2014/09/05 - 2014/09/05
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晩夏のフランス、アルザス・ロレーヌ地方を巡る旅7日目。
フランス北東部、ロレーヌ地方の中心都市ナンシーの滞在を終え、この日は北に50kmほど離れたドイツ、ルクセンブルク国境付近の街メッスへ。
かつてドイツ領だったこともあるこの街には、駅舎をはじめドイツ風の建物も多く、フランスの中にあってどこか異国を感じる街並み。
サンテティエンヌ大聖堂、クール・ドール博物館、ポンピドゥー・センター・メッスと回っていき、古代から欧州の十字路として様々な経験をしてきたこの街の過去と現在に親しむことができました。
<旅程表>
2014年
8月30日(土) 成田→ソウル→フランクフルト・アム・マイン→マインツ
8月31日(日) マインツ→ストラスブール
9月 1日(月) ストラスブール→コルマール→エギスアイム→コルマール
9月 2日(火) コルマール→リクヴィル→リボーヴィレ→コルマール
→ストラスブール
9月 3日(水) ストラスブール
9月 4日(木) ストラスブール→ナンシー
〇9月 5日(金) ナンシー→メッス→ランス
9月 6日(土) ランス→パリ
9月 7日(日) パリ→
9月 8日(月) →ソウル→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月5日(金)
フランス北東部、ロレーヌ地方の中心都市ナンシーの滞在を終え、この日は北に50kmほど離れたドイツ、ルクセンブルク国境付近の街メッスへ。
メッスはモゼル県の県庁所在地で、ストラスブールやコルマールなどのアルザス地方と同様、中世では神聖ローマ帝国(ドイツ)に属し、1648年、三十年戦争後のウェストファリア条約でフランス領となったものの、普仏戦争後の1871年から第一次世界大戦終結後の1919年までドイツに併合されていた歴史を持つ地域です。
まずは早朝6時40分、ナンシー駅へ。
階段にはめ込まれた美しい写真が旅への思いを高めてくれますね。 -
ホームでは、6時57分発のメッス(Metz Ville)行きTER(地域圏急行輸送)に乗車。
*切符は事前に日本でネットから購入(ナンシー-メッス間の料金は10.9ユーロ=約1,530円)。 -
列車は田園風景の中を進んでいき、7時37分、所要時間40分ほどでメッス駅に到着。
駅の外に出てみると、天に向かってそびえる石造りの何とも重厚な駅舎。
2017年にはフランス国鉄(SNCF)のコンテストで“フランスの最も美しい駅”に選ばれることになるこのメッス駅ですが、実はこの駅舎が建てられたのはドイツ併合時代の1908年。
設計はもちろん、ドイツ人(ベルリン出身)のユルゲン・クレーガー(Jürgen Kröger)とのことで、ひと昔前なら選ばれることはなかったのでしょうが、これもEUができて時代がだいぶ変わったということでしょうかね・・・。 -
そのメッス駅の周辺にはいかにもドイツらしい重厚な街並み。
この辺りは“帝国地区”(Quartier Impérial)と呼ばれており、ドイツ併合時の皇帝ヴィルヘルム2世時代(在位:1888-1918年)に整備されたのだとか。
フランスにとっては憎いドイツが整備した街並みですが、さすがにこれだけ美しい街並みを造られては壊すに忍びなかったのでしょう。 -
8時、その美しい街並みの中を、まずは北東に向かっててくてく。
メッス駅には荷物預かり所がなかったので、重い荷物を引きずりながらの散策となります・・・。
途中にあった広場の一角には、こんな噴水も。
ところどころで一息つきながら歩かないと、腕が持ちませんね・・・。 -
8時10分、通りを歩いていったところ、川沿いに、歴史を感じさせるこんなとんがり帽子の建物を発見。
“ドイツ人の門”です。 -
この“ドイツ人の門”、名前のとおり、このメッス(ドイツ語読みはメッツ)が神聖ローマ帝国(ドイツ)に属していた中世に、文字通り街への入口として建てられたもの。
内部ががらんとしていますが、堅牢そうな構造です(入場無料)。 -
うまくすれば有料の観光施設っぽく再整備できそうなものですが、やはり現在の市民にとってはドイツ人の造ったものだからそれほど思い入れがないのでしょうかね・・・。
8時15分、以上で“ドイツ人の門”の見学を終了。 -
続いて8時20分、扉が開いている古そうな教会を見つけたので入ってみることに。
この教会は地図によると“聖ユーケア教会”(Église Saint-Eucaire)。
古代におけるトリーアの聖人ユーケア(Euchaire de Trèves)に捧げられた教会とのこと。 -
内部もこんなふうに古びていて、この教会が歩んできた長い歴史を感じさせます。
・・・建物自体は古くても、ステンドグラスから射し込む朝の光が神々しいですね。 -
聖ユーケア教会から街の中心に向かって歩いて行きます。
・・・中心に近づくにつれ、黄色い壁の建物が多くなってきた感じ。 -
そして8時40分、黄色い石壁が特徴的な、巨大なゴシック様式の大聖堂に到着。
1220年から1520年まで300年をかけて建てられたという、キリスト教における最初の殉教者である聖ステファヌス(エティエンヌ)に捧げられた大聖堂、“サンテティエンヌ大聖堂”です。
この特徴的な黄色い壁の色は、メッスの他の多くの建物と同様、近場で産出される“ジョーモン石”を使っているためとのこと。メッス サン テチエンヌ大聖堂 寺院・教会
-
早速サンテティエンヌ大聖堂の内部に入ってみると、高さ42mの身廊がヨーロッパの深い森を思わせるような、何とも壮麗で神秘的な空間。
-
反対側のバラ窓もたくさんのステンドグラスに彩られ、何とも立派。
-
やはりフランスの大聖堂といえばステンドグラス。
どの大聖堂も素晴らしいものばかりですが、このサンテティエンヌ大聖堂のステンドグラスは特に有名で、その面積は、ヨーロッパ最大規模の6,500㎡にもなるのだとか。 -
規模だけでも有名なのに、このサンテティエンヌ大聖堂のステンドグラスをさらに有名にさせているのはこちらのステンドグラス。
なんとあのマルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985年)の作とのこと。
今回の旅行、出発地のドイツ・マインツでもシャガールのステンドグラスを見ましたが、ここメッスでも彼の作品に出会えました。
【晩夏のアルザス・ロレーヌ(1) マインツのザンクト・シュテファン教会を彩るシャガールのステンドグラス】
https://4travel.jp/travelogue/10929633#photo_link_35399733 -
シャガールのステンドグラスをズームアップ。
なるほど、これはまさしくシャガール。
“イサクの燔祭”や“天使とヤコブの闘い”、“ヤコブの梯子”、“モーセと燃える茂み”、“ノアの洪水と方舟と虹”など、旧約聖書の物語が描かれているとのこと。 -
こちらのステンドグラスには、“モーセの十戒”、“ダヴィデとハープ”、“預言者エレミヤ”が。
-
そして最後は黄色が特徴的な“エデンの園”のステンドグラス。
いずれもシャガールと一目で分かるステンドグラスとなっています。 -
9時35分、1時間弱の見学時間を終えて外に出ると、入口付近には物乞いが。
ヨーロッパではよく見る光景ですが、2020年のコロナ禍では彼らはどうなったのでしょうね・・・。 -
物乞いがわたしに関心を示さなくなったところで、入口の彫刻群を撮影。
これら聖母や聖人たちの彫刻群も、やはり黄色いジョーモン石をもとに作られています。 -
彫刻ひとつひとつが細かいところまで彫られていて、まさに技巧の限りを尽くした大聖堂への入口という感じ。
密教における曼陀羅のようですね。 -
さて、大聖堂前のアルム広場(Pl. d'Armes)の一角には、観光客向けのプチトランが。
乗車時には各国語の音声案内もあるようですが、日本語はなし・・・。
代わりに中国語があるようで、すでに2014年時点において、ヨーロッパにおける中国の地位の向上、日本の地位の低下が感じられるところです・・・。 -
9時45分、サンテティエンヌ大聖堂を北に向かい、メッスを貫くモーゼル川の中州へ。
ここにもとんがり帽子の堅牢そうな建物。
ドイツ併合時代の1904年に建てられたという“タンプルヌフ教会”(Temple Neuf)です。タンプルヌフ教会 寺院・教会
-
タンプルヌフ教会を正面からパチリ。
サンテティエンヌ大聖堂がカトリックの大聖堂なのに対し、こちらは“タンプルヌフ”(新教会)という名前のとおりプロテスタントの教会で、いかにもドイツらしい、質実剛健な感じがしますね。 -
タンプルヌフ教会と同じく、モーゼル川の中州にはこんな黄色い壁の建物も。
こちらはフランス革命より前の1752年に建てられたという歌劇場(オペラハウス)で、フランスで現在も使用されている歌劇場としては最も古い建物なのだそうです。オペラ座 劇場・ホール・ショー
-
緑に囲まれたモーゼル川を渡って再び対岸へ。
-
街の中心、アルム広場まで戻ってきました。
銅像の背後にそびえる立派な建物は観光案内所。
大聖堂と同じく、ジョーモン石を使って造られた黄色の建物となっています。観光案内所 (メス) 散歩・街歩き
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再び大聖堂をパチリ。
巨大すぎて近距離では全体を捉えきれませんね。 -
10時30分、大聖堂から少し歩いたところに、これまた由緒ありそうな、ジョーモン石で造られた建物を発見。
1839年に創設されたという“クール・ドール博物館”(Musée La Cour D'or)で、“クール・ドール”(黄金の中庭)という名前は、このメッスの地に置かれていたフランク王国アウストラシア地方(511-751年)の王の宮殿から採られたとのこと。
【クール・ドール博物館】
http://musee.eurometropolemetz.eu/en/ラ クール ドール博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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せっかくなので、クール・ドール博物館に入場(入場料4.6ユーロ=約640円)。
ここでようやく、受付のお姉さんに重い荷物を預かってもらいます。
このクール・ドール博物館が建つこの地は、古代ローマ帝国時代の浴場跡とのことで、まずはその時代のものがわんさか展示。
展示品の解説はフランス語表記ばかりで、英語表記がないのがちょっぴり残念・・・。 -
ローマ帝国時代のモザイクも、比較的良い状態で展示されています。
-
こちらの土器の展示も古代ローマ帝国時代のものでしょうか、下段中央にはフォークも見えますね。
手づかみで食べていたという中世ヨーロッパよりも文化的? -
博物館の地下には古代ローマ帝国時代の浴場の壁も。
2000年の時を経て、現代の市街地の中でこのようなかたちで残っているのがすごいところですね。 -
その隣には幾何学模様のモザイク。
ローマ帝国全体にしてみれば、カエサルのガリア遠征(BC58-BC51年)後に編入されたこのメッス(当時の呼称はDivodurum=“神聖な市場”の意)は辺境の地なのに・・・何とも古代ローマの文化水準の高さを感じます。 -
こちらも保存状態の良い、何とも洗練された図柄のモザイクですね。
-
こちらは古代ローマ帝国時代の石碑。
人物の姿が描かれているところを見ると、古代ギリシャと同様、この人物の墓碑でしょうか・・・。
【永遠ブルーの空 ギリシャ(2) アテネ国立考古学博物館の墓碑】
https://4travel.jp/travelogue/11411019#photo_link_56403907 -
さらに通路の奥にも、墓碑と思われる人物が刻まれた石碑がズラリ。
博物館の地下深くにあるこの場に一人で立っていると、何だかコワい感じがします(笑)。 -
こちらは古代ローマ帝国セウェルス朝の皇帝で、212年、帝国内の全属州民にローマ市民権を付与する勅令(アントニヌス勅令)を発したことで名高いカラカラ帝(Caracalla Lucius Septimius Bassianus、188-217年、在位:209-217年)。
現代人の我々から見れば、もともとイタリア半島に住んでいたかどうかにかかわらず、帝国内の奴隷を除く自由民すべてに平等に市民権を与えた人道的な施策のように見えます。
しかし、“ローマ人の物語”を書いた塩野七生氏によると、この政策は、属州民にとっては“軍隊に入隊して満期まで勤め上げれば(属州民税を課されず選挙権を有する)ローマ市民権を付与する”というモチベーションを失わせ、もともとのローマ市民権保持者にとっては、廃止される属州民税の穴埋めのため、相続税や解放奴隷税が引き上げられることとなり、結果として、ローマ市民権の魅力を失わせ、適切な“格差”がなくなって、社会の活力が失われてしまったという・・・。 -
古代ローマ帝国時代の展示が終わり、上階に行くと、中世から近代にかけての絵画等の展示が。
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こちらは16世紀のアントワープの画家、ヤン・マンデイン(D'apres Jan Mandijn、1500/02-60年頃)の“聖クリストフォロス”(Saint Christophe)。
キリスト教の聖人クリストフォロスの周りにたくさんの奇怪な生物が出現しており、マンデインより少し前に活躍したネーデルラントの画家、ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch、1450頃-1516年)の作風を思わせます。
【ベルギー・フランドル紀行(1) ブリュッセルのベルギー王立美術館のヒエロニムス・ボス作“聖アントニウスの誘惑”】
https://4travel.jp/travelogue/10445578#photo_link_18725566 -
こちらは17世紀、フランス領となった後のメッスの街を描いた鳥瞰図。
すでに中央にはサンテティエンヌ大聖堂が完成しており、左側には五稜郭のような星型要塞が見えますね。 -
近代絵画の展示スペースはこんなゆったりした空間。
-
こちらは動物を好んで描いたフランスの画家、ジャン=バティスト・ウードリー(Jean-Baptiste Oudry、1686-1755年)の“狐とコウノトリ”(Le Renard et la Cigogne)。
イソップ寓話に基づく絵画ですが、日本では“コウノトリ”が“鶴”になっていますよね。 -
高名な自然主義の画家、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot、1796-1875年)の“羊飼いの少年と夕日”(Paysage, soleil couchant dit Le Petit Berger)。
コローにしてはどこか幻想的な雰囲気の漂う作品です。 -
アカデミック美術の画家、ジャン=ジャック・エンネル(Jean-Jacques Henner、1829-1905年)の“沐浴するスザンヌ”(Suzanne au bain)。
アカデミック美術の絵画は、初めて見る人には優れた様式美による好ましい印象を与えるのですが、その規範化・理想化された芸術様式は、“見たものをその印象のままに描く”印象派や、より革新的な前衛主義の画家たちからの批判を受け、また鑑賞者からも飽きられて、次第に衰退していきます・・・。 -
モーリシャス島生まれのフランスの画家、アンリ・ル・シダネル(Henri Le Sidaner、1862-1939年)の“ボッローメオ諸島”(Les Îles Borromées、1909年)。
ジョルジュ・スーラやポール・シニャックなどと同じ点描法の技法による絵ですね。
【晩夏のアルザス・ロレーヌ(9) ストラスブール現代美術館のポール・シニャック作“夕暮れのアンティーブ”】
https://4travel.jp/travelogue/11280655#photo_link_50524609 -
ジャック=ドミニク=シャルル・ガヴァール(Jacques-Dominique-Charles Gavard、1794-1871年)の“メッス大聖堂の眺望”(Vue de la cathédrale de Metz、1826年)。
先ほど見たサンテティエンヌ大聖堂がそのまま200年前のキャンパスに。
まさに時代を超えてそびえ続ける大聖堂ですね。 -
フランスの象徴主義の画家、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau、1826-98年)の“旅人オイディプス”(Oedipe Voyageur、1888年)。
ギリシャ三大悲劇詩人の一人、ソフォクレス(BC497/6-406/5年頃)の“オイディプス王”に出てくる、テーバイの怪物スフィンクスが後に王となるオイディプスに“朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、これはな~んだ”という謎を出す場面ですね。 -
最後は“シェーヴルモンの倉庫”(Grenier de Chèvremont)という建物へ。
1457年に建てられたこの建物は、しばらく市の武器庫や穀物倉として使われていましたが、第一次世界大戦を経てメッス市がフランスに戻ってきたときに、歴史的建造物としてクール・ドール博物館の一部に。 -
このシェーヴルモンの倉庫には、木彫りの聖人像など中世から伝わるこの地域の遺物が展示。
12時、以上、約1時間半でクール・ドール博物館の見学を終了。 -
12時15分、メッスの中心、サンテティエンヌ大聖堂がそびえるアルム広場に戻ってきました。
陽が高く昇って大聖堂が輝きを増してきましたね。 -
お昼を過ぎて、街も人通りが活発になってきました。
しかしパリではなくともさすがはフランス、街角に立つ案内標識がオシャレです。 -
12時30分、次は駅の反対側(南側)にある現代美術館、ポンピドゥー・センター・メッスに行こうと南下していきますが、その途中にあったのがこちらの“サン・マクシマン教会”(Église Saint-Maximin de Metz)。
347年に亡くなったというトリーアの司教マクシミンの名を冠するカトリックの教会で、建設は12世紀と、メッスに現存する建物の中では最古の部類に入ります。サン マクシマン教会 寺院・教会
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中に入ってみると、さすがに古びた、何の変哲もない寂しい教会といった感じですが・・・。
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実はこの教会を有名にしているのはこのステンドグラス。
青を基調とした色遣いが特徴的ですが、その図柄も他の教会では見られないもので、実に独特。 -
近づいてみると、人間の顔のようなものが浮かび上がってきますね。
このステンドグラスをデザインしたのは、詩人や小説家でもあるフランスの芸術家ジャン・コクトー(Jean Maurice Eugène Clément Cocteau、1889-1963年)。
設置されたのは1960年代、彼の晩年の作と言われています。 -
こちらのステンドグラスは漫画みたいな図柄ですね。
12時40分、以上でジャン・コクトーのステンドグラスが印象的なサン・マクシマン教会の見学を終了。 -
サン・マクシマン教会から引き続き南に向かっててくてくと歩いて行き、13時、ドイツらしいゴツゴツした外観のメッス駅まで戻ってきました。
-
メッス駅脇のアンダーパスを通り、13時05分、駅の南側に広がる開発地の真ん中に、こんなクラゲとも、UFOともいえぬ建造物を発見。
パリにある現代美術の殿堂、ポンピドゥー・センターの分館で、日本人建築家坂茂(ばんしげる)、フランス人建築家ジャン・ド・ガスティーヌ、そして英国人建築家フィリップ・グムチジャンの共同設計により2010年に開設された、“ポンピドゥー・センター・メッス”(Centre Pompidou-Metz)です。
【ポンピドゥー・センター・メッス】
https://www.centrepompidou-metz.fr/en/welcome -
ポンピドゥー・センター・メッスを正面入口からパチリ。
どことなくふわふわしていて、浮遊感のある建物ですね。
やはり日本人建築家が関わっているだけあって、曲線を描く木の枠組みから、非常に日本的なものを感じます。ポンピドゥー センター メス 劇場・ホール・ショー
-
早速ポンピドゥー・センター・メッスに入館(12ユーロ=約1,680円)。
荷物を預け、上階から見学を始めていくと、広々とした窓からこんなメッス旧市街の眺望が。
駅周辺の帝国地区やサンテティエンヌ大聖堂が一望のもとに見渡せますね。 -
展示作品を順に見ていきます。
こちらは日本の江戸時代の僧、如雲拙堂(1720-79年)の“円相”。
“円相”というと、禅における書画のひとつで、“円”を一筆で描き、悟りや真理、仏性、宇宙全体などを象徴的に表現したものとされますが、フランスに来ると現代美術のひとつとカテゴライズされてしまうのですね。 -
この部屋には様々な造形の現代美術の作品群。
しかし、よく見ると・・・。 -
こんなリンガ(シヴァ神の象徴ともされるヒンドゥー教の男根像)の展示も。
これらはプレアンコール期の7世紀(中央)からアンコール朝期(9~15世紀)にかけての、カンボジアのリンガを並べたもの。
フランス人にとってはこうしたアジアの宗教芸術についても現代美術のカテゴリーなのでしょうかね・・・。 -
こちらはナメクジをイメージしたガラス壺の現代美術?
と思ったら、イランのカージャール朝時代(1796-1925年)に作られ、香水を振りかけるのに使われたという“長い曲がりくねった首のボトル”(Bouteille à long col sinueux)とか・・・。
ただ、まるっきりイランのオリジナルではなく、当時隆盛していたヴェネチアングラスの影響を受けているとの解説もしっかりつけられていました。 -
次はご存知、イギリスの現代芸術家、ヘンリー・ムーア(Henry Moore、1898-1986年)の“鳥型Ⅱ”(Bird Form Ⅱ、1973年)。
ここにきてようやくヨーロッパの芸術家の作品が登場です。 -
と思ったら、またアジアに戻ってこちらは、日本の安土桃山時代の“変わり兜”。
やはりヨーロッパの芸術家にとっては、アジアの諸々の文物は芸術的インスピレーションを与えるものなのか・・・。 -
次はセザール(Cesar、1921-98年)の“双子”(Expansion no8《Les Jumelles》)という作品。
題名のとおりといった作品でしょうか・・・。 -
上階にはこんな建物の屋根組が見渡せるスポットも。
“この建物自体が芸術”、ということを示すポイントでしょうかね。 -
1階の大展示場にやってくると、まず、スペインの芸術家ジョアン・ミロ(Joan Miro、1893-1983年)の“夜の鳥”(Personnages et oiseaux dans la nuit、1974年)が。
いかにもミロらしい作品です。 -
続いてフランスの画家フェルナン・レジェ(Fernand Leger、1881-1955年)の“2羽のオウムを使った構成”(Composition aux deux perroquets、1935-39年)。
オウムよりも別の部分がいろいろと衝撃的すぎて、このタイトルの意味は何だろうと考えてしまいます・・・。
ちなみにどことなくピカソに似た人物像だなと思ったら、レジェはピカソと同い年で、パリ時代によく交流していたとか。 -
そしてこちらが本物のピカソ(Pablo Picasso、1881-1973年)の作品、“バレエ「メルキュール」の舞台幕”(Rideau de scène pour le ballet Mercure、1924年)。
やはり彼の絵は、他の人には描けない独特の“感性”がありますね・・・。 -
15時30分、以上でポンピドゥー・センター・メッスでの芸術鑑賞を終了。
何だかんだで2時間半近くも時間を費やしてしまいました。
やはり現代美術は難しい・・・。
さて、これでメッスで見るべきものは見終わったし、ロレーヌ地方に別れを告げ、この日の宿のあるシャンパーニュ地方のランスに移動します。
この旅の最終目的地、パリまであと少し!
(晩夏のアルザス・ロレーヌ7日目後半~ランス観光~に続く。)
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