2014/09/06 - 2014/09/06
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晩夏のフランス、アルザス・ロレーヌ地方を巡る旅8日目。
この日はアルザス・ロレーヌ地方を離れ、パリへ向かう途中のシャンパーニュ地方にある世界遺産都市、ランスの街歩き。
前日に壮麗な光と音のショーを見たノートルダム大聖堂や、歴代フランス王の宝物を所蔵するトー宮殿、そして、フランク王国の初代国王クローヴィスに洗礼を授けた聖レミが眠るサン=レミ聖堂と巡っていきます。
<旅程表>
2014年
8月30日(土) 成田→ソウル→フランクフルト・アム・マイン→マインツ
8月31日(日) マインツ→ストラスブール
9月 1日(月) ストラスブール→コルマール→エギスアイム→コルマール
9月 2日(火) コルマール→リクヴィル→リボーヴィレ→コルマール
→ストラスブール
9月 3日(水) ストラスブール
9月 4日(木) ストラスブール→ナンシー
9月 5日(金) ナンシー→メッス→ランス
〇9月 6日(土) ランス→パリ
9月 7日(日) パリ→
9月 8日(月) →ソウル→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月6日(土)
この日は前日から引き続きランスの見どころを巡り、夕方の列車でパリに移動するスケジュール。
まずは早朝8時、ホテルを出て、前日に壮麗な光と音のショーを鑑賞したノートルダム大聖堂に向かいます。
途中、街なかでは、バレエの衣装を扱うお店のショーウィンドウがオシャレだったので思わずパチリ。 -
土曜日の早朝で人通りの少ない街の通りをぐんぐんと進んでいき・・・見えてきました、前日もその巨大さに圧倒された歴史ある大聖堂。
ランスのノートル-ダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院及びト宮殿 寺院・教会
-
ヨーロッパの深い森のように天高く屹立する、大聖堂側面のフライングバットレス。
やはり壮観ですね。 -
正面に回って改めて大聖堂をパチリ。
やはり修復中なのが痛いところですね・・・。 -
さて、前日は時間外のため入れなかった大聖堂の中に入場してみることにします。
-
8時10分、ノートルダム大聖堂に入場。
1211年に建設が開始され、約260年後の1475年に完成したという、フランスにおけるゴシック様式の傑作と称される大聖堂です。 -
後陣には1974年に配されたというシャガールのステンドグラスが。
シャガールブルーが美しい彼のステンドグラス作品は、前日に訪れたメッスのサンテティエンヌ大聖堂に引き続き、この旅3回目の出会いです。
【晩夏のアルザス・ロレーヌ(12) メッスのサンテティエンヌ大聖堂のステンドグラス】
https://4travel.jp/travelogue/11765171#photo_link_73831817 -
後陣向かって右側にある聖ヨセフのチャペル(Chapelle Saint Joseph)には、前衛的な模様のステンドグラス。
前日夜、大聖堂を後ろから眺めた際、内部から光が漏れていたのがこの聖ヨセフのチャペルでしたね。
【晩夏のアルザス・ロレーヌ(13) 夜のノートルダム大聖堂の後姿】
https://4travel.jp/travelogue/11767328#photo_link_74075137 -
大聖堂の正面だけでなく、側面にもあるバラ窓からは明るい光が。
-
バラ窓の中央にはイエス・キリスト。
非常に技巧に富んだステンドグラスです。 -
さて、大聖堂の一角にある祭壇にはこんな像も・・・。
-
そう、イングランドとの百年戦争(1337-1453年)中、窮地に陥っていたシャルル7世を助けてここランスで即位させたフランスの救国の乙女、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc、1412-31年)。
最後はイングランドに捕らえられて異端審問にかけられ、わずか19歳で火刑となった悲劇性から、日本人でも知らない人はいないと言われるほどの有名人ですよね。 -
さて、大聖堂内の掲示板には、20世紀初頭の頃と思われる、このノートルダム大聖堂の写真が。
昔のファッションに身を包んだ人物群がなければ、現代の写真といっても分からなそうです。 -
こちらは1914年から1918年にかけての第一次世界大戦中、ドイツ軍の爆撃を受け、ボロボロになった大聖堂の写真・・・。
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こちらも第一次世界大戦によるドイツ軍の砲撃で、がれきの山になったランスの街。
ランスは第二次世界大戦でも、1945年2月以降、ヴェルサイユから移転した連合国遠征軍最高司令部が置かれ、1945年5月7日、ドイツ代表アルフレート・ヨードル上級大将が連合国軍への降伏文書に署名を行った、仏独両国にとっての因縁の地。
その地で1962年、フランスのシャルル・ド・ゴール大統領と西ドイツのコンラート・アデナウアー首相が会見を行い、歴史的な仏独和解が行われることになりました。 -
大聖堂の床の一角には「ここで聖レミがフランク王クローヴィスに洗礼を授けた(ICI SAINT REMI BAPTISA CLOVIS ROI DES FRANCS)」と刻まれた石板が。
聖レミ(Saint-Rémy)ことランスの司教、聖レミギウス(Remigius)がゲルマン人の一派であるフランク王のクローヴィス(在位:481-511年)にカトリックの洗礼を授けたのは496年のこと。
このことが、その後も続くランスにおける歴代フランス王の戴冠式の先駆けとなります。
現在のノートルダム大聖堂の建設が始まったのは13世紀だけれども、それ以前からこの場所はフランスにおける特別な地位を有していたのですね。 -
・・・以上でノートルダム大聖堂の内部見学を終え、出口に向かいます。
時刻は9時10分、1時間ほどの見学時間でした。 -
大聖堂の正面向かって左側にある出口周辺には、天使や聖人たちの彫像が。
-
前日も見た“微笑みの天使”ですが、やはり気になる笑顔なので(笑)、改めてパチリ。
これにてノートルダム大聖堂の見学を終了。 -
続いて隣にある同じく世界遺産の“トー宮殿” (Palais du Tau)へ。
もとは1498年から1509年にかけて建造された大司教の館で、ノートルダム大聖堂での国王の戴冠式の際、国王の御座所として使われていたとのこと。
“トー宮殿”というのは、ギリシャ文字のτ(タウ)から付けられたもので、平面図がT字型をしていることにちなんでいるとか。
このトー宮殿、1972年以降は国王の戴冠式に関わりのあった品々等を展示する国立博物館になっているとのことで、早速門をくぐってみることにします。トー宮殿 城・宮殿
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トー宮殿の前庭から見るノートルダム大聖堂も迫力がありますね。
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正面にそびえる高さ約80mの塔は、宮殿側にも迫ってくるような勢いです。
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9時30分、トー宮殿に入場(7.5ユーロ=約1,050円)。
まずはフランス王にまつわる絵画の部屋。 -
こちらはフランソワ=ルイ・ドゥジュインヌ(François-Louis Dejuinne、1786-1844年)の“クローヴィスの洗礼、498-499年頃の12月25日”(Le baptême de Clovis, le 25 décembre, vers 498-499、1837年)。
先ほどのノートルダム大聖堂が立つ場所で行われたという、聖レミギウスからフランク王クローヴィスへの洗礼の儀式を描いたものです。 -
フランソワ・デュボワ(François Dubois1790-1871年)の“小ピピンの戴冠式、754年7月28日”(Le couronnement de Pépin le Bref, le 28 juillet 754、1837年)。
ローマ教皇ステファヌス2世の手により、パリ北側にあるサン=ドニの大聖堂で行われたというカロリング朝の創始者、小ピピン(在位:751-768年)の戴冠式の様子を描いたものです。 -
クロード(又はクラウディウス)・ジャカン(Claude, dit Claudius, Jacquand、1803-78年)の“ミラノでのロンバルド王としてのシャルルマーニュの戴冠式、774年”(Le couronnement de Charlemagne comme roi des Lombards, à Milan, en 774、1837年)。
小ピピンの子でヨーロッパのあちこちに遠征してフランク王国の最盛期を現出させたシャルルマーニュ(カール大帝、在位:768-814年)のロンバルド王(イタリアの一部)としての戴冠式の様子を描いたもの。 -
フランス王の戴冠式で使われたというカリス(聖杯、Calice du sacre des rois de France)。
12世紀から19世紀まで、歴代のフランス王の戴冠式で使われたとのこと。 -
カリスのほかにも金ピカの宝物がたくさん。
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こちらはシャルルマーニュのタリスマン(護符)。
サファイヤやガーネットなど、高価な宝石で装飾されています。 -
トー宮殿にはフランス王関連だけではなく、ノートルダム大聖堂の大司教にまつわる宝物も。
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こちらはルイ15世(在位:1715-74年)の王冠のレプリカ(Réplique de la couronne de Louis XV)。
レプリカとは言え、たくさんの宝石でキンキラキンですね(笑)。 -
シャルル10世(在位:1824-30年)の戴冠式で着用された衣装(Habit du Dauphin porte au sacre de Charles X、1824-25年)。
こちらも貴重な歴史的遺物となっています。 -
フランソワ・ジェラール(D'après François Gérard、1770-1830年)による“シャルル10世のランスでの戴冠式”(Le sacre de Charles X a Reims)。
フランス革命とそれに続くナポレオン戦争を経て、王政復古がなされた後の時代のものになります。 -
ジャン・モザン工房とシャルル・ル・ブラン(Atelier de Jean Mozin, d'après Charles Le Brun、1619-90年)による“ルイ14世の戴冠式、1654年6月7日”(Le couronnement de Louis XIV, le 7 juin 1654、1665-80年)。
こちらはタペストリー作品となっています。 -
ピエール=ドニ・マルタン(Pierre-Denis Martin、1663-1742年)の“ルイ15世の戴冠式:騎兵隊”(Sacre de Louis XV: la cavalcade、1724年)。
現在と変わらないノートルダム大聖堂、そしてトー宮殿が描かれていますね。 -
こちらはルーヴル美術館にある絵画でも有名なイアサント・リゴー(D'après Hyacinthe Rigaud、1659-1743年)の“戴冠式の衣装を着たルイ14世”(Louis XIV en costume de sacre、1701年)。
世界史の教科書でもお馴染みの作品です。 -
ジョセフ=シフレイン・デュプレシ(Joseph-Siffrein Duplessis、1725-1802)の“戴冠式の衣装を着たルイ16世の肖像”(Portrait de Louis XVI en costume de sacre、1775年)。
ヴェルサイユ宮殿にも同じ構図のものが飾られているという肖像画です。 -
アンリ・テステラン(Henri Testelin、1616-95)の“戴冠式の衣装を着たルイ14世”(Louis XIV en costume de sacre、1648年)。
後の太陽王、ルイ14世がここランスで戴冠式を行ったのは、1654年の11歳の時のこと。
まだまだ幼い表情をしていますね。 -
ノートルダム大聖堂に飾られていた彫像やタペストリーなどを展示しているこんな部屋を通り抜け・・・。
-
最後はやはりジャンヌ・ダルクの像。
ランスはノートルダム大聖堂とともにジャンヌ・ダルクの街でもあるのですね。
10時40分、以上、1時間10分ほどでトー宮殿の見学を終了。 -
さて、トー宮殿を出て次に向かうのは・・・。
-
ノートルダム大聖堂のすぐ近くにあるランス美術館(Musée des Beaux-Arts de Reims)。
ここには日本からフランスに帰化した藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886-1968年)の裸体画をはじめ、ロマン主義や印象派などの様々な有名画家による近代絵画が展示されて・・・いるはずだったのですが、何やら特別展が開催されているらしく、常設の絵画の展示は一部のみの様子。
それでも、せっかく来たのだからと、入館料4ユーロ(フジタ礼拝堂と共通、約560円)を払って入ってみることにします。
【ランス美術館HP(フランス語)】
https://musees-reims.fr/ランス美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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美術館の内部はフランスの美術館にしては珍しく撮影禁止。
作品の鑑賞が可能な部屋は本来に比べれば少なかったですが、藤田嗣治の特徴的な絵画をはじめ、この日も美術鑑賞を楽しむことができました。
11時30分、ここでは1時間弱で作品の鑑賞を終了。 -
続いて12時05分、ノートルダム大聖堂から南へ1kmほどてくてくと歩いて、ランスのもうひとつの世界遺産、サン=レミ聖堂(Basilique Saint-Remi)までやって来ました。
フランク族の王クローヴィスに洗礼を行ったランス司教である、“聖レミ”の名を冠するこの聖堂は、1000年頃に建造されたバシリカ式の教会堂。サン レミ聖堂 寺院・教会
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内部はこのように列柱が立ち並び、先ほど見たノートルダム大聖堂とはまたひと味違う荘厳な空間。
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パイプオルガンまでもが荘厳で、この聖堂に一体化しているようです。
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後陣の部分はこのようにアーチ構造が三重に連なり、ステンドグラスからは明るい光が聖堂内に注ぎ込んでいます。
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聖堂正面のバラ窓などのステンドグラスも見事。
ひとつひとつじっくり見ていたくなるほどです。 -
聖堂の中央には棺のようなものが。
聖レミの聖遺物でしょうか・・・。
ちなみに聖レミの“レミ”(Remi)とは、ローマ人のガリア征服以前にこの地に居住していたガリア人のレミ族に由来すると思われ、さらにレミ族の複数形“Remis”が訛って、この街の名前であるランス(Reims)になったとか。 -
中央付近から正面入口方面をパチリ。
このサン=レミ聖堂、街の中心から少し離れているためか、わたし一人しか観光客がおらず、あちこち思いのままに写真を撮りまくりです。 -
こちらにレリーフされているのはクローヴィスの洗礼の儀式でしょうか。
こういうところも見逃せませんね。 -
以上、聖堂の外に出ると13時、なんだかんだで1時間近くもこの荘厳な聖堂の内部を見ていたことに。
それほどまでに素晴らしい聖堂でした。 -
ちなみに聖堂の外にもクローヴィスへの洗礼を行う聖レミの像が。
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さて、この辺りでお腹が空いてきたので腹ごしらえを。
といっても周りは住宅街で、昼食をとれるレストランなどありそうもない雰囲気・・・。 -
ぐるぐると歩き回って13時30分、ようやく見つけたイートインができるパン屋で遅めの昼食。
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ここで注文したのはこんなマスタードカレーパンと・・・。
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ダブルのエスプレッソ(2点で合計6.3ユーロ=約880円)。
お腹がぺこぺこだったので、かなり美味しくいただけました(笑)。 -
14時、腹ごしらえもしたし、ランスでの観光を再開です。
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まずは先ほど見学したサン=レミ聖堂に隣接しているサン=レミ博物館へ(入館料4ユーロ=約560円)。
正面は普通の建物のように見えますが・・・。 -
中に入ってみると、こんな歴史ある回廊が。
そう、ここは元は18世紀にベネディクト会の修道院として用いられていた場所で、世界遺産の登録名“ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿”の“サン=レミ旧大修道院”とは、実は先ほど見た“サン=レミ聖堂”ではなく、こちらに由来するとのこと。 -
こちらの中庭は、まさに“修道院”という感じですね。
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さて、博物館の展示室の方へ行ってみます。
こちらの建物は宮殿のようで、また豪勢な雰囲気。 -
フランドルの画家ルーベンスの作品と思われるような絵画も掲げられていました。
よく見たら似せてあるだけで別人の作品と分かりますね。 -
ただこのサン=レミ博物館、もともと建物が大きすぎるせいか、展示物が広い部屋にポツリポツリと置いてあるだけで、スカスカな印象も。
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こちらは“聖マルコ伝道者”(Saint Marc Évangéliste)と題された像。
この建物がかつて修道院だった時に使われていたものでしょうか。 -
古代ローマ帝国時代の石像などが整然と展示されている部屋。
中央にそびえているのは“ユピテルの柱”(Colonne dédiée a Jupiter)。
ギリシャ神話のゼウスと同一視される、ローマ神話の主神ですね。 -
こちらも古代ローマ帝国時代の石像群。
ガリアとローマが共存した時代ということで、“ガロ・ローマ(Gallo Roma)時代”とも呼ばれるこの時代には、ローマ本国の影響を受けて、ガリア地方にも拙いながらも石に人や神の像などを刻む文化が普及していきました。 -
こちらは保存状態の良いモザイク。
ローマ本国のものに勝るとも劣らない、素晴らしい出来のモザイクですね。 -
ランス出身で異民族ながらローマ帝国の執政官まで昇りつめた、フラヴィウス・ヨヴィヌス(Flavius Jovinus、310-370年頃)のものとされる石棺。
こちらもローマ本国のものに匹敵する出来のレリーフが刻まれています。 -
こちらの展示はこのサン=レミ博物館がベネディクト会の修道院だった頃の様子を表したものでしょうか。
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さて、次の間には・・・。
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いかにも歴史のありそうなタペストリーが。
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こちらはお馴染みクローヴィスの洗礼の様子を描いたもの。
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こちらはそのクローヴィスに洗礼を授けた聖レミの生涯を描いたもの。
色彩も鮮やかに遺されています。 -
次は近代以降の武具の展示。
こちらは16世紀の盾やボウガンなど。 -
こちらは19世紀初頭のナポレオン戦争時代の軍服や武具の展示。
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皇帝ナポレオン3世が君臨した第二帝政時代(1852-1870年)の軍服も。
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最後は第二帝政時代末期、1870年の普仏戦争時の武具。
マニア受けしそうな展示です。 -
以上でサン=レミ博物館の展示室の見学を終了し、出口へ向かいます。
最後の回廊にも、まだまだと言わんばかりに見事な聖人像の彫刻の展示が。 -
そして最後にもう一度、元修道院らしい中庭の様子を撮影してサン=レミ博物館を後に。
時刻は15時、ちょうど1時間ほどの見学時間でした。 -
サン=レミ博物館を出て、ランス観光の最後に藤田嗣治の建てたフジタ礼拝堂を見学すべく、北に向かって歩いて行きます。
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15時25分、早朝に見学したノートルダム大聖堂へ。
空は晴れ間が出てきて写真映えのするいい天気になったのですが、やはり大聖堂本体の正面がシートで覆われてしまっているのが残念ですね・・・。ランスのノートル-ダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院及びト宮殿 寺院・教会
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シートの部分を街路樹で隠せばいい写真が撮れるんじゃあないかとあれこれ工夫してみたり・・・。
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ちなみに大聖堂の正面近くには、騎乗姿のジャンヌ・ダルクの銅像が。
ミラ・ジョヴォヴィッチが主演を務めた1999年の映画に出てくるジャンヌ像のようですね。ジャンヌ ダルク像 (ノートルダム大聖堂前の広場) モニュメント・記念碑
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最後にもう一度、天高くそびえる大聖堂の姿をカメラに収めて広場を後に。
いつかまた、シートがない状態でのノートルダム大聖堂の姿を拝んでみたいものです。 -
大聖堂前の広場からはさらに北へ。
ランスの中心部はトラムの軌道が走り、自動車の進入が抑制されて、人々が気兼ねなく街歩きを楽しんでいるようですね。 -
こちらのカーヴするトラムの軌道も味があって、ついつい写真に収めてしまいますね。
-
そうこうしているうちに黄色い車体のトラムがやってきました。
どことなく惹かれてしまうデザインですね。 -
大聖堂の塔をバックにするすると走っていくトラム。
ヨーロッパらしい光景です。 -
街なかにはアルザス地方のような木骨組の家も。
こうして見ると、木骨組の家はフランスの青い屋根の街並みにあってひと際目を引き、オシャレなアクセントになっていますね。 -
そして15時50分、てくてくと歩いて駅の北東にあるランスでの最後の目的地、フジタ礼拝堂(La chapelle Foujita)にやってきました。
先ほどのランス美術館でも作品を鑑賞した日本人画家の藤田嗣治が設計・建築し、君代夫人とともに埋葬されている礼拝堂です。 -
フジタ礼拝堂はこのようにこじんまりとした造り。
1959年、フランスに帰化するとともにここランスのノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受けた藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、シャンパンで有名なG.H.Mumm社の社長で友人でもあるルネ・ラルーの支援を受け、同社の敷地の一角にこの礼拝堂を建てることに。
藤田は人生最後となるこの仕事に全力を注ぎ、完成したのは7年後の1966年。
藤田80歳、死の2年前のことだったそうです。フジタのチャペル 寺院・教会
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フジタ礼拝堂への入館はランス美術館との共通券が使えます(4ユーロ=約560円)。
内部には藤田が晩年に描いた素晴らしいフレスコ画が見られるのですが、こちらもランス美術館同様、撮影禁止。
仕方ないので、礼拝堂の外から遠目に撮影したものと、以下礼拝堂HPの写真で雰囲気を味わっていただければ。
【フジタ礼拝堂HP(フランス語)】
https://musees-reims.fr/fr/musees/la-chapelle-foujita/ -
フジタ礼拝堂は次の目的地、パリへの列車の便が迫っているため急ぎ足で鑑賞。
16時、もったいなくも10分ほどで鑑賞時間を切り上げ、先を急ぐことにします。 -
ちなみにフジタ礼拝堂の通りを挟んで向かいには、藤田を支援して礼拝堂の建設を助けたG.H.MUMM et Cieの本社建物が。
G.H マム 博物館・美術館・ギャラリー
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16時15分、てくてくと駅に向かう途中で現れたのが、前日夕方も目にした3世紀のローマ帝国時代に凱旋門として建設された“マルス門”。
古代の建造物が街なかに忽然と現れるさまは、やはり壮観ですね。
これをもって、いろいろと歩き回ったランスの観光は終了。
次はいよいよこの旅の最後の目的地、パリです!
(晩夏のアルザス・ロレーヌ8日目後半~パリ観光~に続く。)マルス門 建造物
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2022/10/17 21:18:23
- 欧州の大聖堂
- エンリケさん、おばんでした(*^▽^*)
欧州の大聖堂は荘厳ですね!
お書きのようにノートルダム大聖堂の外観を見上げるだけで、圧倒されそうです。
中へ入れば美しいステンドグランスが光の加減で様々な表情を見せてくれますね。
バラ窓の中心におられるのがイエスさまとは、敬虔な信者さんにはたまりませんね。
“微笑みの天使”いいですね~(#^^#)
偶然右手を握っているようにも見え、安らぎと元気をくれそうな気がします。
フジタ礼拝堂は知りませんでした。
清楚で控えめな佇まいを前にすると、なんとも言えない気持ちになりそうです。
町子
- エンリケさん からの返信 2022/10/23 19:48:00
- ランスのノートルダム大聖堂
- 川岸 町子さん
こんばんは。
ランス旅行記にご訪問ありがとうございます。
ランスのノートルダム大聖堂は外観はシートに覆われていて残念でしたが、内部はシャガールのステンドグラスがあったり、ジャンヌ・ダルク像があったりと、見応えがありました。
“微笑みの天使”、前の旅行記にも書きましたが、キリスト教徒でなくとも、どこか心惹かれる像ですよね(笑)。
フジタ礼拝堂、建てたのが日本人ということで訪れたのですが、欧米人の観光客も多数見学していて、すでにランスの街に欠かせない建物となっていることに感銘を受けました。
これからも藤田嗣治のように、世界の街の一部に刻まれる日本人が出てくることを願ってやみません。
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