2022/03/24 - 2022/03/24
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kojikojiさん
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「長橋食堂」でお昼を食べた後はバスに乗って奥能登絶景海道をさらに進みます。50分ほどで道の駅「狼煙(のろし)」に到着しました。ここから丘の上の「禄剛埼灯台」まで10分ほどの登り坂です。ここで地元のボランティアガイドの方と合流します。妻を含めて4人ほどの方が足のことを気にされて灯台へは行かずに道の駅で休憩することになりました。実際に急な坂ではありませんでしたが、60歳を過ぎると多少息が切れます。天気は汗ばむほどなので着てきたジャンバーも必要ないほどでした。ガイドさんの説明は面白く、灯台にもすぐに到着しました。灯台の歴史も興味深かったですが、冬の天気の良い日には佐渡島まで見ることが出来るということには驚きました。また右手の金剛崎の先には北アルプスの山並みまで見えるそうです。そしてこの禄剛崎からは海から昇る朝日と海に沈む夕日の両方が見えることで有名とのことでした。周辺には水仙が咲き乱れ、椿も盛りは過ぎていましたがきれいに咲いています。約40分で駐車場まで戻り、バスに乗って「須須神社」に向かいます。海からいくつかの鳥居が続き、寺家のキリコの倉庫の前から参拝に向かいます。この神社は寺家高座宮の主神高倉彦神(たかくらひこのかみ)と山伏山山頂の奥宮に美穂須須美命(みほすすみのみこと)を祀っています。神社も良かったのですが、ガイドさんの説明でキリコ祭りに興味が湧いてきました。ここからバスは海岸線を離れ「道の駅すずなり」に向かいます。ここは廃線になった「のと鉄道能登線」の珠洲駅の跡にある施設で、駅のホームや看板がそのまま残されていました。この日最後の観光は飛行機の上からも見えた「見附島」の観光です。ここでもガイドさんの空海伝説や源義経伝説など面白い話も伺えました。奥能登は観光としてはちょっと弱い部分もあるように感じたので、こういったガイドさんの説明はそれを補う力があると思いました。ガイドさんと別れてホテルに向かいますが、添乗員さんの提案ですぐ近くにある「イカの駅 つくモール」に立ち寄ってもらいました。買い物が出来ないのは残念でしたが、設置された巨大なイカのモニュメントはコロナ交付金2,500万円と町費500万円合わせた3,000万円ことでBBCのニュースにもなったそうです。
最後に到着した「のときんぷら」は能登勤労者プラザの略で、ホテルというよりは公的なセミナーハウスのような建物で、旅情のようなものは感じられませんでした。さらにお風呂は決められた1時間だけしか利用できないとか食事の時間も制約があると分かって、参加者の方もこれにはびっくり。怒っている方もいらっしゃいました。晩御飯も期待していなかったのですが、ツアーの予定表の和食膳は炉端焼きに変更されていて、これは大満足でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「長橋食堂」でお昼を食べた後も奥能登絶景海道に沿って半島巡ります。天候はさらに良くなって雲ひとつ無い快晴です。
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いくつもの塩田を越えて行きますが、車道のすぐ脇に突然現れるのでうまく写真が撮れませんでした。この辺りにゴジラ岩もあるはずなのですが、上手く見つけることが出来ませんでした。
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「大崎島」は狐の嫁入り伝説がある島だそうです。馬緤(まつなぎ)町の大崎島と先ほどお昼を食べた長橋町鞍崎(くらさき)に狐が住んでおり、鞍崎の女狐を嫁にもらうことになりました。嫁どりの当日に花嫁の行列が赤提灯を伴って、大崎島までゆらゆらと続いたと言われているそうです。
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道路の脇にある標識を調べるだけでいろいろな情報をえられるので便利な世の中になったと思います。
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「徳保の千本椿」の先には「獅子岩」が見えました。グーグルマップから名前が分かったのですが、「てんぐ岩」という名前もあるそうです。見た瞬間に「風の谷のナウシカ」の巨神兵に見えたので写真に撮ってみました。
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海岸線を走りながらも奥能登絶景海道は岸壁の上を走ったり、砂浜の脇を走ったり景色はどんどん変わっていきます。
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ただ通過するだけではもったいない美しさです。
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真っ黒で艶やかな家並みが美しいです。能登の瓦で大事なことは寒さと塩害に強いということで、通常の釉薬瓦では表面だけの片面に釉薬を塗りますが、ここでは塩害に耐えられるよう両面に釉薬を施しているそうです。
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午後2時前に「道の駅狼煙(のろし)」に到着しました。ここで現地のボランティアガイドの方と合流しました。添乗員さんはここまでの観光の案内もされないので、灯台の見学も勝手にするのだと思っていました。正直奥能登はあまり面白くないかもしれないと感じていましたが、ガイドさんお登場により歴史や文化を深く知ることが出来ました。
道の駅 狼煙 道の駅
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「禄剛埼灯台」は丘の上にあるので10分ほど坂を登ることになります。ツアーには杖を使われている方が3名いらして、最近足の痛い妻も道の駅で休んでいることになりました。急坂はほんの少しでしたが、ポカポカ陽気なので少し汗ばむほどでした。周囲には春の花がたくさん咲いていましたが、特に水仙がきれいでした。昔NHKの「新日本紀行」で観た福井県の「越廼村の水仙畑」のことを思い出しました。
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ガイドさんからこの山は「山伏山」だと教わりました。「山伏山」は標高172メートルしかありませんが、山頂には「須須神社奥宮」が鎮座しています。また禄剛埼周辺海域は古くから海難事故が数多く、北回り廻船の要衝を占める地として宝暦6年の1756年に焚き火常夜灯設置の要望がなされ、「山伏山」の一角に灯明台を築き、火皿に油を浸し、火を点じ海難防止を図っていたと伝えられています。
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江戸から明治に変わる中で、西洋式の灯台は太平洋側で建設が進んだそうです。その後に日本海側の灯台建設が進む中で早い時期に建設されたそうです。
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灯塔は石造で海路を約60キロ離れている七尾湾に面した穴水町から小船で運び、岬に索道を掛け人力で現場へ引き揚げるという難工事で、完成まで約2年を要しています。崖下には「千畳敷」と呼ばれる海食棚が発達しているのが見えました。
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コロナ禍で海外渡航が禁止になったタイミングで計画していた旅はウラジオストックでした。それから2年が経ってしまいましたが、この先もしばらくは行けないことでしょう。
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大阪南港からパンスターフェリーで旅した釜山や蘇州号で向かった上海のプレートもありました。東京までは302キロの距離ですが、翌々日は苦労することになるとは思いませんでした。
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添乗員さんにシャッターを押してもらいました。妻がいないのがちょっと残念です。
禄剛埼灯台 名所・史跡
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「禄剛埼灯台(ろっこうさきとうだい)」は地元では設置されている町の名前から「狼煙の灯台」と呼ばれているそうです。明治16年の1883年に完成した灯台は「明3秒暗3秒」という3秒おきに3秒灯るそうです。これは日本中で微妙に違いがあり、そのことでどこの灯台なのかが分かるそうです。
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通常の灯台はレンズを回転させることにより光を点滅させますが、この灯台ではレンズを固定し灯火の遮蔽板を回転させることによって点滅させているそうです。レンズはフランス製の第2等不動レンズを現役で使用しています。
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「日本の灯台の父」と呼ばれるイギリス人技師ブラントン(Richard Henry Brunton)の設計で、日本人技術者の手によって明治16年に建設された灯台としても知られています。
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灯塔入り口上部にある記念額には菊の御紋章があり、これは全国の灯台のなかでこの禄剛埼灯台だけだそうです。
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禄剛崎からは金剛崎の岬もきれいに見えました。
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この場所は「海から昇る朝日」と「海に沈む夕日」の両方を見ることが出来ることで有名だそうです。
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金剛崎の向こうには冬の天気の良いときには北アルプスの山並みが見えるそうです。また正面には佐渡島も見えるそうです。
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昨年の旅で明治村で「品川燈台」を見ることがありましたが、同じ明治の灯台でもこちらはまだ現役なのが驚きです。
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岬の周辺には椿の木もたくさん植えられていました。蕾の数の割りには咲いている花が少ないような気がしました。
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足元にはゼフィランサスがたくさんの蕾をつけています。元々は南米原産の花ですが、水仙に似ているからよく育つのでしょうか。
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ようやく道の駅まで戻ってきました。妻は大人しくしていたようです。ここからまたバスに乗っての移動が続きます。
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狼煙漁港を通過して「須須神社」に向かいます。
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昼過ぎの漁港は人の姿も無く静まり返っていました。
狼煙海岸 ビーチ
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いくつもの小さな集落を越えて行きますが、どこも同じ真っ黒な能登瓦と下見板張りの民家が美しいです。
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この辺りは遠浅の「千畳敷」のような岩場が多いので、沖合の姫島には灯台が設けてありました。
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能登半島はカモメが多い印象も受けました。
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いい感じにひなびた舟小屋が見えてくると「須須神社」に到着です。
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この神社は寺家高座宮の主神高倉彦神(たかくらひこのかみ)と山伏山山頂の奥宮に美穂須須美命(みほすすみのみこと)を祀っています。東北鬼門日本海の守護神として、災難除けの御神徳あらたかな社とされます。第10代崇神天皇(約2000年前)の御代に能登半島最東北端の「山伏山(鈴ケ嶽)」の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座されたそうです。
須須神社 寺・神社・教会
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本社の社叢(もり)は昔から神域として保護され、北部照葉樹林のうっそうとした原生林に囲まれています。
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我々ツアーの24名以外に人の姿も無く、落ち着いて参拝することが出来ました。
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拝殿の脇にある宝物館には義経ゆかりの品々が収蔵されています。中でも「蝉折の笛」は義経が海難を救われたお礼として奉納した宝物の1つとされます。弁慶の寄進した「左」の銘入りの守刀もあるそうです。
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写真を撮りながら妻とゆっくり参道を戻ります。足が痛いのに頑張って旅行に付き合ってくれています。
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ツアーのメンバーは我々よりも年配の方がほとんどですが皆さんとても元気です。
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気持ちの良い参道をしばらく歩いて、ようやく駐車場まで戻ってきました。
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須須神社の秋祭りには日本最大のキリコが登場し、最大のものは高さ16.5メートル、重さ4トンで、屋根の大きさだけでも約12畳もあるそうです。大きさに加えて総漆塗りで金箔と彫物で装飾された豪華で美しいキリコだそうです。夜通し町内を巡行して朝方まで続くため、夜のキリコも美しいですが朝焼けを背景としたキリコも見ものだそうです。
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ここでガイドさんからキリコ祭りについていろいろ教わりました。キリコは巨大な切子灯籠であり、代表的な形としては背が高い直方体状で、前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字を配し、「後美人」と呼ばれる背面には様々な武者絵や風景画などが施されています。元々は担ぐものですが、人手不足から車をつけることも多いようです。この集落のような大型のものは100人で担ぐそうです。
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この辺りの道路の電柱は全て山側に設けられ、海岸線の道路をキリコが巡行できるようになっていました。
https://www.youtube.com/watch?v=_t07bxvjyCM -
海岸線に沿って神社を数多く見掛けましたが、どこも海に向かって鳥居が設けられていました。鳥居とは神の世界と人々が住む俗世を分ける境界として建てられるものなので、海岸線に接するように置かれてあるのは、寄神信仰にも関係があるのではないだろうかと考えてしまいます。
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「須須神社」の参拝の後は海岸線から内陸の道路をしばらく走ります。日陰には多少の雪が残っていましたが、雪の解けた田んぼは春の訪れを感じました。
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「道の駅すずなり」に到着しました。ここで30分の自由時間がありますが、通常のツアーであれば予定に組み込まれない移動中のトイレ休憩のような場所です。
道の駅 すずなり 道の駅
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特に買いたいものは無かったのですが、「天然珪藻土 切り出し七輪」は前から気になっていて欲しかったものです。珪藻土(けいそうど)は太古の海に生息した藻類の一種である「珪藻」が死んで堆積し、化石化して岩石となったものです。水底に沈殿した死骸の中の有機物の部分は少しずつ分解されていき、最終的には二酸化ケイ素(SiO2)を主成分とした「殻」の部分だけが残ります。
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「のと鉄道能登線」は奥能登の南岸を走っていた路線で、1959年に国鉄能登線として開業していますが、国鉄再建法により全国の不採算路線を廃止する方針が示される中で最終的に2005年に廃線になっています。
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その珠洲駅の敷地の一部が道の駅になり、当時の駅のホームが残されています。
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ツアーの皆さんのほとんどが「のと鉄道能登線」には興味がないようで、誰もこちらには足を向けませんでした。もちろん妻もお土産を見ています。
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この日に宿泊するホテルの周辺にはコンビニなどは全くないという情報もあり、隣接するファミリーマートでお酒とつまみを買っておきます。ガイドさん曰く「能登半島にはファミリーマートしかありません。」とおっしゃっていましたが。
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この日最後の観光地は「見附島」です。道の駅からはバスで10分ほどの距離でした。
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小学校の校長先生だったというガイドさんはさすがに話も上手で、歴史や文化にも造詣が深いのでとても勉強になりました。ここのガイドが終わるとお別れになります。
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「見附島」はこの地方に広く分布している新第三紀珪藻泥岩からなる白亜の島で、周囲400メートル、標高は28メートルで、上から見ると菱形をしていますとガイドさんの説明がありましたが、空港に着陸する前に空から見えたので確かにそうだったと思いました。
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「見附島」という島名は弘法大師空海が佐渡島から能登に渡った際、最初に見付けた島であることに由来するそうです。唐で修行した弘法大師が弟子の中から三国伝来の伝承者として認められ、三杵という宝物を与えられました。それを他の弟子がねたんで奪おうとしました。弘法大師は日本の海に向かって三杵を投げ、日本に帰ってから全国を探し回りました。
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独鈷杵(どっこしょ)は佐渡の小比叡山の柳の木に、三鈷杵(さんこしょ)は高野山の松の木に、五鈷杵(ごこしょ)は珠洲市の宝立町の法住寺の桜の木に引っかかっていたそうです。佐渡には母との最後の旅行で行き、今回は妻と珠洲を訪ね、4月は高野山と吉野で桜を見る予定です。
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「見附島」は「軍艦島」とも呼ばれますが、その軍艦は20世紀初頭の鋼鉄船黎明期に建造された下部ほど前に傾斜した戦艦「三笠」だと思いました。家に帰って横須賀の「三笠」の写真と比べるとこれだなと思いました。
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添乗員さんに写真を撮っていただきました。コロナ禍になってからは撮影をお願いするのが申し訳ないので、人に声を掛けにくくなったと思います。この「見附島」もすべてが珪藻土で出来ているので、巨大な七輪にも見えてきます。
見附島 自然・景勝地
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鵜飼漁港の赤灯台が見えました。漁港や港湾の入り口にある防波堤に設置されている灯台です。港の入り口に赤灯と白灯が対で立てられていることが多く、港の奥に向かって左側は白灯台、右側が赤灯台と決められています。
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海岸線を散歩しているおばあさんの後ろ姿が妻の姿に重なって見えました。
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この日の天気も良かったのですが、霞んでいるために北アルプスの山並みを見ることが出来ませんでした。まだ行ったことはありませんが、雨晴海岸から富山湾越しの立山連峰の姿も見てみたいです。
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海岸に置かれた看板には白馬岳から立山に至る山々の写真がありました。小学生の頃に登った山々の名前を見つけると懐かしくなります。
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海岸線には「見附神社」という小さな社がありました。海難の神と縁結びの神が祀られた神社で、元々は見附島の頂上にありましたが、1933年の能登沖地震で社殿が崩壊したそうです。現在は社殿のみが海岸に建てられています。見附島近くの海面に鳥居があるのは島に神社があったからなのだと思います。
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空海伝説については社の横にも詳しく説明書きがありました。文字をただ読むよりは現地のボランティアガイドさんの話しと用意された写真で学ぶことが多かったです。
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今日1日バスで周ってきたきた場所を確認してガイドさんとはお別れです。この後はホテルに向かうだけです。
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バスの中で添乗員さんから「ホテルには午後5時に着いてしまいますが、周囲に何もありませんので、最近できた巨大なイカのモニュメントを見に行きませんか。」と提案がありました。
九十九湾遊覧船 乗り物
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イカのモニュメントが見たいというよりも添乗員さんの「コロナ交付金2,500万円と町費500万円合わせた3,000万円が使われたそうです。」という興味の方が強かったと思います。
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予定外の立ち寄りなので、横にある「つくモール」には立ち寄れないのが残念です。
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ここでも添乗員さんに写真を撮っていただきました。
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すぐ脇には美しい「九十九湾」が見え、電球をたくさん吊るしたイカ釣り漁船の姿も見えました。先ほどの道の駅ではなくてここに立ち寄ってくれたらと思いました。
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この足に巻かれている姿で写真を撮ればよかったなと思います。小さい子であれば口の中にも入れるようです。
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「ホテルのときんぷら」には午後5時に到着しました。「能登勤労者プラザ」の略称なのだと分かりました。ホテルというよりは昭和を感じる公共の宿泊施設のような佇まいです。
ホテル のときんぷら 宿・ホテル
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実際にセミナーなどに使われる会議室なども多いようです。学生の頃の合宿とか移動教室でこんなところに停まった記憶が蘇ります。もう40年も前のことですが。
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8畳の和室の部屋にはすでに布団が敷かれてあります。そこはかとなく古びた感じがしますが、なかなかこんなところに泊まることも無いので妻も面白がっています。
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ただ、大浴場(と言っても小さいのですが)は5名定員になっているようで、ツアー23人を2グループに分けて、午後5時45分から1時間の間に外風呂に入る人と同じ時間に先に食事をするグループの入れ替え制になりました。我が家は先にお風呂で後から食事になったので良かったです。
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決められた時間以外は外風呂には入れないので、朝のシャワーは部屋のユニットバスになります。これには怒ってる方もいらっしゃいました。
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翌朝は小さなユニットバスにお湯を張ってみましたが、30センチくらいの高さに排水口があるので、そこを押さえないとお湯には浸かれません。扉は現在は外開きになっていますが、元々は内開きになっていたのが分かりました。ということは出来た頃は部屋にトイレは無かったことになります。なるほど廊下に大きなトイレがあったことの合点がいきました。
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ツアーのパンフレットには夕食は和食膳となっていました。事前にホテルのホームページで炉端やきの方が良いと思っていました。ただ大きな囲炉裏席の数を考えるとツアーでは無理だろうなと思っていました。ところが当日配られた予定表には「炉端焼き」になっていました。ロビーに集合して別棟の「もちのき亭」に向かいます。
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宿泊しているのは我々のツアーだけのようだったので、2グループに分ければ囲炉裏の数は足りそうです。8人くらいが座れるテーブルを2人で使え、炭火も1人づつに起こして贅沢に使えます。
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メニューは能登牛の焼肉と海鮮焼きとお刺身でした。日本海側なのでお刺身のブリは美味しかったです。さらにサヨリも甘くておいしいです。これでサヨリ何匹なのだろうかと思うくらいの量です。
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九十九湾はイカで有名ですからね。海鮮は帆立とイカと赤エビです。「イカはお刺身でも食べられますから、焼き過ぎないでください。」なんて嬉しいお言葉。
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能登牛の焼肉は霜降りの柔らかいお肉でした。野菜焼きもあるので美味しくいただけました。
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ありきたりの和食膳ではなくて炉端焼きに変更になって妻も喜んでいます。
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海鮮を焼き始めたところで日本酒をお願いしました。
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能登の「宗玄」をいただきましたが、すっきりとした飲み口で美味しかったです。その後に「大江山 おおえやま」もいただきましたが、「宗玄」の方が飲みやすかったかな。お酒の値段がお手頃なのでついつい飲み過ぎました。
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いい気分で晩御飯が終わりました。ホテル自体はもう一つでしたが、食事は良かったです。
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「とも旗祭り」の模型がロビーに置かれてありました。ホテルからも近い小木の氏神御船神社の春祭りで使われるものだそうです。大のぼりと5色の吹き流し、大漁旗を揚げた9隻の船が鐘や太鼓を打ち鳴らし、小木港の湾内を駆け巡るそうです。能登には知らない祭りがたくさんあることが分かりました。
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実際に使われた大のぼりが螺旋階段の間に飾られていました。ようやく長い1日が終わりました。ツアー2日目も能登半島を駆け巡ることになります。
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