような気が…以前フォートラベラーのちちぼーさんが、荒尾駅から三池炭鉱専用鉄道敷跡を経て万田坑へと歩かれた道のようでした。
(【2021年 熊本】3 ここは世界遺産だよ。心優しいおじいちゃんたちの案内のある万田坑。 https://4travel.jp/travelogue/11725634)
リンクを承諾していただいたちちぼーさんに、お礼を申し上げます。
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旭町支線から始まった、三池炭鉱専用鉄道敷跡を歩く旅。この後、グルメ編や総集編をいつか作りたいと思っていますが、ひとまずこれにて完結となります。
この旅行記、並びにシリーズをご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (6)
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- fmi(ふみ)さん 2025/11/27 20:34:59
- おひさしぶりです
- Deco様おひさしぶりです。fmiと申します。私の旅行記も度々閲覧いただき有難う御座います。
産業遺産となった三池炭鉱専用鉄道の紀行文、拝見させていただきました。荒尾駅周辺にも専用鉄道があったとは知りませんでしたが、大牟田にあった三井化学専用線(以前の旭町線)と繋がっていたのですね。旭町線はつい5年前まで貨物列車が運行されていましたので、今思えば記録撮影に行くべきだったと後悔しています。
90年代までは健在だった三池鉄道も、今は何とか廃線跡が残っている状況に時代の無常さを感じます。
今後ともよろしくお願いします。
- Decoさん からの返信 2025/11/28 15:35:18
- Re: おひさしぶりです
- fmi様、こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
三池炭鉱専用鉄道の国鉄への連絡線は、旭町線があり大牟田駅付近に連絡していましたが、もう一か所第二次大戦中に荒尾駅への連絡線も設けられました。戦時中で三池港からの海上輸送より陸上の鉄道輸送の方が被害に遭い難いという理由からだったそうです。当時の主力坑の多くは荒尾駅に近い場所にあったので、新たに設けられたのだと思います。
旭町線は、1997年の閉山後も三井化学によって引き継がれ、20年以上も続いていて、今思えば、炭鉱鉄道時代以来の歴史を背負った貴重な鉄道でした。私も在りし日の姿を撮影しておけばよかったと後悔しています。当時はごくあたりまえの風景だと思っていました。
国道と交差する場所にはかつては踏切もありましたが、今は線路も撤去されました。その脇のホテルニューガイアオームタガーデンには、炭鉱鉄道が見える東側の部屋に鉄道ファンの方が時折宿泊されていたそうです。
旭町線を走っていた電気機関車は、万田坑跡と炭鉱電車ステーションゼロの二か所で動態保存されています。万田坑は確か日曜のみモーターで自走。
炭鉱電車ステーションゼロは毎月第3土日のみ営業、ディーゼル車で牽引されて短距離を走行します。こちらは別料金で運転席に乗車することもできます。
いずれも町を走る姿ではありませんが、機関車だけでも残してもらえて良かったと思います。
長い返信になり失礼しました。こちらこそよろしくお願い致します。
Deco
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- ma-yuさん 2025/10/22 23:44:44
- 「四山坑線」と「国鉄荒尾駅連絡線」
- Decoさん
こんばんは!
地図がありますと「四山坑線」と「国鉄荒尾駅連絡線」の区分けが判り易いですね。
四山坑は、世界遺産の宮原坑、万田坑に続いて1923(大正12)年に開かれた坑で
三池争議の舞台で大量解雇されて刺殺された組合員も居られて歴史的な事件ですね!
「三井三池鉱業学校」は高卒資格がとれず県立三池工業高校になったのですね。
国鉄荒尾駅連絡線も本線をぐるっと廻り大牟田駅で接続するより、
荒尾駅からの方が効率的見たいですね。
カフェレストランNANAもお庭に花も咲いてシックな感じ雰囲気良いですよ!
地域密着の常連さんが居られて流行っているようですね!
それに酢鶏の定食も美味しそう!
居酒屋のだるまの”る”の表示がユニークです。
「三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!」シリーズで緻密で丁寧な旅行記も見させて頂きました。お疲れ様でした(・∀・)イイ!!
ma-yu
- Decoさん からの返信 2025/10/23 06:15:23
- Re: 「四山坑線」と「国鉄荒尾駅連絡線」
- ma-yuさん、おはようございます。
地図は…私も地図を作りながら確認しているような感じです(^^ゞ
四山坑は、大正時代の開坑で、三池炭鉱では新しい坑になると思います。それ故戦後も主力坑として稼働し、三川坑とともに争議の舞台となりました。
あの、夏の甲子園で優勝した三池工業高校は、元々は三井の私立学校でした。それが県立となり、炭鉱と深い関わりがある鉱業学校が単独で移ってきたのでしょうね。でも、高卒資格が取れないのはやっぱり厳しいですよね…。
荒尾駅連絡線は、第二次大戦下で海上輸送が難しくなったからこその路線だったようで、実は他の支線も戦争絡みで設けられたり復活した路線もあって、時代の流れを反映していますね。
カフェレストランNANAはきれいな店内ですが、なんと1950年代の創業の老舗。歴史を重ね、地元の方に親しまれるかお店のようでした。
ma-yuさんにはマニアックでわかりにくい私の旅行記をいつも丁寧に読んでくださり、本当に感謝しております。ありがとうございます。
Deco
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- ちちぼーさん 2025/10/22 22:08:10
- 荒尾駅
- Decoさん、こんにちは。
リンク有難うございます。
荒尾駅では荷物を預けようと思っていたので、ダメだと知った時はがっかりして駅周辺のことがあまり記憶にありませんでした。
駅の方には素敵な「カフェレストランNANA」とか渋い居酒屋さん「だるま」があったのですね。
落ち込んでいた私の前に三池炭鉱専用鉄道敷跡があったときは、感動しました。
そのおかげで、Decoさんのこともしることが出来ました。
三池炭鉱専用鉄道敷跡を歩く旅、一応これで完結なのですね。
とても丁寧にまとめられていて、興味を持たれた方にはとても参考になるシリーズとなりましたね。
お疲れさまでした。
あの、万田坑のおじいちゃん解説の方はお元気だろうか?と気になります。
ちちぼー
- Decoさん からの返信 2025/10/23 06:06:32
- Re: 荒尾駅
- ちちぼーさん、おはようございます。
こちらこそ、リンクをご承諾いただきありがとうございます。
旅先で荷物を預けて、さあ観光…というときに、ロッカーがなかったら、がっかりしてテンション下がりますよね。
荒尾駅前は賑やかとはいえませんが、駅周辺に老舗の喫茶店やラーメン屋、中華料理、パン屋さんに鰻屋さんもあって、なかなかにシブくて個性的なお店が揃っています。
鉄道敷跡から万田坑、宮原坑へ。大変だったとは思いますが、歩かれたからこその、あの旅行記だったと思います。解説のおじいちゃんのこともよく見て書かれていて、その姿が想像できるようでした。ちちぼーさんがどう感じて思って歩いて見ていたか、とてもよく伝わってきました。
多分、ちちぼーさんの旅行記に感動したのは私だけではないと思います。
鉄道敷跡の旅行記はちとマニアックすぎた部分もありますので、いつか総集編でわかりやすいものを作れたらと考えています。
二年前私も万田坑付近の鉄道敷跡を歩いて、そのとき90歳のガイドさんとお話ししてちちぼーさんにもお話しましたが、その方はちちぼーさんの自転車を押して進んでいた方とは別の方だったようです。
私も気になっています…
Deco
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