2022/03/25 - 2022/03/25
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kojikojiさん
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先に行った「總持寺祖院」といいこの「能登長寿大仏」といい。事前にあまり調べていなかったのですが、実際に来てみると勉強になったり初めて知ることが多かったです。大仏については新しいものということは知っていましたが、周囲に広大な遊歩道があってたくさんの建築物や像があるとは知りませんでした。短い時間でしたが1周で来て良かったです。見学の後はバスで移動してお昼を食べに向かいますが、海の中に立つ櫓が気になっていました。若い男性の添乗員さんはあまり説明をしてくれないのでずっと謎でしたが、立て看板を見つけて「ボラ待ち櫓」という物だと分かりました。そんな発見をしながら「能登食祭市場」に向かいます。ここでは70分の昼食時間になります。ここだけは事前に調べてあったので1階の奥にある炉端の店に入りました。ここでは自分たちで能登の海鮮を焼きながら食べることが出来ます。ちょっと時間がかかりましたが、食事の後に買い物も出来ました。北海道に比べるとイカや魚介もかなり安く感じました。宅急便で自宅に送って食べてみましたが、日本海の魚は味が濃くて美味しいと感じました。朝からワインを飲んで、お昼には生ビールをお代わりしてほろ酔い気分ですがしっかり車窓の風景は記憶に焼き付けました。続いて行った「能登里山里海ミュージアム」も小さいながらも歴史や文化を知ることが出来て勉強になりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「總持寺祖院」を出て30分ほどバスで移動して「能登長寿大仏」に到着しました。最初は大仏を見学するのに20分も必要かと思いましたが、大仏以外にも遊歩道に数々の建物や像があると知りました。
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戦後に富山県小矢部市から移り住み、穴水町で建設会社を起こした堀内秀雄という方が「町民の安らぎの場になれば」と考え、私財の全てを投じて整備を進め2003年に完成したそうです。1908年に生まれ2009年に亡くなったことから”長寿”の名が付いたそうです。
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園の中心にある大仏は座高8.35メートル、高さ3メートルの台座と2.35メートルの蓮台の上に鎮座しています。見上げる高さは13.7メートルあり、青銅の総重量は32トン
だそうです。富山県内で製作されたとあったので調べてみると黒谷美術という会社で造られたようです。鋳造というと高岡市が有名です。 -
旅行会社の考えた旅程では大仏を見るだけですが、急げば園内を1周できそうなので先を急いでみます。多分妻は途中でドロップアウトするはずです。
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三重塔を見て思ったのは横浜の「三渓園」にある「旧燈明寺三重塔」によく似ているなと思いました。この園を造った堀内秀雄という方は三渓園を造りたかったのではないだろうかと思いました。
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その先には石灯籠が並ぶ参道があり、「観音堂」がありました。
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この建物もどこかの「観音堂」を模したのではないかと思いました。先に参拝した「總持寺祖院」の建築も素晴らしかったですが、ここの建物も金沢か能登の宮大工が建てたのだと思います。その技術の高さを感じる本物の建物に驚かされます。ただ宗教施設として使われていないのか、生きていないような印象は受けました。
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春日型の灯籠の並ぶ姿は壮観ですが、これはどう考えても奈良の春日大社の参道を模したのだと思います。お金や権力のある方の考えることは過去から現在まで同じようで、ローマ郊外のティヴォリのハドリアヌス皇帝の別荘を思い出しました。
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「極楽橋」妻はこの先に行くと戻るのが大変だと言い、来た道を戻りました。ドロップアウトした妻と別れて、この先の極楽へは1人で行くことにします。
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橋を渡った先には「弘法大師堂」がありました。ここも建物は立派ですが、内部はガランとしています。能登半島は空海伝説の残る土地柄なので建てたのでしょうか。
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戻りかかると杉木立の間に極楽橋の赤い欄干が見えました。花粉症に悩まされたことが無いので分かりませんが、「のと里山空港」へ着陸する際に表を見ていた妻は「杉の木が茶色いわ。」とため息をついていました。
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松林の中をしばらく歩くと「阿弥陀堂」が見えてきました。ここも建物はしっかり作られています。扉は閉まっているようなので先を急ぎます。途中にも「親鸞聖人像」がありましたが写真を撮っている時間も無さそうです。
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園内はこんな松林の中を歩くので気持ちよかったです。
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「観音菩薩像」へ行くは一度車道に出て、駐車場の脇の松林に入るとその中に建っていました。この辺りまで来ると早く戻らなければと気持ちが焦ります。
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やはり駐車場の脇に建つ「蓮如像」石川県は浄土真宗の信者が多い土地なので建てられたのでしょうか。
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一度バスに進みかけましたが、戻って「太子堂」も見ておきました。これは近づくにつれてお堂が八角形なのだと分かりました。基壇の上に建てられた姿からも奈良の法隆寺の夢殿を模したのだと分かります。ここでタイムアップで、急いでバスに戻りました。何とか20分の自由時間で園内を1周することが出来ました。
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ここまで来る途中に海の上に立つ櫓が気になっていたのですが、何だか分かりませんでした。「能登長寿大仏」を出てしばらく走ると車窓から見えた看板で何だか分かりました。
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しばらく海岸線を走るようなので左側の席に移って、その櫓が見えてくるのを待ちます。
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ありました。「ボラ待ちやぐら」というものです。やぐらの上でボラの群れを見張り、海底に張ったフクロ網をたぐるという日本最古の原始的な漁法です。最盛期には町内に40基を超えるやぐらが立てられていたそうです。平成8年の1996年の秋を最後にこの漁法を行う漁師はいなくなりますが、平成24年の2012年の秋に漁が再開されました。現在は国道249号の根木の辺りで見ることが出来ます。この辺りではボラを刺身で食べる習慣もあるり、ボラのお茶漬けも美味しいそうです。
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天文学者で日本研究者のパーシバル・ローエルが著書「NOTO」の中で「怪鳥ロックの巣のようだ」と表現した漁業用のやぐらです。怪鳥ロックは中東からインド洋地域の伝説に登場する巨大な白い鳥で、3頭のゾウを持ち去って巣の雛に食べさせてしまうぐらい大きさなのでちょっと無理だと思います。
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バスの中では添乗員さんの説明も無いので、これを見て喜んでいたのは妻と2人だけでした。これを見ていて思い出したのは高校の修学旅行で中国地方を旅した時のことです。1泊した萩では1日自由行動だったので、中の良い友人たちと海岸で遊んでいました。
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すると沖合に黒いものがポツポツ浮かんでいて、それに向かって竿を振っている方がいました。近くに行くとそれはボラ掛けというボラをフックのような針でひっかけて釣る漁法でした。漁師のおじさんとおばさんに「会社の旅行ですか?」と聞かれて「高校の修学旅行です。」と言ったら「東京の高校生は、まぁ。」と驚かれたことを思い出しました。何度かやらせてもらいましたがボラは引っかかりませんでした。
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海の中にこんもりと木々が茂っているところはほとんどが神社でした。ここは「鹿島神社」と書かれた石柱が立っていました。東北地方から関東地方を中心として全国に約600社あり、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を総本社とします。多くは鹿島神宮から勧請して創建され、神宮と同じ武甕槌神(たけみかづち)を祀っている。
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元々は小島だったのかもしれませんが、現在は周囲を田んぼに囲まれていました。
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しばらく海岸線を走ると七尾北湾越しに「ツインブリッジ のと (中能登農道橋)」が見えてきました。左側の能登島まで全長620メートルの橋が架けられています。気になったのは先月行った徳島の鳴門の「鳴門海峡大橋」に似ていたからかもしれません。
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能登島と言えばいつか行ってみたいと思っている「石川県能登島ガラス美術館」のあるところです。この美術館の建築は毛綱毅曠(もづなきこう)で、昨年の釧路から北海道道東の旅でいくつもの作品を訪ねたからです。この後の「能登食祭市場」でも毛綱毅曠のことを思い出すことになります。
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バスの車窓から線路や鉄橋も見えました。この辺りを走る「のと鉄道七尾線」は廃線になっていないことに気が付きました。当初JR西日本から七尾駅から輪島駅間が移管されましたが、2001年に乗客減少の著しい穴水駅と輪島駅間が廃止され、さらに2005年には能登線が廃止されたことにより、のと鉄道唯一の営業路線となっています。
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「能登中島駅」を通過しました。1車両が1時間に1本程度の運行なので、駅には人の姿も無く、線路を眺めていても電車を見かけることもありませんでした。
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「笠師保駅」の次は和倉温泉駅ですが、格安ツアーには縁のない温泉です。
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線路と田んぼとその先に海が広がるという絵に描いたような景色が続きます。
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午後1時前に七尾市の「能登食祭市場」という道の駅に到着しました。ここで70分の昼食時間になります。お昼を食べてお土産も買わなければならないので時間に余裕はありません。
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入り口には巨大な珪藻土の七輪が置かれてありました。高さ1.5メートル、直径1.75メートル、重さ1トンと書かれてありました。
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館内にはキリコが飾られていますが、実際の祭りで見ないと飾りにしか見えません。
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まずはお昼を食べるべく「里山里海小路」で浜焼きをいただくことにします。受付で名前を書き込みましたが、2組くらいなのですぐに食べられそうです。
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5分ほどで席が用意され、まずは生ビールを注文します。そして海鮮のセットと牡蠣を注文しました。海鮮のセットはお手頃価格で量も多いです。イカは能登の名物ですが、なんでホッケと思いました。ところがホッケもこの辺りでとれると知りました。脂が乗って美味しかったです。
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当初は焼きガキを考えていましたが、鳴門で食べたばかりだったので、お店の方のおすすめの牡蠣の昆布焼きにしました。よく見えませんがお皿と同じ大きさの板状の昆布が敷かれてあります。
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昆布ごと焼き網に乗せると香ばしい香りが立ちのぼってきます。巨大な牡蠣のむき身は昆布からこぼれそうですが、まめにひっくり返した方が良いそうです。これは初めていただきましたが、何もつけなくても美味しかったです。
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ふぐ汁も大きな身がゴロゴロ入っていて美味しかったです。後から来た隣の席の若者が注文したらすでに売り切れになっていました。能登ではトラフグよりも真フグがポピュラーなようです。
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我々が入った後はすぐに満席になったのでうまいタイミングだったと思います。2階にも数店舗のレストランやイートインもありましたが、個人的にはここがおすすめです。
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ポカポカ陽気なので生ビールが美味しかったです。2杯で我慢しましたけど。
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食事の後はまだ20分ほど時間があったので買い物に移ります。この辺りで気が付きましたが、この建物はポストモダンのデザインではないだろうかということです。
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お土産は「山田屋」というお店で宅急便で送ってもらいました。こちらは鮮魚のお店と干物や加工品のお店の2軒があるので便利です。
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函館ではイカが買えなく、東京でも高いのでこちらではイカの一夜干しをまとめてお土産にしました。後はフグの一夜干しとボイルしたサザエなど。ここで能登でもホッケが穫れると教えてもらいました。グジ(甘鯛)の一夜干しもそこそこ大きなものがお手軽値段でした。京都で生まれた母が大好きだったのですが、もうお土産は買えません。
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鮮魚の方のお店では甘エビやカワハギやヤリイカが美味しそうでした。ここで刺身にしてもらって、ホテルで食べようかなんて思っているうちに集合時間が迫ってきます。いざさは白魚のようなもので、生きたまま元気に泳いでいます。食べてみたい気もしますがかわいそうな気持ちが先に立ちます。
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港の方へ行っていなかったことに気が付いて、小走りで見に行きます。遊覧船が泊まっていましたが、こんなところで時間を使えないのが残念です。
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市場で買ったものをこんなところで食べても楽しいでしょうね。
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防波堤ではたくさんのカモメが日向ぼっこしています。
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メインエントランスの裏側から建物を眺めると「石川県能登島ガラス美術館」を設計した毛綱毅曠(もづなきこう)の「フィッシャーマンズワーフMOO」に似ていると感じました。この建物はアメリカ西海岸のモントレー市のフィッシャーマンズワーフを参考にされたようです。
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この建物は平成3年9月にオープンしたようですが、釧路のフィッシャーマンズワーフは平成元年にオープンしています。どちらも官民一体で再開発されていますので、お互いに知らないことは無いのではないかと思いました。
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ポストモダン建築としては毛綱毅曠(もづなきこう)の建築の方が名前が残っているように思います。
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昨年旅した釧路のことを思い出しながら、能登の植栽市場もロケーションも似ていて良いところだと思いました。
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急いでバスに戻るとすぐに出発になりました。
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次の観光は「里山里海ミュージアム」の見学です。安いツアーなので入場料のかからない観光地の立ち寄りが多いのは仕方ありません。ミュージアムのある七尾鹿島地域は古くから能登の政治と経済の中心として発展してきた場所で、国の史跡に指定されている「七尾城跡」や「能登国分寺跡」、「石動山」や「雨の宮古墳群」などの数多くの歴史的遺産が集まっています。
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個人的にここへ来たかったのは数十年一緒に仕事をさせていただいた乃村工藝社が企画から設計施工まで行っていたからです。
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建物に入ると能登半島の見どころが一目でわかる絵地図「のと空中散歩が床に広がり」、各地の特産品などを展示した「百景棚」が目の前に広がります。
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一番目に着いたのは「でか山」の木製の車輪です。七尾では「青柏祭(せいはくさい)の曳山(ひきやま)行事」が行われますが、「でか山」と呼ばれる日本一の大きさの曳山3台が市内を巡行し、誰でも引っ張ることができるそうです。京都の祇園祭の船鉾のような姿です。
https://www.youtube.com/watch?v=7Ztdo32CPNI -
「采(彩)祓い」
お熊甲祭(おくまかぶと)で使われるもので、天狗面をつけた猿田彦が手に持ちます。この祭は大陸の渡来神を祀る久麻加夫都阿良加志比古神社の大祭で、毎年9月20日に行われる。天狗面をつけた猿田彦が鉦、太鼓に合わせて踊りながら祭りを先導し、屈強の若い衆が20メートルもある真紅の枠旗を担ぐ勇壮な祭りだそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=O4vRTuhx6OI -
「キリコ」(模型)
江戸時代から連綿と続く能登の「キリコ祭り」は、能登一円の住民が参加する大イベントです。毎年7月から10月の間に各地域の氏子たちが能登固有の意匠をもつ、華麗な風流灯籠「キリコ」を担ぎ出し、町内を勇敢に練り回るそうです。 -
昨日のボランティアガイドさんと行った「須須神社」に納められた高さ15メートルほどの総漆塗りで金箔を施した4基の大キリコは見てみたかったです。総金箔の屋根の部分の彫刻や四本柱の昇り龍と下り龍の彫刻の豪華さは他のどのキリコにもひけをとらないと聞きました。最大のものは県木のアテの木で造られ、高さ16.5メートルで重さ4トン、屋根の大きさが約12畳と日本一の規模を誇るそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=_t07bxvjyCM -
2日間に渡って真黒く艶のある能登瓦を見てきたので、鬼瓦にも興味が湧きます。現在のような真っ黒な瓦になる前、江戸時代後期には瓦の先進地であった越前の赤い瓦を取り入れたことで、石川県でも赤い瓦が主流となります。酸化鉄(ベンガラ)の釉薬によって赤色になるそうで、この鬼瓦もその当時のものだと思われます。
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「獅子頭・蚊帳」
中に踊り手が入る布の部分を蚊帳(かや)と呼びます。獅子の胴体には4人程度の「カヤ」が入り百足獅子の形態をとります。獅子と対峙するのは「天狗」で、ベッサイなどのオドケが出る地域もあります。舞いの種類は流暢なお囃子にあわせてゆったりと舞う系統と、カネや太鼓や笛によるリズミカルなお囃子で活発に舞う系統の2つに分かれるそうです。踊りの演目も京振りやホウダツやサッサイなど共通するものもありますが、最後に「獅子殺し」を行う地域とそうでない地域があるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=aEDkYpOoXLU -
「七尾和ろうそく」
フジバカマ(藺草)の髄(ずい)と和紙で作った芯に植物性油から採ったろうを使い、伝統の製法を今に伝えています。ろうそくは仏教の普及と共に、仏壇にともす明かりとして日本に広まったものと考えられ、江戸時代に原料の油をとるハゼの木の栽培が奨励され、ちょうちんの普及と相まって日本各地で和ろうそくは作られました。石川県で唯一高澤ろうそく店が製造を続けているそうです。妻はいつの間にか絵ろうそくと大きな赤い蝋燭を買っていました。 -
「天狗面」
能登にはさまざまな「天狗」がいます。天狗は獅子舞をにぎやかに彩る祭礼には欠かせない存在で、羽咋の獅子舞では在地の「能登獅子型」、氷見市から伝わった「越中獅子型」の天狗があり、烏帽子の形状や天狗面の表情、装束のデザインなどが多彩で地域性があるそうです。 -
「枠旗を乗せた二艘船」
お熊甲祭では能登の他の地域のキリコでは無く,全国的にも珍しい枠旗での祭りになります。海辺の集落の瀬嵐地区では2艘の船に神輿と枠旗を乗せ、人麿社前の漁港を出発し、ゆったりとした鉦と太鼓の音が響く中を熊木川河口の船着き場まで運びます。
https://www.youtube.com/watch?v=T-ZI0pQZGlk -
「凧」
内灘海岸では毎年国内外や地元の内灘から多数の凧愛好家が自慢の和凧や洋凧を披露するワールドカイトフェスティバルが開催されるそうです。 -
「鵜籠」
鵜祭りは羽咋市の気多大社(けたたいしゃ)の神事で、神前に放った鵜の動きから翌年の吉凶を占う奇祭です。鵜は七尾市鵜浦(うのうら)町で一子相伝の技を受け継ぐ小西家が海岸で生け捕りにし、その年の当番である3人の鵜捕部(うとりべ)が気多大社までの約40キロを3日かけて徒歩で運びます。籠に入れられた鵜は「鵜様」と呼ばれ、鵜捕部は「ウトリベー、ウトリベー」と連呼して道中の通過を住民に知らせます。祭儀は12月16日午前3時から拝殿で行われ、神前に設けた木製の台に一対のろうそくだけがともる中、神職と鵜捕部が問答を交わした後、鵜が放たれます。鵜が台によどみなく上れば吉、なかなか進まないときは凶とされます。
https://www.youtube.com/watch?v=unB1SD4lFzw -
「能登花火」
武器として製造されていた火薬が江戸中期より娯楽に使用されるようになり、花火が生まれたと言われます。金沢では明治以後大正末まで製造されていましたが、能登地方においては昭和初期頃まで祭礼に使用するため各地で花火が製造されていた。押水町に専業として製造され現在に受け継がれているそうです。 -
「宝達葛(ほうだつくず)」宝達葛のパッケージは約450年前から変わらないデザインで、宝達葛生産組合の登録商標だそうです。宝達山が金鉱山だった頃、山に自生していた「くず根」を掘り、漢方薬としてくずを作り始めたのが宝達くずの起源です。その後、金が採掘されなくなると、くずの産業化を目指し、大正時代には本格的な生産が始まりました。
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「花嫁のれん」
幕末から明治時代から伝わる加賀藩の能登と加賀と越中で始まった婚礼の風習の1つで、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるのれんです。 -
【 海の恵みとともに 】
七尾湾内(内海)と湾外(外海)の異なる海の特徴を紹介。定置網漁や貝の養殖などの漁業、海中の環境について紹介します。また、伝馬船、漁具、貝殻など実物にふれることもできます。 -
本物の伝馬船が置かれ、実際に乗ることが出来ます。
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ガラス製の浮き球などの漁具もリアルに展示されていますが、こちらは触ることは出来ません。
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【 七尾の森と潟 】
幾千年前もの植生を残す鎮守の杜や、縄文時代の遺跡が見つかった潟など、自然と共に生きてきた昔の人々の暮らしを紹介。 また、能登で生息する昆虫や植物、鳥なども紹介します。 -
「七尾むしろ」
七尾周辺の村では古くから機織りが盛んで、生活に欠かせないムシロが作られていました。ニシン漁が盛んな北海道ではむしろは昆布やニシンを包むために使われたそうです。また農作物の肥料となるニシンかすはムシロの両側を縫い綴じたカマスと呼ばれる袋に入れられました。 -
「青柏祭(せいはくさい」)の曳山「でか山」の胴体にも200枚の、石炉で覆われた後に幕で飾られます。そのムシロは七尾周辺では入手が困難になり、越中から取り寄せているそうです。
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【 海運交易で巡る七尾の歴史 】
能登国の政治・経済・物流の拠点として古くから栄えた七尾の歴史を紹介。楽しみながら歴史を学べる引き出しクイズや、七尾の歴史をもっと詳しく知る情報検索コーナーもあります。 -
「赤浦遺跡(約5,000年前から4,000年前)」の貝塚からはさまざまな模様を施した縄文土器が発見されています。台に乗ったものは約6,000年前の佐波式(さなみ)の土器で底部が尖っているのが特徴です。
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「細口源田山遺跡の弥生土器」石川県初の発掘事例になった方形周溝墓に供えられた弥生時代中期後半(約2,100年前)の土器です。縄文時代のバラエティに富んだ文様は無くなり、シンプルな形になっています。この時代は貯蔵用の壺や煮炊き用の甕、食べ物を盛る高坏や鉢がセットととして用いられています。
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「製塩土器」七尾湾では弥生時代の終わりころから土器を使った塩作りが始まります。古墳時代には内浦全体で塩作りが広まります。能登地域の製塩土器は最初は大きな盃を伏せたような形状の底部でしたが、次第に小型化し、細長い胴に尖った棒状の突起が付くタイプに変わっていきます。
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能登国分寺は天平13年の741年に聖武天皇による国分寺建立の詔が出てから、およそ100年後の承和10年の843年に、それまであった大興寺という寺を格上げして建立されました。「能登国分寺展示館」がこのミュージアムに隣接していますが、それを見ている時間はありません。
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「瓦」古代の瓦には玉縁と呼ばれる接合部を持つ丸瓦を重ね合わせる「本瓦葺」と小さい径の上に大きな径の丸瓦を重ねる「行基瓦」に2つの葺き方がありました。一般的には本瓦葺でしたが、能登国分寺では行基瓦だったようです。
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ここでは奈良の元興寺極楽坊が良く知られていて、元興寺より奈良時代の瓦を借りて、能登国分寺の出土品と合わせて行基瓦の屋根を復元しています。40年近く前のことですが、奈良の東大寺のお水取りの最終日の「達陀(だったん)の行法」を堂内で見る事出来ました。東京から来た父と待ち合わせをしたにもかかわらずいくら待っても来ないので堂内に入れずにいました。結果的には元興寺極楽坊の住職と酒を飲んで時間ギリギリで間に合いましたが…。そんなときのことを思い出しました。
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【 祭りと共に生きる 】
青柏祭、向田の火祭、石崎奉燈祭、お熊甲二十日祭りなど、七尾の特色ある祭りのほか、地域の年中行事も紹介。法被を着たり、獅子頭を持って撮影できるコーナーもあります。 -
「青柏祭(せいはくさい)の祭りごっつお」
「ごっつお」は能登の方言で「ごちそう」の意味で、祭りの宴会の席でふるまわれる料理を「祭りごっつお」と呼びます。 -
昨年の大阪京都の旅で万博公園の「国立民族学博物館」で日本お祀りに着いても学びましたが、能登半島には全く知らない奇祭がたくさんあることが分かりました。学ぶことの多い「のと里山里海ミュージアム」でした。
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