2021/11/26 - 2021/11/26
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
この旅行記のスケジュール
2021/11/26
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西教寺総門
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沢庵禅師の碑
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西教寺参道
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文学ゆかりの地碑〝細川ガラシャ夫人〟
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徳乗坊
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勅使門
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明智煕子の墓
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《2021.November》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXXXV坂本後編~比叡山坂本秋のライトアップ・西教寺編~
今年令和3(2021)年秋のテーマは〝紅葉ライトアップ〟と勝手に決め込んだ。勿論遠出を含めた外出が憚れる中で、手軽に行くことができる距離だと言うことを念頭に置いていることは間違いない。勿論コロナワクチンの効果がそれなりに出ていることを踏まえた上でのことではあるが、我が街滋賀では首長の考えが曖昧で他府県からの出入りに対して寛大な措置を取っているようだが、地元民が地の利を生かし楽しめる場所に至っては〝密〟と〝混雑〟を引き起こすという理由から締め出しを強いている場所も少なくない。今回坂本を訪れる際に立ち寄りを考えた〝坂本城址公園〟の駐車場も然りである。渇水の影響で坂本城の石垣が水面から出ている姿は容易に見ることができない景色のひとつでもある。そんなこともあり歴史好きの滋賀県民であれば〝必見〟だと思うに違いない。しかし浮かれて行った坂本城址は、混雑回避のためという名目で駐車場が閉鎖されていた。この辺り現実を知らない役人仕事そのもので行われていることが訪れる者全てが思うことであろう。駐車場に入れない車により滋賀県道558号線の渋滞に繋がるためと書かれていたが、休日ならばいざ知らず、平日に訪れる観光客迄締め出すと結局入口付近に路駐する他府県ナンバーによって県道の流れを悪くすることに繋がっていた。元々坂本城址公園の駐車場は都市公園湖岸緑地・北大津地区という都市公園の一角を担っており、琵琶湖で遊ぶ者や仕事中の居眠りの場所として長時間駐車をするから駐車場としての回転が悪いためであり、坂本城址を楽しむ観光客はあまり関係がないことは周知の事実である。つまり本末転倒の理由で駐車場を閉鎖していることになる。平日に訪れていても数台の車は路側帯からはみ出すように駐車しており、渋滞の原因以外にも事故に繋がる危険性もないとは言えない。最寄りの観光客向けの駐車場は坂本城址公園の駐車場を追い出された車が長時間駐車を当たり前のようにやっている。この界隈はコインパーキングもなく、比叡山坂本駅近くに車を停めてまで歩きたくはないのでパスすることにした。これで私の僅かばかりの市県民税は昨年同様ふるさと納税に回ることが決定した。納税者にこんな振る舞いしかできない役人共に血税を払おうなんて誰が思うのだろうか?
兎にも角にも坂本城石垣はパスして日吉大社を散策した。次に向かう先は西教寺である。ライトアップ時間は限られているが、久しぶりの日吉大社の大きさに少し時間をオーバーしてからの出発となった。日吉大社と西教寺の中間付近にある大宮川観光駐車場という大きなパーキングがある。最初日吉大社に向かうにもここに車を停めようとしたが、意外に距離があることを知る。ヘタレは楽することを考え比叡山ロープーウェイ入口付近にある観光駐車場を目指して車を走らせた。運良く昼夜の参拝客の入れ替わりのタイミングと重なり、無事車を停めることができた。西教寺迄は2km強の距離があるが、時間帯のこともあり門前の駐車場を利用することができた。
総本山西教寺参拝駐車場という名の通り西教寺総門脇にある駐車場である。少し遅めの到着となったがツアーバスが停車しているような人気の場所のようだ。総門の外にも施設はあるが、ライトアップ時間は閉鎖されており、ライトアップされている場所のみの拝観となる。具体的には阿弥陀堂や安養院のエリアとなるがそれは仕方がない。
総門は立派な者だが寺院の門という感じを受けない。その謂れは天正年間に明智光秀が坂本城門を移設した物だということが書かれており納得する。昭和59(1984)年に老朽化対策として修理が施されたとあるが、門自体のつくりはそのまま復元されたという。本能寺の変後に木っ端微塵に爆破され、殆ど遺構が残っていない坂本城の姿を今に伝える貴重な歴史遺産である。総門前にはふたつの碑が建立されている。ひとつは沢庵禅師の碑とあり、紀行文〝石山行記〟に書かれている京を経った沢庵禅師が石山寺・三井寺を経てこの西教寺を訪れたという一節を基にして建立されている。もうひとつは平成17(2004)年に開催された〝第39回全日本仏教徒滋賀大会〟の大会宣言である〝出会い 縁を生き、伝えるわれら〟を記念し建立された碑であるようだ。宗派を超えた仏教文化に親しむことを前提に開催されているもののようだが、その会合がここ西教寺で行われたことは興味深いことである。
前置きが長くなったがライトアップされている参道を歩いて行く。参道両脇には宿坊となる塔頭寺院が並んでいる。勿論日吉大社とは違うのは確かだが、日吉大社が紅葉ライトアップを〝暖色系〟のライティングにほぼ徹しているのに対し、西教寺は様々な色合いでライトアップされている。どちらが良いかと言うのは人の好みによるところであろうが〝比叡山坂本秋のライトアップ〟と言う括りではなぜここまでの違いが出るのかは不思議に感じる。そして参道をまっすぐ進んだ先には勅使門がある。ここで初めて分岐路が出現するが、基本右手に進むのは通用門を経て研修道場等の寺僧向けの施設となっており、観光用通路としては左手に進んで行く。勅使門を背にして総門方向を眺めると、歩いて来たにも関わらず気付かなかった〝勾配〟の存在を知ることが出来る。寺院の特徴として〝坂道〟と言うものは良く言われることではあるが、逆に気付かないと言うことも西教寺の特徴のひとつであるのかも知れない。
まあ時間のこともあり〝自撮り〟を決め込んで参道を進む。ここからはまさしく坂となっており階段が続いている。運動不足を痛感しながらぜーぜー言いながら階段を登り切り本堂前の広場に至る。この界隈は総門近くの参道とは趣も違い、本堂の一部等が数色のライトアップされている以外は、白色光によるライトアップだけである。地味感があるとも言えるであろうが、それ以外に西教寺イチ神聖な場所というのが間違いないように思う。開祖が聖徳太子、真盛が中興の祖と言った西教寺の成り立ちはさておき、元亀年間の織田信長による比叡山焼き討ちの際に煤塵と化した西教寺の復興に大いに関わった武将が坂本城を築城している。明智光秀その人であるが、織田信長の重臣のひとりとして反信長勢力を駆逐したことでも知られている。後に黒井城の戦いの功により丹波亀山城主にもなる光秀だが、その後も坂本城主としてもあり続けたとされている。光秀の領地に於ける名君ぶりは有名だが、坂本城下でも変わりはない。なかでも西教寺の復興には光秀の尽力がかなりあったとされており、総門に坂本城の城門を寄進したことは先述の通りである。また光秀は戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。それら一連のことからも光秀をはじめとした明智一族との関係の深さを垣間見ることができ、今なお境内には光秀の供養塔や光秀一族の墓が立てられて今日に至っている。
ただよく勘違いされていることだが明智一族の墓の中には明智光秀公の墓はない。本能寺の変後に山崎の戦いで敗れ、坂本城を目指して勝竜寺城を脱出した光秀は、山科小栗栖の藪にて落武者狩りの土民に襲われ重傷を負い、最期をさとり自害したとされるのだが定説だが、その遺骸については良くわかっていないところが多い。多くは秀吉方に捕縛され斬首された家臣斎藤利三同様京都粟田口に於いて胴体と繋ぎ合わされ晒されたとされ、近くに首を埋めた場所が〝首塚〟とされ、胴体は西教寺に運ばれて埋葬されたということが理由のようだ。光秀正室の煕子の墓は、一族の墓とは違う場所に建立されている。これは光秀よりも早くに亡くなった妻煕子の葬儀を西教寺にて行ったと言う寺伝からもわかる話ではある。そして明智一族の墓とされる物には本能寺の変後坂本城が落城する迄に討死を遂げた一族を、煕子の父若しくは兄弟とされる妻木廣忠が埋葬し供養した後に煕子の墓前にて自害した説が濃厚と言われている。弔いを終えた廣忠ではあるが、既に坂本城は落城しており主君である明智一族も坂本城と運命を共にしている。最後に自らが出来ることをやり切った後に後を追ったということは、取り巻く環境から判断しても理に適っていると言えよう。幅広い意味で言えば明智一族にあたる妻木氏がこの地に葬られていることに、状況証拠から見ても疑う余地がないように私には思える。供養塔等が後世に建立されたがために〝光秀の墓〟と言われてしまうのかも知れないが、光秀が坂本城に向けて落ちる際の同行はしておらず、別行動で坂本に向かったとされている。光秀が土民に迷われず襲われた理由とされる〝目立ち過ぎ〟説は、信長を討った〝大者〟一行だと見られないように手勢数名しか同行させていなかったことが災いしたと言われている。落武者の中の大将格が狙われたことが光秀の不運だったとされるものが多いことからも推測は出来る。しかし光秀の甥と言われる明智秀満に同行し、安土城に入った訳でもない。本能寺の変後安土城に入った秀満は、城内に残る金銀財宝を家臣に分け与え朝廷にも〝分け前〟を渡しているが、山崎の戦いで光秀が負けたことを知るや否や安土城を放棄し、坂本城へと向かっている。大津付近で堀秀政の大軍に行く手を阻まれやむなく〝湖水渡り〟で柳が崎に上陸した後に坂本城に入るものの、追跡して来た堀秀政の軍勢に城を囲まれ、城内に残っていた一族を殺害した後に火薬庫に火をつけ、城もろとも木っ端微塵になったことに巻き込まれてもいない。光秀の死が6月13日、秀満が6月14日、妻木廣忠の自害が6月18日との記録があり、少なくとも山崎の戦い後数日は別行動を取っていたことが推測される。戦で斃れた一族の亡骸と共に坂本に戻って来た廣忠は、落城した坂本城を見て明智家所縁の西教寺に一族の亡骸を運んで墓を作り供養をした後に自害したと考えるのが筋であろう。
これらのことからも明智一族の墓には光秀は含まれてはいない。そして全国にある光秀の〝首塚〟〝胴塚〟〝墓〟と呼ばれるものも確証に欠けており確固たる〝ここ〟だと言える場所はない。人の死の扱いを〝歴史のロマン〟とは言い難いが、逆賊扱いされた光秀を慕っている者が多かった証拠だという仮説が立てられる。妻を愛し雑兵迄をも尊んだ光秀だからこそ西教寺〝所縁〟の明智光秀と言われるのではないかとふと思った。
放生池を越えて行けば西教寺中興の祖真盛上人廟へと向かう参道が続いている。夜間拝観の対象エリアかどうかはわからないが、進入禁止にもなっていなかった気もする。ただ参道に照明がなかったように見えたために改めて昼間に再訪した際のポイントとして記録しておく。また本堂前広場には墓や供養塔、句碑等が多過ぎる位に並んでいる。手持ちのwebマップでは其々の石塔他について細かくは説明されてはいないために、全体風景を記録した後にここをピックアップして行く手筈をしていた。しかしここで予想だにしていなかった〝ハプニング〟が発生する。紅葉ライトアップはストロボ等補助光を利用すると、LED照明より格段に強い光を発するために〝白飛び〟現象が起こってしまう。GPSデータを記録するためのiPhoneでも〝ナイトモード〟が利用出来るようになったiPhone11Pro 以前では同じことが起こっていた。しかしアナログカメラとナイトモード搭載iPhone12Proの組み合わせで三脚を用いれば、大抵のライトアップやイルミネーションは綺麗に切り取ることができるようになった。しかしアナログカメラとナイトモードの組み合わせでは〝最小限の明るさ〟がなければ基本撮影が不可能だという現実がある。故に背景は照明に照らされている石塔を撮影すると全体的に露出オーバーとなってしまう。仕方がないのでISO800のフィルムを装填しストロボ撮影に切り替えようとして準備していたその瞬間、真っ暗になった。付近にいた方も含めえっ?と思ったに違いない。しかし尤もな理由があったことを思い出す。時間は20:30、つまりタイムオーバーだった。有料施設は閉館予告のアナウンスが必ず流れる。無料施設も街中のイルミネーションはいつの間にか消えていたと位にしか思わなかった私にとっては俄に信じられない閉幕に唖然となるしかなかった。坂本比叡山秋のライトアップは入山料も不要で、個々の施設の好意で行われていることを忘れていた。ある程度帰路に着いていればああ時間だな~となるのであろうが、今いる場所は西教寺の中でも奥の位置である。勿論照明が消えた中真っ暗な石塔を撮影し続けていても記憶に残らないので意味がない。おまけにこの状況下でまだ境内に居続けることも考えものだ。考えれば考えるほど急いで戻らないとと焦りが出て来たので、スマホライトで手元を照らし、入れ替え途中だったフィルムを装填した後総門に向かうことにした。念のため階段付近はスマホライトを点灯させていたが、その頃には目が暗さに慣れてきており一歩ずつ石段を降りて行った。勅使門迄来れば後は軽い坂道が続くだけとなり、帰りに撮影しようと考えていた塔頭寺院を機械的にカメラに収めて行く。ライトアップされていればまた雰囲気も違ったのであろうが、時間切れでは仕方がない。参道を照らす薄暗い中で若い子達が何やら話していたようだが、周りを見る余裕は既になく、無事に照明が落ちた総門を出た時にやっと張り詰めていた緊張が解れた気がした。
もし大宮川観光駐車場に車を停めていたら暫く歩かなければならなかったが、西教寺の駐車場を利用していたのですぐに戻ることが出来た。参道途中で抜いた残りの観光客達は車に戻るとすぐに出発し、いつものように私が最後の一台となる。この時間からだと〝坂本城跡石垣〟も見れるかもと呑気に思うが、石垣付近は確か照明も無かったような記憶が蘇り、素直に帰ることにした。いつもならば一回の旅路最後に撮影済みフィルムを現像するために発送するのが習慣となっているが、梱包も出来なかったために自宅に持ち帰り、改めて翌日出勤前に発送することにした。
帰宅途中にMOVEクンに給油をする。リッターあたり170円…。私は車通勤ではないので休日に乗った分位に思うだけだが、確かうちの会社の車通勤規程ではキロ20円計算だった筈。車を維持するのも大変だと思いつつ無事に帰宅する。47.2kmは寄り道を含めた本日の旅路、年末年始は近場のイルミネーションとライトアップを回りまくる位しかできないかな~なんて思いながら明日からの現実にため息をつく私であった。
《終わり》
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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日吉大社を出て西教寺にやって来た。
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総門向かって左側の〝出会い 縁を生き、伝えるわれら〟碑。平成17(2004)年に開催された〝第39回全日本仏教徒滋賀大会〟の大会宣言の記念碑である。
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総門向かって右側の〝沢庵禅師の碑〟。
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西教寺参道を歩く。
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文学ゆかりの地。
三浦綾子著〝細川ガラシャ夫人〟の一章〝鉦の音〟で取り上げられている一文が書かれている。因みに私は三浦綾子といえば〝塩苅峠〟しか知らなかったのだが…。 -
お寺の参道という気がしない。
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赤と緑の配色…。
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と思えば寒色系の配色になったり…。
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ある意味〝アート〟と言っても過言ではない。
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竹林の緑と紅葉の黄色と赤…。
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これを無料で楽しめるとは…。
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高感度撮影だとはっきり色が分かれていることに気づく。
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手前の紅葉と奥のイルミネーション。
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長時間露光をすれば基準色となる。
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寒色系・暖色系のコントラスト。
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塔頭寺院のひとつ徳乗坊もライトアップ。
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寒色系・暖色系のコントラスト。
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赤とピンク~。
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勅使門が見えてきた。
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それにしても派手である。
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勅使門までやって来た。
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勅使門から参道振り返る。
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西教寺文庫。
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ナチュラルな紅葉もまたをかし。
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勅使門から参道 with たかティムさん。
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手水舎と宗祖大師殿。
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最後の階段を登る。
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西教寺本堂。
西教寺庭園 寺・神社・教会
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二十五菩薩群像。
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(右)明智日向守光秀とその一族の墓。
(左)供養塔。 -
西教寺客殿・放生池・真盛上人廟参道・宝篋印塔と紅葉。
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西教寺客殿・放生池・真盛上人廟参道・宝篋印塔と紅葉。
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西教寺鐘楼堂。
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明智一族の墓並びに供養塔。
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明智一族の供養塔。
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宝篋印塔。左奥にある筈の明智光秀公妻煕子の墓。
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二十五菩薩群像と明智光秀公妻煕子の墓。
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この後いきなり照明が落ちた。
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禅林坊。
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實成坊。
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ライトアップのない徳乗坊。
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聞證坊。
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禅明坊。
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禅智坊。
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常夜灯に照らされる西教寺参道を歩く。
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点いていた照明も消されている。
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暗くなった総門を潜る。
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駐車場の西教寺境内図。それでは帰るとしよう。
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無事に今日も帰着する。
京阪バス (大津エリア) 乗り物
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今日の走行距離は47.2kmであった。
フレンドマート (石山寺辺店) スーパー・コンビニ・量販店
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