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大牟田市の北磯町。かつて炭鉱鉄道(三池炭鉱専用鉄道)の起点であった三池浜駅跡(初期の石炭積出港である大牟田港の近く)のすぐ側に、ステーションゼロという施設が完成、2024年4月20日にプレオープン致しました。<br />今のところ第3土・日のみの営業ですが、なんと、かつて炭鉱鉄道で走っていた電気機関車が二台展示され、その中の一台はディーゼル車の牽引ながらも運転席に乗車できて30メートルほど走るのです。<br />さっそくプレオープンの日に駆け付け乗ってみました。<br /><br />(2024/05/05)

三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(0) 炭鉱電車ステーションゼロ、電気機関車に乗車!

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2024/04/13 - 2024/04/20

10位(同エリア215件中)

Deco

Decoさん

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大牟田市の北磯町。かつて炭鉱鉄道(三池炭鉱専用鉄道)の起点であった三池浜駅跡(初期の石炭積出港である大牟田港の近く)のすぐ側に、ステーションゼロという施設が完成、2024年4月20日にプレオープン致しました。
今のところ第3土・日のみの営業ですが、なんと、かつて炭鉱鉄道で走っていた電気機関車が二台展示され、その中の一台はディーゼル車の牽引ながらも運転席に乗車できて30メートルほど走るのです。
さっそくプレオープンの日に駆け付け乗ってみました。

(2024/05/05)

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
  • 先日公開した旅行記(「三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 west編~」 https://4travel.jp/travelogue/11866444 )の最後の部分のリピートから始まります。<br /><br />2024年4月13日。大牟田市北磯町のオートバックスの駐車場、パイプラインが見えますが、この先にかつての三池炭鉱専用鉄道敷の起点・三池浜駅がありました。この工場の中にも引込線が伸びていました。

    先日公開した旅行記(「三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 west編~」 https://4travel.jp/travelogue/11866444 )の最後の部分のリピートから始まります。

    2024年4月13日。大牟田市北磯町のオートバックスの駐車場、パイプラインが見えますが、この先にかつての三池炭鉱専用鉄道敷の起点・三池浜駅がありました。この工場の中にも引込線が伸びていました。

  • オートバックスの駐車場の出入り口には新しい建物が見えます。

    オートバックスの駐車場の出入り口には新しい建物が見えます。

  • 炭鉱電車ステーションゼロ。<br /><br />この前日にテレビを見ていたら、この「炭鉱電車ステーションゼロ」の完成記念式典があったとニュースが流れ、翌13日にも新聞に掲載されていたのです。<br />炭鉱閉山後は三井化学専用鉄道として旭町支線のみが稼働していましたが、運行終了となり、電気機関車は万田坑と、このステーションゼロに引き取られ動態保存されることになりました。<br />ステーションゼロは三井系の企業と関わりがある地元の企業(白石自動車グループ)が建設し、またNPO法人「炭鉱電車保存会」が監修されたそうです。<br /><br />…ということで、早速13日に訪れてみました。

    炭鉱電車ステーションゼロ。

    この前日にテレビを見ていたら、この「炭鉱電車ステーションゼロ」の完成記念式典があったとニュースが流れ、翌13日にも新聞に掲載されていたのです。
    炭鉱閉山後は三井化学専用鉄道として旭町支線のみが稼働していましたが、運行終了となり、電気機関車は万田坑と、このステーションゼロに引き取られ動態保存されることになりました。
    ステーションゼロは三井系の企業と関わりがある地元の企業(白石自動車グループ)が建設し、またNPO法人「炭鉱電車保存会」が監修されたそうです。

    …ということで、早速13日に訪れてみました。

    炭鉱電車ステーションゼロ 名所・史跡

    炭鉱電車の運転席に乗車できて、動きます by Decoさん
  • 入口シャッターの隙間から中を見ると…

    入口シャッターの隙間から中を見ると…

  • ズームアップすると先には電気機関車が鎮座しております。<br />この日は開いておらず、周囲を一周してみます。

    イチオシ

    ズームアップすると先には電気機関車が鎮座しております。
    この日は開いておらず、周囲を一周してみます。

  • 北側から撮影。炭鉱鉄道で使用されていたと思われる木材が見えます。

    北側から撮影。炭鉱鉄道で使用されていたと思われる木材が見えます。

  • 近づいて見ますが、ガードレールで遮られました。

    近づいて見ますが、ガードレールで遮られました。

  • 南側に廻りこみます。柵の木材は炭鉱鉄道に使用されていたものでしょうか?

    南側に廻りこみます。柵の木材は炭鉱鉄道に使用されていたものでしょうか?

  • 上の写真の左手(南側)は明治町ポンプ場。三池港ができるまでの石炭の積出港だった大牟田港の跡です。<br />ステーションゼロは、炭鉱鉄道の起点であった三池浜駅跡地と、大牟田港跡のすぐ側に位置しています。黎明期の三池炭鉱の重要な地点に位置しています。

    上の写真の左手(南側)は明治町ポンプ場。三池港ができるまでの石炭の積出港だった大牟田港の跡です。
    ステーションゼロは、炭鉱鉄道の起点であった三池浜駅跡地と、大牟田港跡のすぐ側に位置しています。黎明期の三池炭鉱の重要な地点に位置しています。

  • 南東側、柵の間から撮影。

    南東側、柵の間から撮影。

  • 早く公開されないかな~。

    早く公開されないかな~。

  • 北東側から撮影。炭鉱鉄道跡の築堤の先に小さくステーションゼロが見えます。<br />線路を再敷設すれば、そのまま電気機関車が走り出しそうな気がします。

    北東側から撮影。炭鉱鉄道跡の築堤の先に小さくステーションゼロが見えます。
    線路を再敷設すれば、そのまま電気機関車が走り出しそうな気がします。

  • さて、一週間後の4月20日、大牟田市の観光サイトによれば、第3土・日に営業とのこと。再訪問すると、オープンしています!

    さて、一週間後の4月20日、大牟田市の観光サイトによれば、第3土・日に営業とのこと。再訪問すると、オープンしています!

    炭鉱電車ステーションゼロ 名所・史跡

    炭鉱電車の運転席に乗車できて、動きます by Decoさん
  • 三井鉱山株式会社三池港務所鉄道課三池浜駅の看板。<br />ステーションゼロは、かつての炭鉱鉄道の起点・三池浜駅跡地のすぐ側にあります。<br />”ゼロ”も、三池浜駅のゼロポストから名付けられたそうです。<br /><br />三池港務所は、三井鉱山(炭鉱)の中でも炭鉱鉄道と港湾(=三池港)を管理運営する部署。確か萩尾望都先生のお父様もここにお勤めだったはず。

    三井鉱山株式会社三池港務所鉄道課三池浜駅の看板。
    ステーションゼロは、かつての炭鉱鉄道の起点・三池浜駅跡地のすぐ側にあります。
    ”ゼロ”も、三池浜駅のゼロポストから名付けられたそうです。

    三池港務所は、三井鉱山(炭鉱)の中でも炭鉱鉄道と港湾(=三池港)を管理運営する部署。確か萩尾望都先生のお父様もここにお勤めだったはず。

  • 受付で入場券(500円)を購入、さらに「乗車券はどうしますか?」と聞かれて、迷わず(!!!)購入(800円)。<br /><br />…そう、炭鉱電車ステーションゼロは、電気機関車が展示されているだけでなく、乗車して、30メートルほど動くのです(ディーゼル車による牽引)。

    受付で入場券(500円)を購入、さらに「乗車券はどうしますか?」と聞かれて、迷わず(!!!)購入(800円)。

    …そう、炭鉱電車ステーションゼロは、電気機関車が展示されているだけでなく、乗車して、30メートルほど動くのです(ディーゼル車による牽引)。

  • さて、場面は飛んで電気機関車の運転室です。<br />入場券・乗車券を購入したら、電気機関車が発車間際。三人並んでおられましたが、Decoも入れてもらい、急いで乗車しました。そのため機関車に乗り込むときの写真は撮れず…。

    さて、場面は飛んで電気機関車の運転室です。
    入場券・乗車券を購入したら、電気機関車が発車間際。三人並んでおられましたが、Decoも入れてもらい、急いで乗車しました。そのため機関車に乗り込むときの写真は撮れず…。

  • 運転席付近の写真です。

    運転席付近の写真です。

  • 四人乗車して、最初の方が運転席に。<br />この後交替で運転席と助手席に座ります。<br />四人乗車+乗務員の方の五人なので若干手狭ではありますが…四人で乗ったおかげで、四往復乗車できました(*^^)v<br />(一人乗車だと運転室は独占状態ですが、一往復のみになります)

    イチオシ

    四人乗車して、最初の方が運転席に。
    この後交替で運転席と助手席に座ります。
    四人乗車+乗務員の方の五人なので若干手狭ではありますが…四人で乗ったおかげで、四往復乗車できました(*^^)v
    (一人乗車だと運転室は独占状態ですが、一往復のみになります)

  • メーター類。

    メーター類。

  • 発車します。

    発車します。

  • 乗務員の方が外を確認。

    乗務員の方が外を確認。

  • 背後を撮影。車庫が見えます。

    背後を撮影。車庫が見えます。

  • 30メートル程進んで折り返します。<br />(この写真は折り返し地点だったと思います)

    30メートル程進んで折り返します。
    (この写真は折り返し地点だったと思います)

  • ここが先端あたり。

    ここが先端あたり。

  • 一旦車庫に戻って、今度はDecoが運転席へ。<br />前に同乗の方(助手席)が写っていますが、運転席と助手席は対面する形になっています。<br />運転席の右側が前方の窓になります。

    イチオシ

    一旦車庫に戻って、今度はDecoが運転席へ。
    前に同乗の方(助手席)が写っていますが、運転席と助手席は対面する形になっています。
    運転席の右側が前方の窓になります。

  • 後ろに車庫。

    後ろに車庫。

  • 前方の風景。<br />運転席では興奮してしまって、撮影はほとんどしませんでした。

    前方の風景。
    運転席では興奮してしまって、撮影はほとんどしませんでした。

  • お次は運転席の横へ。<br />左がブレーキ、右がアクセルだった…と思います(違ったらすいません)。<br />重い貨車をけん引していた電気機関車、雨天のときなどは制動が難しいので、ブレーキ時には砂を捲いていたとか。

    お次は運転席の横へ。
    左がブレーキ、右がアクセルだった…と思います(違ったらすいません)。
    重い貨車をけん引していた電気機関車、雨天のときなどは制動が難しいので、ブレーキ時には砂を捲いていたとか。

  • Decoの次に運転席につかれた方の写真です。<br />下のペダルを踏むと音がして発車します。<br />Decoは加減がわからず強く降んで大きな音がしてしまい、思わずのけぞってしまいました(同乗の皆さまもびっくり…スイマセン)。<br />この方はソフトに踏まれていました…。

    Decoの次に運転席につかれた方の写真です。
    下のペダルを踏むと音がして発車します。
    Decoは加減がわからず強く降んで大きな音がしてしまい、思わずのけぞってしまいました(同乗の皆さまもびっくり…スイマセン)。
    この方はソフトに踏まれていました…。

  • 電気機関車から降ります。

    電気機関車から降ります。

  • 四往復しましたが、興奮してあまり良い写真は撮れませんでした(^^ゞ<br />でも、とても貴重な経験。<br />同乗の方々ともお話しましたが、実際に電気機関車の運転室に入り、席について、ディーゼル車牽引とはいえ”動く電気機関車”の運転室に入り、席にも着くことができたのは素晴らしい経験でした。<br />スタッフの皆さま、同乗の皆さま、ありがとうございました。

    四往復しましたが、興奮してあまり良い写真は撮れませんでした(^^ゞ
    でも、とても貴重な経験。
    同乗の方々ともお話しましたが、実際に電気機関車の運転室に入り、席について、ディーゼル車牽引とはいえ”動く電気機関車”の運転室に入り、席にも着くことができたのは素晴らしい経験でした。
    スタッフの皆さま、同乗の皆さま、ありがとうございました。

  • 車庫の内側の壁にはこのような展示も。<br />往時の炭鉱鉄道(と三井化学専用鉄道時代)の頃の貴重な写真です。

    車庫の内側の壁にはこのような展示も。
    往時の炭鉱鉄道(と三井化学専用鉄道時代)の頃の貴重な写真です。

  • 右側の電気機関車は動きませんが、中は見ることができます。

    右側の電気機関車は動きませんが、中は見ることができます。

  • 運転席。先ほど乗った車両とは違う型のようです。

    運転席。先ほど乗った車両とは違う型のようです。

  • ペダル。

    ペダル。

  • パンタグラフの操作盤など。暖房はあったようです。

    パンタグラフの操作盤など。暖房はあったようです。

  • 次の乗車グループの発車です。<br />乗務員の方が旗を振ります。

    次の乗車グループの発車です。
    乗務員の方が旗を振ります。

  • 出発進行!<br />

    出発進行!

  • 甦った電気機関車の雄姿!

    甦った電気機関車の雄姿!

  • 車庫をバックに電気機関車。<br />白石自動車グループさん(電気機関車を引き取りこの施設を運営する企業)・炭鉱電車保存会さん(監修したNPO)、ありがとう~!!

    イチオシ

    車庫をバックに電気機関車。
    白石自動車グループさん(電気機関車を引き取りこの施設を運営する企業)・炭鉱電車保存会さん(監修したNPO)、ありがとう~!!

  • 牽引するディーゼル車。

    牽引するディーゼル車。

  • 先端部分の先は道路をまたぐ橋と炭鉱鉄道本線跡。ステーションゼロの車庫とレールは、まさに炭鉱鉄道の線路跡に設けられているようです。

    先端部分の先は道路をまたぐ橋と炭鉱鉄道本線跡。ステーションゼロの車庫とレールは、まさに炭鉱鉄道の線路跡に設けられているようです。

  • ディーゼル車と電気機関車。

    ディーゼル車と電気機関車。

  • モノクロにすると、往時の炭鉱鉄道の雰囲気のような。

    モノクロにすると、往時の炭鉱鉄道の雰囲気のような。

  • 連結シーンです。

    連結シーンです。

  • こういった信号などが臨場感を醸し出します。これは炭鉱鉄道保存会さんの監修の賜物でしょうか。

    こういった信号などが臨場感を醸し出します。これは炭鉱鉄道保存会さんの監修の賜物でしょうか。

  • 二台並んだ雄姿!

    二台並んだ雄姿!

  • 車庫に戻ってきます。

    車庫に戻ってきます。

  • 昔の炭鉱鉄道の機関車も、こうして車庫に戻っていたのでしょうか。

    イチオシ

    昔の炭鉱鉄道の機関車も、こうして車庫に戻っていたのでしょうか。

  • ギャラリーも付設されています。

    ギャラリーも付設されています。

  • 原則として撮影禁止ですが、こちらは写してもOKとのことでした。<br />宮浦駅…宮浦石炭記念公園のすぐ下にあった駅です。

    原則として撮影禁止ですが、こちらは写してもOKとのことでした。
    宮浦駅…宮浦石炭記念公園のすぐ下にあった駅です。

  • プレートなども。<br /><br />撮影はできませんでしたが、こちらのギャラリーには往時の炭鉱鉄道の様子、周囲の街の風景、年表など大変貴重な資料が展示して、長時間見入ってしまいました。

    プレートなども。

    撮影はできませんでしたが、こちらのギャラリーには往時の炭鉱鉄道の様子、周囲の街の風景、年表など大変貴重な資料が展示して、長時間見入ってしまいました。

  • こちらのショップで本を購入しました。

    こちらのショップで本を購入しました。

  • 受付の方に、ステーションゼロの前の道路に炭鉱鉄道の線路跡が残っていると教えていただきました。<br />わかりやすいようにしたの写真に赤いラインを入れてみました。<br />また、黄色のラインは、ステーションゼロ内で車庫からギャラリー付近まで延びている木材の道のような部分で、かつてはこのラインのあたりに線路があったのだと思います。<br /><br />炭鉱電車ステーションゼロ、かつての炭鉱鉄道の歴史と記憶を新しい時代につなげる素晴らしい施設でした。

    受付の方に、ステーションゼロの前の道路に炭鉱鉄道の線路跡が残っていると教えていただきました。
    わかりやすいようにしたの写真に赤いラインを入れてみました。
    また、黄色のラインは、ステーションゼロ内で車庫からギャラリー付近まで延びている木材の道のような部分で、かつてはこのラインのあたりに線路があったのだと思います。

    炭鉱電車ステーションゼロ、かつての炭鉱鉄道の歴史と記憶を新しい時代につなげる素晴らしい施設でした。

  • 炭鉱電車ステーションゼロを跡にします。<br />ちょっと、いや、かなり興奮気味で良い写真が撮れませんでしたが、かつての炭鉱鉄道の電気機関車の運転席に乗車して短距離ながら動くのは素晴らしい経験でした。<br /><br />こちらは今のところプレオープンのような感じで、2024年6月までは第3土・日のみの営業、10時~16時まで(12時~13時30分はクローズ、再入場可となります)。<br /><br />また晴れた日にリピートしてみたいな~。

    炭鉱電車ステーションゼロを跡にします。
    ちょっと、いや、かなり興奮気味で良い写真が撮れませんでしたが、かつての炭鉱鉄道の電気機関車の運転席に乗車して短距離ながら動くのは素晴らしい経験でした。

    こちらは今のところプレオープンのような感じで、2024年6月までは第3土・日のみの営業、10時~16時まで(12時~13時30分はクローズ、再入場可となります)。

    また晴れた日にリピートしてみたいな~。

  • 入場券、乗車券、そしていただいた缶バッジです。<br /><br />ご覧いただきありがとうございました。

    入場券、乗車券、そしていただいた缶バッジです。

    ご覧いただきありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (7)

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  • ondine24さん 2024/05/09 06:41:57
    萩尾望都先生!
    Decoさん、こんにちは。

    鉄道敷跡の記事なのに、「萩尾望都先生」の部分に反応してしまいました。
    もしかしてDecoさんも、「ポーの一族」とか「トーマの心臓」とかに魅了された方ですか?
    (もし全然違ってたらごめんなさい)
    我家は漫画禁止の家だったので、私はいつも友人から借りて親に隠れて読んでいました。
    そんなわけで、他の作品や作者を良く知らないのでエラそうには語れませんが…
    萩尾先生の作品は耽美的かつファンタジーの世界感が独特でしたよね。

    多感?(だったかもしれない)青春時代を思い出させて下さってありがとうございました。

    ondine24

    Deco

    Decoさん からの返信 2024/05/09 09:55:31
    Re: 萩尾望都先生!
    ondine24さん、こんにちは。

    拙旅行記にご訪問いただきありがとうございます。
    萩尾望都先生ですが、恥ずかしながら読んだことはないのです。紛らわしい書き方をしてしまって、申し訳ありません。
    先生が大牟田出身だということは知っていましたが、二年程前、石炭産業科学館で「炭都の暮らしと文化」という特別展があって、そこで萩尾先生が炭鉱の社宅で育たれたことを知りました。ちなみに萩尾先生のみならず、大牟田からは何人かの漫画家が出ていますが、それは炭鉱などの社宅が多く、貸本屋が多かったという背景があるようです。

    先生のお父様は旅行記に書いたように、炭鉱の港務所にお勤めでした。炭鉱鉄道や港湾(三池港)などを運営管理する部署です。お父様は英語に堪能で外国船が寄港したときなど、通訳を務められていたそうですし、楽器の演奏もなさっていました。ここから推測するに、お父様は事務職の「職員」だったと思います。鉱員と職員ではいろんな面で待遇が異なっていた(職員の方が良い)そうです。先生は庶民的な炭鉱の町で育たれ、またご両親の教育などはかなり文化的だったかも知れません。その両方が入り混じった環境で育たれたのではないかと思います。 

    萩尾先生は市内の白川という場所の社宅で生まれて幼い頃育たれ、その後市街へ転出され、高校の頃は三池港に近い船津社宅でも生活されたようです。
    炭鉱がなくなり、かつての社宅の多くは再開発されたりしています。先日、白川の社宅跡付近を歩く機会がありましたが、きれいな住宅街やマンションなどになっており、当時の面影を偲ぶものはありませんでした。

    ポーの一族、読んだことはありませんが、以前ちょっと調べたところ、かなり奥深い内容のようで、一度読んでみたいと思っています。
                             Deco

    ondine24

    ondine24さん からの返信 2024/05/09 17:46:31
    Re: 萩尾望都先生!
    こちらこそ勝手な解釈でDecoさんを煩わせてしまい、大変申し訳無いことでした、お許しください。
    萩尾望都さんは炭鉱の社宅でお暮らしだったのですね。
    Decoさんの仰るとおり、きっとご両親の文化的教育と自らの能力で素晴らしい独自の世界を構築されたのだと思います。人間、やはり想像力はとても大事ですよね。

    国内外を問わず色々な場所を訪ねて、様々な体験や新しい出会いをする事で、きっと人間的に豊かなセンスを育めると信じて、これからも旅をしたいと思います。
    それではまた。

    ondine24
  • ma-yuさん 2024/05/05 22:45:17
    炭鉱電車ステーションゼロ!!
    Decoさん

    こんばんは!

    表紙の画像に凄い電車が登場!
    三池炭鉱鉄道の起点の場所に炭鉱電車ステーションゼロが完成!
    そしてプレオープンの日に行かれて乗車ですね(^^♪

    4人で炭鉱電車に乗車と交代で運転も貴重な体験ですね。
    それに4往復も乗車出来て良かったですね。
    またディーゼル車と電気機関車が並んで電車好きな方は
    たまりませんね(^^♪

    三池炭鉱全盛時は毎日石炭を積んで活躍していたと思うと愛着が
    湧きますね!
    これから大牟田の歴史を伝え、新たな観光の目玉になってほしいですね!

      ma-yu

    Deco

    Decoさん からの返信 2024/05/06 06:27:42
    Re: 炭鉱電車ステーションゼロ!!
    ma-yuさん、おはようございます。

    炭鉱鉄道ステーションゼロ、4月12日(記念式典があった日)の夕方以降に突然テレビや新聞にニュースが流れ出したのです。それで大牟田市の観光情報などで、第三土日公開と出ていたのので、行ってみました。それまでは情報が全然流れておらず、どうも極秘裏に建設が進められていたようです。

    乗車は四人でラッキーでした。写真はもう少ない人数の方が撮りやすいけど、四往復の時間は何物にも替え難いものでした。同乗者の皆さんも興奮して楽しんで…その雰囲気もとても良かったです。
    ma-yuさんがおっしゃるとおり、電車好きな方に是非乗っていただきたいです。乗り鉄さん、撮り鉄さんにもアピールできそうです。

    電気機関車は石炭を運び、また炭鉱鉄道は通勤列車としても使用され、一時期は一般の旅客鉄道としても運用されていました。今も多くの人が懐かしい思い出の中に愛着を持っていると思います。
    観光の目玉になってほしいし、せっかく動態保存、市民全体で大切にしていくようになれば良いな~と思います。
                               Deco
  • フォートラベルユーザーさん 2024/05/05 20:46:53
    電気機関車!
    こんばんは!Decoさん!

    すごい、
    電気機関車の操縦席に、
    しかも、運転まで出来るなんて、
    稀有な体験じゃないですか!

    実際に炭鉱で活躍していた車両なんですよね、
    感慨深い…
    私でも出来るかしら?
    お写真がリアリティー溢れていて、
    凄かったです(*^^*)
    臨場感が、伝わりました。

    ありがとうございました!!

    コトラ






    Deco

    Decoさん からの返信 2024/05/06 06:16:44
    Re: 電気機関車!
    マダム、おはようございます。

    電気機関車に乗車できたのは、とても貴重な体験でした。
    もう、すっかり舞い上がってしまって。あっという間に終わってしまいました(^^ゞ

    車両は、三池炭鉱専用鉄道にて石炭などを運んだもので、閉山後は三井化学専用鉄道として活躍していました。三井化学がしっかり運用とメンテナンスをしてたからこそ、今動いている姿が見られるのだと思います。

    運転は、ディーゼル車の牽引なので、私でも大丈夫した(*^^)v
    ただ、本文中にあるように、出発の警笛で周囲の皆さんを驚かせてしまったのでした。

    写真は、一生懸命撮ったつもりですが、やっぱり興奮していたのでとり忘れている場面があって、でもそれも良い思い出です。
                             Deco

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