2023/05/25 - 2023/05/25
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/05/25
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ツアー2日目です。今回のツアーは実際にはこの日から始まります。松山を出た後は四国の海岸線をなぞるようにバスで移動しながら足摺岬と室戸岬を観光しながら徳島まで移動します。まずは松山から南下した大洲という街に立ち寄ります。この町については旅行前には全く知識もなく、行ってみてからその素晴らしさを感じました。1時間ちょっとの滞在ではもったいないと思える街です。見学のメインは「臥龍山荘」の見学でしたが、この別荘も素晴らしいものでした。この地域特産の木蝋の輸出で成功を収めた大洲出身の貿易商の河内寅次郎が相談役に京都の茶室建築家の八木甚兵衛を招き、建築は大洲藩の作事方の家計を継ぐ大工棟梁の中野虎雄らでプロジェクトを構想10年と施工4年の歳月をかけて建設し、明治40年の1907年に完成させた建物です。その完成度の高さは非常に高く、これまで見てきた京都の離宮や寺院にも劣らないものでした。大洲の町は地元のガイドさんが案内してくださいましたが、庭先の灯篭や敷石などについてもこだわりがありそうだったので、もっと詳しく知りたいと思いました。町の見学は「大洲まちの駅 あさもや」でバスを降りて、「臥龍山荘」を往復するだけでしたが、道中には「おはなはん通り」というものがありました。これはNHK連続テレビ小説で昭和42年の1967年に放送された「おはなはん」の舞台がこの大洲で、ロケ地にもなっていたようです。このドラマは母が好きで、幼稚園から帰った後にお昼の再放送で一緒に観ていた記憶があります。また漫画では読んでいてテレビドラマはあまり観ていなかった「東京ラブストーリー」では主人公のカンチの出身がこの大洲だったようです。とても魅力的な町なので、松山と砥部と合わせて、もう一度来ても良いかなと観光案内所でもらったパンフレットを見ながら予定を考えてみます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 読売旅行
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ツアー2日目の朝です。前の晩は遅くまで道後温泉の街歩きをして、早朝からひとっ風呂浴びてからの朝食です。
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朝食は前の晩と同じ別館8階の「石鎚」という宴会場でのビュッフェスタイルのメニューです。同じホテルにはトラピックス社のツアーも宿泊して、同じような時間の出発なので、午前7時過ぎはごった返していました。愛媛らしいメニューは「じゃこ天」くらいのようでした。
道後温泉 ホテルルナパーク 宿・ホテル
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ゆっくりデザートとコーヒーをいただく頃には朝食会場はガラガラになっていました。
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今回も全国旅行支援のクーポンをいただいたので、前の晩の飲み物の支払いと2,000円分の買い物で使い切りました。さらにホテルのLINE登録すると500円の商品券ももらえます。
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午前8時20分に道後温泉のホテルを出発します。2日目の朝は前の日と変わって天気は雨模様です。
道後公園停留場 駅
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松山市を出てバスは宇和島方面への高速に乗ります。
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車窓からは西日本最高峰の1,982メートルの石鎚山が見えました。
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バスのリアウインドウからは遠くなっていく「松山城」が見えました。最後尾のシートに座っていると意外にこの窓は使い勝手が良く、写真を撮りやすいことがあります。
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松山を出て松山自動車道路の大洲で降りるまでは1時間ほどのドライブでした。肱川(ひじかわ)の穏やかな流れを見ながら「大洲まちの駅 あさもや」に向かいます。鵜飼も行われる肱川ですが、冬期には肱川あらしと呼ばれる局地風が吹き、流域面積の約9割が山地で占められ河川勾配も緩いため河川の氾濫が多いようです。
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「大洲まちの駅 あさもや」で地元のガイドさんと合流し、2グループに分かれて「臥龍山荘」の見学に進みます。今回のツアーに参加するまで大洲という街についての知識は全くありませんでした。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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今回訪ねたのはS字にくねっった肱川の右下の辺りだけでしたが、魅力ある街だということはすぐに分かりました。地図の左上にある大洲城の姿を見ることは出来ませんでしたし、その城下も見られなかったのが残念です。
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昔から河川の氾濫があるせいか古い屋敷の周囲は石が積まれた塀が続いていました。
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「伊予の小京都」と呼ばれる町並みはこじんまりとしてとても美しいです。朝一番で訪れる人の姿が無かったのも良かったです。
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肱南の市街地の東端の肱川に近い一角には江戸及び明治の面影を残す町並みが残っています。こんな郷土料理の店にも入ってみたい気になります。
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この辺りは昭和41年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケが行われたことから「おはなはん通り」の名称で親しまれています。この連続ドラマは母が好きで、幼稚園から帰ってきた午後の再放送を必ず見ていた記憶があります。
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主人公のはなは軍人とお見合いで結婚し子供も授かりますが夫は病で他界してしまい、女手一つで子供たちを育てながら、幾多の困難を乗り越えて成長していく姿を描いたドラマでした。樫山文枝のイメージしか残っていませんが、なぜか記憶に残っています。
おはなはん通り 名所・史跡
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きれいに整備された町並みはオーバーツーリズムになってしまった京都などを旅するよりも気持ちよいものです。
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土蔵も石積みの上に建っているようです。この街並みも肱川の川辺からはかなり高い位置にありますが、水害に備えているのだと感じます。実際この旅の後に台風2号の影響で四国地方には大雨が降って、この辺りも増水があったニュースを見ました。
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大洲では近年になって城下町を形成する古民家などの取り壊しが進み、「町家・古民家等の歴史的資源を活用した観光まちづくり」が急務となっていましたが、日本初の城泊で注目を集めた大洲城の活用や町全体をホテルに見立てた分散型ホテルがオープンしています。
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「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」は城下町に分散する町家や古民家を改修し、町全体がホテルという構想で展開しているようです。
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この古幾らも内装はリノベートされていますが、外壁の崩れた白漆喰は修復することなく、これ以上崩れないような処理がなされていると説明がありました。
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表からは窺い知れませんが、後でホテルのホームページなどを確認すると豪華な設えになっていて、インバウンドの外国人の観光客や富裕層をターゲットにしているのが分かります。
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食事についても町全体をホテルにしているというコンセプトなので、食事をする場所も別の建物になっているそうです。
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素晴らしい取り組みだとは思いますが、もう少しリーズナブルなホテルであれば泊まってみたいと思います。1泊2食付きで2名で10万円くらいするそうです。
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通りの先には大洲神社の参道が左に向かってありようです。この神社は1988年からビッグコミックスピリッツに連載されていた柴門ふみの「東京ラブストーリー」のテレビドラマのロケ地になった場所で有名だそうです。主人公の永尾完治(カンチ)は愛媛の大洲の出身という設定でした。東京に生まれ育って、広告代理店で仕事をしているといまいち感情移入が出来なかった記憶があります。
大洲神社 寺・神社・教会
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大洲の旧市街はホテルだけではなくリノベートされた民家に面白そうなショップが並んでいます。残念なのはそのほとんどが土日だけの営業だったので、ガラス窓から中を覗くしかなかったことです。
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センスの良い青磁や白磁、鋳物の燭台、木製のお盆など手に取ってみたいものが並んでいます。蕎麦猪口や水差し…。
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どこのお店も土日くらいしか営業していないのが残念です。
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「たては屋」の店先にあったこのヤギの型押しの飴釉の皿が気になりました。バルト三国の陶芸のようなデザインに惹かれます。
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妻は通りに面した野菜果物無人販売所にいたおじさんと値段交渉しています。河内晩柑(かわちばんかん)を旅先で食べる分買うのかと思ったら、おまけも含めて6個になっていました。
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地名から熊本県の「河内」と、年を越して春を過ぎた夏になって収穫を迎える一番遅い季節の収穫ということから「晩」の柑橘とされ「河内晩柑」と名付けられたそうです。
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おじさんが笹で作ったバッタや蛙が見事だったので妻に写真を撮っておくように言われましたが、先ほど見たお皿のような器が気になります。
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カエルも良く出来ています。
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気が付くと我々と数人の伯母さんを置いて他の皆さんはずいぶん先に行ってしまいました。
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肱川のほとりまで出ると対岸の山並みが美しく見えました。
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道なりに進むと「臥龍山荘」の前にある広場に着きました。これから建物の見学をするのにずいぶんと荷物が増えています。
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この地を「臥龍」と命名したのは大洲藩の第3代藩主の加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」ことから名付けたものと言われています。肱川湖畔のもっとも優れたこの景勝地に初めて庭園を築いたのは文禄年間に藤堂高虎の重臣だった渡辺勘兵衛とされます。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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この地をこよなく愛した泰恒公は吉野の桜や龍田の楓を移植し、庭に一層の風雅を加えました。その後も歴代藩主の遊賞地でしたが、明治以降は補修されることもなく自然と荒廃していたようです。
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現在の山荘は明治時代に新谷出身の豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎が老後の余生をここで過ごしたいと大洲随一の景勝地であるこの地に明治30年頃から10余年をかけて築造した別荘です。
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周辺のうち菰そうですがこの周辺は木蝋の産地だったようです。木蝋(もくろう)とはウルシ科のハゼノキやウルシの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出したものです。
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和ろうそくの仕上げなどには生蝋をさらに天日にさらすなどして漂白した白蝋(はくろう)を用いられますが、それ以外にも関取のびんつけや艶出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていました。このため商品作物として明治時代まで盛んに栽培されていました。
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末広がりの美しい「末広積み」の石垣からは木の幹が突き出しているのが見えました。もともと生えていた「チシャの木」をそのままに、周りに石を積み上げたものだそうです。横長い石を肱川の流れに見立てた「流れ積み」で、丸い臼は月を表しているそうです。
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我々のツアー42名は2班に分かれ、先に入った人たちが「臥龍院」の内部の見学に向かったので、我々の班は一番奥の「不老庵」に向かいます。
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庭園はどの季節に訪れても美しく見えるように考えられており、夏に薄赤い花を咲かせる百日紅、秋にはモミジや金木犀、その他にも数多く植えられているようです。またセンリョウやマンリョウといった縁起のよい植物も見られます。
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奥へ進む露地の敷石の見事なことに驚かされます。利休は「わたり六分、景気四分」を唱導し、「わたり」(歩きやすさ)という実用性を「景気」(「見栄えのよさ」)より重視しましたが、古田織部は「わたり四分、景気六分」と述べて美観を重視しました。
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庭先から見る「臥龍院」の建物は高床になっていますが、かなりの高台にあるのでここまで川の水が氾濫するとは思えません。参考にしたという京都の桂離宮に倣ったのだろうかと感じます。風通しが良くて涼しげにも見えます。
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「不老庵」への道中には「知止庵(ちしあん)」という茶室があります。「臥龍院」と同時期に浴室として建てられた建物ですが、昭和24年に内部を改造して茶室とされました。「知止」の扁額は大洲藩の第10代藩主加藤泰済の筆です。陽明学者の中江藤樹の説いた教えから「知止」という庵名が生まれました。壁の腰張には皇室の名代を徳川家で迎えるとき、その接待役を勤めた第3代藩主の藩泰恒の「茶方日記」の反古紙が貼ってあるようです。
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見返すと「臥龍院」の茅葺の屋根が美しく見えます。この敷石の来歴も気になるところです。
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置かれてあった灯篭の傘の部分が白く変色しているところは「ぼたん苔」という生育の遅いものだそうです。通常はここまで成長するのに100年余りを要するそうですが、ここでは環境が適していることから60年から70年で成長したそうです。
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カーブ氏ら路地の中心には寺院の礎石のような巨大な石が埋め込まれています。
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「知止庵」の表側にも路地が続いています。「知止」とは「どこで止めるかを知る」という意味合いで、現在の言葉では「何事もほどほどに」という意味合いです。
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同じような大きさの敷石ですが、古い礎石だったり、全くの自然石だったり様々です。その中に緑色と赤い石が目に留まります。乾燥していて同じように見えますが、打ち水すると色が現れるのではないかと思えます。
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ぞろぞろ歩くよりは迷惑かけない程度に少し遅れて歩いたほうが庭本来の雰囲気を感じることが出来ます。
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ここには石臼が埋め込まれています。父が実家にあった石臼を持っていたのですが、亡くなった後に処分してしまいました。一軒家であれば庭先に置けたかもしれませんが、いまだに申し訳なく思っています。
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立派な春日灯篭も置かれてありました。
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潜龍洞という名の氷室(ひむろ)は現代の冷蔵庫にあたる場所です。
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確かに龍が潜んでいそうな雰囲気は感じられます。
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皆さんに送れながらも「不老庵」に到着しました。肱川のほとりにあるので、ここまで来ると風が通り気持ちよいです。
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「不老庵」は臥龍淵を見下ろす崖の上に建てられており、全体を屋形船に見立てています。母屋よりも早く明治34年の1901年3月に竣工しています。「懸造り(かけづくり)」と言う建築手法が用いられていますが、こちら側からでは崖も木組みも見ることは出来ません。
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右側は待合いになり、巨大な石臼が目に留まります。この大きさだと人間の力では回せないので、牛馬が使われたのだと思います。自然石の沓脱石もいい具合に水切りの勾配が取られているようです。
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古く錆びた釣灯篭と新緑のもみじの葉との対比が美しいです。
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「不老庵」は肱川の上にせり出した形なので、臥龍淵を真上から見下ろすことができます。この建物が建てられた明治時代にはこの下を帆掛け船が盛んに行き来していたのだと想像してみます。
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眼下に臥龍淵のよどみがあり、淵を挟んだ岩山は龍が伏せたように見えます。叔父が京式登り窯と穴窯「臥龍窯」を持っているので、名前に親しみを感じます。
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建物の意匠は「臥龍院」と同じ書院造になっていて、外観の仕様も共通しています。
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座敷の奥の部分は畳と同じ高さの踏込床(ふみこみどこ)になり、その上の落とし掛け(床の間や書院の壁の下橋につける横木)には、曲がった竹をそのまま使用し、天井の丸みと調和させています。床には2間幅の仙台松の1枚板を使用し、違い棚をつけない簡潔な仕上がりになっています。部屋には風が通るようで、掛軸が風にあおられて出来た塗り壁の傷が痛々しいです。
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竹で編んだ天井が他に例を見ない蒲鉾のような丸みを持たせた造りになっています。月夜の晩には臥龍淵の川面で反射した月明かりがほんのりと天井を照らし、川のせせらぎとともに月明りのゆらめきを堪能できるようになっているのだそうです。
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祖父の家には「苫舟の間」という部屋があり、部屋の中を歩くと舟の櫓を漕ぐ音がしました。また祖父は80歳を過ぎたころから不老庵という雅号で絵を描いていたので、初めて来た地なのに親しみを感じます。
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蹲踞(つくばい)が崖の際にあるので転げ落ちたらと思うと恐ろしいです。
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古い鯱瓦は河源(かげん)の主を意味しているのでしょうか。
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先に母屋を県がkしていた藩と入れ替わりに「臥龍院」に向かいます。軒先に巨大な手水鉢が置かれてあります。これについても色々な由来があるのだと思います。
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臥龍山荘の母屋である「臥龍院」は明治40年の1907年2月竣工の木造茅葺寄棟造りになっています。外観は素朴な農家のようにも見えますが、その内部は非常に手の込んだ造りになっていることから2016年には国の重要文化財に指定されました。
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軒先から座敷の中を眺めながら玄関に向かいます。濡れ縁の中には「鞘の間」という畳敷きの廊下があります。
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濡れ縁を見ているとずいぶん立派な銅の釘が目に留まりました。頭が出ていますが、引っかからないように工夫がされています。古い物なのに緑青も吹いていないので感心して写真を撮りましたが、後で調べてみると京都の千家十職の中川浄益の手によるものだと分かりました。
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奥には「壱是の間(いっしのま)」という座敷が続いています。遠目にも豪華な内装のこだわりを感じます。
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軒下の壁にある灯り取りの丸窓は、屋内から見ると大小の四角い窓になっています。茅葺きと軒裏の意匠は「桂離宮」のなかにある「松琴亭」を思い出させます。
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緑色の沓脱石も濡れると美しい色を見せてくれるのだと思います。
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「霞月の間(かげつのま)」も表から見ると霞に見立てた違い棚と圓窓が見えます。
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手水鉢には安生橋の文字が読み取れるので、古い石橋を再利用したのだと分かります。この濡れ縁の意匠は京都の祖父の家を思い出します。
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雁行した建物の軒下を歩いて入り口に向かいます。
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入り口に掲げられた額には太平春の文字が読み取れます。これは「萬家太平春( ばんかたいへいのはる)」という言葉から来ているのだと思います。どこの家にも、誰にでも、平和で穏やかな春が訪れるという意味です。
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玄関である「迎礼(げいれい)の間」は昔の農家のような土間や土壁は質素な雰囲気です。禎祥と非常の文字の書かれた箱は提灯を入れるものです。
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型流れの天井には割竹が敷き詰められ、竹と杉の丸太を組んだ野趣の感じられるデザインです。
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素朴な土壁と床には竹がそのまま並んでいます。節があるのできれいに並べるのは難しいですが、特に削られたような跡もありません。
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部屋に入ると見事な透かし彫りの欄間に目に入ります。清流と筏流しの花筏で春を表現しています。
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障子に映しだされた花筏はやわらかな光で輪郭が曖昧になり、見ているとのどかな気分になります。大きな床板は楠の1枚板ということです。この上部は神棚になっているので、床板の上には何も飾らないそうです。
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右側にはさらに1段段差があり、竹の花籠が置いてありました。4月に行った別府で同じような花入れを買ったばかりなので目に留まりました。別府で見た宇和島の八幡浜港を結ぶフェリーを思い出しました。この竹籠も大分のものだったのかもしれません。
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「清吹(せいすい)の間」は別名「夏の間」とも呼ばれます。北向きで風通しが良く他の部屋よりも天井高があり、床には籐あじろが敷かれ、夏に涼しさを感じさせる造りになっています。床板の上は大きな神棚が据えられています。
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大きな南画の額が飾ってありますが、達筆すぎて解読することは出来ません。老いた松を龍に譬えているようにも読み取れるので臥龍淵の岩と松について描かれたと想像します。
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額の下には雪輪窓が設けられ、その奥には河内寅次郎の仏壇があるようです。
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廊下側にも同じデザインの雪輪窓が設けられ、そちらには写真が飾られてありました。
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「壱是(いっし)の間」との間の欄間には菊水で秋を表す透かし彫りがあります。先の雪輪窓が冬を表すので、この部屋の中に春夏秋冬があるのだと分かります。この菊の透かし彫りはひと目で千家十職の駒沢利斎の手によるものだと分かりました。
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「壱是(いっし)の間」の3畳の大床や高い天井の書院座敷は桂離宮の意匠を随所に取り込んでいるようです。例えば床の間にある風雅な書院窓は松皮菱(まつかわびし)型書院窓で、別名櫛形窓ともいわれる桂離宮の新御殿と同じデザインです。
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桂離宮の御殿には何度か見学させていただいたことがあるので、なるほどと思えるところが多々ありました。そのうちの1度は祖母と叔母が懇意にさせていただいている妙喜庵さんとご一緒させていただき、桂離宮から大山崎へ行き、待庵でお茶をいただきました。待庵にも何度かお邪魔したことがありますが、行く度に低い茶道口で頭をぶつけてしまいます。
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この部屋は畳をあげれば能舞台となるようにも設計されていて、床下には音響を良くするために備前焼の壺を12個埋め込んでいるそうです。この話を聞いてびっくりです。祖父の家も同じような造りになっているからです。司馬遼太郎はうちの能舞台の雪見障子が気に入ったようで、産経新聞の記者時代に連載した「美の脇役」という本の中にも出てきます。
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廊下の襖には大きく芭蕉が描かれています。この家の主のセンスの良さを感じさせます。
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庭を眺めるには建物の中の決まった場所から眺めるのが良いとされますが、庭先を歩いてみているよりも座敷に座った方が格段に良く見えてきます。桂離宮や修学院離宮、数々の京都の寺院の庭園を着る機会がありましたが、唯一金閣寺の舎利殿(金閣)の1層からの眺めは物足りなく感じました。それほど金閣のインパクトは強いと思います。2層と3層にも登る機会がありましたが、黒漆の床の極楽のような世界でした。女性の方で中を見学する機会があるときはスカートははかない方が良いです。
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濡れ縁と「壱是の間」の間にある廊下は「鞘の間」と呼ばれます。この座敷を眺めるアングルが一番きれいだと思います。
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「霞月(かげつ)の間」は先ほどまでの二間と少し雰囲気が違っています。「清吹の間」「壱是の間」を豪華な明とすると、こちらは暗を感じる灰色の色彩です。「霞月の間」は夕暮れ時の薄暗くなった頃合いを「侘び」として表現しているようです。竹をスライスした意匠は最近どこかで見たと記憶を辿っていたら、秋田市内の1番の料亭である「濱乃家」の2階の竹の間だと思い出せました。
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透かし彫りには瓢箪のあしらいがありますが、瓢箪は夕暮れに花を咲かせるそうです。この部屋の透かし彫りに瓢箪をあしらったのは黄昏時をあらわす意味もあったのかもしれません。
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「黄昏」は江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略です。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味です。
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「霞月(かげつ)の間」の手前の内廊下は畳敷きではなく、松の1枚板にあえて目地を入れて、一般の家の廊下で使われる寄せ木の板のように仕上げています。
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富士山を描いた掛け軸の前に違い棚を設け、霞がたなびく様を表現しています。さらに丸窓の向こうは仏壇になっており、蝋燭を灯せば丸い月のように見えるのだそうで部屋の名前の由来はここにありました。
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右上の壁の部分はあえて塗り残した下地窓が、侘びの表情をさらに強くしています。「破れ窓」や「ぬりさし窓」とも呼ばれ、千利休が農家の剥げ落ちた壁の下地を見て侘びを感じ、茶室に採用したのが始まりとされています。桂離宮の「賞花亭」にも同じような意匠があったと思い出します。
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ようやく臥龍山荘の見学が終わりました。他の方々はすでに表に出てしまったようで、添乗員さんが待っていてくれました。
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駐車場へ戻る途中にあった「二葉屋」というお菓子屋さんです。唯一このお店だけがこの辺りで開いていました。古い城下町である大洲には有名なお菓子がいくつかあり、残月と月窓餅と並び、愛媛県大洲市の三大銘菓の1つといわれている和菓子「志ぐれ」がこの店の名物です。小豆と米粉や餅粉を混ぜ合わせ、蒸籠で蒸しあげて作られ、見た目は羊羹やういろうに似ていていますが、また異なる独特な食感がありました。
二葉屋 志保町店 グルメ・レストラン
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軒先に野菜が並べられた無人販売でも地産のにんにくが安かったので買い求めましたが、トランクの中がにんにく臭くなりました。
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「東京ラブストーリー」でリカがカンチに別れの手紙を出したポストが現役で残っています。
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大洲は盆地なので夏場は気温が高くなるそうです。この日もすでに25℃を越えているようです。
大洲まちの駅あさもや 道の駅
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バスはこの後に宇和島に向かい「宇和島真珠会館」でお昼をいただきます。良い瓜旅行のツアーは格安ながら昼食もついているのはありがたいです。
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大洲を離れて高速に入る前に川沿いに建つ「臥龍山荘」の姿と伏せた竜の姿に見える臥龍の岩が見えました。
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「不老庵」の「懸造り(かけづくり)」の姿もようやく確認することが出来ました。
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