2018/08/08 - 2018/08/10
118位(同エリア892件中)
葵さん
この旅行記のスケジュール
2018/08/09
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大寧寺
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車での移動
レンタカーで移動
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汐入門跡
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この旅行記スケジュールを元に
2018年の夏、山口県へ2泊3日の旅へ。
旅の2日目は朝から絶景スポットとして有名な「角島大橋」と「元乃隅神社」を巡り、そのまま日本海側を東へと向かい、途中、室町時代にこの地を治めた大内氏ゆかりの長門市「大寧寺」に立ち寄りつつ、さらにその東隣りの萩までやってきました。
ここ萩は長州藩毛利氏の城下町として栄え、今も数多くの歴史スポットが残されていて、その中からまず最初に訪れたのが、関ケ原の戦いの後、毛利氏が新たな居城として築いた「萩城」です。
三方を海に囲まれた指月山の麓に広がる城跡で、さてどんな素敵な光景に出会うことができるのでしょうか。。。
〔2018 盛夏の長州路をゆく アウトライン〕
●Part.1(1日目) :瑠璃光寺/大内氏館(続日本100名城)
https://4travel.jp/travelogue/11624310
●Part.2(2日目①):角島/元乃隅神社
https://4travel.jp/travelogue/11625873
●Part.3(2日目②):大寧寺/萩城(日本100名城)【この旅行記】
●Part.4(3日目) :萩市堀内地区/平安古地区/浜崎(重伝建地区)
https://4travel.jp/travelogue/11632115
〔日本100名城登城記〕
●水戸城(常陸国):https://4travel.jp/travelogue/11472788
●上田城(信濃国):https://4travel.jp/travelogue/11516270
●姫路城(播磨国):https://4travel.jp/travelogue/11593194
https://4travel.jp/travelogue/11601496
●松江城(出雲国):https://4travel.jp/travelogue/11478799
●津山城(美作国):https://4travel.jp/travelogue/11484252
●高知城(土佐国):https://4travel.jp/travelogue/11567369
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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●大寧寺
山口県の日本海側に位置する絶景スポット「角島大橋」と「元乃隅神社」を巡ったのち、さらに東へと車を走らせ、次に向かったのが、長門市の「長門湯本温泉」のほど近くにある「大寧寺」というお寺です。
旅の1日目(旅行記Part.1)で「大内氏館」を訪れた際、家臣の陶隆房の謀反(大寧寺の変)により自害に追い込まれた大内氏31代当主・大内義隆の供養塔がひっそりと建っていましたが、その歴史の舞台がまさにここになります。
境内の案内図を見ると、由緒あるお寺に相応しい規模のよう。 -
「大寧寺」は室町時代の1410年に創建されたと伝わる古刹で、境内に足を踏み入れると、一面に広がる濃い緑がとても印象的。
参道の脇に、大内義隆にまつわる「かぶと掛けの岩」と「姿見の池」という案内表示が。 -
遠く山口から逃れてきた大内義隆が境内に入る前、乱れた髪を整えようと参道脇の岩にかぶとを掛けて、そばの池に顔を映そうとしたところ、水面に顔が映らず、自らの運命を悟ったとの伝承が残されているそうです。
実際にのぞいてみたところ・・・。 -
イチオシ
お寺の正面へ廻ってみると、参道は爽やかな緑の木々に覆われて。。。
この日は「角島大橋」など青一色の景色がメインでしたけども、一転して緑一色ですねぇ。 -
光が当たっているあたりをアップにしてもう1枚♪
この様子だと、紅葉の時期なんかも素敵な景色になるんじゃないかと。 -
イチオシ
(写真だとちょっと分かりづらいですが)池の向こうに、往時は荘厳な山門が建っていたものの、今はその礎石と石碑「大内義隆公終焉之趾」があるのみに・・・。
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その山門跡を抜けて奥へ進むと、小さな池に架かる石橋の向こうに本堂が建っています。
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今は池に鯉がゆったりと泳いでいますが、何となく防衛のための堀っぽく見えるような気も。。。
周囲は山々に囲まれ、境内が天然の堀となり得る大寧寺川の北側という立地にあり・・・大内家の当主が逃走場所に選ぶくらいですし。 -
本堂は江戸時代後期に衆寮(僧の寄宿寮)を移築したものだそうで、中にはご本尊の釈迦如来が祀られています。
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本堂を斜めから見るとこんな感じ。
まぁ言われてみると、昔の寄宿寮の佇まいが残ってますかね? -
本堂の左奥のほうに、大内義隆主従が眠る墓所への小路がありました。
あまりお騒がせするのもよろしくないので、ここで引き返すことにしましょう。。。
ちなみに義隆辞世の句は、
「討つ人も 討たるる人も 諸ともに 如露亦如電応作如是観」(討つ人も討たれる人も、共に、人生は露のように、稲妻のようにはかないものだ)。大内義隆公墓所 大内義隆主従の墓所 名所・史跡
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●萩城跡 毛利輝元像
長門市の「大寧寺」を出発し、さらに日本海沿いに東へと向かい、今回の旅最後の目的地である萩市へとやってきました。
萩市内は歴史的なスポットが目白押しなので、限られた時間を極力効率的に使わねばと思い、この日はもう16時近いのですが、まずは1か所目として「萩城跡」を訪れてみることに。
城跡南側の萩市指月第一駐車場(無料)に車を置き、さっそく登城開始! -
木陰にいたのは、この「萩城」を築いた毛利輝元の像でした。
毛利輝元は豊臣政権下では五大老の要職に就いていたものの、1600年の関ケ原の戦いで西軍の総大将となり、戦後処理では、8か国112万石から周防・長門2か国29万6千石に減封(のちに36万9千石に高直し)され、この地に新たな城を築くことになります。萩城跡指月公園 名所・史跡
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●萩城跡指月公園
像があった枡形虎口を抜けると視界が開け、お城の正面にあたる「本丸門跡」へ。
幅の広い堀に架かる橋の向こう側が「本丸跡」となり、現在は「指月公園」として整備されています。 -
イチオシ
本丸を守る水堀と石垣が、今もかなりの長さで残ってますね~。
その背後に見える小高い山は標高143メートルの「指月山」で、山頂には本格的な詰城も設けられており、さすが毛利氏の本拠といった厳重さ。 -
奥に見える一段高い石垣が、明治時代初期まで5重5階の天守が建っていたところなので、まずはあそこを目指して行ってみましょう。
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橋を渡ってすぐのところにある小さな料金所にて、公園の入場料金を払うとともに、「日本100名城」スタンプを押印♪
◇萩城跡指月公園◇
開放時間:8時~18時30分
(11月~2月は8時30分~16時30分、3月は8時30分~18時)
料 金:大人220円
休 日:なし -
「本丸門跡」を抜けると、「志都岐山(しづきやま)神社」の参道がまっすぐ延びていますが、そちらは後ほど向かうことに。
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ということで、「本丸門跡」を入ってすぐ左に方向転換し、先ほどお堀沿いに見えた石垣の裏側へ。
ここには「雁木(がんぎ)」と呼ばれる石垣に設けられた階段が残っていて、実際の戦いの際、兵がここから石垣の上にあった櫓へと上がることができる構造になっており、萩城の雁木の長さは全国でも屈指の規模なんだとか。 -
その雁木を上り、石垣の上へ。
さすがは大藩の居城にふさわしい堀の幅ですね~。 -
そして天守台の石垣をアップにして。。。
天守台の高さは約11メートルあり、下部から緩やかな勾配が上にいくにつれだんだんと急な角度に立ち上がり、最後はほぼ90度になるというなかなか美しい曲線の形♪
これは、萩城が地盤の緩い三角州に築城されたことから、荷重を分散させる必要があったためだそうです。 -
そのまま石垣に沿って進み、いよいよ天守台へ。
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石段を上がると、まずは天守へと続く付櫓があり、奥に見えるのが天守台の石垣になります。
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で、その天守台へ行ってみると、一段高いところから城跡を見下ろすことができます!
萩城跡指月公園 名所・史跡
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イチオシ
城の大手にあたる「本丸門跡」からぎっしりと積み上げられた石垣が今もきれいに残っており、なかなか見応えがありますね~。
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ちなみに天守台には当時の礎石が残り、ここに5階5層の望楼型天守が築かれ、明治初期の廃城令により破却されるまで城のシンボルであり続けました。
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視点を変えると、指月山の方まで堀と石垣で防備が施されています。
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●志都岐山神社
天守台を降り、さらに城跡の奥へと進んでいくと、立派な台座に乗った狛犬に守られた「志都岐山神社」の前へ。
この先にある小さな石橋の脇を通り、社叢の杜へと入っていきましょう。志都岐山神社 寺・神社・教会
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鬱蒼とした木々に包まれた境内の中に、神社の拝殿がひっそりと。。。
志都岐山神社 寺・神社・教会
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「志都岐山神社」は明治時代の1878年に萩の有志が建立したのが始まりで、いたるところに毛利氏の家紋である「一文字に三つ星」が掲げられているとおり、ご祭神は毛利氏を土豪から有数の戦国大名に飛躍させた毛利元就ら5柱で、初代から12代までの萩藩主も祀られています。
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拝殿の裏側からもう1枚♪
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●東園跡
神社の東側には、江戸時代中期の6代藩主・毛利宗広の時に作庭された回遊式庭園「東園跡」が残り、今も水を湛えています。萩城跡指月公園 名所・史跡
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夏らしい濃い緑の木々が水面に映り込み、なかなかの風情。
なお、指月山には萩城の詰城が設けられ、今も石垣などの遺構が残されているそうですが、夏の暑い盛りに山道を登っていくのも大変ですで、時間も限られていることから、今回はスルーしました。 -
「東園跡」からそのまま東側へと抜けると、目の前に青い海が!
ここまでとはまったく違う景色にびっくりしてしまいましたが、よくよく考えると、「萩城」は日本海に突き出た指月山の山麓に築かれた城なので、南側を除く3方は海なんですよねぇ。 -
向こう側に見える砂浜が「菊ケ浜」で、県内でも有数の海水浴場とのことですが、このあたりはあんまり人はいないようです。。。
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●汐入門跡
そのまま海沿いに少し歩くと石垣の切れ目があり、ここが萩城二の丸の門の1つである「汐入門跡」になります。 -
ここから海側へ出てみると、波打ち際にまで石垣が連なってます。
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海から攻め込もうとする敵を撃退するための銃眼土塀(復元)も。
このあたりの防衛も抜かりありませんな。 -
イチオシ
こんな石垣&白壁と海&砂浜のコラボって、けっこう珍しいかも。
それにしても、もう夕方近くなのに砂浜の上は暑いっ! -
ズームをきかせてもう1枚。
これまで巡ってきたところもですが、ここ萩の海もキレイな青ですねぇ。 -
お、狭いですがちょうど石垣の切れ目があるので、ここを抜けて駐車場の方へ戻っていきましょうか。
昔はちょっとした勝手口のようなところだったんでしょうか??? -
そして、最初に入城した「本丸門跡」の東側まで戻ってきました。
今はもう石垣と水堀が残るのみですが、さすが長州藩毛利氏の居城だけあって、軽く廻っただけでも規模の大きさを感じさせる城跡でした。
また、城跡の東側には海に面した二の丸跡があり、単なる平山城ではなく海城としての性格も合わせ持っていたことが分かるので、合わせて寄ってみるといいんじゃないかと思いました(海もキレイですし)。
なお、指月山の山頂まで行かないのであれば、所要1時間を見込めば十分かと(山頂までは片道20~30分程度とのことです)。 -
●萩ロイヤルインテリジェントホテル
そして、この日はJR山陰本線「東萩駅」の駅前にある「萩ロイヤルインテリジェントホテル」に宿泊。
こんな感じで、旅の2日目は「角島大橋」からここ「萩」まで、山口県内の日本海側を横断するように移動&観光してきました。
なかなかにハードな1日となりましたが、夏らしい青い海と深い緑が美しいスポットを楽しむことができました♪
最終日の明日は、東京へ帰る時間になるまでここ萩市内を廻ってみることとしており、その模様はまた別の旅行記で。
最後までご覧いただき、どうもありがとうございました。萩ロイヤルインテリジェントホテル 宿・ホテル
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