2022/03/26 - 2022/03/26
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kojikojiさん
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金沢を午後2時に出発して迷走する我々のツアーは「小松空港」に向かいます。午後に3便あるANAの羽田行きの便はすでに2便が欠航になったようです。添乗員さんは会社と航空会社に連絡しながら最終便を押さえているようです。昔シャモニーへスキーツアーで行ったときに成田空港でエンジントラブルで6時間出発が遅れたことがあります。結果フランクフルトでジュネーブ行きに乗り継げず、空港のシェラトンに泊まることになりました。JTB系のサン&サンという格安ツアーだったので添乗員もいません。翌日カウンターで手続きをしていると他のツアーの方がぞろぞろ後をついてきて、結局全員の手続きをしなければならなくなったことがありました。添乗員さんもトラブルがあると大変な仕事だと思います。「小松空港」に付いた後は先がどうなるか決まっていないので、荷物はバスに置いたままです。最悪飛行機が飛ばない場合はJR富山駅まで送ってもらって解散になります。我々も疲れますがバスの運転手さんも気の毒です。とりあえず1時間後に再集合になり、添乗員さんから「航空プラザ」という施設があることを教えてもらいます。実機が展示してあるというので行ってみることにします。妻を含めほとんどの方が空港に残ったようです。午後4時に再集合しましたが、分かったのは最終便以外の2便が欠航になったことくらいです。しばらく到着ロビーで待機しているうちに出発時間がどんどん遅くなっていきます。東京からの便も天候の状態を確認中で遅れているようです。何とか荷物を預けて搭乗フロアに上がりますが、時間があるのでお土産を物色したり晩御飯を食べたり。東京からの便が出発したという情報でセキュリティを通過しますが、出発時間はどんどん遅れます。そのうちJAL便が欠航になり、福岡からの便は上空で待機しながらも福岡へ戻っていきます。福岡便に乗るはずだった方たちからどよめきが上がります。羽田行きの最終便は何とか離陸しましたが、到着までものすごい揺れでした。迷走した今回のツアーも結果は楽しいツアーになりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
金沢を出てバスは左手に白山の山並みを見ながら空港へ向かいます。
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近いうちに小松空港から金沢へ行く予定を立てっているので所要時間とかを頭に入れておきます。通常であれば新幹線で1本で来るのですが、海外に行けずに貯まったスターアライアンスのマイルを何とかしないとなりません。
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昔シャモニーへスキーツアーで行ったことがありましたが、成田空港でエンジントラブルで6時間出発が遅れたことがあります。結果フランクフルトでジュネーブ行きに乗り継げず、空港のシェラトンに泊まることになりました。JTB系のサン&サンという格安ツアーだったので添乗員もいません。翌日カウンターで手続きをしていると他のツアーの方がぞろぞろ後をついてきて、結局全員の手続きをしなければならなくなったことがあります。そう考えると添乗員さんは大変だと思います。
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「小松空港」に着いても羽田空港への便は定まらず、1時間後に再集合することになります。荷物はバスに置いたままになります。万が一最終便が飛ばない場合はまたバスに乗ってJR富山駅まで行って解散になります。
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添乗員さんから時間の過ごし方として「近くに航空プラザという施設があって本物の飛行機が展示してあります。」と教わったので行ってみることにします。もちろん妻はターミナル内でお買い物です。ツアーの方でここへ来たのは1名だけで、皆さんもうお疲れのようです。
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17機の小型飛行機やジェット戦闘機の実機の展示、航空機の歴史と仕組みを紹介する博物館で、F‐15戦闘機の簡易シミュレーターや全日空で実際に使われていたYS‐11A型のコックピットでの操縦体験も出来るようです。
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「KM-2初等練習機こまどり」
海上自衛隊が運用した対潜哨戒機などのパイロットを養成するための初等訓練で使用する練習機です。日本の航空機メーカー・富士重工業によって製作されました。この機体は1981年に製造され、海上自衛隊小松基地でパイロット養成訓練に使用され、6,100時間飛行して、平成7年に用途廃止になり展示されています。 -
「対潜哨戒ヘリコプターHSS-2Bちどり」
全天候飛行能力を持つアメリカのシコルスキー社製の大型対潜ヘリコプターで。海中にいる潜水艦の捜索と攻撃を続けて行うことが出来ます。主回転翼(メインローター)は全関節式で、艦内への収納が安易になるように自動折りたたみ式になっていて、尾部も折りたためます。 -
水陸両用のため着水も出来るように胴体は艇体構造になっています。この機体は三菱重工業でライセンス生産されたB型で平成7年に海上自衛隊館山航空基地最後に除籍になったものです。
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この機体は内部に入ることが出来ました。内装材が取り払われているので配線や配管がむき出しなのがリアルです。以前ホーチミン市の戦争博物館でアメリカ軍が放置していったUH-1ヘリコプターを見たことを思い出しました。
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操縦席の計器盤の数を見ただけで絶対操縦できないと思いました。1970年に桶川のホンダエアポートに連れて行ってもらい、セスナに乗せてもらったことがあります。開業してすぐの頃でした。副操縦席に座らせてもらいましたが、酔ってしまって降りた途端にゲロを吐いたことと、遠くに岡本太郎のデザインした飛行船が係留されていたのを覚えています。計器盤を見ていたらそんなことを思い出しました。
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「航空プラザ」に入ると手指消毒と検温があって、名前と住所を書き込んで入館が出来ます。入館無料なのが驚きです。やたら子供が多いのは施設の半分が子供用の遊具だからでした。
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「ピッツS-2B(ピッツスペシャル)」
曲技飛行に多く用いられている複葉機で、アメリカ人飛行機設計者カーチス・ピッツの設計で1944年に初飛行しています。1960年代から現在に至るまで曲技飛行の競技会で活躍しています。この機体は元航空自衛官でエアショーパイロットだったロック岩崎の愛機です。自衛官時代はF-15戦闘機で低高度での「ナイフエッジ」飛行を成功させたほか、「横転コルク抜き」という独自の空戦機動を編み出したことでも有名な方です。 -
「T&S GS-80ジャイロプレーン」
福井県の寺井さんという方が自作したジャイロプレーンです。この方は1967年に公開された映画「007は2度死ぬ」を観てジャイロプレーンを始めたそうです。昨年鹿児島を旅したことと今年になって姫路城へ行ったことが思い出されます。 -
「玉虫型飛行器(復元模型)」
二宮忠八(にのみやちゅうはち)は陸軍従軍中の1889年に「飛行器」を考案します。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ3度行ないますが理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指しましたたが完成には至りませんでした。 -
忠八の死から18年後の1954年に英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介しています。
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航空プラザにはたくさんの模型も展示してありました。時間が無いのでほとんどスルーしましたが、1機だけ目に止まったものがあります。フォッカー・DR1戦闘機です。第1次世界大戦中の1917年にドイツ帝国のフォッカー社が製作した3枚翼の戦闘機として有名です。
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撃墜王「レッドバロン」(赤い男爵)ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンも愛用していたことで知られる機体です。以前ブリュッセルの「王立軍事博物館」でレッド・バロン仕様の実機を見たことを思い出します。そして中学生の頃に観たロバート・レッドフォードの「華麗なるヒコーキ野郎」という映画のことも。
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2階の窓から1階の格納庫のようなスペースに並ぶたくさんの機体が見えました。
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奥の方にはジェット戦闘機の姿も見えて興奮します。
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まずは2階の見学を続けます。政府専用機の貴賓室の模型が展示してあります。
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ボーイングB747のこの辺りに1度乗ったことがあります。シャモニーへスキーに行った帰りにジュネーブからミュンヘンを経由して成田に戻るルフトハンザの便での事でした。同じツアーの6人でミュンヘン空港のカウンターで手続きをするとオーバーブッキングで1人だけ席が変わってしまうと言われます。ジャンケンして買った1人だけがビジネスになると思ったら5人がビジネスで1人だけがエコノミーになりました。その時の快適さと共に、こんな眺めだったなと思い出しました。
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フライトシュミレーターも気になりましたが、遊んでいる時間はありません。
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1階に並んでいる実機の見学に移りました。写真に写っていない建物の右手半分は巨大な屋内遊具があるので、子供の賑やかな声が響いています。
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「エバンスVP-1」
この機体は野口さんという方が26歳の時にアメリカのエバンス・エアクラフト社から購入して製作に取り掛かり、6年の歳月を費やして昭和61年の1986年に羽咋市の千里浜海岸で20分の初飛行に成功しました。 -
この日まで9年かかったそうです。機体はアラスカ桧とボード用合板で、主翼と尾翼は布張り仕上げられている他、金属類は航空機企画のものが使用されています。1987年の3回目の飛行を行った後は自宅の倉庫に分解されて保管されていたものが寄贈されたそうです。
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「ピラタス PC-6Bターボポーター」
山国スイスの小さな飛行場でも多目的に使用できるように設計されたSTOL(短距離離着陸)機で、スイスのピラタスが開発しました。機体構造を簡単にするために翼も機体も四角形をしています。 -
この機体は極地研究所が2機輸入して、南極観測に使用したうちの1機です。南極の空で約11年間にわたって観測飛行の任務についたのち、総飛行時間1,757時間で用途廃止になりました。
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山岳地帯や極地での運用評価は高く、標高5,750メートルにあるダウラギリの氷河上への固定翼機高所着陸記録を持っています。
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STOL性に優れていた事か、ベトナム戦争ではエア・アメリカが軽輸送機として使用していた他、末期にはアメリカ空軍がフェアチャイルド製の機体を使用して製造されたAU-23ミニ・ガンシップ機を運用し、タイからの撤退時に同国へ供与されています。
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スイスらしい真っ赤な機体がかっこいいです。
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「OH-6J」
アメリカの航空機メーカー、ヒューズ・ヘリコプターズ社が開発した小型ヘリコプターです。 -
川崎重工業がOH-6Aの日本向けOH-6J及び民間向け369HSをライセンス生産し、1969年(昭和44年)-1979年(昭和54年)まで陸上自衛隊が観測機として117機、海上自衛隊が教育用に3機を導入し、琉球政府厚生局から継承した海上保安庁でも2機を運用しています。
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「ロッキード川崎T-33A」
T-33はアメリカ空軍初の実用ジェット戦闘機P-80から発展した初の複座ジェット練習機です。生産開始から半世紀以上経過した1990年代以降も現役で、日本の航空自衛隊でも1954年から2000年まで運用されていました。 -
航空自衛隊では昭和29年の1954年の創立当初からF-86Fと共にアメリカから68機の供与を受け、翌1955年からは川崎航空機によって210機がライセンス生産されます。計278機が本来目的の乗員育成のみならず、訓練支援や連絡業務、デスクワークパイロットの規定飛行時間維持の為の年次飛行などに広く用いられます。
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この機体は121機目に国産されたもので、岐阜県の各務原市の飛行開発実験団で1995年に用途廃止になったのちにこの航空プラザに納められています。
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ステップを上がるとコクピットも覗けるのが嬉しいです。開閉式の天蓋(キャノピー)とか射出座席 (しゃしゅつざせき)とかどうなっているのか見てみたくなります。
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しかし狭い操縦席です。こんなところに押し込められたくないなと実感します。
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子供の頃には毎年のように埼玉県の入間基地の航空ショーに連れて行ってもらったことを思い出します。
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しかし、実機の見学をする人はほとんどいないのが寂しいです。
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「ロッキード三菱F-104Jスターファイター」
ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機で、愛称はスターファイター です。子供の頃にかっこいいと思ったのはF-86Fスーパーセーバーとこのスターファイターでした。その後F-4ファントムが現れた時は衝撃的でした。 -
細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体にゼネラル・エレクトリック社の強力なJ79型エンジンを一基搭載しています。卓越した高速性と形態はミサイルを連想させ、日本においては「最後の有人戦闘機」とも称されました。
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航空自衛隊はG型を基に日本での要撃任務用途にあわせて火器管制装置などを改良したF-104J、および複座の練習機F-104DJを採用しました。日本にとっては独自で機体選考を実施した最初のジェット戦闘機ともなり、空自では「栄光」という愛称で呼ばれていました。
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三菱重工業がライセンス生産を担当し、細い胴体に極端に小さな主翼という形状から、空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もあったそうです。この機体は三菱重工業で1964年に製造されたもので、宮崎県の基地や沖縄県の那覇基地の所属になります。1985年に原田敬三パイロットに操縦されて日本一周したのを最後に用途廃止になりました。
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「三菱T-2」
日本が初めて開発した超音速機で航空自衛隊では戦闘機の一歩手前の訓練のための高等練習機として用いられました。三菱重工業で生産され1971年に初号機が完成以来96機が製造されています。 -
展示機は63番目に製造された機体で、1986年にブルーインパルスの補充機として曲技飛行用に改修されて全国各地の高級ショーで空中演技を披露します。
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1981年(昭和56年)に一般公募によるT-2によるブルーインパルスのデザイン最終審査が行われ、都立高校の女子高生4人組の案が採用されました。
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機体の特徴としては操縦桿にエルロン(主翼に装備されている補助翼)を使用せず、スロッテッド・スポイラーと呼ばれる抵抗板を左右非対称に作動させる日本独自の技術が取り入れられています。
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エンジンは石川島播磨重工業でライセンス生産したTF40-IHI-801(アドーアMk.801)が搭載されました。
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アドーアは開発後間もないエンジンで頻繁に改良や設計変更が行われたこともあって多くの困難が生じました。日本特有の不具合も発生したことから、石川島播磨重工では、ロールス・ロイスとも協議しながら日本独自の改善策を講じて問題を解決していきます。
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F-104は胴体左右に固定式のショックコーンを備え、超音速飛行に最適化された取り入れ口を持ち、ゼネラル・エレクトリック社J79ターボジェットを搭載しました。
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このエンジンを搭載したF-104は最高速度マッハ2.2に達するに至っていますが、これはアルミニウム機体構造やエンジン流入温度制限によるものであり、推力は最高速度域でもまだ余裕を残していて、耐熱限界を向上させたJ79-GE-19を搭載したイタリア空軍のF-104Sは最高速度マッハ2.4を記録しています。
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「ドルニエ Do28A-1」
西ドイツのドルニエ社で開発され、ドイツ連邦空軍やドイツ連邦海軍航空隊など各国で連絡等多用途任務に運用されている短距離離着陸双発多用途機です。。 -
新しい設計の最もはっきりした特徴は、他では見られない2基のライカミングエンジンが前部胴体の両サイドの短いパイロンに整形された主車輪のショックアブソーバーと共に取り付けられていることです。
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機の機体は昭和37年の1962年に1機だけ輸入され、国連の依頼によりネパール奥地の航空写真測量に派遣されます。昭和37年に阪急航空の所属を経て北海道航空に移ります。
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機体には北海道航空の文字と「ヒマラヤ」の愛称が書かれてあります。
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「ビーチクラフトE33練習機」
ビーチ・エアクラフト社(現ホーカー・ビーチクラフト社)が開発した単発レシプロ軽飛行機シリーズで、堅牢な訓練機と高級な自家用機として高く評価されています。1947年から生産開始されましたが、時代に合わせて改良され続けられ現在も生産が続く長寿な機体です。 -
日本でも運輸省の航空大学校で昭和44年の1969年から平成5年まで22機がパイロット養成のための訓練機として使用されます。この機体は昭和43年に製造され、航空大学校で送受訓練に使用され、平成4年のフライトを最後に除籍されます。
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「富士T-3初等練習機」
航空自衛隊は発足以来、初等練習機としてT-34を使用してきましたが新型機が必要になります。富士重工は自社のKM-2(海上自衛隊練習機)をベースに縦列複座とした試作機KM-2Bを製作します。 -
昭和409年の1974年に初飛行し、航空自衛隊に採用され、T-2ni続く3番目の練習機としてT-3と名付けられ、昭和57年までに50機が生産されます。
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浜松基地と防府北吉に配備され、パイロットの育成に使用され、平成15年から後続機としてT-7の導入が進められて退役となります。この機体は各務原市の飛行開発実験団で用途廃止になったものです。
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ツアー3日目はミステリーツアーと化してしまいましたが、思いがけずに金沢へ行くことが出来たり航空プラザの見学が出来てよかったです。
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表に出た途端に強風が吹き荒れ、東京へ帰れるのだろうか心配になってきます。
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小松空港からも白山山脈がきれいに見渡せました。あの山並みをこの後越えることが出来るのか…。
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そろそろ集合時間なのでターミナルのANAのカウンター前に向かいます。妻から電話が入ったので心配しているのかと思ったら、カニ弁当が残り2個しかないので買っていいかという問い合わせでした。
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午後4時に再集合して添乗員さんからの案内を聞きます。小松空港の午後の3便のうち2便はすでに欠航となり、最終便は東京を午後4時55分に出発するが決まっていないようです。この便が出ないと「小松空港」からの便も必然的に欠航になります。その場合はJR富山駅まで移動しなければなりません。
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到着ロビーの辺りでさらに待機することになりました。羽田からの便はANAもJALも欠航が続いています。
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ANAのカウンターでは荷物の預かりもされません。表の駐車場では我々の荷物を積んだバスが待機しています。荷物を降ろしても午後7時までは待機してくれるようです。運転手さんが気の毒です。
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我々の乗るANA758便は羽田空港で出発を見送っているようで、出発時間もずれ込んでいきます。すでに2回変更になっていますが、ようやく荷物を預けることが出来ました。
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少しお腹も減ってきたので「海とハクサン」というレストランに入りました。本当はうどんを食べようと思ったのですが閉店になっていました。このタイミングで入ったのは正解で、この後はウェイティングの列が出来ていました。
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生ビールを注文して、つまみになりそうなものを追加しました。
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小松基地のカレーはトマトの香りがしてピリ辛で美味しかったです。これはご飯を中心にお互いに手前から食べ進みました。
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この2日間は海のものばかり食べていた気がするのでフライドポテトが美味しく感じます。量が多いのが嬉しいです。
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ソーセージもジューシーで美味しく、以前クリスマスマーケットで行ったデュッセルドルフの空港でもディレイで時間つぶしでソーセージを食べたことを思い出しました。あまりに美味しかったのでスペインの帰りにももう一度食べに行ったほどです。
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2階のお土産物屋さんで時間を潰します。妻を呼ぶと振り返りましたが、なんで呼ばれたのか妻は分からなかったと思います。
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ご協力ありがとうございます。いい記念になりました。
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搭乗口の前でさらに15分搭乗が送れました。そしてこの後も遅れが出ます。何とか東京からの便は到着しましたが、大きな機体に変更されていました。直前のJALの便と後の便は欠航になりました。さらに福岡から上空で旋回していた便も福岡へ戻りました。そのアナウンスが入ると周囲の人からどよめきが上がります。翌日までこの人たちはどうするのだろうと心配になります。
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羽田行きのANA便は離陸するときから羽田に着陸するまでずっと揺れ続けていました。今まで何回飛行機に乗ったか分からないほどですが、これほど揺れたことはありませんでした。
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羽田空港には午後7時40分に到着しました。当初の予定より8時間遅れての到着です。天候のおかげですが、楽しい経験をさせていただきました。
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すぐに出発するリムジンバスに飛び乗って池袋まで戻り、迎えに来てくれた友人の車で無事に家に帰り着きました。この旅行記が終わるとすぐに次の旅が始まります。
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