
2017/09/26 - 2017/10/03
53位(同エリア434件中)
ポポポさん
ブハラ観光の後編です。カラーン・モスクを観光した後歩いてタキ・ザルガロン(バザール)にやって来ました。
ブハラは古い街なので中世の面影がそのまま残っています。通りを歩いても古の息吹を感じます。
午後3時過ぎまでに予定の観光を終えたのでホテルで休憩を取り、夕方夕食を食べながら民族舞踊ショーを見ました。
中央アジアの激しいリズムに乗せて小気味よく踊る姿を、シルクロードを渡る隊商たちを歓待したであろう踊り子たちの姿と重ね合わせて見ているかのようでした。
<旅程>
9月26日 福岡ーサマルカンド(泊)
9月27日 サマルカンド観光 (泊)
9月28日 サマルカンドーシャフリサーブスーブハラ(泊)
9月29日 ブハラ観光 (泊)
9月30日 ブハラーヒヴァーウルゲンチ(泊)
10月 1日 ウルゲンチーキジルカラ遺跡ートプラカクラ遺跡ーアヤズカラ 遺跡ーヒヴァーウルゲンチ(泊)
10月 2日 ウルゲンチータシケントー福岡へ(機中泊)
10月 3日 福岡着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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中庭から見えているのがブハラのシンボル、カラーン・ミナレットです。
モスクの入口からはあまりの大きさと高さのためカメラに納まりませんでした。そのため中庭から写したわけですが、それにしても大きな塔です。
高さは45.6m、底辺の直径は9m、地下10mの所に埋め込まれています。
1127年カラハン朝のアルスラン・ハンによって建てられました。塔の碑文によるとミナレットの工事は建築家バーコによって行われました。
塔の最もくびれた部分の直径は6mです。この様な形状は塔の倒壊を防ぐためだと考えられています。内部には105段の螺旋階段があるそうです。
モンゴル軍の来襲時カラーン・モスクは破壊されましたが、ミナレットはチンギスハーンの命令で破壊を免れました。
破壊を免れた理由はこうです・・。
チンギスハーンがこのミナレットを見上げた時に帽子を落としてしまいました。腰を屈めてチンギスハーンは帽子を拾いましたが、その時周囲の者にこう言ったそうです。「者共、この塔を壊すでないぞ。この塔は余に頭を下げさせおった偉大な塔じゃからな。」と・・・。
伝承ではそのように伝えられていますが、チンギスハーンがこの塔に圧倒されたというのが真実でしょう。
なお、この塔は18世紀から処刑場になり、罪人を生きたまま袋詰めにして塔から投げ落としていたので「死の塔」と呼ばれるようになったそうです。カラーン ミナレット 寺院・教会
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八角形の書記台とカラーン・モスクの中庭、回廊の様子。
カラーン モスク 寺院・教会
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同じく左側回廊の様子。モスクから眺める中庭の景色は絵になりますね。
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これは回廊のアーチから写したモスクです。
カラーン モスク 寺院・教会
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カラーン・モスクの観光を終えて再びフッジャ・ヌラバッド通りをタキ(バザール)に向かって進みました。
ここも通り沿いにいくつかの路上店がありました。その中に割と大きな陶器販売店があったのでガイドさんがリシタン陶器の説明を始めました。
ウズベキスタンで一般的な陶器がリシタン陶器。青や緑が基本色で手書きで細かな模様を入れるのでいわば一点物。元々生活雑器として作られていたものですが、最近は工芸品として観光客がよく買って帰るそうです。
説明を聞きながら陶器を見つめていたら店のお姉さんが寄って来て、カタコトの日本語と英語で安くするから買ってと売り込みに来ました。
私は物欲しそうな顔をしていたんだろうか?
「今観光中、ツアーだから時間がないの。だからもう行かないと。」というと、「後で寄ってね。安くするから。」とお願いコール。このお姉さん日本語が結構話せるじゃない。
この時はまだ行くかどうか決めかねていました。
ところでこの辺りから急に空が曇ってきた。先ほどまではまだ薄日が差していたのに今はすっかり曇天になってしまった。
タキバザールに到着しましたが先にメドレセの観光をすませるとのことでタキを通り過ぎました。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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タキバザールを過ぎた所にあるウルグベクメドレセ。
1418年にウルグベクが建てた中央アジアで最も古いメドレセです。ウルグベクが建てたメドレセはサマルカンド・キジュドゥヴァン・ブハラの3か所ですが、ここが一番古いそうです。
ブハラでは唯一のウルグベク所縁の建物です。ファザードの装飾はサマルカンドの方がはるかに立派でした。ウルグベク メドレセ (ブハラ) 史跡・遺跡
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中に入るとそこはいつものメドレセの風景、土産物店がありました。
でも店に人がいないな。どうしたんだろうか。中庭も荒れた感じがする。
サマルカンドのウルグベクメドレセとは随分雰囲気が違っていました。ウルグベク メドレセ (ブハラ) 史跡・遺跡
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ウルグベクメドレセの真正面にあるのがアブドゥールアジス・ハン・メドレセです。
このメドレセはウルグベクメドレセより200年以上後に造られたメドレセです。
中庭を囲んで2階にはアーケード状の部屋が造られているのが特徴。夏・冬の礼拝所と創立者の霊廟があるそうですがそこには入りませんでした。
装飾には中国・インド・オスマントルコの影響が見られ、壁や天井に赤茶色が多く使われているそうです。アブドゥールアジス ハン メドレセ 史跡・遺跡
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赤茶色の配色が一番分かるのが入口ファザードのムカルナス(鍾乳石飾り)の部分。色落ちしていますが赤茶色が使われていることがはっきり分かります。
確かに今まで見てきたメドレセや霊廟には赤系統の色は使われていませんでした。
この色遣いがこのメドレセの特徴の一つです。
入口から中に入ると建物の中は所狭しと土産物店がびっしり入っていました。
いつも目にするスザニやスカーフ・ストール類はもちろんですが貴金属類の装飾品や天然石のブレスレットなどのアクセサリーなど女性が好みそうなものが多かったです。アブドゥールアジス ハン メドレセ 史跡・遺跡
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中庭に入って見ると驚きました。
壁の化粧タイルが剥げ落ち無残な姿。所々に化粧タイルの装飾が残っていますがこれではこれ往時のメドレセの姿を想像出来ません。それほど痛みが激しかった。
私がウズベキスタンで見たメドレセの中で持つ最も外壁の装飾が痛んでいたメドレセです。
今後修復されるのでしょうがいつになるのかな?アブドゥールアジス ハン メドレセ 史跡・遺跡
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中庭を囲む2階のアーケード上の部屋。中庭に立つとその構造がよく分かります。
アーケードのようになっていて2階の窓際を通り抜けられるようになっているんですね。これなら通行に便利です。
中庭も土産物店が多い。でも人がいない。建物の中には店番や売子さんがいたのに。
曇っているから外も暑くないのに。店の中で休んでいるのかもしれない。我々を見て、これは買いそうも無い団体だと察したのかな。だとしたら鋭い洞察力。
だって我々は格安ツアーの御一行様なんだから。 -
この辺りはオリジナルの装飾が残っていました。
アブドゥールアジス ハン メドレセ 史跡・遺跡
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この辺りもそうですね。店員さんや売子さんに声を掛けられることも無く外にでました。
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そして全員タキ・ザルガロン(通称タキバザール)の中に。
正面の大きな丸屋根と小さな丸屋根がポコポコ出ている場所がタキバザールです。
タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールの事。一般にはタキバザールと揺んでいるが正式にはタキ・ザルガロン。
タキ・ザルガロンは元々宝石商市場だった所。そこに職人の仕事場や様々な商店が周りに集まってタキバザールを構成しています。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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ここはタキバザールの中。写真中央が大通りの交差点で、この上に大きな丸屋根があった。往時はその周りに宝石商の店が集まっていたのであろうが、今は種々の店が軒を連ねている。
丸屋根の下には細密画の店があり、ご主人が店先で細密画を描いていた。残念ながら写真を撮り忘れてしまった。
本格的な細密画の店にはこれ以降出会えなかったのでそういう意味でも写真の撮り忘れは痛かった。
またバザールの入口にはブハラの民芸品「コウノトリの手作り鋏」の店があり、主人が鋏を作成中だった。この写真も撮っていないんです。
この他にも写し忘れたというか、気が付かなかったというか、そんな場面がいくつかありました。たぶん朝食を抜いたからでしょう。糖分が不足し思考回路が働かないのです。
仕方ないんで文章のみの所がありますがご勘弁下さい。
さてバザールに到着したところで40分の自由行動。買い物タイムです。
時間が無いので手短に切り上げる必要があるのですが40分後に再びここに集合。
このバザールの中で日本語が話せる店は角はドームの下にある衣料品・Tシャツ販売の主人だけとのこと。英語が話せる店はほんの僅か、但し値段はドル表示で教えてもらえるとのこと。込み入った話はTシャツの店のご主人に通訳してもらうようにとガイドさんが言っていた。
ガイドさんは「コウノトリの手作り鋏」の店で紹介したい店があるので希望者を連れて行くとのこと。
なおこのバザールは値札の無い店が多かった。細密画などの高価な店は値札が付いているので交渉しやすいと思う。
で、私はどうするのか。わざわざ鋏を買うのもどうかと思っていたが・・・。
「切れ味が抜群で錆びない。ブハラにはいくつも刃物屋があるが一番上手な人。賞ももらっている。地球の歩き方にも載っている。お勧め。」とガイドさんから猛烈なアピール。地球の歩き方に載っているのは私も知っていましたので、それじゃ行ってみるか。
どんな鋏か見てみようと思い、鋏グループに合流して刃物工房に行きました。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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写真中央奥の建物が刃物店。
コウノトリの手作り鋏とナイフを販売しています。
店主はサイフッロ・イクラモフスさん。コンクールで何度も入賞しているそうです。
地球の歩き方のページを広げて日本の本にも紹介されているとアピール。しかし本はかなり傷んでいて何年版のものかは不明。
作り置きの「コウノトリの鋏」を見せてすぐに営業トークが始まりました。「紙でも布でもなんでもよく切れるよ。それに錆びないよ。買った人にはネームを入れてるサービスするよ。日本の本でも紹介された、間違いないね。鋏はオス(トサカ有り)とメス(トサカ無し)、大小の2種類ね。」
料金は小が20ドルで大が30ドル、さらに大きいのがあり、これは50ドル。
ナイフは30ドルでした。そして紙と布を鋏で切って見せてくれました。少の鋏は小さすぎて使いづらいので買うなら大のサイズでしょう。大といっても一般的な文具の鋏を一回り小さくしたようなサイズでした。
このサイズであれば大人でも十分に使えます。
一緒に行ったツアーの皆さんは鋏の切れ味を試す事なく営業トークを信じて注文し始めましたが、私は試し切りをさせてもらいました。
どの程度の切れ味なのか、良ければ買うつもりでいましたから。
紙も布も切れますがさして切れ味が良いという程ではありません。紙は日本の文具鋏と遜色ないというか日本製の方が切れ味はいいと思いました。
布に関しては明らかに日本製の方が良く切れます。コウノトリの鋏は切る時に引っ掛かるような感じがしました。つまりスラスラ切れません。
仮に日本の裁ちばさみと比較したら勝負にならないほど切れ味に差があります。
何でこんな切れ味で何度も賞を受賞したのか不思議でなりません。地球の歩き方も誇張しすぎじゃないかと思いました。
それと値段が高すぎるんじゃないかな。地球の歩き方では25ドル、4トラメンバーさんの旅行記では20ドルになっていました。我々の時は30ドル?おかしいでしょう。値引きはと聞いたらオス・メス2本セットの時は50ドルに負けると言ってましたが2本もいりませんよね。
調べていた値段をツアーの人に話すと営業妨害と言われかねないので、言いませんでしたが私はこのような理由で買いませんでした。
しかし、これは私個人の感想ですので自分で鋏の切れ味を試して決めてください。くれぐれも営業トークだけで買わないようにして下さいね。
但しコウノトリの意匠の鋏は珍しい物ですから、そういう意味で購入される方は私の意見は参考にしないで下さい。
こうして私だけ先に店をでましたが店の写真を撮っていないことに気付き、振り返って外観だけ写したのがこの写真です。
店主の説明を聞いてコウノトリの鋏や店内の様子を写真に撮るのを忘れていました。これも糖分がたりなくなったせいかな。
で、次どこに行こうかとな・・。先ほどの路上で陶器を売る店に行ってみよう。 -
次にやってきたのがフッジャ・ヌラバッド通り沿いの陶器の路上店。
先ほど「安くするからまた来てね。」と言われていた店です。
若い女性がやっていた店なので鼻の下が伸びていたのは否定しませんが良い色柄があったのも事実。
私が再び尋ねると、先ほどは断られた客が舞い戻ってくれた嬉しさか満面の笑みでお出迎え。
「お父さん、待ってたよ。どれでも見て行って。安くするよ。」との申し出。日本語もばっちり。これなら日本語で交渉できる。
「どのくらい安くしてくれるの?」「いいの教えて、そしたら値段を言うよ。半額はサービスする。」と。
で、色使いが鮮やかなリシタン陶器を指差すと・・・。「これなら10ドルでいいよ。」と。
ええー、安すぎでしょう。指差したリシタンの大皿は直径33㎝のもの(私が買った皿と同じサイズ)。昨日サマルカンドの土産物店で陳列されていたリシタンの陶器は直径15㎝で50ドルだった。
アウトレット品じゃないかと思い手に持って調べたが、色の塗りむらも裏面の塗りむらも傷もない。さらに高台には作者のサインがある。アウトレットじゃなさそう。この値段だったら安い。これにしようとしたら「それよりもこちらを勧める。こちらの方がいい物」と言う。「どう違うの?」ここから話す言葉が英語交じりになって分かり辛くなった。
「安いのは筆ペイント、こっちはハリーペイントだからこっちの方がいい。だからこっちが高い。」
筆ペイントというのは分かる。筆で絵付けしたという事だろう。ではハリーペイントって何?
「ハリーペイントって何?どんなペイントなの?」「ハリーペイント分からないか?」この時はお互い簡単な英語も交えて話したが分からない。
彼女が手振り身振りで教えようとするが全く分からない。そうしたら隣でスカーフやストール、スザニを売っていた妹が「ハリーじゃない。ハリペイント。」と言葉をかけてきた。
「ハリペイント。ハリペイント。何だろう、針ペイント?」「そう針ペイント。」
「針ペイントか。」このあと彼女が針ペイントを説明してくれた。
要するに陶器の絵付けの時に細密画法のように針に絵具を付けて極細密の紋様を描くそうだ。非常に手間がかかる手法だが非常に細かい紋様を描くことができる。
だから当然値段もはる。
後で知ったのだがこの手法はウズベキスタンのもう一つの陶器ギジュドゥヴァン陶器で用いられている手法だった。リシタン陶器は筆で絵付けするのが普通だが、細かい紋様を針で描いている物もあるそうだ。
確かに二つの皿を比較してみると明らかに文様の細かさが違う。筆で絵付けしたものは陶器の表面が滑らかだが「針ペイント」の方は凹凸があり、凹部には色がきちんと付いていて美しい。
迷わず針ペイントの陶器に決めて値引き交渉。「普通の店なら50から60ドルはする。だから30ドルでどうか。」ノーノーと言ってさらに値引き交渉。
ウズベキスタンはある程度まで値引きしたら後は小物を付けてくれる。私には最初からサービスだと言ってぐい飲みの一回り大きなサイズの小鉢を付けてくれた。
結局33㎝の大皿を20ドルに値引きしてくれたので購入。そうしたら大皿をサービスしたので針ペイントの小皿(直径15㎝)を5ドルで買ってくれと言う。
いらない、買っての応酬で結局2枚5ドルで購入。帰ろうとしたら妹が私の店も見てほしいと腕を絡めて離さない。そういえば陶器が終わったら私の店も見てほしいと言っていた。見るだけならとついて行くと売り込みがはじまった。主にシルクのスカーフとシルク・ウール混のストール・スザニが主力取り扱い品。
奥さんに、娘さんに、最後には恋人にとスカーフやストールを勧められたが、流石にこの年では恋人はいませんよ。集合時間に間に合わないのでそれを理由に断って別れたが、記念の写真を撮るのを忘れてしまった。シルクのスカーフとストールは10ドルと言っていたが買う気ならもっと値引きができたと思う。時間があれば1枚買っても良かったが、なにせ商品を見定める時間が無かった。
ここでは3人で(姉と妹とさらにもう一人女性・・・姉の友人かな。聞いていないので分からない)店を開いている。それぞれが違う商品を取り扱っていてお客が来るとそれぞれの品を勧めるらしい。
この店は路上店だったがいい品揃えをしていた。大半が針ペイントでしかも色柄の美しい陶器が多かった。さらに料金は良心的に値引きしてくれた。
私が買ったサイズで針ペイントの陶器なら、サマルカンドでは80ドルはするだろう。陶器の良し悪しも詳しく教えてもらえたし良い買い物ができました。
路上店ながら良心的な店でした。
カラーンモスクからタキ・ザルガロンに行く途中の道路右側の路上店。女性3人が並んで店を開いていて陶器店とスカーフやストールの店が並んでいればこの店です。時間があれば覗いてみて下さい。 -
タキバザールで再集合後昼食会場のレストランに向かいました。バザールから南に延びる大通りを進んでいると日本語で「こんにちは」と挨拶する若い女性の声が右の方から聞こえてきました。
声の方に目を向けると道路右側にあるスザニ店の前で私達日本人に笑顔を振りまき一人一人挨拶している可愛らしい女の子がいました。日本語がとても上手な女の子です。
良く見るとどこかで見た事のある女の子。思い出しました。
ある方の旅行記で見た日本語学校に通っている中学生(今はもう高校生かな)の「ミナさん」。
日本語検定の1級試験に合格すれば国費で日本に留学できるという道が開けるので、勉強しながら家の手伝いをし夜は日本語学校に通っている頑張り屋さん。
今の彼女の夢は1級試験に合格して日本留学することだと書いてあった。
皆と一緒にレストランに向かう途中なので「ミナさん」に話しかけて激励することも写真を撮ってあげることもできずお互いに手を振りあって分かれたが、「夢に向かって頑張れミナちゃん。」応援しています。
大通りから右に折れてさらに左に曲がり、細い道を進んだ突き当りに目指すレストランがありました。(写真無しですみません。レストランの名前も分からない。)2階建てのレストランで1階は欧米人の客でほぼ満席、我々は2階の席でしたが店の内部の写真も撮るのを忘れていました。
昼食の様子。ナンと前菜です。
6人掛けの席でしたが6人中3人がお腹の調子を悪くしていました。その3人は日本から持ってきた薬が効かないというのが専らの話題です。
私は正露丸でしたが、他の人は漢方胃腸薬や整腸剤と色々持ってこられていて何飲んでも効かないそうです。風土や生活環境が違うとその国の薬じゃないと効かないみたいです。
「だから梅干を食べています。よろしければどうぞ。」と一人のご婦人から勧められました。有難くいただきましたがこれが一番効いたかもしれません。
梅干を頂いた後は気分が随分楽になりましたから・・。 -
朝食抜きなのでお腹は空いているんです。食欲もありました。でも食べた後が恐ろしい。
消火に良さそうな物だけ少量食べました。ナンを一切れとこのスープ。スープは半分ほどです。 -
そしてラグマンを少々。この料理ラグマンと説明されましたが、ラグマンはトマトベースのスープに具が沢山入ったうどんだそうです。
うどんの上に具をのせたものもあるそうですが、出されたラグマンは具が少ない。
スパゲッティのような感じでした。
水分補給のためミネラルウォーターとお茶はしっかりいただきました。 -
食事が終わるとバスに乗車しタキ・テルバクフルジャン近くの公園のような場所に到着。
ここで下車すると周囲には古い建物やモスクがありました。ブハラ歴史地区 旧市街・古い町並み
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道路沿いに来た道を戻ります。正面に見えるのはモスクかな?
実はこれはマゴキ・アッタリ・モスクなのですが、この時はまだ何の建物か分かりませんでした。
バスを降りるとついに雨が降り出しました。雨が降らないこの時期の砂漠地帯でまさか雨が降るなんて思ってもいませんでした。
逆に考えればこの時期に雨に遭遇するなんて、我々はなんと幸運な観光客なのか。そう考え方を切り替えることにしました。
今朝の気温は9月としては有り得ないくらいの寒さでしたから、ウズベキスタンも異常気象なのでしょう。マゴキ アッタリ モスク 寺院・教会
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マゴキ・アッタリ・モスクです。
入口は写真の向こう側にあるため、周囲を回って行きました。マゴキ アッタリ モスク 寺院・教会
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モスクの隣にあったのが共同浴場ハマムの遺跡です。ウズベキスタンの共同浴場はトルコの影響を受け古くからハマムだったそうです。
この遺跡は近年発掘されたもので写真左奥にはキャラバンサライ(隊商宿)の遺跡も発掘されています。
ブハラはオアシス都市でシルクロードの中継地の一つでした。早くから東西交易の宿場として栄えてきた町なので、掘り返せば当時の遺跡がでてくるそうです。
この遺跡もシルクロード時代の物だそうです。ブハラ歴史地区 旧市街・古い町並み
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ハマムの遺跡を別方向から写す。
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こちらがキャラバンサライの遺跡です。
この辺りを掘ればまだまだ色々出てきそうです。このすぐ隣にあるのがマゴキ・アッツタリ・モスクです。このモスクも地中から出てきました。 -
マゴキ・アッタリ・モスク。
1936年、土砂に埋もれていたのをソ連の考古学者によって掘り出されたモスクです。
土を5mほど掘り下げて周囲の土を掘りだしたため、穴の中にすっぽり埋っているような外観をしています。
マゴキとは「穴の中」と言う意味ですから、モスクの置かれている状態がそのままモスクの名前になってしまったのです。
このモスクの特徴は壁面が3層に分かれている事です。一番下は彫刻された仏教時代のレンガ層、次はアラブ時代のアラベスク模様の層、一番上が最も新しい層です。
時代や権力者が変わるたびに壊されては建て替えられた変遷を伺い知る事ができます。
現在内部は絨毯博物館になっています。マゴキ アッタリ モスク 寺院・教会
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モスクのムカルナス部分。色タイルは剥げ落ち傷んでいましたが、ファザード左右の壁の装飾ははっきり残っていました。
マゴキ アッタリ モスク 寺院・教会
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入ってすぐ右に階段があり階段の上は壁龕でしたがここには何があったのか。
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こちらがミフラーブのようです。
入口から進んで中央から向かって左です。マゴキ アッタリ モスク 寺院・教会
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絨毯はブハラ、トルコ、アルメニアの物が展示されています。
いずれも古い時代の物のようです。説明が無いのでいつの時代かは不明。 -
左の絨毯は豪華な印象。
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この絨毯は鮮やかに赤色が残っていました。保存状態が良かったのでしょう。色あせしていません。
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緋色の絨毯が鮮やかでした。
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ミフラーブですが非常に質素なものでした。
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緋色の絨毯。
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紋章風のデザインが目を引きました。
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この絨毯は年代物のです。古そう。
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マゴキ・アッタリ・モスクの向かい側にあるのがタキ・サラフォン。
眺めてみるにタキ・ザルガロン(タキバザール)ほどの賑わいはなさそう。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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マゴキ・アッタリ・モスクの斜め前にある刃物屋さん。
ある旅行記で紹介されていた刃物屋さんで「コウノトリの鋏」はもちろんのこと手作りナイフも切れ味抜群だそうです。単なる工房では無く個人で刃物博物館なるものを併設されていると書いてありました。
コウノトリの鋏は鉄板まで切れたので驚いたと記述されていました。
結局その方は折りたたみナイフを15ドルで買われたそうですが、切れ味は全く衰えないとの事でした。 -
時間があればこの店を覗いてみたいと思っていましたが、40分の自由時間ではとてもここまでは来れませんでした。
またいつかブハラを訪れる機会があればその時は訪ねてみようと思います。 -
タキ・サラフォンの中に入ります。
タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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タキ・サラフォンで東の方に曲がります。
タキ・ザルガロンに比べると閑散としていました。こちらには観光客は余り来ないのでしょうか。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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1127タキ・サラフォンを抜けて真っ直ぐ進むと池が見えてきました。この池がラビハウズと呼ばれるオアシスの池です。ハウズとは池のこと。
ブハラには200余りの池があったそうですが、ソ連時代に大半は埋め立てられ現存するものは6カ所だそうです。
ラビハウズはアブドゥールアジス・ハンの大臣ナディール・ディヴァンベキが1620年に造った池です。この池は別名「力づくのハウズ」と呼ばれていました。
何故そう呼ばれていたのでしょうか?それにはこんな話があります。
ナディール・ディヴァンベキが現在の場所に池を造ろうと思い、地主の女性に土地を売ってくれるように頼みました。
ところが女性はここを離れる気はないと大臣の申し出を断ったので、大臣は彼女の家の下に運河を通させました。
運河を流れる水が運河の両岸を削り始めたため、彼女の家はその影響で水に流されはじめたため泣く泣く家を手放したそうです。
池の周囲にはレストランやチャイハナ、ナディール・ディヴァンベキ・ハナカやクカリダシュメドレセが建っています。
写真はラビハウズとクカリダシュ・メドレセとチャイハナ。ラビハウズ 滝・河川・湖
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ラビハウズの西側に建っているナディール・ディヴァンベキ・ハナカです。
ハナカとはシルクロードを渡る巡礼が宿泊した巡礼宿、日本で言えば宿坊です。 -
ラビハウズの周囲にはシルクロードのキャラバン隊を彷彿とさせる彫像がありました。
ブハラ歴史地区 旧市街・古い町並み
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ラビハウズ周辺の様子。
ラビハウズ 滝・河川・湖
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ラビハウズの側にあるナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。
1622年に大臣だったナディール・ディヴァンベキによって建てられてメドレセ(神学校)です。
この建物はナディール・ディヴァンベキがキャラバンサライとして建て始めたのですが、ハンがこの建物を見て「素晴らしいメドレセだな。」と賞賛したため、ハンの怒りを買うのをおそれて急遽メドレセにしたものです。
このメドレセで特徴的なのがファザードに描かれた2羽の鳳凰と太陽の絵です。ナディール ディヴァンベキ メドレセ 史跡・遺跡
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これはその鳳凰と太陽の絵をアップしたものです。2羽の鳳凰が白い鹿を捕まえて太陽に向かって飛んで行くという絵ですが、太陽には何と人の顔が描かれています。
偶像崇拝を禁止するイスラム教の教義に明らかに反する絵です。
サマルカンドのシェルドルメドレセのファザードにも同様の絵が描かれていましたがサマルカンドの場合は敢えて自分の権力を示すために描きました。
ディヴァンベキの場合はどうだったのでしょうか?
当初工事を進めていた建物はキャラバンサライでした。彼はメドレセでなければ動物や人を描いてもいいのだという誤った認識をしていたようですが、本心はサマルカンドのように自信の権力をこのような形で示したかったのではないでしょうか。
もしくはこの時代以降イスラム教の教義が自分たちの都合のいいように曲げて解釈され始めたのではないでしょうか。ナディール ディヴァンベキ メドレセ 史跡・遺跡
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色々想像力を働かすことができるファザードの絵でした。
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向かってファザード左の装飾。
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こちらは右側の装飾。
この時かなり大粒の雨が降っていました。 -
メドレセとラビハウズの間にある公園に建てられていた銅像、フッジャ・ナスレッディンの像です。
フッジャ・ナスレッディンはイスラム神学者で、彼がロバに乗ってふざけているような像ですが、彼は非常にユーモラスな人物で学生に人気があったそうです。 -
雨が激しくなったので雨宿りをかねてラビハウズのチャイハナで休憩しました。
これはチャイハナで出されたお茶とお菓子。
このころはお腹の調子も随分良くなっていたので、お菓子(豆菓子)を少し頂ました。ラビハウズ その他の料理
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チャイハナの様子。
ラビハウズ その他の料理
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同じくチャイハナの様子。
チャイハナでチャイを頂いている間に雨が上がりました。
「雨あがる」のように雲が切れて日が差し込むわけではありませんが、先ほどよりは空が明るくなりました。
夕方6時からは民族ショーを見ながら夕食なので、まだ十分時間がありました。
今日の観光はこれで終わりです。ホテルに一旦帰って休息の後再び夕食会場に行くそうです。
現在午後3時過ぎ、まだ十分観光の時間があります。まだ見ていない有名所としては4本のミナレットに囲まれたチョル・ミナルやブハラ・ハンの夏の離宮スィトライ・マヒ・ホサ宮殿があります。
夕食会場に早めに行くとしてもまだ2時間半もあるのでゆっくり観光できます。
だめならタキバザールで買い物でもいいです。
いずれにしてもはるばる中央アジアまでやって来て、無駄な時間を過ごすことほどもったいないことはない。
添乗員やガイドに時間を有効活用したい旨話したところ、ツアーの予定に入っていないからとの理由で断られました。
臨機応変と言う言葉は我々のツアーにはありませんでした。
余った時間を旅行者に有意義に使ってもらいたいと考えるのが添乗員だと思うのですが。ある旅行会社では同じようなケースがありましたが、添乗員が機転を利かせてくれて旅程にない観光地までバスで連れて行ってくれて、そこで自由行動にしてくれました。そんな対応があると嬉しくて、また同じ旅行会社のツアーに参加したくなります。
我々は一旦ホテルに戻り、休憩の後民族ショーの会場に向かいました。ラビハウズ その他の料理
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サーマーニ公園の近くにあるアブドゥーラ・ハン・メドレセ。
ここの中庭が今夕開催される民族ショーと夕食の会場でした。 -
メドレセの中庭の様子。
サマルカンドで行われた歓迎プログラム「サマルカンドの夕べ」はチャーター便で入国した日本人ツアー客に限定されていましたが、今夕のショーはそのような縛りは無く、欧米の観光客も一諸でした。
現地ツアー会社が元々ツアーに組み込んでいるショーなのでしょう。
民族ショーは午後6時開演です。真ん中周辺の席が我々のグループの指定席でした。私は写真右端から中に入って来たため写真左のアーチ下が楽団の席と勘違いしました。
当初真ん中の席を確保しましたが、そこからだと外国人の人達が邪魔になり写真が撮りにくいと判断。写真手前の端の席に場所を移した所、舞踊の舞台は右であることが分かりました。再び真ん中に移ろうとしたのですがすでに遅く、真ん中周辺の席は埋まってしまいました。
結局舞踊を横から写すことになり、大失敗をやらかしました。 -
開演は午後6時、楽曲の演奏者が配置につき始めました。
ショーの開始まで後僅か。ショーを見ながら食事をするという方式でしたが、実際ショーが始まると写真を撮る方が忙しく食事にはほとんど手を付けませんでした。
夕方はかなり気温が下がり、ダウンなどの冬用の外套がないと寒さを凌げませんでした。 -
午後6時民族ショーが始まりました。最初は4人のダンサーによる舞踊です。
私の位置からは横ないし右斜め前方向しかカメラが向けられないので写真を撮る人が限定されます。右の宴席の人達がファインダーに入り込むのでダンサーで4人全員をカメラに収めるのは不可能でした。そのためダンサーを一点狙いにしました。
サマルカンドと同時刻の開演でしたが幸いなことにサマルカンドほど薄暗くありません。
シャッター速度優先でシャッターが切れたのはありがたかったです。但し連射が機能しなかったので動きの激しいサマルカンドの踊りにピントを合わせるのは至難の業でした。
そのため踊りの途中途中で決めポーズをする瞬間を狙ってシャッターを切りました。 -
最初の4人グループの真ん中は最も踊りが上手な人のポジションですが、流石に滑らかな手の運びや体のしなりは見事なものでした。
顔立ちは欧州系と言うよりはアジア系の美人で私好み。この女性をカメラで追うことにしました。 -
そんな訳でこの女性の写真が一番多いです。
好みの異なる方にはご不満かもしれませんが暫しお付き合いのほどお願いいたします。 -
民族ショー、写真はこの女性がメイン。
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食事はスープと飲み物以外はほとんど食べなかった。本当はお腹が空いていました。
ウズベキスタンの料理は美味しいので食べたいのは尚更です。
しかしまだ完全に回復していないので、無理はしませんでした。 -
民族ショー。
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最初の民族ショーはこれにて終わり。
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踊りの合間には歌手の歌もありました。
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そしてファッションショー。
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ファッションショーの衣装は伝統的な素材を使って現代的なデザインの衣装にしたそうです。
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ファッションショーの次は再び舞踊です。メンバーは最初に登場した4人、衣装を変えて再登場です。
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バックダンサー達。
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踊りの真ん中はやはりこの女性。
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4人の配置はこんな感じ。
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4人で踊ります。
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民族ショー。
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民族ショー。
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バックダンサーの人達。
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バックダンサーの中ではこの人が光っていた。
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この人を中心に撮ってみよう。
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民族ショー。
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次の舞踊は衣装が華やかな。その中でさらに華やかだったのがこの女性。
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可愛いというタイプ。
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彼女はバックダンサー。
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ポーズを決めた所をパチリ。
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再びファッションショー。
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モデルさん勢揃い。
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再びダンス。衣装は中央アジア風。
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この踊りも4人だったと思う。記憶が定かではない。
夜の帳が降りてきのでもうかなり暗い。 -
次はソロです。
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この女性が一番上手なんでしょうね。
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そして最後の踊り。衣装はハデハデ。夜の暗さに負けないよ。
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ダンサーの一人をアップで。
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アラエッサッサー。盆踊りみたい。
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手を挙げてお空を見上げよう。暗くて見えないよー。頑張って、もう少しで終わりだよ。
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激しい踊りだから疲れちゃった。ハアハアゼイゼイ。
皆最後まできちんとするのよ。はーい。
お客様、拙い踊りでしたがご満足頂けたでしょうか・・・。
いやー激しいリズムの踊り本当にご苦労さまでした。ブハラの踊りを堪能させていただき有難うございました。今宵はごゆっくりお休みください。
舞踊を含めてブハラの観光を終わります。
次はキジルクム砂漠に今も残る数千年前の遺跡、キジルカヤ遺跡・トプラカクラ遺跡・アヤズカラ遺跡をお送りいたします。
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