2017/09/26 - 2017/10/03
18位(同エリア75件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2017/09/26
-
徒歩での移動
次はドルッサオダット建築群の観光
-
バスでの移動
アクサライ宮殿へ
-
バスでの移動
昼食会場へ
-
民家レストランで昼食
-
バスでの移動
ブハラへ移動
-
ザルガロンプラザホテルに到着
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
サマルカンドから左にガラシャー山脈を見ながら、砂漠地帯をバスでひた走りに走ってやって来ましたティムールの故郷シャフリサーブス。
本編はティムールが埋葬されるはずだった霊廟が残るドルッサオダット建築群と巨大な宮殿だったアクサライ宮殿を中心にお送りします。
アクサライ宮殿は入口門の遺構しか残っていませんでしたが、かつての巨大な宮殿を想像するには十分な物でした。
それでは本編スタートです。
<旅程>
9月26日
福岡-サマルカンド(泊)
9月27日
サマルカンド観光 (泊)
9月28日
サマルカンドーシャフリサーブス(観光)―ブハラ(泊)
9月29日
ブハラ観光(泊)
9月30日
ブハラーヒヴァ(観光)―ウルゲンチ(泊)
10月1日
ウルゲンチ―キジルカラ遺跡ートプラカクラ遺跡ーアヤズカラ遺跡ーヒヴァーウルゲンチ(泊)
10月2日
ウルゲンチータシケント(観光)ー(機中泊)
10月3日
-福岡(帰国)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
ドルッティロヴァット建築群の観光を終えて、公園の中を東に進むと前方に霊廟が見えて来ました。
この建物がジャハンギール廟です。霊廟の周囲の一群がドルッサオダット建築群と呼ばれており世界遺産に認定されています。 -
公園からはアクサライ宮殿の門が見えました。これは望遠で撮った写真、近いようにも見えますがかなり距離はあります。
-
公園の中程からはドルッティロヴァット建築群の3つのドームが見えます。
これら3つの青いドーム建築群はドルッサオダット建築群の方から見た方が綺麗です。 -
公園を抜けた所にあるのがハズラティ・イマームモスク。
写真はモスクと中庭。写真右の木は普通ウズベクのモスクに植えてあるという木。木の名前が思い出されない。誰でも知っている木なのでメモしないでいたら忘れてしまって思い出せない。寄る年波ですぐ忘れてしまう・・・。(泣)
気を取り直して旅行記を続けます。
この中庭の一画にジャハンギール廟があるんですが、このモスクは世界遺産ではありません。このモスクは新しいモスクなので文化遺産にはならないんです。
今日も晴天で暑い。半袖が丁度いいくらいなんだけど、今日の夕方から寒波がくるとのことで長袖を着てきました。だから暑いーっ。
でも湿度は低い(30%以下)ので日陰に入れば涼しい。ということで皆日陰で小休憩。その間、ここには有料トイレがあるのでトイレ休憩と相成りました。
料金は2000スム(28円です。欧州に比べると安い)、高額紙幣でもお釣りをくれます。但し汚い千切れたような札をくれるので要注意。
このような傷んだ紙幣や汚い紙幣は市場などで受け取ってもらえません。
私は新札を渡したのにお釣りに裂けた古いお札をくれたので猛烈に抗議。私の言う事は分からないと手振りで示す始末なのでガイドに言って講義してもらったけど綺麗な紙幣に変えてくれない。結局添乗員さんが交換してくれたけど、トイレならどんなお札でも通用するらしい。
後日別の所のトイレで汚い札で支払ったら受け取ってくれました。
不幸にして汚い紙幣や裂け目が入った紙幣などをもらったら、有料トイレで支払いに使いましょう。
なお有料トイレの料金はどの町でも2000スムでした。 -
ハズラティ・イマームモスク。
町の人々の信仰を集めているモスクだそうです。 -
ハズラティ・イマームモスクの外観。
-
一日5回の礼拝の時刻を知らせる時計。
-
またまたモスクの写真。
-
モスクの隣にあるのがジャハンギール廟。
ティムールが戦死した長男ジャハンギールのために建てた霊廟です。ジャハンギールは22歳の若さで戦闘中に落馬し戦死しました。
ティムールに最もかわいがられた息子だったそうです。そのためティムールは巨大な霊廟を彼のために建ててやりました。
この霊廟もアクサライ宮殿と同じくブハラ国のハンによって壊されたそうで霊廟の方々が修復されていました。 -
霊廟の中の様子です。
天井のドーム部位分は装飾タイルが剥げ落ちむき出しになっていました。突き出ているのは鉄筋でしょうか?ひょっとして修復途中に放棄されたとか・・。
ガイドさんも知らなかったので想像の域を出ませんが・・・。
ムカルナス部分から下は白漆喰の壁です。いずれ装飾タイルで修復されるのでしょうがティムールの長男の霊廟としては余りにも質素でした。 -
白漆喰のムカルナス。
-
ジャハンギールの墓石ですが大理石ではありません。霊廟の修復に合わせて復元したかのような印象でした。
-
ジャハンギール廟はファザード部分と側壁が破壊されています。側壁の一部は白漆喰で補修されていますが、サマルカンドのビビハニム・モスクのように全面修復される予定はないようです。
ここでも霊廟入口付近に土産物店が店開きしていました。買う気がないのでスルーしましたが、呼び値はサマルカンドよりかなり安かったと記憶しています。
まだ観光の途中だったのでご婦人方も皆さんスルー。しかし帰りはしっかり品定め、そのころにはさらに安くなっていて刺繍の小物入れが10セットで確か5ドルか10ドルにまで下がっていたと記憶しています。
バラ撒き用に何人かのご婦人が買われましたが、すごく安かったと話されていました。(その話からすると5ドルだったかな。)
ここも安いのですがヒヴァも安いです。店も沢山あるので時間があるのならばそちらでじっくり選ばれてみてはどうでしょうか。
確かなのはサマルカンドが一番高いということです。土産物はサマルカンド以外の町で購入しましょう。 -
ジャハンギール廟の隣には建物の基壇だけが残る空き地がありますが、ここはかつて広大な建築群があった場所です。
その一つがティムールの二男が埋葬されたウマル・シャイフ廟です。
写真正面がその霊廟の跡です。 -
ウマル・シャイフの石棺。
霊廟は破壊され、今ではわずかにウマル・シャイフの石棺が残るのみです。
この霊廟の右隣りにティムールの霊廟がありました。 -
アミール・ティムールの霊廟です。
地下の石棺が残るのみで霊廟そのものは破壊されており、何も残っていません。
但し、地下の墓室や石棺から考えて霊廟は非常に質素なものだったと考えられています。
ティムールの墓室はどこにあるかわかりませんでしたが、砂遊びをしていた少女によって偶然に発見されたそうです。 -
墓室の入口です。
ティムールは生前ここに石棺を用意してこの地に埋葬されることを望みました。
さらに石棺は「名を刻んだ石だけを墓標とするように」と死に際して遺言しましたが遺言が聞き入れられることは無く、大雪のために遺体をシャフリサーブスまで運ぶことが出来なかったとしてサマルカンドのグリ・アミール廟に埋葬されました。
結局権力者故の悲しさか、死に臨んだ願いさえも聞き入れられませんでした。 -
墓室に降りて石棺を見るのかと思ったら入り口の観光で終わり。ガイドは来た道を引き返し始めました。
そのため仕方なく墓室の入口を写真に撮ったところ幸運にも内部にある石棺の一部が写っていました。但し石棺の全てが見えた訳では無いので墓室に入って見たかったというのが本心でした。
駐車場のバスに戻るまでかなり時間がかかったので墓室に入ってみればよかったと今は後悔しています。 -
墓室の中です。幸い石棺の一部が写っていました。
さて、ガイドの説明によると長男、二男と続けて失ったティムールは死ぬまで相続人を決めなかったそうです。
そのためティムールの死後息子たちの間で争いが起こり、結局16歳のウルグベクが4代目の王位についたそうです。
Wikipediaによればティムールは中国への遠征途中病気にかかってしまいました。死期をさとったティムールは病床に集まった王子(息子や孫)や貴族に孫のピエール・ムハンマド(長男ジャハンギールの息子)を後継者とすることを告げ、彼らに遺言を守ることを誓わせたと書かれてあります。
どちらが正しいのでしょうか?
ガイドには観光地を説明するマニュアルのような物があって、それを丸暗記して観光客に伝えています。そのマニュアルは政府観光局や歴史家などが作成し、ウズベキスタンの正しい歴史だとされる定説をガイドに覚え込ませている訳ですから、こちらが正当だとも言えます。
ただあまりにも違い過ぎるのでどちらが正しいのか迷ってしまいますが、死期に際して後継者を指名しないはずはないでしょうからWikipediaのほうが正しいような気がします。 -
ここにかつては霊廟を含む巨大な建築群がありました。
ウマル・シャイフ廟やティムールの霊廟もその建築群の中の建物でした。
ティムールの王宮アクサライ宮殿がブハラのアブドゥール・ハンによって破壊されたと同時期にティムール所縁の霊廟や建物もことごとく破壊され、ここでは僅かにジャハンギール廟のみが残ったのでした。 -
ドルッサオダット建築群の跡地から眺めたドルッティロヴァット建築群の建物。
ティムールの遺産はことごとく破壊されましたが、幸いにしてウルグベク由来の建物とティムールの父の霊廟のみは破壊されること無く残りました。
ここから眺める霊廟群は美しかったです。 -
アップにしてみました。
-
ドルッティロヴァット建築群とドルッサオダット建築群を結ぶ大きな公園の様子。
-
公園の大通りです。この一帯はソ連崩壊後に計画的に造られた公園ですが、人工的に造られた公園が新しすぎて遺跡との調和が取れていないような気がしました。
-
公園にはこのような人工池もありました。
池に映り込む霊廟の景色の写真を狙ったのですが、狙いに反して映り込みの色が薄く写真としては失敗作になってしまいました。 -
先ほどの池を過ぎたあたりで丁度下校途中の小学生低学年の生徒たちに出くわしました。午前中で授業が終わったようです。
ウズベキスタンの小学生は日本の小学生と同じように制服着用でした。
どの国の子供もこの年代の子供は元気があって可愛いですね。写真を撮らせてもらおうと声をかけてカメラを向けると恥ずかしがって皆走り去ってしまいました。
しばらくするとまた私たちの所に集まって来ます。
笑顔で笑っているので嫌われている訳ではないようですが、写真を撮られるのが恥ずかしい様子だったので結局写真は撮りませんでした。
添乗員さんの話では「日本人が珍しいんでしょうね。ここは東洋人の観光客が少ないですから。」とのこと。
世界を席巻している中国人観光客もここではほとんど見ないそうです。
公園そばの駐車場に駐車しているバスに乗り込み、次は合うサライ宮殿跡地に向かいました。 -
宮殿跡地で迎えてくれたのは「アミール・ティムールの銅像」。
凛とした容姿で他を圧倒するかのような迫力あるお姿。ウズベキスタンが誇る英雄です。
シャフリサーブスの結婚式では必ずこの像の前で記念写真を撮るそうです。この日も数組の新郎新婦がいましたが、我々が通り過ぎた後にティムールと並んで写真を撮ったことでしょう。
シャフリサーブスの人々は今でも郷土の英雄を誇りに思っているんですね。アムール ティムール像 モニュメント・記念碑
-
銅像の側を通り抜けると前に見えてきたのがアクサライ宮殿の門です。
この距離からは低く見えるのですが現存するものは38mあるそうです。
今我々が進んでいる場所は前室、塔を潜った先にある大きな控えの間なのです。
間といってもそのような部屋が有る訳では無く広い控えの広場、宮殿の玄関先があったそうです。アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
控えの間を発掘調査して出てきた床の化粧タイルだそうです。一面このような美しいモザイク装飾のタイルが出てきたそうですが、その一部が見えるように保存してありました。
そして宮殿は先程のティムールの銅像がある辺りから始まっています。
宮殿は1380年から建築が始まり24年後の1404年に完成しました。完成したのはティムールの死の直前だったそうです。アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
アクサライ宮殿で現存するのはこの2つの門(崩れる前はアーチ門でした)のみです。宮殿の残りは全て16世紀の後半にブハラ・ハン国のアブドゥール・ハンに破壊されました。
「アクサライ」とは白い宮殿の意味、さらに白いとは高貴なという意味があるそうです。さしずめ「高貴な宮殿」と言う意味だったのでしょう。
広大な宮殿でその広さはティムール像辺りから始まり、ドルッティロヴァット建築群の隣にあった公園の中程辺りまであったようです。
宮殿は青と金色のタイルで装飾された眩いばかりの美しいものだったそうです。宮殿の客室は100室で内部は金の装飾が施されており、宮殿の中には複数の中庭もありました。中庭の広さは縦120m・横250mで公共の広場としても利用されたそうです。
現存する門の高さは38mですが建設当時は70mと言われているそうです。
ガイドブックなどでは建設当時の門の高さは50m以上と記述されていますが、宮殿の高さが70mもあったと推測されているので50mの門では低すぎるのではないでしょうか。そういうことでガイドの説明の70mを採用しました。
さて、ブハラ・ハン国のアブドゥールはこの町に侵攻した際ティムールに嫉妬してティムールの遺産を破壊したと地球の○き方には書いてありますが、何に嫉妬したのか書いてありません。ティムールその人に嫉妬したのでしょうか?
なぜティムールの遺産が残るサマルカンドの建物は破壊されなかったのか?
その点についてはガイドさんが興味深いことを話してくれました。
ブハラ・ハン国の君主アブドゥールはティムールを畏敬しつつも、自分がティムールの上に立つ存在でありたいと思う欲望を果たすために、また周囲の人々に支配者としての力を見せつけるためにシャフリサーブスに侵攻しました。
アブドゥールが町に近づくとまず最初に見えてきたのがアクサライ宮殿の門でした。(この通りの話なら門は70m以上でないと辻褄が合いませんが、ここでは深く追及しません。)
塔の姿を視界に捉え、目指す宮殿はすぐそこだとばかりに馬を走らせるものの、いくら馬を走らせても門に近づけません。
何日もかかって門と城壁に辿り着いたものの、門の余りの高さと大きさに驚き肝を潰したそうです。ティムールは自分が考えていたよりけた外れの人物だった。とても自分はティムールを越えられそうもない。ましてやこの巨大な塔や宮殿を果たして自分は建てられるだろうか?
アブドゥールはティムールに比べて自分の器量がいかに小さいものか思い知らされたという事です。この時ティムールに対する畏敬の念は燃え上がる嫉妬に変わりました。
この町を征服しさえすれば人々の記憶からティムールの記憶を消し去ることができると考えていたアブドゥールは、ティムールの記憶が残るこの町からティムールの遺産をことごとく破壊することでティムールの記憶を消し去ろうとしました。
そのようにしてこの地のティムールの遺産は破壊されたのでした。特に広大で壮麗な宮殿は跡形もないほどに破壊しつくしたそうです。
アブドゥールーは元々町を占領して支配下に置くだけで建物を破壊するつもりはなかったそうです。余りにティムールとの力の差を見せつけられたためハンとしてのプライドを傷つけられこのような蛮行に走ったのでしょう。
後にアブドゥ-ルは自らの蛮行に対して事績の念に駆られたという話も残っています。
これは塔の写真ですが如何に大きなものか人の大きさと比較してみて下さい。アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
私が門の写真を撮っていると近くにやってきたのが下校帰りの小学生仲良し3人組。
英語で話しかけたのですが、英語が分からない様子。
身振り手振りで「写真撮らせて」とジェスチャーすると笑顔でOK。
3人にカメラを向けると一人の女の子が恥ずかしがって離れて行っちゃった。
仕方ないので2人の写真を撮ると2人が離れた女の子を手招きして呼んでくれた。 -
横で見ていた恥ずかしがりやの女の子は手招きに応じて2人と合流。
改めて3人でパチリ。いい写真が撮れました。後から入ったのが右の女の子。淑やかタイプでおとなしそう。
左の子は美少女タイプというか美形ですね。大人になったら美人になりそう。
真ん中の女の子は可愛いらしい。笑顔が素敵でした。
皆ありがとう。お礼をしなくちゃ。こんな時に限ってカバンにお菓子を入れていないのよね。
ごめんね。有難う。と、日本語と英語で伝えたんだけど分かったかな?
お互いに手を振り合ってバイバイしてお別れ。笑顔の素敵な女の子たちでした。 -
彼女たちと別れて再び門の撮影を開始。
門の表面にはブルーのタイルがまだ残っていて、門に刻まれた文字も残されています。
上部には「汝、わが権力に挑むならば、この建物を身よ」と書かれていたそうです。
さらに伝承では左の門には「スルタンはアラーの影である」と書かれているが、右の門には「スルタンは影である」としか書かれていなかった。「アラーの文字が抜けていることにきずいたティムールは職人を門の上から投げ飛ばしたんだそうです。
ティムールさんは残酷な一面も持っていたようですようですね。アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
右の門(柱)。
アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
左側の門のアップ。タイルの紋様がはっきり残っています。
アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
アクサライ宮殿に別れを告げて昼食会場に向かいました。写真はバスの車窓から写した門。
-
車窓から見えているのは宮殿の門と城壁。城壁は新しく修復されたものです。
アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
こちらは古い城壁が今も残っていました。
アク サライ宮殿跡 城・宮殿
-
城壁内の景色。城壁内のアクサライ宮殿の周囲には多くの学校がありました。
小・中学校が多く車窓からは下校中の生徒を沢山目にしました。多くの学校では午前中で授業が終わるようです。 -
市内を走って民家レストランへ。旅程では民家で昼食になっていました。
写真は地元の人々。 -
昼食会場に到着しました。普通の民家の様ですが造りは良い家です。
-
ドアを開けて中に入ると中庭に出ました。この中庭を囲む建物の一室が食堂でした。
-
食事の間の様子。テーブルにはカラフルな敷物が敷かれ、たくさんの料理が配膳されていました。
-
配膳されていたのはサラダや果物やお菓子。
このあと続々と料理が運ばれてきましたよ。 -
食べたかったスイカもありました。これ美味しかったー。
ブドウもこれまた美味しい。この時添乗員やガイドがら聞いていた忠告をすっかり忘れていたんです。
「ズイカと水は一緒に飲まないでください。お腹が緩くなりますから。」という言葉を・・・。この後悲惨な出来事が起こるとは露知らずに・・・。 -
水で洗ったブドウも最初は警戒心があったのに、余りの美味しさについパクパク。
でも本当に美味しいブドウだった。
岡山のマスカットよりも美味しい。砂漠地帯なので糖度が高いんですよ。美味いものは美味い、やめられません。 -
左側ナンとギョーザスープ。ウズベキスタンの家庭料理だそうです。これも美味しかった。
ウズベキスタンの料理はなんでも美味しいのです。 -
ウズベキスタンの家庭料理「ディムラマ」。肉じゃがのようなものもあるしスープのようなものもあるんだとか。
その家の特色が現れる料理だそうです。そしてこれはこの家のディムラマです。味はもちろん美味しかった。
ウズベキスタンの料理はどれも美味しいのです。日本人の口に合っていると思いますよ。
今の所不味い料理には出会ったことがない。 -
この家の奥さんは英語を教えているそうです。いわば個人の英語塾。その教え子さんたちが手伝いに来てくれていました。
ウズベキスタン、どこに行っても目にする土産物。ここでも店開きされていた。
カラフルな帽子が可愛いくて素敵でした。色遣いが斬新なので物色しましたが男物はなかったのです。
私が勧められたのはテーブルクロスにもなる布地。大変美しい色柄だったので触手が動きかけたけれど、これを日本のテーブルクロスにしたら浮き上がってしまうだろうなと思い、暫し考えた。
周りの色や柄がカラフルなのでここでは浮いていないが、我が家では浮きすぎるだろうなと思って結局断念しました。 -
民家レストランの全景。あれっ、入る時には気が付かなかったけど壁にホテルと書いてある。
やはり純然たる民家ではない。いわゆる日本で言うところの民宿でしょう。
昼間はツアー客向けの民家レストランという訳ですな。美味しいレストランだったので利用者としては何ら問題なし。 -
ウズベキスタンの信号機。町の郊外で信号機を見かけるのが珍しくて思わずシャッターを切った一枚。
日本や欧米の信号機に比べると簡素で目立たない信号機。これで大丈夫だろうか? -
次に見つけた信号機。うっかりすると見過ごしてしまいそう。
ウズベキスタンの主張しない信号機でした。 -
この辺りの一般的な家屋。スレートの波板の屋根が多いのですが、この屋根は軒の部分が開いているので雨漏りするんじゃないでしょうか?
他人ながらも心配です。 -
町を過ぎると広い綿花畑が続いていました。
ウズベキスタンはソ連邦時代にソ連邦全体の60%に及ぶ量の綿花を生産するよう義務付けられていたそうです。
ウズベキスタンは元々砂漠地帯で綿花栽培には適さない国でしたが、ソ連共産党中央政府の命令は絶対命令だったため全ての農産物の生産を綿花に切り替えて増産に努めました。
砂漠地帯では雨が少ないためアラル海の水を綿花栽培の灌漑用水として過剰に利用したことや、アラル海に注ぎ込むシルダリア川やアルダリア川に多数のダムを建設して灌漑用水の利用と水量制限を行ったことから、アラル海が干上がってしまい現在では深刻な環境破壊に陥っています。
アラル海は世界第4位の面積の湖でしたが戦後ソ連邦の自然改装計画により面積は25%以下に縮小し、5年以内に地球上から消滅するのではないかと言われています。
ウズベキスタン政府も環境破壊を食い止めるため色々試みていますが有効な手段がないというのが現状です。
さらに強制的な綿花栽培で食べる物にも苦労し、苦しい生活を強いられたのが独立後のウズベキスタンの国民でした。 -
ソ連邦時代は他の共和国から必要なだけ食料を輸入することができました。ところが独立後は自由に輸入できなくなったそうです。旧ソ連邦内のどの国も自国の国民を食わせるだけで精一杯で、他国の面倒まで見ることができる余裕のある国はなかったのです。
食料を生産していないウズベキスタンはたちまち明日食べるパンにも事欠くようになりました。綿花を栽培している畑地の1/2を食料生産の畑地に切り替え麦や豆類を植え付けましたが綿花栽培用の畑ではすぐに穀物が実らなかったそうです。
綿花栽培で多量の農薬を使用していたため薬害の環境破壊が進んでいたり土地が疲弊していたそうです。
ガイドさんの話によると特に苦しかったのが独立してからの5年間、歯を食いしばるようにして乗り換えてきたんだそうです。
それと戦後ソ連中央政府による一方的な綿花栽培に対する怒りにはもう一つ理由があるそうです。
それは第二次世界大戦中、独ソ戦でソ連の軍需工場がシベリアをはじめ各地に疎開した時、ウズベキスタンもタシケントなどの町に戦車や大砲などの大工場が建てられ多数の兵器が生産されたそうです。
ウズベキスタンの国民は軍需工場で働くことで機械製造技術に精通し機械産業が盛んになったのですが、大戦後は綿花栽培に特化することになったため工場は全て引き上げられるとともに、折角育った機械加工技術の芽を摘み取られたのでした。
国民はそのことに大変な怒りを感じたそうですが、ソ連邦中央政府に抗う術も無く泣き寝入りしたんだそうです。
食料生産と重工業振興の芽をソ連邦中央政府に摘み取られたことが国の発展を遅らせることになったので、旧ソ連中央政府には怒りを禁じ得ないのだそうです。 -
綿花摘み取り作業に従事する農家の人々。今も綿花栽培は重要な産業の一つなんです。
でもほとんどが手作業なので重労働だそうです。 -
こちらの畑でも綿花の収穫作業中。
手作業のため人海戦術で乗り切る他無いようです。 -
摘み取りを待つ綿花畑。
-
同じく収穫間近の綿花畑。
-
綿花畑が次々に現れる。綿花畑だらけ。
-
こちらも摘み取り作業中。
-
綿花収穫用のトラックが見えます。荷台には白い綿花が積み込まれていますよ。
とにかく綿花畑が多い。 -
手前の耕された土地の奥には綿花畑が連なっています。
-
砂漠地帯になったか思ったら、まだ綿花畑が続いていました。
-
ブハラに行く途中でトイレ休憩。
ガソリンスタンドのトイレを借りたんですけど料金は無料。トイレは完璧なポッチャントイレでした。金隠しも何も無い、ただ穴が掘ってあって板が差しかけてあるだけ。中は薄暗く目が慣れないと内部は判別しずらかった。
自然に帰れとはこういうことを言うんだろうか。郷に入っては郷に従え。青空トイレよりはましだった。
でも余りに素晴らしいトイレだったので写真を撮る気にはならなかった。
ここはガソリンスタンドの向かい側の景色。このあたりはまだ民家があったがこれから先は何も無い砂漠地帯だった。
天候は下り坂で小雨が降り始め、吹く風も冷たくなった。今夜は寒くなりそうだ。 -
トイレ休憩が終わるとバスは再び砂漠の中をブハラに向かって走り始めました。
曇よりとした雲に覆われ視界がききません。見えるのは砂漠の瓦礫のみで荒涼とした景色。 -
明るさは感じられるものの視界は開けてこない。単調な景色が続くためいつの間にかバスの車内は寝台車になっていました。
-
ウズベキスタンの国土の大部分を占めているのがこのような砂漠。
果てしなく続く荒涼たる景色のなか、僅かに電信柱と電線のみが見れるだけ。 -
砂漠といっても砂地では無く小石交じりの不毛な土地です。
-
一面掻き曇っていた空が明るくなってきました。
見えるのは砂漠の地平線と砂漠に生えている草ばかり。この辺りは結構草が生えていました。
砂漠のイメージとしては砂地なのですが、ウズベキスタンではこのような不毛のゴロ土も砂漠と呼んでいます。 -
暫くすると砂漠に生えていた草が赤く照らされてきました。
-
もっと広角で撮れば良かったのですが、周囲が赤く染まり始めました。
左車窓に目を向けと・・・。夕陽に照らされていたんです。 -
砂漠の落日。周囲は緋色に染まっています。実際はもっと綺麗でしたが写真ではこの程度にしか写りません。
-
日が落ちる。ウズベキスタンでも「秋の日暮れは釣瓶落とし」かな?
-
ブハラのホテルに19時30分に到着。実に5時間半の長旅でした。もう、腰が痺れてしまったよ。
今宵の宿泊先は「ザルガロンプラザホテル」。ブハラ旧市内にあるホテルで今回利用したホテルの中では一番良いホテルでした。 -
この写真は翌朝写したもの。翌朝は寒かったー。天気予報通り気温が下がっている。吐く息も真っ白でした。
夜具は羽毛布団が掛けてあって、寒ければさらにもう一枚羽毛布団を掛けるように言われていましたが、毛布と羽毛布団1枚で大丈夫でした。 -
部屋はかなり広いくて綺麗でした。掃除も行き届いていました。
第一印象はgood。 -
部屋の様子です。こうして見るとかなり広いことが分かると思います。
-
部屋の様子。一人で泊まるには十分すぎるほどの広さでした。
-
有り難いことに今日のホテルはバスタブです。このホテルはバスタブの部屋とシャワーの部屋があると聞いていました。私だけが2日間シャワーだったので今回はバスタブの部屋に配慮してもらったようです。
熱いお湯もすぐに出てきて問題なし。と思っていたらお風呂から上がると風呂の栓が抜けない。風呂の栓を上下させる金具を回しても全く反応しません。
結局フロントに言って開けてもらいました。 -
洗面台及びアメニティ。アメニティは一人分が用意してありました。
-
トイレも清潔に掃除されていました。このホテルも便座の左にトイレットペーパー入れがありましたが、日本製のトイレットペーパーを使用するので大丈夫。
-
旅程表にはポット無しと書いてありましたが湯沸かしポット有り。ミネラルウォーター1本サービスです。
昨日のホテルは無かったけど、コーヒーやお茶があるのは嬉しいですね。
ミネラルウォーターはホテルのサービスと旅行会社からのサービスで毎日3本補給されます。でもさすがに一日3本は処理できない。
日本から持ち込んだミネラルウォーター3本が手付かずのままスーツケースに残ったままです。 -
夕食はホテルのレストラン。前菜は野菜料理の取り合わせでした。
ナンも出ていましたが今宵はパンにしました。
ナンには飽きがきたようでパンが欲しくなったんです。野菜は新鮮でどの料理も美味しいかったですよ。 -
ひよこ豆とマトンのスープ。これ美味しい。
-
メインはビーフストロガノフのポテト添え。
単純に美味しい。でも折角ブハラに来たんだからブハラの郷土料理を食べてみたかった。
ビールはここも2ドルでしたがアルコール度数が高い上に瓶ででてくるので止めておきました。私には量が多すぎる。
この時ビールを頼まなかったのは明日朝起きる苦しい出来事を予感していたのでしょうか?
何が起きたかは次の旅行記で・・・。 -
デザートはパイ(?だったかな。)とアイスクリーム。美味しく頂きました。
シャフリサーブスから5時間半というバスでの強行軍を終えやっと一息付けます。
お風呂に入って早く寝よう。本当に疲れた・・・。
ではお休みなさい。
次の旅行記はブハラの観光です。ここも素晴らしい所でした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅
-
前の旅行記
チャーター便直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 5 青の都サマルカンド 5 (サマルカンドの夕べと青と光のシ...
2017/09/26~
サマルカンド
-
次の旅行記
チャーター便直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 8 ブハラ ①
2017/09/26~
ブハラ
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 14 タシケント観光そして帰国
2017/08/25~
タシケント
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 1 青の都サマルカンド
2017/09/26~
サマルカンド
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 2 青の都サマルカンド2(シャーヒズィンダ霊廟群とグリ・アミー...
2017/09/26~
サマルカンド
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 3 青の都サマルカンド3(ショブバザール、ビビハニムモスク、レ...
2017/09/26~
サマルカンド
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 4 青の都サマルカンド 4(レギスタン広場のメドレセ)
2017/09/26~
サマルカンド
-
チャーター便直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 5 青の都サマルカンド 5 (サマルカンドの夕べと青と光のシ...
2017/09/26~
サマルカンド
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 7 ティムールの故郷シャフリサーブス2
2017/09/26~
シャフリサーブズ
-
チャーター便直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 8 ブハラ ①
2017/09/26~
ブハラ
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 9 中世の町ブハラと民族舞踊ショー
2017/09/26~
ブハラ
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 10 ヒヴァ(博物館都市イチャン・カラ) ①
2017/09/26~
ヒワ
-
チャーター便で行くウズベキスタン周遊の旅 11 カラカルパクスタン共和国に点在する古代ホラズム王国のカラ(都...
2017/09/26~
その他の都市
-
チャーター便直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 12 ヒヴァ(博物館都市イチャン・カラ観光) ②
2017/09/26~
ヒワ
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 13 タシケントに眠る日本人墓地墓参の旅
2017/09/26~
タシケント
-
チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅 6 ティムールの故郷シャフリサーブス 1
2017/09/27~
シャフリサーブズ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (3)
-
- スーポンドイツさん 2018/07/03 08:36:54
- こんな話が聞きたかった
- ポポポさん
美しいモザイク、鮮明な写真に感動しています。
綿花の摘み取り作業、バスの窓からのどかな光景として見ましたが、このような事情があるとは全く知りませんでした。現地ガイドさん次第でツアーに深みが出ますね。
この国には「ウズベキスタンの桜」という本を読んで親しみを感じていましたが、最近はC国に接近しているとか・・
お土産の刺繍スザニですが、1000円~2000円程度のクッションカバーを何枚か買い求めました。それも値切って(^^ゞ 赤色があせて痛んできたので買い替えようとネットで検索しましたが、日本ではなんと10倍~の価格!もっと買えばよかった~
スイカ?ブドウ?次作も気になります。 すーぽん
- ポポポさん からの返信 2018/07/05 16:13:45
- RE: こんな話が聞きたかった
- スーポンドイツ様こんにちは。いつも「いいね」の好評をいただき有難うございます。
> 美しいモザイク、鮮明な写真に感動しています。
お褒めいただき恐縮です。スーポンさんもウズベキスタンに行かれたんですね。それもずっと前に。その頃と町の印象は変っていませんか?
ウズベキスタンにはいつかは行ってみたいと思っていましたが、行こうと決めた一番の決め手はタシケントのナヴォイ劇場と日本人墓地でした。どんな場所か見てみたいと。
行ってどうだったのか、どう感じたかは旅行記に書く予定ですのでお楽しみに。
> 綿花の摘み取り作業、バスの窓からのどかな光景として見ましたが、このような事情があるとは全く知りませんでした。現地ガイドさん次第でツアーに深みが出ますね。
今回事前勉強不足でウズベキスタンのことはサマルカンドがシルクロードのオアシス中継地だったことやナヴォイ劇場や日本人墓地のこと、「ウズベキスタンの桜」や親日国程度の知識しかありませんでした。
綿花栽培が主力産業だったなんて全く知りませんでした。ソ連政権下で無理な灌漑を進めた結果アラル海は干上がる寸前であり、自然破壊が進んでいることもです。
ソ連政権下の政策に今も強い憤りを感じていることが伺い知れました。東欧諸国でも旧ソ連やロシアに対しては強い不信を持っていましたね。
> この国には「ウズベキスタンの桜」という本を読んで親しみを感じていましたが、最近はC国に接近しているとか・・
「ウズベキスタンの桜」、中山特任大使の著書ですね。恥ずかしながら私はまだ読んでいません。どんな本なのか大概のことは存じていたのでまあいいかなと。でもやはり読んだほうが良さそうですね。
旅行中ガイドさんから質問があれば何でも聞いてほしいと言われました。私の質問事項は「ウズベキスタンは親日国と言われますがなぜ親日なんですか?ナヴォイ劇場にまつわる話以外であれば教えてほしい。」でした。
ガイドさんの回答は「中山大使のおかげです。中山大使がウズベキスタンにいらしたから我々はさらに親日になれました。」ウズベキスタンの桜の説明や、中山大臣のおかげて日本から沢山の経済援助を貰えたという話もありました。その中には中山ご夫妻が日本で集まった義援金の中からパソコンとう教育機材を寄贈したことも入っているんでしょう。最後に「我々ウズベク人は中山大使のことを忘れません。中山大使はウズベクの恩人です。」と話されていました。
たぶん中山恭子さんの著書「ウズベキスタンの桜」には教育機材の寄贈は別にしてこのような事はたぶん書かれていないと思います。しかし中山大使がウズベキスタンの人々に灯した友好の灯りは今も燃え続けていました。
さて中国の話。これも今後旅行記に記述する予定ですが習近平が提唱する「一帯一路」、現代のシルクロードと銘打って静かにウズベキスタンに浸透しているようです。
日本はここ10年間ウズベキスタンの経済援助国として1番の実績を誇ってきましたが、陰りが見えてきました。
ウズベキスタンは内陸国なので製品や原材料の輸出入に際して陸上輸送の方がはるかにコストが安くしかも早く輸送できるというメリットがあります。この点を中国が突いてきて攻勢をかけています。
ガイドさんの話でも今後は経済は中国、精神面・文化面では日本と結びつきを強くするそうです。
それが国家の方針だそうです。危ない日本、また仲間を中国に奪われてしまう。
> お土産の刺繍スザニですが、1000円?2000円程度のクッションカバーを何枚か買い求めました。それも値切って(^^ゞ 赤色があせて痛んできたので買い替えようとネットで検索しましたが、日本ではなんと10倍?の価格!もっと買えばよかった?
> スイカ?ブドウ?次作も気になります。
スイカでしょうか、ブドウでしょうか、次作で明らかになりますよ。ところでスーポンさんは大丈夫でしたか?我々のツアーでは2/3程度の人のお腹が 緩くなりましたよ。
それでは失礼します。
ポポポ
- スーポンドイツさん からの返信 2018/07/05 20:45:31
- RE: RE: こんな話が聞きたかった
- ポポポさん
ご丁寧なお返事をありがとうございます。
美しい写真とともに、いつも問題意識をもって観察なさるお姿に感心させられます。
アラル海の自然破壊について、私はあとからゴリさんの旅行記で知りました。
当時と比べて、トイレの改善はまだまだのようですが、遺跡の修復は進んでいるように感じましたよ。
中山氏は、キルギスで日本の鉱山技師がタリバンに拉致された時、通訳と二人だけでアジトに乗り込み交渉・救出したのだとか。あのお顔に似合わず胆力のある女性です。ガイドさんにこのように言っていただくと日本人として嬉しくなりますね。
> ガイドさんの話でも今後は経済は中国、精神面・文化面では日本と結びつきを強くするそうです。
経済援助の名のもとに乗っ取られないよう祈るばかりです。
旅行したのが3月でしたので、幸か不幸か果物はなくおなかは無事でした。 すーぽん
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
シャフリサーブズ(ウズベキスタン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ウズベキスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウズベキスタン最安
1,760円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅
3
87