2020/12/03 - 2020/12/03
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しにあの旅人さん
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更新記録 2,021/06/27 誤字訂正
二上山雄岳山頂近くに大津皇子の墓があります。
皇子の名は、
朱鳥元年(673年)11月16日、
「伊勢神宮の齋の宮であった皇女大来(大伯に同じ)は、同母弟大津の罪により、任を解かれ京師に帰った」
これを最後にして、書紀から消えます。
大来皇女の万葉集の歌がなかったら、どこにお墓があるか分からなくなるところでした。誰がこの歌を、何のために万葉集に入れたのかな。
「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟世と我が見む」(巻第2-165)
「現し身の人である私は、明日からは二上山をわが弟と見ようか」(万葉集中西)
飛鳥、奈良の旅でいろいろガイドブックを探しましたが、元になっているのは、どうやら六国史といわれる一連の歴史書のようです。それならいっそのこと、六国史そのものをガイドブックにしよう。
六国史および参考書については、「六国史の旅 飛鳥の姉弟1」をご覧下さい。
引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。
4トラベルのブログは初投稿日順に並べることができません。
この旅行記は2020年6月23日~7月1日、11月14日~23日の2回の旅の記録ですが、初投稿日順に並べるために、12月1日以降の旅行日とします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
宮内庁により1934年に大津皇子墓と治定されています。
-
「大津皇子二上山墓」「ふたかみやまのはか」と読むそうです。
-
いつものとおり、宮内庁のお達しです。
上から目線で不愉快という人がいますが、「・・・でお願い申し上げます」とかいう甘ったるい言い方より、直裁でこのほうが気に入っています。 -
この墓がはたして大津皇子の本当の墓か、いろいろ議論されております。
-
大津皇子墓といわれはじめたのは江戸時代。
-
例によって宮内庁、当時は宮内省が、確たる根拠もなく治定したようです。
-
鳥居の奥には塚らしきものがあります。
-
このほうが分かりやすい。
-
塚の横に回ってみました。
-
高さは5メートルくらいです。
「日本城郭大系10」によると、二上山雄岳には二上山城という山城がありました。
築城は楠木正成の可能性があるそうです。正成の生年は不明ですが、没年は建武3年(1336年)ですから築城は14世紀初め頃でしょうか。
「二上山に最初に城郭を設けたのは楠正成で、楠氏河内7城の一つと伝えられるが、確証はない」
とあります。このあたりは楠氏の勢力範囲です。もし14世紀にここが大津皇子の墓であるとの伝承でもあれば、尊皇イデオロギー旺盛な正成ですから、ここに城は造らないでしょう。
1499年には大和武士団による城の使用が確認されています。「篝火を焚いて気勢を上げた」と「多門院日記」という文書に記録があるそうです。
「天文10年(1541年)8月、木沢長政が二上山に築城した。今日みられるような長大な城郭はこの時になったものである。翌年3月長政の敗死により、信貴山・二上山両城は陥落した」
城の規模は、東西445メートル南北170メートルです。
「陥落した」とありますが、攻城戦があったかどうかは不明です。城兵が入れ替わったことは間違いありません。
その後松永久秀、あの弾正さんが布陣した可能性があるそうです。 -
「二の丸に相当する下段の東端に大津皇子の墓がある。後世陵墓に準じて整備されたようであるが、城の時代は櫓台か土塁であったと思われる」
二の丸の平地は幅30m、長さ70mくらいの面積しかありません。その端っこで、やぐらを作るにはいい位置です。
城攻めにはあっていないにしても、4回も城主がかわり、その度に改修されたでしょうから、木沢長政の本格築城のときの櫓台か土塁と考えるのが妥当だと思います。 -
残念ながらここを大津皇子の墓とするのは無理があると思います。
-
この日は、大坂側、万葉の森駐車場から登ってきました。万葉広場までは舗装されていて、乳母車を押して上がった人を見たというハイキング記録を信じてやってきました。確かに舗装はされていましたが、乳母車は絶対に無理な急勾配でした。
雄岳雌岳鞍部に着いたとき、すでに瀕死、それからがんばって雄岳頂上。汗びっしょり、プールからはい上がったという感じ。ヒザはがくがく、太ももぱんぱんでした。
8年前、奈良側から山道をよじ登ったときは、もっと余裕綽々でした。66と74の年齢の差には愕然としました。
笑い話ですが、ある冒険家がサハラ砂漠に出かけました。用意周到のはずだったに、想定外のことがおきるのが冒険。彼は水も食料も失い、息も絶え絶えに砂漠の太陽にさらされながら、それでも這い進んでおりました。もうダメだ!絶望との闘いででもありました。何度目かのもうダメだ、今度こそお終いだ。
倒れ込んだその時、彼の頭上から声が降ってきました。
「おめえ、そこで何してんだ?」
見上げるとニッカボッカに腹巻き、地下足袋の日本人のオッチャンが見下ろしておりました。砂丘のむこうには石油プラント。冷房完備の作業員宿舎。
いまは昔になったかもですが、日本企業が世界中で活躍していた時代のことです。
私たちはこれを二上山で実体験しました。8年前の話。
その時は当麻寺の方から登りました。金網の扉がありました。イノシシがでるのでしょう。その扉を押し開けて登り始めたのですが、本当に登山道だろうかと今でも思いますが、人が通った様子もない、草ぼうぼうの急坂。でもまあこんなもんかな?と登りますが、急斜面で四つん這いです。
途中何回か金網のゲートがあって、それがあるのでこの道で正解といわれたようで、なおも進みます。誰もいないし、突然鳥がバタバタっと飛び立つし、え~、こんなに深山だったの?感満杯。
前人未踏!なんて言葉を思い浮かべながら黙々と登ります。
やったー!着いた!とエベレスト征服したみたいな気分で尾根伝いに歩いて行くと、広い公園のような野原があるではありませんか。
そしてあろうことか、あの世界に名を轟かせた大坂のおばちゃんが宴会、はウソですが、アメちゃんを分け合って、のどやかに歓談していらっしゃったのです。
そして今回、私たちは乳母車でも登れると書いてある大坂からの登山道を登りました。
オバちゃんたちは、きっとこの路を登ったにちがいない。乳母車だって登れるそうだし。ペッタンコの楽な路にちがいない。フフン。
どんな乳母車だよ。ほとんど垂直になっちゃうじゃないか!
恐るべし。大坂のおばちゃん、侮るべからず。
By妻 -
二上山東山麓、当麻寺からの登山口の途中に大池という溜め池があります。
-
1983年、この池の改修工事の土取のとき、小さな古墳が発見されました。
-
1辺約7.6メートルの方墳でした。
-
発見後の発掘調査のときの、むき出しになった石室です。
古墳案内板より。 -
現在は埋め戻されています。
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地名より鳥谷口古墳と名付けられました。
-
石槨が見学できるようになっています。
-
この古墳に、大津皇子が埋葬されたという説が発表されました。
盗掘にあっているので、副葬品は発見されませんでしたが、築造時期は古墳時代末期の7世紀後半ごろだそうです。7世紀後半の古墳がこの地域一帯には他にありません。 -
小さな石槨です。
-
ウイキペディアによれば、石槨の内法は長さ158cm・幅60cm・高さ70cm、
大来皇女の二上山の歌の詞書きは、
「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大来皇女の哀傷みて作らす歌二首」
「万葉集中西」によれば、
「令によると移葬とは殯(もがり)から埋葬に遷すこと」
殯とは、古代の埋葬習慣で、数日から数年、遺体を殯屋に安置することです。
鳥矢口古墳の石槨が小さいのは、殯の後、白骨化した遺体を安置したのではないか。万葉集の詞書きと一致します。 -
古墳の周囲を歩いていたら、私たちよりちょっと年上かと思われる上品な老紳士にお会いしました。引退された高校の先生という感じでした。
小さなリュックサックを背負って、これから二上山登山だそうです。
老紳士は大津皇子に詳しくて、二上山山頂の塚は大津皇子の墓ではないそうです。
高い山の山頂に古墳を作った例はない。
持統天皇が、その墓を、飛鳥を見下ろせる二上山の頂上に造らせるはずがない。なるほどと思いました。
私たちはこのあと大坂側から登る予定でしたから、老紳士とは「頂上でお会いしましょう」と言ってお別れしました。
今、ブログを書くために写真をよく見ていたら、右上かすかに山が見える。
ほかの写真も注意して見ます。 -
池の向こう、森の梢の上のとんがった山は、畝傍です。
-
拡大してみます。
-
畝傍を見やすくするため補正しました。
-
左には香具山も見えます。
畝傍のむこうが飛鳥です。二上山頂上ではなくても、ここからも飛鳥は見下ろせるのか。
老紳士の説が正しいとすると、ここも大津皇子の墓ではなくなる。 -
数日後、岡寺の近くから二上山の写真をとりました。二上山の手前は甘樫丘です。写真の左隅が飛鳥浄御原宮、持統天皇の宮がありました。
-
飛鳥浄御原宮と二上山の位置関係です。
-
飛鳥浄御原宮跡から見た二上山方向。
飛鳥浄御原宮からは、甘樫丘に遮られて、二上山はおろか、畝傍山も見えません。当然逆もまたしかり、鳥谷口古墳から飛鳥を見下ろすことはできません。
持統天皇は、大津皇子が自分より若干上にいるのは不愉快でも、「見えないのだから、まあいいか」と思ったのではないでしょうか。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- 前日光さん 2021/01/15 23:04:46
- 二上山には上ってみたいと。。。
- 常々思いながら幾星霜。。。
もう無理だろうなと、この旅行記を拝読しながら思いました(・_・、)
こんばんは、しにあの旅人さん。
年齢よりはずっと体力も気力もありそうなお二人、そのお二人がキツイと実感された二上山登山、これはもうこの旅行記の写真で行ったつもりになるしかないのかと。
でも大阪側からだったら、アメちゃん舐めながら歓談中の大阪のオバチャンがハイキングしてるのだから、行けるのかな?とか。。。
ずいぶん前に當麻寺に行き、そこから二上山に上りたいと提案したら、相棒殿に有無を言わさず却下されました!
体力も気力もないおまえには無理!のひと言。
(もし上れるとしたら、それは大津皇子へのミーハー根性が持続するかどうかにかかっていると言われました(`ε´)
でもまだ微かな野望が、どこかに残っているのですが(^_-)
大津皇子の墓は、二上山頂よりも、むしろ鳥谷口古墳の方が可能性が高いのかな?と、思ったりしました。
飛鳥浄御原宮跡からは甘樫丘に遮られて、直接二上山は見えないとか。
確かに持統さんからしたら、自分より上に皇子の墓が存在したとしても、見えないからま、いいかと思ったかも。
でもいつも、どんな気持ちで二上山方向を眺めていたのでしょうかねぇ。
宮中で大来とすれ違った時なんか、どうだったのかな?と、時々妄想します。
火花が散ったのでしょうかねぇ?
可能ならば、二上山登山してみたいのですが、またしてもにっくきコロナが行く手を阻んでおりまして。
一日も早く緊急事態宣言が解消されないと、ますます年をとって歩けなくなりそうですし。
私の体力の無さは、相棒殿が一番良く知っているので、きっと行けないだろうなと思ったので、しっかり拝読させていただきました(^_^)v
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2021/01/17 08:04:56
- Re: 二上山には上ってみたいと。。。
- おはようございます。
毎朝血圧を測ります。ここ8年くらいの習慣。昨年から体温も測ります。36度4分、平熱OK。言わずとしれたコロナ対策。年寄りの健康管理には、コロナも役立っています。と、前向きに考えます。
大阪からの二上山は、若い人は往復4時間もあれば十分ですが、1日かけるつもりなら誰でもできますよ。5分歩いて休むを繰り返します。ご相棒様に置いていかれる可能性はありますが。
鞍部直前の傾斜は急です。乳母車は無理です。赤ちゃんをおろして、ロープで引くなら持っていけます。
雰囲気だけなら鳥谷口でもいい。古墳近く溜池の手前に10台は停められる駐車場がありました。近すぎて二上山は見えません。
宮中で2人がすれ違うシチュエーションは考えなかった。面白いけど、これをやると、資料があればですが、飛鳥の宮中風景などを調べなければならないので、今のところ無理なようです。
大阪歴史博物館、いらしたことはありますか、宮中風景がマネキンさんいっぱいで再現されていました。衣装など超豪華。聖武天皇時代みたいです。明日香村もああいうのを作って、飛鳥宮宮中風景を再現してくれたらいいのですが、予算的に無理でしょうね。
-
- kummingさん 2021/01/15 20:26:10
- 口コミに偽りあり⁈
- 遅刻しても出席してれば、年度末の単位取得につながると信じて(←実体験に基づく)今頃参加します。
島谷口古墳のむき出しの石室、なんかぐっと胸に迫るものがありました。
復元工事過程の古墳のお写真も市場に出回らない稀少価値♪(←次の回、もちろんまだ見ていませんが)
二上山/ライトな登山がしたい人にオススメ!気軽に行けるハイキングコース♪
奈良側からも大阪側からも、よく整備された登山道で、初心者でも安心(^^♪
私もスイスで、この初心者向けコース、に大概やられました。一番は一面の雲海の中、周囲は真っ白、景観なんて何も見えない(*_*;怖くてビビッて、途中で一緒になったドイツ人親子の足元だけを後ろから見つめてひたすら前へ!途中、ロープ伝って歩いた箇所も・・・
そこのキャッチコピーは、家族向けベビーカー引いても行けるハイキングコース♪
どうやら、”ベビーカー”という単語にこそ人を惑わす威力あり⁈
それにしても、翌日の朝刊一面赤抜きスクープで”文字が読めない(あ、これは次の回?)夫婦道に迷って行方知れず” とか、“仲良し夫婦山登り途中滑って転んで…”とか記事にならなくて、めでたしめでたし\(^_^)/
by夫さまの、ハーフパンツ姿、スペインの海辺の凛々しいお姿に負けず劣らず、萌え~(^^♪
ここ一週間、イタリアのホテル休業、廃業のメール2件うけとりましたシクシク…
行けるとは思ってもいなかったけど、ただ予約してただけ、とは言え、かなしい。
しにあさまも、親しい方の訃報、さぞやお力落としのことかと、心よりお悔やみ申し上げます。
P.S.奈良、平安時代の時刻に関する記事と、ポンペイのモザイク画について、長くなるので別途かきこ、してもよろしいでせうか⁇
原稿用紙半分、厳守!(←年初の誓い(笑)
- しにあの旅人さん からの返信 2021/01/17 06:58:38
- Re: 口コミに偽りあり⁈
- おはようございます。
替え歌です。「春よ来い」のメロディで。XXにみなさんの名前を入れてください。
ワクチン来い
はーやく来い
コロナに飽きたXXちゃんが
旅に出たいと待っている。
という感じです。
イタリアのホテルの廃業、休業、きましたか。私のところはHISやBookingCom経由だから来ないのかな。イエージのホテルなんか、無事とは思えないのですが。パレルモやアッシジのちっこいホテルもやばいだろうな。
気の毒なんで、調べません。
時刻に関する記事とポンペイのモザイク画、是非読みたい。お願いします。
-
- mistralさん 2021/01/08 22:21:33
- 二上山。
- しにあの旅人さん
こんばんは。
二度にわたる二上山登攀?の旅行記、拝見しました。
昨年11月、奈良側から二上山山頂までのハイキングの計画が
かなり無謀なものだったという事が、良く分かりました。
大阪側からは更に困難を極めたご様子でしたね。
山頂到着時は瀕死状態だったとか!
夫は元々は山男ですが、昨年の身体の状態ではやはり無理だった
ことでしょう。
その折にも、何人かの方のブログを拝見していたのですが
ハイキングといった雰囲気で、山歩きをされていました。
若者だったらそうなのでしょうか。
昔から大来皇女が亡き弟を偲んで詠んだ、うつせみの、、、などの歌
から、夫にとっては思い入れのある二上山は一度は行ってみたいようですが
この先、二上山に登る機会が訪れるのやら。
なんとなくは想像がつきますが、山頂にあるお墓も皇子のお墓では無さそう。
途中で出逢われた紳士の方が語られた説、持統天皇が宮を見下ろせる地に
皇子のお墓をつくらせるはずがない、との説には納得です。
まだまだ、今回のシリーズは続編が続きそうですね。
楽しみにお待ちしております。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2021/01/10 05:37:49
- Re: 二上山。
- おはようございます。
二上山は若い方にはハイキングです。8年前に登った時は、根っこが露出した登山道には悩みましたが、それでも何とか楽しく登りました。今回は舗装道路で、平地だったらただの散歩です。ただ傾斜がハンパない。あと、やはりトシの差ですね。8年は違いました。
ご主人が元山男さんで、散歩に問題がなければ、大阪からの舗装登山道なら、問題ないと思います。ゆっくり一歩一歩登ればいいだけです。
ただ舗装道路は雄岳と雌岳の鞍部まで、そこから先は雌岳も雄岳も登山道です。雄岳は階段が多いので、階段が苦手だときついかもしれません。
コロナでどこにも行けません。しばらくこのシリーズで遊びます。1回のところを薄めて2回にするとか、手抜きに工夫するのも書いている方はまた楽しい。
気長にお付き合いください。
-
- ももであさん 2021/01/08 17:06:44
- 絶景かな絶景かな by大津
- しにあ'sさま 本年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
試しにGoogle earth様で二上山山頂に立ち、飛鳥宮を眺めて見ました。いやはや絶景かな絶景かな。大きく広がる奈良盆地。はるか遠くに見える畝傍山。畝傍山の南側は低いので視界を遮るには至りません。その先は甘樫丘に遮られて確かに飛鳥宮は直接見えませんが、むしろ広い奈良盆地にあってはその甘樫丘が目印になって、あの裏が飛鳥宮だとはっきり分かりました。
大津皇子の墓がどこであれ魂は二上山全域を放浪中。方や飛鳥宮側からは目の前がいきなり甘樫丘で二上山がどこかはっきり分かりません。「見えないのだから、まあいいか」と持統さんが甘んじている間、大津皇子は憎き敵を現在に至るまでずっと見下しているのかも知れませんね。
ところで飛鳥宮は談山神社の直ぐ側だったのですね。いつだったか数十年に一度の紅葉の当たり年に行きましたが、毎年訪れる京都 東福寺を凌駕する大絶賛の素晴らしさでした。
生まれる時代がもう少し遅かったら...。この点でも持統さんは大津皇子の呪いを受けて損しているのかも知れません!?
- しにあの旅人さん からの返信 2021/01/08 17:31:31
- Re: 絶景かな絶景かな by大津
- こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
Google earthという手があるのですか。わざわざ現場に行くこともないとは、便利な、4トラベラーにとっては嫌な時代になりました。行く必要ないじゃないですか。でも行かないと大阪のおばちゃんに会えないし。
談山神社は飛鳥の東の丘の上ですね。くねくね道で、かなり車の乗りではあります。
鎌足さんが生まれたのも飛鳥、飛鳥宮から歩けます。とにかく狭いところです。ももであさんの額です。
コロナで動けないので、しばらく飛鳥で遊びます。写真はいっぱいあるので、いくらでも伸ばせる。読む方はまたあれかよということになりますが、はい、あれです。覚悟してお付き合いください。
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