2024/01/14 - 2024/01/14
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kojikojiさん
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「沖縄ホテル」での夜が開けました。この日は妻の友人が会いに来てくれてドライブに出掛けます。迎えに来てくれた車に乗ってドライブした先は「RYUKYU HOTEL&RESORT」でした。那覇空港の南側の海岸沿いにある美しいホテルです。ちょうどチェックインが終わった時間帯でとても空いています。ここでコーヒーを飲みながら再会を楽しみます。海岸に出ると少し暑いくらいの陽射しで泳ぎたくなるほどです。お昼近くになって車で糸満道路沿いにある「いとまん うまんちゅ市場」に入ります。そのまま「糸満漁業協同組合 お魚センター」に入って魚屋さんでお刺身を選んでカゴに入れます。表にあるテーブルに座って3人で美味しいランチをいただきます。沖縄のマグロは冷凍にしないのが決まりのようで、地産の魚介も新鮮でおいしいです。午後からは「マリンセンター・シーサー」のホエールウォッチングの船を予約してあったので港まで送ってもらいます。ここで友人とはお別れして船に乗ります。港を出た船は那覇空港の沖合に向かいますが、その近くの「那覇港 第二 クルーズバース」には昨日まで乗っていたMSCベリッシマの姿が見えます。船の上からベリッシマを再び見ることができるとは思ってもいませんでした。ホエールウォッチングから興味がそちらにシフトしてしまいます。さらに那覇空港から離陸する旅客機が真上を飛んでいきます。肝心のホエールウォッチングはなかなかクジラは現れません。12月下旬から5月初旬にかけて慶良間諸島周辺の海域にザトウクジラがやってきます。夏場をエサの多いベーリング海等の北の海で過ごし、秋から南へ下り始めて沖縄南西諸島や小笠原諸島などに姿を現します。その距離約9000キロの移動です。春から夏に充分にエサを食べ丸々太ったザトウクジラは秋から冬にかけて沖縄近海で繁殖、出産、育児をするといわれています。海面を延々と眺め続けますが、クジラは現れず諦めていると、周辺で現れたという無線が入りその海域に向かいます。最初に見つけた船に優先権があり、クジラを刺激しないためにかなり離れた位置に停船します。何とかブローと潜水する前の背中と尾びれを見ることは出来ました。連写モードにした望遠レンズのカメラには納められましたが、肉眼では何とも言えません。ちょっとフラストレーションはありますが、これは運が無ければならないなと思いました。港に戻った後は県庁前まで送ってもらい、歩行者天国の国際通りを歩いて「栄町市場」に向かいます。少し早い晩ご飯は「うりずん本店」で沖縄料理と泡盛をいただきます。昨晩の「美瑩(みえい)」の上品な料理とかまた違ったおいしさでした。「栄町市場」とともに「昭和」を味わって、ほろ酔い気分で「沖縄ホテル」まで歩いて戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ANAグループ 私鉄 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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那覇2日目の朝です。部屋の窓からは朝焼けの空が見えます。今日も暑くなりそうです。
沖縄ホテル 宿・ホテル
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朝からオリオンビールで乾杯です。ベリッシマの船内では遠慮しながらのアルコール中門だったので、ここのフリードリンクでは弾けてしまいます。
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メニューは麩チャンプルーに厚焼き玉子のアーサ餡かけなどの沖縄料理以外にもグラタンやフライドポテトなどビールのツマミも充実しています。
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泡盛瑞泉の水割りも美味しいですが、シークワーサーを少し入れても味変になります。これが滞在中ずっと飲み放題なのは嬉しいです。
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食事の後はホテルの中を少し歩いてみます。今回ここにきて2023年に国の登録有形文化財に登録されたことを知りました。
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昭和15年に沖縄独特の文化財が「国宝」の指定を受け、それをきっかけに各界の要人が沖縄を訪問するようになりました。こういったお客の受入施設が少なく苦慮していた県知事は、当時県外の旅館に勤めていた宮里定三にホテルの設立を依頼しました。
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那覇市の西海岸である「波の上」に地下1階、地上3階建ての沖縄で最初の観光ホテル「沖縄ホテル」を設立し、創業者である宮里定三は総支配人として就任しました。
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沖縄県唯一の貴賓ホテルとして開業した「沖縄ホテル」には三笠宮殿下、李王殿下(陸軍中将)やワン・ワイ・タヤコン殿下(タイ国総理大臣)という国賓や日本政府要人が宿泊しました
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昭和16年に太平洋戦争が始まると旧日本軍の高官が宿泊するようになり、開戦時の首相であった東条英機総理大臣もこのホテルに宿泊していました。戦争が激しくなってくると日本軍専用の宿泊施設として使用されていましたが、1945年5月中旬ごろ米軍の艦砲射撃により焼失してしまいました。
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太平洋戦争後になると沖縄県で映画興行を行っていた琉球映画貿易株式会社が、沖縄県外から多くの有名タレントを招くようになったものの宿泊するホテルがありませんでした。そこで創業者の宮里定三は那覇市大道(現在地)に2階建て7室の木造レンガ造りの「沖縄ホテル」を再開しました。現在も敷地内にレンガ造りの建物が残っています。
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そのころの「沖縄ホテル」は日本航空の指定宿として、歴代の所長が長期宿泊していました。また、戦後の沖縄においては観光というよりも、アメリカ軍基地の建設ラッシュでした。三井物産などの商社や時事通信の社員など、ビジネス目的で訪れる人が多く、長い人では2年近く滞在する方もいたようです。小さなホテルながら常に満室の状態でした。
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そして沖縄には数多くの芸術家が訪れるようになり、山下清、棟方志功、岡本太郎、柴田錬三郎などが当ホテルに宿泊しました。益子焼で有名な濱田庄司は数年間に渡り、壺屋焼の研究の間このホテルに滞在していました。琉球料理の「美瑩(みえい)」で見た山下清の色紙などがここで繋がっていきます。
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昭和45年にはホテル棟が建設され、現在の姿になります。この頃の沖縄は沖縄戦で亡くなった家族などの墓参団が多く、アメリカ統治下のため沖縄への訪問にはパスポートが必要でした。
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共同通信社に勤めていた父はパスポートを持って沖縄返還の頃に出張していました。どこのホテルに泊まったのか聞く機会が無かったのが残念です。
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赤瓦でふかれた屋根に全長92メートルの琉球石灰岩の石垣や、守礼門のデザインにも通じる赤瓦ふきの大道門(うふどうもん)は沖縄らしい景観です。登録された文化財の中でも旅館棟と瓦石垣、大道門を手がけたのが戦前から戦後にかけて活躍した建築家の仲座久雄です。
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琉球王国時代に建造された守礼門の修復に携わった経験から、戦後になって戦禍に飲まれた守礼門を1957年に復元させました。沖縄の建物に多く見られる「花ブロック」は仲座久雄が考案したもので、「沖縄ホテル」ではデザインの初期の原型を見ることができます。
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この日は妻の友人が車で会いに来てくれて、ドライブに連れ出してくれました。車の中でも話は弾みますが、着いたのは「RYUKYU HOTEL&RESORT」です。
名城ビーチ ビーチ
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チェックアウトの時間を過ぎたところなので、ロビーは人の姿もありません。ロビーのラウンジでコーヒーをいただきます。
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気持ちの良い風が通り抜け、1月とは思えない気候です。さすがにプールで泳いでいる人の姿はありません。ここの写真を妻とLINEグループになっている若いお嬢さんに送ったら、「去年の夏にこのホテルで友人の結婚式がありました。」というメッセージと一緒にこのプールを流れている写真が届きました。
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スリランカを2週間かけてジェフリー・バワという建築家の設計したホテル全部を訪ね、自宅と別荘に泊まったことがありますが、その時のことを思い出します。
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もったいないくらい誰もいません。
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コーナーコーナーに置かれた植栽も南国風の鮮やかな花が生けられています。本物のキャンドルが使えないのが残念ですが、最近のフェイクのキャンドルは良く出来ています。
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壁に掛けられたアートは「琉球花影」というタイトルで、尾形純という作家のものでした。鮮やかな紅色が床の絨毯にまで流れているようです。この特注の絨毯もずいぶんお金がかかっていると思います。尾形純は銀座のPOLAの上にある中国府邸菜「厲家菜(れいかさい)」の絵画も担当されています。LINEしたお嬢さんと妻と食事した店なので縁を感じます。
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まだオープン前ですが、おしゃれなレストランがいくつもありました。お昼もこのホテルで食べて行こうかと思いましたが、午後の予定があるので諦めました。
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ポカポカ陽気なのでぶらぶらとガーデンを散歩してみることにします。妻と妻の友人は2人で話したいこともあるでしょうから。
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ガゼボのようなプールサイドのベッドもおしゃれになりました。こういうのもずいぶん日本でも見掛けるようになりました。
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ロビーとフロントのある琉球瓦の建物のテラスでお茶をいただきました。その建物を中心に左右に宿泊棟が建っています。
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泳ぐ人もいない冬のプールですが、きれいに整備されています。ここのプールは沖縄最大級だそうです。
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そして目の前には青い海が広がっています。昨日迄この海をベリッシマで後悔していたのですが、遠い昔のような気もします。
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現実に引き戻すように目の前を那覇空港に着陸する航空機が通過していきます。
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沖に見えた島は何だったのか…。グーグルマップを見ても分かりません。ひょっこりひょうたん島に見えてきます。
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沖縄には何度も来ていますが、ほとんどマリンスポーツには縁がなかったと思います。
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赤と緑の航路標識の先をクルーザーが通り過ぎていきます。
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海へ突き出すようなホテルのチャペルが見ました。ここの結婚式に参加しに来たのだと分かりました。そろそろお昼を食べに行かなければならないので那覇市方面に戻ります。
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連れてきてもらったのが「いとまん うまんちゅ市場」の中にある「糸満漁業協同組合 お魚センター」です。
ファーマーズ・マーケットいとまん うまんちゅ市場 お土産屋・直売所・特産品
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中はこのような魚屋さんが何軒も軒を連ねています。こういうお店は大好きなのでテンションが上がります。
お魚屋 みーかがん グルメ・レストラン
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左から北海道産のツブ貝、アカニシ、ホタテです。
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本マグロの赤身が600円、アカニシが400円、アカジンミーバイが400円、イラブチャーが400円、ツブ貝が400円と格安です。沖縄ではマグロは冷凍にしないということを教えてもらいました。
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ちょっとお高いウニもひと舟奮発しましょう。運転しない我々は缶ビールをいただきました。旅行を初めて10日近く刺身など食べていなかったので美味しかったです。
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食事の後は事前に予約してあった新港埠頭近くの「マリンハウス・シーサー」まで送ってもらいました。ここで手続きを済ませて、カードでお金を支払います。
マリンハウスシーサー 那覇店 宿・ホテル
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オフィスには巨大なクジラが吊ってあり、これからこんなのが見られるのかと思うとテンション上がります。
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尾ヒレの模様が見えるほど持ち上げた「フルークアップ」の模型もありました。
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友人と3人で船の近くまで移動して、ここでお別れです。舟に乗って救命胴衣を着て座席に座ります。
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昨日下船したばかりですがMSC]ベリッシマが懐かしく思えます。
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まだ港の構内ですが海の水の色はとてもきれいです。17万トンの大型クルーズ船も良いですが、こんなクルーザーの航海もいいものです。
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昨日迄宿泊していたキャビンまで確認できます。
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頭上を那覇空港から離陸したばかりの航空機が通過していきます。主翼の先のウィングレットの形からボーイング737MAXシリーズの機体だと思われます。
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ホエールウォッチングに来ていながら周囲の乗り物に目が行ってしまいます。
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かなり沖合まで船を走らせました。那覇の泊港を出港して慶良間諸島を航行するフェリーが見えました。
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慶良間諸島と那覇新港との間くらいの場所で船を止めます。スタッフの方はクジラの活き次のブローを探します。
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12月下旬から5月初旬にかけて慶良間諸島周辺の海域にザトウクジラがやってきます。夏場をエサの多いベーリング海等の北の海で過ごし、秋から南へ下り始めて沖縄南西諸島や小笠原諸島などに姿を現します。
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その距離約9000キロの移動です。春から夏に充分にエサを食べ丸々太ったザトウクジラは秋から冬にかけて沖縄近海で繁殖、出産と育児をするといわれています。みんなで海面を見つめますが姿はありません。
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他の場所のクルーザーからクジラが現れたという無線が入り、急いで移動します。
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ホエールウォッチングにはルールがあるようで、最初にクジラを見つけた船が優先権を持っています。発見したクジラにストレスを与えないように船の方から近づいては行けないようです。
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最後に到着した我々のクルーザーはかなり離れた位置からの探索になります。ちょうど那覇空港の沖合の辺りです。
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那覇空港をスクランブルした自衛隊のF-15が飛び去っていきます。
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ようやくザトウクジラの「ブロー」が見えました。ホエールウォッチングの際は、主にこの「潮吹き」をするために水面に上がってくるクジラを見つけます。約15~40秒間の息継ぎを経たザトウクジラは、再び15分から20分ぐらい潜水します。
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「ブロー」の後には背びれが見えます。
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子供のクジラも見えたので母親と一緒だと分かります。この時期は母子と共にオスクジラが一緒にいることが多いようです。子供が一緒だと発情しないので子離れするのを待っているそうです。
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息継ぎを終えたザトウクジラが再び潜水する時に見る事が出来る尾ヒレの動きが「フルーク」です。
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尾ヒレの模様が見えるほど持ち上げた場合を「フルークアップ」、尾ヒレを大きく持ち上げない場合は「フルークダウン」と言うそうです。
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初めて見たクジラの姿に興奮しますが、かなり離れているのが残念です。α6400に200ミリの望遠レンズを付けて、さらにデジタルズームを使ってこの程度です。スマホではこの距離は無理だと思います。
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しばらく静寂が続きます。もう1回上がってきたらタイムアップのようです。
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これならベリッシマの船上からでも見えるのではないかと思える距離です。
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再び背びれが見えました。
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どこに現れるか分からないのでレンズを右往左往して探します。
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再び「ブロー」が見えました。
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クジラの方から近づいてきた一番近くのクルーザーからは歓声が上がります。
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これでタイムアップです。クルーザーは港に向かって戻り始めます。
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10メートルのザトウクジラの全体は見えませんでした。尾ビレを使ったダイナミックなパフォーマンスが「テールスラップ」や、空中へジャンプし、回転しながら一気に水面に落下する「ブリーチ」なんて夢の夢でした。頭上を4倍の大きさの航空機が飛び去っていきます。
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これがMSCベリッシマ飲み納めです。また次の機会で乗船してみたいと思います。すでに次のクルーズの乗客は乗船済みで、この日の夜に台湾へ向けて出港します。
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ここまでは友人の車で送ってもらいましたが、帰りは送迎バスがあるというので乗せてもらうことにします。
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ベリッシマのシャトルバスと同じく、那覇市役所の前で降ろしてもらいます。いくつかのホテルを周ってもらえるようです。
那覇市役所 名所・史跡
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日曜日の午後なので国際通りは歩行者天国になっていました。奇跡の1マイルをぶらぶら歩くことにします。
国際通り 名所・史跡
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歩行者天国になってはいますが、午後4時過ぎなので人通りは少ないです。長くなった自分たちの陰で遊んでみます。
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40年前に初めて来た頃はまだ米軍の放出品を扱う店やお酒の免税店などが数多く並んでいました。沖縄に対する酒税の軽減措置は昭和47年の1972年から始まった制度で、米軍統治下の税率が低かった上で産業基盤の弱さや消費者の所得を考慮し、徐々に本土の経済水準に合わせていこうという狙いでした。飲まないようなブランデーを3本買って帰ったのを覚えています。
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昔は米軍の放出品ばかり打っていた「SHUREIDO」もすっかり品揃えが変わってしまいました。軍用品以外にもアメリカのアウトドアブランドの品も扱っていました。仕事の合間の昼休みによく通いました。
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一昨年赤サンゴのピアスを買った「大栄珊瑚」にも寄っています。相変わらず割引でSALEしていましたが、特に欲しいものは無かったようです。
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40年前に1カ月以上いたときはいろいろなことが分かりました。その当時東京で「シェーキーズ」のピザ食べ放題ランチが500円でしたが、沖縄ではサラダバーまでついて同じ料金でした。本土では週刊誌の発行日は雑誌の表紙の日にちより1週間ほど前ですが、沖縄では印刷された日が発売日でした。到着した翌週に表紙を見ないで買ったら前の週に東京で買ったものでした。「養老の滝」に日本酒が置いていないということもありました。
平和通り商店街 市場・商店街
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ゆいレールの牧志駅前の「さいおん うふシーサー」まで歩いてきました。2011年9月に完成した高さ3.4メートル重さ約3トンの大きな壺屋焼きのシーサーで、壺屋の陶工達が約5ヶ月かけて完成させました。「うふ」は沖縄の方言で「大きい」の意味ですが、発音が笑っているようにも聞こえるため命名されたようです。
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40年前に出張してきたのは「オリオンホテル」の改修工事のためでした。当時西武百貨店と提携していて、3階に「西武オリオン」という店が入っていました。客室のクロスの張り替えが大きな仕事でしたが、通常であれば9月になると台風が来るのですが、その年は天気が良くて部屋は満室状態でした。そのために2週間の予定が1カ月以上になってしまいました。
オリオンホテル 那覇 宿・ホテル
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ホテル側で宿泊費を割安にしてくれて、3食の食事もホテル側のレストランが使えたので、出張経費がかなり余ってしまいました。そのお金で「角萬漆器」で懐石盆を特注してみましたが、その当時尺三寸のお盆が1枚1万円でした。1カ月ほどしてから家に届いたときは嬉しかったですし、そのお盆は現在も使っています。まだ余ったお金んはあったので金城次郎の作品を買っておけば良かったと思います。
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一昨年宿泊した「ヒューイットリゾート那覇」まで緩い坂道を上がってきました。ここはもう国際通りの外れです。午後5時になろうとしているので、ホテルに戻らずにこのまま「栄町市場」に向かうことにします。このホテルに泊まった際は「美瑩(みえい)」で琉球料理を食べた後だったので「栄町市場」へ足は延ばせず、翌朝散歩してみて、一度は夜に来たいと思っていました。
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「昭和」の時間がそのまま止まってしまったような「栄町市場」です。「鉄コン筋クリート」というコミックを映画化した宝町を思い出してしまいます。豪華な声優が印象にも残りました。クロ・イタチが二宮和也、シロが蒼井優、木村が伊勢谷友介、沢田が宮藤官九郎、ネズミ(鈴木)が田中泯でした。
栄町市場 市場・商店街
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まだ時間が早いので空いている店は少ないです。目的の店に行くには遠回りですが、「昭和」を感じるために散策します。
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昨日行った「BARサクラザカ」の近くもいい雰囲気でしたが、ここも劣らずです。
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寄り道したくなるような店もあります。ここはこの時間で満員でした。
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来たかったのはこの「うりずん本店」でした。前回着て栄町を歩いた際に場所が分かり、次に那覇へ来ることがあれば絶対にと思っていた店です。沖縄が本土に復帰した1972年の8月15日にこの居酒屋「うりずん」は土屋實幸という方がオープンさせました。
うりずん グルメ・レストラン
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その当時の沖縄は米軍統治下で高級洋酒ブームに沸き、泡盛は安酒として飲食店ではカウンターの下に隠していたそうです。店主は沖縄の心を失ってはいけないと、県内57カ所にあった酒蔵を1軒ずつ訪ねて泡盛を集め、その魅力を訴えました。
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午後5時過ぎというのに1階はほぼ満席だったのでびっくりしました。「お2階へどうぞ。」と言われてホッとします。2階の座敷は誰もいませんでしたので、一番明るい窓側の席にしました。すぐに日が暮れましたが。
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まだどなたもいないので写真を撮っておきます。どこを見てもいい雰囲気が感じられます。移動式のパーテーションがいくつもあるので、宴会も出来るようです。
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仕切られたいくつかのテーブルではこの後宴会が入っていました。すぐに満席になったので、早い時間生きて良かったと思います。
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取り皿とお通しがやちむんに乗って出されます。どれも沖縄の陶器なのが嬉しいです。
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まずはオリオンの生ビールで乾杯です。
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「赤黄はし(うめーし)」は沖縄の食堂や家庭で親しまれている箸です。「うめーし」とは沖縄の方言で「箸(めーし)」の丁寧な呼び方です。赤色の部分は太陽で黄色の部分は月を表していると言われています。
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「海ぶどう」は妻のリクエストです。翌日市場で買う予定にしていますが、ここでも食べてしまいます。ここの海ぶどうは粒が大きくとても美味しかったです。
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昨日「美瑩」で食べた「豆腐用」が美味しかったのでここでも注文してみます。「うりずん」のものもとても美味しかったです。脇頃は家に持ち帰っても美味しく感じませんでしたが、上質のものは珍味です。
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「ジーマーミ―豆腐」も忘れずに注文します。これも翌日に忘れずに買って帰らなければなりません。
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意外に絶品だったのが「島らっきょうの天婦羅」です。これは初めて食べましたし、目からうろこの調理法です。フリットのような衣も良いです。
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「苦瓜の豆腐チャンプル」はごはんが欲しくなります。「美瑩」の洗練された宮廷料理も美味しいですが、こういった居酒屋の沖縄料理も美味しいです。
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途中から「うりずん特製古酒12年物」をカラカラでいただきます。ロックでがんがんいただきます。カラカラの使いやすさを改めて手で感じます。博物館で見るだけでは分からないことです。
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だんだんとお腹が減ってきました。ここの「イカ墨焼きそば」も少し硬めの麺に濃厚なイカ墨が絡まって何とも言えない美味しさです。
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箸が真っ黒に染まるほどの墨です。「美味しいね。」と笑った妻の顔が忘れられません。
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「豚肉の油みそ」もご飯が欲しくなる美味しさです。たくさん食べても健康食を食べている気がしてきます。
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「ボロボロジューシー」を2人で半分づつ食べて締めました。周囲のテーブルはすでに2回転目に入っています。最後の方の料理は写真を見ても注文した記憶が残っていません。
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今回那覇で計画していた「昭和」を感じる旅もほぼ達成できました。後は翌日「ジャッキーステーキハウス」に行くくらいでしょうか。
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すでにほろ酔い気分の状態を越えていい気分です。
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妻とは若い頃から飲み歩いていますが、最近は酔っ払うほどにお酒を飲むこと無くなりました。。
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夕暮れ前にはシャッターが降りていた店も明かりが灯っています。「千と千尋の神隠し」の町に迷い込んでしまったようです。
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本来は全部ビニールを張ったアーケードのようですが、こんなところはご愛敬です。
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もう少しに見たくなる気分ですが、ホテルに帰ることにします。
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壊れました。
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「栄町市場」とこの「沖縄ホテル」が至近距離なのが選んだ理由でもありました。実際酔っ払って歩いたら結構距離は離れているように思えました。
沖縄ホテル 宿・ホテル
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最後のアプローチが遠く感じます。
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重要文化財の「守礼の門」に似た「大門」をくぐります。
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午前10時にホテルを出て12時間ほどで帰ることができました。部屋に戻る前にレスト選んでお酒を貰います。長かった旅もこの日が最後の夜です。
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