2023/11/20 - 2023/12/20
72位(同エリア218件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
三池炭鉱専用鉄道敷跡をめぐる旅。旭町支線(三井化学専用鉄道)跡、本線、玉名支線跡と続き、今回は勝立支線跡です。
当初、勝立支線跡は旅行記にするつもりはありませんでした。
それは、比較的早い時期に線路跡が撤去されて河川工事が行われ、線路跡にかかわる遺物がほぼ失われていること。
また勝立エリアは今まで二回程、私の旅行記で取り上げているからです。
しかし、本線跡と他の支線跡を歩いて旅行記にした以上、残った勝立支線跡も記録に残しておきたいと思うようになりました。
それ故構成上以前の旅行記の繰り返しになる部分もあります。ご了承の上御覧ください。
尚、この旅行記を作成するにあたり、下記のサイトを参考にさせていただきました。サイトの運営者の皆さまには心からお礼を申し上げます。
●炭鉱鉄道関係
「三池炭鉱専用鉄道研究所」
「炭鉱電車が走った頃」
「歩鉄の達人」(サイト内の”廃線探索写真集”→【三井三池港務所(三池鉄道)】)
●社宅関係
「有明望嶽庵」(サイト内の”おから研究室”→【社宅見学会】)
【勝立支線の概要】
1891(明治24)年 三池炭鉱専用鉄道として横須浜(後の三池浜駅、大牟田港への積出駅)~宮浦(現在の宮浦石炭記念公園)~七浦が開通 *後に本線となる区間です
1894(明治27)年 後に勝立支線と呼ばれる、七浦~勝立が開通
1896(明治29)年 逆様川~白川(宮原坑)が逆様川線として開通(宮原坑開坑に伴い開通)
1900(明治33)年 七浦~宮原間が開通(後の本線)
1932(昭和7)年 勝立線廃線・撤去(勝立坑廃坑のため)デルタ線(逆様側線)も撤去か?
1944(昭和19)年 勝立線再敷設(勝立坑跡に火薬庫が設けられたため)
1950(昭和25)年 勝立線、東へ延伸 勝立(後に馬渡)~東谷
1969(昭和44)年 勝立線再び廃線に(勝立周辺の社宅~宮浦坑への通勤線として運行されていたが、宮浦坑廃線のため)
(2025年2月25日公開)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡の地図から始まります。
この地図は三川坑にて撮影した案内板を元にしてリライトして一部内容を追加したものです。
三池炭鉱の全盛期の本線と支線です。地図には描き切れませんが、三池港や大浦・横須の化学コンビナートへの膨大な引込線もありました。
今回は赤い線の勝立支線を取り上げます。
コースは、勝立支線の本線からの分岐点付近から終点の東谷駅跡付近へ進み、さらに支線跡の中間点あたりから周囲の史跡や社宅跡を歩きます。 -
【三池炭鉱専用鉄道敷跡・早鐘踏切跡】
歩き始めるのは、かつての三池炭鉱専用鉄道の早鐘踏切跡付近。
フォートラでも自転車で三池炭鉱の世界遺産めぐりをされた方は、この場所を通られたかも知れません。
ここで炭鉱電車が県道大牟田植木線を横切っていました。画面中央右の看板から先が世界遺産認定の区間になります。 -
そして県道の反対側。フェンスで閉ざされた先にはもう一つフェンス。ここから北に線路が延びて七浦坑跡から宮浦石炭記念公園近くへ続きますが、コンビナート内を通るのでこの先見ることができません。
さて、本題の”勝立支線”ですが、この先の七浦坑跡付近で分岐して東へ向かい、勝立坑へと延ばされました。この分岐点跡付近も見ることはできません。 -
ここで、三池炭鉱専用鉄道の経緯について見てみます。
三池炭鉱は藩政期以来、旧柳河藩と旧三池藩に分かれて採炭されていましたが、双方の境界争により明治6年に官営化されました。
国営化されたことで、西洋近代技術が投入されて大浦坑に蒸気機関を利用した近代的な斜坑が設けられ、併せて積出港として大牟田港が整備され、その間を馬車鉄道が設けられ、その後七浦坑へも分岐・延伸されました。
しかしが輸送力に限界があり、1891(明治24年) 新たに蒸気機関車による線路が引かれました。後に電化されますが、これが三池炭鉱専用鉄道の始まり。①の横須浜(大牟田港)~宮浦坑~七浦坑を結ぶ路線です。
続いて1894(明治27年)に七浦坑より勝立坑に延伸されます。後に勝立支線と呼ばれる部分ですが、この頃は本線・支線の概念はなかったと思われます。
後年、勝立支線は炭鉱の社宅からの通勤路線として活用されるのですが…明治の頃、既に通勤路線として使用されていました。それは…なんと囚人労働の通勤だったとか。恐らく三池集治監(現在の三池工業高校)からほど近い七浦坑まで歩き、そこから炭鉱鉄道に乗車して勝立へ向かったと思われます。 -
そして1896(明治29)年、宮原坑開坑に伴い、延伸されますが、現在の三池炭鉱専用鉄道敷跡に見られるような、七浦坑~宮原坑の直通線路ではなく、七浦坑と勝立坑の間に逆様川というポイントが設けられ、ここでスイッチバックのような形で宮原坑へ向かいました。逆様川線、通称で”デルタ線”と呼ばれる短い部分です。
なぜ直通にしなかったのか、その理由はわかりませんが、1900(明治33)年、万田坑の開坑にあわせて七浦坑より直通の線路が引かれます。
この旅行記の冒頭の二枚の写真の線路跡、実は明治33年に敷かれたものだったのですね。 -
時は流れて1932(昭和7)年、勝立坑の採炭終了により、勝立支線(七浦坑~勝立坑)は廃線となり、線路もいったん撤去されます。
同じ頃、逆様川線(デルタ線)も撤去されたことと思われます。
ところが、1944(昭和19)年、第二次大戦下において、勝立支線は再敷設されます。それは、勝立坑跡に火薬庫が設けられたからです。石炭ではなく軍事によるもので、まさに時代を反映していると思います。 -
そして第二次大戦が終わり、戦後の復興期。傾斜生産方式という政策が国の方針として採用されます。これは復興に必要な産業を優先的に振興させるとというもので、当然エネルギーである石炭も優先的に予算等が配分されました。
こうした状況の下、勝立支線が延伸されます。
元々勝立地区は大正時代から社宅が建設されていましたが、第二次大戦後さらに加速。鉱員の通勤路線として勝立支線のみならず三池炭鉱専用鉄道が活用され始めます。そして、勝立坑跡の少し東にある東谷地区にも社宅が建設されて、ここまで延伸されました。
当時採炭を行っていた三池炭鉱の坑は、宮浦坑・万田坑・四山坑に三川坑。勝立地区の社宅の人々は、宮浦坑に通勤されていたようです。
しかし、1950年代後半からエネルギー革命により石炭から石油へ転換。三池炭鉱も衰退期に入ります。1960年~の三池争議、そして1963年の三川坑炭じん爆発事故もその流れの中にあるかと思います。
そして1968年、明治以来長年に渡り採炭し続けてきた宮浦坑(現在の宮浦石炭記念公園)が採炭終了。そこへの通勤路線であった勝立支線は翌1969年に終焉のときを迎えます(その後勝立地区の社宅からは通勤バスが設けられたそうです)。
その後、勝立支線の線路跡は、道路になったり、また河川改修工事により現在の大牟田川になったりしています。
採炭のために敷設され、廃坑と共にいったん撤去。そして戦争の中で復活。戦後の炭鉱全盛期の中で通勤路線として延伸。そしてエネルギー革命後の衰退の中で再び廃線。数奇な運命を辿った勝立支線ですが、まさじ日本の時代の流れを反映したものだと思います。 -
早鐘踏切跡から県道を東へ向かいます。
-
重要文化財の早鐘眼鏡橋です。
1674年に三池藩領の田畑を潤すための灌漑用水を通すために造られました。大牟田川の上にかけられ、その上を水路が通っています。石造の水道橋としては日本で最も古いそうです。
尚、大牟田市の夏祭りといえば大蛇山ですが、そのルーツともいえる三池祇園の一つ、三池藩大蛇山の山車は、この早鐘眼鏡橋の完成を祝って藩主より下賜されたと伝えられています(現在使用されている山車は幕末の頃に下賜されたもの)。早鐘眼鏡橋 名所・史跡
-
【暖溜橋】
早鐘眼鏡橋の近くには暖溜橋。”だんりゅうばし”と読みますが、恐らく元々は”ぬくたまり”と呼ばれていたと思われます。この近くでは北側に丘陵地帯があって北風を遮り、南側にゆるい傾斜地が広がっていて日当たりがよく、冬でも晴れた日は温かかったのだと思います。
早鐘眼鏡橋から暖溜橋にかけての川は大牟田川ですが、こちらは曲がりくねっていて古い流れ。近くの直線状の大牟田川は河川工事で新たに造られた流れのようです。
デルタ線の正式名称は逆様川線ですが、この「逆様側」は大牟田川の別称のようです。恐らく複雑に曲がりくねっていたからかと私は思います。 -
県道の左手には大型車の駐車場。コンビナートの一画です。
コンビナートができる前(たぶん第二次大戦前)はこのあたり、あるいはその奥に炭鉱の早鐘社宅があったようです。
炭鉱の初期の社宅は今のコンビナート内に建設されたようです。早鐘以外にも、宮浦石炭記念公園の東南側や大浦坑への入口付近などにあったようです。しかしコンビナートの建設・拡張に伴い、少し離れた場所へ移っていきます。その一つが勝立地区だったようです。 -
早鐘眼鏡橋から東へ進みます。道路の左側に木々が見えてきます。
勝立支線と宮原坑方面を結んだ逆様川線(デルタ線)はこの県道付近を走っていたようです。 -
県道が大牟田川に接する地点に出ました。
炭鉱鉄道勝立支線も、コンビナート内の七浦坑のあたりから大牟田川の北側(写真では左側)を走っていたと思います。 -
【帝人フロンティアアパレル】
帝人フロンティアアパレルという会社があります。
以前はアシックスアパレルでしたが、経営が変わったのでしょうか。
1980年代と思われる地図には、この敷地内まで線路が残っていたようです。多分勝立支線が部分的に残っていたのではないかと思います。
また、宮原坑方面への連絡線(逆様川線=通称”デルタ線”)の折り返し地点である逆様川もこのあたりにあったのではないかと思います。
*逆様川は、大牟田川の古い名称(別名?)のようです。河川改修後も残っている古い川筋は複雑に曲がりくねっており、ここから「逆様」の名称がきているのかも知れません。 -
帝人フロンティアアパレル前の橋のあたりから、大牟田川西側を撮影。
コンビナート内とは思えない景色です。 -
東へと県道を進みます。
帝人フロンティアアパレルの先には「不知火ゴルフ場」の看板が見えます。
その右の橋を渡ります。 -
橋を渡って正面にはゴルフ場の入口。
不知火ゴルフ場です。三井化学の関連企業のようです。
ここにはかつて大きな溜池があり、先述の早鐘眼鏡橋を通して農業用水として活用されていました。
しかし炭鉱の勝立坑の掘削と地震で底が割れて水漏れし、そのため炭鉱は農家へ補償金を払って溜池を無くします。その跡がゴルフ場になっています。不知火ゴルフ場 ゴルフ場
-
ゴルフ場入口前から右(東方向)へ曲がり進みます。この道あたりが勝立支線跡のようです。
-
振り返ると帝人フロンティアアパレルの裏門(?)が見えます。この建物の左部分かたりから炭鉱鉄道勝立支線が延びていたようです。
-
左側の古い石垣が鉄道跡の雰囲気を醸し出しているように感じました。
-
その先、右側には精巧印刷、その先に「酒」と見えるのはディスカウントドラッグストアのコスモス。
-
コスモスや精巧印刷の県道の向かい側にある自転車屋さん。多分かなりの老舗で、炭鉱の社宅で周囲が賑わっていた頃から営業されているのではないかと思います。
-
炭鉱鉄道跡の路をさらに進むと左手奥に工業団地が見えてきます。
-
【勝立工業団地】
かつての炭鉱社宅跡は再開発され、住宅地やショッピングモールなどに姿を変えていますが、このあたりは工業団地になっています。 -
工業団地の向かい側(南側)は普通の住宅街に。
炭鉱鉄道跡の道路と県道に挟まれた細長い土地、工場やドラッグストア(コスモス)に住宅街…様々な表情を見せます。 -
その先、広い道路に出ます。この道路は三池炭鉱の閉山後に周囲が再開発され、そのときに通されたものです。かつての炭鉱社宅の敷地跡を貫くように通っています。
-
橋から振り返って西方向を撮影。県道沿いに流れていた大牟田川は、このあたりで少し北側にそれて炭鉱鉄道跡の道路の横を流れています。
-
【松谷海苔工場】
かつて社宅があった場所を貫く道路を上がります。ゆるやかに東方向にカーブしています。
広い道の左手には松谷海苔の工場。 -
【オーム乳業】
その先にはオーム乳業の広い工場。
松谷海苔とオーム乳業の間の道を進みます。 -
工業団地のすぐ先の小高い丘が公園になっています。
そこには解脱塔という慰霊碑があります。
三池炭鉱の史跡には悲しいもの、つらいものが多いと感じますが、この解脱塔はその中でも、私としては最も悲しい場所です。
*以前の旅行記で詳しく取りあがているので、簡単に紹介します。解脱塔 名所・史跡
-
丘の上にある解脱塔。
三池集治監から出役して採炭にあたっていた囚人の人々が埋葬されていた場所です。集治監の吏員の人々により建立され、後に囚人墓地保存会の皆さまによって整えられました。
*地元の情報誌で知ったのですが、囚人墓地保存会は約半世紀に渡る活動に終止符を打ち、解散されたそうです。恐らく2023年のことと思われます。 -
その右下には三池集治監の監獄医で、囚人労働廃止の意見書を出した菊池常喜医師の顕彰文があります。
意見書は、今風に言えば「内部告発」でしょうか。集治監の典獄(所長)により反対意見が表明され、菊池医師の意見は通りませんでした。その後医師は集治監を去ります。
しかし、同時期に長崎の高島炭鉱の納屋制度に潜入したジャーナリストが告発記事を発表します。当時の高島ではいわゆる”タコ部屋”であり、非常に酷い環境で人々は働かされていました。現在は軍艦島としてフォートラでも人気の端島炭鉱でも、酷い納屋制度があったそうです。
菊池医師や高島炭鉱の告発記事により、炭鉱の納屋制度、そして囚人労働も厳しい批判を受けます。その後三池集治監の炭鉱労働は縮小され、熊本県からの囚人の派遣も終わります。
菊池医師の意見書は決して無駄ではなかったと思います。 -
解脱塔の横には合葬の碑などがありました。
-
解脱塔の南側の展望台からは、再開発されて工業団地やショッピングモールとなったかつての炭鉱社宅跡地が見えました。
-
イチオシ
遥か先には雲仙が見えました。
-
【メルクス(ショッピングモール)=三池炭鉱馬渡社宅跡地】
解脱塔の丘を降りて、勝立支線跡の反対側(南側)へ。メルクス(ショッピングモール)があります。
ここにはかつて炭鉱の馬渡社宅がありました。周囲を丘陵地に囲まれており、昔は馬でないと通れないような湿地だったそうです。 -
【馬渡社宅の碑】
その先の公園には碑があります。
第二次大戦中に三池炭鉱で働いていた朝鮮半島出身の人々が、宿舎であった馬渡社宅の押入れの壁に残した文章や絵を複製して碑にしています(本体は大牟田市石炭産業科学館にて展示)。
この碑の文章には漢文も使われています。この当時、朝鮮半島において識字率は高くはなく、その中でも漢文を書ける人はごく一握りの知識階級であったとされます。こうした人々も働いていたということになります。 -
この人々は過酷な環境で働かされ、時に暴力も受けていたそうです。
もう随分前ですが、この碑を見たときはショックでした。こんなことがあってほしくなかったと思いました。ただ、その後炭鉱の歴史を知ると、ここで行われたことは、囚人労働とつながっているのではないか…と思えてきます。
私は実際に働いていた人を取材した本を読んだことがありますが、その内容からして、その労働は強制労働、もしくはその形を取らずとも、実質的には強制労働だったと感じました。 -
勝立支線跡に戻り、進みます。
ここからは、道路の右側を大牟田川が流れていますが、この川の部分が線路跡ということです。
大牟田川はこの周辺では蛇行しており、勝立支線が廃線になった後、その土地を利用して新たにまっすぐな川が作られました(旧来の蛇行している川も残っています)。
このあたりにかつて馬渡駅があったらしいのですが、はっきりとしたことはわかりません。 -
その左手には炭鉱住宅跡地に建つ市営の団地。
-
道を東へ進みます。先の方でゆるやかにカーブするのがいかにも線路跡という感じがします。
この写真の右側(南側)には県道が通っていますが、その道を渡ったところにあるのは… -
【向田理髪店】
勝立支線跡と並行して走る道路の先には、映画「向田理髪店」の舞台となった原田理髪店(現在は営業は終えられたようです)。 -
線路跡の道に戻ります。
左手には団地と公園。 -
なぜかヤギさんがいました…。
-
【大牟田川沿い商店街跡】
さらに進むと商店街跡があります。 -
今は殆どが営業をやめられ、空き家も見られます。
-
商店街跡の東端へ。
-
イチオシ
【椎山食料品店】
商店街跡で唯一営業をされている椎山食料品店さんです。
買物てがらお店の方にお話を聞いてみました。炭鉱鉄道の線路は、やはり道の前にあって廃線後に工事が行われて新たな大牟田川になったそうです。その後は水があふれることもなくなったとか…。
お店の方が話されるには、商店街の端だから営業を続けられた…とのこと。すぐお隣にはマルエイというスーパーもありますから。
ただ、ちょっと寂しいお話も。お隣の堤茶園さんは2023年6月頃に営業を止められたそうです。椎山食料品店さんが唯一のお店になってしまいました。
この場所は映画「向田理髪店」のロケ地。この道が写ったのはごく短時間ですが、強烈な印象を残しています。お店の方は、ロケが行われたときも見ていらしたそうですが、あの場面は椎山食料品店さん(と堤茶園さん)があったからこその場面だったと思います。 -
椎山食料品店さんの東側です。古い大牟田川の上に建物の一部があります。店の左側、ガードレールの左が線路跡にできた新しい大牟田川です。
-
椎山食料品店の東側にはスーパーのマルエイがあります。
ここは元々は勝立支線の終点(第二次大戦後再敷設されたときにはさらに奥まで延伸されましたが)。
そのため当時を偲ばせる遺構が少し見られます。 -
木々に隠れていますが、古い煉瓦も見えます。
-
さらに進むとマルエイ(スーパー)が左側に見えます。
-
【マルエイ大牟田店=三池炭鉱専用鉄道勝立支線終点(延伸前)】
マルエイ大牟田店。この先少し進むと勝立坑跡。このあたりが、かつての勝立支線の終点と思われます。
こちらのスーパーの敷地には、かつて炭鉱従業員専用の購買所がありました。購買所は後にサンショーという三井鉱山系のスーパーとなりましたが、今は既にありません。現在は熊本発祥のマルエイの支店となっています。 -
マルエイの左側は炭鉱住宅の跡地。今は太陽光発電が広がっています。
-
マルエイの先(東側)は空地になっていますが、その先には勝立坑の遺構が残っています。
勝立坑跡 名所・史跡
-
かつての勝立坑付近の写真。
恐らく今のマルエイ付近からの撮影かと思われますが、かつての痕跡はほとんど残っていません。 -
マルエイのあたりに戻ります。
マルエイの右側(南側)から先の大牟田川と県道。
この先に炭鉱の東谷社宅が建設され、昭和25年(1950)に延伸されました。
その延伸部分はこの河川から県道に添う住宅街のあたりにあったと思われます。
*県道のこの部分、道が大きくふくらんだように見えます。以前は大きくカーブしていましたが、道路の改修が行われて左側に移って家屋や商店も立ち退いたり建て替わったりしました。 -
県道部分から道路左側(北側)を撮影。赤い線の部分を勝立支線が走っていたと思います。
-
振り返って西側を撮影。左端にマルエイが見えます。そこから河川がある場所や、写真の住宅のあたりを勝立支線延伸部分は走っていたようです。
-
この道路沿いを炭鉱電車は走り…
-
その先で県道から左へそれる道へ。
-
左の道、線路跡を進みます。
-
このあたりは勝立支線廃線の後に住宅街なったと思われますが、それなりに年月を経ています。
-
【ひばりが丘団地】
線路跡の北側に広がる住宅街。ひばりが丘団地です。
広い道路にゆるやかな南傾斜の土地。
ここには炭鉱住宅などはなかったようで、新たに造成された住宅街のようです。
1980年代の地図でも、周囲の炭鉱住宅とこのひばりが丘が一緒に載っています。 -
ゆるやかなカーブ。廃線跡の感じがします。
-
道沿いにあったお好み焼き屋さん。長い間営業されておらず、一時期再開されましたが、今は営業されていないようです。
シブい雰囲気。こちらで食べてみたかったです。 -
さらに進みます。左側の高取山と、右側の丘陵に挟まれた静かな土地です。
-
その先に勝立支線(延伸部分)の終点が見えてきました。
赤くマークしたあたりです。 -
【三池炭鉱専用鉄道勝立支線の終点・東谷駅跡】
このバス停跡付近が東谷駅跡と思われます。
左側は以前は商店をされていたのでしょうか。
ここには以前バスが通っていましたが、標識はでに外され、バスもなくなったようです。車社会だから仕方ありませんが、不便になった方もいらっしゃるかも知れません。 -
【東谷団地(三池炭鉱東谷社宅跡地)】
勝立支線跡は先ほどの写真で終わりましたが、その少し先にある東谷団地(市営住宅)まで足を延ばします。ここが炭鉱の東谷社宅の跡地。
周囲を歩いて見ましたが、かなり広いスペースで駐車場もあり、公園もあって穏やかな雰囲気が流れていました。 -
【勝立層化石露頭地】
東谷団地の奥には勝立層化石露頭地があります。 -
説明板の左側。このあたりが露頭地でしょうか。
-
【三池炭鉱有明坑事故の慰霊碑】
マルエイ方向に戻りますが、途中お地蔵様のような像がありました。 -
見てみると、三池炭鉱の有明坑の事故(昭和59年=1984)で亡くなられた方々の慰霊碑でした。
東谷を含む勝立地区の社宅に住んでいた方は宮浦坑で働いていたそうです。そのためその廃坑(1968)のすぐ後に勝立支線も廃線となりました(1969)。ただ、通勤バスが運行されていたとうことなので、有明坑の事故の頃には近くの社宅にお住いの方がいらしたのかも知れません。 -
【大牟田恵愛園】
最後に、メルクス(ショッピングモール付近)から松谷海苔やオーム乳業の前の広い道を上がります。この道は炭鉱の社宅跡を貫いています。
その一角にあるのは大牟田恵愛園。福祉施設でとてもモダンな建物です。 -
【三池炭鉱・紅葉ヶ丘社宅跡?】
その先に道路から道の後のような部分が見えました。進んでみます。 -
所々に石垣や壁のあとなどが見えて、この写真のような道の跡もありました。
-
竹藪に覆われた石垣。炭鉱の社宅の跡でしょうか。
三池炭鉱の閉山から26年以上経ち、それ以前から勝立地区の社宅は住まわれなくなっていたと思いますが、生活の痕跡が所々感じられました。
「有明海望嶽庵」というサイトに勝立地区の社宅が詳しく記されており、この旅行記でも随分参考にさせていただきましたが、ここで確認すると紅葉ヶ丘社宅の跡ではないかと思います。 -
コンクリート製の建造物と錆びた鉄柵。何だったのでしょうか。
-
炭鉱住宅などの塀に使用されていた建材の破片。コンクリートを煉瓦上に成型しモルタルで接着しているように見えました。
-
【勝立神社跡】
工業団地から延びる道路に戻り、さらに東に進むと勝立神社跡。
かつて三池炭鉱があり多くの社宅があった頃は、山の神として祀られていました。今は拝殿などもなくなり、鳥居と狛犬が静かにたたずんでいます。 -
その先には市民の森という場所があります。1980年代と思われる地図には載っていますが、現在グーグルマップにはありません。随分前に整備されたようですが、今は自然に戻ったかのようでした。
その一角に展望台があり、絶景でした。
この雲仙の写真で旅行記の〆とさせていただきます。
ご覧いただきありがとうございました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!
-
前の旅行記
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(6) 玉名支線跡を探索 原万田駅跡~宮内駅跡
2023/11/07~
玉名・荒尾
-
次の旅行記
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(9) 三池港逍遥 ~路面電車が走っていた、三川の街~
2023/11/21~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(1) 旭町支線(三井化学専用鉄道)
2021/12/02~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(2) 浜本線(宮浦坑跡~大牟田港跡)
2021/12/02~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 east編~
2022/09/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(3) 宮原坑から万田坑へ
2023/10/26~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(4) 旭町支線起点~宮原坑 (+フェスタ2023)
2023/10/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(5) 万田坑から三池港へ
2023/10/31~
玉名・荒尾
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(7) 玉名支線跡を探索 宮内駅跡~終点・平井駅跡(グリーンランド付近)
2023/11/07~
玉名・荒尾
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(6) 玉名支線跡を探索 原万田駅跡~宮内駅跡
2023/11/07~
玉名・荒尾
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(8) 勝立支線跡を歩く
2023/11/20~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(9) 三池港逍遥 ~路面電車が走っていた、三川の街~
2023/11/21~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 west編~
2023/12/12~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(10) 三池港~大牟田川河口(諏訪川フットパス&諏訪公園)
2023/12/29~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ編 ~旭町支線~
2024/01/06~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~白川露天堀りへのトロッコ線路跡~
2024/01/25~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(0) 炭鉱電車ステーションゼロ、電気機関車に乗車!
2024/04/13~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(11) 四山坑線・国鉄荒尾駅連絡線
2024/10/30~
玉名・荒尾
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- ma-yuさん 2025/02/25 17:19:18
- 勝立支線跡
- Decoさん
こんにちは!
今回は三池炭鉱専用鉄道の本線でなく勝立支線跡なんですね!
勝立支線の歴史も七浦坑と勝立坑と延伸されているのですね。
七浦坑と勝立坑の間に逆様川というポイントが設けられているのですね。
言われるように直通にしなかったのが不思議で勉強になりました。
勝立支線跡と並行して走る道路の先には、映画「向田理髪店」の
モデルの理髪店は以前紹介されて読みました。
息子さんとの葛藤、親の気持ちも理解できますよ(・∀・)イイ!!
今回もDecoさんの足で見聞され調査されているのが理解できます。
それに推測も述べられていいるのが凄いです。
歴史が得意でない私でも流れだけですが少しわかりますよ(笑
ma-yu
- Decoさん からの返信 2025/02/25 20:40:59
- Re: 勝立支線跡
- ma-yuさん、こんばんは。
今回の旅行記はマニアックで内容もわかりにくいものだと思いますが、丁寧に読んでコメントもいただき、ありがとうございます。
逆様側のポイントは、後から見れば不思議な延伸の仕方なのですが、勝立支線が建設された当時は、支線ではなくて、本線が延伸されたものだったのだと思います。だから、宮原坑へは勝立坑へ向かう途中から延ばされたのかも知れません。でも、やっぱり後の本線の軌道の方が合理的に思えますよね。
向田理髪店が公開されてからもう三年程経ったでしょうか。今も建物は残されています。息子とすれば、やっぱり何か新しいことをやってみたいと思うでしょうし、親からすればそれは地に足が付いていなくて危なっかしくてそうがない…のでしょうね。私も今になってみれば、親の気持ちがわかります…。
勝立支線跡付近は世界遺産の区間ではないし、観光的にはほとんど顧みられることもないのですが、深く炭鉱と関わり、いわゆる負の歴史の影も濃い土地です。その一方で多くの社宅がかつてあり、多くの人が生活していました。その中には楽しいこと悲しいこともあったと思いますが、そこには多くの人生があり、それはとても尊いことのように感じています。
Deco
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
大牟田(福岡) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!
2
82