2022/03/24 - 2022/03/24
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kojikojiさん
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石川県は金沢までしか訪れたことが無く、その先の能登半島は未知の場所でした。金沢から観光バスの1日ツアーで行ってみようかと思ったこともありますが、往復4時間の移動ではいくらも観光できないと思っていました。今回はトラピックスで「のと里山空港」往復で奥能登を巡る3日間のツアーに参加することとしました。3月中であればツアーの代金も39,800円とお手頃だったのも魅力です。結果としては2日間の観光中は天気も良く暖かくて穏やかでしたが、最終日は低気圧による荒天でスケジュールが一変してしまい、最終的には「小松空港」から羽田に戻ることになりました。まずはそんな顛末を知る由も無く、羽田空港から「のと里山空港」へのフライトと、ツアーバスに乗って「白米千枚田」と「垂水の滝」と「すず塩田村」の観光と「長橋食堂」での能登牛尽くしのお昼までの旅行記です。能登半島を輪島から海岸線に沿って「奥能登絶景海道」を時計回りに九十九湾まで移動するため、バスの席からの景色は左側が美しまったです。こればかりは個人で決められないので運を天に任せるしかありません。40人乗りのバスに23名の参加者で、前方と中央と後方の間に1列空けてあったので写真を撮るストレスはありませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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羽田空港には午前8時の集合なので、池袋のメトロポリタンホテルを午前6時40分に出発するリムジンバスを予約してありました。前の旅行の徳島行きでも同じ時間のバスを利用しましたが、2月に比べるとバスは混んでいました。
ホテルメトロポリタン 宿・ホテル
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首都高中央環状線のトンネルを抜けると「東京国際コンテナターミナル」のガントリークレーンが見えてきました。
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「大井車両基地」の新幹線の車両を見ていると東北新幹線の復旧が本当に4月20日になるのかが心配されます。4月17日出発の三陸の旅もすでに予約しています。
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午前7時を過ぎるとすでにどこかへ飛んでいく飛行機も見えます。
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今回のツアーは「のと里山空港」を利用するのでANAの便だとは分かっていました。空港へは午前7時30分には着いていましたが、トラピックスの受付もすぐに始まりました。残念ながら団体の格安チケットはマイレージの積算が出来ませんでした。
羽田空港第2旅客ターミナル 展望デッキ 名所・史跡
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少し時間があるので展望デッキに上がってみました。ANA便とJAL便とAirDoが数分おきに日本各地へ離陸していきます。
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「のと里山空港」行きの便は67Bの搭乗口で、すでに駐機しているこの機体だと分かりました。
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午前8時過ぎでも平日の聖か空港内は空いています。妻は「GOBI]というカシミア製品のショップへ行きたいのですが、時間が早いためにまだオープンしていません。
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出発の30分前になったのでセキュリティを通過しておきます。
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最近の妻はセキュリティを越えた脇にある自動運転車椅子の「WHILL」がお気に入りです。最近足の痛みが取れないようでちょっと心配です。
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67Bの搭乗口までは一番距離があるため自動運転車椅子は便利だと思います。
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今回の座席は右側の3列席でしたが2人だけで使えました。定刻に出発してC滑走路から離陸するようです。
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C滑走路から離陸してそのまま北上するルートでは富士山は一瞬も見えませんでした。東京ゲートブリッジを眺めた後に東京ディズニーランドの上空を通過していきます。
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窓の外はこれと言った目印も無いので関東平野の上空だろうということしか分かりません。モニターのスカイマップを見て、高崎に向かっていると分かりました。
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上越の山々はまだ雪を頂いています。雲もかかっていて山の名前までは分かりませんでした。ただその多くは子供の頃に父に連れられて登ったことがあるはずです。
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こういう特徴的な形状の山は分かりやすくてよいです。草津白根山と山頂の湯釜まで確認できます。昨年の夏の旅で志賀高原から草津温泉に向かってバスで走り抜けたことを思い出します。
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妙高山の姿が見えてくると赤倉スキー場のことをが思い出されます。小学生の頃に朝日新聞社のスキー教室のツアーに1人で行かされたことがありました。初めての1人旅で知らない子供たちと一緒にスキーをするのはドキドキの経験でした。
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そんな感傷に浸る間もなく糸魚川辺りから日本海に抜けて、アップルジュースを飲んでいるうちに能登半島の先端が見えてきました。
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この辺りをこれから1周するのかと思うと景色に見入ってしまいます。
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翼の下から見えてきたのは「見附島」でした。午後に現地のボランティアガイドさんから「上から見ると菱形をしています。」と言われましたが、確かにその通りだと思いました。
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午前10時前に「のと里山空港」に到着しました。ちょうど1時間ほどのフライトでした。
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小さなターミナルビルです。エプロン(搭乗口)も2つしかないようです。年間平均搭乗率が70%未満の場合は、県と地元自治体が航空会社に2億円までの損失補填を行う全国初の「搭乗率保証制度」を導入した空港でもあります。
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空港の東隣には日本航空学園輪島校(日本航空高等学校石川/日本航空大学校)が見えます。航空学園ではYS-11をもともと3機保有していますが、耐空証明を失効していて飛ばすことはできません。4機目の機体は飛行機の修理を手がける企業「エアロラボインターナショナル」が国土交通省でフライトチェッカーとして運用していたYS-11を購入し、修理し飛行可能な状態で香川県の高松空港に駐機してありました。高松空港が民営化されたことにより、飛行可能な機体を解体するしかない状態になっていたところ、この航空学園が受け入れしています。
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この時までは翌々日の朝にここから東京へ帰るものだと思っていました。ツアーは最終日の早朝から迷走をはじめますが、その顛末は後の旅行記で。旅行会社の企画によくある「ミステリーツアー」に参加する気はありませんが、そんな気分になりました。
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ターミナルで今回のツアー参加者23名と東京からの添乗員さん1名が初めて集合しました。かなり年齢層の高いツアーだというのが第1印象です。
のと里山空港 空港
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「のと里山空港」から県道1号線に出ると「お食事処茅葺庵」が見えました。能登半島でも茅葺屋根はもう少ないようでした。石川県道1号七尾輪島線はこの後も何度も使うので良い目印になりました。
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「輪島温泉 ホテルこうしゅうえん」の前を右折して奥能登の観光が始まります。1日目は九十九湾の「のときんぷら」に宿泊しますが2日目はこのホテルに宿泊します。
ホテルこうしゅうえん 宿・ホテル
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最初の観光地は「白米千枚田(しろよねせんまいだ)」です。ここは道の駅にもなっています。
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数が多いので千枚田と呼ばれますが、現地案内板には枚数1004枚と記載されていました。また「狭い田」から「千枚田」に転じたという説もあるようです。最も小さい田の面積は0.2平方メートル程度しかないそうです。
白米千枚田 自然・景勝地
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広大な棚田はベトナムのサパや中国の雲南省や広西省や貴州省を旅していて、いくらでも見ていますが海に面した棚田は初めてです。
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妻は以前にここまで来たことがあるので棚田の中には行かないみたいです。この後道の駅でこの田んぼでとれた「絶景米」で作ったおにぎりを隠れて食べていました。少し貰ったけど、お米も美味しいし塩田の塩も旨味を感じました。
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妻を置いてしばらく棚田の中を歩いてみます。田植えの頃や秋までの棚田はきれいなのだと思いますが、ちょっと殺風景です。そろそろ田植えの準備が始まるようで、作業している方も見掛けました。
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岩に張り付くように残された1本の樹が印象に残りました。海からの強い風の影響でこのような枝振りになったのでしょう。
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ウィーンのベルヴェデーレ宮殿のオーストリア美術館に収蔵されているセガンティーニの「悪しき母親」の木と枝振りが似ていると思いました。
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ここでの見学時間は20分だけなので、これより先に進んでいる余裕はありません。
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まだ寒々しい棚田の景色ですが、天気も良くポカポカ陽気でした。
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バスは棚田の上を通り抜けて先へ進みます。田植えの終わった千枚田も見てみたいと思います。
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3月24日に北朝鮮がICBMを発射したのはこの海の向こうかと思いました。もちろん飛翔体を見ることは出来ませんが、海岸線にはハングル文字の書かれたゴミがたくさん漂着していました。
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北朝鮮による拉致事件の実行犯として国際手配されている辛光洙(シン・グァンス)が日本に最初に不法入国したのは石川県だということを思い出しました。産経新聞の調査によると石川では子供が悪さをすると「悪いことしたら朝鮮に連れていかれるぞ」と言われたそうです。
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能登半島の日本海側の海岸線は岩場が多いそうですが、富山湾側の内海は砂浜が多いそうです。
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遠目には美しい景色ですが、足元を見ると悲しいくらいにゴミが散乱しています。延々と続く海岸線のごみを見ると片づけてもきりがないのだろうと思えます。
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曽々木隧道の古いトンネルの入り口が見えました。江戸時代中期に「能登の親知らず」と呼ばれた難所に海蔵寺の麒麟瑞鱗和尚が道を開き、明治20年に手堀りのトンネルができた場所です。昭和38年にこの曽々木隧道と先にある八世乃洞門が開通して車道が出来ましたが、2007年の能登半島地震で被災しています。
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新しい八世乃洞門新トンネルを抜けたところに「垂水の滝」があります。ここでも10分ほどの見学がありました。
垂水の滝 自然・景勝地
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現地にあった地図でそのロケーションが分かりました。
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波の花遊歩道が設けられていますが、時間が無いので遠目に写真を撮るだけです。「垂水の滝」は山から流れ落ちた水が直接海に注ぐという、日本では珍しい滝です。風の強い日には海からの季節風によって「垂水の滝」の水が霧状になって吹き上げられ、水が落ちてこないという現象がみられ「逆さ滝」とも呼ばれるそうです。
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冬場にはこの海岸周辺で荒れた海の波が岩に砕けて水泡となり、雪のように舞う「波の花」を見ることができるそうです。
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車窓からはいくつもの揚げ浜式塩田が見えました。NHKの朝ドラで有名になった所だけが残っているのかと思いましたが、6か所くらいの塩田があったと思います。
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「すず塩田村」に到着しました。入り口の脇には巨大な「塩釜」が置かれてありました。これは70年使われてきた直径185センチで深さは31センチ、重さは980キロもあるそうです。新しいものが設置されたところは後で見ることが出来ました。
道の駅すず塩田村塩浜市 祭り・イベント
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まずは5分ほどのビデオを見て塩造りの方法を学びました。これを見ていてバリ島の東海岸にあるクサンバの塩造りを思い出しました。塩の造り方はHPに詳しく紹介されています。
奥能登塩田村:https://enden.jp/making_salt/ -
作業場所に出る途中には世界の岩塩が展示してありました。日本では岩塩は採れませんが、こちらはアメリカの岩塩で60センチ角くらいに切り出されています。
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こちらはドイツの岩塩ですが、まるで岩のようです。他にもメキシコの岩塩なども並んでいました。
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表に出ると目の前に塩田が広がっています。1枚の面積は約50坪で165平米あります。手前の「引桶(しこけ)」は汲んだ海水を溜めるための桶で、大きさは直径150センチほどで深さ50センチほどあります。引桶に入る海水は約800リットルで、海水を撒き始めるまでに海岸を10回程度往復しなければなりません。
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「かえ桶(かえおけ)」は海水を汲む時の桶で、1つの容量は約36リットルあります。「肩荷棒(にないぼう)」はかえ桶を担ぐ時に使う桐の丸い棒です。午前5時に塩田の目の前に広がる仁江(にえ)海岸の海水を汲み上げるところから始まります。塩田村のある能登半島の珠洲の海は寒流と暖流が混ざり合い、プランクトンが豊富で潮の流れが速いので海水はキレイな状態だそうです。
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目の前に広がると言ってもこのような岩場の海岸に降りて海水を汲むのですから重労働です。塩造りをしようと入社した若い人が5人ほどいたそうですが、1週間で辞めてしまったそうです。
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薪には最初に火力の強い杉の木で沸騰させ、最後の仕上げには「火が柔らかい」杉の間伐材を使用するそうです。薪を切り出すのも浜士の仕事だそうです。
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蓋を取ると四角形の枡状の枠が現れ、集めた砂を入れる「垂舟(たれふね)」と呼ばれる木製の箱を組み立てます。砂の入った垂舟の上から海水を流し込み、砂に付いている塩の結晶を垂舟下部の溜池に溜めます。その溜まった「かん水」を釜屋まで運んで釜炊きが始まります。
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茅葺き屋根の釜屋(かまや)と呼ばれる小屋の見学に移ります。釜屋は3間(5.4メートル)×4間(7.2メートル)の大きさです。
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薄暗い小屋の中に「かえ桶(かえおけ)」がきれいに並んでいます。
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説明してくれた係りの方はその仕事の厳しさを教えてくださいました。奥に置かれた「胴桶(どうけ)」と呼ばれる巨大な桶は輪島ではもう造ることが出来ないそうです。1人の女性がその跡を継ぐべく四国で3年修行されたそうです。ただ桶屋だけでは生計が成り立たないので「海女」の仕事もされているそうです。女性の方がバイタリティがあるようです。
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先ほどの入り口に置かれてあった「塩釜」の新しいものが据え付けられていました。釜は江戸時代中期までは奥能登の穴水町中居の鋳物師が作成していましたが、その後は富山県高岡市で生産されたものを使用しているそうです。「かん水」を容量約600リットルの釜で塩分濃度24%程度になるまで約6時間煮詰めます。
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荒焚きした「かん水」を1日程度冷まし、竹炭と黒炭と砂が層になった「胴桶」でろ過します。溜まった茶色い海水は荒炊きろ過が終わった状態で、この後に16時間程度煮詰めます。焚き詰めていくと釜の表面にソフトボール程度の塩の山(結晶)が並びはじめます。釜の表面はソフトボールから「八重桜」のような形に変わり、「とんがりボウシ」の形になった時点で火を出します。この時の火加減で出来上がりの味が決まるそうです。
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焚きあがった塩を釜から採り出して「い出場(いでば)」に入れ、4日間寝かせて苦汁(にがり)を切ります。苦汁は「い出場」の底の傾斜路を通って溜まります。
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神棚の「繁栄」の文字は能登地方で正月の縁起物として神棚に飾られる「蓬莱」に近いものです。毎年年末にこれを取り替えて新年を迎えるという風習があります。
奉書に「福寿」や「繁栄」などの文字とおめでたい七福神や干支などを切り絵したものですが、ここでは文字だけでした。「蓬莱」はもともとは農作物のお供えで、米や小豆・銀杏などを幾何学模様に盛ったものを指していたそうです。切り絵の「蓬莱」は翌日行った輪島のレストランで見ることが出来ました。 -
写真を撮っていたら全員が塩田に移動していました。ここまで学んでくるとこの建物の形が塩田で使われる桶をデザインしたのだろうと感じます。
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実際に塩田に海水を撒く作業は気温が高く天気も良い5月以降に行うそうです。
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中国にはこの棒1本で商売する「棒棒(バンバン」という天秤棒を使う荷運び人がいます。坂だらけの重慶で盛んな職業ですが、最盛期には50万人がいたと推定されますが衰退していると聞きます。
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今回の旅では作業を見ることは出来ないので、買い物だけするのかと思っていましたが、シーズンオフでも楽しめることが分かりました。
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「打桶(おちょけ)」と呼ばれる塩田に海水を撒く際に使用する砲弾型の手桶で実演がありました。打桶直径30センチ、長さ60センチの大きさの桶1つで、容量は36リットルほどだそうです。
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「潮汲み3年、潮撒き10年」と言われ、約600リットルの海水を約40分間かけて、均等に撒くそうです。夏期は同じ量を撒くそうです。
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展示室には実際に使用されるレーキのような「細攫え(こまざらえ)」や「柄振(いぶり)」、スコップのような「しっぱつ」や「はね」まで並んでいます。
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そのすべてが木製なのは錆ないためだと思いました。
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最後にお土産で塩を買い求めました。旅に出る前はホームページで高いと思ったものも手順を考えると妥当なのかとも思えました。
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バリ島のクサンバをはじめ、シチリア島のトラーパニやマルタ島でも塩田やその跡を見に行きましたが、「すず塩田村」は面白かったです。
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羽田空港を出てからまだ数時間ですが、ようやくお昼の時間になりました。トラピックス社の案内には「能登牛尽くし」とありましたが、どこで食べるかまでは案内がありませんでした。
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次に行くルート上で食事ができるのは「長橋食堂」と踏んでいたのですが、その通りのようです。海岸に面した駐車場でバスを降ります。
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今回の旅ではどこかで「間垣」を見ることが出来るだろうかと思っていました。「間垣」とは長さ約3メートルのニガ竹を隙間なく並べて作った垣根のことで、集落をぐるりと取り囲み、日本海の強風から家屋を守るものです。調べてみると「間垣(まがき)の里」は、輪島の西にある上大沢町と大沢町の2か所に点在しているようです。
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海岸線にポツンと建つゲストハウスを兼ねた「長橋食堂」です。
小さい港のゲストハウス 宿・ホテル
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既に席には料理が並んでいました。まずは瓶ビールを1本注文します。
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朝早い移動からお疲れさまでした。
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能登牛は出荷頭数も少なく、ほぼ県内でしか流通していないのが現状だそうです。「能登牛尽くし」といっても特に変わった料理があるわけではありませんでした。ローストビーフをつまみにビールが美味しいです。
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妻は「白米千枚田」でおにぎりを食べた罰が当たって、能登牛の握りは4貫ともいただけました。
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すき焼きが一番美味しかったと思います。さすがにご飯のおかわりまではしませんでした。
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アカモクの味噌汁も美味しかったです。
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食事の後は出発まで少し時間があったので港の方に行ってみました。美しい舟小屋が見えました。
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能登に多く自生している杉の木は塩害に強いことから、沿岸部の舟小屋などにも使われており、杉の木を横に張ることで釘穴を隠して雨による浸食を防ぐ効果もあるそうです。 釉薬で黒く塗られた珠洲瓦は太陽の熱をため込むことで雪を溶かし、雪下ろしで屋根に上がる必要がなくなるとのことです。
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防波堤の内側の水も透明で美しかったです。ポカポカ暖かい日だったので飛び込んで泳ぎたいくらいでした。
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現在は美しい海岸線ですが、この長橋海岸は平成9年の1997年にロシア船籍の「ナホトカ号」が島根県の隠岐島沖で沈没した際に流出した油が漂着しました。
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厳冬期の1月に事故が起こったことで、海からの冷たい風が吹き荒れる海岸での回収作業は過酷だったそうです。メディアによって盛んに報じられた三国沖にボランティアが集中し、それ以外の能登半島から鳥取県までの広範囲に及ぶ海岸に重油が漂着していましたがあまり注目されなかったようです。三国沖以外の石川県沿岸自治体では回収に協力したのは地元住民や彼らによって組織された町内会やPTAといった互助組織が中心であったそうです。。
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海岸には「美しい海回復記念碑」が置かれてありました。
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ツアー初日の午後の観光に移ります。
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