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今年最後の三連休は、家でのんびりしようと思っていたのだが、29日以降の気温がかなり低そうだったので、今のうちに鎌倉を歩いておこうと思い、急遽出発。<br />鎌倉までは、いつもの乗り継ぎで向かう。<br />そして、鎌倉駅には9時半過ぎに到着。<br />今回は、気になっていた元八幡神社を参拝し、その後、材木座海岸まで歩いてみることにした。

続・鎌倉四季物語【12月】~材木座までのんびりと~

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2018/12/24 - 2018/12/24

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旅行記グループ 続・鎌倉四季物語

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旅猫

旅猫さん

今年最後の三連休は、家でのんびりしようと思っていたのだが、29日以降の気温がかなり低そうだったので、今のうちに鎌倉を歩いておこうと思い、急遽出発。
鎌倉までは、いつもの乗り継ぎで向かう。
そして、鎌倉駅には9時半過ぎに到着。
今回は、気になっていた元八幡神社を参拝し、その後、材木座海岸まで歩いてみることにした。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩

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  • 駅前から、とりあえず大巧寺へと向かう。<br />山門には、すでに角松が飾られていた。<br />

    駅前から、とりあえず大巧寺へと向かう。
    山門には、すでに角松が飾られていた。

    大巧寺 寺・神社・教会

  • 境内では、水仙などが咲いている。<br />その中で、ひと際目立っていたのが姫金柑。<br />小さくて可愛い実がなっていた。

    境内では、水仙などが咲いている。
    その中で、ひと際目立っていたのが姫金柑。
    小さくて可愛い実がなっていた。

  • 大巧寺を後にして、大町方面へと歩いて行く。<br />鎌倉十橋のひとつである夷堂橋の手前にある本覚寺も、新年を迎える準備は万端のようだ。

    大巧寺を後にして、大町方面へと歩いて行く。
    鎌倉十橋のひとつである夷堂橋の手前にある本覚寺も、新年を迎える準備は万端のようだ。

    本覚寺 寺・神社・教会

  • 夷堂橋で滑川を渡ると大町となる。<br />懐かしい石川屋酒店を通り過ぎ、大町四つ角へ。<br />そこをさらに南へと進むと、大きな石碑が見えて来た。<br />町家址とあり、読んでみると、この辺りが鎌倉で一番賑やかだったところだったとのこと。<br />今は観光客はもちろんのこと、地元の人も疎らな静かな街となっている。

    夷堂橋で滑川を渡ると大町となる。
    懐かしい石川屋酒店を通り過ぎ、大町四つ角へ。
    そこをさらに南へと進むと、大きな石碑が見えて来た。
    町家址とあり、読んでみると、この辺りが鎌倉で一番賑やかだったところだったとのこと。
    今は観光客はもちろんのこと、地元の人も疎らな静かな街となっている。

  • 道なりに歩いて行くと、道の脇に、傾いた小さな石柱が建っていた。<br />そこには、『十橋之一 逆川橋』とあり、明治43年に、鎌倉保勝会が設置したものらしい。<br />この橋が架かっていた逆川は、北へ向かっていた流れが、この橋の先で大きく向きを変え、南へと流れることから名付けられたとも云われているそうだ。

    道なりに歩いて行くと、道の脇に、傾いた小さな石柱が建っていた。
    そこには、『十橋之一 逆川橋』とあり、明治43年に、鎌倉保勝会が設置したものらしい。
    この橋が架かっていた逆川は、北へ向かっていた流れが、この橋の先で大きく向きを変え、南へと流れることから名付けられたとも云われているそうだ。

  • その先で横須賀線の踏切に出た。<br />ちょうど、列車が通り過ぎて行った。

    その先で横須賀線の踏切に出た。
    ちょうど、列車が通り過ぎて行った。

  • 踏切の手前には、小さなお堂が建っていた。<br />辻の薬師と呼ばれる薬師堂で、本尊は行基作の薬師三尊立像だそうだが、元は護良親王が幽閉された東光寺の本尊だったとのこと。<br />現在は鎌倉国宝館に保管されていて、堂内には、平成6年に造立された別の薬師三尊が納められていた。

    踏切の手前には、小さなお堂が建っていた。
    辻の薬師と呼ばれる薬師堂で、本尊は行基作の薬師三尊立像だそうだが、元は護良親王が幽閉された東光寺の本尊だったとのこと。
    現在は鎌倉国宝館に保管されていて、堂内には、平成6年に造立された別の薬師三尊が納められていた。

    辻の薬師堂 寺・神社・教会

  • 踏切を渡ってすぐ右手の路地に、石清水の井と言うものがあると地図に載っていたので、行ってみることに。<br />その井戸は、住宅街の中にぽつんとあり、説明板すら無かった。<br />名称は、近くにある石清水八幡を勧請した由比元宮から取ったものだろう。<br />背後に建つ集合住宅の辺りは、小山別荘と呼ばれた広い家があり、芥川龍之介が一時期住んでいたそうだ。

    踏切を渡ってすぐ右手の路地に、石清水の井と言うものがあると地図に載っていたので、行ってみることに。
    その井戸は、住宅街の中にぽつんとあり、説明板すら無かった。
    名称は、近くにある石清水八幡を勧請した由比元宮から取ったものだろう。
    背後に建つ集合住宅の辺りは、小山別荘と呼ばれた広い家があり、芥川龍之介が一時期住んでいたそうだ。

  • そして、路地の奥に隠れるように鎮座していたのが、由比若宮。<br />この社は、源頼義が前九年の役の勝利の後、京の石清水八幡を勧請したもの。<br />後に頼朝が、この社を遷座したのが、現在の鶴岡八幡宮だ。<br />そのため、元八幡とも呼ばれている。

    そして、路地の奥に隠れるように鎮座していたのが、由比若宮。
    この社は、源頼義が前九年の役の勝利の後、京の石清水八幡を勧請したもの。
    後に頼朝が、この社を遷座したのが、現在の鶴岡八幡宮だ。
    そのため、元八幡とも呼ばれている。

    元鶴岡八幡宮 (芥川龍之介旧居跡) 寺・神社・教会

  • ここで、今回の旅の無事を祈願。<br />そして、いつもの大切なお願いも。<br />見れば、賽銭箱には鶴の神紋が付いていた。<br />その境内には、古そうな切り株と判読不明の立札があったが、後で調べると、『源義家公 旗立の松』と言うものらしい。<br />後三年の役の際、源義家が旗を立てた松と云われているらしい。

    ここで、今回の旅の無事を祈願。
    そして、いつもの大切なお願いも。
    見れば、賽銭箱には鶴の神紋が付いていた。
    その境内には、古そうな切り株と判読不明の立札があったが、後で調べると、『源義家公 旗立の松』と言うものらしい。
    後三年の役の際、源義家が旗を立てた松と云われているらしい。

  • ずっと気になっていた由比若宮を参拝したので、ある意味、もう満足。<br />とは言え、せっかくなので、予定通り材木座海岸まで歩いて行くことにする。<br />水道路と言う変わった名前の交差点を過ぎると、左手に明長寺と言うお寺さんが。<br />入口に脇に案内板があったので読んでみると、明治24年の夏に、泉鏡花が二ヶ月ほど滞在していて、この時の経験をもとに書いたのが『みだれ橋(後に『星あかり』に改題)』なのだそうだ。

    ずっと気になっていた由比若宮を参拝したので、ある意味、もう満足。
    とは言え、せっかくなので、予定通り材木座海岸まで歩いて行くことにする。
    水道路と言う変わった名前の交差点を過ぎると、左手に明長寺と言うお寺さんが。
    入口に脇に案内板があったので読んでみると、明治24年の夏に、泉鏡花が二ヶ月ほど滞在していて、この時の経験をもとに書いたのが『みだれ橋(後に『星あかり』に改題)』なのだそうだ。

    妙長寺 寺・神社・教会

  • その妙長寺の少し先に、題名となった『乱橋』があった。<br />橋はかなり小さく、川も用水路のよう。<br />しかも、西側は暗渠となっている。<br />名前の由来は、鎌倉幕府滅亡時、この橋の辺りで北条側が乱れたからと云われているが、東鑑には『濫橋』とあるので、後世に考えられたものであろう。

    その妙長寺の少し先に、題名となった『乱橋』があった。
    橋はかなり小さく、川も用水路のよう。
    しかも、西側は暗渠となっている。
    名前の由来は、鎌倉幕府滅亡時、この橋の辺りで北条側が乱れたからと云われているが、東鑑には『濫橋』とあるので、後世に考えられたものであろう。

  • その乱橋の先で東側の路地へと入る。<br />路地には、いくつかの寺社があり、以前も訪れたことがある。<br />今回は、季節を変えて、久しぶりに立ち寄ってみることにしたのだ。

    その乱橋の先で東側の路地へと入る。
    路地には、いくつかの寺社があり、以前も訪れたことがある。
    今回は、季節を変えて、久しぶりに立ち寄ってみることにしたのだ。

  • まず足を向けたのは、来迎寺。<br />ここには、源頼朝挙兵直後の衣笠城合戦で討死した三浦大介義明と、その四男で、前哨戦ともいえる小坪合戦で討ち取られた多々良三郎重春の墓がある。<br />血塗られた鎌倉の最初の犠牲者とでも言うべき武者に、『今は平和になっています』と静かに伝えた。

    まず足を向けたのは、来迎寺。
    ここには、源頼朝挙兵直後の衣笠城合戦で討死した三浦大介義明と、その四男で、前哨戦ともいえる小坪合戦で討ち取られた多々良三郎重春の墓がある。
    血塗られた鎌倉の最初の犠牲者とでも言うべき武者に、『今は平和になっています』と静かに伝えた。

    来迎寺 (材木座) 寺・神社・教会

  • 本堂裏手の住宅街の中には、無数の五輪塔が建っている。<br />これらは、衣笠城で討死した三浦の家臣の墓と云われている。<br />6年前の夏に訪れた時には、傍らにある百日紅が満開だった。

    本堂裏手の住宅街の中には、無数の五輪塔が建っている。
    これらは、衣笠城で討死した三浦の家臣の墓と云われている。
    6年前の夏に訪れた時には、傍らにある百日紅が満開だった。

  • 来迎寺脇の道を通り、路地へと戻る。<br />その道には、竹で組まれた塀があり、名残の秋に彩られていた。

    来迎寺脇の道を通り、路地へと戻る。
    その道には、竹で組まれた塀があり、名残の秋に彩られていた。

  • そして、次に立ち寄ったのは五所神社。<br />社殿は、路地から続く長い参道の奥に佇んでいる。<br />境内はとても狭いが、そこそこ立派な社殿が建っている。<br />元は、乱橋村の鎮守だった三嶋神社があった場所で、後に、材木座村の鎮守であった諏訪社など四社を合祀したため、五所神社と呼ばれているそうだ。

    そして、次に立ち寄ったのは五所神社。
    社殿は、路地から続く長い参道の奥に佇んでいる。
    境内はとても狭いが、そこそこ立派な社殿が建っている。
    元は、乱橋村の鎮守だった三嶋神社があった場所で、後に、材木座村の鎮守であった諏訪社など四社を合祀したため、五所神社と呼ばれているそうだ。

    五所神社 寺・神社・教会

  • その社の手前に建っていた建物の中には、艶やかな神輿が三基納められていた。<br />その内の一基は、弘化4年(1847)に諏訪社の神輿として造られたものだそうだ。<br />どれがそうなのかと思い観てみたが、たぶん、一番右にあった古めかしいのがそうなのだろう。

    その社の手前に建っていた建物の中には、艶やかな神輿が三基納められていた。
    その内の一基は、弘化4年(1847)に諏訪社の神輿として造られたものだそうだ。
    どれがそうなのかと思い観てみたが、たぶん、一番右にあった古めかしいのがそうなのだろう。

  • 境内の一角には、国の重要美術品に登録されている板碑が保存されている。<br />かなり大きなもので、なかなか見ごたえのあるものだ。<br />弘長2年(1262)の銘があるそうなので、鎌倉時代に造られたもの。<br />そのような貴重なものが、直に触れることができる場所に置いてあるが不思議だ。

    境内の一角には、国の重要美術品に登録されている板碑が保存されている。
    かなり大きなもので、なかなか見ごたえのあるものだ。
    弘長2年(1262)の銘があるそうなので、鎌倉時代に造られたもの。
    そのような貴重なものが、直に触れることができる場所に置いてあるが不思議だ。

  • 板碑の近くには、石上稲荷と言う祠があり、中には大きな石が祀られている。<br />この石が、この界隈の元々のご神体だったのではないだろうか。

    板碑の近くには、石上稲荷と言う祠があり、中には大きな石が祀られている。
    この石が、この界隈の元々のご神体だったのではないだろうか。

  • 祠の前には、数匹のお狐さんが社を守るように立っている。<br />しかし、その多くがかなり壊れていた。

    祠の前には、数匹のお狐さんが社を守るように立っている。
    しかし、その多くがかなり壊れていた。

  • 境内には、多くの庚申塔や石仏も置かれている。<br />その中には、摩利支天像もあった。<br />来年の干支である猪が、その足で踏みつけられていた。

    境内には、多くの庚申塔や石仏も置かれている。
    その中には、摩利支天像もあった。
    来年の干支である猪が、その足で踏みつけられていた。

  • 五所神社から少し歩くと、バス通りに出る。<br />その交差点の角にあるのが九品寺。<br />新田義貞による鎌倉攻めの際、本陣が置かれた場所とされる。<br />北条氏滅亡後、戦死者の菩提を弔うために建立されたのがこの寺だ。

    五所神社から少し歩くと、バス通りに出る。
    その交差点の角にあるのが九品寺。
    新田義貞による鎌倉攻めの際、本陣が置かれた場所とされる。
    北条氏滅亡後、戦死者の菩提を弔うために建立されたのがこの寺だ。

    九品寺 寺・神社・教会

  • 6年前に訪れた際にゆっくり拝観したので、今回は山門近くの石仏を鑑賞した。<br />

    6年前に訪れた際にゆっくり拝観したので、今回は山門近くの石仏を鑑賞した。

  • さらに歩いて行くと、目の前に材木座海岸が現れた。<br />空には雲が垂れ込め、印象的な風景だった。

    さらに歩いて行くと、目の前に材木座海岸が現れた。
    空には雲が垂れ込め、印象的な風景だった。

    材木座海岸 自然・景勝地

  • 沖では、ウィンドサーフィンを楽しむ人たちもいたが、この日は風が強く、上手く乗れている人は少ないようだ。

    沖では、ウィンドサーフィンを楽しむ人たちもいたが、この日は風が強く、上手く乗れている人は少ないようだ。

  • 師走の冷たい風が吹く中、海で遊ぶ人たちは元気だ。<br />こちらは、海は眺めるものだと思っている。<br />海は深くて怖いところだからな。

    師走の冷たい風が吹く中、海で遊ぶ人たちは元気だ。
    こちらは、海は眺めるものだと思っている。
    海は深くて怖いところだからな。

  • ふと足元を見ると、サザエの殻が落ちていた。<br />焼けていないようなので、人様に食べられたものではないようだ。

    ふと足元を見ると、サザエの殻が落ちていた。
    焼けていないようなので、人様に食べられたものではないようだ。

  • 鎌倉は、漁業を営む人が結構いる。<br />ここ材木座でも、海岸に漁船や漁具が置いてある。<br />一大観光地である鎌倉も、しっかり生活の香りがしているのだ。

    鎌倉は、漁業を営む人が結構いる。
    ここ材木座でも、海岸に漁船や漁具が置いてある。
    一大観光地である鎌倉も、しっかり生活の香りがしているのだ。

  • 海を眺めながら砂浜を歩いて行くと、海の中に浅瀬が見えた。<br />あれは、和賀江嶋だな。<br />鎌倉時代に造られた、日本最古の築港の痕跡だ。<br />江戸時代ごろまで使われていたそうだが、今は干潮時に僅かに石積みが姿を現すだけだそうだ。<br />この日は大潮ではなかったので、見えたのはほんの一部だけだった。<br />奥には、小動岬と江ノ島も見えていた。

    海を眺めながら砂浜を歩いて行くと、海の中に浅瀬が見えた。
    あれは、和賀江嶋だな。
    鎌倉時代に造られた、日本最古の築港の痕跡だ。
    江戸時代ごろまで使われていたそうだが、今は干潮時に僅かに石積みが姿を現すだけだそうだ。
    この日は大潮ではなかったので、見えたのはほんの一部だけだった。
    奥には、小動岬と江ノ島も見えていた。

  • 少し高い場所から見てみると、かなりの数の石があるようだ。<br />大潮の日には、沖に見える場所まで行けるらしい。

    少し高い場所から見てみると、かなりの数の石があるようだ。
    大潮の日には、沖に見える場所まで行けるらしい。

  • この辺りは、漁場にもなっているようだ。<br />遠浅だそうだが、何が獲れるのだろう。<br />鎌倉の海の幸で思い出されるのは、やはりワカメとシラスだが。<br />一度は食べてみたいものだと思いながら、近くの飯島バス停から鎌倉駅へと戻ることにした。<br />バス停に着くと、ちょうど11:45発のバスがあったのだが、しばらく待っても来る気配がない。<br />結局、やってきたのは12時になる直前だった。<br /><br />続・鎌倉四季物語もこれでお仕舞。<br />改めて鎌倉の魅力にどっぷり浸かった一年だった。<br />これからは、気が向くままに歩いて行こうと思っている。<br />さて、次はどの季節に訪れようかな。

    この辺りは、漁場にもなっているようだ。
    遠浅だそうだが、何が獲れるのだろう。
    鎌倉の海の幸で思い出されるのは、やはりワカメとシラスだが。
    一度は食べてみたいものだと思いながら、近くの飯島バス停から鎌倉駅へと戻ることにした。
    バス停に着くと、ちょうど11:45発のバスがあったのだが、しばらく待っても来る気配がない。
    結局、やってきたのは12時になる直前だった。

    続・鎌倉四季物語もこれでお仕舞。
    改めて鎌倉の魅力にどっぷり浸かった一年だった。
    これからは、気が向くままに歩いて行こうと思っている。
    さて、次はどの季節に訪れようかな。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • たらよろさん 2020/01/25 14:03:06
    年明け前の静かな鎌倉
    こんにちは、旅猫さん♪

    1月も気づけば間も無く終了~
    ほんと、早いものですね。
    今年もよろしくお願いいたします。

    お正月準備の整った鎌倉のシーンは、静けさが感じられてステキです。
    名もないお寺さん…
    が、素朴な印象なのがまた良いですね♪

    材木座って、初めて聞いた時、
    この名前で海岸っていうのが凄くミスマッチっていうか、、、
    気になってました。
    私も一度ブラーっとドライブに行ってみたいなぁ~って思っています。

    たらよろ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/01/26 15:07:24
    RE: 年明け前の静かな鎌倉
    たらよろさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    時の流れるのが速く感じるようになってしまい(^^;
    こちらこそ、よろしくお願いいたします。

    鎌倉は、有名な場所だけ混み合い、後は結構静かです。
    狭い街ですが、何度言っても飽きません。
    材木座は、面白い地名ですよね。
    すぐ隣は由比ガ浜ですが、材木座の海岸のほうが少しだけ静かかもしれません。
    ぜひ一度、訪れてみてください。
    大潮の時がおすすめです。

    旅猫
  • 墨水さん 2020/01/24 21:41:57
    旅猫さん、今晩は。
    「濫」ランなので・・・・。
    想像するに、「濫」の片諱を避ける為に「乱」を使い始めたんじゃ無いかと。
    大人の事情て、難しいから。(笑)
    墨水。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/01/26 14:44:41
    RE: 濫
    墨水さん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    橋に氾濫の文字は良くないということですかね。
    吾妻鑑の書かれた後、鎌倉幕府滅亡と橋の名前から、北条軍が乱れたという話が作られたということだと思います。
    それが言い伝えとなり、いつしか乱橋と書かれるようになったのではないかなと。

    旅猫
  • hot chocolateさん 2020/01/23 15:44:10
    師走の鎌倉!
    旅猫さま

    こんにちは。
    未読の旅行記もありますが、今日は新着の旅行記を拝見。
    12月の末の鎌倉旅、ゆとりですね~。
    先生も走るという気忙しい時期に!(笑)

    鎌倉はどの季節に行っても、お寺や史跡、お花など見どころがあるものですね。
    何回行ってもいい街と思います。
    やはり鎌倉時代という歴史ある街ですからね。
    それに街並みが、しっとりとしていて、心も和みます。

    石上稲荷のお狐さん、目に凄みを感じます。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/01/26 14:20:00
    RE: 師走の鎌倉!
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    年末はあまり忙しくないのです。
    年度末のほうが忙しいので、12月はそこそこ出かけることはできます。

    鎌倉は、いつ訪れても楽しい街です。
    どこもかしこも見どころですからね。
    100人以上の文人墨客が住んでいたと言うのも、落ち着いた街の風情を醸し出している背景にあると思います。
    あのお狐さんは、佐助稲荷にあったらかなり怖いと思いますよ。

    旅猫

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