
2023/07/16 - 2023/07/18
4位(同エリア215件中)
あの街からさん
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ナポリからローマへ。まるで街そのものが美術館のような
日々〈旅行記・別途〉を楽しんだ後、ドイツの北部ベルリン
へと向かうため、ローマ・テルミニ駅からローマ空港へと
移動するところからこの旅行記は始まります。
ロンドン~ナポリは順調だったLCC。
今回ローマ空港発ベルリン行きが2時間遅れ
ベルリンのホテル着が午前1時を回ってしまいました。
それからシャワーを浴びて、寝落ちして眠ったのは
3時間か4時間ほど。
それでも、8時過ぎには、ベルリン中央駅から電車に乗って
ポツダムへと向かいました。
これまで周ってきた大都会とは違う自然豊かで
ゆったりとした街の雰囲気に寝不足も忘れてワクワク。
それもそのはず
カラヴァッジョの生絵に会いたい観たい。と
この旅の行程にポツダムを加えたのですから。
行くと決まりポツダムを調べてみたところ
見どころがいっぱい出てきましたが
もちろん
先ずはサンスーシ宮殿へと向かいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前日にチケットは、買っておいたのですが、テルミニ駅の
駅舎内を散策してみようと少し早めに到着し先ず、運行状況
を確かめ -
その後相方さんに荷物を託し、しばし広い駅舎内
のショップをあれやこれやと散策。 -
待ち合わせ場所へ戻ろうとしたところ、
正面改札口で何らや不穏な動き、どうやら突然列車が間引い
て運休になっている。なんと買っておいた便も間引き運休の
対象となっていました。(;゜0゜) -
早速、とりあえずは自動販売機に直行。
ところが、次の列車もまた次の列車も満席の表示が出ている。
どうしようか。 (;゜0゜)
よし、試しにこれで行こう!と思いついたのが、
停車中の列車に乗ってしまおう。
改札を通り停車中の空港行きの列車に取り急ぎ乗車しました。
座席指定は無効になるだろうから立ったまま空港までゆこう。
時間にしておよそ1時間の辛抱だぁ。と覚悟を決めて
鞄置きに鞄を置き身軽になったので、まぁこんなこともある
さ、と立ったままiPodで音楽を聴きながら車窓から風景を
眺めているとあっという間に空港駅に着きました。 -
16:20発を買っておいたのですが運休となり
停車中の16:09発に乗り換え
ローマ空港へ16:45に着きました。
早速イージージェットのカウンターで大型鞄を預け
ターミナル3 へ移動。 -
空港に着いてホッとしたら空腹に気がつき、
2階フロアのフードコートへ
イタリア最後の食事だからやっぱりパスタにしました。
平べったい麺のボロネーゼちょっぴりアラビアータ味(⌒▽⌒)
2人で、37EUR〈6,180円程〉水、オレンジジュース込み -
ローマ滞在中はパリと同じくらい喉が渇いて、ペットボトルを
日に何度も買ったのですが、ロンドンの様にキャッシュレス化
は進んでおらず現金の用意が必要でした。あまり現金を持たず
に歩いていたので、時々少しは両替しておこうかな。と市内の
両替所を見てみたら、羽田空港で、1EUR160円でも円安を
感じたのですが、3箇所で見たローマ市内の両替所ではそれ
どころか、比較的良いレートで163.14円。中間で167.14円で
180.53円というところもありました。 -
ローマの空港内のコンビニでおにぎりがあったので買おうかと
値段を見たら1個7EURということは、167×7=1,169円
日本での値段を知っているとやはり、高いなぁと二の足を踏んで
しまいました。笑 -
イチオシ
18:05 保安検査を通り
18:13 搭乗口が決まるまで 大きな 電光掲示板の
ある待合室の長椅子で待つことに。
時おり電光掲示板を見ていると、どうやら
出発30分近くにならないと出発ゲートが
決まらないらしいことがわかった。(;゜0゜)
仕方がない。
お土産を見て時間の経過を待つことに。 -
ガトウイック空港では、イージージェットは
フライト時間の2時間前に受付終了。
搭乗ゲート受付も1時間前終了と告知があった。
今日は、保安検査を2時間前に通過余裕で
待っていたのに出発ゲートの表示はギリギリまで
待合室で待たされた。
なにしろ広いローマ空港。
その中でLCCの発着ゲートは、端の端。
搭乗口まで遠い。走った。
空港中を息き絶え絶えに走って
19:53 搭乗口ゲートへ辿り着いた。
この時点で出発時刻は、20:20発
結局、21:47
およそ2時間遅れでやっと搭乗開始(;゜0゜) -
ベルリン空港 着は予定より大幅に遅れて
23:47着になっていた。
まぁそれでも、無事ベルリン到着に感謝。
預けた鞄は、早い順番で出てきた。
空港内は既に人はまばら
接続の地下鉄駅までけっこう遠く感じた。
エスカレーターも省エネかストップしている。
やっとのことで最終?地下鉄に乗れたのは
午前0時を回っていた。
驚いたのは空港駅を電車が出ると間も無く
チケット検札官が回ってきた。
チケットは買って検印済みだからすぐ済んだ。
パリの地下鉄では、改札口を飛び越える人を多く見かけ
ローマの市バスでは、検札官が無賃を知りながら
地元民を見逃しているルーズさ。
と比べればドイツはキッチリしているという事か。
そう言えば空港内は清掃員が清掃中だし
地下鉄内もきれいだ。ドイツにやって来た実感が湧いた。
時刻は、午前1:17を回っていた。 -
ベルリン中央駅 タクシー乗り場の列が長く
駅からトラムでひと駅にあるHotel
まで、夜道を鞄を引いて歩いた。
チェックインは午前0時までとHPにあり心配したが
フロントで、そのまま部屋に通してくれた。
部屋には、冷房が入っていて歩いてきたので気持ち良かった。
シャワーを浴びて 落ち着いたら午前3時近くに。
そのまま今夜も寝落ち。
3連泊お世話になりました。
1泊25,000円とベルリンのホテルもだいぶ高くなりました。
前回は同じ予算でブランデンブルグ門に近いヒルトンホテルに
泊まることができましたっけ。 -
寝落ちする前に目覚ましをセットして(⌒-⌒; )
4時間ほど眠り翌朝早々にトラムに乗って
7分程でベルリン中央駅に向かいました。 -
ガラス張りで明るく天井も高い
ベルリン中央駅
気に入りです。 -
イチオシ
ガラス張りで明るく天井も高い
ベルリン中央駅
気に入りです。
8時少し前。 -
駅構内の2階には早朝から営業中の店が
並んでいます。
朝食をここで買いました。
野菜とフルーツのミックス生ジュース
とソーセージと野菜サンドしたパン
どちらも美味でした。 -
3階に上がったところから
ポツダム行きのSバーンが出ます。 -
ベルリン中央駅 8:19発
に乗って
ポツダム駅 9:03着 -
ポツダム駅の駅舎も大きなガラス張りで
爽やかな感じがします。 -
駅舎の前庭を横切って
大通りに出ると直ぐに
トラムの停留所とバス停があります。 -
駅からバスで
サンスーシ宮殿にやって来ました。
9:18着
プロイセン王国
フリードリヒ1世(在位・1701~1713年)は
華美な生活を愛しその浪費は国費を圧迫し続けた。
教養人でもある王は芸術と科学アカデミーを設立。1713年に死去。
ついでフリードリヒ・ヴェルヘルム1世が国王に即位。
在位・1713年~1740年
兵隊王とあだ名されプロイセン王国を強大な軍事国家にした。 -
イチオシ
プロイセン王国 国王フリードリヒ2世
在位・1740年~1786年
1745年~1747年 の2年間で
首都ベルリンとは異なる
夏の宮殿 主に、くつろぎの宮殿として
こじんまりとして、瀟洒な佇まいの
サンスーシ宮殿を建設した。
そして、公務の為には新宮殿を建築するなど徹底していた。 -
フリードリヒ2世
1740年 28歳でプロイセン王に即位
拷問の廃止、宗教寛容令、アカデミー復興、新聞の創刊
王立銀行など多くの啓蒙主義的な改革を行なった。 -
真夏の快晴の下でも
ガイドブックのように黄金色と言えませんが
その燻んだ色合いにも
経年の歴史の重みを感じる宮殿です。
フリードリヒ・ロココ様式
豪華かつ柔らかな印象を受けました。サンスーシー宮殿 城・宮殿
-
イタリア式の庭園には
葡萄と無花果の棚が一面に -
宮殿への入場券はネットで予約しておきました。
別棟で、スマホの画面を見せて引き換えるスタイル。
右奥の建物でチケットの引き換えを終えた人たちと
すれ違いました。 -
宮殿の庭園西側には風車小屋が立っています。
宮殿完成後
フリードリヒ2世は取り壊しを命じたところ
近隣の農夫たちからすぐさま
「私たちの暮らしの為には風車が必要です。
どうか風車は壊さないでください。」
と訴えがあり、それに応じたという
フリードリヒ2世の人柄をあらわす逸話が残されています。 -
チケットを紙のチケットに引き換え
迎賓館として使われたノイエカマーンを眺めながら
いよいよサンスーシー宮殿に向かいます。 -
エントランスから豪華なシャンデリアと大理石の壁
の細長いギャラリーを進みます。 -
宮殿といえばシャンデリア
日没後に灯りが点った頃に見てみたいなぁ。
と感じました。 -
フリードリヒ2世が息をひきとったとされる肘掛け椅子。
-
フリードリヒ2世の父王<ヴィルヘルム1世>が
芸術を良しとしなかったこともあり、
父王の死後7年を経てやっと
サンスーシ宮殿に音楽室を拵えました。 -
イチオシ
フリードリヒ2世はこの部屋を
ロココ調の豪華な設えをして
好きな絵画を掲げ
気のおけない仲間を招き入れては
いっ時音楽に興じていました。 -
ここで、フリードリヒ2世の生い立ちをみてみよう。
祖父のフリードリヒ1世は、その生涯にわたって
ルイ14世ふうの華麗な宮廷生活を求め続け国家財政
も圧迫していた。1713年に死去。
フリードリヒ2世の父王
フリードリヒ=ウィルヘルム1世は、
バロックの宮殿生活を愛した両親とは似てもにつかぬ
粗暴で武骨な子供だった。
フランス風のエスプリとエレガンスを重んじた母の
期待に背き少年期を過ごした。
「私はフランスのマナーには従わない。何故なら
私は、ドイツの王侯であり、ドイツの王として
生活し死んでゆきたい。」との逸話がある。
また、大の兵隊好きで大太子の頃には狩猟館に
600の私兵を抱えていた。
そして
フリードリヒ=ウィルヘルム1世は、強力な軍隊を作り、
官僚制を整備し、重商主義政策をとり、典型的な絶対王政を展開。
軍国主義政策をとった。また、プロイセン王国の国家予算を
作成させ、徹底した節約を官僚に命じたが、
軍隊の育成は例外とし多額の費用を投入した。
当時のプロイセン王国の年間歳入は750万ターレルであったが、
そのうちおよそ500万ターレルは軍備に使用された。
国王は国内の農山村各地域や時としては諸外国からも
若い青年を募集し軍隊を増強した。
しかし、その実態は強制であり、徴用であった。
それによってプロイセン王国は人口及び軍事力において
フランス・オーストリア=ハンガリーに次ぐ、
ヨーロッパの中で第三位の地位についた。
フリードリヒ=ウィルヘルム1世は、その乱暴な振る舞い、
教養のなさから「兵隊王」とあだ名され
体が大柄で屈強な若者がいると、軍隊が無理矢理に連れてきて
近衛兵にしてしまったという。
その軍隊は規律も暴力的で脱走には「鞭打ち」の罰が与えられたという。 -
軍備拡張をあえてしながら実際の戦争となると、どれほど
莫大なお金を必要とするのかを倹約家の王は心得ていて
参戦には、自国の兵ではなく傭兵を雇って義理を果たすよう
後継者に忠告していた。
この様なフリードリヒ=ウィルヘルム1世は、
〈在位・1713年~1740年〉
民からも不人気だった。
フリードリヒ=ウィルヘルム1世の息子である
フリードリヒ2世は、父王からは虐待とも
思える育てられ方をして大人へと成長する。
父王が死去し 1740年 28歳でプロイセン国王に即位。 -
父親の軍国主義を嫌い、芸術を愛した。
その一方で啓蒙主義的改革も成功させ
フリードリヒ大王と呼ばれた。 -
スェーデン王カール12世の像
妹のスェーデン女王が贈ってくれたもの。 -
楕円形のホールは
ギリシャ・コリント式の大理石の柱が立ち
芸術好きの王の好みそのまま表した可愛らしい天使が
ぐるりと楕円天井を飾っています。 -
絵画館とは別に
どの部屋にもロココの絵画が掲出されていて
フリードリヒ2世の徹底ぶりが見てとれます。 -
陶器もあちらこちらに
どこへ目をやっても美術館のような宮殿内です。 -
ミュージアムショップでは
絵葉書を数枚買いました♪ -
さぁて お待ちかね
夏季限定公開の間へ
カラヴァッジョの生絵を観に行きます。 -
屋外へ出ると
この明るい日差しが
思わず わぁ!
と 背伸びをしてしまいました。 -
イチオシ
数100年前の王家やその家臣たちも
この風景の中
ゆったりと暮らす時もあったのだろうか -
宮殿の隣りの棟と言うべきか
-
ほんのちょっと歩いて移動します。
-
なんや ドキドキ
と言うより ワクワクと言った方が良いのか
いよいよカラヴァッジョの生絵に会えます♪ -
絵画館 5月中旬から10月中旬 5ヶ月間開館
-
イチオシ
フリードリヒ2世のセンスの塊のような
この空間。 -
装飾も豪華ですが
どこか柔らかで -
天井は やはり眩しいくらいの黄金色
-
フリードリヒ・ロココ様式
ケバケバしさはなく 大人な上品さに包まれています。 -
イチオシ
誰~れもいない
ロココ宮殿空間で
こころ ワクワク
さぁ 先ずは カラヴァッジョ
どこに -
こんなすごい空間にフリードリヒ大王の頃
から飾られている絵画の数々を観る幸福感♪ -
あぁ カラヴァッジョ!
ゆっくりと近づいてゆきました。 -
そして、カラヴァッジョの生絵の前に立ち止まり
その力強いオーラを感じました。 -
イチオシ
『聖トマスの不信』 カラヴァッジョ
1601年~1602年頃の作品
キリストが復活したことを信じない弟子トマスにむかって言った、
「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして
私の脇に差し入れてみなさい。信じない者にならないで、
信じる者になりなさい」イエスが手を聖トマスの手を握って
傷口に導くと、聖トマスの顔は驚きを示す。
後光がないことはすなわち復活したキリストの肉体を強調している。
(聖書ヨハネ福音書20章27節)を題材とした作品で
カラヴァッジョは、明暗法〈キアロスクーロ〉を用い
彼の特徴でもある宗教的題材を庶民の姿でそのままに描いたのだが、
この表現方法は、宗教画の「適正さ」や「品位」を遵守するよう
求められた当時としては特異な表現方だった。 -
目の前 手を伸ばせば届く位置
他には誰でもいない
贅沢な空間でひとりじめ。 -
フリードリヒ2世の在位中は
西洋絵画区分ではバロックからロココ
の移行期。
芸術を愛したフリードリヒ2世は
たくさんの絵画を収集していたのでした。 -
芸術を愛したフリードリヒ2世は
たくさんの絵画を収集していた。 -
芸術を愛したフリードリヒ2世は
たくさんの絵画を収集していた。 -
芸術を愛したフリードリヒ2世は
たくさんの絵画を収集していた。 -
また、そばにやって来ては オーラを浴びます。
プロイセン王室コレクションに入る前は、
ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニが
所有していたことから
第二次世界大戦で失われずに済んだ。 -
このために今回の旅の行程に
加えたのですから
その甲斐あって満足感いっぱいです。 -
芸術を愛したフリードリヒ2世は
たくさんの絵画を収集していた。 -
サンスーシ宮殿 絵画館
この贅沢な空間を独り占め。
カラヴァッジョの「聖トマスの不信」は
丁度 真ん中辺に展示されています。 -
西洋絵画時代区分では、理想主義を掲げたルネサンス期は、
よく言えば人間讃歌で辛く言ってしまうと、きれい事でもあった。
そこからマニエリスムに移行し更に
ありのままをドラマチックに描いたバロックと経て
ロココ様式となるのだが、
カラヴァッジョは、バロック様式の扉を開いたとも言われている。 -
サンスーシ宮殿 絵画館
この贅沢な空間を独り占め -
サンスーシ宮殿 絵画館
この贅沢な空間を独り占め -
イチオシ
サンスーシ宮殿 絵画館
この贅沢な空間を独り占め
この為に ここにやって来たのですから
もう満足感いっぱいです。 -
サンスーシ宮殿 絵画館
この贅沢な空間を独り占め -
フリードリヒ2世は芸術を愛した。
たくさんの絵画を収集していたのです。 -
フリードリヒ2世は芸術を愛した。
たくさんの絵画を収集していたのです。 -
フリードリヒ2世は芸術を愛した。
たくさんの絵画を収集していたのです。 -
フリードリヒ2世は芸術を愛した。
たくさんの絵画を収集していたのです。 -
フリードリヒ2世は芸術を愛した。
たくさんの絵画を収集していたのです。 -
たくさんの絵画を観て周りましたが
この日は、カラヴァッジョの生絵で
満足感が満たされ・・・。 -
フリードリヒ2世は芸術を愛した。
たくさんの絵画を収集していたのです。 -
最後にもう一度
カラヴァッジョの前に立ち止まり
絵画館を後にしました。 -
小さなミュージアムショップがありました。
カラヴァッジョの画集
ローマで買ってきたので〈イタリア語は△なのですが〉
ドイツ語の画集はやめておきました。
画集は重いしね。笑 -
段差のあるイタリア式庭園
逆さ宮殿が美しい佇まいをみせてくれました♪ -
フリードリヒ2世は、1786年74歳で
亡くなるまで、この宮殿をこよなく愛していました。サンスーシ公園 広場・公園
-
庭園は広々として気持ちの良く
観光客ばかりではなく市民の憩いの地ともなっていました
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