2021/12/02 - 2023/12/10
38位(同エリア220件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2021/12/02
-
ゆめタウン南側橋脚跡
-
高射砲跡(宮浦公園)
-
泉橋
-
旭橋
-
レストラン オハラ
-
国道208号を渡る炭鉱鉄道跡
-
喫茶ポケット
-
JR鹿児島線(と西鉄天神大牟田線)を渡る炭鉱鉄道跡
-
新栄町・栄町付近
-
ガード下食堂跡
-
明治町付近
-
北磯町オートバックス付近(アンダーパス)
-
三池炭鉱専用鉄道跡・三池浜駅跡
-
大牟田港跡
-
大牟田川北岸
-
大牟田川南岸から見た大牟田港侵入口跡
-
大牟田川河口付近
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
世界遺産の構成資産にもなった、三池炭鉱専用鉄道敷跡。
しかし、世界遺産からは外れた跡地もあります。
その一つが通称「浜本線」と呼ばれる部分です。
世界遺産からは外れたものの、浜本線は炭鉱鉄道の中でも最初期に建設され、三池炭鉱の歴史に大きな役割を果たしました。
その浜本線の跡地を見て廻ります。
*旅行記作成にあたって、何度か現地を訪れて撮影しており、日付や天候などはバラバラです。また本旅行記中、何枚かは他の旅行記と重複しています。何卒ご了承ください。
(2023/12/17公開、2024/03/09大牟田川第二水門の写真追加)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
まず浜本線の路線について。三川坑で撮影させていただいた写真を使用します。
「浜本線」は正式な名称ではないようです。写真の緑の線で囲んだ部分、宮浦駅(宮浦坑)からJR鹿児島本線と交差し、三池浜駅(かつての大牟田港)との間の部分になります。
三池炭鉱の専用鉄道、まずは大浦坑と大牟田港を結ぶ馬車鉄道が敷かれ(1879=明治11年)、後に途中で分岐して七浦坑とも結ばれましたが、輸送力に限界がありました。
そこで本格的な鉄道が敷設され、七浦坑から宮浦坑を経て、大牟田港に隣接した三池浜駅(当時は横須浜駅)間に蒸気機関車の線路が敷かれました(1891=明治24年)。
しばらくは大浦坑からの馬車鉄道と併用される形でしたが、大浦坑と七浦坑の間にエンドレスロープ(ベルトコンベヤーのようなものでしょうか?)が結ばれて石炭が移送されるようになり、馬車鉄道は終焉を迎えます。
この旅行記で扱うのは、最初期に敷設された炭鉱鉄道(七浦~三池浜)の中の宮浦駅付近~三池浜駅です。 -
まず宮浦石炭記念公園(宮浦坑跡)から撮影した旧宮浦駅付近です。
このあたりからが通称「浜本線」となります。
旧宮浦駅からは旭町支線も分岐し、2020年5月まで使用されていました。この写真は2021年12月に撮影したものです。2023年の時点で線路は既に撤去されています。
*この写真は以前撮影して別の旅行記でも使用しています。宮浦石炭記念公園 公園・植物園
-
宮浦駅から北上、このあたりから浜本線(本線)と旭町支線に分岐していたと思われます。
浜本線はJR鹿児島本線と交差するために線路は高架になり、旭町支線はそのまま地面を走ります。 -
ゆめタウンの南側付近で道路と交差します。現在はパイプラインのみですが、かつては左側のパイプラインの場所に浜本線の線路(高架)があったと思われます。煉瓦の橋脚が残っています。
旭町線はその左側(北側)の地面を走っていました。 -
浜本線と旭町支線の分岐点付近から、浜本線跡を進んでみます。
パイプラインは本線跡に沿ってこの先海岸部まで延びているようです。 -
浜本線跡に沿うように伸びるパイプライン
-
浜本線跡沿いに進みます。
-
道路と交差する場所では、このような橋脚があります。
この先、国道208号と交差します。 -
浜本線の北側、ゆめタウンから撮影してみます。
ゆめタウンは旭町支線の北側に位置していますが、同線が浜本線と分岐するあたりに位置しているので、両方を見ることができます。
この写真のパイプラインの側の草に覆われた小高い道のような場所が、浜本線の線路跡です。
左端に旭町支線(三井化学専用鉄道)の線路跡も見ます。 -
イチオシ
パイプランと並行する浜本線。写真の右端の部分で国道208号の上を通過します。
-
こちらは旭町支線の跡。この先、正面右手のホテルニューガイアオームタガーデンの右側を通過し、JR鹿児島本線と接続します。
-
線路跡は意外にきれいです。
-
反対側(工場側)を撮影。
-
浜本線跡は大牟田川と並行する形で進みます。
ここからしばらく、大牟田川沿いの小さな近代化遺産や史跡を見ます。
(写真は大牟田川からコンビナート方向を見たものです。左手に専用鉄道跡とパイプラインが見えます) -
【宮浦公園】
大牟田川からほど近い宮浦公園へ。広場には遊具があり、家族連れや子供たちが遊んでいました。
この写真の左手は小高い丘になっています。 -
【高射砲跡】
上ってみます。円錐形に盛られたものがいくつか見えます。 -
ここには第二次大戦中に高射砲が設けられていました。
-
イチオシ
このようなコンクリートの高射砲跡がいくつか残っています。
-
振り返って撮影。周囲には新しい住宅街やマンションも見えます。
今はすっかり穏やかな風景となった宮浦公園ですが、こうした史跡を見るとかつて戦争があったことが感じられます。 -
少し民南側を廻り、坂を降ります。
このあたりには三井化学の山の上倶楽部という厚生施設がありましたが、今はなくなり真新しくきれいな住宅街になっていました。 -
大牟田川沿いの小さな産業化遺産、泉橋と旭橋へ。
-
【泉橋】
こちらは泉橋です。大牟田川の北側が大きく開いた形になっているのが特徴。大正5年(1916)竣工。
橋の先(南側)は高台になっており、かつては大牟田市唯一の総合病院であった、三井病院がありました。泉橋は三井病院への橋だったようです。病院は第二次大戦で焼失、後に三池港近くの天領に移り、現在は「社会保険天領病院」となっています。今も、大牟田市立病院と並ぶ、市内の総合病院です。
エイトというお好み焼屋さんのあたりです。エイト グルメ・レストラン
-
泉橋を横から見ます。北側に大きく開く形で湾曲しているのがわかります。
-
南側から見た泉橋。先には建物の間に小さく浜本線跡が見えます。
-
泉橋から川下方向を見ます。旭橋が見えます。その先は国道208号があります。
-
【旭橋】
旭橋にきました。泉橋に比べると形はオーソドックスです。
橋のたもとには球がを載せた形の石柱があります。 -
橋の先の丘の上に見える小さな神社は金毘羅宮。昔はこのあたりは海で、神社の丘は海に突き出した岬だったのだと思われます。
-
大牟田川の南側の道沿いにオハラというレストランがあります。
このあたりはシブい街並みですが、ここはお洒落な雰囲気。
人気のレストランのようで、お店の前の駐車場には多数停車。オハラ グルメ・レストラン
-
浜本線跡に戻ります。
国道208号線まで来ました。長い高架になっています。パイプラインの右側が本線跡。高架の南東側から撮影しました。 -
高架の北東側から撮影。
-
イチオシ
国道208号線を渡り、国道の西側へ。南西側から浜本線との交差部分撮影。
★この旅行記の各写真、撮影時期は少しずつずれていますが、このときは南側に新しいパイプラインが出来ていました。 -
北西側から撮影。
-
橋脚の北側にはポケットという老舗の喫茶店があります。
ポケット グルメ・レストラン
-
浜本線の北側を西へ進みます。この先にJRと西鉄の線路があります。
-
国道208とJRの間に細い道が通り橋脚があります。昔は国道はこのあたりを通っていたと聞いたことがありますが…その頃の名残でしょうか?
-
さらに西方向へ進むと、浜本線跡の高架とJR鹿児島本線・西鉄天神大牟田線が交差する場所。
西鉄電車がちょうど通りすぎています。
★浜本線が造られたとき、JRへの石炭の積み替えは、このポイントで上から落とす形で行われたそうですが、あまりに非効率ですぐに旭町支線が造られて接続するようになったそうです。素人目に見ても、ここでの積み替えは難しそう…。 -
線路の北側には、西鉄新栄町駅が見えます。昔は駅ビル(エマックス、できた頃は西鉄名店街)があって賑わっていたのですが、寂しくなりました。
-
先ほどの橋脚部分に戻ります。正面には衝撃的風景…店舗跡のようです。昔は賑わっていたのでしょうね。
このあたり、廃墟系(?)のYoutubeでも取り上げられているようです。 -
イチオシ
橋脚部分。煉瓦の壁面と錆が浮いた鉄にパイプライン。かつてはこの上を炭鉱列車が通っていました。
決して美しい風景ではありませんが、ないか心に響く景色でした。これも近代化産業遺産の一つですね。 -
橋脚を振り返ります。ホテルニューガイアオームタガーデンが見えます。
-
橋脚付近からJR線路方面を撮影。
-
橋脚の南側にある、キッチンカロリー。老舗の食堂。ボリュームがあって、美味しくて、店主のおじちゃんが優しいという三拍子揃ったお店です。創業50年を超えているとか。
お食事の店 キッチンカロリー グルメ・レストラン
-
こちらは浜本線の南側から撮影したJR・西鉄との交差部分。
-
少し南に進むと白亀会館があります。
食事処に宴会、夏季のビアガーデンを備えた老舗です。
西村健さんの小説「地の底のヤマ」にも登場します。白亀会館 グルメ・レストラン
-
屋上にはビアガーデンが見えました。
★この後は、JR・西鉄の線路を渡って撮影を再開します。 -
JR・西鉄の線路の反対側へ移動します。浜本線の北側を進みます。
目の前に道路が通り、橋脚が見えます。この右側が西鉄新栄町の移動に伴い、1970年頃に再開発された新栄町のエリア(再開発といっても半世紀前、撤退した大型ビルも多く、すっかり寂しくなりました。
この写真の左に続くエリアは栄町。昔からの商店街です。かつては栄町に西鉄栄町駅がありました。
浜本線添いの狭い道を進みます。 -
その先は西鉄駅前を通る広い道に合流、左側が浜本線跡です。
-
浜本線跡の北側に広がる新栄町。
昔は大きな紡績工場があり、その跡地に西鉄駅が移転し、商業地区が形成されました。かつては井筒屋百貨店、ダイエー、マルショクサンリブ、デオデオ、ベスト電器、サウナのラッキー館、などがありましたが、大型店舗はほぼ撤退又は廃業。正面に見えるマンションも以前は大型店舗があったと思います。その手前の「えるる」は市の交流施設。かつては大型のパチンコ店があったと記憶しています。 -
この先、県道と交差しますが、その少し手前で小さな道が交差しています。
-
県道18号(通称・大正町通り)の明治町一丁目交差点付近に出てきました。
ここから浜本線跡の南側を新栄町方面(東方向)に折り返して戻ります。 -
ガード下の歩道を抜けて、浜本線跡の南側へ出ます。
-
県道の向かい側には銀座ビル。いわゆる飲み屋さんのビルですが、今は閉鎖されています。
-
県道の東側には先ほどの小さなガード下。
-
ガード下を南側から見た写真です。
車が停まっている場所には、かつて「ガード下食堂」という小さな食堂がありました。九州にしては珍しい鶏ガラの醤油ラーメンだったそうです。また回転焼も名物で、西村健さんの小説「地の底のヤマ」では巨人軍の原監督の子供の頃の好物だったとか…。
建物が退いてしまうと、意外にも小さなスペースだったのだと思います。
尚、グーグルマップのレイヤーでは建物の屋根がまだ見られます。 -
南側は御覧のように裏道という雰囲気。浜本線跡も、木々が茂るにまかせてあります。
-
この先、新栄町と栄町の間の道路に戻ります。
-
続いて県道18号の西側を見てみます。浜本線北側沿いの狭い道路を抜けて、いったん広い道(北通り)から中町一丁目交差点から南に進むと、ガード下の道が見えます。
県道18号の東側が寂しくなったとはいえ商業地であるのに対し、西側は住宅街にになります。 -
線路はかなり前に取り外され、パイプランが敷かれていますが、かつて線路を支えていたコンクリートの基礎らしきものが見えます。
-
その東側、既に木が生い茂っています。
-
西側へ進みます。パイプラインが伸びます。
-
その先は北磯町の広い道と交差します。この道は炭鉱鉄道ができてから、かなり後になって建設されたのではないかと思われます。
-
今度は南側に廻りこみます。
-
東方向に戻る形で進むと、不思議なパイプライン。小さな橋ガードがあり、生活道路が見えます。それを避ける形で曲がっているようです。
-
西側方向、新しいマンションとの対比が印象的です。
-
橋脚部分を南側から撮影。手前に小さな川(溝?)があります。
-
イチオシ
ガード下を潜って、北側から撮影。
-
ジブリの世界のような煉瓦。
-
浜本線の南側の道を進むと…
-
県道18号、明治町一丁目交差点付近に戻ってきました。
============================
次の写真からは、再び陸橋付近からその先、炭鉱鉄道の終点跡と初期の石炭の積出港であった大牟田港跡に向かいます。 -
前の写真から少し離れて西の方に来ました。陸橋へ上がる道です。右側が炭鉱鉄道跡。
-
陸橋の上から撮影。右手のパイプラインが炭鉱鉄道跡です。
-
陸橋の下はこのようにアンダーパスになっています。パイプラインを避けるために下を潜る形になったのだと思います。
-
陸橋を渡ると炭鉱鉄道跡の南側へ。大牟田協同ガスがあります。この右側が炭鉱鉄道跡ですが、社有地なので中には入れません。
アンダーパスを通って北側へ向かいます。 -
アンダーパスの下からパイプラインを撮影。
-
道路からパイプライン(=炭鉱鉄道跡)を撮影。
-
炭鉱鉄道跡の北側に廻りこむと、パイプラインが見えます。
-
コンビナートや工場へ向かう道を避けるために、パイプラインが道路上を通ります。
-
ダイナミックな形状です。
-
右手はオートバックスやスーパー、飲食店などが入った施設になっています。
-
オートバックスから撮影。
-
道路を進み、振り返って撮影。パイプラインが道を避けて通っています。かつては炭鉱鉄道の踏切などがあったのでしょうか?
-
隣接するデンカ(旧電気化学工業、三井系の企業)の駐車場。かつてはここに炭鉱鉄道の終着駅「三池浜駅」がありました。
この先は引込線が三方向に分かれて伸びていました。西方向の貯炭場、西北方向(左手)のデンカや三池製錬所などのコンビナート、そして北方向の三井金属鉱業方面にも引込線が延ばされていて、最も伸びた時期は堂面川を越えて伸びていたそうです。 -
それではすぐ近くの大牟田港跡に行ってみます。
炭鉱鉄道の三池浜駅があった場所の南側、現在は明治ポンプ場なっている場所です。現在は埋め立てられて石炭積出港の面影はありません。
かつては竜宮閣と呼ばれる船渠が入江のような形状で設けられていました。三つの水門により水位が調節され、石炭の積出が行われていました。しかし小型船しか入れなかったために島原半島の口之津港で積み替えなければならず、その効率の悪さを解消するために三池港が築かれました。
大牟田港は明治6年に三池炭鉱が官営化された後、西洋近代技術が投入された時期に築港されました。それは、江戸時代末期以来の大浦坑に近代的な斜坑を設け、大牟田港までの馬車鉄道と併せて整備されました。採炭から輸送、船での搬出までの三点セットということです。現在見られる炭鉱鉄道は初期の馬車鉄道とは別軌道で、後に敷設されました。 -
大牟田港跡の南側には小野商店という会社があります。1980年代と思われる地図には、このあたりには造船所があり、まだ大牟田港の船渠もあり、大牟田川とつながっていたようです。
-
道を進むと大牟田川の北岸に出ます。
-
河川に降りてみます。多くの漁船が係留されています。
-
イチオシ
その先、進んでみます。この写真のあたりで行き止まり。大牟田川の河口が見えます。かつてはこのあたりを小型の石炭搬出の船が通っていたのですね。
-
内陸方向(東方向)を振り返って見ます。
-
河口付近をズームで撮影。有明海沿岸道路橋が見えます。
-
大牟田港跡から離れて川の北岸を進んで内陸方向を撮影。三池山が見えます。
-
こちらは大牟田市石炭産業科学館の特別展で撮影させていただいた「大牟田川第二水門」の写真と説明です(撮影掲載は特に問題ないとのことでした)。
当時は大牟田川や大牟田港の出入口に水門が設けられて水位を調節していたようです。 -
ここで大牟田川の南岸に廻り、大牟田港跡付近を撮影。写真の中央やや左手に奥に進む水路のような場所が見えます。ここが大牟田港への進入路だったようで、かつては水門が設けられていました。大牟田港には、さらに川の下流(西側)と上流(東側)の計三か所に水門が設けられていたそうです。
-
この奥が大牟田港だったようです。
-
イチオシ
この旅行記も終わりに近づきました。
大牟田川南岸を河口方向へ進みます。炭鉱鉄道敷設後も海側が埋め立てられて工場が建設され(写真の煙突のあたり)、海岸に貯炭場も設けられました。三池港築港以降は石炭積出のための輸送は激減しましたが、貯炭場への連絡線として炭鉱鉄道は機能していました。 -
イチオシ
河口付近を撮影。有明海の彼方に見える山は多良岳でしょうか?
かつて、河口の右側(北側)には三池炭鉱の南新開坑があったそうです(通気用の坑)が、今は取り壊されて工場街になっているようです。 -
大牟田川の南側を海の方へ進み、突端まで出ます。船溜まりの向こうには大きな建物。帝京大学福岡キャンパスでした。そのお隣はこの旅行記シリーズの最初に訪れた「大牟田市石炭産業科学館」。振り出しに戻ったような気分です。
*このすぐ南側から海辺~諏訪川河口に沿って、石炭産業科学館→諏訪公園から有明海沿岸道路付近に至る「諏訪川フットパス」という散策路が整備されているそうです。沿岸道路付近からは三川坑跡、三井港倶楽部、三池港展望所も歩いて行けます。もしこの付近を見学・観光したい方がいらしたら、ルートの一つとして考えても良いかもしれません。 -
【近代化産業遺産・三池炭鉱の光と影】
河口の突端から南側を見れば、三池港とその向こうに島原半島と雲仙が見えました。
三池炭鉱は高取山から始まり、徐々に海側の地下深くに進み、専用鉄道網を敷いて、石炭の積出港を整備しました。
そのネットワークこそが、明治日本の近代化産業革命遺産に登録された源です。
囚人労働、納屋制度、与論島からの移住した人々の厳しく労働、外国人労働、暴動、争議、事故…悲しい記憶に満ちていますが、同時に現代日本の基礎を築いてくれたのが石炭産業でした。
太古のメタセコイアから始まり、海と山に育まれた三池炭鉱。その中で多くの人々が生きて、その中には喜びも悲しみもありました。閉山後もその姿は光と影に包まれているように思えました。
御覧いただき、ありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!
-
前の旅行記
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(1) 旭町支線(三井化学専用鉄道)
2021/12/02~
大牟田
-
次の旅行記
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 east編~
2022/09/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(1) 旭町支線(三井化学専用鉄道)
2021/12/02~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(2) 浜本線(宮浦坑跡~大牟田港跡)
2021/12/02~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 east編~
2022/09/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(3) 宮原坑から万田坑へ
2023/10/26~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(4) 旭町支線起点~宮原坑 (+フェスタ2023)
2023/10/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(5) 万田坑から三池港へ
2023/10/31~
玉名・荒尾
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(7) 玉名支線跡を探索 宮内駅跡~終点・平井駅跡(グリーンランド付近)
2023/11/07~
玉名・荒尾
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(6) 玉名支線跡を探索 原万田駅跡~宮内駅跡
2023/11/07~
玉名・荒尾
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(8) 勝立支線跡を歩く
2023/11/20~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(9) 三池港逍遥 ~路面電車が走っていた、三川の街~
2023/11/21~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 west編~
2023/12/12~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(10) 三池港~大牟田川河口(諏訪川フットパス&諏訪公園)
2023/12/29~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ編 ~旭町支線~
2024/01/06~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~白川露天堀りへのトロッコ線路跡~
2024/01/25~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(0) 炭鉱電車ステーションゼロ、電気機関車に乗車!
2024/04/13~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(11) 四山坑線・国鉄荒尾駅連絡線
2024/10/30~
玉名・荒尾
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- 万歩計さん 2023/12/17 20:16:13
- 浜本線
- Decoさん、こんばんは。
あの炭鉱廃線は浜本線と言ったんですね。私も断片的ですが見てきました。旧妙見駅辺りが印象的でした。まさにジブリの世界ですね。
Deco さんの旅行記を拝見して、何時かやりたいと思ってた廃線ウォークが出来た気分です。ありがとうございました。
万歩計
- Decoさん からの返信 2023/12/18 05:29:13
- Re: 浜本線
- 万歩計さん、おはようございます。
旅行記をご覧いただきありがとうございます。
”浜本線”は正式名称ではないようですが、小説にも出てくるので、ある程度知られた呼び方なのかも知れません。
今回取り上げたエリアは街中を高架で通るので、地元民にはなじみ深い、景色の一部になっていると思います。あのレンガの部分は幾星霜の年月を経てジブリの世界のように思えました。
旧妙見駅、以前三池炭鉱史跡めぐりをされたときに御覧になったのでしょうか。あそこもシブい駅跡ですよね。
実は、今年10月~12月にかけて、他の炭鉱鉄道跡も見てきました。整備されて歩ける場所、入れない場所、既に失われた場所といろいろあって、今後少しずつ旅行記にしていきたいと思います。
Deco
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
大牟田(福岡) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!
2
97