2023/10/26 - 2023/10/26
10位(同エリア168件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2023/10/29
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡・諏訪川橋梁
-
諏訪川橋梁
-
旧万田駅
-
旧三池炭鉱専用鉄道(三井化学専用鉄道)・電気機関車
-
アソニット工場跡
-
旧妙見駅
-
万田坑ステーション
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
秋晴れの一日、ふと思い立ち、三池炭鉱の宮原坑から万田坑へ三池炭鉱専用鉄道敷跡(炭鉱鉄道跡)を歩いて行ってみることにしました。
以前、フォートラベラーのちちぼーさんがJR荒尾駅から万田坑を経て宮原坑まで歩かれた旅行記に感銘を受け、私もその行程の一部を歩いて見ることにしました。
*ちちぼーさんの旅行記↓
【2021年 熊本】3 ここは世界遺産だよ。心優しいおじいちゃんたちの案内のある万田坑。 https://4travel.jp/travelogue/11725634
(ちちぼーさんには、快くリンクを承諾していただき、お礼を申し上げます)
コースはおおまかに、宮原坑→万田坑→宮原坑へ戻る、という形になっています。
今回の散策に際し、宮原坑(大牟田市)・万田坑(荒尾市)両施設のガイドの皆さまにコース取りなど親切丁寧に教えていただきました。この場にてお礼を申し上げます。
(2024/02/25)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
PR
-
10月26日、宮原坑の駐車場へ。
世界文化遺産の看板がお出迎え。
今日は三池炭鉱専用鉄道敷跡を歩いて、宮原坑から万田坑へ行って戻ってくるコースを計画しています。宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
-
駐車場前の道路からは線路跡に降りる道がなく、宮原坑敷地内から降りることにします。
ここでガイドの方に線路跡に降りたい旨をお話し、途中の道のりなどを詳しく教えていただきました。
万田坑へ行く途中にある諏訪川橋梁は渡れず、そこから川沿いの道に降りる通路もないので、いったん宮原坑付近に戻らなければならないとのこと。
そこで、まずは「宮原坑→諏訪川橋梁→宮原坑へリターン」、そしてさらに「宮原坑から下道を通り諏訪川橋梁→近くの橋を渡り線路跡に上がって万田坑→宮原坑へ戻る」というコースにします。
尚、ここで11月3日の宮原坑フェスタの日には諏訪川橋脚を渡れるという貴重な情報をいただきました。 -
このとき教えていただい方は、昨年1月に宮原坑を訪れた際にガイドをしてくださった方でした。そのときにもいろいろなことを教えていただき…そのことをお話すると「そういえば以前会ったような気がしていました」とのことでした。
*このときの旅行記はこちら↓
「近代化産業革命遺産の光と影 三池炭鉱(4) 宮原坑 ~旧時代の終焉~」 https://4travel.jp/travelogue/11730973
ガイドの方には「宮原坑は古い時代の制度や因習が残っていた最後の坑、万田坑は新しい時代の近代的な坑」と教えていただいて、その後三池炭鉱のことを調べれば調べるほど、このときに教えていただいたことを実感しました。
さて、少し下ったところから見た宮原坑第二竪坑櫓。青空を背景に迫力があります。 -
レンガも良い味をだしています。
-
宮原坑の第二竪坑櫓巻揚機室付近のあたりから、線路跡に降ります。
-
それでは、諏訪川橋梁へ出発!
ここから先、万田坑までは、1900(明治33)年に延伸されました。
*それまでは勝立支線の逆様川というポイントからスイッチバックのように方向転換して宮原坑まで延びていましたが、万田坑開坑に向けて七浦坑~宮原坑~万田坑と直通路線が引かれました。三池炭鉱専用鉄道敷跡 名所・史跡
-
この上を炭鉱電車が走っていた…
-
両脇にはパイプラインの跡。
-
宮原坑付近の切通を抜けると、急に視界が開けてきます。
-
諏訪川橋梁が見えてきました。
-
橋梁の手前まで来ますが、立入禁止です。
-
右手には諏訪川。
-
橋梁の左側を撮影。
-
正面からズームで撮影。左がパイプライン、右が線路跡でしょうか。
橋梁を渡れないのは仕方ないのですが、ここから諏訪川沿いの道路に降りられないのは不便です。今回は私は時間もあったし、いろいろ見て廻りたいので宮原坑にいったん戻っても良いのですが、旅行中の方には時間のロスになりそうです。
橋梁の左側から降りられるかも知れませんが、斜面をズルズルと降りることになりそうです。 -
宮原坑へ引き返します。
-
宮原坑方面を振り替えて撮影。左手奥に宮原坑が見えます。コンクリートと赤錆びた鉄板の下は道路が通っているようです。
-
途中、東側に下に降りる道があります。ここから降りて橋梁に行けるかも知れませんが、今回は線路跡をじっくり見たいので、宮原坑へ戻ります。
-
切通に入ります。
-
宮原坑と駐車場側を結ぶ橋が見えてきました。
-
宮原坑に戻りました。ここから一般道路経由で万田坑へ向かいます。
宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
-
宮原坑を出て、古い住宅街の狭い道路を進みます。炭鉱鉄道跡の西側あたりになります。
-
諏訪川沿いの北側の道路へ出て橋梁へ。
-
橋梁を下から撮影。
-
イチオシ
橋梁の北東側から撮影。
-
諏訪川橋梁の西側にある橋を渡り、南側へ。
-
武骨なパイプライン。
-
諏訪川南側の道路。橋脚をよけて、川にせり出しているように見えます。
-
諏訪川南側からは、階段を上って鉄道跡へ入れます。
-
階段横には歴史を感じさせるポンプ場がありました。(株)フレッシュウォーター三池 日の出前ポンプ場です。
-
諏訪川南側から見た橋梁。
-
諏訪川南側より万田坑を目指します。
-
あと800メートル。
-
万田坑が近づいてきました。
-
周囲はのどかな田園風景。
-
振り返ると、諏訪川橋梁が遠くなってきます。
-
線路跡の脇にはプラットホームの跡。
-
旧万田駅。炭鉱鉄道は通勤列車としても利用され、また一般の旅客鉄道(三池鉄道)として営業していた時期もあります。
-
かつては多くの人々が乗り降りしたホーム。
-
小さな橋を通過。万田坑まであとちょっと。
-
下は道路が通っています。
-
道が二手に分かれます。左を進むと万田坑入口方面(万田坑ステーションやまるごと荒尾物産館)、右が炭鉱鉄道の線路跡。
今回は線路跡を進みます。 -
万田坑…三池炭鉱事務長・團琢磨が東洋一の近代的な模範坑を目指して作った坑です。
宮原坑が、最後まで(昭和5~6年)まで囚人労働も行い、古い坑の排水のサポートも行っていた”旧時代最後の坑”であるのに対し、万田坑は後の四山坑や三川坑につながる新しい時代を志向した坑です。
両坑はほぼ同じ時期(明治後半)に造られ、共に世界遺産になっていますが、その性格は大きく異なります。
ちなみに…三池集治監からは、万田坑へも囚人の派遣の申し出があったそうですが、團琢磨はこれを断り、一般の鉱員のみで万田坑の採炭を行います。
團琢磨の囚人労働に対する考え方は複雑で、当初は不可欠と考えていたようです。実際、初期の三池炭鉱の労働力は、囚人に拠る所が大きかったですから。しかし明治三十年代に、あるジャーナリストが長崎の高島炭鉱でのタコ部屋のような酷い労働の実態を暴き、同じく酷い労働状態だった囚人労働へも世間の批判が高まります。また三池集治監の菊池常喜医師の囚人労働廃止を訴えた意見書の影響もあったと思われます。
元々、三池集治監の典獄(所長)が高飛車で折衝に嫌気がさしていた團琢磨は、このような世の中の動きの中で、万田坑への囚人労働を断ったようです。万田坑 名所・史跡
-
線路側から見た事務所。中からの見学ではこの角度はあまり見らないと思います。
-
奥の方に見える建物は「職場(機械類の修理などを行った)」でしょうか。
-
第二竪坑櫓の手前は補修中の「安全燈室及び浴室」や「倉庫及びポンプ室」。
-
第二竪坑櫓の入口付近。
線路側から見た万田坑。内側の見学コースとはまた違った方向や距離感で見られて、貴重な経験でした。 -
続いて、2020年まで運行されていた三井化学専用鉄道(=炭鉱鉄道の旭町支線)の電気機関車が動態保存されています。
ご覧のように柵があって中には入れません(有料ゾーン)ですが、線路跡からでもかなり近い距離で見られます。 -
そして、線路側からの見学者のためにも説明板が設置されています。
荒尾市の粋な計らいです! -
イチオシ
電気機関車と第二竪坑櫓。世界遺産とのコラボです。
-
電気機関車と三池炭鉱専用鉄道敷跡。こちらも世界遺産とのコラボ。
-
電気機関車を後にして、線路跡を進みます。
荒尾市の炭鉱鉄道についての説明板があります。
実は、この旅行記とは別に「炭鉱鉄道の万田坑~三池港」の旅行記を準備しているのですが、この先、JR鹿児島線を渡る場所で行き止まりになって、その後も渡れない場所がありました。
この説明板には「準備中」とありますので、いつかは整備されるのでしょうか。整備ができなくても、”ここから一般道に降りて”とか”ここから線路跡に上がれます”などのインフォメーションや、迂回路の説明があると歩きやすいのですが。 -
その横にはアソニット工場跡の説明。
1963年の三川坑炭じん爆発事故の犠牲者の遺族の方々に働く場所を提供するために三井鉱山が作った会社です。
社員のために配慮していた会社だったそうですが…確か給料が安すぎると国会で問題になったことがあったような?
それに、元々、炭鉱の安全管理が十分に行われていれば、事故はおこらず、したがってこの工場も必要とされなかたと思うのですが。 -
アソニット工場跡。今は廃墟になっているようです。
-
線路跡を進みます。木立に囲まれて清々しい雰囲気。
-
線路跡の両側に朽ちた建造物が見えます。
-
旧妙見駅。鉄道のレールと枕木を使って造られたそうです…だから朽ちてしまったのでしょうか。
-
炭鉱鉄道の地図。宮原坑から、旧妙見駅まで来たことになります。
-
朽ちたホーム…
-
後ろを振り返って撮影。
-
前方に橋と鉄塔が見えます。
-
橋の下を通過すると、線路跡の左に道路への階段が見えます。ここから上がります。
-
道路を通って万田坑の前面に回り込みます。途中、妙見石室という史跡がありました。
-
道路沿いにはブロックをモルタルで固めたような壁があちこちに見えます。社宅の塀の跡のようです。かつて万田坑付近には広大な社宅街が形成されていました。
このあたりは道路の交通量も多く、次第に疲れてきました。 -
この奥にかつては社宅の多くの家々があったのでしょうか?
-
万田坑の前面が見えてきました。
-
万田坑の正面左手に不思議な造形物二つ。
-
煙突の跡です。
倒壊の危険があるので上部は壊したとか…。残っていれば宮浦石炭記念公園の煙突と並ぶ名所になっていたかも知れません。 -
中に入ってみます。
-
外を眺める。
-
イチオシ
上部、かつてはこの穴の上に長い煙突がありました。
-
不思議なたたずまいです。
-
煉瓦の壁(機関場=電化される前は蒸気のエネルギーを発生させる場所だった)の前を通ります。
-
暑くてお腹も少し減ったので、まるごと荒尾物産館に入ってみましたが、お目当てのアイスクリームは無く、土産物も若干減ったような?
まるごとあらお物産館 お土産屋・直売所・特産品
-
【万田坑ステーション】
万田坑見学の受付を兼ねる万田坑ステーションへ。以前訪れた際は、すぐに有料ゾーンの見学が始まったので見損ねていました。 -
90歳くらいのガイドさんが、一生懸命説明してくださいました。
こちらのガイドさん、ちちぼーさんが見学された際のガイドさんかと思いましたが、帰ってからちちぼーさんに連絡したところ、違う方のようです。
でも、1963年の三川坑炭じん爆発事故では、命からがら逃げたとか、貴重な経験を話してくださいました。
このガイドの方、採炭ではなく技術関係の方だったようで、在職中は採炭の鉱員さんたちに防塵マスクを付けるように口を酸っぱくして注意していたそうです。そうしないと、炭じんで肺を悪くしてしまうから…ということでした。 -
このミニチュアは精巧なもので、現存の建物だけでなく、かつての建物も復元してありました。
-
万田坑を後にします。
帰り道がわからなくなりかけましたが、有料ゾーンのところにいらしたガイドの方に道を教えていただきました。 -
宮原坑への帰路につきます。
往路はかなり軽快に歩きましたが、万田坑付近の一般道路を歩いていた辺りから疲れが出てきて脚も痛くなりました。 -
この地図は三池炭鉱専用鉄道の全盛期の本線・支線の地図です。
今回歩いたのは赤く塗られたあたり、宮原坑と万田坑の間です。
この旅をするきっかけになったのは、ちちぼーさんの旅行記を拝見したことからなのですが…ちちぼーさんは、なんとJR荒尾駅から万田坑→宮原坑のコースを往復されているのです(しかも荷物を持って)。さらに両方の坑でガイドさんの解説を聞いて見学されていて、凄い健脚・体力です。
私にはちちぼーさんは”鉄人”のように思えます。それともDecoがひ弱なのでしょうか(^^ゞ -
無事に宮原坑に帰還しました。
宮原坑・万田坑、両坑のガイドの皆さま、ありがとうございました!
そして、ちちぼーさんに心から感謝致します。宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!
-
前の旅行記
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 east編~
2022/09/28~
大牟田
-
次の旅行記
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(4) 旭町支線起点~宮原坑 (+フェスタ2023)
2023/10/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(1) 旭町支線(三井化学専用鉄道)
2021/12/02~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(2) 浜本線(宮浦坑跡~大牟田港跡)
2021/12/02~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 east編~
2022/09/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(3) 宮原坑から万田坑へ
2023/10/26~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく(4) 旭町支線起点~宮原坑 (+フェスタ2023)
2023/10/28~
大牟田
-
三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく・グルメ旅 ~浜本線 west編~
2023/12/12~
大牟田
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (3)
-
- たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 2024/03/06 19:08:36
- Re︰宇多良炭鉱
- Decoさん
はじめまして。宇多良炭砿への訪問ありがとうございました。訪れたのが少し前になるため、記した内容以外にネタ的なものがあったのかすぐには思い出せないのですが、結論で言ってしまえば“金はかけたくない”という行政側の意図を感じたことは記憶に残っています。台風での倒木は記しましたが、やはり私が訪れる前はほぼ歩けなかったと聞いてはいます。
表題からわかると思いますが、私は戦跡巡りをテーマにしており、宇多良炭坑跡も西表島の戦跡うという分類で知った次第です。また長崎の端島の様に炭坑一帯がそのまま残っていれば、宇多良炭鉱の盛衰がわかって良いと思うのですがそれも期待はできません。残念ながら沖縄本島の戦跡と同じで、保全の手を入れなかったがために劣化が進んだ結果、崩落の危険性ありということで、ここ10年位の間に入れなくなった場所も多くあります。
炭鉱を回られているとのこと、まだ見ぬ世界ではあれど、凡そ近代・現代に於いては戦争絡みで炭鉱夫が選ばれた理由も想像がつきそうです。今後の参考にさせて頂きたいので今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
たかティム。
-
- ちちぼーさん 2024/02/26 00:07:29
- 九州の産業
- Decoさん、こんにちは。
丁寧にまとめられた旅行記に私の雑な旅行記をリンクして下さりありがとうございます。
とてもうれしいですが、ちょっとお恥ずかしいです。
あの時荒尾駅からバスに乗れなかったことで、三池炭鉱専用鉄道敷跡を歩けたことが
私に大きな影響を与えてくれました。
このところこちらでも毎日のように、熊本のTSMCのニュースをやっています。
以前なら、離れた九州のこととなので気にも留めないと思いますが、
息子の会社があり万田坑のある熊本はちょっと特別な場所となりました。
でも、TSMCのことは知っていても万田坑や宮原坑などの三池炭鉱について考える人はどのくらいいるのかなあと思ったりします。
日本の産業としては三池炭鉱の方が大きい影響を与えたと思うのですが。
このタイミングで、知ってもらえればいいのになあと思っています。
ガイドさん達の御年齢を考えると実体験に基づくお話を聞ける機会も減ってきてしますし。
そしてこの旅行記はきりのよい150冊目ですね。
おめでとうございます。
ちちぼー
- Decoさん からの返信 2024/02/26 06:24:15
- Re: 九州の産業
- ちちぼーさん、おはようございます。
ちちぼーさんのあの旅行記は、感性豊かに鉄道敷跡や万田坑、そして90歳のガイドさんとの様子を綴られていて、感銘を受けました。
荒尾駅から歩いて行かれたからこそ、いろんなものを見て感じることができたのではと思います。あの旅行記はそれが伝わってきて、自分がその場の景色を見ているような、そんな感動がありました。
やっぱり実体験がある方のお話を聞くと、心に響くものがありますよね。今回のガイドの方は、ちちぼーさんが会った方とは違うようですが、炭じん爆発事故にも遭われていて、そんな方に肉声で感想を聞けたのは貴重だし、今だからこそ、だったのだと思います。
TSMC、インフラから整備されて、三池炭鉱以来の大事業かも知れません。でも、地域を大きく変え、活性化されるという点では時代を越えて共通する部分があるのように思えます。願わくば、その進出で多くの人が幸せになるような結果になればと思います。
私の旅行記はとても地味ですが、なんとか150まで行きました。お言葉をいただき、ありがとうございます。これからもボチボチやっいくつもりです。今後ともよろしくお願い致します。
Deco
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
大牟田(福岡) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 三池炭鉱専用鉄道敷跡をゆく!
3
80