2023/05/26 - 2023/05/26
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/05/26
この旅行記スケジュールを元に
「練馬区立牧野記念庭園」からスタートした今回の旅はツアー3日目にしてようやく「高知県立牧野植物園」に到着しました。ここは高知市のすぐ郊外にある五台山の山頂の元々は隣接する「五台山 金色院 竹林寺」の敷地だったところだそうです。牧野富太郎は生前にこの地に植物園があったらと望んでいたそうです。「牧野富太郎博士の偉業を顕彰し、植物研究を通じて、教育文化の向上及び産業振興に寄与するとともに、土佐寒蘭の保護及び知識の普及を図り、県民に対し、憩いの場を提供する」ことを設置目的としている。 園内には3000種近い植物が栽培されています。今回のツアーを選んだ理由の1つはフェリーの船上から見た足摺岬と室戸岬に立つことで、もう1つがこの牧野植物園と翌日に行く北川村のモネの庭マルモッタンへ行くことでした。残念なのはどちらも見学時間が1時間と短いので、広大な敷地を全部見ることはおろか、展示室も駆け足でまわらなければならなかったことです。これは事前に大泉学園の「練馬区立牧野記念庭園」で事前に学んでいたことで何が展示してあるかわかったので良かったと思いました。園内にある「牧野富太郎記念館」の建築はサスティナビリティー(持続性)という考え方が1つのテーマになっていて、屋根から流れる雨水も並べられた水盤に落ち、そこでは水生植物が育つなど感心する仕組みがありました。また円形の中庭や展示室の吹き抜け空間など、展示物以外の楽しみもありました。見学できたのはここと温室くらいでしたが、温室の建物も古代の遺跡のようであったり、回遊していても楽しめました。あっという間の1時間が過ぎて、バスは「ロイヤルホテル土佐」に向かいます。ここは以前に四国周遊のツアーでも宿泊したところでした。ちょっと屋な予感がしたのですが、思った通り海側の部屋ではなく、廊下を挟んだ駐車場とゴルフ場側でした。同じ料金でツアーに参加しながらこの差は大きいと思います。今回の読売旅行のツアーでは全部ハズレの部屋でした。ホテルのキーを貰った後はエレベーターが混んでいるので1階の売店に向かいました。部屋飲みする飲み物を買おうと思ったのですが、どれも高い料金設定なので、「ダバダ火振」とロックアイスを買いました。部屋でくつろいでから夕食になりましたが、以前泊まった時のカツオのたたきのライブなどもなく、ちょっとがっかりしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 読売旅行
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高知市内を出たバスは15分ほどで国分川と鏡川の合流地点を通過します。この先に浦戸湾があり、太平洋にそそぐ左岸に桂浜があります。通常のツアーでは桂浜と坂本龍馬増の見学がありますが、今回のツアーには含まれていません。
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「高知県立牧野植物園」には午後4時40分に到着して、約1時間のフリータイムになり園内を見学します。
牧野植物園 公園・植物園
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植物園のある五台山は地形が中国の文殊菩薩の聖地として古くから信仰を集めている五台山に似ている事から、これに肖ってと命名されました。命名者は行基だと言われています。ベトナムのホイアンの北にも五台山があり、過去に2回行っていますが、行ったこともない中国の五台山に似ているかは分かりませんでした。
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入り口のゲートを過ぎ、料金所に向かうアプローチからキャプションが並び、その多くにはNHKの連ドラの{らんまん」のキャプションが貼られています。セントウソウの名前の由来はわからないと牧野富太郎も書いているそうです。
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バイカオウレンは日本固有種で、本州の福島県以南と四国に分布し、山地帯から亜高山帯の針葉樹林の林床や林縁に生育します。牧野富太郎がこよなく愛した花とされます。
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駐車場からまだ10メートルくらいしか離れていないのにこの雰囲気です。その全てにキャプションが取り付けられているようです。
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素人目には雑草が生えているだけのように見えますが、「雑草という名の草は無い」という牧野富太郎の言葉が思い出されます。
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入り口を入ってすぐにある「牧野富太郎記念館」の見学からスタートします。
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記念館は本館と展示館の2棟構成になっており、その両棟とも中庭を囲うように特徴的な屋根架構が架けられています。屋根架構は緩やかな曲線を描き中央には竹が植えられています。
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記念館は本館と展示館の2棟構成になっており、その両棟とも中庭を囲うように特徴的な屋根架構が架けられています。屋根架構は緩やかな曲線を描き中央には竹が植えられています。
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規模は違いますが、京都の四条通にある「可必館」という美術館の茶室のあるフロアを初めて見たときのことを思い出しました。ビルの屋上に円形の開口があり、その下が「光庭」になり、青もみじが1本植わっていました。
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サスティナビリティー(持続性)という考え方が1つのテーマになっているようで、自然と人間が共生している仕組みを壊さず持続させていくための工夫が構造や設備などに生かされています。大屋根の雨樋は下に置かれた水盤で受けられ、水生植物の水源になっています。
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溢れた水はさらに排水溝から流れ出るようになっていますが、どこかで再利用されているのかもしれません。
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ヨコグラノキが黄色い小さな花を付けていました。明治17年の1884年に牧野富太郎が高知県越智町にある横倉山で発見したことにちなんでヨコグラノキと命名されました。当初は本種を横倉山の特産と考えたようですが、その後に日本各地で見付かり落胆したというエピソードがあります。
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本館と展示館を結ぶ回廊は170メートルにも及び、ここにも同じデザインの屋根が掛けられています。
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回廊の脇の石垣にはシダ類が植えられ、牧野富太郎の描いた植物画が添えられています。
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鉄骨の柱と木造の架構の構成が続く姿は美しいです。「練馬区立牧野記念庭園」の設計も内藤廣という建築家だったことを思い出しました。
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展示館に着きました。こちらも基本的には同じデザインのようです。
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こちらは傾斜地に建っているようで、斜面に沿って段差が設けられ、屋根も大きく勾配が設けられています。
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屋根の排水と水盤の構成はここでも見られました。雨樋の真下に排水口があるので上からの水が直接植物にあたらないように工夫されています。
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古代ギリシャの貿易船の船底をひっくり返したようなデザインに見えました。それと同時に丹下健三の代々木体育館の第2体育館を思い出させます。
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バルセロナのカサ・ミラのエスパス・ガウディと呼ばれる博物館に展示してあった蛇の骨格標本とカテナリーアーチの模型も思い出しました。すると巨大なクジラに呑み込まれたピノキオの気分になってきます。
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壁面に張られた板には牧野富太郎の笑顔がイラスト化されて描かれています。グラフィックデザイナーの小川忠彦が食パンの焦げ目で描いたモナリザの絵を思い出しましたが、こちらは板を焼いたわけではなく、染色してあるようでした。
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牧野富太郎は植物採取に野山に行く際も、汚れて不向きなスーツを着ていました。銀座で仕立てたスーツに蝶ネクタイとで向かう意味変わり者だったようです。自分の愛する植物たちは愛人だと考え、愛人に逢いに行くのには正装するという考えだったようです。
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94年にわたる生涯を故郷の佐川で過ごした少年期、上京間もない青年期、東京帝国理科大学助手時代の壮年期、東京都練馬区で過ごした老年期の4つに分けて紹介しています。
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牧野博士の書斎「繇條書屋(ようじょうしょおく)」を再現したコーナーはインパクトがあります。これは「練馬区立牧野記念庭園」にも建物の外観から再現されていましたが、高知には精巧な蝋人形まで置かれてあります。牧野富太郎自身が標本になってしまったのだと感じました。
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実際に使用した採集道具や研究道具、ノート、日記などの遺品類はもとより、直筆の書や植物図、牧野博士蒐集の蔵書や写真など多数展示しています。
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子供の頃の夏休みの宿題で植物の標本を作った記憶が蘇ってきます。その習慣は現在でも残っているようで、旅先に必ず持っていくスケッチブックには拾った葉が乾燥して貼られています。
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母方の祖父が京都市内の骨董屋で良いものを見つけて帰って来るとこんな顔をしていたのを思い出します。ぎおん石段下にあった古物店で岩佐又兵衛を見つけたり、玉畹 梵芳(ぎょくえん ぼんぽう)だったり、そんなものを京都国立博物館に預けたりしていました。お陰で東博や京博の展覧会には無料で入ることが出来ました。「世の中がなぁ、ぐらぐらっとしよると、ええもんが出てくるんや。」と言っていたことが思い出されます。現代に存命ならヤフオクで良いものを探し出してもらえるのですが。そんな祖父の陶器をヤフオクで探すのも楽しいです。
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ヤッコソウの植物画の緻密さには驚かされます。鳥居のようなAの中にDと描かれてあったらデューラーのスケッチかと思ってしまいそうです。
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ヤッコソウ は被子植物に属する寄生植物で、葉緑素を持たないため森林のシイノキなどの根に寄生します。高知県で発見されて牧野富太郎により命名されました。短い地上茎に数枚の小さい葉が対生し、先に花が単生します。ヤッコソウとは大名行列の奴に見立てての命名したそうです。
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ほぼ日本全国で野外採集を行っているようですが、北海道は函館と室蘭と札幌くらいしか行っていないようです。北海道鉄道が開通したのが1902年からなので、時代を考えると奥地へ行く足は限られていたでしょうし、山の中には熊も多かったのだと思いました。
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牧野富太郎が熊本県の阿蘇で採集したミヤマキリシマの標本を見ると枝ぶりのセンスの良さも感じます。
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「沈む木の葉も流れの工合 浮かぶその瀬もないじゃない」牧野は経済的に困窮し、学問的に植物学教室への出入り禁止の迫害を受けたりもしましたが、その都度誰かが助けてくれたようです。
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野冊(やさつ)は野外で植物を採集し、その場で新聞に押して標本を作るのに使います。 野冊を使わない場合は採集した植物を袋などに入れて持ち帰りますが花はしぼんでしまします。 できるだけ良い標本を作るためには、現地で新聞紙に押してしまうのが一番です。子供の頃にもっと簡単なものを持っていました。
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胴乱(どうらん)は植物採集用具として作られたブリキ製で長さ40センチメートルから50センチメートルの卵筒形、楕円錐(だえんすい)形などの形をしています。外部は灰色か緑色で、内部は小形の植物を見失わないために白色に塗ってあるものも多いようです。これと同じものが「練馬区立牧野記念庭園」にも展示してありました。
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東京の北区滝野川で採集したシラスゲを手に野心間で撮影したもので、胴乱に入りきらなかったシラスゲを上着に巻いています。
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ヤマトグサは1884年に牧野富太郎が本種を最初に高知県で発見しました。しかしこのときの標本には花がなかったためこれをハシカグサと同定しました。その後1886年に同じ場所でよい標本を得て、これを研究してその結果を大久保三郎との連名で1887年に「植物学雑誌」に記載論文を発表します。日本固有種で日本人の手によって記載され、それが日本の学術雑誌に発表された最初の植物です。
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牧野はケヤキを「欅」、アジサイを「紫陽花」、フキを「蕗」、ショウブを「菖蒲」、スギを「杉」などと書くことも「誤用である」と断じていて、古典学者などを除けば植物の名前はすべてカタカナで書くのが望ましいと主張しています。
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この考えは明治20年の1887年以来変わらないと、昭和18年の1943年に書いていることから、少なくとも56年間は一貫していたようです。
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19歳の時に第2回内国勧業博覧会見物と書籍や顕微鏡購入を目的に、番頭の息子と会計係の2人を伴い初めて上京しています。酒屋は祖母と番頭に任せ、気ままな生活を送っており、購入した顕微鏡の値段は家が1軒買えるほどだったと聞いたことがあります。この顕微鏡も練馬の展示室にありました。
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22歳の時に再び上京し、そこで帝国大学理科大学の植物学教室の矢田部良吉教授を訪ね、同教室に出入りして文献や資料などの使用を許可され、研究に没頭します。26歳でかねてから構想していた「日本植物志図篇」の刊行を自費で始めます。印刷工場に出向いて印刷技術を学び、絵は自分で描き、これは当時の日本には存在しなかった植物図鑑でした。この時期の富太郎は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を確立していきますが、その研究費は亡き祖母浪子に代わって妹の猶が工面し、富太郎の求めるままに東京に送金したため実家の岸屋の経営は瞬くうちに傾いていきます。
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本郷新(ほんごうしん)の手による頭像が置かれてありました。北海道出身の作家なので、昨年の何度かの北の旅では札幌グランドホテルの「 三人の像”lesson”」、稚内の「氷雪の門」、釧路の幣舞橋の「冬の像」などが思い出されます。植物園の南園にある「カラカサタケを手にする牧野富太郎像」も同じ本郷新の作品です。
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明治23年の1890年に10代半ばの壽衛子(すえこ)と結婚し、その後は13人の子供を授かっています。牧野は土佐の富裕な商家に生まれた「いいところの若(わか)」で、壽衛子は彦根藩の士族の娘という高い身分で裕福な家の出でした。当初は牧野の実家から援助があり、牧野自身も東京大学に職を得ていましたが、一家の生活費に加え、牧野の研究費、植物採集の旅費など、莫大な金銭を必要としたため、食費にも事欠くほどの貧乏暮らしが続きました。その困窮生活を支えたのは壽衛子でした。
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「私が終生植物の研究に身を委ねることが出来たのは何といっても、亡妻壽衛子のお蔭が多分にある」「よくもあんな貧乏生活の中で専ら植物にのみ熱中して研究が出来たものだと、われながら不思議になることがある。それほど妻は私に尽くしてくれた」という言葉を残しています。壽衛子は50代半ばで亡くなり、同時期に仙台で発見したササに「スエコザサ」と名づけました。スエコザサは練馬でも見ることが出来ます。
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温室に向かう道中にフェンスで囲われた一角がありました。ここにはアヘンが採れる種類のけしが栽培されていました。以前にタイとラオスとミャンマーの国境地帯のゴールデントライアングルを旅した時のことを思い出します。オピウム・ミュージアムでは山岳少数民族の伝説についての記載がありました。
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アカ族の伝説は美しい少女に求婚した7人の男性の話です。彼女は嫉妬や悲しみを恐れて結婚する相手を選べませんでした。そして自分の死という犠牲を払って7人全員と愛し合うことを選びます。彼女の死後埋葬された心臓からケシの花が咲きます。彼女は死ぬ前に「花の樹液を味見した人は誰でもそれが欲しく、より多くを望みます。しかしそれは善悪の両方を運んでくる。」と言い残しました 。
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ルア族の伝説はアカ族とは違った内容になります。昔々年老いた女性が亡くなりました。彼女は自分の亡骸を村の十字路の近くに埋葬するように言い残します。すると亡骸の胸から煙草が、腰の上からケシの花が咲きました。村人はこの見知らぬ植物を味わい、この植物の栽培を始めます。子供たちは離乳時に煙草を吸うようになりました。
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その先にはトビカズラの花が咲いていました。中国の長江流域が原産地とされ、日本にも広く分布していたとされますが、国内では2か所を除き絶滅したそうです。トビカズラの名の由来は源平合戦の治承と寿永の乱の頃、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の残党が相良寺に落ちのびた際に豊後竹田の源氏方の武将である緒方惟栄が寺を焼き討ちしました。焼き討ちの際に寺の千手観音は飛翔してこのカズラに飛び移り危うく難を逃れたといいます。
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トビカズラは霊華「優曇華」(うどんげ)とも呼ばれ、「霊華時を隔て開花することあり。開花すれば必ず国家的事変がある」と言い伝えられてきたそうです。昭和4年の1929年5月に35年ぶりに開花した翌年に満州事変が起こったともいわれます。
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きれいな遊歩道が続いていますが、全体の規模が分からず、このまま進んで時間内に戻ってこれるのか心配になってきます。
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カンナ・パテンスがきれいに咲いていました。他にもヒルザキツキミソウやスパニッシュ・ビューティーなども咲いていましたが、牧野富太郎の時代の植物ではなさそうなので写真は割愛します。
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「五台山 金色院 竹林寺」の五重塔が見えました。この寺院は神亀元年の724年に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見たことに始まります。天皇は僧の行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したといわれます。その後の大同年間の810年頃に弘法大師空海が滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復したと伝えられます。
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ようやく巨大な温室が見えてきました。もう残り時間は20分少々しかありませんので先を急ぎます。この間の谷には本郷新の「カラカサタケを手にする牧野富太郎像」があるのですが、降りていく自信もありません。
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近代的な温室の建物の入り口には廃墟のような塔があります。特に温室が好きというわけではありませんが、旅先に温室があると見に行ってしまいます。
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ヨーロッパにあるパルメンハウスではウィーンのシェーンブルン宮殿のものが好きで何度も見に行っています。ユーゲントシュティル様式の美しい建物です。この時代は産業革命によって登場する鉄骨部材とガラスがこのような建物の建築を可能にさせました。
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「みどりの塔」のイメージはヨーロッパのそれではなく、スタジオ・ジブリの「天空の城ラピュタ」の廃墟になった庭園を連想させます。
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大木の洞窟をイメージした高さ9メートルの塔から続く回廊の壁面にはアコウを植栽しており、力強い気根が伸びています。アコウは他の木に着生して成長することが多く、最後には着生した木を覆いつくして枯らす「締め殺しの木」と言われています。
アコウ、リュウビンタイ、ディクソニア、シッサスなどが見えます。 -
ラピュタの園丁のロボットではなく、ここにはアフリカの木彫が置かれてありました。
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温室内はいくつかのゾーンに分かれ、「乾燥地の植物」のゾーンでは乾燥だけでなく、日中の高温と夜間の低温に耐える構造を持った不思議でたくましい植物たちに出合えます。
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キンシャチ、トックリラン、サイザル、アガベ類、柱サボテン類、ユーフォルビア類、アロエ類、アリアカシア、サンセベリア類、バオバブ類、ジグザグノキなどが植えられています。
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そこから奥には熱帯植物園のような雰囲気です。
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巨大な甕の後ろには目立ちませんがニクズクが植えられていました。実になったナツメグは見たことがありましたが木を見るのは初めてです。初めて実を見たのは鯛のチェンマイのナイトバザールでしたが、プラスチックのような真っ赤な色に驚きました。
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パラミツの木もありました。まだ30センチくらいの小さな実が生っています。1メートルほどの大きさになるので、収穫はまだまだのようです。ジャックフルーツと呼んだ方が馴染みがあります。ベトナムやタイなどで何度も食べて大好きなフルーツです。東南アジアにも何年も行っていないことを実感します。
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パルメンハウスはドイツ語で「ヤシの庭園(温室)」という意味ですが、文字通りヤシの木を育てるための高さが設けられています。ここではさらに背の高い竹が植えられていました。これではバンブスハウスですね。
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天井が高いので展望台も設けてあります。
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「ジャングルゾーン」では滝しぶきを受けてシダやサトイモ科、イワタバコ科などの植物が美しい緑の空間を作っています。滝の上にはヒカゲヘゴや高木類の群落があり、ダイナミックな風景を見ることが出来ます。
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妻を追いかけて「展望デッキ」に上がってみましたが、すでに姿はありません。ここは温室内を一望できる展望デッキで、ヤシの樹冠やカラテアが広げている葉を上から臨み見ることができます。まさにパルメンハウスといった眺めです。
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妻はすでに先に進んでいました。また追いかけなければなりません。
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「ウォーターガーデン」は滝を中心にシンメトリーに配置された開放的な水辺の空間です。池の水際にはマングローブの仲間や湿地を好む植物、池の中には熱帯スイレンなどが植栽されています。
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ここにはオオオニバスが巨大な葉を見せてくれます。直径は1メートルを超えているものもあります。この植物を初めて見たのはタイのチェンマイの寺院の池でした。
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子供の頃に見た植物図鑑には陽南アジアの子供がこの葉の上に乗っているイラストがありました。そんなこと出来るはずがないと思いましたが、実際には15キロくらいの子供なら乗れるそうです。
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ビニールのような葉ですが、裏側にはびっしりと棘が生えています。また裏側には光合成による空気だまりがあり、それも浮力の助けになっているようです。この池は下から見上げることも出来るようですが、この時は気が付かなくて見ることが出来ませんでした。
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駆け足にはなってしまいましたが、温室の中を見ることも出来ました。そろそろ戻らないと集合時間に遅れてしまいます。
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「土佐寒蘭センター」という建物の前にはショウブがきれいに咲いていました。
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寒蘭(カンラン)は高知県が世界に誇る東洋蘭です。鉢に植えられた欄を見ている時間は無いので中は通過するだけになりました。
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きれいな椿の絵には「あしずりの椿の宿にとまりいて われひよどりと親しくなりぬ」という句が添えられています。昨日訪ねたばかりの場所なので見入ってしまいます。
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イロハモミジの盆栽もコンクリート打ちっ放しの空間に似合います。一青窈のイロハモミジの歌詞を思い出してみますが記憶は曖昧です。
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オオモミジの名前の由来はイロハモミジより葉が大きいことだったと思います。モミジとカエデは「ムクロジ科カエデ属」に属する同じ種類の植物で、英語の場合は全てメープルです。園芸や盆栽の世界では葉に5つ以上の深い切れ込みがあるものをモミジ、切れ込みが浅いものをカエデとするのが主流のようです。これは次に行った東北の温泉巡りのツアーの添乗員さんに教わりました。
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先ほど下った屋根の付いた回廊を戻ると気にシタキソウの白い花に気が付きました。牧野富太郎は「日本植物図鑑」において「本種の和名について江戸時代の本草学者井岡烈氏がつけた舌切草を略したのだと思われるが、意味はわからない」と述べてます。園内ではチュウの仲間が花に口吻 (ストロー) を入れた後、抜けなくなってもがく様子が目撃されているようです。
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なんとか時間内に戻ってくることが出来ました。
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振り返るとアイスキャンデーを食べながら歩いてくる妻の姿がありました。ツアーの他のおばあさんたちはこんなことしないのでちょっと恥ずかしいです。
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バスはすぐに出発してこの日宿泊するホテルに向かいます。振り返ると五台山がきれいに見えました。
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先ほど見てきた温室も記念館の本館と展示館も木々に覆われて見ることは出来ません。
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先ほど近くに見えた竹林寺の五重塔だけが確認できたので、大体の位置は想像できました。
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「シャトー三宝」は高知県香南市の龍河洞スカイラインの途中にある洋風の古城で、三宝山の山頂に位置します。昭和48年の1973年に龍河洞スカイラインが開通した際にその目玉施設の1つとして開設されたスペインの古城をコピーしたデザインで、海外の古美術が展示されていたそうです。現在は廃墟のようになっているようですが、その姿はかえってリアルに見えます。
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高知空港を通過すると宿泊するホテルが見えてきました。以前の旅で宿泊した時は「土佐ロイヤルホテル」でしたが現在は「ロイヤルホテル土佐」に変わっています。
メルキュール高知土佐リゾート&スパ 宿・ホテル
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午後6時20分と遅い時間に到着しました。この時点で嫌な予感はしていましたが、この後部屋に向かってその予感は正しかったことが分かりました。
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ホテルの名前は変わっていても中のインテリアなどは変わっていませんでした。前回は夏休みの時期だったので子供連れの家族が沢山でしたが、この日は修学旅行生が一緒でした。
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部屋のキーを貰うと皆さん我先にエレベーターに向かうので先に売店を見ることにしました。この日も高知県のクーポンを2人で4,000円分いただいているので、このホテルで使ってしまうことを考えます。翌日は午後から徳島県に入ってしまいます。
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売店で缶チューハイなどを買おうと思いましたが値段がかなり強気なので、「ダバダ火振」を1本とロックアイスを買い求めて部屋に向かいます。前回来た時もそうでしたが、今回もパーキングビューの部屋でした。廊下を挟んだ反対側はオーシャンビューです。ツアーの半分の方は眺めの良い部屋にあたっているわけです。
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部屋は広めなので滞在は快適です。前回来たときは母も一緒だったので窓側にあるソファーベットに寝た記憶があります。年功序列なので仕方ありませんでしたが、ようやくベットに寝ることが出来ました。
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バスルームはよくあるユニットバスですが、1階に大浴場があるのでお風呂は使いませんでした。修学旅行生がたくさんいますが大浴場を使ってよいのは午後7時までなので混みあうことはありませんでした。
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部屋からの眺めです。切り取ってありますが、この下には駐車場が広がっています。
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部屋にはグラスが無かったのでフロントに電話するとすぐにトレーとグラスが届けられました。部屋の眺望以外はとても良いホテルです。
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「はりまや橋」の上で記念写真を撮って夕食会上に向かいます。前回来たときは大きな宴会場でしたが、カツオのたたきを作るライブキッチンもあったりして楽しかった記憶があります。
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今回は普通に小さな宴会場でコースの会席料理でした。
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前菜は三種盛り合わせですが、ジャコの佃煮と茄子の煮物と緑色の寒天に酢味噌の乗ったもの。紙コップに入ったのは胡麻豆腐に青さ海苔がかかっています。
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蒸し物は里芋の団子の餡掛けのようなものです。
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焼き物ははちきん地鶏の陶板焼きです。
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スタートはビールでしたが、すぐに「土佐鶴」を1本。
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どこを旅しても地酒の冷酒は裏切りのない美味しさです。
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刺身はカツオのタタキです。日本酒がよく合います。
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台物は四万十ポークの生姜鍋、味噌汁にご飯と漬物といったメニューでした。トラピックス社やクラブツーリズム社は安いツアーでも食事は良いことが多いですが、読売旅行はかなりコストカットしているように思えました。
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部屋に戻って焼酎の水割りを何杯かいただきます。
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遅い時間になってから1階の温泉でくつろいで翌日に備えます。
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