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ヒンデローペンを朝早く出て、電車・バス・電車を乗り継いで、スーツケースを預けていたスキポール空港まで戻りました。<br /><br />スキポール空港からまず、この日宿泊するロッテルダムまで行き、ホテルにチェックイン。その後デルフトに少し立ち寄り、ライデンに向かいました。<br /><br />ライデンは&quot;大学の町&quot;として知られていますが、オランダの絵画の巨匠&quot;レンブラント生誕の地&quot;でもあります。今年、2019年はレンブラント没後350年にあたるそうで、事前にアムステルダムやハーグ、そしてライデンで『レンブラント特別展』が開催されていると知り、レンブラントのゆかりの地を少しだけ巡ってみようと思いました。<br /><br />ライデンはまた、&quot;水の都&quot;とも呼ばれているのだそうです。88もある運河はアムステルダムに次ぐ数を誇るのだとか。水辺の美しい景色も楽しみにして... 数時間だけですが、街歩きをしました。

水辺の美しい景色を求めてオランダ&ベルギーへ <7> レンブラントゆかりの地 ライデンへ♪

86いいね!

2019/05/25 - 2019/05/25

2位(同エリア104件中)

akiko

akikoさん

この旅行記のスケジュール

2019/05/25

  • ヒンデローペン駅(7:15発)ー レーワルデン駅(7:27着)各駅電車

  • レーワルデン駅(7:30発)ー メッペル駅(8:45着)臨時便

  • メッペル駅(9:26発)ースキポール空港駅(10:55着)Intercity

  • スキポール空港駅(11:40発)ー ロッテルダム駅(12:07着) Intercity

  • ロッテルダム駅(12:27発)ー デルフト駅(12:39着)Intercity

  • デルフト駅(14:54発)ー ライデン駅(15:15着)Intercity

この旅行記スケジュールを元に

ヒンデローペンを朝早く出て、電車・バス・電車を乗り継いで、スーツケースを預けていたスキポール空港まで戻りました。

スキポール空港からまず、この日宿泊するロッテルダムまで行き、ホテルにチェックイン。その後デルフトに少し立ち寄り、ライデンに向かいました。

ライデンは"大学の町"として知られていますが、オランダの絵画の巨匠"レンブラント生誕の地"でもあります。今年、2019年はレンブラント没後350年にあたるそうで、事前にアムステルダムやハーグ、そしてライデンで『レンブラント特別展』が開催されていると知り、レンブラントのゆかりの地を少しだけ巡ってみようと思いました。

ライデンはまた、"水の都"とも呼ばれているのだそうです。88もある運河はアムステルダムに次ぐ数を誇るのだとか。水辺の美しい景色も楽しみにして... 数時間だけですが、街歩きをしました。

旅行の満足度
4.5
  • アイセル湖畔の村『ヒンデローペン』からはるばるロッテルダムを経由し、メタル・フレームとガラスを用いた近代的なデザインの駅舎の『ライデン中央駅』に午後3時過ぎに到着しました。<br /><br />立派な建物が立ち並ぶ駅前通りを歩いて行くと・・・

    アイセル湖畔の村『ヒンデローペン』からはるばるロッテルダムを経由し、メタル・フレームとガラスを用いた近代的なデザインの駅舎の『ライデン中央駅』に午後3時過ぎに到着しました。

    立派な建物が立ち並ぶ駅前通りを歩いて行くと・・・

  • 最初に現れた運河に架かる橋から、風車【デ・ファルク風車(Molen de Valk)】の姿が見えました。

    最初に現れた運河に架かる橋から、風車【デ・ファルク風車(Molen de Valk)】の姿が見えました。

  • これは、かつて町を城壁が囲んでいた頃の西の門(Morschspoort)。<br />お化粧直しがされたのか、レトロ感はなく美しい門でした。

    これは、かつて町を城壁が囲んでいた頃の西の門(Morschspoort)。
    お化粧直しがされたのか、レトロ感はなく美しい門でした。

  • 西門を通り抜けると、白い跳ね橋が現れました。<br />跳ね橋に赤い鍵がクロスするデザインが見えますが、ライデン市の紋章には、十二使徒の一人、ペテロが天国の門の砦として持っていた鍵が使われていていて、市のオフィシャルロゴとしても使われているとのことでした。

    西門を通り抜けると、白い跳ね橋が現れました。
    跳ね橋に赤い鍵がクロスするデザインが見えますが、ライデン市の紋章には、十二使徒の一人、ペテロが天国の門の砦として持っていた鍵が使われていていて、市のオフィシャルロゴとしても使われているとのことでした。

  • 西門から歩いてすぐのところに別の風車が現われました。<br />これは【デ・プット風車( Molen De Put)】で、ライデンで人気の風車なんだそうです。<br /><br />風車の前を流れるライン川には「レンブラント橋」が架けられていて、風車とのコラボの写真スポットとなっていました。

    西門から歩いてすぐのところに別の風車が現われました。
    これは【デ・プット風車( Molen De Put)】で、ライデンで人気の風車なんだそうです。

    風車の前を流れるライン川には「レンブラント橋」が架けられていて、風車とのコラボの写真スポットとなっていました。

  • レンブラント橋&デ・プット風車♪

    レンブラント橋&デ・プット風車♪

  • レンブラント橋の全景。かつては白い橋だったようですが、今はペールイエローになっていました。

    レンブラント橋の全景。かつては白い橋だったようですが、今はペールイエローになっていました。

  • ライン川の支流だという川を運河巡りのボートが行き交います。<br />ここでもボートに乗っている人たちが手を振り、橋にいる人が手を振り返す微笑ましい光景が見られました(*^^*)

    ライン川の支流だという川を運河巡りのボートが行き交います。
    ここでもボートに乗っている人たちが手を振り、橋にいる人が手を振り返す微笑ましい光景が見られました(*^^*)

  • レンブラント橋を渡ると、ウェッデ通り(Weddesteeg)に入ります。<br />右の白い建物の後ろには・・・

    レンブラント橋を渡ると、ウェッデ通り(Weddesteeg)に入ります。
    右の白い建物の後ろには・・・

  • レンブラント広場がありました。

    レンブラント広場がありました。

  • これはレンブラントを記念した広場で、真ん中の高くなったところに、若きレンブラント像が置かれていました。

    これはレンブラントを記念した広場で、真ん中の高くなったところに、若きレンブラント像が置かれていました。

  • 自画像のレリーフを眺めるレンブラント青年。後方の壁にもその自画像が・・・。

    自画像のレリーフを眺めるレンブラント青年。後方の壁にもその自画像が・・・。

  • 広場の木の間から、風車と跳ね橋の姿が見えていました♪

    広場の木の間から、風車と跳ね橋の姿が見えていました♪

  • オランダを代表する画家レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)が生まれた場所が公園の前にありました。<br /><br />彼は、ここウェッデステーグ3番地で、製粉業を営む両親の8番目の子として1606年に誕生。短期間アムステルダムで修行した時期を除くと、1631年にアムステルダムへ引越すまで、ライデンで暮らしていたんだそうです。<br /><br />レンブラントの生家は、すでに解体され、その場所に集合住宅が建ち、外壁にレンブラントが生まれたことを示すプレートが埋め込まれていました。

    オランダを代表する画家レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)が生まれた場所が公園の前にありました。

    彼は、ここウェッデステーグ3番地で、製粉業を営む両親の8番目の子として1606年に誕生。短期間アムステルダムで修行した時期を除くと、1631年にアムステルダムへ引越すまで、ライデンで暮らしていたんだそうです。

    レンブラントの生家は、すでに解体され、その場所に集合住宅が建ち、外壁にレンブラントが生まれたことを示すプレートが埋め込まれていました。

  • グルーンハーゼングラハト通りを歩いていると、白くて立派なゲートが見えてきました。これは旧市街の門のひとつで、1645年建造の『ドゥ―レン・ゲート(Doelen Gate)』でした。<br /><br />門上に模られたドラゴンを退治する聖ゲオルギオスの像は、ライデンの自警団の聖人だとか。17世紀オランダの都市部には町を守るための自警団が活動していたそうです。

    グルーンハーゼングラハト通りを歩いていると、白くて立派なゲートが見えてきました。これは旧市街の門のひとつで、1645年建造の『ドゥ―レン・ゲート(Doelen Gate)』でした。

    門上に模られたドラゴンを退治する聖ゲオルギオスの像は、ライデンの自警団の聖人だとか。17世紀オランダの都市部には町を守るための自警団が活動していたそうです。

  • 近くに歴史案内板があり、1655年頃に描かれた《ドゥーレン門の自警団》という絵画が使われていました。17世紀の様子を見ると、自警団といえども、皆正装姿をしていて、まさにレンブラントの「夜警」に出てくる人たちのようです!

    近くに歴史案内板があり、1655年頃に描かれた《ドゥーレン門の自警団》という絵画が使われていました。17世紀の様子を見ると、自警団といえども、皆正装姿をしていて、まさにレンブラントの「夜警」に出てくる人たちのようです!

  • ライデンで最も古い通りの一つブレー通り(Bree)に入りました。<br />通りにはサフィニアのハンギングバスケットが飾られた街灯が並び、煉瓦造の立派な建物が軒を連ねていました。

    ライデンで最も古い通りの一つブレー通り(Bree)に入りました。
    通りにはサフィニアのハンギングバスケットが飾られた街灯が並び、煉瓦造の立派な建物が軒を連ねていました。

  • 可愛らしい装飾レンガがデザインされている建物。

    可愛らしい装飾レンガがデザインされている建物。

  • この建物は歴史がありそうですね~

    この建物は歴史がありそうですね~

  • エントランスの上を飾るユニークな装飾

    エントランスの上を飾るユニークな装飾

  • この歴史的建造物は何かなと思ったら、『Bistro BREE56』というレストランでした。

    この歴史的建造物は何かなと思ったら、『Bistro BREE56』というレストランでした。

  • これは『ライデン音楽堂』だそうで・・・

    これは『ライデン音楽堂』だそうで・・・

  • かつては劇場だったところが、今は美しいコンサートホールになっているようでした。

    かつては劇場だったところが、今は美しいコンサートホールになっているようでした。

  • 音楽堂の前の美しい建物♪ <br />この建物のように、ファサードの屋根の部分が階段状になっているものをゲーブル屋根とか階段状切妻屋根と呼ばれるのだとか。<br />かつては、段々になった階段で天国に昇って行けるという縁起をかつぐ意味もあり・・・金持ちは財力を誇示するために、他の家より出来るだけ飾り立て、高く大きく見せようとしたんだそうです。

    音楽堂の前の美しい建物♪
    この建物のように、ファサードの屋根の部分が階段状になっているものをゲーブル屋根とか階段状切妻屋根と呼ばれるのだとか。
    かつては、段々になった階段で天国に昇って行けるという縁起をかつぐ意味もあり・・・金持ちは財力を誇示するために、他の家より出来るだけ飾り立て、高く大きく見せようとしたんだそうです。

  • 近くにフィッシュマーケットがあるので、魚のマークが入った建物もありました。

    近くにフィッシュマーケットがあるので、魚のマークが入った建物もありました。

  • 通りの先に市庁舎が見えてきました。

    通りの先に市庁舎が見えてきました。

  • 「スタッドハウス」と呼ばれる市庁舎は、16 世紀に作られたルネサンス様式の美しいファサードを持つ建物です。1929年に火災に見舞われ大きな被害を受けましたが、ファサードはなんとか難を逃れたのだとか。

    「スタッドハウス」と呼ばれる市庁舎は、16 世紀に作られたルネサンス様式の美しいファサードを持つ建物です。1929年に火災に見舞われ大きな被害を受けましたが、ファサードはなんとか難を逃れたのだとか。

  • この市庁舎を設計したのは、オランダ人建築家のリーフェン・デ・ケイ。階段を守る獅子の像や大きなアーチ形の扉、壁がんの彫像や一風変わった装飾が、建物を個性的で荘厳な雰囲気にしています。

    この市庁舎を設計したのは、オランダ人建築家のリーフェン・デ・ケイ。階段を守る獅子の像や大きなアーチ形の扉、壁がんの彫像や一風変わった装飾が、建物を個性的で荘厳な雰囲気にしています。

  • 階段の手すりの途中で、2人の子供が時間(左)と永遠(右)を表し、入り口の両側のニッチにいる2人の女性は、正義(刀と鱗)と平和(オリーブの枝と法律書)を暗示しているのだとか。

    階段の手すりの途中で、2人の子供が時間(左)と永遠(右)を表し、入り口の両側のニッチにいる2人の女性は、正義(刀と鱗)と平和(オリーブの枝と法律書)を暗示しているのだとか。

  • 通りが変わって・・・バラが可愛く咲いているのは、ランゲルブルグ通りです。この通りは若きレンブラントがよく通った通りだったようです。

    通りが変わって・・・バラが可愛く咲いているのは、ランゲルブルグ通りです。この通りは若きレンブラントがよく通った通りだったようです。

  • ランゲルブルク89番地(2つ目の植栽がある場所)は、画家スワーネンブルフのアトリエがあったところで、、、<br />レンブラントが画家を志した友人ヤン・リーフェンスと共にスワーネンブルフの元で初めて本格的な絵画制作学んだ場所だそうです。この場所が今『Young Rembrandt Studio』として公開されています。

    ランゲルブルク89番地(2つ目の植栽がある場所)は、画家スワーネンブルフのアトリエがあったところで、、、
    レンブラントが画家を志した友人ヤン・リーフェンスと共にスワーネンブルフの元で初めて本格的な絵画制作学んだ場所だそうです。この場所が今『Young Rembrandt Studio』として公開されています。

  • これはスタジオでもらったパンフレットです。写真の階段状の破風がある建物は17世紀の建物で、このスタジオが入っている建物でした。<br /><br />建物に中に入ると、まずレンブラントの作品関係の物が並び・・・<br />その奥に「ビデオマッピング」を見るシアターがありました。

    これはスタジオでもらったパンフレットです。写真の階段状の破風がある建物は17世紀の建物で、このスタジオが入っている建物でした。

    建物に中に入ると、まずレンブラントの作品関係の物が並び・・・
    その奥に「ビデオマッピング」を見るシアターがありました。

  • シアターでは7分ほどの若いレンブラントと彼が生まれ育ったライデンの町についての映像が楽しめるようになっていました。無料で、レンブラントの一生を楽しく紹介してもらえるので、時間があればぜひ訪ねてみてくださいね~

    シアターでは7分ほどの若いレンブラントと彼が生まれ育ったライデンの町についての映像が楽しめるようになっていました。無料で、レンブラントの一生を楽しく紹介してもらえるので、時間があればぜひ訪ねてみてくださいね~

  • レンブラントが生まれたとき、ライデンはまだ壁に囲まれた中世の街だったそうです。ライデンには2つの象徴的なそびえ立つ教会があり、そのうちの1つはライデンの最古、1121年築の『ピータース教会』でした。<br /><br />この聖ピータース教会の &quot;聖ピーター&quot;は、キリスト12使徒の一人聖ペテロのことで、ペテロはキリストから神の国への鍵を与えられたことから、ライデンの最古の教会に&quot;神の国への鍵を持つ&quot;聖ペテロの名前が使われたのだとか。

    レンブラントが生まれたとき、ライデンはまだ壁に囲まれた中世の街だったそうです。ライデンには2つの象徴的なそびえ立つ教会があり、そのうちの1つはライデンの最古、1121年築の『ピータース教会』でした。

    この聖ピータース教会の "聖ピーター"は、キリスト12使徒の一人聖ペテロのことで、ペテロはキリストから神の国への鍵を与えられたことから、ライデンの最古の教会に"神の国への鍵を持つ"聖ペテロの名前が使われたのだとか。

  • ピータース教会はレンブラントの両親が1589年に結婚し、亡くなった後も埋められた教会です。 レンブラントはかなり宗教的な家庭に生まれたそうで、ほとんどの日曜日はこの壮大な教会で過ごしたということです。<br /><br />*元々、この教会は1112年に伯爵のチャペルとして建てられたと伝えられているそうで、その後増改築が繰り返され、後期ゴシック様式の建物になったのだとか。建設当時はカトリック教会でしたが、宗教改革の被害を受け、1572年から1971年まではプロテスタントの教会として実際に使用されていたそうです。

    ピータース教会はレンブラントの両親が1589年に結婚し、亡くなった後も埋められた教会です。 レンブラントはかなり宗教的な家庭に生まれたそうで、ほとんどの日曜日はこの壮大な教会で過ごしたということです。

    *元々、この教会は1112年に伯爵のチャペルとして建てられたと伝えられているそうで、その後増改築が繰り返され、後期ゴシック様式の建物になったのだとか。建設当時はカトリック教会でしたが、宗教改革の被害を受け、1572年から1971年まではプロテスタントの教会として実際に使用されていたそうです。

  • この日、教会前のピーテルスケルクホフ広場Pieterskerkhofでは屋台が出て、たくさんの人がお祭りを楽しんでいました。何のお祭りだか不明です(笑)

    この日、教会前のピーテルスケルクホフ広場Pieterskerkhofでは屋台が出て、たくさんの人がお祭りを楽しんでいました。何のお祭りだか不明です(笑)

  • この立派な建物はレンブラントが7歳に時から通った【ラテン学校】でした。すべての授業はラテン語で教えられ、生徒はラテン語を話し、試験もラテン語で行われたそうで、法律家などになる出世コースを目指す優秀な子供たちが通っていたそうです。

    この立派な建物はレンブラントが7歳に時から通った【ラテン学校】でした。すべての授業はラテン語で教えられ、生徒はラテン語を話し、試験もラテン語で行われたそうで、法律家などになる出世コースを目指す優秀な子供たちが通っていたそうです。

  • レンブラントの両親は、法律家になることを期待していたようで、幼いレンブラントをラテン語学校に通わせ、なんと14歳になると飛び級でライデン大学にも進学したのだとか・・・。<br />(小学校一年生の年齢でそのような学校に入学し、しかも14歳で大学進学の許可が出たなんて、レンブラントはよほど秀才だったのですね!)<br /><br />でも、レンブラントは画家になる事を志し、大学をやめ、オランダ最高の歴史画家アムステルダムでピーテル・ラストマンに弟子入りして絵画を学んだのだそうです。

    レンブラントの両親は、法律家になることを期待していたようで、幼いレンブラントをラテン語学校に通わせ、なんと14歳になると飛び級でライデン大学にも進学したのだとか・・・。
    (小学校一年生の年齢でそのような学校に入学し、しかも14歳で大学進学の許可が出たなんて、レンブラントはよほど秀才だったのですね!)

    でも、レンブラントは画家になる事を志し、大学をやめ、オランダ最高の歴史画家アムステルダムでピーテル・ラストマンに弟子入りして絵画を学んだのだそうです。

  • これはラペンブルク通りに沿って流れるラペンブルク運河です。<br />この運河は17世紀には、町でも有数の美しい運河となり・・・ 裕福な商人はここに邸宅を構えて住んだのだそうです。

    イチオシ

    これはラペンブルク通りに沿って流れるラペンブルク運河です。
    この運河は17世紀には、町でも有数の美しい運河となり・・・ 裕福な商人はここに邸宅を構えて住んだのだそうです。

  • ここにも運河巡りのボートが次から次にやって来ていました。

    ここにも運河巡りのボートが次から次にやって来ていました。

  • 水辺にお花という好きな光景です♪

    水辺にお花という好きな光景です♪

  • このアーチを描く橋は『ノネン橋』で、渡ったところにはライデン大学のキャンパスがあります。

    このアーチを描く橋は『ノネン橋』で、渡ったところにはライデン大学のキャンパスがあります。

  • ラペンブルグとノネン通りの交差する場所に立つビルの外壁に、松尾芭蕉の句が書かれていました。<br />1992年より、ライデンの街中のあちらこちらに世界中の詩を詩人の言語で描くというプロジェクトが始まったそうで、日本語学科があるライデン大学の近くにもこのような句が見られるのですね。

    ラペンブルグとノネン通りの交差する場所に立つビルの外壁に、松尾芭蕉の句が書かれていました。
    1992年より、ライデンの街中のあちらこちらに世界中の詩を詩人の言語で描くというプロジェクトが始まったそうで、日本語学科があるライデン大学の近くにもこのような句が見られるのですね。

  • 運河のところに、このような歴史案内板がありました。<br />ライデン大学についてのもので、オランダ独立戦争の際にこの町が当時オランダを統治していたスペインに勝利したことから,それを称えオレンジ公ウイリアム から市民へ贈られたオランダ最古の大学だとのことです。<br /><br />大学附属の植物園の説明もありました。16世紀にトルコにいたオーストリアの大使がチューリップの球根を持ち帰りました。彼がカルロス・クリシウスにその球根を譲り、1593年にライデン大学の植物園にその球根を植えました。それが西ヨーロッパでのチューリップ栽培の始まりでした。チューリップは人気を博し、一部の人が熱狂的になり投機に走り、チューリップバブルが起きました。その後、熱が冷め、多くの商人が破産に追いやられました。

    運河のところに、このような歴史案内板がありました。
    ライデン大学についてのもので、オランダ独立戦争の際にこの町が当時オランダを統治していたスペインに勝利したことから,それを称えオレンジ公ウイリアム から市民へ贈られたオランダ最古の大学だとのことです。

    大学附属の植物園の説明もありました。16世紀にトルコにいたオーストリアの大使がチューリップの球根を持ち帰りました。彼がカルロス・クリシウスにその球根を譲り、1593年にライデン大学の植物園にその球根を植えました。それが西ヨーロッパでのチューリップ栽培の始まりでした。チューリップは人気を博し、一部の人が熱狂的になり投機に走り、チューリップバブルが起きました。その後、熱が冷め、多くの商人が破産に追いやられました。

  • ここはライデン大学植物園の入口です。1592年に園芸家として名高いカロルス・クルシウスの指揮のもと、医学の教育用に植物園、薬草園が作られたそうです。多数の植物が植えられ、その中にはトルコから持ち帰られたチューリップの球根もあったのだとか。<br /><br />エントランスの上には、アムステルダムの『チューリップ博物館』で見たレンブラントがチューリップの髪飾りの妻を描いた「春の女神フローラに扮したサスキア」が 飾られていました。

    ここはライデン大学植物園の入口です。1592年に園芸家として名高いカロルス・クルシウスの指揮のもと、医学の教育用に植物園、薬草園が作られたそうです。多数の植物が植えられ、その中にはトルコから持ち帰られたチューリップの球根もあったのだとか。

    エントランスの上には、アムステルダムの『チューリップ博物館』で見たレンブラントがチューリップの髪飾りの妻を描いた「春の女神フローラに扮したサスキア」が 飾られていました。

  • 植物園に少しだけ入ってみました。日本庭園、温室も含めた有料ゾーンがありますが、この部分は無料でした。<br />もともとここには医療用の植物を植えていたのですね~ そういえば、鎖国時代、オランダ医学はかなり進んでいて、杉田玄白がオランダ語医学書を翻訳、『解体新書』が出版されたと歴史で習いましたね~。

    植物園に少しだけ入ってみました。日本庭園、温室も含めた有料ゾーンがありますが、この部分は無料でした。
    もともとここには医療用の植物を植えていたのですね~ そういえば、鎖国時代、オランダ医学はかなり進んでいて、杉田玄白がオランダ語医学書を翻訳、『解体新書』が出版されたと歴史で習いましたね~。

  • ここでも建物の壁に「菅原道真」の有名な句が書かれていました。

    ここでも建物の壁に「菅原道真」の有名な句が書かれていました。

  • 帰国後、ライデン大学を活動拠点にしたシーボルトの胸像もありました。

    帰国後、ライデン大学を活動拠点にしたシーボルトの胸像もありました。

  • 植物園を出て運河のところに戻ると、またボートがやって来たので、カメラを取り出しパチリ!

    植物園を出て運河のところに戻ると、またボートがやって来たので、カメラを取り出しパチリ!

  • どんどんやって来て・・・何枚も撮ってしまいます。

    どんどんやって来て・・・何枚も撮ってしまいます。

  • これは17世紀当時の運河の様子だそうです。*歴史案内板より<br />樹木の高さは違うものの、よく似た景色のようです。

    これは17世紀当時の運河の様子だそうです。*歴史案内板より
    樹木の高さは違うものの、よく似た景色のようです。

  • 次に向かったのが、『シーボルトハウス(SieboldHuis)』です。<br />この建物は16世紀初めに設立され、ライデンに帰還したシーボルトはこの邸宅を購入し、1837年まで居住。この邸宅で彼は日本滞在中に収集したコレクションを公開。その後オランダ王家に売却された後、コレクションはライデン民族学博物館などに収蔵されたのだとか。<br /><br />その後、日蘭交流400周年にあたる2000年に改装され、2005年3月に日本博物館として開館したのだそうです。

    次に向かったのが、『シーボルトハウス(SieboldHuis)』です。
    この建物は16世紀初めに設立され、ライデンに帰還したシーボルトはこの邸宅を購入し、1837年まで居住。この邸宅で彼は日本滞在中に収集したコレクションを公開。その後オランダ王家に売却された後、コレクションはライデン民族学博物館などに収蔵されたのだとか。

    その後、日蘭交流400周年にあたる2000年に改装され、2005年3月に日本博物館として開館したのだそうです。

  • ドイツ人である「シーボルト」は1823年、オランダ政府によって日本の出島に送り出されました。<br />オランダ人は出島を出ることができませんでしたが、医者のシーボルトは往診時に出島を出る機会があり、いろいろ収集したのだとか。ここでは日用品、浮世絵、漆器などの工芸品、動植物標本、古地図などの様々なコレクションの展示を見ることができるそうです。興味はありましたが、時間の都合でパスしたのでした。

    ドイツ人である「シーボルト」は1823年、オランダ政府によって日本の出島に送り出されました。
    オランダ人は出島を出ることができませんでしたが、医者のシーボルトは往診時に出島を出る機会があり、いろいろ収集したのだとか。ここでは日用品、浮世絵、漆器などの工芸品、動植物標本、古地図などの様々なコレクションの展示を見ることができるそうです。興味はありましたが、時間の都合でパスしたのでした。

  • 運河の反対側には『国立古代博物館』が見えていました。

    運河の反対側には『国立古代博物館』が見えていました。

  • ライデンの街中を歩いていると、建物の壁に世界中の言語で書かれた詩や壁絵を目にします。この数式のようなのもその一つですね。

    ライデンの街中を歩いていると、建物の壁に世界中の言語で書かれた詩や壁絵を目にします。この数式のようなのもその一つですね。

  • ところ変わって、次に向かったのは『ライデン要塞』でした。<br />これは入口にあった『ブルグ門』です。

    ところ変わって、次に向かったのは『ライデン要塞』でした。
    これは入口にあった『ブルグ門』です。

  • 門の上には、交差する2本の赤い鍵が描かれた盾、その盾を前足で支え、剣を振り上げたライオンが飾られています。

    門の上には、交差する2本の赤い鍵が描かれた盾、その盾を前足で支え、剣を振り上げたライオンが飾られています。

  • 小高い丘があった場所にその要塞があります。これはもともと水害対策用に築かれたものだったとか。長い階段を上っていきます。

    小高い丘があった場所にその要塞があります。これはもともと水害対策用に築かれたものだったとか。長い階段を上っていきます。

  • 階段の途中から、ゴシック様式の『ホーグランツ教会(Hooglandse)』という教会がまるで宙に浮いてるかのように見えていました。

    階段の途中から、ゴシック様式の『ホーグランツ教会(Hooglandse)』という教会がまるで宙に浮いてるかのように見えていました。

  • 要塞の中はこのように円形に壁が築かれていました。この土丘はもともと水害対策用に築かれたそうですが、1573年の独立運動の際は、スペイン兵に包囲されて、ライデンの市民は長期間この中で籠城したのだそうです。<br /><br />オランダは15世紀に神聖ローマ帝国、ハスプスブルグ家の領地になりました。しかしハスプスブルグ家が分裂すると、ここはスペイン・ハスプスブルグ家のものとなり、スペインの飛び地になったんだそうです。この頃、この地ではプロテスタント運動が盛んになり、カトリックのスペインはこれを弾圧。これにに耐えかねた市民は、1568年オラニエ公ウイリアムの指導の下独立戦争を起こします。<br /><br />スペインのアルバ公はライデンに大軍を差し向け、、、<br />1573年から一年間、ライデンはスペイン軍に包囲されてしまいます。それで市民はこの城壁の中に立てこもり、飢えに苦しみながらスペイン軍と戦ったそうです。<br /><br />その時のスペインは大航海時代で交易で栄え世界最強の軍隊を持つ国でした。対するオランダは農民や漁師が武器をとった単なる市民兵だったとか。にもかかわらず、最後にはオランダ側が水門を破ってスペイン軍を水攻めにして、世界最強の軍隊は退却したんだそうです。結果的には、市民兵が最強軍隊に勝利!大いなる粘り勝ちをしたのだそうです。

    要塞の中はこのように円形に壁が築かれていました。この土丘はもともと水害対策用に築かれたそうですが、1573年の独立運動の際は、スペイン兵に包囲されて、ライデンの市民は長期間この中で籠城したのだそうです。

    オランダは15世紀に神聖ローマ帝国、ハスプスブルグ家の領地になりました。しかしハスプスブルグ家が分裂すると、ここはスペイン・ハスプスブルグ家のものとなり、スペインの飛び地になったんだそうです。この頃、この地ではプロテスタント運動が盛んになり、カトリックのスペインはこれを弾圧。これにに耐えかねた市民は、1568年オラニエ公ウイリアムの指導の下独立戦争を起こします。

    スペインのアルバ公はライデンに大軍を差し向け、、、
    1573年から一年間、ライデンはスペイン軍に包囲されてしまいます。それで市民はこの城壁の中に立てこもり、飢えに苦しみながらスペイン軍と戦ったそうです。

    その時のスペインは大航海時代で交易で栄え世界最強の軍隊を持つ国でした。対するオランダは農民や漁師が武器をとった単なる市民兵だったとか。にもかかわらず、最後にはオランダ側が水門を破ってスペイン軍を水攻めにして、世界最強の軍隊は退却したんだそうです。結果的には、市民兵が最強軍隊に勝利!大いなる粘り勝ちをしたのだそうです。

  • 要塞の周囲は歩けるようになっていて、ライデン市街が一望できるようになっていました。

    要塞の周囲は歩けるようになっていて、ライデン市街が一望できるようになっていました。

  • ドーム状の建物は何でしょう?<br />チェックしてみると、『マーレ教会』で、オランダでプロテスタントの礼拝のために建てられた最初の教会なんだとか。

    ドーム状の建物は何でしょう?
    チェックしてみると、『マーレ教会』で、オランダでプロテスタントの礼拝のために建てられた最初の教会なんだとか。

  • 煉瓦色の大きな建物は、市庁舎(Stadhuis)を反対側からみた姿でした。ブレー通りから見た正面(ファサード)とは全く雰囲気が違っていました。

    煉瓦色の大きな建物は、市庁舎(Stadhuis)を反対側からみた姿でした。ブレー通りから見た正面(ファサード)とは全く雰囲気が違っていました。

  • 要塞を見終えたあと、次は町の中心部に向かいました。

    要塞を見終えたあと、次は町の中心部に向かいました。

  • この大きな建物と尖塔は、要塞からも見えていた市庁舎の一部です。尖塔がある建物が新しく見えるのは、1929年の火災で建て替えられた部分だと思います。<br /><br />この市庁舎(裏側)前は『フィスマルクト広場』で、かつて魚のマーケットがあったとのことです。

    この大きな建物と尖塔は、要塞からも見えていた市庁舎の一部です。尖塔がある建物が新しく見えるのは、1929年の火災で建て替えられた部分だと思います。

    この市庁舎(裏側)前は『フィスマルクト広場』で、かつて魚のマーケットがあったとのことです。

  • これはフィスマルクト広場に立つ『魚の噴水』です。<br />昔は、この噴水は魚市場で売られていた魚の掃除に使われていたそうです。<br /><br /><br />

    これはフィスマルクト広場に立つ『魚の噴水』です。
    昔は、この噴水は魚市場で売られていた魚の掃除に使われていたそうです。


  • フィスマルクト広場の前には水路、新ライン川(Nieuwe Rijn)、が流れていました。写真奥に見えるレモンイエローの建物は、屋根付きの橋です。<br />美しい橋だったので、近くからの姿を撮りたかったのですが、この日、土曜日だったためか、橋には屋台がたくさん出ていて写真は撮れませんでした。

    フィスマルクト広場の前には水路、新ライン川(Nieuwe Rijn)、が流れていました。写真奥に見えるレモンイエローの建物は、屋根付きの橋です。
    美しい橋だったので、近くからの姿を撮りたかったのですが、この日、土曜日だったためか、橋には屋台がたくさん出ていて写真は撮れませんでした。

  • 両岸には遊歩道があり、土曜日の午後を多くの人が楽しんでいるようでした。

    両岸には遊歩道があり、土曜日の午後を多くの人が楽しんでいるようでした。

  • ここは新ライン川(ニーウェ・レインNieuwe Rijn)と、旧ライン川(アウデ・レインOude Rijn)との合流ポイントになっていて、水路が広くなっている場所でした。<br /><br />水上に浮かぶはしけ船などが、気持ちのいいテラスになっているカフェなどがあり、とても賑やかで活気のある場所でした♪<br />この水辺の景色が気に入って、表紙の写真にしました^ ^

    イチオシ

    ここは新ライン川(ニーウェ・レインNieuwe Rijn)と、旧ライン川(アウデ・レインOude Rijn)との合流ポイントになっていて、水路が広くなっている場所でした。

    水上に浮かぶはしけ船などが、気持ちのいいテラスになっているカフェなどがあり、とても賑やかで活気のある場所でした♪
    この水辺の景色が気に入って、表紙の写真にしました^ ^

  • 地図で見ると、こんな位置関係になります。

    地図で見ると、こんな位置関係になります。

  • フィス橋からもう一度屋根付き橋方面を眺めて・・・。

    フィス橋からもう一度屋根付き橋方面を眺めて・・・。

  • こちらは計量所方面を見たところです。

    こちらは計量所方面を見たところです。

  • 計量所に行ってみます。<br />この建物は、1657年に建てられたWaag 計量所です。<br /><br />昔からライン川の水はライデンの主要な動脈だったそうで・・・ 商品は小船で市内に到着。 その後、貨物は埠頭に積み降ろされ、商品は、計量所で計量されたんだとか。 重量は公式に調整されているため、購入者は安心して物を買うことができたそうです。

    計量所に行ってみます。
    この建物は、1657年に建てられたWaag 計量所です。

    昔からライン川の水はライデンの主要な動脈だったそうで・・・ 商品は小船で市内に到着。 その後、貨物は埠頭に積み降ろされ、商品は、計量所で計量されたんだとか。 重量は公式に調整されているため、購入者は安心して物を買うことができたそうです。

  • 建物の上には、計量している様子が描かれたレリーフがありました。右にいる役人が天秤を見て計量しています。<br /><br />今も感じることですが、オランダの人は、いつの時代も公平・公正を昔から重んじていたのですね!

    建物の上には、計量している様子が描かれたレリーフがありました。右にいる役人が天秤を見て計量しています。

    今も感じることですが、オランダの人は、いつの時代も公平・公正を昔から重んじていたのですね!

  • 計量所は、今はカフェとして使われているようでした。

    計量所は、今はカフェとして使われているようでした。

  • 艀船を利用したカフェ♪ 気持ち良さそうです。

    艀船を利用したカフェ♪ 気持ち良さそうです。

  • 少し進むと、カタリーナ橋があります。後方にハルテブルグ教会(Hartebrugkerk)が見えています♪

    少し進むと、カタリーナ橋があります。後方にハルテブルグ教会(Hartebrugkerk)が見えています♪

  • カタリーナ橋から見た旧ライン川方面

    カタリーナ橋から見た旧ライン川方面

  • 反対側、合流後の水路方面です。

    反対側、合流後の水路方面です。

  • 土曜日の夕方、少し早めのディナーでしょうか。どこも水辺の席は満席で、食事を楽しんでいるようでした♪

    土曜日の夕方、少し早めのディナーでしょうか。どこも水辺の席は満席で、食事を楽しんでいるようでした♪

  • カタリーナ橋から見えていた『ハルテブルグ教会(Hartebrugkerk)』の前にやって来ました。<br />教会は、当時同じ名前の橋にちなんで名付けられたそうで、教会はファサード入口の上にラテン語で「ここには神の家、そして天国の門です」と書かれているそうです。

    カタリーナ橋から見えていた『ハルテブルグ教会(Hartebrugkerk)』の前にやって来ました。
    教会は、当時同じ名前の橋にちなんで名付けられたそうで、教会はファサード入口の上にラテン語で「ここには神の家、そして天国の門です」と書かれているそうです。

  • 次に訪れたのが、マーレ教会(Marekerk)です。ライデン要塞からドーム状の部分が見えていた建物を見に来てみました。<br />1649年、オランダでプロテスタントの礼拝のために建てられた最初の教会だそうで、ドームのように見えた建物は実際は八角形でした。

    次に訪れたのが、マーレ教会(Marekerk)です。ライデン要塞からドーム状の部分が見えていた建物を見に来てみました。
    1649年、オランダでプロテスタントの礼拝のために建てられた最初の教会だそうで、ドームのように見えた建物は実際は八角形でした。

  • マーレ教会の先には、マーレ橋(Marebrug)という、スタイリッシュな青緑色の跳ね橋がありました。

    マーレ教会の先には、マーレ橋(Marebrug)という、スタイリッシュな青緑色の跳ね橋がありました。

  • 橋の上から水路を眺めてみると、3、4階建ての美しい建物が建ち並んでいました。

    橋の上から水路を眺めてみると、3、4階建ての美しい建物が建ち並んでいました。

  • 対岸にある建物のうち、左のレトロなものは、Scheltemaという1817年に設立された毛布工場だったそうです。工場は当時の急速な機械化と近代化に追いつくことができなくなり閉鎖され、現在は文化イベントが開催される複合施設になっているそうです。

    対岸にある建物のうち、左のレトロなものは、Scheltemaという1817年に設立された毛布工場だったそうです。工場は当時の急速な機械化と近代化に追いつくことができなくなり閉鎖され、現在は文化イベントが開催される複合施設になっているそうです。

  • 『ラーケンハル美術館』が見えてきました。このあたりでは、かつて繊維取引の中心地だったということで、この建物は1640年に建てられ、繊維会館として利用されていたそうです。<br />

    『ラーケンハル美術館』が見えてきました。このあたりでは、かつて繊維取引の中心地だったということで、この建物は1640年に建てられ、繊維会館として利用されていたそうです。

  • 湾曲した水路に沿って歩いてくると、『ベーステンマルクト(Beestenmarkt)広場』に出ました。この水辺に面した広場は、人々の憩いの場であり・・・

    湾曲した水路に沿って歩いてくると、『ベーステンマルクト(Beestenmarkt)広場』に出ました。この水辺に面した広場は、人々の憩いの場であり・・・

  • 運河クルーズ船の発着場にもなっていました。

    運河クルーズ船の発着場にもなっていました。

  • 広場から風車が見えていたので、近づいてみると、【デ・ファルク風車(Molenmuseum de Valk)】でした。<br />この風車は、1743年に建てられ1964年まで実際に使われていたとか。現在は『市立風車博物館』として使われているとのことでした。<br /><br />風車内部の仕事場や風車内の生活を見学できるらしく、上まで上ればライデンの町並みを一望できるのだとか・・・。

    広場から風車が見えていたので、近づいてみると、【デ・ファルク風車(Molenmuseum de Valk)】でした。
    この風車は、1743年に建てられ1964年まで実際に使われていたとか。現在は『市立風車博物館』として使われているとのことでした。

    風車内部の仕事場や風車内の生活を見学できるらしく、上まで上ればライデンの町並みを一望できるのだとか・・・。

  • またベーステンマルクト広場に戻り、暫し水辺の景色を眺めていました。

    またベーステンマルクト広場に戻り、暫し水辺の景色を眺めていました。

  • ライデンを数時間、街歩きをしてみて・・・<br />同じオランダの水辺が美しい街でもそれぞれ違っていて、都市部のアムステルダムとも違い、コンパクトで、数時間でも主要な見どころをのんびり巡ることが出来る街だという印象を受けました。<br /><br />帰る頃にはすっかりお天気も回復し、このあと、この日宿泊するロッテルダムに戻りました(*^^*)

    ライデンを数時間、街歩きをしてみて・・・
    同じオランダの水辺が美しい街でもそれぞれ違っていて、都市部のアムステルダムとも違い、コンパクトで、数時間でも主要な見どころをのんびり巡ることが出来る街だという印象を受けました。

    帰る頃にはすっかりお天気も回復し、このあと、この日宿泊するロッテルダムに戻りました(*^^*)

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この旅行記へのコメント (10)

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  • あまいみかんさん 2019/07/03 18:42:28
    すご~~~く綺麗なライデンの街。
    こんにちは、akikoさん。

    ご無沙汰してます。
    お話はアムスからヒートホルン、ヒンデスローペンから、ライデンへと移ってますが、
    素敵な場所をすっ飛ばして、まずはライデンからお邪魔させて下さいね。
    私事ですが、十数年前、オランダに赴任となった姪家族が、「宿泊は提供します、一緒に遊びには行けないけど、それで良いなら遊びに来て~。」って申し出に、
    喜んで出掛けた私。
    日本食品をいっぱい詰めた荷物を持って急遽出掛けたのが10月末から11月へかけての
    2週間。到着当日は時間が遅かったので、中央駅前のホテルに泊。
    オランダってどんな国なの?
    あまり知識もなかったの。風車とチューリップとシーボルト位か・・・。
    それでも、毎日閑静な新興住宅街にある姪の家を起点に、今日はユトレヒト、
    ロッテルダム、デン・ハーグ等々と出掛け、姪の夫さんから、初めての所なのに、
    よくそんなに大胆に歩けるねってあきれられた・・・。大台風もあり、
    列車も遅れ気味の毎日ダッタ。
    子育て中は、海外行きたい思いをず~っと、心の奥底に封印して来ていた・・・・
    だからでしょうか・・・今よりは若かったからでしょうか、怖い物なんて
    何もない!!!
    見るもの全てが不思議で、面白くて・・・。
    ・  ・  ・   ・
    かつて万博公園の中に国際美術館っていうのがあって(2005年に閉館。現在は中之島に移転)、そこで、「シーボルト展」をやってたんです、随分昔の話ね。
    「シーボルトが見た日本」だったか「シーボルトと蝦夷」だったか忘れたけど、アイヌに関する民族衣装や工芸品などが沢山展示されていて、漆器、浮世絵、下駄や鏡、桶に至る日用品、古地図、植物の押し花(標本)など、シーボルトがどんなに日本に興味を持っていたか初めて知りました。書かせた絵もいっぱい。
    医者って思ってたけど、この人文化人類学者みたい・・・・って。
    というか、地図を始め、あまりに沢山のものを持ちだそうとしたので、幕府に
    隠密の疑いを受け追放された・・・。
    独人だけど、のちライデン大学で教鞭をとる。ライデン大学には植物園もある。
    オイネさんの話もドラマ化された?日本ゆかりの地、ライデン大学を是非是非訪ねたいと思ってた~。 前置き長いね、私!!!
    でも、ベルギーに行ったり、コンセルトヘボーホールなどをウロウロしている内に
    タイムアウト。訪ねることはできなかった~。
    今回、akikoさんの旅行記で、とっても見どころの多い、美しい街だというのを知りました。運河も広くて、春のお花もいっぱいで、もうワックワク気分になりました。
    運河の両側の遊歩道を歩くのもとっても気持ちよさそうで、テラスにカフェが出て
    皆さんがユッタリ楽しんでいる様もいいですね。
    レンブラントがライデン出身だって言うのも、akikoさんの旅行記で初めて知り、随分
    秀才であったこと、実際に通ったラテン学校まで見れて、本当にこの世に存在していた人物なのだと改めて実感。アムスの人ではなかったのね。
    キンデルダイクでみたような風車とか、ブルージュの外周をちょっと歩いてみるか。。。っと歩いている時に見たリュックサック型の風車とかも見れて、
    なんだかとても懐かしく思いました。
    ヨーロッパの街並みは好きだけど、歴史も何も知らない私です。が、旅行記の中の要塞への入り口のハプスブルグ家の双頭の鷲の紋章を見て、ウィーンのお城で○○が
    オランダを統治していた・・・とかって書いてたのを思い出したり、ヨーロッパの王族は血縁関係が近い。。。。っとか言うのを思い出したり、
    俳句や和歌が壁に書かれていたり、
    なんだか、国と国とのつながりの歴史の深さと関係を思ったりしたのでした。
    お母さん一人で勝手にオランダを楽しんで・・・当時高校生の娘は
    思ったのでしょうか。
    大学生の時、何を思ったか、短期ではあるけどチューリップの頃に
    北オランダの大学に留学したんですよ。
    中古の自転車を買って、きっとakikoさんが見たような景色を見たんでしょうね。
    私へのお土産は、その時の自転車用の掛けカバン、暫くとっても重宝したわ。
    教会も街も、信じがたい位、綺麗で絵になるライデンの街ですね。
    akikoさんの旅行記は写真も文章もとても素敵で、あ~、あ~、またokkake ryoko
    したくなるではないですかあ!!!
    あまいみかん

    akiko

    akikoさん からの返信 2019/07/04 07:21:23
    RE: すご〜〜〜く綺麗なライデンの街。
    あまいみかんさん、こんばんは☆

    メッセージどうもありがとうございます。
    十数年前、みかんさんがお一人で姪っ子さんを訪ねてオランダに2週間いらしたお話、まるで自分がみかんさんになった気分で聞かせていただきました。

    「子育て中は、海外行きたい思いをず〜っと、心の奥底に封印して来ていただからでしょうか」という部分、私も同じでした。欧州に行く機会ができ、夢中でいろんな街を訪ね歩かれたとのこと。私もきっとそうしただろうと思います。ヨーロッパの街は、石造りで、重厚な歴史的建造物が多くて「見るもの全てが不思議で、面白くて・・・」心を奪われますよね。日本のように街中が広告で溢れ、まとまりのない景色ではなくて、旧市街は整然と美しい街並みが残っていて・・・、美術館が身近にあって、教会も素晴らしい。。。姪っ子さんからのお誘いは、とても良いチャンスでしたね!

    昔、万博公園の中にあった国際美術館で、「シーボルト展」があったんですね!
    > 「シーボルトが見た日本」だったか「シーボルトと蝦夷」だったか忘れたけど、アイヌに関する民族衣装や工芸品などが沢山展示されていて、漆器、浮世絵、下駄や鏡、桶に至る日用品、古地図、植物の押し花(標本)など、シーボルトがどんなに日本に興味を持っていたか初めて知りました。書かせた絵もいっぱい。
    > 医者って思ってたけど、この人文化人類学者みたい・・・・って。

    オランダ政府がシーボルトに「可能な限り日本についての情報を集めよ 」との特命があったそうですが、それにしてもすごい収集品の数と貴重であろうものを見極めた目利きには驚かされますね〜

    > オイネさんの話もドラマ化された日本ゆかりの地、ライデン大学を是非是非訪ねたいと思ってた〜。

    シーボルトとお瀧さんの間で生まれた娘のイネさんって、本当に美人で驚きました。そのおイネさん、お父さんから送られてくる医学書を読み、医学を学び、日本人女性で初めて産科医になったんですってね!

    > 今回、akikoさんの旅行記で、とっても見どころの多い、美しい街だというのを知りました。運河も広くて、春のお花もいっぱいで、もうワックワク気分になりました。

    いつも自己満足の旅行記になっているような気がしているので... そう言ってもらえてとてもうれしいです(#^.^#)

    > 運河の両側の遊歩道を歩くのもとっても気持ちよさそうで、テラスにカフェが出て
    > 皆さんがユッタリ楽しんでいる様もいいですね。

    そうでした〜♪運河沿いのカフェで、午後のひとときをゆったり楽しまれているようでした。

    > レンブラントがライデン出身だって言うのも、akikoさんの旅行記で初めて知り、随分
    > 秀才であったこと、実際に通ったラテン学校まで見れて、本当にこの世に存在していた人物なのだと改めて実感。アムスの人ではなかったのね。

    アムステルダムでも暮らし、活動もしていたので、アムスにも「レンブラントの家」がありました。でも生まれ育ったのはライデンでした。幼少の頃から優秀だったようで、のちの画家人生にもその聡明さが活きたのでしょうね〜

    オランダとハプスブルク家と言われてもピンときませんが、街歩きをしていると、紋章なんかでハプスブルク家の面影を感じたりすることありますね。かつては婚姻政策を通じて影響力を拡大したようで、その関係がややこしくて歴史を理解するのが大変〜(笑)

    > なんだか、国と国とのつながりの歴史の深さと関係を思ったりしたのでした。

    俳句や和歌が壁に書かれていたりするのは、日本に親しみを感じてくれているからですよね。日本の皇室とオランダ皇室も親密でとても良い関係のようで、うれしいですよね〜

    みかんさんや姪っ子さんの影響で、娘さんが北オランダを留学先に決められたんでしょうね。お土産は、自転車用の掛けカバンだったんですね!日本ではあまり売っていないもので、きっとあると、とても便利なんでしょうね〜。

    きっと、みかんさんとオランダは縁がおありなんだと思います。ぜひまたokkake ryokoを・・・(^_-)-☆

    akiko
  • るなさん 2019/07/03 07:13:19
    レンブラントがいっぱい♪
    akikoさ~ん、おはようございます♪
    蒸し暑い毎日、既にぐったりで夏がしんどい私です。
    先日は色々ありがとうございました~続き、メールします(笑)

    オランダって土地が低いせいか水辺が近い!!艀船を利用したカフェも素敵。
    水深も浅いのかしら?大きな橋とかは建設が無理そうですよね。跳ね橋が多いのもそのせい?ってよくわかってないですが(苦笑)でも、インフラとしての役目も当然ある運河ですから重要ですよね。

    切妻屋根はベルギーでもたくさんありますよね。段々になっているところが可愛い♪
    ブルージュでは段々屋根に縁取りされたイルミネーションが綺麗だったな☆って思い出されます。

    ライデンの市庁舎も立派ですねぇ~ヨーロッパってホントにこうした公共施設の建物が立派で美しくて驚きますよね。
    いきなり松尾芭蕉の句が出てきてびっくりぃ(笑)っと思ったら菅原道真もですか@@;旅先で日本語見ると何だか驚きが先立つ私ですよ(笑)

    レンブラントの息吹がそこかしこに残り素敵な街ですねぇ~数時間の滞在でもたっぷりライデンを楽しまれたようですね!

    るな

    akiko

    akikoさん からの返信 2019/07/03 22:30:15
    RE: レンブラントがいっぱい♪
    るなさ〜ん、またまたありがとう♪

    結構、湿度が高いのは身体にこたえますよね!無理しないでね〜!

    > オランダって土地が低いせいか水辺が近い!!

    そうそう!オランダでは水辺が近くて、しかも手が届くところまで水面がきてるのは驚きでした。だからどこでも水辺の景色が美しいんですね♪ 艀船を利用したカフェも素敵でしょう!日本ではあまりないですよね?

    水深と橋の件は、勝手な想像ですが、ヒートホルンの水路は燃料のピートを採掘したあとで水深は浅かったけれど、ライデンの水路はライン川の支流らしい ので、そこそこ水深はあると思います。大きな橋がなくて跳ね橋が多いのは景観を重視しているせいかな。。。昔のままの姿の方が絵になりますものね。「知らんけどー^ ^」←大阪人がよく自信がない自分の意見の最後につける言い回しです(笑)

    > 切妻屋根はベルギーでもたくさんありますよね。段々になっているところが可愛い♪
    > ブルージュでは段々屋根に縁取りされたイルミネーションが綺麗だったな☆って思い出されます。

    そうでした^ ^ 特に、ブルージュのギルドハウス、おもちゃの家みたいで可愛かったですよね♪ るなさんが訪れたのは真冬でイルミネーションがキラキラとても綺麗でしたね!!

    > ライデンの市庁舎も立派ですねぇ〜ヨーロッパってホントにこうした公共施設の建物が立派で美しくて驚きますよね。

    ここが本当に現役の市庁舎?って思うほど立派で壮麗な建物ばかりでした。昔は町の威厳を示すためにも出来る限り立派な建物にする必要があったのでしょうが、それを今でも使っているのが素晴らしい!!ですね。 

    > いきなり松尾芭蕉の句が出てきてびっくりぃ(笑)っと思ったら菅原道真もですか@@;旅先で日本語見ると何だか驚きが先立つ私ですよ(笑)

    確かにそうですね!きっとライデンはシーボルトの影響が大きいのでしょうね。ヨーロッパの大学の中で、日本語学科が最初にできたのがライデン大学だったらしいですし、日本とのつながりが強いこともあるのかな。。。

    > レンブラントの息吹がそこかしこに残り素敵な街ですねぇ〜数時間の滞在でもたっぷりライデンを楽しまれたようですね!

    没後350年を記念するイベントに乗じて、"にわか"レンブラントファンとなって、ライデンを巡りました(笑)レンブラントというプラスアルファがあったので、ライデンの街歩きも通常より楽しめたような気がします(#^.^#)

    次は斬新な建物がいっぱいのロッテルダムです。ぜひまた見にきてくださいね〜♪

    akiko
  • ぎっちゃんさん 2019/07/02 23:41:41
    ライデン~
    akikoさん こんばんは~

    ライデンの旅行記 先に書いていただいてありがとうございます。
    同じところに行かれたとは思えないほど akikoさんの説明が詳しくて
    とっても勉強になりました。

    私の行った4月初めより やっぱり緑とお花が多いですね。
    私は 午前中にいったのですが 寒くて 雨が降りそうになったので 
    急いでデンハーグまで 戻りました。
    要塞の上まで私も上りました。
    ちょうど教会の鐘が鳴って 感動的な景色でした。
    私はシーボルトハウスと民族博物館で たくさんの時間を過ごしてしまって
    あまり街歩きができなかったのかもしれません。
    akikoさんの写真を拝見して ライデンのこと 一層好きになりました。

    私も オランダ旅行記 次はやっとライデンです。
    もう 写真とほんの1文ぐらいしか 載せれないと思いますが
    akikoさんが こんなに詳しく書いてくださっているので 私は もういいですね。
    美しい街ライデンを紹介してくださってありがとうございます。

    akiko

    akikoさん からの返信 2019/07/03 20:24:44
    RE: ライデン〜
    ぎっちゃん、こんばんは〜

    1ヶ月半ほどあとで、ぎっちゃんご夫婦を追っかけた!?ようなオランダ旅でした。
    訪問地の一つライデンは、オランダにしたら特にメジャーな観光地ではないですが、美しい水路が流れる素敵な街でしたね!

    4月はまだ寒かったですか。お花や水辺の景色を楽しむには、少し暖かくなってからの方がいいかもしれないですね〜
    それでも、ライデンには違う楽しみ方があって、ぎっちゃんはシーボルトハウスや民族博物館をゆっくりご覧になったそうですね。私もシーボルトハウスはとても興味があったんですが、何せ時間がなかったので、外観を見ただけでした。大変珍しいものがたくさん展示されていたんでしょうね〜

    ライデン要塞の上にも行かれたんですね。ぎっちゃんの話を聞いて、私も教会の鐘の音を聞いたのを思い出しました。古い歴史がある街で聴く鐘の音は特別な感じがしましたね。

    ぎっちゃんの次の旅行記は『マドローダム』でしたよね? また見せてもらいに行きます(#^.^#)
    ライデン編ではシーボルトハウスのことなどを紹介してくださいね!

    akiko
  • cheriko330さん 2019/07/01 19:03:15
    ライデンといえばシーボルトでした(ノ゚ο゚)ノ wワオッ!!
    akikoさん、こんにちは(^^)

    梅雨に入り一気にジメジメですね。雨の被害も出ています。
    そんな中、爽やかな旅行記を拝見しました。

    ヒートホルン→スネーク(かなり大きな街)、ヒンデローペン→ライデンと
    段々大きな街を訪れたのですね。ヒートホルンを現代版にすると
    ヒンデローペンみたいな感じになるのかなぁ!
    ヒンデローペン塗りが溢れる可愛い街ですね。トレイや小物、素敵です。
    欲しいわ。もちろん自転車もね(*'▽')b でもお値段付けられそうに
    ないですね。
    akikoさんは自身で作成した、たくさんのお宝をお持ちなのね☆

    ライデンといえば今まではシーボルトが浮かびましたが、これからは
    レンブラントだわ。日本ではあまり知られていませんね。
    シーボルトハウスには日本からこんな物までっていうのを持ち帰り
    展示していますね。以前にテレビで見ました。建物の壁に書かれた
    松尾芭蕉の句も何度も見ましたよ。でも色んな国の詩人の方のも
    あるとは知りませんでした。ライデンは歴史ある街で、お陰で色々と
    勉強にもなりました。連日の街歩きお疲れさまでした。

    オランダは運河の国なので水の都も多く、行きたいところ多しです。
    また続きも楽しみです。

    cheriko330

    akiko

    akikoさん からの返信 2019/07/01 21:40:20
    RE: ライデンといえばシーボルトでした(ノ゚ο゚)ノ wワオッ!!
    cheriko330さん、こんばんは♪

    今晩のニュースでも、九州南部が特に長雨の被害を受けていると報道されていました。さらなる被害が出なければいいのですが...。世界的にも気候がおかしくなっていて、2日ほど前、フランスのガール県では45.9度まで上がったと報道されていました。梅雨はなければ困るのでしょうが、なんでも極端は困りますよね〜〜

    > ヒートホルン→スネーク(かなり大きな街)、ヒンデローペン→ライデンと
    > 段々大きな街を訪れたのですね。

    田舎から順に廻ると決めていたわけではないのですが、偶然そうなりました^ ^ 田舎には田舎の良さがあり、いろんな姿の水辺が美しいオランダを見ることができてよかったです!

    > ヒンデローペン塗りが溢れる可愛い街ですね。トレイや小物、素敵です。

    そうなんです。日常使う生活用品にもペイントされているって素敵ですよね♪ 綺麗に絵付けされた自転車は、売り物じゃなかったと思いますが、買ったとしても、もったいなくて乗れそうにないです(笑)土産物店では、ペイントされた品物はさほど高くないんですが、手描きの本物のヒンデローペン塗りはかなり高価でした。 

    > akikoさんは自身で作成した、たくさんのお宝をお持ちなのね☆

    宝なんて〜〜f^_^;) でもよかったらakiko塗りの小物やトランクまでたくさんありますので、いかがですか?(笑)

    > ライデンといえば今まではシーボルトが浮かびましたが、これからは
    > レンブラントだわ。日本ではあまり知られていませんね。

    そう、これからは『レンブラントの故郷・ライデン』で売り込みます!←誰も頼んでいないって影の声(笑)

    > シーボルトハウスには日本からこんな物までっていうのを持ち帰り
    > 展示していますね。以前にテレビで見ました。

    そうそう。私たちにとって江戸時代の珍しい品物を異国で見るという不思議な経験でしたね。それからシーボルトはユリやアジサイなども持ち帰ったそうで、とても美しい西洋アジサイなどの元になったというのをどこかで聞いたような記憶があります。

    > 建物の壁に書かれた松尾芭蕉の句も何度も見ましたよ。でも色んな国の詩人の方のも
    > あるとは知りませんでした。

    私も事前に芭蕉や道真の句が書かれているのを見ていたので、実際それを見つけてうれしかったです。日本の俳句や歌だけでなく、いろんなパターンがありました。

    > オランダは運河の国なので水の都も多く、行きたいところ多しです。
    > また続きも楽しみです。

    次はロッテルダム編になると思います。またお立ち寄りくださいね〜(^^)♪

    akiko
  • りぽちゃんさん 2019/06/30 23:00:21
    数時間とは思えないライデン街歩き♪
    akikoさま、こんばんは☆

    たった数時間とは思えない充実の街歩き!
    この日の歩数は一体どのくらいだったのか、とっても気になる見事な歩きっぷりですね!(笑)

    水辺にお花のあるakikoさまのお気に入りの風景♪
    ボートが行き交う川のお写真がakikoさまの心の高揚を表しているかのようでした。

    レンブラントはライデンで生まれ育ったのですね。
    ヤングレンブラントスタジオ、私も行ってみたいです♪
    そしてシーボルトの日本博物館も気になる・・・
    どんな目線で日本を捉えていたのかしら?

    要塞の階段前の門、とってもカラフルですね。
    ちょっとスペインのグエル公園を思い出しました。
    多少なりともスペインの影響があるのでしょうか?
    でも独立戦争の折にはその要塞で籠城・・・
    もしスペインの影響を受けた装飾であれば、それはそれでちょっと皮肉ですね(^^;)

    他にもたくさんの場所を紹介して下さりありがとうございました☆
    説明も丁寧でとっても勉強になりました!

    りぽちゃん

    akiko

    akikoさん からの返信 2019/07/01 16:45:45
    RE: 数時間とは思えないライデン街歩き♪
    りぽちゃん、こんにちは♪

    この日は、ヒンデローペン ーロッテルダムーデルフトーライデンーロッテルダムという、とても非効率的な周り方をしてしまいました(⌒-⌒; ) 日曜日はデルフトの旧・新教会が見学ができないため、前日のこの日教会に入るために、デルフトまで含めて、、、そしてライデンからロッテルダムに戻った19時半頃からロッテルダムの街歩きをするという強行軍でした。しめて30192歩。ふだんなら考えられない歩数です〜(笑)

    "運河にお花がある景色"、あとで見直すと、アムステルダムでもライデンでもデルフトでも、お花がペチュニアが多かったので、ほぼどれも同じ〜〜(^^ゞ どこが違う??と笑ってしまいました。でもりぽちゃんの仰る通り、水辺にお花のある景色を見ると、「あっ、またあった!」と心がときめいていたのは、その通りです!(笑)

    ライデンがレンブラントの故郷だとは、私もこの旅行の時まで知りませんでした。たまたま今年がレンブラント没後350周年だということで、流れに乗り!?、レンブラントのゆかりの地を巡ってみました^ ^ ヤングレンブラントスタジオでは、たった7分にレンブラントの一生をギュッと短くまとめて紹介されていて、楽しい仕掛けもあるビデオマッピングでした。
    シーボルトハウスは、私たち日本人でも珍しくて貴重だと思う、膨大な数のコレクションが展示されているようで、見てみたいですね!

    要塞の階段前の門にカラフルな紋章が飾られていたでしょう。独立戦争の時、スペインの統治に抵抗するために北部7州が手を組んだと聞いたので、おそらくその州の紋章なのじゃないのかなって思います。確かにグエル公園の装飾にどこか似ていますね(^_-)-☆

    見てもらったうえに、メッセージもどうもありがとうございました♪

    akiko

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