浅井・湖北・高月旅行記(ブログ) 一覧に戻る
9月末に緊急事態宣言が無事解除され、そろそろ遠出したくてうずうずしてきたところ、東京から東海道新幹線でのアクセスも容易で、個人的にも好きな県の1つである滋賀県を久しぶりに訪れてみることとし、今回は琵琶湖の東側にあたる湖北から湖東エリアに焦点を当て、どっぷり歴史系のスポットを攻めていくことにしました。<br /><br />最初に訪れたのが、戦国時代に北近江の地を治めた浅井(あざい)氏3代の居城である「小谷城(おだにじょう)」です。<br />初代・浅井亮政が築いた城は、3代・浅井長政の時代には織田信長の妹・お市の方を正室に迎え、有名な三姉妹(茶々・初・江)が生まれましたが、やがて織田氏と対立し、最終的には攻め滅ぼされてしまう悲劇の地でもあります。<br /><br />日本五大山城とも称される巨大な城跡なため、そのすべてを見て回ることは(時間的にも体力的にも)できませんが、連続して続く曲輪跡が今も残り、また、琵琶湖や湖北の地を一望することもでき、登城し甲斐のある城跡でした。<br /><br /><br />〔秋めく近江歴史紀行〕<br />●Part.1(1日目&2日目①):小谷城(日本100名城)【この旅行記】<br />●Part.2(2日目②):賤ヶ岳古戦場/余呉湖<br /> https://4travel.jp/travelogue/11717366<br />●Part.3(2日目③):多賀大社/彦根城ライトアップ(日本100名城)<br /> https://4travel.jp/travelogue/11718422<br />●Part.4(3日目):豊公園/竹生島<br /> https://4travel.jp/travelogue/11720347<br /><br />〔日本100名城登城記〕<br />●根 城(陸奥国):https://4travel.jp/travelogue/11706813<br />●水戸城(常陸国):https://4travel.jp/travelogue/11472788<br />●小田原城(相模国):https://4travel.jp/travelogue/11685392<br />●上田城(信濃国):https://4travel.jp/travelogue/11516270<br />●小諸城(信濃国):https://4travel.jp/travelogue/11535605<br />●春日山城(越後国):https://4travel.jp/travelogue/11658345<br />●姫路城(播磨国):https://4travel.jp/travelogue/11593194<br />          https://4travel.jp/travelogue/11601496<br />●松江城(出雲国):https://4travel.jp/travelogue/11478799<br />●津山城(美作国):https://4travel.jp/travelogue/11484252<br />●萩 城(長門国):https://4travel.jp/travelogue/11628785<br />●大洲城(伊予国):https://4travel.jp/travelogue/11652466<br />●宇和島城(伊予国):https://4travel.jp/travelogue/11644895<br />●高知城(土佐国):https://4travel.jp/travelogue/11567369

秋めく近江歴史紀行《Part.1》~江北の戦国大名である浅井氏3代の居城・小谷城登城記~

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2021/10/08 - 2021/10/10

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旅行記グループ 滋賀県への旅

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葵

葵さん

この旅行記のスケジュール

2021/10/08

2021/10/09

この旅行記スケジュールを元に

9月末に緊急事態宣言が無事解除され、そろそろ遠出したくてうずうずしてきたところ、東京から東海道新幹線でのアクセスも容易で、個人的にも好きな県の1つである滋賀県を久しぶりに訪れてみることとし、今回は琵琶湖の東側にあたる湖北から湖東エリアに焦点を当て、どっぷり歴史系のスポットを攻めていくことにしました。

最初に訪れたのが、戦国時代に北近江の地を治めた浅井(あざい)氏3代の居城である「小谷城(おだにじょう)」です。
初代・浅井亮政が築いた城は、3代・浅井長政の時代には織田信長の妹・お市の方を正室に迎え、有名な三姉妹(茶々・初・江)が生まれましたが、やがて織田氏と対立し、最終的には攻め滅ぼされてしまう悲劇の地でもあります。

日本五大山城とも称される巨大な城跡なため、そのすべてを見て回ることは(時間的にも体力的にも)できませんが、連続して続く曲輪跡が今も残り、また、琵琶湖や湖北の地を一望することもでき、登城し甲斐のある城跡でした。


〔秋めく近江歴史紀行〕
●Part.1(1日目&2日目①):小谷城(日本100名城)【この旅行記】
●Part.2(2日目②):賤ヶ岳古戦場/余呉湖
 https://4travel.jp/travelogue/11717366
●Part.3(2日目③):多賀大社/彦根城ライトアップ(日本100名城)
 https://4travel.jp/travelogue/11718422
●Part.4(3日目):豊公園/竹生島
 https://4travel.jp/travelogue/11720347

〔日本100名城登城記〕
●根 城(陸奥国):https://4travel.jp/travelogue/11706813
●水戸城(常陸国):https://4travel.jp/travelogue/11472788
●小田原城(相模国):https://4travel.jp/travelogue/11685392
●上田城(信濃国):https://4travel.jp/travelogue/11516270
●小諸城(信濃国):https://4travel.jp/travelogue/11535605
●春日山城(越後国):https://4travel.jp/travelogue/11658345
●姫路城(播磨国):https://4travel.jp/travelogue/11593194
          https://4travel.jp/travelogue/11601496
●松江城(出雲国):https://4travel.jp/travelogue/11478799
●津山城(美作国):https://4travel.jp/travelogue/11484252
●萩 城(長門国):https://4travel.jp/travelogue/11628785
●大洲城(伊予国):https://4travel.jp/travelogue/11652466
●宇和島城(伊予国):https://4travel.jp/travelogue/11644895
●高知城(土佐国):https://4travel.jp/travelogue/11567369

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
3.5
ショッピング
3.0
交通
3.5
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • ●米原駅<br /><br />緊急事態宣言も解除された10月の第2週の金曜日、この日は仕事を午前中でサクッと切り上げ、東海道新幹線に乗って滋賀県の「米原駅」へ15時くらいに到着。<br /><br />今回の旅は2泊3日をかけて、滋賀県の東側、湖北から湖東エリアの歴史スポットを巡っていくことに♪<br />なお、公共交通機関には頼れないエリアなので、今日と明日の2日間はレンタカーでの移動となります。

    ●米原駅

    緊急事態宣言も解除された10月の第2週の金曜日、この日は仕事を午前中でサクッと切り上げ、東海道新幹線に乗って滋賀県の「米原駅」へ15時くらいに到着。

    今回の旅は2泊3日をかけて、滋賀県の東側、湖北から湖東エリアの歴史スポットを巡っていくことに♪
    なお、公共交通機関には頼れないエリアなので、今日と明日の2日間はレンタカーでの移動となります。

    米原駅

  • ●姉川古戦場<br /><br />駅から北へと進路を取り、さっそく訪れたのが、戦国時代の1570年、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した「姉川の戦い」の舞台となった「姉川古戦場」です。<br />現在、川の右岸側(北側)に案内板や記念碑があり、車を数台駐められるスペースもありました。

    ●姉川古戦場

    駅から北へと進路を取り、さっそく訪れたのが、戦国時代の1570年、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した「姉川の戦い」の舞台となった「姉川古戦場」です。
    現在、川の右岸側(北側)に案内板や記念碑があり、車を数台駐められるスペースもありました。

    姉川古戦場 名所・史跡

  • 近くにあった「姉川の戦い」の解説板がこちら。

    近くにあった「姉川の戦い」の解説板がこちら。

  • さっそく川の方へ向かうと、何の変哲もない長閑な風景が広がってますが、往時は川を挟んで数万の武士たちが戦いを繰り広げたんですねぇ。<br /><br />ちなみにここに架かる「野村橋」は老朽化のため、車両の通行は禁止されてました(苦笑)

    さっそく川の方へ向かうと、何の変哲もない長閑な風景が広がってますが、往時は川を挟んで数万の武士たちが戦いを繰り広げたんですねぇ。

    ちなみにここに架かる「野村橋」は老朽化のため、車両の通行は禁止されてました(苦笑)

  • なお、人は橋を渡っても問題無いそうで、少しだけ進んで上流側を眺めてみると、山並みの奥に「伊吹山」の頂も。

    イチオシ

    なお、人は橋を渡っても問題無いそうで、少しだけ進んで上流側を眺めてみると、山並みの奥に「伊吹山」の頂も。

  • 河原の風景も、もうすっかり秋ですね~。

    河原の風景も、もうすっかり秋ですね~。

  • 最後、慰霊碑に手を合わせ、そろそろ出発することにしましょう。

    最後、慰霊碑に手を合わせ、そろそろ出発することにしましょう。

  • ●小谷城戦国歴史資料館<br /><br />姉川からさらに北上し、北近江の戦国大名・浅井氏3代の本拠城である「小谷城」がある小谷山のふもとに「小谷城戦国歴史資料館」が設けられており、閉館時間が近づいてて時間も限られますが、こちらを見学していきます。<br /><br />◇小谷城戦国歴史資料館ホームページ◇<br /> https://www.eonet.ne.jp/~odanijou-s/

    ●小谷城戦国歴史資料館

    姉川からさらに北上し、北近江の戦国大名・浅井氏3代の本拠城である「小谷城」がある小谷山のふもとに「小谷城戦国歴史資料館」が設けられており、閉館時間が近づいてて時間も限られますが、こちらを見学していきます。

    ◇小谷城戦国歴史資料館ホームページ◇
     https://www.eonet.ne.jp/~odanijou-s/

    小谷城戦国歴史資料館 美術館・博物館

  • 館内はそこまで広くないですが、戦国時代にここ北近江の地を支配した浅井氏と、その居城である「小谷城」をメインテーマにした展示がされてました。<br />ひと通り見学したあと、入口左の膨大な資料置き場の一角にあった「日本100名城スタンプ」を押印しときましょう。

    館内はそこまで広くないですが、戦国時代にここ北近江の地を支配した浅井氏と、その居城である「小谷城」をメインテーマにした展示がされてました。
    ひと通り見学したあと、入口左の膨大な資料置き場の一角にあった「日本100名城スタンプ」を押印しときましょう。

  • ということで、無事押印。<br /><br />ちなみに、最近いろんな城跡で「御城印」を見かけますけども、ブームなんですかねぇ???<br />個人的には御朱印もやっぱり手書きが有難いと思ってるので、書き置きのものにはあまり惹かれないのですが。。。

    ということで、無事押印。

    ちなみに、最近いろんな城跡で「御城印」を見かけますけども、ブームなんですかねぇ???
    個人的には御朱印もやっぱり手書きが有難いと思ってるので、書き置きのものにはあまり惹かれないのですが。。。

  • 資料館がある場所は、当時居館があった清水谷と呼ばれる平坦なエリアで、この先を進むと、尾根沿いにある「本丸跡」へと続く「追手道」に至りますが、もう時間は16時30分を過ぎているので、この日はここまでにしておくことに。

    資料館がある場所は、当時居館があった清水谷と呼ばれる平坦なエリアで、この先を進むと、尾根沿いにある「本丸跡」へと続く「追手道」に至りますが、もう時間は16時30分を過ぎているので、この日はここまでにしておくことに。

  • キバナコスモスもきれいに咲いていて、もうすっかり秋ですね(今日2回目)。<br />こうステイホームが続くと、季節感が分からなくなっちゃいますから。

    キバナコスモスもきれいに咲いていて、もうすっかり秋ですね(今日2回目)。
    こうステイホームが続くと、季節感が分からなくなっちゃいますから。

  • ●須賀谷温泉<br /><br />ぼちぼちいい時間になってきたので、そろそろこの日の宿へ。<br />「小谷城跡」の南麓側に「須賀谷温泉」という一軒宿があり、明日はすぐに登城したかったので、限りなく近いこちらの宿を選んでみました。<br /><br />◇須賀谷温泉ホームページ◇<br /> https://www.sugatani.co.jp/

    ●須賀谷温泉

    ぼちぼちいい時間になってきたので、そろそろこの日の宿へ。
    「小谷城跡」の南麓側に「須賀谷温泉」という一軒宿があり、明日はすぐに登城したかったので、限りなく近いこちらの宿を選んでみました。

    ◇須賀谷温泉ホームページ◇
     https://www.sugatani.co.jp/

    須賀谷温泉 宿・ホテル

    小谷城跡の麓にある温泉宿 by 葵さん
  • アサインされたのは2階の和室で、小奇麗なお部屋は十分な広さがあり、設備類も必要十分な印象。<br />また、お茶菓子とともに、ミネラルウォーターが1本サービスでした。

    アサインされたのは2階の和室で、小奇麗なお部屋は十分な広さがあり、設備類も必要十分な印象。
    また、お茶菓子とともに、ミネラルウォーターが1本サービスでした。

  • バス・トイレは別で、洗面台回りはかなり広く取られています。<br />バスルームもきれいにリニューアルされてましたが、別途大浴場があるので使用しませんでした。

    バス・トイレは別で、洗面台回りはかなり広く取られています。
    バスルームもきれいにリニューアルされてましたが、別途大浴場があるので使用しませんでした。

  • アメニティ系はこんな感じでした。

    アメニティ系はこんな感じでした。

  • 部屋をひと通り見たあと、さっそく大浴場へ♪<br /><br />暖簾の上に「浅井の湯」(ちなみに暖簾の家紋は浅井家の三つ盛亀甲に唐花菱)とあるように、お城の麓ということもあり、戦国時代には浅井長政も湯治に通ったと伝わる歴史ある温泉です。<br />お風呂は2種類の内湯と露天風呂があり、ゆったり体の芯から温まることができました。<br /><br />◇温泉の様子は↓から◇<br /> https://www.sugatani.co.jp/spa/

    部屋をひと通り見たあと、さっそく大浴場へ♪

    暖簾の上に「浅井の湯」(ちなみに暖簾の家紋は浅井家の三つ盛亀甲に唐花菱)とあるように、お城の麓ということもあり、戦国時代には浅井長政も湯治に通ったと伝わる歴史ある温泉です。
    お風呂は2種類の内湯と露天風呂があり、ゆったり体の芯から温まることができました。

    ◇温泉の様子は↓から◇
     https://www.sugatani.co.jp/spa/

  • 夕食会場は、畳の宴会場にテーブルと椅子を置いたスタイルで、距離はきちんと取られていました。<br />最近、外で飲む機会なんて皆無となりましたが、もうアルコールはOKなので、久しぶりに生ビールを注文してみようかな。。。<br />

    夕食会場は、畳の宴会場にテーブルと椅子を置いたスタイルで、距離はきちんと取られていました。
    最近、外で飲む機会なんて皆無となりましたが、もうアルコールはOKなので、久しぶりに生ビールを注文してみようかな。。。

  • この日の料理は特選会席プラン「お市の舞」で、前菜のあと、握り寿司としゃぶしゃぶで近江牛が2回も登場する豪華版♪

    この日の料理は特選会席プラン「お市の舞」で、前菜のあと、握り寿司としゃぶしゃぶで近江牛が2回も登場する豪華版♪

  • 続いて、焼肴(秋魳)から近江米のご飯を食べ終わるころには、もうお腹いっぱいで入らないくらいいただきました。<br /><br />そして部屋に戻りひと息入れたあと、もう1回お風呂に入りスッキリしたところで、明日に備えて早めに寝ることに。。。

    続いて、焼肴(秋魳)から近江米のご飯を食べ終わるころには、もうお腹いっぱいで入らないくらいいただきました。

    そして部屋に戻りひと息入れたあと、もう1回お風呂に入りスッキリしたところで、明日に備えて早めに寝ることに。。。

  • おはようございます。<br />朝食は7時30分からスタートし、内容は地の食材を使った定番の和定食。<br />この小鍋で固めるお豆腐が美味しかった~。

    おはようございます。
    朝食は7時30分からスタートし、内容は地の食材を使った定番の和定食。
    この小鍋で固めるお豆腐が美味しかった~。

  • 本当はもう少しゆっくりしていきたいところですが、この日は予定がけっこう詰まっているので、8時30分過ぎにチェックアウト。<br /><br />単に城跡に近いという立地をメインに選んだのですが、露天風呂もある大浴場の温泉はとっても気持ちよく、また食事も美味しくいただけ、いい意味で期待を裏切ってくれた宿でした。

    本当はもう少しゆっくりしていきたいところですが、この日は予定がけっこう詰まっているので、8時30分過ぎにチェックアウト。

    単に城跡に近いという立地をメインに選んだのですが、露天風呂もある大浴場の温泉はとっても気持ちよく、また食事も美味しくいただけ、いい意味で期待を裏切ってくれた宿でした。

  • ●小谷城跡<br /><br />ではでは宿を出発し、さっそく本日のメインイベントである「小谷城跡」へと登城しましょう!<br /><br />登城ルートとしては、山麓から中腹にある「番所跡」の手前まで林道が整備され、10台程度ですが駐車できるスペースも設けられており、ここまで車で移動してきました。<br />なお、繁忙期(?)の土日祝日には、麓の「小谷城跡ガイド館」からここまでシャトルバスが運行され、道が狭く離合できないため、一般の車は通行不可となるようなので注意。

    ●小谷城跡

    ではでは宿を出発し、さっそく本日のメインイベントである「小谷城跡」へと登城しましょう!

    登城ルートとしては、山麓から中腹にある「番所跡」の手前まで林道が整備され、10台程度ですが駐車できるスペースも設けられており、ここまで車で移動してきました。
    なお、繁忙期(?)の土日祝日には、麓の「小谷城跡ガイド館」からここまでシャトルバスが運行され、道が狭く離合できないため、一般の車は通行不可となるようなので注意。

    小谷城跡 名所・史跡

  • 車を降り、ここからは徒歩で進んでいくことになります。<br />それにしても、ここまでのルートはけっこう急な道だったので、ショートカットできるのはかなりデカイかと。

    車を降り、ここからは徒歩で進んでいくことになります。
    それにしても、ここまでのルートはけっこう急な道だったので、ショートカットできるのはかなりデカイかと。

  • ちょっと気の早い紅葉を1枚パチリ♪

    ちょっと気の早い紅葉を1枚パチリ♪

  • ●小谷城跡(番所跡)<br /><br />駐車スペースから少し進むと林道の終点があり、城の主要部への入口にあたるここ「番所跡」から先は、本格的な山城のルートとなります。<br />なお、「熊出没注意」の看板もあり、念のため熊鈴を装備済みです。

    ●小谷城跡(番所跡)

    駐車スペースから少し進むと林道の終点があり、城の主要部への入口にあたるここ「番所跡」から先は、本格的な山城のルートとなります。
    なお、「熊出没注意」の看板もあり、念のため熊鈴を装備済みです。

  • 城跡の絵図面がこちら。<br />ご覧のとおり、ここ「小谷城」は、背後にそびえる標高495メートルの小谷山から続く2本の尾根と、山に深く切り込んだ清水谷から構成され、日本五大山城にも挙げられるほどの巨大な山城です。<br /><br />さすがにすべてを回るのは大変なので、今回は現在いる尾根に沿って連なる主郭部の各曲輪を見ながら、1番奥の「山王丸」まで行ってみる予定です。

    城跡の絵図面がこちら。
    ご覧のとおり、ここ「小谷城」は、背後にそびえる標高495メートルの小谷山から続く2本の尾根と、山に深く切り込んだ清水谷から構成され、日本五大山城にも挙げられるほどの巨大な山城です。

    さすがにすべてを回るのは大変なので、今回は現在いる尾根に沿って連なる主郭部の各曲輪を見ながら、1番奥の「山王丸」まで行ってみる予定です。

  • 道の左側に平らなスペースがあるので、当時はここに番所の小屋が建っていたんでしょう。

    道の左側に平らなスペースがあるので、当時はここに番所の小屋が建っていたんでしょう。

  • とあれこれ想像していたら、各曲輪にそれぞれこのような解説板があり、何せ基本山の中ですから、こういうビジュアル付きの説明だとイメージし易くて助かります。

    とあれこれ想像していたら、各曲輪にそれぞれこのような解説板があり、何せ基本山の中ですから、こういうビジュアル付きの説明だとイメージし易くて助かります。

  • ●小谷城跡(虎御前山展望所)<br /><br />山道をしばらく上がっていくと、ちょうど道の左側の視界が開けており、そちらへと目を向けると・・・。

    ●小谷城跡(虎御前山展望所)

    山道をしばらく上がっていくと、ちょうど道の左側の視界が開けており、そちらへと目を向けると・・・。

  • 眼下に「虎御前山」という小高い山を見下ろせます。<br />1573年の「小谷城の戦い」の際、織田信長はあの山に本陣を設けたそうで、こうやって眺めてみるともう目と鼻の先って感じがしますね。

    イチオシ

    眼下に「虎御前山」という小高い山を見下ろせます。
    1573年の「小谷城の戦い」の際、織田信長はあの山に本陣を設けたそうで、こうやって眺めてみるともう目と鼻の先って感じがしますね。

  • またしばらく歩いていくと分かれ道となり、左へ進むと本丸、右へ進むと浅井氏の重臣である赤尾氏の屋敷跡への道となり、後者の方はいったん保留し、ここは左へと向かいます。

    またしばらく歩いていくと分かれ道となり、左へ進むと本丸、右へ進むと浅井氏の重臣である赤尾氏の屋敷跡への道となり、後者の方はいったん保留し、ここは左へと向かいます。

  • ●小谷城跡(桜馬場跡)<br /><br />そしてすぐに南北に長い形を取る「桜馬場跡」へと入り、その一角には浅井家家臣団の供養塔がひっそりと。

    ●小谷城跡(桜馬場跡)

    そしてすぐに南北に長い形を取る「桜馬場跡」へと入り、その一角には浅井家家臣団の供養塔がひっそりと。

  • 「桜馬場跡」は城内でも随一の展望が広がるとのことなので、本丸とは反対側(南端)の幟が立っている方へ行ってみると・・・。

    「桜馬場跡」は城内でも随一の展望が広がるとのことなので、本丸とは反対側(南端)の幟が立っている方へ行ってみると・・・。

  • お~~~、先ほどの「虎御前山展望台」よりさらに1段高いところから、湖北の地を一望できます!

    イチオシ

    お~~~、先ほどの「虎御前山展望台」よりさらに1段高いところから、湖北の地を一望できます!

  • ぐぐっとアップにしてみると、琵琶湖に浮かぶ「竹生島」の姿も。

    ぐぐっとアップにしてみると、琵琶湖に浮かぶ「竹生島」の姿も。

  • 城下には北陸地方と東海地方を結ぶ「北国脇往還」が通り、城の北方には、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が争った「賤ヶ岳古戦場」もあり、歴史の舞台に何度も登場する重要なエリアだったことが分かります。

    城下には北陸地方と東海地方を結ぶ「北国脇往還」が通り、城の北方には、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が争った「賤ヶ岳古戦場」もあり、歴史の舞台に何度も登場する重要なエリアだったことが分かります。

  • 南西側には、小谷城落城後、この地を治めた羽柴秀吉が築いた「長浜城」があるはずですが、さすがに確認できず。。。

    南西側には、小谷城落城後、この地を治めた羽柴秀吉が築いた「長浜城」があるはずですが、さすがに確認できず。。。

  • 再び本丸に続くルートへと戻ると、両側に巨石が残された「黒金御門跡」が残り、厳重な防備の様が感じられます。

    再び本丸に続くルートへと戻ると、両側に巨石が残された「黒金御門跡」が残り、厳重な防備の様が感じられます。

  • ●小谷城跡(大広間跡/本丸跡)<br /><br />「黒金御門跡」を抜けると、山城とは思えないほどの平らなエリアへ。<br />ここが最大の曲輪である「大広間跡」で、御殿など城の中枢となる建物群があったそうです。

    ●小谷城跡(大広間跡/本丸跡)

    「黒金御門跡」を抜けると、山城とは思えないほどの平らなエリアへ。
    ここが最大の曲輪である「大広間跡」で、御殿など城の中枢となる建物群があったそうです。

  • その「大広間跡」の奥、さらに1段高くなったところが「本丸跡」になり、城の最後の防衛ラインだけあってか、(かなり土や草が覆いかぶさっているものの)今も南側の一部で石垣が残されています。

    その「大広間跡」の奥、さらに1段高くなったところが「本丸跡」になり、城の最後の防衛ラインだけあってか、(かなり土や草が覆いかぶさっているものの)今も南側の一部で石垣が残されています。

  • 「長浜城」築城のため、石材のほとんどが運び出されてしまったそうですが、僅かながらも往時の遺構が残る貴重な場所かと。

    イチオシ

    「長浜城」築城のため、石材のほとんどが運び出されてしまったそうですが、僅かながらも往時の遺構が残る貴重な場所かと。

  • そしてついに「本丸跡」に到着!<br />とはいうものの、約450年前に廃城となっているので、木々が生い茂るだけで何もない空間ではありますが、まぁそこは歴史ロマンということで。

    そしてついに「本丸跡」に到着!
    とはいうものの、約450年前に廃城となっているので、木々が生い茂るだけで何もない空間ではありますが、まぁそこは歴史ロマンということで。

  • 出発した「番所跡」からここ「本丸跡」までは、昨日入手しておいたパンフレットによれば、距離にして約400メートル・所要時間は約20分とのことでしたが、解説板を読んだり写真を撮ったりしてたので、だいたい30分強かかりました。<br /><br />実はまだ中間地点で、ここからさらに「山王丸」まで上がっていくのですが、どうしても似たような感じの絵になってしまうので、サクッとポイントだけご紹介します。

    イチオシ

    出発した「番所跡」からここ「本丸跡」までは、昨日入手しておいたパンフレットによれば、距離にして約400メートル・所要時間は約20分とのことでしたが、解説板を読んだり写真を撮ったりしてたので、だいたい30分強かかりました。

    実はまだ中間地点で、ここからさらに「山王丸」まで上がっていくのですが、どうしても似たような感じの絵になってしまうので、サクッとポイントだけご紹介します。

  • 「本丸跡」の北側(写真右側)と「中丸跡」(同左側)との間には、「大堀切」と呼ばれる大規模な堀切が残されています。

    「本丸跡」の北側(写真右側)と「中丸跡」(同左側)との間には、「大堀切」と呼ばれる大規模な堀切が残されています。

  • ここ「京極丸」は、「小谷城の戦い」の先手を務めた羽柴秀吉が、本丸に立て籠もる3代当主・浅井長政と、このさらに上にある「小丸」を守る隠居した2代当主・浅井久政との連携を分断するため、清水谷からいきなりこの曲輪を攻め落としたという場所です。<br />それにしても、よく山麓からここまで一気にブチ込んできましたねぇ。

    ここ「京極丸」は、「小谷城の戦い」の先手を務めた羽柴秀吉が、本丸に立て籠もる3代当主・浅井長政と、このさらに上にある「小丸」を守る隠居した2代当主・浅井久政との連携を分断するため、清水谷からいきなりこの曲輪を攻め落としたという場所です。
    それにしても、よく山麓からここまで一気にブチ込んできましたねぇ。

  • 「山王丸」へと入るすぐ手前の分かれ道を東側に回り込むと、高さ約5メートルの「大石垣」がひっそりと残っています。<br />その規模は「本丸跡」の石垣を上回るもので、今は苔生した感じですが、破却される前はもっと勇壮な姿だったんでしょう。

    イチオシ

    「山王丸」へと入るすぐ手前の分かれ道を東側に回り込むと、高さ約5メートルの「大石垣」がひっそりと残っています。
    その規模は「本丸跡」の石垣を上回るもので、今は苔生した感じですが、破却される前はもっと勇壮な姿だったんでしょう。

  • そして無事、最終目的地の「山王丸跡」へ到着。<br />ここは城の詰めの丸にあたり、山王権現が祀られていたことからその名がつけられたそうで、「本丸跡」からここまで約400メートル、所要時間は約30分くらいでした。<br /><br />なお、私は「大石垣」が見たくてここまで来たのですが、「本丸跡」までは観光客もぼちぼち見かけたものの、さすがにここまで来る者は少数派のようで、(時間帯もあると思いますが)人に会うことはなかったです。

    そして無事、最終目的地の「山王丸跡」へ到着。
    ここは城の詰めの丸にあたり、山王権現が祀られていたことからその名がつけられたそうで、「本丸跡」からここまで約400メートル、所要時間は約30分くらいでした。

    なお、私は「大石垣」が見たくてここまで来たのですが、「本丸跡」までは観光客もぼちぼち見かけたものの、さすがにここまで来る者は少数派のようで、(時間帯もあると思いますが)人に会うことはなかったです。

  • ●小谷城跡(赤尾屋敷跡)<br /><br />帰路、「山王丸跡」から「番所跡」を目指して下っていく途中、最後、保留していた分かれ道の先にある「赤尾屋敷跡」へ足を延ばしていきます。

    ●小谷城跡(赤尾屋敷跡)

    帰路、「山王丸跡」から「番所跡」を目指して下っていく途中、最後、保留していた分かれ道の先にある「赤尾屋敷跡」へ足を延ばしていきます。

  • 小谷城落城の際、当主の浅井長政は、その妻で織田信長の妹のお市の方と3人の娘(茶々・初・江)を逃したのちに本丸から打って出たものの、信長軍に攻められ戻ることができなくなり、この屋敷で自刃したと伝わり、こちらにその碑が立っています。。。<br /><br />これにて、「小谷城跡」の主郭部の主要な曲輪をひと通り見て回ったことになりました。

    小谷城落城の際、当主の浅井長政は、その妻で織田信長の妹のお市の方と3人の娘(茶々・初・江)を逃したのちに本丸から打って出たものの、信長軍に攻められ戻ることができなくなり、この屋敷で自刃したと伝わり、こちらにその碑が立っています。。。

    これにて、「小谷城跡」の主郭部の主要な曲輪をひと通り見て回ったことになりました。

  • ●小谷城跡ガイド館<br /><br />駐車場から車で山麓まで戻り、林道の入口付近にあり、シャトルバスの出発地点でもある「小谷城跡ガイド館」でひと休み。<br />敷地には、2011年に放送された大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を記念して、大きな兜が置かれてました(姫なのになぜ兜なのかは謎ですが・・・)。<br /><br />これにて、「小谷城跡」の登城も無事終了。<br />引き続き、ここ湖北の歴史スポットを巡っていきますが、それはまた別の旅行記で。<br />今回も最後までご覧いただき、どうもありがとうございました。

    ●小谷城跡ガイド館

    駐車場から車で山麓まで戻り、林道の入口付近にあり、シャトルバスの出発地点でもある「小谷城跡ガイド館」でひと休み。
    敷地には、2011年に放送された大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を記念して、大きな兜が置かれてました(姫なのになぜ兜なのかは謎ですが・・・)。

    これにて、「小谷城跡」の登城も無事終了。
    引き続き、ここ湖北の歴史スポットを巡っていきますが、それはまた別の旅行記で。
    今回も最後までご覧いただき、どうもありがとうございました。

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