2020/09/18 - 2020/10/13
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紅映さん
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東京都台東区の谷中界隈には、上野公園に隣接して東京藝術大学の前身、東京美術学校があったことから、岡倉天心、平櫛田中、横山大観、狩野芳崖、下村観山、朝倉文夫など、名だたる方々のゆかりの場所があり、足跡を感じることが出来ます。
約ひと月ほどの間に取材した写真をもとに下記のコースに編集しております。
コース
現在の東京藝術大学―岡倉天心について―平櫛田中邸―岡倉天心記念公園―現在の日本美術院―横山大観記念館―ゆかりの人々のお墓(狩野芳崖・下村観山・横山大観)ー朝倉彫塑館
(2020.10.18記)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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現在の東京藝術大学(音楽部側)の正門
大正3年(1914年)頃に造られた東京藝術大学のレンガ造の正門は、地震に強いものにしつつも、卒業生・地域の記憶に残る姿を維持して、今後100年先に受け継ぐプロジェクトによって再生し、2019年9月に晴れて本来の姿を取り戻したとのこと。この事業は最近はやりのクラウドファンディングによる改修費用の寄付により実施されたということです。東京芸術大学 名所・史跡
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美術学部の旧正門
現在の正門もこんな風にして耐震工事がなされました。 -
現在の東京藝術大学(旧東京美術学校)美術学部正門
「岡倉天心像」(平櫛田中作)が、この門を入ってすぐの木々が茂っている辺りにあるのですが、今回はコロナ感染防止対策で構内へ入ることが出来ず拝見出来ませんでした。門にはしっかりと守衛さんが張り付いていました。
平櫛田中は天心が没した後、幾度もその肖像彫刻をつくっていますが、その代表作と言えるのが現在、東京藝術大学美術学部の敷地内に置かれている銅像だそうです。校長の椅子に座り,思索する姿だそうです。東京芸術大学 名所・史跡
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平櫛田中(明治5年―昭和54年)
平櫛田中は東京藝術大学とその前身の東京美術学校の教授を1944年から1952年まで務めました。少年期に木彫に興味を覚え、百歳をこえてからも現役の彫刻家として活躍した人です。
初期は日常身辺の人物をテーマとした身辺彫刻
次の仏教的テーマを題材とした時期は、臨済禅の老師の影響を強く受け、内面を表出した精神的な作品を数多く制作しています。
そして、この時期に、もうひとり人間形成のうえで大きな影響を受けたのが、近代日本美術界の救世主で日本美術院の創立者 岡倉天心でした。
彫刻のうちに「理想」を表現するという田中芸術の真髄をこの出会いで体得したのだそうです。
仏教的テーマの彫刻期から後、日本美術院研究所で3年間 彫塑研究に没頭しました。
写真:平櫛田中旧居(台東区上野桜木2丁目)
横山大観らが支援をするかたちで、上野桜木にアトリエが設けられ、3年後に敷地内に家族と暮らすための住居を建てました。
現在は、台東区のNPOや東京藝術大学の有志などによって、建物の修繕や掃除、展覧会やイベントなどの施設活用がされています。
毎月第4日曜日には、NPO「たいとう歴史都市研究会」と一般社団法人「谷中のおかって」による建物の一般公開もされており、内部の見学やお掃除体験ができるようになっているそうです。 -
岡倉天心記念公園(谷中5丁目)
この地に日本美術院が開院したのは明治31年(1898)のこと。日本美術院は、岡倉天心を中心に、日本美術と各自作家の特長を織り込みながら、その発達応用を自在に得ることを目的に創設された美術研究団体でした。橋本雅邦を主幹に、評議員に横山大観、菱田春草、六角紫水らが名前を連ねています。
当時、日本美術院の道路を隔てた向かいに、形も大きさも全く同じ、茅葺二階建ての風変わりな建物が8軒、突如姿を現しました。これは日本美術院の中心メンバーであった横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月、寺崎廣業、小堀鞆音、岡部覚彌、剣持忠四郎の8人と、その家族が住んでいたもので、通称「谷中八軒屋」と呼ばれました。
(東京都教育委員会「東京都文化財めぐり」より抜粋)
小さいながら春には桜がきれいに咲く公園として親しまれています。岡倉天心記念公園 公園・植物園
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「岡倉天心先生旧宅址・日本美術院発祥の地」碑
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岡倉天心(1863-1913)
東京美術学校(現東京藝術大学)の校長として美術学校の設立に尽力し、後には日本美術院を創設し、またボストン美術館中国・日本美術部長として、日本美術の紹介、そして啓蒙に努めました。日本美術院は
幕末、海外に開かれた横浜の地に生まれ、漢籍の修得、英語塾での練達、そしてその語学によりアーネスト・フェノロサ(1853-1908)の助手としての日本の美術品収集の経験が、後の天心の国際人そして日本や東洋美術界の泰斗としての資質を形成するに至りました。フェノロサは、後の日本美術の復興に最も寄与した人物でした。当時の文部省図画調査会の命を請けて、フェノロサは天心と共に古社寺の宝物調査を行い、法隆寺夢殿(八角円堂)を開扉した経験は、その後の天心自らが開いた五浦の六角堂(観瀾亭)へのこだわりにも由来しているようです。
天心記念公園の「岡倉天心像」
この公園には、茨城県五浦の六角堂を模した記念堂が建てられ、内部に岡倉天心の胸像が安置されています。この胸像は、平櫛田中の作品(東京藝術大学構内に展示)の原型から鋳造されたものだそうです。 -
日本美術院跡の谷中鶯の碑
公園内には天心が即興で詠んだ歌の碑が建てられています。歌には鶯と紅梅の絵が添えられています。
谷中鶯 初音の血に染む 紅梅花
堂々男子は死んでもよい
奇骨侠骨 開落栄枯も 何のその
堂々男子は死んでもよい -
横山大観記念館
上野池之端の不忍池のほとりにある記念館はかつて大観が住んでいた家で、木造2階建ての数奇屋風日本家屋です。大観自身のデザインによる自宅兼画室は東京大空襲で焼失し、昭和29年(1954)にほぼ同じ形で再建され、大観は亡くなるまでここに住み、制作活動を行っていたといわれます。
庭石のある庭園の樹木などは、多くの大観作品の画題となったそうです。
http://taikan.tokyo/横山大観記念館 美術館・博物館
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横山大観1868年(明治元年)―1958年(昭和33年)
岡倉天心を師と仰ぎ、明治・大正・昭和の90年を生きた大観は「一切の藝術は無窮を趁ふの姿に他ならず-芸術は感情を主とす-世界最高の情趣を顕現するにあり」を座右の銘としたといいます。「無窮を趁ふ」とは無限のものを追求していくという意味だそうです。
東京美術学校一期生となり卒業後は東京美術学校助教授となりましたが、校長岡倉天心の辞職にともなって辞職し、日本美術院創立に参画します。
岡倉天心、菱田春草らと「朦朧体」と呼ばれる西洋画の画法を取り入れた没線描法の絵画表現を試みたことで知られます。
当時この画法は世間の非難を浴びましたが、菱田と共に海外を巡り高い評価を受けるようになりました。やがて日本でもその画風が評価されはじめ、日本画壇の重鎮として確固たる地位を築き第一回文化勲章の受章者となりました。 -
横山大観記念館(池之端1丁目)
不忍池とは不忍通りを挟んだ位置にあります。 -
横山大観記念館
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横山大観記念館
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現在の日本美術院(谷中4丁目)
ここでは毎年9月から10月にかけて「同人新作品展(入場無料)」が開催されます。35名ほどの同人が新作の日本画(4号)を各1点出品するというものです。 -
日本美術院の再興
岡倉天心の死後、横山大観を中心として谷中上三崎南町(現在、公益財団法人日本美術院のある場所)に研究所を建設し、日本美術院を再興しました。
初代理事長に安田靫彦、二代理事長:奥村土牛、三代理事長:小倉遊亀、四代理事長:平山郁夫、五代理事長:松尾敏男、六代理事長:田渕俊夫となっているようです。
いずれも作品が目に浮かぶ方々です。
*写真は現在の日本美術院日本美術院 美術館・博物館
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長安寺
臨済宗妙心寺派寺院のお寺です。老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開基。
江戸最古の七福神巡礼「谷中七福神」の寿老人が祀られている寺院として知られます。
また上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場22番札所にもなっています。
墓地には、絵師の狩野芳崖と妻ヨシの墓所があります。日本の近代美術史に大きな足跡をのこし、上野の歴史にも関わりの深い人物の史跡として貴重です。長安寺 寺・神社・教会
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長安寺本堂
娘のお寺には狩野芳崖と妻ヨシの墓所があります。 -
狩野芳崖の墓
谷中の長安寺に加納芳崖のお墓と板碑があり、それぞれ台東区の史跡と有形文化財に指定されています。
狩野芳崖(1828年2月- 1888年11月)は、幕末から明治期の日本画家で近代日本画の父といわれます。盟友の橋本雅邦と共に、日本画において江戸時代と明治時代を橋渡しする役割を担うと共に狩野派の最後を飾った絵師のひとりです。東京芸術大学美術学部の前身・東京美術学校の創立にも尽力した人物です。長安寺 寺・神社・教会
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安立寺
谷中の閑静な住宅街にある日蓮宗の寺院です。安立寺は、寛永7年(1630)に現在地に開創されたと伝えられますが、その草創は慶長年中(1596~1614)の初期の頃と推察される古刹です。
安立寺には、日親上人の御真骨と尊像のほか、江戸千家初祖・川上不白の像や、養珠院(阿万の方)の作といわれる鬼子母神などが安置されています。
また、岡倉天心らと日本美術院を創立した、日本画の大家・下村観山の墓所があります。安立寺 寺・神社・教会
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下村観山の墓
下村観山[明治6年(1873)~昭和5年(1930)]は、現代日本美術の発展に寄与した画家です。
紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれましたが、幼い頃から狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の描法を身につけ、東京美術学校に第1期生として入学。同期の横山大観や1年後輩の菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けました。卒業後は同校の助教授となりますが、美術学校騒動を機に辞職。日本美術院の創立に参画し、院を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしたことで知られます。安立寺 寺・神社・教会
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横山大観の墓
都立谷中霊園(谷中7丁目)の乙地区の、通称ひょうたん横丁通りに面しています。右隣はなんと鳩山家のお墓です。
因みに橋本雅邦の墓(江東区登録文化財)は江東区深川の日蓮宗玉泉院にあり、また菱田春草の墓は、飯田市役所に近い柏心寺にありますが、終焉の地の東京都東中野の大信寺にもあるそうです。谷中霊園 寺・神社・教会
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横山大観の墓
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朝倉彫塑館
最後に、今までご紹介した方々とはジャンルは違いますが、東京美術学校を卒業して、以後ずっと谷中で活動をした朝倉文夫について記しておきます。
朝倉文夫
1883(明治16)―1964(昭和39) 81歳
大分県生まれ。19歳の時に実兄をたよって上京し、彫塑と出会いました。
翌年、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学、卒業後、本格的に創作活動をはじめます。
第2回文部省美術展覧会に「闇」を出品して2等賞を受賞し、新進気鋭の彫塑家として一躍世に知られるようになります。
代表作「墓守」(1910年)は制作の転機となった作品で、以後、徹底して自然主義的写実を貫き、やがて日本の彫塑界をリードする中心的な存在となって活躍しました。1948(昭和23)年に彫刻家としてはじめての文化勲章を受章。台東区立朝倉彫塑館 美術館・博物館
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朝倉彫塑館/玄関前の寄付き
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朝倉彫塑館/「雲」という題名の群像/玄関手前
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朝倉彫塑館/「生誕」像
彫塑館の建物は朝倉文夫の生前のアトリエと住居だったところです。朝倉は東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時に谷中にアトリエと住居を構えました。
現在の建物は1935年に建てられたものです。朝倉が自ら設計し、庭に至るまでの細部に様々な工夫を凝らしています。「五典の水庭」と呼ばれる湧水を利用した中庭は、仁義礼智信の石が配され、訪れた人の憩いの場となってます。生前は、ここを「朝倉彫塑塾」と命名し、教場として広く門戸を開放して弟子を育成しました。その教育法は独自の自然観と深く結びついており、この建物にもそれが色濃く反映されているといわれます。
https://www.taitocity.net/zaidan/asakura/overview/garden/ -
朝倉彫塑館/屋上で空を見上げている「砲丸」像
今回は谷中界隈ゆかりの美術家を取材してみました。
この春以降は、歩いて行かれる地元での題材での旅行記になっており恐縮ですが、最後までお付き合い下さいまして誠にありがとうございました。
いつもご訪問頂きありがとうございます。
・・・☆紅映☆・・・
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この旅行記へのコメント (6)
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- yamayuri2001さん 2021/06/25 15:07:24
- 横山大観のお墓・・・
- 紅映さん、こんにちは。
ちょっと古い旅行記にお邪魔しました。
横山大観記念館は、私も訪問しましたが
あのお庭のたたずまいや、彼が生きていた時代のまま残されている
昭和の空間が、胸に沁みます。
どんな思いで、ここから庭を眺めたのだろうとか
このアングルで、筆を取ったのかなとか、
考えるとワクワクしますね!
大観さんのお墓は、谷中霊園にあるんですね・・・
しかも、隣が鳩山家!
朝倉彫塑館も見ごたえがありそうです。
いつか行ってみたい場所の一つになりました。
こんな飽きない場所が、お散歩コースの紅映さん、
益々 絵心が磨かれますね!
yamayuri2001
- 紅映さん からの返信 2021/06/25 20:47:35
- RE: 横山大観のお墓・・・
- yamayuri2001さん
今晩は〜♪
ご訪問そしてご丁寧なメッセージありがとうございます。
横山大観記念館へいらしたことがおありとは、さすがです♪
私はこの時は入らなかったのですが、ずっと以前に2回ほど拝観したことがあります。
実際に活動なさっていた時分に住んでいらしたということで、どこを拝見しても感慨深かったことを覚えております。
谷中霊園にはまだまだ多くの有名人が眠っておられますが、渋沢栄一のお墓もあり、またそのすぐそばの寛永寺の墓所には徳川慶喜のお墓もあるんですよ。
谷中は見るところがたくさんありそうではありますが、言ってみればお寺さんとお墓の多いところでして・・・慣れていらっしゃらない方にはどんな風に見えるのでしょうね。
藝大があることで、昔から芸術家が多く住んでいらしたことについては、興味深いことではあります♪
コロナが一定の落ち着きを見せて、多少の心配りをしながらでも外出が出来るようになりましたら、是非お出掛けになってみて下さい。
本日はありがとうございました。
・・・☆紅映☆・・・
-
- pedaruさん 2020/10/18 05:55:22
- 日本美術黎明期の芸術家たち
- 紅映さん おはようございます。
朝倉文夫の彫塑館にも行ったことがありますが、教科書でお馴染みの作品が沢山ありました。猫が好きだったらしく、猫ちゃんのリアルな作品もありましたね。
横山大観の家は、公開日が限られているので、なかなか入れませんでしたが、一度だけ見学することができました。
芸大の庭には、たしか東屋のような屋根のある所に、岡倉天心の大きな銅像がありますが、あれが平櫛田中の作なのですね。そのほかロダンの大きなバルザック像もありました。
谷中の寺にはこの時代の芸術家の墓があるのですね。こんど訪れたら見学したいとおもいます。狩野芳崖の墓は地味ですね、今ならこれほどの有名人ならもっと豪華につくるでしょうが、かえって好感が持てます。
私の知らないことをたくさん教えて頂きました、ありがとうございました。
pedaru
- 紅映さん からの返信 2020/10/18 13:37:43
- RE: 日本美術黎明期の芸術家たち
- pedaruさん、こんにちは〜♪
いつもご訪問頂きありがとうございます。
pedaruさんは、谷中界隈にかなりお詳しいのですね!!
以前の旅行記でも、そのように感じておりました。
朝倉彫塑館も横山大観記念館も以前には2度3度と入館しておりますが、今回は門までです(苦笑)
芸大構内の岡倉天心像はおっしゃる通り東屋で校長の椅子に座っていらっしゃるようです。ネットで画像は拝見しておりますが、拝借するわけにもいかず・・・
芸大構内、特に美術部の方へは美術館へ行ったり学生食堂へ行ったりと何回となくお邪魔しているのですが、なぜか岡倉天心像を拝見しておりませんでした^_^;
私の文章はネットの受け売りのところがままありますので、間違っている部分もあろうかと思います。その点はどうぞご容赦ください。
また折をみて谷中へお出かけ下さいませ。
ご丁寧なメッセージを頂きありがとうございました。
・・・☆紅映☆・・・
-
- ひま爺さん 2020/10/17 15:52:41
- 地元取材
- こんにちは
掲示板で読ませてもらったんですが、
紅映さんは絵の先生なんですか?
毎年展示会を開いていたなんて凄いですね。
学生時代東京(目白台)に住んでましたが、
上野方面はじめ都内はあまり周ったことが
無く、今更ながら色々出かけていれば・・と。
(芸術には縁遠いんですが・・(>_<))
東京も寒くなっているようなので体調に
気をつけてくださいね。
ひま爺
- 紅映さん からの返信 2020/10/17 17:08:53
- RE: 地元取材
- ひま爺さん、こんにちは〜♪
お恥ずかしいですが、友人や知人に頼まれて同好会のようなお教室をやっています。
描くからには、他人様に観て頂かないと励みになりませんので、細やかな展覧会を開催しておりましたが、今年は急きょ中止に致しました。家人も「もちろん、やらないよね」と申しますので・・・
一度止めてしまうと、描く気力が失せてしまって、今後また復活出来るかどうか、悩ましいところです。
大学は東京でいらっしゃったのですね。目白台にお住まいだったのでは、さぞ優秀な大学に通っていらしたことでしよう。
後で思うと、あちらこちら行っておけば良かったということがありますが、その時は、いつでも行かれる、くらいに思ってしまうのでしょうね。
きょうは、東京も北海道に負けないくらいの気温になっています。
天候不順にも困ったものです。
どうぞ、そちら様も寒さに気をつけてください。
収穫いっぱいの道東旅行、続きを楽しみにしております。
コメントありがとうございました。
・・・☆紅映☆・・・
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