2019/05/26 - 2019/05/27
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akikoさん
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この旅行記のスケジュール
2019/05/26
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バスでの移動
デルフト駅(13:44発)ー Burgwalバス停(13:50着)66番バス
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「デルフトの眺望」が描かれた場所へ
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「小路」が描かれた場所へ
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マリア・ファン・イェッセ教会
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この旅行記スケジュールを元に
フェルメールの生まれ生涯を過ごした街デルフトは、デン・ハーグとロッテルダムの中間地点に位置する小さな美しい古都です。
数年前に、フェルメール展で素敵な作品を見てから機会があればフェルメールの故郷のデルフトをぜひ訪れてみたいと思っていました。
今回の旅で願いが叶うことになり、短い滞在期間中で次のことをしてみたいと思いました。
◎ フェルメールの生まれた場所や育った場所などを訪れる
◎ 有名な作品が描かれた場所に足を運ぶ
◎ 運河やスヒー川の水辺の美しい景色を楽しむ
デン・ハーグを訪れた日の午後、ワクワク浮き立つ思いでデルフトに向かいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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これが到着したデルフト駅でした。(写真上は翌日撮影)
デルフト駅は2015年に新しく改装され、近代的なデザインの駅に生まれ変わったそうです。駅構内も最先端のデザインで... オランダのデザイン性の高さをここでも知りました。 -
こちらは、新駅舎横に保存されていた旧デルフト駅です。この駅の方が古都にふさわしいのではと思いましたが、様々な理由で近代的な駅舎に建て直されたのでしょうね。
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デルフト駅から街の中心部まで、スーツケースを引きずりながら歩くのは辛いと思い、駅のバスターミナルに行き、66番バスに乗ってBurgwalバス停で下車。歩いてすぐのホテルというよりお宿『Hotel de Emaupoort』にやって来ました。
オレンジのストライプ柄のオーニングが可愛い建物でした♪ -
こちらの通りにホテルの入口がありました。
400年ほど前の建物を改築し、先代がここに菓子店を開き、その敷地を使って1995年、家族経営のホテル「De Emauspoort」をオープンしたのだそうです。
<Hotel de Emauspoort>
住所:Vrouwenregt 9 KK Delft -
2階建の建物で、2階にある部屋はクラシカルな感じでした。
飲み物セットが用意され、バスタブ付きのバスルームもありました。
(Booking.comの口コミ評価は9.8/10の高評価 1泊朝食付き 115ユーロ) -
2階の部屋を出ると、デルフトの新教会の尖塔が見えていました。
このお宿に決めたのは、口コミ評価が高いことと、街の中心部にあり新教会の裏手に位置していることが決め手でした。 -
ホテルの前には運河が流れ・・・
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この石橋を渡ってすぐ左に、新教会がありました。
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新教会と市庁舎が建つ大きな広場は『マルクト広場』で・・・
この日、このような中世の服を身につけた人たちが、観光客の写真撮影に応じていました。私もお願いしてパチリ! -
ここからは、前日のことになります。
*デルフトの『新/旧教会』は日曜日は見学不可で、この日はちょうど日曜日。それで仕方なく、前日の土曜日に教会だけ訪れるためにデルフトに立ち寄ったのでした。
新教会に入るにはチケットが必要で、旧教会との共通チケットは5ユーロ、鐘楼とのコンビチケットは8.5ユーロでした。私は鐘楼にも上りたかったので、鐘楼とのコンビチケットにしました。チケットには周辺にあるティールームでコーヒー/紅茶が無料になるクーポンも付いていました。 -
荷物を持っていると、階段を上り下りするのに邪魔になるので、ロッカーに荷物を入れてから狭い階段を上っていきました。
途中、鐘が置いてある場所などで休みながら、いつものように螺旋階段を上がっていきました。 -
途中、降りて来る人たちとすれ違いながら、一生懸命上がって行くと、高さ約85mのところに展望スペースがありました。
そこから眺めた古都デルフトの景色です♪ かつてデルフトは"オランダの宝石"とまで称された美しい街だったそうです。 -
街を横切る運河沿いには、整然と瀟洒な家が立ち並んでいました。
運河は物資や人を運搬するだけでなく、町の防衛のために利用されたそうです。「デルフト」という語は、"delven"(掘る)が語源なんだとか。
最古の運河はオールドデルフト(Oude Delft)で、町は750年にわたってその周辺から広がっていったそうです。 -
こちらにも大きな運河が流れていて、奥には森が・・・。右の奥にビルが立っているのがデン・ハーグのようでした。
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この宮殿のような建物はマルクト広場に建つ『デルフト市庁舎』です。
もともと13世紀に建てられ、牢獄として使われていたそうですが、17世紀に火事で塔以外は消失し、建て替えられたのだとか。 -
この立派な鐘楼がある教会が『旧教会』です。塔の上部には、5本の尖塔が立ち、時計が取り付けられています。フェルメールが埋葬された場所としても知られています。
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新教会が建つマルクト広場の北側、1本通りを隔てたフォルダース(Voldersgracht)通りにはフェルメール センターやフェルメールの生家"フライング・フォックス亭(空飛ぶキツネ亭)"などが見えていました。
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これは角度を変えて撮った写真です。
マルクト広場から北側に抜ける小道があり、突き当たりに『フェルメール センター』があり、小道の左に建つ建物がフェルメールが9歳の時から移り住んだ『メーヘレン亭』があったところでした。
*TVでフェルメール特集番組を見たことがあり、そのように説明されていました。 -
この2本尖塔がある教会は『マリア・ファン・イェッセ教会』(Maria van Jesse Kerk)。ネオ・ゴシック様式の教会はローマ・カトリックの教会で、1882年築。
フェルメールが結婚後長く住んだ家が、この一角に建てられていたのだそうです。 -
『新教会』の塔(鐘楼)の上で景色を楽しんだあと、下におりて、教会内部を見学。
新教会も旧教会も、16世紀にこの地域はプロテスタント派が優位になり、過剰な装飾は不必要とされ、1566年と1572年に因習破壊主義者たちが美しい教会内部の装飾を破壊したそうで、教会内部には見るべき装飾はほとんどありませんでした。 -
唯一、目を引いたのが、Willem van Orangeの霊廟でした。
オラニエ公ウィレム(英語読みではオレンジ公ウィリアム)はオランダ独立運動を指導し、1581年に独立を宣言し、オランダ独立の父となった人です。
霊廟は天蓋がついた立派なもので。周りに4人の女性像が立っています。女性たちはそれぞれアイテムをもち、ウィレム公が重んじていた価値観:自由、正義、宗教、権力そして勇気を象徴しているのだとか。 -
天秤を持つ女性は『正義』を象徴しているのでしょうか。
今日のオランダ社会でも感じられる、多様性を認める自由、公正、平等などの価値観は、オラニエ公ウィレムの影響もあるのでしょうね。 -
オラニエ家はもともと南フランスのオランジュ(ORANGE)公国の領主で、ウィレムはナッサウ家を継承。文字通りオレンジ色をシンボルカラーとし、1544年からオラニエ公となり、1555年にネーデルラントの3州の総督に任命され、現オランダとの関係が始まったのだとか・・・。
オランダ王室はその血筋を引き、人民を愛し人民の主権を尊重しそのために全身全霊を捧げたオラニエ公ウィレム1世を、オランダ国民は今でも慕い尊敬しているそうです。 -
霊廟には横たわるオラニエ公の石棺があり、その足元には飼い犬の姿もありました。
主人が死んだ後、彼を慕った飼い犬が食べるのを拒み、あとを追って死んだのだそうです。 -
そばには、オラニエ公の姿を描いたステンドグラスもありました。
この新教会とフェルメールの関係は・・・
ヨハネス・フェルメールは1632年に生まれ、この新教会で洗礼を受けたのだそうです。のちに結婚する際カトリックに改宗しますが、それまで新教徒だったのだとか・・・。 -
『新教会』の次に『旧教会』に向かいました。途中で、黄色の可愛らしいベーカリーの前を通りかかりました。このお店は『city bakery Diamond Ring』でした。
このお店は、TVのフェルメールを特集した番組でも紹介されていました。 -
どんな関係があるかというと・・・
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「牛乳を注ぐ女」の作品で描かれている大きなパンがここで販売されているとのことでした。このパンは定番商品のようで、そのほかにも美味しそうなパンがたくさん並んでいました。
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イチオシ
旧教会のそばには運河が流れていて、そこから見える鐘楼の姿がデルフトを代表するビュースポットの一つのようでした。
この鐘楼は別名「デルフトの斜塔」と呼ばれるらしく、確かに左に少し傾いているのがわかりました。 -
旧教会(Oude Kerk)
1050年に建てられた木造の教会を礎とするデルフト(Delft)最古の教会だそうです。13世紀から15世紀にわたって建てられたこの教会は増築と改築を重ねられ、それでも地盤沈下を防ぐことができず、塔は傾いているのだとか。 -
塔を眺めてみると、中央に大きな尖塔が立ち、四隅に4本の塔が飾られています。時を刻む大時計は、デルフトの紋章を持つ2匹の獅子によって支えられていました。
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旧教会の内部の様子です。
ここはフェルメールが死後埋葬された教会で、墓石があると知り、それを見にやってきたのでした。 -
側廊には美しいシャンデリアが並んで吊るされ、あまり装飾がない教会内で輝きを放っていました♪
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プロテスタントの特徴として"偶像の崇拝を否定する"ことにあるらしく、特に主祭壇もなく聖像や宗教画などもありませんでした。
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これはプリンセンホフ博物館にあった絵ですが、かつてプロテスタント派の過激な人がデルフトの教会内で、破壊活動を行っているところが描かれています。この時、聖像などが引き倒されてしまったようです。
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探していたフェルメールの墓石がありました。
ヨハネス フェルメール・デルフト
1632ー1675・画家
聖ルカ ギルド(組合)の聖人の一人
と刻まれていました。フェルメールが有名になったのは彼の死後。この墓石は2007年1月に作られたものだそうです。 -
もう1カ所フェルメールの古い墓石がありました。フェルメールが亡くなった時、義母と若くして亡くなった子ども3人と同じ場所に埋葬されたそうです。その場所が長く不明だったそうですが、1975年に墓石の位置を特定することができ、フェルメールの名前が入った小さな石が教会の床に置かれたのだそうです。
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装飾らしきものはほとんどなかったのですが、ステンドグラスは美しく、オランダの黄金時代が描かれたものもありました。
ここまでが前日に新教会&旧教会に立ち寄った時のものです。 -
ここから翌日、ホテルにチェックインしたあと、街歩きに出かけた時のことです。
前日、すでに新教会&旧教会を訪れていて、この日、デルフトであと4カ所行きたいところがありました。
1. フェルメールセンター
2. プリンセンホフ博物館
3.「デルフトの眺望」を描いた場所
4.「小路」を描いた場所 -
まずは、『フェルメールセンター』に向かいました。
この通りは、新教会の鐘楼上から見えていた、フォルダース通り。この通りに、フェルメールの生家『空飛ぶキツネ亭』があるはずでした。 -
ありました!!ここ25番地に、フェルメールの生まれた『空飛ぶキツネ亭 Flying Fox』があったそうです。今は違うお店になっていますが、ガラス窓にキツネの絵が描かれていました。
父親レイニール・ヤンスはもともと織物職工であり、画商、宿屋の経営と幅広く事業を展開していたそうです。 『空飛ぶキツネ亭』は、フェルメールの両親が副業として経営する居酒屋兼宿屋だったのだとか。 -
空とぶキツネ亭から3軒向こうに『フェルメールセンター』がありました。
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フェルメール・センターとは、フェルメールの博物館で、フェルメールが1653年に親方登録し、理事を務めたことのある"聖ルカ・ギルド(組合)"があった場所に、当時のままの姿に復元されました。 モールのデザインから、当時は画家の組合、表装の組合、彫刻家の組合、タペストリーの組合が入っていた可能性が高いということです。
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このフェルメール センターには、全作品の原寸大パネル掲示やフェルメールの作画技法を紹介する展示などがあるということで、ぜひ訪ねてみたいと思っていました。
フェルメールセンター(Vermeer Centrum Delft)
住所: Voldersgracht 21, 2611 EV, Delft -
中に入ると、1階にはフェルメールの関連グッズを販売するショップと博物館の受付がありました。私はHOLLAND PASSで入りましたが、入場料は9ユーロだそうです。
まず地下から順路を巡っていきます。
最初に、フェルメールの紹介ビデオを見るところがありました。これは、そのビデオの一場面で、フェルメールの時代のデルフトはこんな感じであったとのことです。フェルメールの作品に登場する女性たちが、こんな風に暮らしていたのではないかと当時の景色の中にはめ込まれて紹介されていました。 -
これは、確か、当時、このように一般の家庭で絵が飾られていたという見本だったと思います。(全てフェルメールの作品ばかりです)
中世以来、絵画といえば教会や宮廷が依頼して描く宗教画や歴史画ばかりだったけれど、17世紀のオランダは裕福になった市民が主な買い手となり、風俗画、風景画、肖像画へと変化していきました。「壁に絵を掛けていない家はない」と言われるほど、絵を飾ることが当たり前になっていたということです。 -
本物の絵画はここに展示されていませんが、フェルメールの43年間の生涯における37作品すべての本物サイズのレプリカが展示されていました。
見たことがない作品もあり、じっくり見ていきたいところでしたが、なにせ時間がない!もったいないことですが、ここはあまり時間をかけずに見て回りました。 -
2階にあるアトリエでは、当時の絵の具に関する知識や、彼の絵画について詳しく知ることができます。
フェルメールの時代、チューブ入り絵の具なく、鉱物、植物などから作られた顔料に油を混ぜて、その日使う分だけ作ったそうです。フェルメールは7色ほどしか使わず、主に黄色・赤・青は作品全てに共通しているのだとか・・・。 -
フェルメールの絵は、窓から優しい光が差し込み、光をうまく取り入れて人物などを描く絵が多いですが・・・
これは、窓から優しく差し込むフェルメールの光を再現した部屋で、絵の人物になりきり写真撮影ができるようになっていました。 -
こちらは遠近法を表したもので、三次元の構図を作りだす助けになっています。
絵画の中心に消失点を置き、紐を使って窓や壁、床など目線から延びる全ての線が、中心で交わるようにして、立体感を作り出していたのですね。 -
ここでは、光の捉え方が説明されていました。
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こちらでは、ハイライトをつける手法についての説明がありました。
これ以外にも、フェルメールの絵に関する資料や説明がたくさんあったので、時間があればぜひ訪ねてみてください。 -
1階に下りてきました。フェルメール関連グッズが数多く販売されていました。
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例えば、本物の絵に限りなく近く再現されているタイルは、500ユーロ(60,000円)でした。
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フェルメールセンターを出て、次に向かったのが『プリンセンホフ博物館』でした。
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マルクト広場の抜け道に、デルフトを代表する絵や人物が描かれたデルフトブルーのタイル画のようなものがありました。
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イチオシ
『アウデ・デルフト運河』まで来ました。運河の両岸には緑の並木道が続き、どこから見ても絵になる風景が広がっていました。
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運河沿いに歩いていくと、エントランスの上には多くの紋章が飾られている家が見えてきました。
説明板によると、この家はもともとジャン・デ・ウィッター(Jan de Huyter)の邸宅で、石造りの後期ゴシック様式の建物。現在はGemeenlandshuisと呼ばれ、治水委員会の本部が置かれているのだとか。 -
Jan de Huyter氏は、Delftの廷吏、およびDelflandの管理人をし、またデルフトでビールに使うホップの税金を扱う仕事で財をなしたそうです。
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『プリンセンホフ博物館』(Het Prinsenhof) にやって来ました。
スペインとの戦争の間、オラニエ公ウィレム1世 が拠点としていた場所です。16世紀の修道院だったこの博物館では、対スペイン戦争での勝利からオランダ共和国建国に至る経緯が詳しく展示説明されているとのことでした。 -
元修道院だったというだけあって、それが想像できる建物でした。
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入り口を入ると・・・
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このような飲食スペースと、博物館の受付とショップがありました。入場料(12.50ユーロ)を支払って展示エリアに入りました。
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館内は広くて、オランダの歴史やその歴史にまつわる人物などの展示が多くありました。
この肖像画の人はフェリペ(フィリップ)2世です。
ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギーなどを含む地域)は、かつてハプスブルク家の領地でしたが、ハプスブルク家が<オーストリア>と<スペイン・ハプスブルク家>に分離してからスペイン領とされました。そのスペインの王がこのフェリペ2世でした。
ネーデルラントは南部のフランドル地方を中心に早くから毛織物工業が発達。商工業が盛んでしたが、その利益は本国のスペインに抑えられていました。また多くの新教徒(プロテスタント)が住んでいましたが、その新教徒に対して、フェリペ2世のスペインがカトリック信仰を強要。容赦ない弾圧(厳しい異端審問、生き埋めや火あぶりの刑)が日常的に行われたことが大きな要因となり、1568年に反乱が始まり、長い年月を要しましたが、1581年には北部ネーデルラント7州が独立を宣言するに至ったのだそうです。 -
この肖像画の主は、オランダ独立の父とされるオラニエ公ウィレム1世です。右は若かりし頃のウィレム1世だとか。
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デルフトは他の要塞都市間の戦略的位置にあり、城壁に囲まれていたため、簡単にはスペイン軍に包囲されないという地理的な理由で・・・
1572年に、オラニエ公はスペインの侵略者に対する反乱を主導するために、デルフトにやって来ました。そしてここで戦略を練り、指示をここから出していたのだそうです。
彼がスペインを敗北させた後、1581年「ネーデルラント連邦共和国」の独立を宣言。しかし、スペインは独立を認めず、その後も戦いが続きました。
フェリペ2世は反乱の首謀者はオラニエ公ウィレムであると断定し暗殺を指示。オラニエ公ウィレムは、ここプリンセンホフで刺客に襲われて殺害されてしまうのでした。 -
1584年7月10日、オラニエ公が昼食後階段を上ろうとした時に、スペインの刺客バルタサール・ゲラルズによって銃撃を受け、息を引き取りました。その暗殺現場がこの階段で、2発の銃撃の跡がはっきりと残されていました。
亡くなる直前に「神よ、私に憐れみを、神よ、この不憫な民に憐れみを」をという言葉を残したそうです。 -
2階にはデルフト焼の展示もありました。
16世紀マヨルカ焼の陶工たちがオランダに移住。東インド会社を通じて中国陶磁器が輸入され、明の藍の染付けの技術を取り入れ"デルフトブルー"という独自の手法が生み出されたのだそう。その後、日本の古伊万里焼や柿右衛門の絵付けも模倣され、オランダの風景・聖書の場面・風俗画などの繊細な絵柄がお皿、壺、タイルなどに描かれたのだそうです。 -
この黄色の棚には、大変美しいデルフト焼の陶器が並べられていました。
デルフトにはデルフト焼の歴史や製造過程を見学できる『Royal Delft』の工房もあり、私も行ってみたかったのですが、時間が足りませんでした。 -
次に向かったのは、フェルメールの「デルフトの眺望」が描かれた場所でした。
アウデ・デルフト通りを歩いていると、淡いブルーの色合いが可愛いカフェ「STADS-KOFFYHUIS」の前を通りかかりました。
このお店は「オランダ国内で最も美味しいパン大賞」に何度も選ばれているそうです。とっても立ち寄りたかったのですが、ぐっと我慢!店内もとても素敵なんだそうです。 -
イチオシ
ずっと運河沿いの道を歩いていくと、旧教会の塔が小さく見えるようになり・・・
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前方に煉瓦造りの建物が見えてきました。
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格式ある紋章が飾られていました。これはオランダ東インド会社デルフト支社だった場所でした。ここは国内6カ所に置かれた支社のうちの一つで、主要な輸出入拠点として栄えていたそうです。
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ザイドコルク運河あたりから、オランダ東インド会社の倉庫だった場所や新教会方面を望むことができました。
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反対側を見ると、このような景色が広がっていました。
特に何があるというわけでもない風景ですが・・・
実は、フェルメールが「デルフトの眺望」を描いた場所がこの対岸にあるのでした。 -
対岸の方に移動してきました。
Dのマークがあるところが、まさにその場所でした! -
フェルメールが、"故郷デルフトが一番美しく見える場所"として選んだところです。
それにしてもかなりの遠景で、今ならオペラグラスや望遠レンズで拡大して見えますが、フェルメールはどうしたのかなと、余計なことを考えてしまいました。 -
少しズームアップして、拡大してみました。これがちょうど絵の範囲を切り取った景色のようでした。(もしかして、フェルメールは船に乗って、絵を描いた??)←新説(笑)
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マウリッツハイス美術館で撮影した画像をトリミングして、実際の今の景色と並べてみました。
17世紀当時、中央付近に時計塔の付いた『スヒーダム門』がありましたが、今はありません。また『ロッテルダム門』も今はなく、2本の尖塔がある『マリア・ファン・イッセ教会』がその雰囲気を引き継いでいます。
雲の切れ間から差す朝陽を受けて輝いている『新教会』は現存し、ごくわずかですが、『旧教会』の塔が左のオレンジ色の屋根の間に見えています。個々の建物を見るとかなり違っていますが、新教会の鐘楼があることで当時の雰囲気は感じることができました。 -
さらにズームアップした景色です。絵の中で朝日を浴びて輝いていた新教会の鐘楼が一部黒くなっていますが、これは1536年5月に起きた大火で塔が真っ黒焦げになった名残りなんだそうです。
数年前から機会があれば見たいと思っていた景色を、じっくり眺め、フェルメールに想いを馳せることができました♪♪ -
絵が描かれた場所からデルフトの景色を眺めたあと、ハウステンボスでは「デルフト・シティゲート」と呼ばれている『東門』を見に行くことに・・・。
この頃から天気が良くなり、青空が見えてくるようになりました。 -
見えてきました!デルフト・シティー・ゲートじゃなくて『東門』(Oustpoort)です。
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ちゃんと白い跳ね橋も前にありました!
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門塔の下をくぐり抜け・・・
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振り返ると、歴史が感じられる立派な門でした。
かつては城壁が街を囲んでいて、ここから街の中に入ることになっていたんですね。 -
イチオシ
オーストエインデ(Oost Einde)通りを歩いていくと、新教会の近くまで戻ってくることができました。チョコレートショップの前に可愛い自転車が並んでいたので、パチリ!..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。.
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横を運河が流れているのですが、そこに可愛い水鳥がたくさんいたのです。
水面には教会横の大きな木から落ちた小さな花びらが無数に浮き、まるで花筏のような状態のなか、気持ち良さそうにスイスイと泳ぐ水鳥たちの姿がとても可愛かったです♪ -
すぐそばに泊まっているホテルがあり、到着した時と違って明るい感じがして素敵でした♪
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ホテルの部屋には戻らず、前の道を進んで次はフェルメールのもう1枚の風景画「小路」が描かれた場所に向かいました。
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ここからも新教会の鐘楼が見えていましたが、こちら側は焼けて黒ずんだ面は見えず、美しい姿を見せてくれていました。
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さて、「小路」が描かれた場所は、長い間不明なままだったそうですが、ある美術史学者が古い納税資料を調べて、フェルメールの「小路」の絵の中の家の壁のレンガを測量し、当時のレンガの寸法から「小路」に描かれた家の間口を計算。フラミング通り40番地と42番地だと特定したのだそうです。
この通りがフラミング通り(Vlamingstraat)でした。
運河には蓮が浮いていて、可愛らしい通りで、話によるとフェルメールが子供時代を過ごした近所、彼の家族や親族が住んでいた通りなのだそうです。 -
これがフェルメールの「小路」です。
"伝統的な階段状の破風を持つ建物の右側を大胆にカットする構図で描かれています"と解説本に書かれていました。 -
戸口では老女が刺繍をしていて、家の前では2人の子どもが遊んでいます。(子どもたちは屈んでいったい何をしてるんでしょうね?)家の奥の通路では掃除する女性の姿もあります。17世紀の何でもない日常が描かれているようです。
そしてこの絵が描かれた場所の今は・・・ -
このようになっていました!
この場所が、フラミングストラート (Vlamingstraat) 通りの40番地と42番地でした。前に車が停められて邪魔ですが、ここからフェルメールは「小路」を描いたようです。 -
フェルメールの絵と今の場所と並べてみました。
わずかに共通しているのは、女性が掃除をしている「家の奥の通路」付近ですね。
ここには「小路」が描かれた場所だとわかるように、掃除をしている女性のパネルがはめ込まれていました。この絵があることでその場所だったことがわかりますが、かなり描かれた当時とは景色が変わっていました。 -
近くに寄ると、家の前には子ども用と大人用の自転車がとめてありました^ ^
これでフェルメールの描いた風景画の場所を、2カ所とも見ることができました(#^.^#) -
イチオシ
通って来た道を戻ろうとすると、フラミング通りからも新教会の尖塔が見えていました。
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街の中心部のマルクト広場に戻って来ました。
正面に見えるのは『デルフト市庁舎』で、その方向を見て立っている銅像は・・・ -
法学者グロティウスの像でした。新教会を背景に立っています。
グロティウスといっても馴染みのない名前ですが、1583年にデルフトで生誕。大変多才で、哲学者だけでなく、劇作家、詩人でもあったらしく、『戦争と平和の法』を著して、自然法に基づく国際法の基礎を作ったことから、「国際法の父」と呼ばれているそうです。 -
マルクト広場は、かつては、ギルドハウスが立ち並んでいたそうですが、今はカフェやレストラン、デルフト焼きのお土産物屋さんなどが軒を連ねています。
短い動画を撮ったので、よかったら見てください。
https://youtu.be/tLo1NbnrHI4 -
広場西に建っている、立派な建物の市庁舎ですが、現在もこの市庁舎内で市議会が開かれ、また結婚の儀式もここで行われているそうです。
昔からこの姿であったわけではなく、1618年に当時の市庁舎は火災に遭い、大部分が焼失。後方に見える鐘塔と建物の壁のほんの一部だけが残っただけだったそうです。
火災の後、残された塔と壁の残骸を使って左右対称の新しい市庁舎(現市庁舎)が1629年に完成したんだそうです。
赤い窓の扉がアクセントになり、重厚感も備わったとても素敵な市庁舎でした。 -
ヨハネス・フェルメールは1653年4月20日にカタリナ・ボルネスと結婚します。そして結婚告示をしたのはこの市庁舎だったそうです。
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マルクト広場にあるお店をのぞいてみました。この階段状の破風の建物はデルフト焼のお店でした。デルフト焼も興味はあったのですが、持って帰るには、かさばり、割れ物だということで、ショーウィンドーを見て楽しんだだけで、お隣のチーズ屋さんに入ることに・・・。
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店先に牛やチーズのオブジェが・・・。
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このお店はチェーン店のようで、よく見かけました。
店内にはチーズを作る桶なども展示されていて、ミニ・チーズ博物館のようでした。
いろんなチーズがあったので見てから、お土産用に小さめのチーズを少し購入したのでした。 -
広場からフェルメールセンターに抜ける道の左手に建つ建物が、フェルメールの父ライニール・ヤンスが経営していた宿屋『メーヘレン亭』があったところでした。フェルメールが9歳の頃こちらに引っ越し、その後結婚するまで暮らしていたそうです。
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これは広場からも見えていた『マリア・ファン・イェッセ教会』(Maria van Jessekerk)です。この教会はガイドブックにはあまり紹介されていませんが、聖母マリアの家系を祀るカトリック教会で、フェルメールの結婚相手の家の教会でした。当時、裕福な人たちはこの周辺に住み、ここにあった教会に通っていたそうです。
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フェルメールは1653年4月に結婚し、義母マリア・ティンスの家に同居し亡くなるまで過ごしました。その家があった場所がOude langendijkのこの場所で、現在は教会の一部になっていました。
フェルメールのアトリエは2階の道路に面した部屋にあったそうです。ここでフェルメールが《牛乳を注ぐ女》や《真珠の耳飾りの女》などの代表作品が描かれたということです。窓のガラスを通してやわらかな光が降り注ぐ部屋で、いろんな登場人物が描かれていますが、ここがその舞台となったんですね。 -
『マリア・ファン・イェッセ教会』の入口は反対側にありました。
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中に入ると、主祭壇も置かれて、新教会や旧教会と比べると明らかに装飾が美しいと感じられました。
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教会を訪れたあと、夕食を食べにまたマルクト広場に戻り・・・
フォルダース通りにあるタイ料理のレストランに向かいました。 -
これが、『Malee Thai Restaurant』で、トリップアドバイザーでも人気のお店でした。
アラカルトもありますが、ほとんどの人はリーズナブルなセットメニューを食べているようでした。店内は混んでいたので、お店の写真は遠慮して、お料理だけささっと撮りました。あまり美味しそうに見えないのですが、お味はかなり良かったです!!
<Malee Thai Restaurant>
住所:Voldersgracht 29 EV Delft -
そしてまだ外は明るかったのですが、ホテルに戻り、長い一日を終えました。
夜に、ライトアップされたデルフトを見に行きたいと思っていましたが、起きたら翌朝でした(⌒-⌒; )残念ながらデルフトの夜景は見損ねましたが、まだ夜が明けない早朝に街歩きをし... とても綺麗なデルフトの街角を歩くことができたのでした。
*いろんな情報を盛り込みすぎて、また長い旅行記となってしまいました。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- milkさん 2019/08/04 23:40:29
- 泊ればよかった...。
- akikoさん、こんばんは☆
デルフトにも行ったのですが、デン・ハーグからデルフトと1日で2か所周ったので滞在時間が短かったのです...。
やはり、フェルメールゆかりの地を歩くのが目的だったのですが、時間が足りませんでした...。
でも、しっかり教会のチケットに付いてきたお茶の券は使いました(笑)
フェルメールセンターは閉館ギリギリだったので少ししか見られず...。
「空飛ぶキツネ亭 」、私が行った時は歯医者さんだったのに、お店が変わったのですね(笑)
新教会の塔からの眺め、こんなに素敵だったなんて!
「デルフトの眺望」の場所には行きましたが、「小路」には行かれなかったので、もう一度行ってみたいな~と思いました。
milk
- akikoさん からの返信 2019/08/05 23:46:46
- RE: 泊ればよかった...。
- milkさん、こんばんは〜^ ^
milkさんもデルフトで、フェルメールゆかりの地を巡られたのですね!
フェルメールはほぼデルフトを出なかったそうで、ゆかりの地も周りやすいですよね。
そうはいうものの、半日では十分な時間じゃなかったという感想、よくわかります。
スケジュールでは行けそうな気がするんですが、実際その通りにいかないことよくあります。
> フェルメールセンターは閉館ギリギリだったので少ししか見られず...。
フェルメールセンターは、人によってイマイチだと言われる方がいますが、私は結構参考になりました。milkさんは少ししか見られなかったんですね〜
> 「空飛ぶキツネ亭 」、私が行った時は歯医者さんだったのに、お店が変わったのですね(笑)
そうでしたか?ガイドブックには、昨年から『空とぶキツネ亭』というお宿になったと書いてありました。
> 新教会の塔からの眺め、こんなに素敵だったなんて!
鐘楼に上るのはいつものことながら大変でしたが、いつもしんどさに勝るパノラマビューというご褒美がもらえるので、やめられません! milkさんは登られたのかしら?
> 「デルフトの眺望」の場所には行きましたが、「小路」には行かれなかったので、もう一度行ってみたいな〜と思いました。
「小路」のモデルになったところは新教会の近くでした。
そうそう、教会のチケットに付いてきたお茶の券は使われたそうですね!私は「STADS-KOFFYHUIS」に行けなかったのが、とっても心残りで仕方がありません。そのためにでもデルフト再訪したいです(笑)
akiko
-
- クッキーさん 2019/07/23 09:32:31
- 脱帽です
- akikoさん こんにちは
フェルメールを辿るデルフトの街歩きをじっくり拝見しました。
同じようにデルフトを訪れても、ただ漫然と雰囲気を楽しんだだけの私とは違って、丁寧にフェルメールを追っていかれたakikoさんには 脱帽しました。
私も 東門までは行ってみたのですが、デルフトの眺望は そこから少し歩いたその先だったんですね。
小径のモデルとなった通りなども 全然気が付きませんでした。
何より akikoさんの風景の切りとり方など 見習いたいことばかりです。
この後の アントワープも どんな風景を見せてくれるかと 今から楽しみです。
クッキー
- akikoさん からの返信 2019/07/23 21:01:41
- RE: 脱帽です
- クッキーさん、こんばんは〜
長くて、たくさん書き込んだ旅行記を見てくださってありがとうございます。
フェルメールといっても、それほど詳しくはないのですが、日本にフェルメール作品が来るたびに、作品の見方や背景を知る機会が多くあり、デルフトに行ってみたいと数年前から思っていたんです。
特に、世界一美しいと評される『デルフトの眺望』に興味があって、ぜひ自分の目でも確かめたいと思い、オリジナルのあるマウリッツハイス美術館へ行き、そしてデルフトの作品が描かれた場所にも足を運んだ次第です。脱帽なんてとんでもないことですf^_^;)
> 私も 東門までは行ってみたのですが、デルフトの眺望は そこから少し歩いたその先だったんですね。
そうなんです。東門からは少し運河沿いに歩くと、描かれた場所が見えてくると思います。帰ってから、あそこに行っておけばよかったと思う場所ってよくありますよね。
> 小径のモデルとなった通りなども 全然気が付きませんでした。
ここはあまり有名でないみたいでした。実際、掃除をしている人のパネルがなかったら??って思う場所でした。
> 何より akikoさんの風景の切りとり方など 見習いたいことばかりです。
そんな、そんな。変てこな写真もいっぱいあるんです。デルフトの朝景色だけは本当に印象的で、自画自賛になるんですけど、きれいな写真が撮れたかなってうれしくなりました。
> この後の アントワープも どんな風景を見せてくれるかと 今から楽しみです。
アントワープは行きたいと思っていたところに行けなくて残念!!!だったんです(⌒-⌒; )ちらっとだけ見てもらえたらうれしいです(笑)
akiko
-
- あまいみかんさん 2019/07/21 23:29:01
- 超大作・・「デルフトを歩く」
- akikoさん、こんばんは。
デン・ハーグでもそう思ったんだけど、デルフトの駅舎もモダーンですね。
そんな駅舎の隣に旧駅舎・・・そうそう、私の記憶の中の駅舎でえす。ちゃんと保存
されてるんですね。
当時、焼き物大好きだった私は、まずは「ロイヤル・デルフト工房」を見学し、
その後、新教会、旧教会を見学しました。
akikoさん同様、新教会の塔に登りました。
市庁舎の可愛さには、これが庁舎?ってビックリしました。
塔から見える古い運河がまるでお堀のようで、この運河の周りを廻ってみたいな・・っと強く願いましたが、時間的にそれは叶いませんでした。
しかし、akikoさんのデルフト旅行記で、いろんな場所を知ることが出来、大満足です。流石ですね。
デルフトの歴史の中での位置、意味なども教えて頂けました。
akikoさんが新教会の前部分は火事で黒く焼けています・・・・っとのお写真、
説明で、お泊りになられたホテル、博物館、フェルメールが生まれた地、育った家等々がどういう位置関係にあるのか、凄くよくわかりました!!
長く心に温めたakikoさんのこの地への思いが、伝わる気がして、私まで、ジ~~ンと
嬉しく、またとても参考になりました。
「デルフト眺望」「小径」の描かれた現地にも行かれ、歩かれた場所、残っている門などのお写真から、より深く絵を見ることができますね。
映画「フェルメール」を見た時、お金持ちだった義母の家がとても暗い室内、家の構えに描写されていて、思わず、そのイメージが私の中に刷り込まれていたけれど、
今では美しい教会の一部となった、オランダの光が入り込むあの窓がある部屋で傑作が
生み出されたと知り得たのも、嬉しい限りです。
旧教会で私の見たフェルメールの墓石は、何人もの人が歩いたであろうすり減った、
質素な方の墓石でした。
オランダの王国としての歴史、繁栄、過去、現在なども知ることが出来、
デルフト街歩きの保存版にしたいと思います。
そうそう、ロイヤル・デルフトでは絵付けを見たり、その歴史を拝観したり、
ブルーの絵付けのほかに、他産地のもので色を付けた焼き物があるなど知りました。
手描きはとてもいい値がしました。
素晴らしい旅行記をありがとうございました。溜息ものでえす。
あまいみかん
- akikoさん からの返信 2019/07/22 10:46:10
- RE: 超大作・・「デルフトを歩く」
- あまいみかんさん、こんにちは♪
デルフトの新駅舎、モダーンでしょ。ガラスをふんだんに使って、近未来的な駅舎になっているんです。でも、旧市街は近未来的なものは作られてなくて古都の情緒ある景色を楽しむことができました^ ^
> 市庁舎の可愛さには、これが庁舎?ってビックリしました。
そうですよね!私も事前に写真は見ていましたが、実際見ると本当に重厚さのなかに可愛さもあって立派で素敵な庁舎だと感じました。
> 塔から見える古い運河がまるでお堀のようで、この運河の周りを廻ってみたいな・・っと強く願いましたが、時間的にそれは叶いませんでした。
運河を中心に街が広がっていったらしいんですが、美しい家並みが続いていて、運河を含めてどこから見ても素敵でした。一部だけですが運河の周りを見てもらえてよかったです。
> デルフトの歴史の中での位置、意味なども教えて頂けました。
オランダの国民は、建国の祖オラニエ公のことを、王室とともに今でも慕っていて、国歌はその方のことを歌詞にしているいると知り、フェルメールだけではなく、デルフトを拠点にしたオラニエ公のことも知りたいと思ったんです。それで少し調べて、オラニエ公の追っかけになり、知った情報を書き込んで長〜い旅行記になってしまいました(笑)
> akikoさんが新教会の前部分は火事で黒く焼けています・・・・っとのお写真、
> 説明で、お泊りになられたホテル、博物館、フェルメールが生まれた地、育った家等々がどういう位置関係にあるのか、凄くよくわかりました!!
丁寧に見てもらえてありがとうございます。とてもうれしいです(*^^*)
> 「デルフト眺望」「小径」の描かれた現地にも行かれ、歩かれた場所、残っている門などのお写真から、より深く絵を見ることができますね。
はい。それに現地を見たことで作品により愛着がもてた気がします♪
> 映画「フェルメール」を見た時、お金持ちだった義母の家がとても暗い室内、家の構えに描写されていて、思わず、そのイメージが私の中に刷り込まれていたけれど、
> 今では美しい教会の一部となった、オランダの光が入り込むあの窓がある部屋で傑作が
> 生み出されたと知り得たのも、嬉しい限りです。
その映画観たいです〜〜。義母は最初結婚に大反対だったそうですね。でも結婚後はいろいろ援助をしてくれたと知りました。傑作が生み出された部屋の様子もどう描かれているか観たいです〜
> オランダの王国としての歴史、繁栄、過去、現在なども知ることが出来、
> デルフト街歩きの保存版にしたいと思います。
保存版なんて、とんでもないです!でもありがとうございます。
> そうそう、ロイヤル・デルフトでは絵付けを見たり、その歴史を拝観したり、
> ブルーの絵付けのほかに、他産地のもので色を付けた焼き物があるなど知りました。
> 手描きはとてもいい値がしました。
時間があれば、見学したいと思っていました。デルフトで売っている焼物のお土産はほとんどが手描きではないと聞きました。やはり、手描きのものは味があってやはり違いますよね。色がついた焼物も美しくて素敵ですね!
みかんさんの訪問時のお話も聞けてうれしかったです♪
akiko
-
- るなさん 2019/07/21 20:56:21
- しっかりしたテーマの丁寧な街歩き
- akikoさん、こんばんは☆
今日は母の七回忌法要でした。今年の七月は涼しいですね(まぁそれなりには蒸し暑いけど...)昨年の七月は猛暑だったと記憶しています。
さて、デルフト!!まず駅がめっちゃ立派だぁ~私の時は工事真っ只中でしたから。
教会から眺めるデルフトの街、こんなに美しかったっけ?なんて思い出していました。
可愛らしい佇まいのcity bakery Diamond Ringのパンがあの名画のパンなんて初めて知りました!!
フェルメールの足跡、絵画のモデルとなった風景を追う。
きっちりとテーマを持って街歩きをなさっていて、それぞれの場所でのこともすごくわかりやすかったです♪私はこんな風に丁寧に見て歩かないしちゃかちゃかと好きな物だけ撮って速歩ですからね(-"-)たまにはakikoさんのように丁寧な街歩きしないとですね(反省)
akikoさんもイチオシされている一枚「フラミング通りからも新教会の尖塔」の風景がとっても素敵だわぁ~
最近ことに大都市より小さな街や村で泊まりたいと思うので、デルフトやブルージュで泊まらなかったことが心残りです。私が行ったのはもう7年前なんだなって思い出していましたよ。真冬の淋し気な風景しか見てないし(笑)まぁそれはそれで素敵な思い出ですけどね~
るな
- akikoさん からの返信 2019/07/22 00:06:06
- RE: しっかりしたテーマの丁寧な街歩き
- るなさん、こんばんは〜♪
今日はるなさんのお母さまの七回忌だったそうですね。るなさんが行かれた南仏のラベンダー畑のことが思い出されました。時が経つのはホントに早いですね。
デルフト編も見ていただいてありがとうございます☆☆
> さて、デルフト!!まず駅がめっちゃ立派だぁ〜私の時は工事真っ只中でしたから。
そうでしょう!デン・ハーグもロッテルダムもスタイリッシュな駅舎でしたが、デルフトも負けてなかったです。 古いものは古く、新しいものはとびっきり先進的にというのがオランダ流なのかしら。
> 可愛らしい佇まいのcity bakery Diamond Ringのパンがあの名画のパンなんて初めて知りました!!
あの丸っこいパン、昔ながらの製法で作っているそうですよ。今になって、買って食べてみればよかったなんて思います。
> フェルメールの足跡、絵画のモデルとなった風景を追う。
> きっちりとテーマを持って街歩きをなさっていて、それぞれの場所でのこともすごくわかりやすかったです♪
自己満足の旅行記をそんなに良く言ってもらえて、恥ずかしいです〜(^^ゞ デルフトではフェルメールのゆかりの場所をいつか周ってみたいとずっと思っていて... やっと願いが叶いました。
> akikoさんもイチオシされている一枚「フラミング通りからも新教会の尖塔」の風景がとっても素敵だわぁ〜
あの景色は、たまたま「小路」が描かれた場所から帰る途中、ハスが浮く水路の向こうに教会の尖塔が顔を出しているのが見えたのでした。褒めてもらえてうれしいな〜(#^.^#)
> 最近ことに大都市より小さな街や村で泊まりたいと思うので、デルフトやブルージュで泊まらなかったことが心残りです。私が行ったのはもう7年前なんだなって思い出していましたよ。真冬の淋し気な風景しか見てないし(笑)まぁそれはそれで素敵な思い出ですけどね〜
気に入った街や村で泊まると、いろんな景色が楽しめるからいいですよね。デルフトでは夜は寝てしまって見られなかったんですが、翌朝、早く目が覚め、静まり返る早朝のデルフトの街歩きをしたんです。それがとても印象的だったので続編として旅行記にしようと思います。よかったらまた見てね(^_-)-☆
akiko
-
- cheriko330さん 2019/07/21 17:20:50
- デルフトのすべてが分かる旅行記 ゚+*:;;:*+゚
- akikoさん、こんにちは~(^^
私も6年前にデルフトへ行ったのですが、渋滞に遭いデルフト到着が遅れて
『デルフトの眺望』を描いた場所やデルフト焼の工房へ行くのがツアーに
組み込まれていたのにカットされました。もう本当にショック(_□_;)!!
フリータイムに『小路』の場所も探そうと思っていたのに時間が足りません
でした。
今回akikoさんが、私のできなかったことを全部網羅してくださり、本当に
嬉しい限りです♪
絵画と描いた場所との対比はとても詳しくって、実際に行って見ている気分に
なれました。何故、こうもフェルメールの絵に引き付けられるのでしょうね。
以前pedaruさんが、「フェルメールの絵は同じ静止画でもフェルメールの描く
人物は目の動きや体の傾き加減で、その瞬間を切り取ったような描写で現代で
いえば動画を一時停止したような感じ、じっとしているようなモデルでも目
が生きています。」っておっしゃっていました。そういうところにも引かれるの
でしょうね。さすがで納得です。
多くの紋章がある家も、旧教会を見に行く時に私も写真を撮っていました♪
説明版等、気付かず時間もなくて旧教会の中にも入れなかったのです。
紋章の家のことも今回よく分かりました。
プリンセスホフ博物館も初めて知ったのですが、どうも建物の前までには
行ってたみたいです。デルフト焼の街灯が敷地内にありませんでした?
『メーヘレン亭』もマルクト広場にあったのに、帰ってからテレビで
知りました(-_-) デルフト焼のお店でしたよね。
akikoさんの旅行記で6年前の旅行を振り返ることもできて、謎も解け
akikoさんにリベンジしていただいた感じです。もう行かなくてもいい位(笑)
デルフトへ前日も行かれて、さすがakikoさんです。
夜景は見逃されたようですが、早朝の街歩きはしっかりでたのですね☆
これだけの旅行記は大変だったことでしょう凸お疲れさまでした。
お陰で私も楽しませていただきました_(._.)_
まだ続く旅行記を楽しみにしていますね。
cheriko330
- akikoさん からの返信 2019/07/21 21:43:35
- RE: デルフトのすべてが分かる旅行記 ゚+*:;;:*+゚
- cheriko330さん、こんばんは〜☆
cherikoさんがデルフトに行かれた6年前くらい前、TVで特集が組まれたりして、フェルメールが注目されていましたよね。私もその頃から機会があれば行ってみたいと思っていました。
せっかくデルフトまで行かれたのに、『デルフトの眺望』を描いた場所やデルフト焼の工房へ行けなかったのは無茶苦茶悔しかったですね!『小路』の場所も探す時間がなかったとか。仕方がないとはいえ、文句を言いたくなる気持ち、とてもよくわかります!今回、私がそのリベンジを果たせたとしたら、少しはお役に立てましたね(^_-)-☆
『デルフトの眺望』の場所は、まだ面影が残っていましたが、『小路』の方はあまり残っていなくて、ちょっと残念だったかも...。でも2カ所ともその場に行けて、満足しました♪
> 何故、こうもフェルメールの絵に引き付けられるのでしょうね。
> 以前pedaruさんが、「フェルメールの絵は同じ静止画でもフェルメールの描く
> 人物は目の動きや体の傾き加減で、その瞬間を切り取ったような描写で現代で
> いえば動画を一時停止したような感じ、じっとしているようなモデルでも目
> が生きています。」っておっしゃっていました。
pedaruさんのおっしゃる通りですね!オランダの黄金時代に風俗画が描き始められ、人の興味をそそる、人の家や部屋を覗き込むような場面が好まれたようで... フェルメールの作品も人物が何かをしている場面が描かれていますよね。そして"その瞬間を切り取ったような描写"が私たちをドキッとさせるのでしょうね。また、人物の目の動きや体の傾き加減が絶妙で、私たちはその絵に引きつけられるのでしょうね。
> プリンセスホフ博物館も初めて知ったのですが、どうも建物の前までには
> 行ってたみたいです。デルフト焼の街灯が敷地内にありませんでした?
そう言われてみたら、街灯の支柱がデルフト焼きになっていたのを見たような気がします。街なかにもデルフト焼のアイテムがところどころにあって、デルフトらしいと感じました^ ^
> 夜景は見逃されたようですが、早朝の街歩きはしっかりでたのですね☆
そうなんです。夜明けとともに街歩きをしたのですが、デルフトの朝景色とても綺麗だったんです(#^.^#) 明日にでもアップできると思うので、見てもらえたらうれしいです♪
> これだけの旅行記は大変だったことでしょう凸お疲れさまでした。
いつも優しいメッセージをありがとうございます(((o(*゚▽゚*)o)))
近々cherikoさんも旅行記をアップされるそうですね。またお邪魔させてもらいますね〜
akiko
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