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現在【164-165】が住む北上市はかつては盛岡藩(南部領)の領内でした。日本百名城旅を行った時に、南部一族の城はどうなっているのか興味が湧いてきました。<br />そんな時に「南部お城めぐり」のパンフレットを見つけ、「南部お城めぐり」では16城館が紹介されていました。その16城館を巡ることにより、南部一族の城、歴史や人物を少しは理解できればと思い、登城する事にしました。<br />南部一族は、十二世紀末の鎌倉時代から、十九世紀末の明治維新まで、およそ七百年もの間、東北地方の広大な領域(現在の青森県、岩手県北部、秋田県北部)を支配し続けた豪族ですが、不明な点が多いのが残念です。<br />今回は3城に登城しました。<br />1,高水寺城<br /> 岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘<br />2,土沢城<br /> 岩手県花巻市東和町土沢<br />3,花巻城<br /> 岩手県花巻市城内、花城町、仲町<br />

南部城めぐり1・・・高水寺城・花巻城・土沢城

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2025/03/21 - 2025/03/21

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旅行記グループ 南部城巡り

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164-165

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現在【164-165】が住む北上市はかつては盛岡藩(南部領)の領内でした。日本百名城旅を行った時に、南部一族の城はどうなっているのか興味が湧いてきました。
そんな時に「南部お城めぐり」のパンフレットを見つけ、「南部お城めぐり」では16城館が紹介されていました。その16城館を巡ることにより、南部一族の城、歴史や人物を少しは理解できればと思い、登城する事にしました。
南部一族は、十二世紀末の鎌倉時代から、十九世紀末の明治維新まで、およそ七百年もの間、東北地方の広大な領域(現在の青森県、岩手県北部、秋田県北部)を支配し続けた豪族ですが、不明な点が多いのが残念です。
今回は3城に登城しました。
1,高水寺城
 岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘
2,土沢城
 岩手県花巻市東和町土沢
3,花巻城
 岩手県花巻市城内、花城町、仲町

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 「南部お城めぐり」<br />①種里城<br /> 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町<br />②浪岡城(続・日本百名城)<br /> 青森県青森市浪岡大字浪岡五所<br />③野辺地城<br /> 青森県上北郡野辺地町野辺地<br />④七戸城<br /> 青森県上北郡七戸町字七戸ほか<br />⑤根城(日本百名城)<br /> 青森県八戸市大字根城字根城<br />⑥聖寿寺館<br /> 青森県三戸郡南部町大字小向字舘ほか<br />⑦三戸城<br /> 青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下<br />⑧九戸城(続・日本百名城)<br /> 岩手県二戸市福岡字城の内、松の丸<br />⑨姉帯城<br /> 岩手県二戸郡一戸町姉帯<br />⑩久慈城<br /> 岩手県久慈市大川目町<br />⑪盛岡城(日本百名城)<br /> 岩手県盛岡市内丸<br />⑫高水寺城<br /> 岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘<br />⑬鍋倉城<br /> 岩手県遠野市遠野<br />⑭土沢城<br /> 岩手県花巻市東和町土沢<br />⑮花巻城<br /> 岩手県花巻市城内、花城町、仲町<br />⑯金澤城<br /> 秋田県横手市金沢中野字安本館外<br />

    「南部お城めぐり」
    ①種里城
     青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町
    ②浪岡城(続・日本百名城)
     青森県青森市浪岡大字浪岡五所
    ③野辺地城
     青森県上北郡野辺地町野辺地
    ④七戸城
     青森県上北郡七戸町字七戸ほか
    ⑤根城(日本百名城)
     青森県八戸市大字根城字根城
    ⑥聖寿寺館
     青森県三戸郡南部町大字小向字舘ほか
    ⑦三戸城
     青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下
    ⑧九戸城(続・日本百名城)
     岩手県二戸市福岡字城の内、松の丸
    ⑨姉帯城
     岩手県二戸郡一戸町姉帯
    ⑩久慈城
     岩手県久慈市大川目町
    ⑪盛岡城(日本百名城)
     岩手県盛岡市内丸
    ⑫高水寺城
     岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘
    ⑬鍋倉城
     岩手県遠野市遠野
    ⑭土沢城
     岩手県花巻市東和町土沢
    ⑮花巻城
     岩手県花巻市城内、花城町、仲町
    ⑯金澤城
     秋田県横手市金沢中野字安本館外

  • 3月21日(金)<br />まずは高水寺城を攻略します。北上市から35km、車で55分です。<br />ぽぽさんが暮らす街です。<br />花巻空港で買い物をしてから向かいました。<br /><br />愛宕神社 愛の神社だそうです。<br />山頂に有ります。

    3月21日(金)
    まずは高水寺城を攻略します。北上市から35km、車で55分です。
    ぽぽさんが暮らす街です。
    花巻空港で買い物をしてから向かいました。

    愛宕神社 愛の神社だそうです。
    山頂に有ります。

    城山公園 公園・植物園

  • 高水寺城(郡山城)跡<br />

    高水寺城(郡山城)跡

  • ①高水寺城<br />高水寺斯波(しば)氏が南北朝期『建武3年/延元元年(1337年)~明徳3年/元中9年(1392年)』に城館として整備・造営したことにはじまると言われています。中世紫波郡の中心として約400年栄えた場所です。<br />岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘<br />高水寺城は北上川西岸に聳える標高180.1mの城山に築かれており、現在は城山公園となっています。<br />高水寺城は山頂の本丸を中心に、北に天王平、姫御殿、南に若殿屋敷、観音平、南端から西へ伸びた丘陵に吉兵衛館、西御所などがありました。

    ①高水寺城
    高水寺斯波(しば)氏が南北朝期『建武3年/延元元年(1337年)~明徳3年/元中9年(1392年)』に城館として整備・造営したことにはじまると言われています。中世紫波郡の中心として約400年栄えた場所です。
    岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘
    高水寺城は北上川西岸に聳える標高180.1mの城山に築かれており、現在は城山公園となっています。
    高水寺城は山頂の本丸を中心に、北に天王平、姫御殿、南に若殿屋敷、観音平、南端から西へ伸びた丘陵に吉兵衛館、西御所などがありました。

  • 高水寺斯波氏の中心拠点として発展したが1540年、斯波詮高(しば あきたか)の時代に岩手郡へ進出し、一族を雫石御所と猪去御所に配置し家中の結束を固め、高水寺斯波家の全盛期を築き上げた。<br />しかし、その後、南部晴政と戦って敗れ、実質的には南部氏の従属下に置かれてた。<br />一時は勢力を盛り返したが、天正16年(1588年)斯波詮直(しば あきなお)の時代に南部信直の侵攻を受けて敗れ、高水寺斯波氏は完全に滅亡した。<br /><br />天正19年(1591)「郡山城」と改称され、盛岡城完成まで南部氏の居城としても使われ改修も行われましたが、寛文七年(1667)に破却されます。<br /><br />高水寺城への南部氏の登場は近世と遅いです。<br />

    高水寺斯波氏の中心拠点として発展したが1540年、斯波詮高(しば あきたか)の時代に岩手郡へ進出し、一族を雫石御所と猪去御所に配置し家中の結束を固め、高水寺斯波家の全盛期を築き上げた。
    しかし、その後、南部晴政と戦って敗れ、実質的には南部氏の従属下に置かれてた。
    一時は勢力を盛り返したが、天正16年(1588年)斯波詮直(しば あきなお)の時代に南部信直の侵攻を受けて敗れ、高水寺斯波氏は完全に滅亡した。

    天正19年(1591)「郡山城」と改称され、盛岡城完成まで南部氏の居城としても使われ改修も行われましたが、寛文七年(1667)に破却されます。

    高水寺城への南部氏の登場は近世と遅いです。

    城山公園 公園・植物園

  • 城の中心部は公園化による影響が大きく、遺構の残存度は悪く、見る物が無い感じでした。

    城の中心部は公園化による影響が大きく、遺構の残存度は悪く、見る物が無い感じでした。

  • 北上盆地(きたかみぼんち)の一部が見渡せます。<br />岩手県の西部にある北上川流域の盆地。盛岡市から奥州市まで南北90kmあります。

    北上盆地(きたかみぼんち)の一部が見渡せます。
    岩手県の西部にある北上川流域の盆地。盛岡市から奥州市まで南北90kmあります。

  • 斯波氏の居城 高水寺城<br />

    斯波氏の居城 高水寺城

  • 職人が桜の老木の伐採作業中でした。<br />桜の名所になりました。<br />

    職人が桜の老木の伐採作業中でした。
    桜の名所になりました。

  • 日本ロシア植物学友好の碑 (須川長之助顕彰碑)<br />須川長之助(1842~1925)は、幕末に来日した植物学者カルル・マクシモヴィチの助手として日本の植物採集に半生を捧げた岩手県紫波町出身の農民です。<br />長之助が新発見した植物には「チョーノスケソウ」という学名がついています。

    日本ロシア植物学友好の碑 (須川長之助顕彰碑)
    須川長之助(1842~1925)は、幕末に来日した植物学者カルル・マクシモヴィチの助手として日本の植物採集に半生を捧げた岩手県紫波町出身の農民です。
    長之助が新発見した植物には「チョーノスケソウ」という学名がついています。

  • 当時の石垣かどうかは解りません。

    当時の石垣かどうかは解りません。

  • 約1,100本のソメイヨシノやヤエザクラなどが咲き誇る桜の名所です。<br />開花予想日	4月15日頃に開花が始まり、4月21日頃に満開<br />『4月16日 午前8時00分頃<br />二日町字向山地内でツキノワグマ幼獣1頭が目撃されました。<br />つきましては、来園者の安全を確保するため、当面の間、城山公園への入場を規制します。』紫波町観光交流協会

    約1,100本のソメイヨシノやヤエザクラなどが咲き誇る桜の名所です。
    開花予想日 4月15日頃に開花が始まり、4月21日頃に満開
    『4月16日 午前8時00分頃
    二日町字向山地内でツキノワグマ幼獣1頭が目撃されました。
    つきましては、来園者の安全を確保するため、当面の間、城山公園への入場を規制します。』紫波町観光交流協会

  • オガールプラザ<br />岩手県紫波郡紫波町紫波中央駅前二丁目3番地12

    オガールプラザ
    岩手県紫波郡紫波町紫波中央駅前二丁目3番地12

    オガール ショッピングモール

  • 紫波町情報交流館<br />オガールプラザ 中央棟<br />岩手県紫波郡紫波町紫波中央駅前2-3-3/TEL:019-672-2918<br />紫波中央駅から徒歩2分<br />御城印販売 ¥300-

    紫波町情報交流館
    オガールプラザ 中央棟
    岩手県紫波郡紫波町紫波中央駅前2-3-3/TEL:019-672-2918
    紫波中央駅から徒歩2分
    御城印販売 ¥300-

  • オガールプラザから西に向かい、紫波ICを過ぎた所に『八戸藩志和代官所跡』が有ります。<br />住所 岩手県紫波郡紫波町上平沢字馬場25<br />何故,八戸藩の代官所が紫波にあったのか、不思議です。

    オガールプラザから西に向かい、紫波ICを過ぎた所に『八戸藩志和代官所跡』が有ります。
    住所 岩手県紫波郡紫波町上平沢字馬場25
    何故,八戸藩の代官所が紫波にあったのか、不思議です。

  • 寛文4年(1664年)南部藩2代目藩主の重直公が継嗣を決めないまま死去した為、幕府の裁定により南部藩は8万石の盛岡南部藩と2万石の南部八戸藩とに分割されました。<br />

    寛文4年(1664年)南部藩2代目藩主の重直公が継嗣を決めないまま死去した為、幕府の裁定により南部藩は8万石の盛岡南部藩と2万石の南部八戸藩とに分割されました。

  • 紫波町の上平沢、稲藤、上土館、下土館、北片寄、中片寄、南片寄の7ヶ村は八戸藩の飛び地として編入され、その統治の役所が寛文5年の春に設置された志和代官所です。

    紫波町の上平沢、稲藤、上土館、下土館、北片寄、中片寄、南片寄の7ヶ村は八戸藩の飛び地として編入され、その統治の役所が寛文5年の春に設置された志和代官所です。

  • 八戸藩志和代官所配置図<br /><br />代官所は正面に役屋(役所)を構えその裏側に米蔵や銭倉がありました。

    八戸藩志和代官所配置図

    代官所は正面に役屋(役所)を構えその裏側に米蔵や銭倉がありました。

  • 八戸藩志和代官所歴代代官名<br />寛文5年(1665年)以来歳月を重ねて二百余年続き、この間に歴任した代官は百二十余人に及び、明治5年3月1日以って廃止となります。<br /><br />記録が残っているのがすごいと、感心しました。

    八戸藩志和代官所歴代代官名
    寛文5年(1665年)以来歳月を重ねて二百余年続き、この間に歴任した代官は百二十余人に及び、明治5年3月1日以って廃止となります。

    記録が残っているのがすごいと、感心しました。

  • 現在の様子 いなはた(農事組合法人)

    現在の様子 いなはた(農事組合法人)

  • 南部杜氏発祥の地<br />紫波町は日本三大杜氏と名高い「南部杜氏発祥の地」として知られており、百年以上の歴史を持つ日本酒の酒蔵が4箇所あります。<br />代表銘柄『堀の井』高橋酒造店<br />『廣喜』紫波酒造店 南部杜氏で初の女性杜氏が醸す日本酒<br />『月の輪』有限会社 月の輪酒造店 飲んだことが有ります。<br />『あづまみね 純米吟醸 美山錦』合名会社吾妻嶺酒造店 創業1684年(貞享元年)

    南部杜氏発祥の地
    紫波町は日本三大杜氏と名高い「南部杜氏発祥の地」として知られており、百年以上の歴史を持つ日本酒の酒蔵が4箇所あります。
    代表銘柄『堀の井』高橋酒造店
    『廣喜』紫波酒造店 南部杜氏で初の女性杜氏が醸す日本酒
    『月の輪』有限会社 月の輪酒造店 飲んだことが有ります。
    『あづまみね 純米吟醸 美山錦』合名会社吾妻嶺酒造店 創業1684年(貞享元年)

  • 紫波町情報交流館から25km南下して花巻城です。<br />ちいちゃんさんが住む街です。<br />花巻城<br /> 岩手県花巻市城内、花城町、仲町

    紫波町情報交流館から25km南下して花巻城です。
    ちいちゃんさんが住む街です。
    花巻城
     岩手県花巻市城内、花城町、仲町

    花巻城址 名所・史跡

  • 鳥谷ヶ崎公園<br />早坂御門跡

    鳥谷ヶ崎公園
    早坂御門跡

    鳥谷ヶ崎公園 公園・植物園

  • 花巻城本丸入口

    花巻城本丸入口

  • 長屋前御門跡

    長屋前御門跡

  • 鐘搗堂前御堀

    鐘搗堂前御堀

  • 御長屋跡

    御長屋跡

  • 花巻城西御門からの街並み<br />イトーヨーカ堂が撤退し、寂しくなっています。

    花巻城西御門からの街並み
    イトーヨーカ堂が撤退し、寂しくなっています。

  • 花巻城西御門

    花巻城西御門

  • 花巻城<br />花巻城はその前身を鳥谷ヶ崎城といい、稗貫地方(現在の花巻市、石鳥谷町、大迫町、東和町の一部)を治めた稗貫氏の居城でした。<br />

    花巻城
    花巻城はその前身を鳥谷ヶ崎城といい、稗貫地方(現在の花巻市、石鳥谷町、大迫町、東和町の一部)を治めた稗貫氏の居城でした。

    花巻城址 名所・史跡

  • 天正19年(1591年)豊臣秀吉の再奥州仕置により和賀・稗貫一揆が鎮圧され、稗貫郡は南部領となります。南部の秀吉へのごますりが効いたのです。<br />この一揆の原因は豊臣秀吉の北条攻めに参陣しなかった和賀郡主の和賀信親、稗貫郡主の稗貫輝家などの所領が没収された、中央集権への反旗でした。同じ会津以下三郡を没収された伊達政宗の策謀もあったようです。

    天正19年(1591年)豊臣秀吉の再奥州仕置により和賀・稗貫一揆が鎮圧され、稗貫郡は南部領となります。南部の秀吉へのごますりが効いたのです。
    この一揆の原因は豊臣秀吉の北条攻めに参陣しなかった和賀郡主の和賀信親、稗貫郡主の稗貫輝家などの所領が没収された、中央集権への反旗でした。同じ会津以下三郡を没収された伊達政宗の策謀もあったようです。

  • その後、南部信直の代官北秀愛が城代として入り、伊達藩との境を守る、城の改修が行われ、名称も花巻城と改められた。<br />御武具蔵跡

    その後、南部信直の代官北秀愛が城代として入り、伊達藩との境を守る、城の改修が行われ、名称も花巻城と改められた。
    御武具蔵跡

  • 慶長3年(1598)北秀愛の死亡後、北松斎は花巻城および城下町の整備に努め、さらに、南部政直は花巻城を近世城郭として完成させた。<br />南部政直急死以後は城代が置かれ、花巻城は和賀・稗貫二郡を統括する政治の中心地となったが、明治2年(1869年)に廃城となって取り壊された。<br />本丸御井戸

    慶長3年(1598)北秀愛の死亡後、北松斎は花巻城および城下町の整備に努め、さらに、南部政直は花巻城を近世城郭として完成させた。
    南部政直急死以後は城代が置かれ、花巻城は和賀・稗貫二郡を統括する政治の中心地となったが、明治2年(1869年)に廃城となって取り壊された。
    本丸御井戸

  • 花巻城への南部氏の登場も比較的遅いです。<br />御台所前御門<br />本丸の南口となる門です。

    花巻城への南部氏の登場も比較的遅いです。
    御台所前御門
    本丸の南口となる門です。

  • 御囲穀御蔵前御堀跡

    御囲穀御蔵前御堀跡

  • 鐘搗堂前御堀<br />本丸正面、二ノ丸との間に設けられた堀です。

    鐘搗堂前御堀
    本丸正面、二ノ丸との間に設けられた堀です。

  • 御作事所跡<br />

    御作事所跡

  • 花巻市 武徳殿<br />昭和52(1977)年 県内初の本格的各技場として開館。<br /> 柔剣道場 374m2(2試合場)、弓道場 357m2(10人立ち)、更衣室、シャワー室、会議室、事務室

    花巻市 武徳殿
    昭和52(1977)年 県内初の本格的各技場として開館。
     柔剣道場 374m2(2試合場)、弓道場 357m2(10人立ち)、更衣室、シャワー室、会議室、事務室

  • 宮沢賢治ゆかりの地

    宮沢賢治ゆかりの地

  • 花巻城案内板<br />

    花巻城案内板

  • 御役屋跡

    御役屋跡

  • 現在、跡地に花巻市立花巻小学校が建っています。<br />ちいちゃんさんの子供たちが通学していたかも?

    現在、跡地に花巻市立花巻小学校が建っています。
    ちいちゃんさんの子供たちが通学していたかも?

  • 新川橋付近(元イトーヨーカ堂)から西御門を見上げる。

    新川橋付近(元イトーヨーカ堂)から西御門を見上げる。

  • 4月17日(木)追記<br />円城寺門<br />城の裏口にあたる搦手門(からめてもん)は「円城寺門」と呼ばれ、慶長19年(1614)頃、花巻城の築城整備にあたり、和賀氏の本拠・二子城大手門だったものを移築したものです。

    4月17日(木)追記
    円城寺門
    城の裏口にあたる搦手門(からめてもん)は「円城寺門」と呼ばれ、慶長19年(1614)頃、花巻城の築城整備にあたり、和賀氏の本拠・二子城大手門だったものを移築したものです。

  • 円城寺門<br />戦後、現在地である鳥谷崎神社境内に移転され、花巻城唯一の遺構として市の文化財に指定されています。

    円城寺門
    戦後、現在地である鳥谷崎神社境内に移転され、花巻城唯一の遺構として市の文化財に指定されています。

  • 花巻城配置図と歴史案内板

    花巻城配置図と歴史案内板

  • 時鐘(ときかね)南部盛岡城楼鐘<br />正保3(1646)年に盛岡城の時鐘として鋳造されたもので、同年9月の紀年銘が刻まれている。

    時鐘(ときかね)南部盛岡城楼鐘
    正保3(1646)年に盛岡城の時鐘として鋳造されたもので、同年9月の紀年銘が刻まれている。

  • 慶安5年には小ぶりで音量不足との理由で換えられ、その後、3代藩主南部重信により花巻城での再利用が命じられ、藩政期を通じて花巻城の時鐘として用いられた。 

    慶安5年には小ぶりで音量不足との理由で換えられ、その後、3代藩主南部重信により花巻城での再利用が命じられ、藩政期を通じて花巻城の時鐘として用いられた。 

  • 3月21日に戻る<br />花巻市博物館<br />

    3月21日に戻る
    花巻市博物館

    花巻市博物館 美術館・博物館

  • 花巻城御城印・土沢城御城印<br />販売場所 花巻市博物館(岩手県花巻市高松26-8-1)<br />問合せ先 0198-32-1030<br />開館時間 午前8時30分から午後4時30分まで<br />休館日  12月28日から1月1日まで<br />販売価格 1枚300円(税込)

    花巻城御城印・土沢城御城印
    販売場所 花巻市博物館(岩手県花巻市高松26-8-1)
    問合せ先 0198-32-1030
    開館時間 午前8時30分から午後4時30分まで
    休館日  12月28日から1月1日まで
    販売価格 1枚300円(税込)

  • 土沢城<br />専用駐車場はありません。周辺道路は極端に狭いので、駐車場は萬鉄五郎記念館横の八丁土蔵前です。

    土沢城
    専用駐車場はありません。周辺道路は極端に狭いので、駐車場は萬鉄五郎記念館横の八丁土蔵前です。

    萬鉄五郎記念美術館 美術館・博物館

  • 於岩稲荷への鳥居

    於岩稲荷への鳥居

  • 於岩稲荷<br />『東海道四谷怪談』で知られるお岩さんを祀るお稲荷様と関係があるそうです。

    於岩稲荷
    『東海道四谷怪談』で知られるお岩さんを祀るお稲荷様と関係があるそうです。

  • 堀跡<br />

    堀跡

  • 城跡西入口から約120m東へ進むと、「大手橋跡」があります。現在、橋はありません。水堀が少しだけ残っています。

    城跡西入口から約120m東へ進むと、「大手橋跡」があります。現在、橋はありません。水堀が少しだけ残っています。

  • 古絵図の書いてある案内板

    古絵図の書いてある案内板

  • 「大手桜丸跡」への階段です。

    「大手桜丸跡」への階段です。

  • 階段を上がると、広場があります。ここが「大手桜丸跡」です。

    階段を上がると、広場があります。ここが「大手桜丸跡」です。

  • 谷間の向こう側が「館跡」です。

    谷間の向こう側が「館跡」です。

  • 萬鉄五郎「丘のみち」<br />この風景を描いたと想像されています。

    萬鉄五郎「丘のみち」
    この風景を描いたと想像されています。

  • 「櫻丸神社」の横を北に進む道が「大手道跡」です。

    「櫻丸神社」の横を北に進む道が「大手道跡」です。

  • 西館跡<br />当時、ここに東西34間、南北14間の城郭があったようです。

    西館跡
    当時、ここに東西34間、南北14間の城郭があったようです。

  • 中舘跡<br />当時、東西9間、南北18間の城郭があったようです。

    中舘跡
    当時、東西9間、南北18間の城郭があったようです。

  • 大手門跡<br />

    大手門跡

  • 御本館跡<br />主郭にあたる場所です。<br />東端には東西34間、南北35間の城郭があったとされています。

    御本館跡
    主郭にあたる場所です。
    東端には東西34間、南北35間の城郭があったとされています。

  • 土沢城は盛岡藩主・南部利直により築城は1612年(慶長17年)です。隣接する仙台藩との国境を防衛するための城で、縄張は野田内匠頭直盛が担当、初代城主には江刺長作隆直が任じられています。江刺氏はもともと葛西氏の家臣でしたが、主家が滅亡したあとは南部氏に仕え、九戸政実の乱や和賀一揆の際にも活躍しています。隆直の後は勘解由春隆、勘兵衛長房と続きましたが、4代・江刺市左衛門隆真の1670年(寛文10年)廃城となりました。

    土沢城は盛岡藩主・南部利直により築城は1612年(慶長17年)です。隣接する仙台藩との国境を防衛するための城で、縄張は野田内匠頭直盛が担当、初代城主には江刺長作隆直が任じられています。江刺氏はもともと葛西氏の家臣でしたが、主家が滅亡したあとは南部氏に仕え、九戸政実の乱や和賀一揆の際にも活躍しています。隆直の後は勘解由春隆、勘兵衛長房と続きましたが、4代・江刺市左衛門隆真の1670年(寛文10年)廃城となりました。

  • 土沢城の南部氏の登場も遅いです。<br />東館跡<br />「御本館跡」の南側の一段下がった平場で、東屋があります。

    土沢城の南部氏の登場も遅いです。
    東館跡
    「御本館跡」の南側の一段下がった平場で、東屋があります。

  • 土沢城(土澤城)古絵図説明板<br />この絵図は、寛永年間(1620年代)の城郭のありさまを記録したもので、当時の侍屋敷や町屋敷の様子が偲ばれる。現在、江刺家に伝わる絵図

    土沢城(土澤城)古絵図説明板
    この絵図は、寛永年間(1620年代)の城郭のありさまを記録したもので、当時の侍屋敷や町屋敷の様子が偲ばれる。現在、江刺家に伝わる絵図

  • 御城印

    御城印

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ちいちゃんさん 2025/05/07 15:25:10
    花の季節にぜひ
    164-165さん、冬枯れの岩手の景色はちょっと寂しすぎます。花の時期にはそれなりの華やかさなのになぜこの季節なのかしらと多少クレームも言いたいのですが、訪ねてくださってありがとうございます。

    花巻というと今や東高校、菊池雄星と大谷翔平なので、もともと歴史ある城下町と声を大にして言いたいと思っていました。雅な花巻まつりにその面影は残っています。マルカンのソフトクリームを出されたら「164さんお前もか!」と言いたいところですがスルーしてくださってありがとうございます。

    ちいちゃん

    164-165

    164-165さん からの返信 2025/05/11 06:35:04
    Re: 花の季節にぜひ
    ちいちゃんさん コメントありがとうございます。
    葉の無い時期は景色が良く見えるので城好きには良い季節なんですよ。葉が茂っていると何も見えないので、お叱りを受けます。
    花があると写真写りも好いのでしょうが、混雑するので、避けるようにしています。たまたま花巻空港で大谷選手のグッズ販売を行っていたので行ったついでに寄り道してきました。
    マルカンのソフトクリーム?マルカンは何処にあるのですか?調べた事も有りません。
    昨日、御翔印回収旅を終え、帰って来ました。完結です。

               【164-165】
  • ぽぽさん 2025/05/06 10:08:51
    あづまみね
    164-165さん

    こんにちは(^^)

    義母が「あづまみね」で事務員してました。
    55年以上前の話。そこで曾祖母さんに見つけられて義父と結婚したそうです。

    住んでる学区が出てきて驚きました(笑)
    なんか嬉しいですね。

    ぽぽ

    164-165

    164-165さん からの返信 2025/05/06 14:31:43
    Re: あづまみね
    早速のコメントありがとうございます。
    未だ台湾かと思っていたら、もう帰国したのですね。弾丸旅行ですね。
    私は明日から御翔印回収旅です。
    中標津・奥尻は既に持っているようなので声掛けはしません。
    天気予報は雨交じりなので、雨男としてはやっぱりと言う感じで、諦めました。
    弾丸台湾旅行記拝見します。

                【164-165】

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