2024/01/15 - 2024/01/15
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kojikojiさん
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横浜から始まってMSCベリッシマで到着した沖縄の旅もこの日が最終日です。ゆっくり朝食をいただき、最後のオリオンビールと泡盛のシークワーサー割を楽しみます。大量の荷物はホテルに預けてタクシーで「玉陵(たまうどぅん)」に向かいます。沖縄をツアーで旅すると「首里城」へは行くことが多いのですが、琉球王室の陵墓である「玉陵」に来ることはありません。なので前から来たいと思っていました場所です。今回琉球王国についていろいろ学んだので、陵墓の参拝は感慨深いものがありました。特に併設された博物館は陵墓の玄室の中や厨子甕について知ることができました。妻は先に「角萬式」のカフェに向かうというので、駆け足で「守礼の門」とその奥の「園比屋武御嶽石門」を見学してきます。以前は国際通りにあった「角萬漆器」は現在は「玉陵」のすぐ近くに移転していました。まずは妻の待っているカフェでコーヒーとアイスのセットを注文します。その後はショップで買い物をしますが難ありの物が手ごろな値段だったのでついつい買ってしまいました。角萬漆器には思い出があり、23歳で初めて仕事出来た那覇で尺三寸の懐石盆を誂えた店でした。さらにこの旅の前にはメルカリで古い尺三寸の龍の飾り盆を手に入れたばかりでした。40年振りの再訪も出来、いい買い物も出来たので大満足でした。お店の方に表まで見送られて、読んでいただいたタクシーで「識名園」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ANAグループ 私鉄 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回の10日間の旅も最終日です。今日も暑くなりそうです。
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目覚めと共に朝風呂をいただきます。この風呂もこれが最後です。
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大きな脱衣所ですが浴場はそんなに広くないので不思議です。こんな人数は入れない大きさです。
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小さな湯舟が2つあり少し熱めの湯が気持ち良いです。洗い場は7つありますが、せいぜい4人か5人が限度ではないでしょうか。修学旅行生が宿泊することもあるようですが、そうすると評判はあまり良くないようです。
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「おきなわグラフ」1987年3月号に掲載されたホテルの案内が貼られています。
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このホテルで一番美しいのはこの階段だと思います。多分建設時と変わっていないのではないかと思います。一部はキャンティレバー 階段になっていますが、中央と吹き抜け側は両側の支えはありません。
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エレベーターの籠の中には具志堅用高の古いポスターが貼ってあります。
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最後の朝歩半もしっかりいただきます。予定では今日のお昼ご飯は少し時間が遅くなります。
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瑞泉のシークワーサー割りを迎え酒にいただきます。このホテルではジュースの他にも森永ヨーゴも飲めます。森永ヨーゴは主に沖縄森永乳業が製造と販売している県民愛飲のドリンクです。
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最終日も元気に頑張りましょう。最終便で東京に帰れば10日振りの我が家です。
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このホテルはコーヒーもフルーツも美味しかったです。疲れも溜まってきているのでミルクと砂糖たっぷりでいただきます。
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チェックアウトして荷物を預けてタクシーを呼んでもらいます。電話では那覇のタクシー会社は車を回してくれないことが多いようで、係員の方が表に出て呼んでくれました。
沖縄ホテル 宿・ホテル
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「首里城」の近くながら今まで来る機会が無かった「玉陵(たまうどぅん)」まで来ました。来る機会というかツアーできた場合にはコースに入らないので来ることができなかったというのが正しいです。まずは付属の博物館の見学からスタートします。
玉陵 名所・史跡
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「尚真王代の栄華」
1372年に明の洪武帝からの誘いに応え、察度王(さっとおう)が弟の泰期(たいき)を遣わしたのを契機として、琉球は中国と正式に国交を結びました。第一尚氏王統の15世紀には中国との関係を中心に、日本、朝鮮、東南アジア各地と盛んに交易を行うようになります。 -
その様子は一昨日行った「沖縄県立博物館」で見た「万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘」に「舟揖を以って万国の津梁となし、異産至宝は十方刹に充満セリ」と記されています。そして第二尚氏王統第三国王になった尚真王の時代は海外交易によって得られた富をもとに琉球独自の文化が大きく花開いていきます。
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「玉陵」は琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓で、中室、東室、西室の3つの建築物に分かれています。中室は葬儀の後は当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨しました。洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められました。
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昭和10年頃の「玉陵」の様子を撮影した写真が展示されています。
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現在と比べると風雨に晒され、かなり荒廃しているように思えます。さらに第2次世界大戦末期には日本軍総司令部に近かった「玉陵」は「首里城」と共に集中砲撃の巻き添えに会い、東室と西室が破壊されるなど大きな被害を受けました。現在見られる大部分は第2次世界大戦後に復元されたものです。
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現在は見ることの出来ない東室の各部屋の写真も見ることができます。
「東室・前室」 -
「東室・奥室」
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「東室・右耳室入口」
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「東室・右耳室」
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「東室・右耳室」
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「東室・右耳室」
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「東室・左耳室入口」
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「東室・左耳室」
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「東室・左耳室」
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「東室・左耳室」
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小r賭場だけでは分かりにくい「中室」は葬儀の後に遺骸が骨になるまで放置した場所で、数年後に骨を取り出して洗骨しました場所なので厨子甕が無い意味が分かります。洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は「東室」に納められ、他の王族は「西室」に納められました。
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さらに立体的な模型があるのでイメージしやすいです。この博物館を先に見学してから「玉陵」に行かないとただの石像建築に見えてしまいます。
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「奥室」と左右の「耳室」という意味も分かります。
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右側の部屋はスクエアにしたのは厨子甕を数多く納めやすかったからでしょうか。
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納められている厨子甕の一覧もあります。その多くは「石厨子」のようです。博物館で見てきた中国から取り寄せた輝緑石で作られた物もあるはずです。
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「石獅子(雌)」
一部が破損していますが、子供を抱いているのでしょうか。 -
「石獅子(雄)」
首に鈴をつけて、玉を持っています。 -
「玉陵碑」
弘治14年の1501年に建てられたもので、「玉陵」に葬られるべき人々を規定したものです。碑は中国の輝緑石を用いています。碑文には尚真王の他に8人の名が記されており、碑に記された人物と子孫は永久に「玉陵」に葬られるべきと記されています。しかし、碑文には尚真王の長男と次男の名が記されていないことから勢力対立があり、廃されたと考えられます。 -
碑文に記された文字が分かりやすく書かれてあります。8人の名前が書かれた下には「この書付に背くならば、天を仰ぎ、地に伏して祟るべき」と呪詛的な文言が記された稀有なものになっています。
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「尚典侯」
最後の琉球国王である尚泰王の長男として生まれ、琉球処分後に東京府に移住します。父の没後に第二尚氏の第20代当主となり、侯爵を襲爵して貴族院議員などを歴任しました。 -
「尚典侯御安骨」
尚典侯の洗骨と納骨の手順が説明されています。当日は午前2時から7時にかけて行われたようです。 -
上段は尚典の送葬式の長い行列のほぼ中央辺りで、「たは轎」に従う家従の列に続いて警護の刀剣等さまざまの葬列を飾るのが続き、そのあとに各宗派の僧侶の列、巡査が2列に並んでいます。
下段は僧侶の列を中心とした写真で、日傘をさされているのは位階の高い僧です。白服の列は男子師範の生徒で、中城御殿を出発した葬列が綾門大通り(あやじょー)に出て、玉陵(たまうどぅん)入口付近にさしかかった所です。 -
琉球王国時代は国王の死去で「士族は50日、平民は25日」喪に服する慣習がありました。この時の首里では送葬当日まで一般の人も自主的にほとんど喪に服していたそうです。尚泰王の亡きがらは1901年8月29日に尚家邸(旧中城御殿跡、現那覇市首里)を出発し、歴代国王が眠る「玉陵(たまうどぅん)」まで運ばれました。葬儀は尚家の主催でしたが、棺を安置するみこしを新調する大工や漆塗り師、玉陵の墓室を開閉する石工や左官など多くの職人が無料奉仕したそうです。
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「御葬具図帳(ごそうぐずちょう」が準備され、このように図解されているので、代々の葬儀の儀式が踏襲されていったのでしょう。1920年の尚典の葬儀の際にも同じものが用意されたことが分かります。
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「沖縄県立博物館」と「壺屋焼物博物館」で見てきたような厨子甕が並んでいます。非常に手の込んだ細工が施され、コバルトの藍色が美しいです。
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陶器製の甕型の厨子で、ボージャー厨子と呼ばれるタイプです。名前の由来となる蓋が失われているようです。
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上焼本御殿型厨子甕です。屋根瓦の飴釉と緑色の釉薬のコントラストが美しいです。
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琉球石灰岩で造られた新しい石厨子甕のようです。
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内部がどうなっているかはこれまで見てきた2つの博物館では紹介されていなかったので、ここにきて初めて仕切りがあることが分かりました。
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博物館で学んだことを忘れないうちに「玉陵」の参拝をします。朝一番で来ているので訪れる人の姿もありません。
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参道には古いガジュマルの森のようで、この陵墓を護っているようにも見えます。
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その根は地面を覆っています。「天空の城ラピュタ」を想像してしまいます。
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石垣という意味の「石牆(せきしょう)」が見えてきました。
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「石牆(せきしょう)」と向かい合うように「石香炉」が置かれているので、ここで礼拝をおこなう「遥拝所」だと分かりました。ここも「御嶽(うたき)」と同じ聖域なのだと感じます。
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我々以外に誰もいない陵墓の参拝は少し緊張します。
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「石牆(せきしょう)」に開けられた門を潜ります。
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修復されたであろう琉球石灰岩で造られたものですが、いい具合に風合いが感じられ、数百年前からここにあるままのようです。
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「玉陵碑」のオリジナルを見ることができました。博物館で碑文の内容を学んできたばかりなので感慨深いものがあります。
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博物館の写真のように文字は細かく確認できませんでしたが、裏面も写真に残しておきます。
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博物館で写真で見ていた「石獅子(雄)」が一番右の高い場所に見えました。
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一般的に獅子や狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じていますが、ここではその倣いはありませんでした。
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「石獅子(雌)」は左側の高いところに置かれています。
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起源はペルシャやインドにおけるライオン(獅子)を象った像であるという説があり、古代エジプトやメソポタミアでの神域を守るライオンの像もその源流とされます。
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さらに円筒形の塔の上にも天を見上げるような獅子の姿があります。
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陵の面積は2,442平方メートルで、構造は建造当時の板葺(いたぶ)きの宮殿をかたちどり、墓室前には当時の首里城正殿前の石欄を思わせる鳥獣花等を彫った石欄が取り付けられています。
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それぞ上にも獅子が陵墓を護っています。
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陵は切妻屋根型の3つの墓室が東西に連なり、墓の庭は南北2つに仕切られ、周りを高い石垣で囲っています。各墓室の入口には石の扉が取り付けられ、もとは石扉を閉めたあと錠をかけ、さらに入口を切石で塞ぎ、全面漆喰で塗り固められるようになっていたようです。
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中央の墓室は遺骸を葬り、奇数年を経て次の葬送(そうそう)の際に洗骨し、王と王妃・世子・世子妃は東室に、他の王族は西室に移葬しました。王の側室や幼くして亡くなった王子、王女を葬る墓は、玉陵とは別の首里山川町にある山川陵と首里儀保町西森(にしむい)にあった宝口陵(戦災消失)でした。
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「玉陵」は現存最古かつ最大の破風墓を中心とする規模壮大な王陵であり、琉球の葬送慣習を伝えるとともに被葬者に応じて墓室を区分する王陵ならではの特殊性も有しています。
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グスクと共通性のある空間構造を持ち、建築的特徴の顕著な墓室や高欄の精緻な造形なども独特で、意匠的にも優れており東アジアにおいて独自の文化的発展を遂げた琉球の建築文化と葬墓制を象徴する極めて完成度の高い陵墓といえます。
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時代的にも比較にはなりませんが、ベトナムのフエのフォーン川に点在するグエン朝の4つの陵墓のうちの「啓定帝廟(カイディン帝廟)」を訪れた時のことを思い出しました。フランス植民地前のベトナムも対中国では琉球と同じで、漢字も使っていました。漢字が読めないフランス人が表記する文字を変えてしまいましたが、ベトナムは「越南」ですし、フエは「順化」と書き、サイゴンは「西貢」ホイアンは「會安」、ハノイは「河内」です。
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参拝を終えて陵墓を出ようとして、この石門自体が厨子甕に似ていることに気が付きました。
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「西の御番所(うばんしょ)」は失われたままですが、「東(あがり)の御番所(うばんしょ)」は復元されていました。この建物は法事の際に国王の控室として使用されました。
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妻は疲れたといい、「角萬漆器」のカフェに先に行くというので1人で「首里城」方面へ行ってみます。「玉陵」に観光客の姿はほとんどありませんでしたが、こちらは混んでいます。
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1年前は修復工事をしていて、工事囲いで覆われていますが、すっかりきれいになっていました。「首里城」に続く綾門大道の東側に位置する牌楼型の楼門です。本土の城郭でいう大手門に値し、柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いています。
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第二尚氏王朝の時代は中国からの冊封使が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎え、三跪九叩頭の礼をとっていました。中国から冊封使が来ている間は「守禮之邦」の扁額を掲げ、それ以外の期間は「首里」の扁額を掲げるということとなっていましたが、10代尚質王の時代以降は常設に変わりました。
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「眞珠湊碑文(まだまみなとひもん)」(復元)
尚真王時代に倭寇の那覇港襲来に備え、国道と軍用道路であった真玉道の整備をし、それを記念して1522年に建立されました。 -
「国王頌徳碑」(復元)
尚真王の徳をたたえて1522年に建立されました。宮古から宝剣の治金丸(ちかねまる)と真珠が贈られたことに対して、尚真王の徳をたたえた内容が刻まれています。 -
「園比屋武御嶽(そのひやんうたき)」は石門の背後にある森のことで、この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼しました、王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っています。
園比屋武御嶽石門 名所・史跡
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この石門は竹富島出身の西糖により築城されたと伝えられることから、「石垣市立八重山博物館」にはこの門の扁額の拓本が展示されていました。
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扁額には「首里の王おきやかもいかなしの御代にたて申候」と書かれていることが分かります。
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「角萬漆器」に到着しました。この場所に移ってから来るのは初めてのことです。23歳の時に国際通りにあった店で懐石盆を誂えた時以来なので40年振りの訪問になります。
ベリーキッチン グルメ・レストラン
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「CAFE 角萬」に向かうと既にコーヒーとアイスクリームのセットを注文していました。おいしそうなので同じものを注文します。新しい店はコンクリート打ち放しの美しくデザインされたインテリアです。
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一休みした後は買い物に移りますが、B級品コーナーにあったシンプルな小鉢を5枚と黒塗りの三方を買い求めました。頭の片隅にはこの日の夜に東京へ帰るのに、荷物を増やしてどうするんだという考えが浮かんできます。タクシーを呼んでいただき、お店の方に見送られて「識名園」に向かいます。
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