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普門山泉蔵寺は創立や由緒は不詳ですが、大正末期頃に調査・記録された『寺院明細台帳』では、元和6年(1620年)3月の創立と明記されています。しかし、当寺の世代は明治5年(1872年)に第三十九世俊乗とあることから、近世からの世代数とは考えられません。当寺の創立もまた中世に遡れるものと推定されています。当寺は下総の豊山派としては屈指の古刹である流山市の清瀧院の末寺です。昭和50年3月に完成した新本堂は、鉄筋コンクリート二階建による近代的なフラット建築です。内部は和装で、九尺幅の板敷部分と四十畳の大間が、いずれも左右通しの無柱で作られ、正面奥の内陣と両側各十畳の余間が付きます。戦後の洋式本堂としては、近隣で比較的早期に建てられた柏市逆井観音寺の本堂を雛型としたものです。また、近年の改修により本堂は宝形造となり、内装も一新されています。また境内から本堂にあがる大階段には天然石が用いられています。<br />参考にさせていただいたブログは下記です。<br />石仏神心 76 北総石仏 旧沼南町の石仏 大島田に詳しく書かれています。<br />http://sekibutu.blogspot.com/

柏市の旧沼南町・大島田・泉蔵寺・石仏

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2020/10/06 - 2020/10/06

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中国の風景

中国の風景さん

普門山泉蔵寺は創立や由緒は不詳ですが、大正末期頃に調査・記録された『寺院明細台帳』では、元和6年(1620年)3月の創立と明記されています。しかし、当寺の世代は明治5年(1872年)に第三十九世俊乗とあることから、近世からの世代数とは考えられません。当寺の創立もまた中世に遡れるものと推定されています。当寺は下総の豊山派としては屈指の古刹である流山市の清瀧院の末寺です。昭和50年3月に完成した新本堂は、鉄筋コンクリート二階建による近代的なフラット建築です。内部は和装で、九尺幅の板敷部分と四十畳の大間が、いずれも左右通しの無柱で作られ、正面奥の内陣と両側各十畳の余間が付きます。戦後の洋式本堂としては、近隣で比較的早期に建てられた柏市逆井観音寺の本堂を雛型としたものです。また、近年の改修により本堂は宝形造となり、内装も一新されています。また境内から本堂にあがる大階段には天然石が用いられています。
参考にさせていただいたブログは下記です。
石仏神心 76 北総石仏 旧沼南町の石仏 大島田に詳しく書かれています。
http://sekibutu.blogspot.com/

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 旧沼南町のほぼ中央部を南北に貫くのが、県道8号船橋取手線です。同じく中央部を東西に横切る国道16号線とこの県道8号が交差するのが大島田(交差点)地区となります。県道8号沿いにある泉蔵寺とその後ろの安房柄神社にこの地区の石造物が集中しています。<br />

    旧沼南町のほぼ中央部を南北に貫くのが、県道8号船橋取手線です。同じく中央部を東西に横切る国道16号線とこの県道8号が交差するのが大島田(交差点)地区となります。県道8号沿いにある泉蔵寺とその後ろの安房柄神社にこの地区の石造物が集中しています。

  • <br />普門山泉蔵寺。真言宗豊山派。門柱。<br /><br />


    普門山泉蔵寺。真言宗豊山派。門柱。

  • 顔が三面。門前右手の覆屋には、宝永五年(1708)三面六臂合掌の青面金剛像塔が門兵の如く納まっています。<br />

    顔が三面。門前右手の覆屋には、宝永五年(1708)三面六臂合掌の青面金剛像塔が門兵の如く納まっています。

  • <br />六地蔵。門前左は享保九年(1724)六地蔵の紅い涎掛けが目に付きます<br /><br />


    六地蔵。門前左は享保九年(1724)六地蔵の紅い涎掛けが目に付きます

  • 普門山泉蔵寺本堂。昭和53年再建のコンクリート造りの本堂が参道正面に堂々と見えています。<br /><br />

    普門山泉蔵寺本堂。昭和53年再建のコンクリート造りの本堂が参道正面に堂々と見えています。

  • <br />普門山の扁額。<br /><br />


    普門山の扁額。

  • 石碑が3基。光明真言供養塔。四国・・・、青面金剛塔。<br />

    石碑が3基。光明真言供養塔。四国・・・、青面金剛塔。

  • 大師堂。享保十年(1725)覆い屋があります。<br /><br />

    大師堂。享保十年(1725)覆い屋があります。

  • 中には左に明和六年(1769)「南無勢至菩薩」塔があります。中央が文政七年(1824)弘法大師塔で、右奥は古い寛文十一年(1671)の金剛界大日塔となります。<br /><br />

    中には左に明和六年(1769)「南無勢至菩薩」塔があります。中央が文政七年(1824)弘法大師塔で、右奥は古い寛文十一年(1671)の金剛界大日塔となります。

  • <br />墓石が並ぶ。<br /><br />


    墓石が並ぶ。

  • 明治29年線彫りの釈迦三尊碑。小さいのは十九夜塔。<br /><br />

    明治29年線彫りの釈迦三尊碑。小さいのは十九夜塔。

  • 十九夜塔如意輪観音3基。享保三年(1718)・文政七年(1824)・元禄四年(1691)でちょっと荒れているのが寂しいですが3世紀に亘る見本のようでそう思えば立派なものです。<br />

    十九夜塔如意輪観音3基。享保三年(1718)・文政七年(1824)・元禄四年(1691)でちょっと荒れているのが寂しいですが3世紀に亘る見本のようでそう思えば立派なものです。

  • 判読不明屋根付祠。唐破風笠石の石祠は明治の待道祠と思われますが、今は「待道正観世音菩薩」の文字も剥落して読むことが出来ません。<br /><br />

    判読不明屋根付祠。唐破風笠石の石祠は明治の待道祠と思われますが、今は「待道正観世音菩薩」の文字も剥落して読むことが出来ません。

  • 従軍慰霊碑。<br /><br />

    従軍慰霊碑。

  • 丸彫りの定印阿弥陀像もあるのですが新しそうで資料にも掲載無く不思議。<br />

    丸彫りの定印阿弥陀像もあるのですが新しそうで資料にも掲載無く不思議。

  • 石仏心神に説明が無い。<br />

    石仏心神に説明が無い。

  • 弘法大師像。<br /><br />

    弘法大師像。

  • 南無大師遍照金剛。

    南無大師遍照金剛。

  • 基督教会。<br /><br />

    基督教会。

  • 教会の脇道に有る馬頭観音。<br /><br />

    教会の脇道に有る馬頭観音。

  • 良く見ないと解りません。<br />

    良く見ないと解りません。

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