2019/07/12 - 2019/07/19
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ミズ旅撮る人さん
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「通常のドイツツアーでは訪れることの少ない街へご案内」
この一言で、北ドイツのツアーに参加しました。
9回目は、ベルリン郊外のポツダムにあるサンスーシ公園の新宮殿です。
サンスーシ公園は、とにかく広大な公園で、一番有名なサンスーシ宮殿の他にも
シャルロッテンホーフ宮殿やオランジェリー宮殿、
そして今回見学する新宮殿があります。
サンスーシ宮殿から2.3kmも離れた新宮殿は、プロイセン王国の大王と呼ばれた
フリードリッヒ2世が、七年戦争に勝ったことを誇示するために建てた巨大な宮殿です。
ヴェルサイユ宮殿を模して建てられた宮殿は、幅220m、ドームまでの高さ55mの
バロック様式で、堂々たる規模の建物です。
これだけの宮殿は以後、造られることがなく、プロイセン王国最後の宮殿です。
宮殿の中は、「絢爛豪華」そのもので、壁という壁に絵画がびっしりと掛けられ、
絵画以外にも金をふんだんに使った装飾が部屋全体に施されるという、
実にこってりとした内装になっています。
ガイドツアーで見学しながら、ことごとく撮影して来ました。
あまり、ガイドブックなどでの扱いが少ない新宮殿をご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
サンスーシ公園の西の外れです。
こちらは新宮殿のお向かいにある建物で、
宮殿自体と同じスタイルの2つの建物には、王室の厨房があり、
庭師や宮殿の警備員、使用人が住んでいました。
1896年、ヴィルヘルム2世は、悪天候を回避するために、
宮殿との間にトンネルを建設しました。
中央の列柱(Kolonnade)は158本あり、凱旋門を擁しています。
七年戦争の勝利を謳ったものです。近年、修復されたそうです。 -
ぐるっと後ろを向いて、新宮殿です。
高さ55mのドームが聳えます。ベルリンのブランデンブルク門は
高さ20m、大聖堂は114mもあります。
大聖堂は、この新宮殿を建てたフリードリッヒ2世が
ホーエンツォレルン家の墓所としました。
それなのに、自身はサンスーシ宮殿の庭に愛犬と共に眠っています。
宮殿の中央部分には巨大なドームがあり、
その上部にはプロイセンの王冠を支えるギリシャ神話の3人の女神が
配置されています。新宮殿 (ポツダム) 城・宮殿
-
新宮殿の見取り図です。赤い部分をガイドツアーで見学します。
4~10月は、オレンジや水色の部分も見学できます。
見学中は、自分が建物のどこにいるのかわからないのですが、
団体ツアーでは、おそらく赤の部分だけを見学して、
出て来てしまっていると思われます。
自身はずっとサンスーシ宮殿に住んでいたフリードリッヒ2世は、
夏のシーズンに賓客が滞在する場合は、水色の「王室のアパート」と
呼ばれる部分に住んでいました。
内装はフリードリッヒ独特の芸術的なものになっています。
2つの前室、書斎、コンサートルーム、ダイニングサロン、
寝室などで構成されています。新宮殿 (ポツダム) 城・宮殿
-
写真撮影の許可を示す赤いベルトをストラップに付けて、
撮影を開始します。
玄関ホールでは、早速フルート奏者の像が出迎えます。
ここを建設したフリードリッヒ2世は優れたフルート奏者でした。 -
天井には、明るく優しい色使いの絵が描かれています。
新宮殿の建物はバロック様式だそうですが、
内装はやはりフリードリッヒ特有のロココ様式のようです。 -
階段ホールの扉の上に子供たちのレリーフが掲げられています。
-
2階に上がって、いきなりここで一番有名な「洞窟の間」に入りました。
貝殻で装飾した異色の部屋です。 -
扉の真上からして、既に貝殻で埋め尽くされています。
-
部屋の壁全体を貝殻で埋める様式は、当時流行ったもので、
ミュンヘンのレジデンツにもあります。 -
これがミュンヘンのレジデンツです。
ドイツには北にしか海が無いので、
貝は入手するのがたいへんだと思うのですが、
イタリア産の大理石と同様に地中海沿岸から取り寄せたのでしょうか。ミュンヘン王宮 城・宮殿
-
新宮殿の「洞窟の間」はこちら。
何故、貝殻を壁に貼った部屋が「洞窟」になるのか、
よくわかりませんが、そう名付けられています。 -
宮廷人にとっては「洞窟」というのは魅力があるようで、
バイエルン地方のノイシュバンシュタイン城にもあったし
(写真撮影禁止)、ヴェルサイユ宮殿の庭にも
「グロット」と呼ばれる洞窟庭園がありました。 -
貝は海の物なので、怪物のような魚がモチーフによく使われます。
-
中央に、3匹の魚が水を吐いています。
-
部屋全体は、横縞模様に統一されているので、1つ1つのモチーフは
おどろおどろしくても、全体的にはすっきりしています。 -
ここには、様々な種類の石が埋め込まれています。
プロイセンは、オーストリア継承戦争および七年戦争を含む
「シュレージエン戦争」により、現在のポーランド南西部と
チェコ北東部であるシュレージエン地方を獲得します。
これにより多くの天然石を確保しやすくなったのです。
色彩豊かな大理石の壁張り、碧玉、アメジスト、蛇紋石を盛り込んだ
床など、宮殿はヨーロッパでも他に類を見ない豪奢な内装となりました。 -
二枚貝を上手く放射状に嵌め込んでいます。
貝の内側が、色とりどりに光を反射するのが綺麗です。
これは、中国の螺鈿細工と同じ発想ですね。 -
貝殻が花束のようになっています。
-
こちらも花のモチーフを貝殻で作っています。
さすがに宮殿の内装はロココですから、
貝殻でも優美で可愛らしい路線は崩さなかったようです。 -
窓の周辺もロココっぽくしてあって、優しい感じです。
-
「洞窟の間」はロープが張ってあり、
見学者は一方の壁寄りに歩くようになっています。
そのため、全体を撮りやすいのですが、
向こう側は近寄って見られないのです。 -
床も見事に大理石を敷き詰めていて、天晴れな空間となっています。
-
そしてここが「洞窟の間」の天井部分です。
何故か天井の中央部分だけは貝細工ではありません。
螺鈿のモチーフの方がキラキラしていて綺麗です。
夜にはこの反射がより美しく見えたかもしれません。 -
天井画はやっぱりロココ。立ち位置が反対側になっているのが残念です。
-
優美な照明。これこそ「シャンデリア」と呼ぶに相応しいといった
感じです。 -
次の間は、天井の絵と絵の間が全部金になっているのが特徴の部屋です。
そして、大理石は紫色で統一されています。 -
壁の鏡にも天井画が写っています。
まるで、鏡ではなく絵画のように見えますね。 -
並行してある部屋との間のアーチには
小さな鏡がタイル状に嵌め込まれていて、夜の光の反射が綺麗でしょう。 -
天井画。如何にもロココの天井画は可愛いです。
左上の4頭立ての馬車に乗る女性は、勝利の女神ヴィクトリアでしょう。
ベルリンのブランデンブルク門の上や、シュベリーン城にもいました。 -
真ん中の天井画です。意外とモチーフがこぢんまりしていて、
余白が余っているような・・・
ロココとは言え、もっとババーンとした絵でもいいと思うんだけど。
新宮殿の天井画は、どれもこんな感じでした。 -
絵と壁の間を飾るモチーフ。ここにはブドウが用いられています。
サンスーシ宮殿の庭園もブドウで、好まれていたことがわかります。 -
おそらく、先程の「洞窟の間」と同型のシャンデリアと思われますが、
電燈が点いていないと印象が違います。 -
ここからは、ガイドツアーがどんどん進んで行きます。
部屋は全部で200室以上あるという新宮殿。
そのうちのいくつを見られるのかな? -
天井が高いので、扉もこの高さです。
その上にまだ余裕があってようやく天井です。 -
壁に何か書かれています。ロシア語です。
これまでにも壁に写真が飾られていたところがありましたが、
それらはすべて、第二次世界大戦の際に、ロシアが略奪した絵画です。 -
1939年8月23日ドイツのヒトラーとソ連のスターリンとの間で
「独ソ不可侵条約」が締結されました。
直後の1939年9月1日、ヒトラー・ドイツがポーランドに侵攻して、
第二次世界大戦が始まりました。
ドイツ軍はワルシャワを占拠し、ポーランド西半分を占領、
ソ連は、ポーランドの東部を占領し、ポーランドを分割、
バルト三国などを併合しました。 -
1941年6月、ヒトラーは独ソ不可侵条約を一方的に破棄して
ソ連に侵攻、独ソ戦が開始されます。
しかし、戦局は徐々にドイツに不利になって行き、
ベルリンはソ連軍が真っ先に包囲します。
1945年4月30日に首相官邸地下壕にこもっていたヒトラーが自殺、
ベルリンは陥落して、5月8日に正式にドイツが無条件降伏して
ヨーロッパの戦争は終わりました。 -
ポツダムはソ連の占領下に置かれたので、
新宮殿も略奪の対象となってしまいました。
ナチス・ドイツがヨーロッパ中から略奪し、
ベルリンに保管していた美術品もソ連がごっそり持って行きました。
およそ半数は返還されたようですが、
エルミタージュ美術館は随分と収蔵品を増やしたようです。 -
新宮殿で、ロシアに略奪された絵画が写真で飾られていることを
聞いた時は、ロシアはひどいなと思いましたが、
そもそもナチス・ドイツも連合国の占領地から、
同じことをして美術品を集めていたのです。
ヒトラーとゲーリング空相は、熱烈なコレクターとして有名です。 -
大理石のテーブルに、色石を貼り合わせた風景画が嵌め込んであります。
-
次の部屋は、赤いダマスクス織の部屋です。
-
ソ連が、プロイセンから略奪して行った美術品の一例です。
・ドレスデン美術館収蔵のラファエロの『システィーナの聖母』。
・ベルリンのペルガモン博物館の目玉である
「ペルガモンのゼウスの大祭壇」は、サンクトペテルブルクの
エルミタージュ美術館に展示され、1959年に返還されました。
あのように巨大な物をどうやって運んだのでしょう。
・オットー・クレープスのコレクション
(絵画102点、スケッチ13点、彫刻8点、磁器12点)は、
今以てエルミタージュ美術館に展示されています。
・ブレーメン美術館の収蔵品1,700点余は、
ブランデンブルク城に隠されていましたが、ソ連軍に見つかり、
エルミタージュ美術館の展示品になっています。 -
フリードリヒ2世(1712 - 1786)は、
1740年にプロイセン王およびブランデンブルクの選帝侯に即位した、
啓蒙主義の君主として知られています。
フリードリヒ2世は自らを「国の一番の従者」と称し、
拷問を廃止ししたことでヨーロッパ中で反響を呼びました。
彼は国内に数百の学校を設立しました。
(ポツダム大学は1991年創立です) -
フリードリヒ2世は、1763年に王立磁器製陶所「KPMベルリン」を
創設しました。
ザクセン選帝侯アウグスト強王が創設したマイセンに対抗したのです。
ブランデンブルク選帝侯伝統のモチーフ「王の笏」を
「KPMベルリン」に付けさせ、
宮殿で使用するディナーセットや外国への贈答品を
積極的に注文するなどして発展に寄与しました。
従業員には平均以上の給与や充実した制度を保証し、
児童労働者を禁止するといった雇用に関する制度も整備し、
当時の工場経営の規範を示しました。 -
1918年のドイツ革命後、家具の多くは取り外され、
オランダのハウスドールンにある亡命した皇帝ヴィルヘルム2世の住居に運ばれました。
家具の大部分は1970年代にオランダ人によって発見された時は、
まだ元の梱包箱に入っていて、ポツダムに戻されました。
第二次世界大戦でも新宮殿は爆撃を大方免れたため、
今日の宮殿は1918年当時とほとんど同じ状態を保っているのです。 -
この時計もオランダまで行って来たのでしょうか。
金細工も目を引きますが、木部の細工が見事です。 -
鏡の前の陶器は、マイセンかな?「KPMベルリン」かな?
-
天井とは思えない金細工です。
以後、ほぼすべての部屋でこの状態が続きます。 -
ここにある胸像なら、フリードリッヒ2世かな?
-
色大理石の彫刻が見事な暖炉。
-
シャンデリアより天井の方に感嘆。
こればかりはソ連軍も持って行けなかったね。 -
一角には小さなベッド?
昔の人は足を延ばして寝ないから、ベッドが小さい。 -
この肖像画は時代が新しいようなので、もしかしたらドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の后、アウグスタ・ヴィクトリア皇后でしょうか。
絵を斜めから撮っているのは、反射があるためです。 -
こちらがヴィルヘルム2世かしら?
-
王冠を被り、王笏と剣を持っているので、
フリードリッヒ2世の戴冠式かな? -
上の絵に描かれている人物をナンバリングして解説しています。
残念ながら、ブレていて読めません。失敗したなあ。 -
1786年にフリードリヒ2世が亡くなった後、
新しい宮殿は使用されなくなりました。
しかし1831年に新宮殿で生まれた皇太子フレデリック・ウィリアム、後にドイツ皇帝フリードリヒ3世の夏の離宮となりました
(1859年から)。
彼の皇后であるイギリス王女ビクトリアとのお気に入りの住居でした。
わずか99日というフリードリヒ3世の短い統治の間に、
宮殿は「フリードリヒスクロン宮殿」と改名され、
堀が宮殿の周りに掘られました。
フリードリヒ3世は、喉頭癌のため即位から3カ月で亡くなりました。 -
フリードリヒ2世がヨーロッパ中から集めたシャンデリアを電化し、
スチーム暖房を設置、バスルームの設置などの、
宮殿内の改修と修復が行われました。
1918年まで、最後のドイツ皇帝であるヴィルヘルム2世と
アウグスタ・ヴィクトリア皇后の住居として愛用されていました。
ドイツ革命の後は、宮殿内の家具を亡命先のオランダに運んだことは
前述の通りです。 -
ここまで装飾過多の部屋で落ち着けるというのは、
やはり育ちの違いなのでしょうか。 -
神聖ローマ皇帝カール6世が亡くなった時に、
跡を継ぐ男子がいなかったことから、
マリア・テレジアを後継とすることにプロイセンが反対しました。
バイエルン公・ザクセン選帝侯・フランスが同調し、
オーストリアはイギリス・ロシアと組んで
1740年に「オーストリア継承戦争」が勃発しました。
1748年にアーヘンの和約でオーストリアはシュレージェンを
プロイセンに割譲する代わりに、
マリア=テレジアのハプスブルク家領の相続は認められました。
神聖ローマ皇帝には、マリア=テレジアの夫トスカーナ大公が選出され、
フランツ1世となりました。 -
シュレージエン地方を奪われたマリア・テレジアは、
虎視眈々と奪還の機会を狙います。
フランスで権力を握っていたルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人及び、
ロシアの女帝エリザヴェータと手を組むことに成功,
「外交革命」とよばれる、プロイセンの西と東と南からの包囲網を
完成させます。
オーストリアは長年フランスとは敵対関係にありましたが、
同盟を強めるために、末娘のマリー・アントワネットを
フランスへ嫁がせます。 -
1756年、脅威を感じたフリードリッヒ2世は、オーストリアへ侵攻、七年戦争が始まります。
オーストリアはフランス・ロシアの他にスペイン・スウェーデンの支援を受けて優勢に戦局を進めます。
プロイセンはフランスと敵対しているイギリスと手を組みますが、
イギリスは英仏植民地戦争の最中で満足な支援が出来ませんでした。
プロイセンは孤立したまま、劣勢に立たされます。
七年戦争は、オスマン帝国を除く当時の欧州列強が全て参戦した、
歴史上初めての世界大戦でした。 -
屈強に陥ったプロイセンに、1761年、好機が訪れます。
ロシアの女帝エリザヴェータ(ピョートル大帝の娘)が亡くなり、
その後継にフリードリッヒ2世を崇拝していた
ピョートル3世が即位したのです。
ピョートル3世は単独講和に応じ、サンクトペテルブルク条約で
七年戦争から手を引きました。
余談ですが、ピョートル3世は1762年1月5日に即位し、
その年の7月9日、妻にクーデターを起こされ退位、暗殺されます。
妻は女帝エカチェリーナ2世としてロシアに君臨します。
わずか半年の治世でしたが、プロイセンにとっては
信じられないほど幸運な形勢逆転でした。 -
同時に、イギリスが英仏植民地戦争でフランスに勝ったため、
オーストリアの同盟国は急速に力を失います。
1763年フベルトゥスブルク条約でシュレージェンの領有を
オーストリアに認めさせ、七年戦争は終結しました。
七年戦争戦争にはほとんど参加しなかったイギリスは、
世界中の植民地での戦争に注力し、
1763年にパリ条約でフランス・スペインと講和を成立させ、
フランスから広大な植民地を獲得しました。
これ以後、プロイセンはヨーロッパ列強の仲間入りを果たします。
長い戦争で疲弊した各国は、以後、大きな影響が出ます。
イギリスは1775年に始まったアメリカ独立戦争でアメリカを失い、
アメリカを支援したフランスは財政難から、
1789年にフランス革命が起こります。 -
ゴージャスな装飾から優美な空間へ、一気に世界が変わりました。
降ってくるような金のラインが何とも素敵です。 -
夢見るような空間。これまでの富をひけらかす装飾から、
芸術性の高い装飾になっています。 -
こぢんまりした部屋は、控えの間だったのでしょうか?
-
暖炉に使われている石のなんと素晴らしいことでしょう。
これはシュレージエン地方の産物でしょうか。
プロイセンとオーストリアが奪い合っていたのに、
最後は第二次世界大戦で分割の憂き目を見たポーランド領になるとは、
おもしろいものですね。 -
足元にまで花が描かれています。
-
次の部屋は、銀細工の部屋でした。
-
そして素晴らしい暖炉。石だけで芸術品になるとは、恐れ入ります。
-
暖炉の上には、オリエンタルな像。アラビア風の衣装と可愛らしいサイ。
サイは、空想の動物としてではなく、実写的な描写ですね。
ネパールのチトワン国立公園で象に乗って、
サイを見に行ったことがありますが、これはどこのサイを
モデルにしたのかな?アラビア半島にはいないと思うけど。 -
陶器でこんなに細かい細工が出来るんだ。すごい技術ですね。
-
壁や天井の銀細工は、細工物を後から張り付けています。
かつては壁画や絵画のように、描かれたものが多かったですが、
この時代にはより立体的な装飾になっています。 -
バスルーム。タイルが敷き詰められた壁にはシャワーもあります。
コックが3つあるので、お湯と水とシャワー? -
豪華な寝室は、ヴィルヘルム2世の部屋かしら?
-
模様の細かい絨毯が敷かれています。
-
芸術的価値の高い家具類がオランダから戻って来て良かったです。
-
これも金細工を天井に張り付けてあります。
-
花瓶には「洞窟の間」と同じ貝殻のように見えますが、
陶器の極小の花がびっしり付けられています。 -
木の表面の花模様の加工が素敵です。
-
暖炉の中にはフリードリッヒ3世が設置した
スチーム暖房の装置が入っています。
古い城や宮殿の暖房は、巨大な陶器の暖炉の裏側で、
燃料を燃やしていたものですが、
1918年まで使われていたお陰で、設備は更新されています。 -
細工が繊細なので、とても感じのいい部屋です。
-
なんといっても、この天井がいい感じです。
花輪のような天井飾りなんて、いいなあ。
フリードリッヒ2世は、ロココ様式でも、独自の感性で
内装を指示したそうなので、芸術家らしい繊細な造りになっています。 -
花瓶のコレクションにも、フリードリッヒ2世様式が伺えます。
-
これらの照明も、後に電化されました。
蝋燭の形を残しているので雰囲気はそのままです。 -
こちらの部屋はまだ修復中です。
-
鏡のような天井画には、登場人物が1人と1匹だけ。
ちょっと寂しい気もしますが、背景の淡い色合いが、
部屋のシンプルな色遣いに合っていて、いいなと感じます。 -
緑のダマスク織の部屋です。
-
フリードリッヒ2世のロココは、
なかなかどうして大した芸術性の高い作品になっています。
これまで見て来た城や宮殿の中で最も繊細で美しいと思えます。 -
何気なく置かれている時計や置き物が、なんと見事なものなのでしょう。
見学ツアーなので、情け容赦なく進んでしまい、
じっくり見られないのが残念です。 -
絵画の間なのでしょうか。
見学を始めた時には、ソ連軍に略奪されて写真を代わりに
掲げられた絵がありましたが、この部屋はどれも揃っています。 -
華やかなホールでは、かつては舞踏会などが催されたのでしょうか。
新宮殿には、劇場も設置されています。 -
美術館のように、誰の何と言う作品という札が無いので、
もったいないなあ。
フリードリッヒ2世お抱えの絵師などもいたのでしょうね。 -
展示されている絵画は、同時代のものに統一されているようで、
どれも徹底して雰囲気が似通っています。
フリードリッヒ2世は、他の絵画には興味がなかったのかな? -
真ん中の大きな絵には、猟犬が多数描かれています。
これは、なんだかその他のコレクションとは、主題が違います。
でも、フリードリッヒ2世は愛犬家だったので、
個人的趣味なのかもしれません。
自分は愛する犬たち共に、サンスーシ宮殿の庭で永眠したいと
言っていたそうです。 -
前言撤回。この絵はロココじゃないでしょう。こっちの方が好きです。
-
いったい、大きなホールがいくつあるのでしょう。
全部で部屋数は200を超えると言います。そんなに使ったのかしら。 -
この部屋の天井は、壁との境に、小さな彫刻がいます。
-
何体隠れているのか、数えてみよう!あれ?もうツアーが行っちゃった。
-
この部屋も一部修復中だからか、
あっという間にガイドツアーが通り抜けて行きました。 -
この部屋の床は見事な模様を成しているので、
ロープを張って歩ける場所が限られています。 -
「出来れば歩かせたくない」という声が聞こえて来そうな通路です。
それでもガラス張りにして、見えるようになっているのが有難いですね。 -
ホールが大きいので、殊更に大きな絵がたくさん掲げられています。
-
シュレージエン地方を手に入れたフリードリッヒ2世は、
自ら美しい石を求めて、シュレージエンに赴きました。
中でもお気に入りだったのが、クリソプレーズ(緑玉髄)という
黄緑(アップルグリーン)色の石です。
近年では採掘されていない希少な石です。 -
ゴールドに囲まれた天井画。天上の世界でしょうか。
-
何故か1枚だけ、イーゼルに置かれていました。
-
最後に見た部屋の天井です。ここは、天井丸ごと絵画になっていて、
補修作業で紙を張り付けたままです。
これで、宮殿の外に出ます。 -
新宮殿の前のベンチに座るご主人を待つ犬。なんか、可愛い。
-
バスに乗り込み、ベルリンに戻ります。
駐車場を発車してすぐにサンスーシ公園駅(Park Sanssouci Bahnhof)があり、こんな建物が付属していました。
DB(ドイツ国鉄)の施設で、皇帝専用駅(Kaiserbahnhof)だった
建物です。
中には、皇帝の特別列車が収納されています。 -
モスクのようなこの建物は水道のポンプ室で、
サンスーシ庭園の噴水に使われていました。
さて、これで、ベルリンに戻ります。
この後は「ベルリン後編」に続きます。
次回は、ドレスデンに向かいます。
ツアーから離れて、レスニッツグルント鉄道に乗りに行きます。
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