九十九湾・穴水旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ツアー2日目は午前8時にホテルを出発しました。まずはバスで40分ほど走った「のとワイン」のワイナリーの見学です。能登のワインの歴史は浅く、まだ18年しか経っていないそうです。周囲の松林を切り開いた東京ドーム6.5個分の敷地一面にブドウの木が並んでいます。残念ながらブドウにはまだ春が来ていないようで、幹と枝しか見ることは出来ません。ワイナリーの見学の後は楽しみにしていた試飲に移ります。昨年は安曇野のワイナリーと北海道の池田町のワイン城にも行きましたが、コロナのために試飲することは出来ませんでした。ここでは9種類のワインの試飲が楽しめました。結果としては最初に飲んだナイアガラ種の甘口の白ワインを購入しました。4本以上買うと送料が無料になるのも嬉しいです。手続きしている間に妻は酔い覚ましにジェラートまで食べています。ほろ酔い気分でバスに乗ると眠くなってきますが、40分ほどで「總持寺祖院」に到着します。ここへ来るまで知識が無かったのですが、横浜の鶴見にある總持寺の大本であると知りました。また回廊でつながれた伽藍は素晴らしく、案内人の方の説明や住職の独協で焼香させていただいたのも良い経験になりました。なるほど見学と参拝で1時間かかると思いました。さらにバスに乗って午前中最後の「能登長寿大仏」に向かいます。

トラピックス 奥能登大周遊3日間(3)のとワイン見学でいい気分になって、總持寺祖院の伽藍に圧倒されなが秘仏の参拝をする。

14いいね!

2022/03/25 - 2022/03/25

43位(同エリア104件中)

旅行記グループ 2022奥能登の旅

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kojikoji

kojikojiさん

ツアー2日目は午前8時にホテルを出発しました。まずはバスで40分ほど走った「のとワイン」のワイナリーの見学です。能登のワインの歴史は浅く、まだ18年しか経っていないそうです。周囲の松林を切り開いた東京ドーム6.5個分の敷地一面にブドウの木が並んでいます。残念ながらブドウにはまだ春が来ていないようで、幹と枝しか見ることは出来ません。ワイナリーの見学の後は楽しみにしていた試飲に移ります。昨年は安曇野のワイナリーと北海道の池田町のワイン城にも行きましたが、コロナのために試飲することは出来ませんでした。ここでは9種類のワインの試飲が楽しめました。結果としては最初に飲んだナイアガラ種の甘口の白ワインを購入しました。4本以上買うと送料が無料になるのも嬉しいです。手続きしている間に妻は酔い覚ましにジェラートまで食べています。ほろ酔い気分でバスに乗ると眠くなってきますが、40分ほどで「總持寺祖院」に到着します。ここへ来るまで知識が無かったのですが、横浜の鶴見にある總持寺の大本であると知りました。また回廊でつながれた伽藍は素晴らしく、案内人の方の説明や住職の独協で焼香させていただいたのも良い経験になりました。なるほど見学と参拝で1時間かかると思いました。さらにバスに乗って午前中最後の「能登長寿大仏」に向かいます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス ANAグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • ツアー2日目の朝です。部屋からは昨晩食事をした炉端焼きの「もちのき亭」の建物が見えました。ここも伝統的な能登瓦がきれいです。

    ツアー2日目の朝です。部屋からは昨晩食事をした炉端焼きの「もちのき亭」の建物が見えました。ここも伝統的な能登瓦がきれいです。

  • 午前6時になると霞んだ空に太陽が昇ってきました。クロアチアのナイーブアートのような雰囲気です。そう見えたのは窓ガラス越しだったからかもしれません。

    午前6時になると霞んだ空に太陽が昇ってきました。クロアチアのナイーブアートのような雰囲気です。そう見えたのは窓ガラス越しだったからかもしれません。

  • ホテルからの景色は特に良いわけではないのですが、霧がかかっていて余計なものも見えず幻想的な雰囲気ではありました。

    ホテルからの景色は特に良いわけではないのですが、霧がかかっていて余計なものも見えず幻想的な雰囲気ではありました。

  • 入口脇にあったポストに両親宛の絵葉書を投函しました。今回はイラストの絵葉書シリーズで送りました。

    入口脇にあったポストに両親宛の絵葉書を投函しました。今回はイラストの絵葉書シリーズで送りました。

  • こんな看板があったので遊歩道があるようですが、フロントに「クマ注意!」と書かれてあったので散歩はしませんでした。「クマいるんですか?」と尋ねると「もう春ですからね。」と。

    こんな看板があったので遊歩道があるようですが、フロントに「クマ注意!」と書かれてあったので散歩はしませんでした。「クマいるんですか?」と尋ねると「もう春ですからね。」と。

  • 能登半島の温泉みたいなものを期待するとがっかりするかもしれません。スタッフの方も親切でよい滞在でしたが、旅行会社はちゃんとインフォメーションしたほうが良いと思います。ちなみに客室のある2階3階へ行くには階段しかありません。

    能登半島の温泉みたいなものを期待するとがっかりするかもしれません。スタッフの方も親切でよい滞在でしたが、旅行会社はちゃんとインフォメーションしたほうが良いと思います。ちなみに客室のある2階3階へ行くには階段しかありません。

  • ホテルの敷地内はツバキの木がたくさん植えられていて、ちょうど花が咲き誇っていました。

    ホテルの敷地内はツバキの木がたくさん植えられていて、ちょうど花が咲き誇っていました。

  • 午前7時に朝ご飯がスタートです。午前8時には出発ですから時間はあまりありません。1階の宴会場でセットのメニューです。

    午前7時に朝ご飯がスタートです。午前8時には出発ですから時間はあまりありません。1階の宴会場でセットのメニューです。

  • お出汁の湯豆腐は熱々です。

    お出汁の湯豆腐は熱々です。

  • 九十九湾のイカ刺しも美味しかったです。これだけでご飯が1杯いただけます。

    九十九湾のイカ刺しも美味しかったです。これだけでご飯が1杯いただけます。

  • 料理はどれも美味しく、ご飯もおかわりしました。

    料理はどれも美味しく、ご飯もおかわりしました。

  • 大広間はずいぶんと立派でした。宴会場は1階だったので妻はもう部屋には戻りませんでした。荷物を取りに戻って、午前8時にホテルを出発しました。

    大広間はずいぶんと立派でした。宴会場は1階だったので妻はもう部屋には戻りませんでした。荷物を取りに戻って、午前8時にホテルを出発しました。

  • 2日目の座席は残念ながら海とは反対側になる右側でした。ただ、景色が良いのは「のとワイン」のワイナリーに行くまでぐらいでした。

    2日目の座席は残念ながら海とは反対側になる右側でした。ただ、景色が良いのは「のとワイン」のワイナリーに行くまでぐらいでした。

  • 我々の後ろの席が1列空いていたので、移動しながら写真を撮ることは出来ました。

    我々の後ろの席が1列空いていたので、移動しながら写真を撮ることは出来ました。

  • 珠洲市は1954年に3町6か村が合併して出来ましたが、1950年をピークに人口は減り続け、本州にある市の中で最も人口が少ないと昨日のガイドさんが言っていたことを思い出します。地元の若者は金沢や富山に出てしまうそうですが、道路沿いにある建物はどこも立派でした。

    珠洲市は1954年に3町6か村が合併して出来ましたが、1950年をピークに人口は減り続け、本州にある市の中で最も人口が少ないと昨日のガイドさんが言っていたことを思い出します。地元の若者は金沢や富山に出てしまうそうですが、道路沿いにある建物はどこも立派でした。

  • 午前9時前に「のとワイン」のワイナリーに到着しました。このところのコロナ禍で昨年行った安曇野ワイナリーも池田町のワイン城も試飲が出来ませんでしたが、今回は大丈夫なようです。

    午前9時前に「のとワイン」のワイナリーに到着しました。このところのコロナ禍で昨年行った安曇野ワイナリーも池田町のワイン城も試飲が出来ませんでしたが、今回は大丈夫なようです。

  • 2006年に始めた能登のワイン造りは、葡萄栽培もワイン醸造もすべてイチからのスタートだったそうです。過疎が進む地域社会をワイン造りという産業で元気にしたいという理念も素晴らしいと思います。

    2006年に始めた能登のワイン造りは、葡萄栽培もワイン醸造もすべてイチからのスタートだったそうです。過疎が進む地域社会をワイン造りという産業で元気にしたいという理念も素晴らしいと思います。

  • 我々を迎えてくれたスタッフの方の説明だと敷地は東京ドーム6.5個分にも及ぶそうです。「私は東京ドームには行ったことありませんが。」とおっしゃっていました。

    我々を迎えてくれたスタッフの方の説明だと敷地は東京ドーム6.5個分にも及ぶそうです。「私は東京ドームには行ったことありませんが。」とおっしゃっていました。

  • ホームページにも紹介されていた向井さんという方の説明はとても流暢で面白かったです。工場内に入って見学は続きます。10本並んだタンクにはそれぞれ14,000本分のワインが入っているそうです。14万本分のワインのそのほとんどが石川県内で消費されることが多く、他府県には出回らないそうです。東京だと「いしかわ百万石物語 江戸本店」で購入できるそうです。

    ホームページにも紹介されていた向井さんという方の説明はとても流暢で面白かったです。工場内に入って見学は続きます。10本並んだタンクにはそれぞれ14,000本分のワインが入っているそうです。14万本分のワインのそのほとんどが石川県内で消費されることが多く、他府県には出回らないそうです。東京だと「いしかわ百万石物語 江戸本店」で購入できるそうです。

  • 水平空気圧式圧搾機で葡萄の果実を搾るそうです。空気圧式圧搾機は両端が閉じた大きなシリンダーからなり、この中にブドウを入れます。圧搾するために大きな空気袋を膨らまして間にあるブドウに均等に圧力をかけます。シリンダーを回転させることによりブドウにかかる圧力を均等にするそうです。

    水平空気圧式圧搾機で葡萄の果実を搾るそうです。空気圧式圧搾機は両端が閉じた大きなシリンダーからなり、この中にブドウを入れます。圧搾するために大きな空気袋を膨らまして間にあるブドウに均等に圧力をかけます。シリンダーを回転させることによりブドウにかかる圧力を均等にするそうです。

  • 工場には別の倉庫があり、フレンチ・オークの樽に特別なブドウで造られたワインが貯蔵されているそうです。オーク樽に入れる理由は赤ワイン特有の渋みや香りをつけるのが理由だそうです。

    工場には別の倉庫があり、フレンチ・オークの樽に特別なブドウで造られたワインが貯蔵されているそうです。オーク樽に入れる理由は赤ワイン特有の渋みや香りをつけるのが理由だそうです。

  • オーク樽には仕込んだ日付が入っていますが、1リットル以上のお酒を仕込んだ時点で酒税がかかるためだそうです。

    オーク樽には仕込んだ日付が入っていますが、1リットル以上のお酒を仕込んだ時点で酒税がかかるためだそうです。

  • 最後に白ワイン3種類とロゼワイン2種類と赤ワイン4種類の試飲が出来ました。最初に飲んだ「2020のとわいんブラン」はナイアガラ種の甘口だったので、それ以降の味が渋くなってしまいました。札幌の「白い恋人パーク」限定販売のナイアガラ種のワインが好評だったのでお土産も含めて5本送ることにしました。4本以上購入すると送料が無料になるのが嬉しいです。

    最後に白ワイン3種類とロゼワイン2種類と赤ワイン4種類の試飲が出来ました。最初に飲んだ「2020のとわいんブラン」はナイアガラ種の甘口だったので、それ以降の味が渋くなってしまいました。札幌の「白い恋人パーク」限定販売のナイアガラ種のワインが好評だったのでお土産も含めて5本送ることにしました。4本以上購入すると送料が無料になるのが嬉しいです。

  • 妻はワインを9種類試飲してすっかりいい気分です。ワインの発送とお勘定を終えて振り向いたら、酔い覚ましにジェラートを食べていました。

    妻はワインを9種類試飲してすっかりいい気分です。ワインの発送とお勘定を終えて振り向いたら、酔い覚ましにジェラートを食べていました。

  • 能登のもったいないジェラートは能登の生乳とワインの製造で生じたブドウの果皮で作られたものです。SDGs(持続可能な開発目標)的な取り組みには投資もしているのでわずかでも応援したいと思います。<br />のとワインのSDGs:https://notowine.com/?mode=f19

    能登のもったいないジェラートは能登の生乳とワインの製造で生じたブドウの果皮で作られたものです。SDGs(持続可能な開発目標)的な取り組みには投資もしているのでわずかでも応援したいと思います。
    のとワインのSDGs:https://notowine.com/?mode=f19

  • 妻と一緒に行ったフランスのロワール渓谷のブドウ畑で摘み残されたブドウを拾い食いしたことを思い出しました。スイスのレマン湖の北側に広がるレヴォ―の小さな村を巡る旅もコロナのために計画途中になっています。

    妻と一緒に行ったフランスのロワール渓谷のブドウ畑で摘み残されたブドウを拾い食いしたことを思い出しました。スイスのレマン湖の北側に広がるレヴォ―の小さな村を巡る旅もコロナのために計画途中になっています。

  • すっかりいい気分でせっかくいただいたパンフレットや宅急便の送り状までどこかで落としてきてしまいました。

    すっかりいい気分でせっかくいただいたパンフレットや宅急便の送り状までどこかで落としてきてしまいました。

  • 紹興酒を飲みに紹興へ行ったり、ポルトガルのポルトやスペインのへレス、シチリア島のマルサラや北イタリアのバッサーノにも行きましたが、次にそこのお酒を飲むと旅した思い出が蘇ってくるので良い経験だと思います。

    紹興酒を飲みに紹興へ行ったり、ポルトガルのポルトやスペインのへレス、シチリア島のマルサラや北イタリアのバッサーノにも行きましたが、次にそこのお酒を飲むと旅した思い出が蘇ってくるので良い経験だと思います。

  • 「のとワイン」からはまたしばらくバスに乗って移動になりますが、ポカポカ暖かくて眠くなってきます。

    「のとワイン」からはまたしばらくバスに乗って移動になりますが、ポカポカ暖かくて眠くなってきます。

  • 到着したのは「大本山總持寺祖院」です。駐車場からしばらく歩くことになりますが、ここで約1時間の参拝になります。ちょっと長すぎないかと思いましたが、立派な伽藍に驚かされました。ここでも案内人の方の説明によって参拝と見学を進めます。<br />

    到着したのは「大本山總持寺祖院」です。駐車場からしばらく歩くことになりますが、ここで約1時間の参拝になります。ちょっと長すぎないかと思いましたが、立派な伽藍に驚かされました。ここでも案内人の方の説明によって参拝と見学を進めます。

  • 大本山總持寺祖院は正しくは諸嶽山總持寺と言い、今から700年前の元亨元年の1321年に瑩山紹瑾禅師によって開創されました。翌元亨2年に夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められます。

    大本山總持寺祖院は正しくは諸嶽山總持寺と言い、今から700年前の元亨元年の1321年に瑩山紹瑾禅師によって開創されました。翌元亨2年に夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められます。

  • その後は隆盛を極め全国にその末寺16,000余を数えるに至りましたが、明治31年4月13日に災禍により七堂伽藍の大部分を焼失しました。 これを機に布教伝道の中心を神奈川県横浜市鶴見に移しました。 これで横浜の總持寺との謎が解けました。

    その後は隆盛を極め全国にその末寺16,000余を数えるに至りましたが、明治31年4月13日に災禍により七堂伽藍の大部分を焼失しました。 これを機に布教伝道の中心を神奈川県横浜市鶴見に移しました。 これで横浜の總持寺との謎が解けました。

  • とても大きな伽藍にもかかわらず参拝に来ているのは我々24名くらいで、見学の終わりころに別のツアーの方が8名いらっしゃったくらいです。羽田空港から一緒の便だった同じトラピックス社の別のツアーの方でした。

    とても大きな伽藍にもかかわらず参拝に来ているのは我々24名くらいで、見学の終わりころに別のツアーの方が8名いらっしゃったくらいです。羽田空港から一緒の便だった同じトラピックス社の別のツアーの方でした。

  • 古刹には古い郵便ポストが良く似合います。

    古刹には古い郵便ポストが良く似合います。

  • 案内人の方によるとこの「芳春院」は「總持寺」とは関係が無いそうです。戦国大名の前田利家の正室まつの戒名「芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼」の名の通り、まつと縁のある寺院だそうです。墓所は金沢市の歴代前田家一族が眠る野田山墓地で、京都の大徳寺塔頭の芳春院にも分骨されているそうです。

    案内人の方によるとこの「芳春院」は「總持寺」とは関係が無いそうです。戦国大名の前田利家の正室まつの戒名「芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼」の名の通り、まつと縁のある寺院だそうです。墓所は金沢市の歴代前田家一族が眠る野田山墓地で、京都の大徳寺塔頭の芳春院にも分骨されているそうです。

  • まずは「経蔵」の見学です。この建物は明治の火災で延焼を免れた数少ない建物の1つで建造は寛保3年の1743年です。<br />

    まずは「経蔵」の見学です。この建物は明治の火災で延焼を免れた数少ない建物の1つで建造は寛保3年の1743年です。

  • 案内人の方の説明では京都東山の銀閣寺に似ているとのことでした。同じ臨済宗なので1700年代に関係があったのかもしれません。銀閣の観音殿では2層のうちの1階が書院造りで、2階は禅宗様になっています。この経蔵では禅宗様の「花頭窓」は1階ですが似たようなバランスを感じます。屋根は同じ宝形造りで、薄板を用いた柿(こけら)葺きが施されています。屋頂には銅製の鳳凰と宝珠の違いはありますが、雰囲気は確かに似ていると思います。

    案内人の方の説明では京都東山の銀閣寺に似ているとのことでした。同じ臨済宗なので1700年代に関係があったのかもしれません。銀閣の観音殿では2層のうちの1階が書院造りで、2階は禅宗様になっています。この経蔵では禅宗様の「花頭窓」は1階ですが似たようなバランスを感じます。屋根は同じ宝形造りで、薄板を用いた柿(こけら)葺きが施されています。屋頂には銅製の鳳凰と宝珠の違いはありますが、雰囲気は確かに似ていると思います。

  • 「経蔵」の中には八角形の柱状のものが納められています。これは経典を収めた「輪蔵(りんぞう)」と呼ばれる本棚のようなものです。よく見ると四角い抽斗(ひきだし)がいくつも並んでいて、ここに334巻もの経典が収められているそうです。

    「経蔵」の中には八角形の柱状のものが納められています。これは経典を収めた「輪蔵(りんぞう)」と呼ばれる本棚のようなものです。よく見ると四角い抽斗(ひきだし)がいくつも並んでいて、ここに334巻もの経典が収められているそうです。

  • そして全体が回転する構造になっています。1周回転させると334の経典全部を読んだことになります。これはチベット仏教に見られる「摩尼(マニ)車」と同じものです。「摩尼車」は円筒形の部分が回る構造になっている仏具で、その側面にはマントラが刻まれ、内部にはロール状の経文や真言が納められています。手に持てる小さなものから10メートルを超えるような大きなものまであります。

    そして全体が回転する構造になっています。1周回転させると334の経典全部を読んだことになります。これはチベット仏教に見られる「摩尼(マニ)車」と同じものです。「摩尼車」は円筒形の部分が回る構造になっている仏具で、その側面にはマントラが刻まれ、内部にはロール状の経文や真言が納められています。手に持てる小さなものから10メートルを超えるような大きなものまであります。

  • 白い円形の紋は加賀梅鉢紋で加賀の前田家の家紋です。この「経蔵」は加賀藩6代目藩主の前田吉徳(よしのり)によって建てられたものです。その建てられ方も尋常ではなく、まず輪蔵を大阪で造って一旦解体し、それを北前船で運んできてこの地で能登の建具師によって再構築しています。建物の方も金沢と能登の宮大工たちの手によって建築されています。

    白い円形の紋は加賀梅鉢紋で加賀の前田家の家紋です。この「経蔵」は加賀藩6代目藩主の前田吉徳(よしのり)によって建てられたものです。その建てられ方も尋常ではなく、まず輪蔵を大阪で造って一旦解体し、それを北前船で運んできてこの地で能登の建具師によって再構築しています。建物の方も金沢と能登の宮大工たちの手によって建築されています。

  • 傅大士は中国南北朝時代の斉の在俗仏教者です。大蔵経閲覧の便を図って転輪蔵を考案したとされる人物です。そのためにこの経蔵に安置されているのだと思います。右手の立て方はキリスト教では人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))でイエス(ΙC)を表します。この印相(いんぞう)が何を意味するのかは分かりません。

    傅大士は中国南北朝時代の斉の在俗仏教者です。大蔵経閲覧の便を図って転輪蔵を考案したとされる人物です。そのためにこの経蔵に安置されているのだと思います。右手の立て方はキリスト教では人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))でイエス(ΙC)を表します。この印相(いんぞう)が何を意味するのかは分かりません。

  • 続いて「山門」の見学に移ります。赤い橋は「白字橋」という名前でした。

    続いて「山門」の見学に移ります。赤い橋は「白字橋」という名前でした。

  • 境内の中央に威容を誇るこの「山門」は総欅造りで、高さ17.4メートル、間口20メートル、奥行14.4メートルで昭和7年に完成し、楼上には観音菩薩、五百羅漢の古仏を祀ってあるそうです。

    境内の中央に威容を誇るこの「山門」は総欅造りで、高さ17.4メートル、間口20メートル、奥行14.4メートルで昭和7年に完成し、楼上には観音菩薩、五百羅漢の古仏を祀ってあるそうです。

  • 正面には畳1枚もある大きな「諸嶽山(しょがくさん)」の扁額が掲げられますが、前田利為公の筆によるものだそうです。旧加賀藩主前田本家第16代当主(侯爵)で、明治に生まれた方なので、この山門のために書かれたのだと思います。

    正面には畳1枚もある大きな「諸嶽山(しょがくさん)」の扁額が掲げられますが、前田利為公の筆によるものだそうです。旧加賀藩主前田本家第16代当主(侯爵)で、明治に生まれた方なので、この山門のために書かれたのだと思います。

  • この「山門」は昨年まで修理の囲いで覆われていたそうで、美しい姿を見ることが出来てよかったです。

    この「山門」は昨年まで修理の囲いで覆われていたそうで、美しい姿を見ることが出来てよかったです。

  • 平成26年3月に大祖堂修復工事が完了して、 内部も拝観できるようになったそうです。

    平成26年3月に大祖堂修復工事が完了して、 内部も拝観できるようになったそうです。

  • 「山門」の下で案内人の方の説明を聞きながら、組み物の美しさに感嘆しました。

    「山門」の下で案内人の方の説明を聞きながら、組み物の美しさに感嘆しました。

  • 3間3戸2階二重門で入母屋造桟瓦葺で、2層ともに尾垂木付三手先詰組とし、上層は二軒扇垂木で下層は二軒繁垂木が美しいです。下層は開放的で扉口袖と内法貫に植物文様を施されています。

    3間3戸2階二重門で入母屋造桟瓦葺で、2層ともに尾垂木付三手先詰組とし、上層は二軒扇垂木で下層は二軒繁垂木が美しいです。下層は開放的で扉口袖と内法貫に植物文様を施されています。

  • 山門から続く回廊を大正元年に再建された「仏殿」へと進みます。

    山門から続く回廊を大正元年に再建された「仏殿」へと進みます。

  • 「法堂(大祖堂)」の正面を通過します。

    「法堂(大祖堂)」の正面を通過します。

  • 総欅造りの大伽藍で、中央の唐破風(からはふ)をいただき、32弁の菊の御紋の付いた扉は天皇陛下が来られる時くらいしか開かれることは無いそうです。

    総欅造りの大伽藍で、中央の唐破風(からはふ)をいただき、32弁の菊の御紋の付いた扉は天皇陛下が来られる時くらいしか開かれることは無いそうです。

  • 「雲版」は禅宗寺院で合図のために打ち鳴らす器具で、朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。輪郭を雲形につくるところからこの雲版という名がついています。

    「雲版」は禅宗寺院で合図のために打ち鳴らす器具で、朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。輪郭を雲形につくるところからこの雲版という名がついています。

  • 「仏殿」にも山号の諸嶽山(しょがくさん)の扁額が掲げられています。

    「仏殿」にも山号の諸嶽山(しょがくさん)の扁額が掲げられています。

  • この建物も大正元年に再建されました。開口20メートル、奥行16.3メートルの大きな建物であり、正面には御本尊釈迦牟尼如来、右に大権修理菩薩、左に達磨大師が祀られています。

    この建物も大正元年に再建されました。開口20メートル、奥行16.3メートルの大きな建物であり、正面には御本尊釈迦牟尼如来、右に大権修理菩薩、左に達磨大師が祀られています。

  • 御本尊の釈迦牟尼如来です。釈迦如来(しゃかにょらい)とは、歴史的に実在した仏陀であり、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を尊ぶ呼び名です。

    御本尊の釈迦牟尼如来です。釈迦如来(しゃかにょらい)とは、歴史的に実在した仏陀であり、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を尊ぶ呼び名です。

  • 大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)は、禅宗、特に曹洞宗寺院で尊重され祀られる尊格です。唐時代の帝王の服装をまとっている姿で表されます。

    大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)は、禅宗、特に曹洞宗寺院で尊重され祀られる尊格です。唐時代の帝王の服装をまとっている姿で表されます。

  • 達磨大師は中国の禅宗の始祖とされます。南インド香至国の王子で6世紀のはじめ中国に渡り、嵩山の少林寺で面壁坐禅して悟りを得たといわれます。梁の武帝との対論や没後のインド帰国など多くの有名な伝説があります。この像は誰かに似ていると思いましたが、俳優の前田吟さんの顔が浮かびました。

    達磨大師は中国の禅宗の始祖とされます。南インド香至国の王子で6世紀のはじめ中国に渡り、嵩山の少林寺で面壁坐禅して悟りを得たといわれます。梁の武帝との対論や没後のインド帰国など多くの有名な伝説があります。この像は誰かに似ていると思いましたが、俳優の前田吟さんの顔が浮かびました。

  • 客殿を兼ねた相見の間の奥にある書は、右側から「鉄樹 抽枝 石樹 開花」と書かれてあります。「鉄樹枝を抽(ぬき)んじ石樹花を開く」は禅の言葉で、山岡鉄舟が總持寺で書いたものです。山岡鉄舟は本名を高歩(たかゆき)で、通称が鉄太郎であるから鉄舟と号し、剣と禅と書の達人です。勝海舟と高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称されています。

    客殿を兼ねた相見の間の奥にある書は、右側から「鉄樹 抽枝 石樹 開花」と書かれてあります。「鉄樹枝を抽(ぬき)んじ石樹花を開く」は禅の言葉で、山岡鉄舟が總持寺で書いたものです。山岡鉄舟は本名を高歩(たかゆき)で、通称が鉄太郎であるから鉄舟と号し、剣と禅と書の達人です。勝海舟と高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称されています。

  • 「法堂(大祖堂)」の中に入りました。外観からは感じられない荘厳な雰囲気です。せっかくの雰囲気が安っぽい和傘で台無しです。これは「wagasairo和傘×回廊」というイベントのようですが、法堂には置かない方が良いです。

    「法堂(大祖堂)」の中に入りました。外観からは感じられない荘厳な雰囲気です。せっかくの雰囲気が安っぽい和傘で台無しです。これは「wagasairo和傘×回廊」というイベントのようですが、法堂には置かない方が良いです。

  • 正面から参拝させていただきます。天蓋(てんがい)は古くはインドにおける日除け(日傘)がその原型とされます。導師が立つ位置の天井から吊り下げられるものを「人天蓋(にんてんがい)」、仏像の上にあるものを「仏天蓋(ぶってんがい)」と呼びます。瓔珞(ようらく)や幢幡(どうばん)といわれる装飾が施されています。

    正面から参拝させていただきます。天蓋(てんがい)は古くはインドにおける日除け(日傘)がその原型とされます。導師が立つ位置の天井から吊り下げられるものを「人天蓋(にんてんがい)」、仏像の上にあるものを「仏天蓋(ぶってんがい)」と呼びます。瓔珞(ようらく)や幢幡(どうばん)といわれる装飾が施されています。

  • 正面には開祖瑩山禅師と左右に道元禅師と二祖峨山禅師を祀り、左殿に本山守護神、三宝大荒神と總持寺の前身諸嶽寺住職定賢律師を祀っています。

    正面には開祖瑩山禅師と左右に道元禅師と二祖峨山禅師を祀り、左殿に本山守護神、三宝大荒神と總持寺の前身諸嶽寺住職定賢律師を祀っています。

  • 欄間には山形県の名工である高山富十親子2代が御開山瑩山紹瑾禅師の生涯を20年かけて彫り上げた「瑩山紹瑾禅師透かし彫り欄間一代記」が納められています。右から16枚が父親で、残り4枚が息子の作品だそうですが、出来栄えに違いは感じられません。

    欄間には山形県の名工である高山富十親子2代が御開山瑩山紹瑾禅師の生涯を20年かけて彫り上げた「瑩山紹瑾禅師透かし彫り欄間一代記」が納められています。右から16枚が父親で、残り4枚が息子の作品だそうですが、出来栄えに違いは感じられません。

  • 文永元年の1264年に越前の国の多禰邑の豪族瓜生邸にて生を受け、熱心な観音信者の母に育てられた瑩山禅師は幼少のころより信仰心に目覚め、わずか8才にして出家の志を発します。

    文永元年の1264年に越前の国の多禰邑の豪族瓜生邸にて生を受け、熱心な観音信者の母に育てられた瑩山禅師は幼少のころより信仰心に目覚め、わずか8才にして出家の志を発します。

  • ただひたすらに仏法の真意を求めて弁道に励んだ禅師は、のちに總持寺をはじめとした数ヶ寺の建立とともに多くの優秀な弟子を輩出し、衆生と信仰との橋渡しとなります。

    ただひたすらに仏法の真意を求めて弁道に励んだ禅師は、のちに總持寺をはじめとした数ヶ寺の建立とともに多くの優秀な弟子を輩出し、衆生と信仰との橋渡しとなります。

  • 「放光堂」は大祖堂に延長12メートルの廊下でつながっています。西面する3間堂で軒唐破風付の入母屋造桟瓦葺の建物です。内部は奥行3間を外陣、その奥2間を内陣とします。ここでドイツ人の住職による秘仏の参拝が行われました。

    「放光堂」は大祖堂に延長12メートルの廊下でつながっています。西面する3間堂で軒唐破風付の入母屋造桟瓦葺の建物です。内部は奥行3間を外陣、その奥2間を内陣とします。ここでドイツ人の住職による秘仏の参拝が行われました。

  • 最初はマスクをされているので気が付かないほど日本語も流暢です。日本に来られて11年とおっしゃっていました。住職の読経でお焼香させていただきます。

    最初はマスクをされているので気が付かないほど日本語も流暢です。日本に来られて11年とおっしゃっていました。住職の読経でお焼香させていただきます。

  • 一昨年母も亡くなり、海外にも行けないので日本各地のお寺で仏様に手を合わせることが多くなった気がします。一応秘仏の特別参拝ということになっています。

    一昨年母も亡くなり、海外にも行けないので日本各地のお寺で仏様に手を合わせることが多くなった気がします。一応秘仏の特別参拝ということになっています。

  • 「放光堂」は納骨供養の場所でもあるので、外陣には十王(じゅうおう)の像が置かれてありました。

    「放光堂」は納骨供養の場所でもあるので、外陣には十王(じゅうおう)の像が置かれてありました。

  • 人間を初めとする全ての衆生はよほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日 -から七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることとなるという信仰があります。

    人間を初めとする全ての衆生はよほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日 -から七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることとなるという信仰があります。

  • 生前に十王を祀れば死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、これを「預修」と呼びます。十王は死者の罪の多寡を鑑み、地獄へ送ったり六道への輪廻を司るなどの職掌を持つために畏怖の対象となりました。

    生前に十王を祀れば死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、これを「預修」と呼びます。十王は死者の罪の多寡を鑑み、地獄へ送ったり六道への輪廻を司るなどの職掌を持つために畏怖の対象となりました。

  • 俗に閻魔王に対する信仰ととられる場合もありますが、閻魔王以外の諸王の知名度が低いせいであると考えられます。母と最後に旅した佐渡島の長谷寺で十王像を見たことを思い出しました。

    俗に閻魔王に対する信仰ととられる場合もありますが、閻魔王以外の諸王の知名度が低いせいであると考えられます。母と最後に旅した佐渡島の長谷寺で十王像を見たことを思い出しました。

  • 没して後に七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で1回ずつ審理を担当します。7回の審理で決まらない場合は、追加の審理が3回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となります。ただし、7回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質は救済処置です。

    没して後に七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で1回ずつ審理を担当します。7回の審理で決まらない場合は、追加の審理が3回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となります。ただし、7回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質は救済処置です。

  • 今年は母の三回忌なので五道転輪王を探しましたが、順番を考えると最初に座った堂の左手前の頭上にいらしたようです。かなり傷みがひどい状態なので名前のプレートもかなり抜けています。

    今年は母の三回忌なので五道転輪王を探しましたが、順番を考えると最初に座った堂の左手前の頭上にいらしたようです。かなり傷みがひどい状態なので名前のプレートもかなり抜けています。

  • 日本では十王信仰が持ち込まれた事で他界についての情報が飛躍的に増えます。旧来は古事記に見られるあいまいな黄泉国の他界観だけで、漠然と死後行くだけの世界でした。死した後の世界を詳細に定義付けた地獄の他界観は、道教と儒教の影響を色濃く受けた1人1人の人に対し厳しいものです。末法思想が流行った当時は他界観がクローズアップされ、明確な情報をもった仏教的他界である地獄が広く受け入れられる結果となったようです。

    日本では十王信仰が持ち込まれた事で他界についての情報が飛躍的に増えます。旧来は古事記に見られるあいまいな黄泉国の他界観だけで、漠然と死後行くだけの世界でした。死した後の世界を詳細に定義付けた地獄の他界観は、道教と儒教の影響を色濃く受けた1人1人の人に対し厳しいものです。末法思想が流行った当時は他界観がクローズアップされ、明確な情報をもった仏教的他界である地獄が広く受け入れられる結果となったようです。

  • 円窓や虹梁、出組や蟇股の装飾的な正面には唐破風まで備えられています。明治の能登の宮大工の力を感じる伽藍だと感じます。

    円窓や虹梁、出組や蟇股の装飾的な正面には唐破風まで備えられています。明治の能登の宮大工の力を感じる伽藍だと感じます。

  • 続く「伝燈院」は明治の大火を免れた数少ない建物の1つです。開祖である瑩山紹瑾の霊廟で、元禄6年の1693年の建立ですが、文政5年の1822年に再建されています。

    続く「伝燈院」は明治の大火を免れた数少ない建物の1つです。開祖である瑩山紹瑾の霊廟で、元禄6年の1693年の建立ですが、文政5年の1822年に再建されています。

  • 本山が横浜の鶴見に移転してもここが祖廟であるということの証と言えます。

    本山が横浜の鶴見に移転してもここが祖廟であるということの証と言えます。

  • じっくり見学したら1時間は必要だと感じました。

    じっくり見学したら1時間は必要だと感じました。

  • 最後に「僧堂」の見学に移ります。花頭窓(かとうまど)の前に梅の低木があり、ちょうど満開の花をつけていました。

    最後に「僧堂」の見学に移ります。花頭窓(かとうまど)の前に梅の低木があり、ちょうど満開の花をつけていました。

  • 回廊にも傘が置かれてありましたが、せいぜいこれくらいにしたほうが良いと感じます。

    回廊にも傘が置かれてありましたが、せいぜいこれくらいにしたほうが良いと感じます。

  • 文殊菩薩を祀った「僧堂(座禅堂)」は座禅や食事、就寝する根本道場です。平成19年の2007年の能登半島の地震で倒壊寸前になりますが、2年後に再建されたそうです。今回の旅の前日にも珠洲市では震度4の地震があったことを思い出しました。

    文殊菩薩を祀った「僧堂(座禅堂)」は座禅や食事、就寝する根本道場です。平成19年の2007年の能登半島の地震で倒壊寸前になりますが、2年後に再建されたそうです。今回の旅の前日にも珠洲市では震度4の地震があったことを思い出しました。

  • 曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではなく、坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり悟りの姿と考えられます。壁に向かって座することになります。

    曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではなく、坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり悟りの姿と考えられます。壁に向かって座することになります。

  • 回廊の多い伽藍は冬の寒さを感じます。妻が元気なうちに冬の永平寺にも参拝してみたいと思います。

    回廊の多い伽藍は冬の寒さを感じます。妻が元気なうちに冬の永平寺にも参拝してみたいと思います。

  • 「鐘鼓楼」の前にも薄いピンクの梅が見事に咲いていました。今年は水戸の偕楽園と筑波の梅林に行きましたが、ここ總持寺祖院の梅が一番きれいだったかもしれません。

    「鐘鼓楼」の前にも薄いピンクの梅が見事に咲いていました。今年は水戸の偕楽園と筑波の梅林に行きましたが、ここ總持寺祖院の梅が一番きれいだったかもしれません。

  • 白い椿もきれいに咲いていました。夢野久作の「白椿」のことを久し振りに思い出しました。

    白い椿もきれいに咲いていました。夢野久作の「白椿」のことを久し振りに思い出しました。

  • モノトーンな總持寺祖院には赤い椿より白い椿が似合うなと思いました。

    モノトーンな總持寺祖院には赤い椿より白い椿が似合うなと思いました。

  • ゆっくり売店などを覗いていたらツアーの方の姿は無くなっていました。駐車場が離れているので少し急がないとなりません。

    ゆっくり売店などを覗いていたらツアーの方の姿は無くなっていました。駐車場が離れているので少し急がないとなりません。

  • 門前町には古い建物が数多く残っていました。もっとお土産物屋の並ぶ俗っぽいところかと思いましたが風情があって素晴らしいです。

    門前町には古い建物が数多く残っていました。もっとお土産物屋の並ぶ俗っぽいところかと思いましたが風情があって素晴らしいです。

  • この「旧酒井家」は明治時代に建築された典型的な町家で、当時は「酒井商店」という呉服を扱う商家だったそうです。袖壁(袖卯建そでうだつ)が設けられており、軒裏のベンガラ塗りの腕木(うでぎ)、出桁、鏡板、正面下屋の南側破風(はふ)の繰り型(くりがた)など町家の典型的な意匠が残っています。雪が降っても商売を成り立たせるための通りが必要で、ここにも「雁木(がんぎ)」と呼ばれる屋根付きの通路が見られます。明治の頃はこの辺りはどれほどの雪が積もったのか想像してしまいます。<br />

    この「旧酒井家」は明治時代に建築された典型的な町家で、当時は「酒井商店」という呉服を扱う商家だったそうです。袖壁(袖卯建そでうだつ)が設けられており、軒裏のベンガラ塗りの腕木(うでぎ)、出桁、鏡板、正面下屋の南側破風(はふ)の繰り型(くりがた)など町家の典型的な意匠が残っています。雪が降っても商売を成り立たせるための通りが必要で、ここにも「雁木(がんぎ)」と呼ばれる屋根付きの通路が見られます。明治の頃はこの辺りはどれほどの雪が積もったのか想像してしまいます。

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2022奥能登の旅

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