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グランドケイマン、朝から気持ちよく海岸で過ごした後、10時半チェックアウト。1泊でUS$200を超えるので、本当に高い。これでもこの地域のホテルでは一番安いくらい。タクシーを呼んでもらい空港へ。US$18.60のはずだが、US$20って。まあ、大した違いでないし、またケイマン$をお釣りにもらっても意味ないので、素直に支払う。お昼にはちょっと早いが、ハバナに着いてからでは遅くなるので、軽く食べようと思っても、これは予想通りだが、ほとんど何もない空港。売店でサンドイッチとペットボトル飲料を買うが、これだけでUS$11.50。いやはや、最後まで高い。ハバナまでのフライト時間は1時間足らず。ケイマンに来た時も遅れたが、このフライトも約30分遅れ。それでも3時過ぎに無事ハバナ空港へ到着。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2351006728302671&amp;type=1&amp;l=5dd2843198<br /><br />まずは、キューバ(Cuba)と云う国について。正式にはキューバ共和国(Republica de Cuba)。カリブ海(Caribbean Sea)の西インド諸島(West Indies)の一部である大アンティル諸島(Greater Antilles)に位置するキューバ本島とその周辺の島嶼からなる島国。キューバ島の東南部の南約125㎞にジャマイカ島がある。北側のフロリダ半島(Florida Peninsula)までは約145㎞。西はメキシコのユカタン半島(Yucatan Peninsula)、東はハイチ(Haiti)とドミニカ共和国(Dominican Republic)があるイスパニョーラ島(Hispaniola)。<br /><br />キューバと云う国名は島の名前から来ているが、ジャマイカでも滅亡させられた先住民タイノ族(Taino)の言葉であるクバナカン(Cubanacan:中心地)が語源と考えられている。タイノ族は紀元前4000年頃からこの島に住んでいたと云われるが、1492年のコロンブス(Christopher Columbus)の「発見」からスペインの侵略を受け、1511年に征服され、やがて絶滅した。<br /><br />長くスペインの支配が続いた後、1868年に第一次キューバ独立戦争(First Cuban War of IndependenceもしくはTen Years&#39; War)が勃発。10年間続き、この時は独立はならなかったが、1895年に第二次キューバ独立戦争(Second Cuban War of Independence)が再発。1898年にアメリカが介入し米西戦争(Spanish-American War)となり、スペイン軍を駆逐、その後アメリカ軍の軍政を経て、1902年に独立した。米西戦争のサンチャゴ・デ・キューバ海戦(Battle of Santiago de Cuba)を日本海軍大尉の秋山真之が視察していて、のちに旅順港閉鎖作戦を思いついた話は「坂の上の雲」を読んだ(見た)人には有名。ただ、独立の実態はスペイン支配からアメリカの支配に変わっただけで、52年のクーデターで復活した第2次バティスタ(Fulgencio Batista)政権でその支配は頂点に達した。<br /><br />そんな中、53年にこの半植民地状態の打開を目指して蜂起したのが弁護士であったフィデル・カストロ(Fidel Castro)。この時の蜂起は失敗し、投獄されるが、恩赦で出獄し、メキシコに亡命。そこで出会ったアルゼンチン人、チェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevara)らと共に56年末にキューバに戻り、2年余りのゲリラ闘争の後にバティスタを国外逃亡に追い込み、59年にキューバ革命(Cuban Revolution)を成し遂げた。バチスタシリーズなどで知られる医師で作家の海堂尊さんが2年前からゲバラの生涯を4部作予定で書いておられ、第2部まで発刊されているが、ちょうどメキシコでカストロと出逢うところまで進んでいる。次の第3部がキューバ革命で、今回の旅で行ってないところも多少土地勘が出来たし、読むのが楽しみでしょうがない。<br /><br />話をキューバに戻して、キューバは今や世界に数少なく残っている社会主義の国で、成功した社会主義の国とも云われる。大学院まで含めた教育や医療は完全無償で、識字率は日本よりも高いと云われる。科学技術の発展も著しく、医薬品は重要な輸出品で、医師の数もレベルも高い。スポーツや芸術も盛ん。治安も確かに良かった。まあ、全てアメリカ出稼ぎ組の送金のお陰とも云われるが・・・。過去には、政権樹立以降まずは徹底的な農地改革を行ったことでアメリカに敵視されるようになり、60年に対抗策としてアメリカと冷戦関係だったソ連との外交関係を樹立。61年にアメリカはキューバとの外交関係を断絶、62年にはキューバ危機が勃発した。76年に憲法を制定し、社会主義化が法制化された。91年のソ連崩壊後、経済状況が悪化したが、一部自由化も進め乗り切る。15年になり、54年振りにアメリカとの国交が回復。<br /><br />日本とは1929年(昭和4年)に国交樹立。キューバ革命直後の59年7月に通商大使ゲバラを団長として使節団が訪日しており、翌年に通商協定が締結された。カストロが親日家であったこともあり、両国関係は政治・経済の両面で良好。現在約1000人の日系人がいるものと推測される。<br /><br />公用語はスペイン語だが、都市部などでは英語が話せる人も多い。確かに。今回の旅でもほとんど不便を感じなかった。<br /><br />さて、到着したのはホセ・マルティ国際空港(Jose Marti International Airport)。ハバナ中心街から南方約14km。キューバ最大の国際空港で、キューバ国営航空会社クバーナ航空(Cubana)の本拠地。以前からロシア、フランス、スペインなどのヨーロッパ各都市やカナダ、メキシコならびに近隣カリブ海諸国と結ばれていたが、16年冬からはアメリカ各都市からの定期便も新たに就航した。空港の名前は、キューバ建国の使徒として崇められている、第二次キューバ独立戦争で亡くなった文学者・思想家で革命家のホセ・マルティ(Jose Julian Marti Perez)にちなんでいる。<br /><br />社会主義国って云うことで、入国審査が何か違うかと思ったら、何も変わりはなかった。スムーズにイミグレも税関も通過。税関を抜けると私の名前を掲げたドライバーがちゃんと待っててくれた。前もってネットで空港からホテルまでのタクシーを予約済。清算済なので楽でいい。ドライバー、なぜか2人もいたのだが、私を取り合うこともなくスムーズに1台のタクシーに。単純な手配ミスなんだろうね。そう云えば、前にカンボジアのアンコール・ワットに行った時、シェムリアップの空港からホテルまでのトゥクトゥクを事前に予約してたのに、いなくて困ったことがあった。その時は現地払いだったので、お金は大丈夫だったけど、そういうミスより2人いる方がいいわな。<br /><br />まずはクレジットカードのキャッシングで現地通貨を手に入れなければならないので、空港内のATMに連れて行ってくれるが、動いてない。でも、大丈夫、途中で寄ってあげると云うことで、実際途中でATMの前で止まってくれた。キューバは二重通貨になっており、自国民用のCUP(クップ)と外国人用のCUC(クック)があるのだが、問題なくVISAでCUCをキャッシング出来た。キャッシング、両替するより簡単でいい。南米でも重宝したが、さして手数料も高くなく、レートも悪くないので助かる。ただ、1回に出せる金額や、たぶん1日に出せる金額とかに制限があり、この時もちょっと手間取った。おまけに全部が5CUC札で出て来たので嵩張るわ。ちなみに1CUCは1.03US$で、ほぼUS$と等価。あと、25CUPが1CUC。<br /><br /><br />ハバナ バスツアーに続く

キューバへ (Cuba)

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2018/09/14 - 2018/09/14

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ちふゆ

ちふゆさん

グランドケイマン、朝から気持ちよく海岸で過ごした後、10時半チェックアウト。1泊でUS$200を超えるので、本当に高い。これでもこの地域のホテルでは一番安いくらい。タクシーを呼んでもらい空港へ。US$18.60のはずだが、US$20って。まあ、大した違いでないし、またケイマン$をお釣りにもらっても意味ないので、素直に支払う。お昼にはちょっと早いが、ハバナに着いてからでは遅くなるので、軽く食べようと思っても、これは予想通りだが、ほとんど何もない空港。売店でサンドイッチとペットボトル飲料を買うが、これだけでUS$11.50。いやはや、最後まで高い。ハバナまでのフライト時間は1時間足らず。ケイマンに来た時も遅れたが、このフライトも約30分遅れ。それでも3時過ぎに無事ハバナ空港へ到着。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2351006728302671&type=1&l=5dd2843198

まずは、キューバ(Cuba)と云う国について。正式にはキューバ共和国(Republica de Cuba)。カリブ海(Caribbean Sea)の西インド諸島(West Indies)の一部である大アンティル諸島(Greater Antilles)に位置するキューバ本島とその周辺の島嶼からなる島国。キューバ島の東南部の南約125㎞にジャマイカ島がある。北側のフロリダ半島(Florida Peninsula)までは約145㎞。西はメキシコのユカタン半島(Yucatan Peninsula)、東はハイチ(Haiti)とドミニカ共和国(Dominican Republic)があるイスパニョーラ島(Hispaniola)。

キューバと云う国名は島の名前から来ているが、ジャマイカでも滅亡させられた先住民タイノ族(Taino)の言葉であるクバナカン(Cubanacan:中心地)が語源と考えられている。タイノ族は紀元前4000年頃からこの島に住んでいたと云われるが、1492年のコロンブス(Christopher Columbus)の「発見」からスペインの侵略を受け、1511年に征服され、やがて絶滅した。

長くスペインの支配が続いた後、1868年に第一次キューバ独立戦争(First Cuban War of IndependenceもしくはTen Years' War)が勃発。10年間続き、この時は独立はならなかったが、1895年に第二次キューバ独立戦争(Second Cuban War of Independence)が再発。1898年にアメリカが介入し米西戦争(Spanish-American War)となり、スペイン軍を駆逐、その後アメリカ軍の軍政を経て、1902年に独立した。米西戦争のサンチャゴ・デ・キューバ海戦(Battle of Santiago de Cuba)を日本海軍大尉の秋山真之が視察していて、のちに旅順港閉鎖作戦を思いついた話は「坂の上の雲」を読んだ(見た)人には有名。ただ、独立の実態はスペイン支配からアメリカの支配に変わっただけで、52年のクーデターで復活した第2次バティスタ(Fulgencio Batista)政権でその支配は頂点に達した。

そんな中、53年にこの半植民地状態の打開を目指して蜂起したのが弁護士であったフィデル・カストロ(Fidel Castro)。この時の蜂起は失敗し、投獄されるが、恩赦で出獄し、メキシコに亡命。そこで出会ったアルゼンチン人、チェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevara)らと共に56年末にキューバに戻り、2年余りのゲリラ闘争の後にバティスタを国外逃亡に追い込み、59年にキューバ革命(Cuban Revolution)を成し遂げた。バチスタシリーズなどで知られる医師で作家の海堂尊さんが2年前からゲバラの生涯を4部作予定で書いておられ、第2部まで発刊されているが、ちょうどメキシコでカストロと出逢うところまで進んでいる。次の第3部がキューバ革命で、今回の旅で行ってないところも多少土地勘が出来たし、読むのが楽しみでしょうがない。

話をキューバに戻して、キューバは今や世界に数少なく残っている社会主義の国で、成功した社会主義の国とも云われる。大学院まで含めた教育や医療は完全無償で、識字率は日本よりも高いと云われる。科学技術の発展も著しく、医薬品は重要な輸出品で、医師の数もレベルも高い。スポーツや芸術も盛ん。治安も確かに良かった。まあ、全てアメリカ出稼ぎ組の送金のお陰とも云われるが・・・。過去には、政権樹立以降まずは徹底的な農地改革を行ったことでアメリカに敵視されるようになり、60年に対抗策としてアメリカと冷戦関係だったソ連との外交関係を樹立。61年にアメリカはキューバとの外交関係を断絶、62年にはキューバ危機が勃発した。76年に憲法を制定し、社会主義化が法制化された。91年のソ連崩壊後、経済状況が悪化したが、一部自由化も進め乗り切る。15年になり、54年振りにアメリカとの国交が回復。

日本とは1929年(昭和4年)に国交樹立。キューバ革命直後の59年7月に通商大使ゲバラを団長として使節団が訪日しており、翌年に通商協定が締結された。カストロが親日家であったこともあり、両国関係は政治・経済の両面で良好。現在約1000人の日系人がいるものと推測される。

公用語はスペイン語だが、都市部などでは英語が話せる人も多い。確かに。今回の旅でもほとんど不便を感じなかった。

さて、到着したのはホセ・マルティ国際空港(Jose Marti International Airport)。ハバナ中心街から南方約14km。キューバ最大の国際空港で、キューバ国営航空会社クバーナ航空(Cubana)の本拠地。以前からロシア、フランス、スペインなどのヨーロッパ各都市やカナダ、メキシコならびに近隣カリブ海諸国と結ばれていたが、16年冬からはアメリカ各都市からの定期便も新たに就航した。空港の名前は、キューバ建国の使徒として崇められている、第二次キューバ独立戦争で亡くなった文学者・思想家で革命家のホセ・マルティ(Jose Julian Marti Perez)にちなんでいる。

社会主義国って云うことで、入国審査が何か違うかと思ったら、何も変わりはなかった。スムーズにイミグレも税関も通過。税関を抜けると私の名前を掲げたドライバーがちゃんと待っててくれた。前もってネットで空港からホテルまでのタクシーを予約済。清算済なので楽でいい。ドライバー、なぜか2人もいたのだが、私を取り合うこともなくスムーズに1台のタクシーに。単純な手配ミスなんだろうね。そう云えば、前にカンボジアのアンコール・ワットに行った時、シェムリアップの空港からホテルまでのトゥクトゥクを事前に予約してたのに、いなくて困ったことがあった。その時は現地払いだったので、お金は大丈夫だったけど、そういうミスより2人いる方がいいわな。

まずはクレジットカードのキャッシングで現地通貨を手に入れなければならないので、空港内のATMに連れて行ってくれるが、動いてない。でも、大丈夫、途中で寄ってあげると云うことで、実際途中でATMの前で止まってくれた。キューバは二重通貨になっており、自国民用のCUP(クップ)と外国人用のCUC(クック)があるのだが、問題なくVISAでCUCをキャッシング出来た。キャッシング、両替するより簡単でいい。南米でも重宝したが、さして手数料も高くなく、レートも悪くないので助かる。ただ、1回に出せる金額や、たぶん1日に出せる金額とかに制限があり、この時もちょっと手間取った。おまけに全部が5CUC札で出て来たので嵩張るわ。ちなみに1CUCは1.03US$で、ほぼUS$と等価。あと、25CUPが1CUC。


ハバナ バスツアーに続く

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