2017/09/26 - 2017/10/03
12位(同エリア82件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
皆さん、カラカルパクスタン共和国という名前をお聞きになった事がありますか?私は今回の旅行で初めて知りました。
今日はこの国に1000以上もあるといわれている古代ホラズム帝国の都城や城砦(カラと呼びます。)跡を観光します。
カラはキジルクム砂漠に点在しているそうですが本日観光するのはアムダリア川下流域に点在するカラです。
カラカルパクスタン共和国とはウズベキスタン共和国の中にある共和国で、面積は16.5万?ウズベキスタンの国土の37%を占めています。
独自の憲法をもち、国旗・国歌・国章を制定しています。言語はカラカルパク語とウズベク語、国連未承認国家のため外交権も軍事力も有していません。
憲法を持っていますがウズベキスタン憲法の枠を超えることはできないため、ウズベキスタン共和国の枠組みの中にある共和国です。
但し憲法第一条には国民投票によりウズベキスタンから脱退する権利を有すると書かれてあるそうです。
国の名前について・・・「カラ」とは「黒」を意味し、尖った帽子のことを「カラパック」と呼んでいるので、「カラカルパクスタン」とは「黒い帽子を被る民族の国」を意味します。
首都はヌクスという町ですが国内に消えゆくアラル海があるので深刻な環境問題を抱えています。キジルクム砂漠があるため農業ができる土地は限定されるものの主要産業は農業です。
この国は結局ソ連時代の区画整理で生まれた国です。ソ連は区画整理と称して民族を勝手に分けたり、勝手に国境線を決めたりしたのでその弊害が出てきているのです。
そんな国にあるカラと呼ばれる都や城砦の遺跡、どんなところなのか期待に胸が膨らみます。
<旅程>
9月26日 福岡ーサマルカンド(泊)
9月27日 サマルカンド観光 (泊)
9月28日 サマルカンドーシャフリサーブスーブハラ(泊)
9月29日 ブハラ観光 (泊)
9月30日 ブハラーヒヴァーウルゲンチ(泊)
10月1日 ウルゲンチーキジルカラ遺跡ートプラクカラ遺跡ーアヤズカラ遺跡ーヒヴァーウルゲンチ(泊)
10月2日 ウルゲンチータシケントー(機中泊)
10月3日 -福岡(帰国)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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9月30日、ヒヴァの観光を終えて今宵の宿泊先はウルゲンチのホテル「ホレズムパレス」です。(写真は翌朝撮ったもの)
ホテルに到着したのは19時30分。夕食はホテルで食べました。
ホレズムパレスは4つ星ホテルでウルゲンチでは最上位のホテルとの事。ウズベキスタンはホテル事情が悪いので、4つ星ホテルなら期待が持てそうです。 -
広いロビーです。ロビーの一角には土産物店があり、スザニやリシタン陶器、土人形や刺繡物などの商品を販売していました。
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部屋の様子です。4つ星なのにベッドはシングル?またツインじゃないよ。
一人参加の追加料金を払っているのにまたシングル専用の部屋に割り当てられました。
部屋の割り振りをするのは添乗員じゃなくてガイドがしていたので、一人参加は軒並みシングル部屋に割り当てられたようです。だから部屋は狭い。
部屋を見た瞬間、こりゃ風呂はシャワーだなと直感しました。 -
部屋の様子。入口方向を見た様子です。とにかく部屋が狭い。スーツケースを開けるのに苦労しました。これで2連泊です。2連泊の時はバスタブがいいな。
一応部屋の状況は添乗員に報告しておきました。
添乗員の話では今回のホテルは初めて利用するので部屋の状況は把握していない。今回は元々ヒヴァのホテルを予定していたもので、ヒヴァのホテルであればこのような手違いは無かったと思う。今後このような事は無いように注意するとのことでした。
今回の添乗員は阪急交通社の正社員だったので、帰国後に会社には詳しく報告するとのこと。
それとは別に私の方からも帰国時に記入を持められるアンケート用紙に部屋の状況を書いておきました。
ヘアドライヤー、湯沸かしポット、セーフティボックス無し。WIFIは無料だけれどロビーじゃないと通じません。これで4つ星ホテルなの?という印象でした。
ウズベキスタンはホテル事情が悪いと聞いていましたが、このホテルは期待外れでした。 -
浴室は想像したとおりシャワーでした。シャワーでもかまいませんが連泊時はバスタブがいいな。
シャワーカーテンの裾は汚れやカビの斑点がついていて不潔だった。 -
洗面台が無いので洗面は使いにくかった。このホテルはいい印象がしない。
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ホテルのレストランで夕食です。
マンタンスープ(具だくさんのスープ)。やさしい味の野菜スープです。
脂ぎった感じはなく美味しくてさっぱりしたスープでした。
一時不調だった胃腸もほぼ回復したので、今日の夕食は美味しく頂けました。料理は満足です。
体調が戻ったので、明日からは観光に全力投球しますよ。 -
メイン料理はウズベキスタン料理「キイマザラフシャン」。
クレープのような生地でひき肉の具を包んだ料理でマッシュポテトとご飯が添えてありました。
これも美味しい。ウズベキスタンでは今の所不味い料理に出会った事がありません。
デザートは何だったかな?写真が無いので覚えていない。たぶんアイスクリームかケーキでしょう。
これで旅行5日目の旅程は滞りなく終わりました。
明日に備えて早めに寝ます。お休みなさい。 -
おはようございます。旅行6日目、10月1日は朝から快晴で絶好の旅行日和。
今日はアムダリア川を越えて、カラカルパクスタン共和国にある古代ホラズム王国のカラ(都城跡)遺跡を観光しますよ。
遺跡好きの私としては今日の旅行は楽しみ。
ウズベキスタンで観光するモスク、宮殿、メドレセなどの建物はどの町で見てもほぼ同じであり、いささか飽きが来ていました。
そんななか今日観光するのは全く違う建物なので興味深々なのです。それとお腹の調子が戻ったのも元気な証。
今日は朝からバリバリ元気です。 -
ホテルの朝食は控えめにしました。
食べ過ぎてまたお腹を壊しては元も子もありませんからね。後はこれにオレンジジュースを飲んだだけでおしまい。
今日の出発は午前8時。連泊なので荷物の整理をしなくてもいいの嬉しい。早い時間の出発でも対応できます。 -
早朝のウルゲンチ市内の様子。
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黄色いタクシーが走っているよ。ウルゲンチでは朝の時間帯、この様な黄色いタクシーを沢山見かけました。
サマルカンドやブハラでは見かけなかったように記憶している。なので黄色いタクシーはウルゲンチだけなのかも知れない。
「地球の歩き方」にはウズべキスタンのタクシーは基本白タクだと書いてあった。
とするとウルゲンチのタクシーは民営のような気がする。
白タクはぼられるのでご用心。 -
この黄色い車もタクシーかな?屋根に表示板が取り付けられていないので自家用車かも。
それとも民営のタクシーに似せた白タクかな? -
ウルゲンチ市街を抜けてアムダリア川に架かる橋を渡ります。この橋は昨日ウルゲンチに入る手前で渡った橋です。
アムダリア川 滝・河川・湖
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同じくアルダリア川。川幅の大きな川でした。この川を渡るとカラカルパクスタン共和国です。
アムダリア川 滝・河川・湖
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アムダリア川を越えてカラカルパクスタン共和国に入りキジルカラ砂漠を進んで行くと左車窓に大きな湖が見えてきました。
アクチュアクリ湖です。この湖では塩が採れるそうです。 -
アクチュアクリ湖沿いの砂漠地帯を進みます。
キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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砂漠の奥に建物や施設が見えてきましたが、これは天然ガスの施設です。
キジルクム砂漠には沢山の天然ガスが埋蔵されており、今後の開発が期待されているそうです。キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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右車窓に連なった山が見えてきました。この連山とアムダリア川の間が古代ホラズム王国の支配地で、今でも多くのカラ(城塞や砦や都城跡)が残っている所。本日はその中の3つのカラを観光します。
キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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バスはユルタが並んでいる所へやって来ました。
ユルタのほかに建物が1棟ありましたが、この建物にトプラカクラ遺跡の管理人が常駐していました。
ガイドさんはここで見学料を支払い、我々はその間ここでトイレ休憩(ここには無料トイレがあります。)して再びバスに乗車しました。
ここから遺跡までは距離があるので、遺跡の前まではバスに乗車して行きました。 -
見えてきたのがトプラクカラ遺跡です。バスはあの遺跡の下まで我々を運んでくれました。
古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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トプラクカラ遺跡は紀元前1ないし2世紀から紀元5世紀に栄えた古代ホラズム王国の都城跡で最盛期は紀元2世紀だったそうです。
トプラクカラとは「土の宮殿」という意味、その名の通り建物は日干し煉瓦で造られていました。
都城にはゾロアスター教の寺院や宮殿、政庁や区画された住居や塔の跡が見られるそうですが、一番はっきり残っていたのは区画された住居跡でした。
ここでは像が23体と木簡が多数発掘されました。木簡から数字は解読されましたが文字はいまだ解読されていないそうです。
またここには3棟の塔があったそうですが、それらは侵攻してきたアラブ勢力との戦争中に崩れたとの事でした。古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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この部分は日干し煉瓦で作られた建物の跡です。基壇部分と外壁がはっきり残っています。
ここは政庁跡と考えられています。古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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都城の外壁です。外壁の下半分は色が違うため、修復されているようです。
古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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遺跡の北西の隅にある宮殿跡。宮殿と思しき壁などは無く全くイメージが湧きませんでした。
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トプラクカラ遺跡。
古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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区分けされた住居部分の壁の上を歩いて進みますが、表面がツルツルなので注意して歩かないと滑り落ちそうになります。
特に勾配がある斜面は要注意です。この遺跡の最も高い所からは遺跡が一望できますが、そこへは傾斜のある斜面を登らないといけません。
なにせ我々のグループは男性も女性も老人クラブのようなメンバーなので、ガイドさんは「足に自身の無い方は上には登らないで下さい。」と注意していました。 -
住民の住居区画の中にあった広い屋敷跡。住民の住居区画は押し並べて狭いのですが所々この様に広い区画もありました。
ここは富裕層か高級役人の邸宅と考えられています。古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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区画された住民の住居跡。
古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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遺跡の最も高い場所に向かう途中の斜面から写した遺跡の様子。
遺跡の入口から高所に向けてはゆるやかな傾斜になっていました。 -
正面がゾロアスター教の寺院、写真右の区分で中央が盛り上がった場所は塔があった跡です。
古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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正面こちらが塔の跡。あと2つ塔の跡があるはずですがそれなの場所は分かりませんでした。
写真中央から右横に延びているのは北側の城壁です。帰国後調べると残り2つの塔の内1つは都城を囲む城壁の北東の角に建っていたことが分かりました。
航空写真で見ると確かに北東の隅に建物が建っていたであろうと思われる跡が写っています。 -
高所から眺めた周囲の様子。北に連なる山の景色は美しかったです。
キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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高所から見下ろしたカラの様子。次のグループが見学にやってきました。
観光客が歩いている所を我々も歩いて来たんです。古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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遺跡の南側。南の先に横一列になってこんもりした土塊が残っている所はかつて城壁があった場所で写真の方向に門があったとガイドから説明を受けました。
高所から眺めるとその様子がよく分かります。古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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城壁跡の土塊をアップで。
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トプラクカラ遺跡の航空写真(グーグル地図より)。
航空写真で見ると城壁や都城の形状が良く分かります。都城の北西の端が現在目にすることができるトプラクカラ遺跡です。
航空写真で見ると、都城の高所から見た南側の城壁の遺構よりもさらに南に城壁があることが分かりました。
ある文献にはトプラクカラ遺跡は三重の城壁に囲まれていたとの記述がありました。航空写真とこの記述で、現地でガイドさんから説明を受けた城壁は内城の城壁だという事が分かりました。
実際の都城は我々が目にしたよりもはるかに広いものだったのです。この遺跡はホラズム王国の首都だった時期もあるそうですが、航空写真によって実感が湧きました。 -
北西の隅にある王宮の跡。今は単に大きな土塊にしか見えません。写真には高所から写真を撮っている我々の姿が影として映り込んでいました。
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遺跡のほぼ全景。遺跡の高所より写す。
古代ホラズム王国の都 by ポポポさんトプラク カラ遺跡 史跡・遺跡
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帰りは次のグループと高所の上り口でかち合うのを避けるため北西隅の王宮側から下に降りました。
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トプラクカラ遺跡のうち今回観光した部分の航空写真のアップです。
写真北西の隅が王宮。写真で見ると王宮の敷地がはっきり分かりますね。北の右側の四角い部分がゾロアスター寺院跡。中央の細かな網目状の部分が住民の住居地。その内の右上の広い逆凸地が政庁跡、その右斜め下の丸いところが塔の跡。
一番南の部分が遺跡で最も高い場所。ガイドさんからは説明がありませんでしたが、ここには見張り塔のような物があったのかもしれません。
航空写真はいずれもグーグルマップから借用しました。 -
この砂漠で沢山目にした植物がこれ、ラクダ草です。とげがある植物でラクダしか食べないそうです。
この他にもラクダが食べる草があるそうで、それらは一括してラクダ草類と呼ばれているそうです。 -
再びユルタのある場所に戻ってきました。
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敷地の隣にあったナンを焼く釜です。
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遺跡の管理人小屋を見せてもらいましたが、狭くて質素な小屋でした。
生活の中心はユルタなので小屋はこの程度でいいのかも知れませんね。 -
トプラクカラ遺跡から西にバスで15分くらい進んだ所にあるのがキジルカラ遺跡。
この遺跡は紀元前4世紀~紀元前3世紀ごろに建てられたホラズム王国の防御用の砦跡です。
65mⅩ63mのほぼ正方形の日干し煉瓦の建物ですが、建物の痛みが酷いため外壁は一部修復されていました、
ただ修復の手が入りすぎ。これじゃ別の建物みたいでガックリでした。 -
砦の東側の様子。このカラにはバスが進入できないため一旦道路でバスを下車。
灌漑用のクリークにそってひたすら歩きました。
現在朝の10時半、今朝も寒かったので皆さん冬用のダウンや外套を着ていましたが歩くとポカポカしてきて丁度良い状態。気温も上がってきたのでハイキング気分でした。
これ真夏に来ていたら暑くて地獄でしょうね。ここは砂漠のど真ん中で遮るものは何も無く、休む木陰もない所なんですよ。
熱中症になりそうだ・・・。だからかな。夏のツアーではここには来ないんです。
真夏にここに来たら死人が出そう。ここは春と秋が観光のベストシーズンですから。 -
砦にたどり着く道沿いにはこんな立派な灌漑用のクリークがありました。またこのクリークを横断するように太いパイプの送水管がありました。
何故送水管と分かるのかって?そりゃ貴方、管から水が吹き出していたんですもの。子供だって分かりますよ。
クリークも送水管もソ連時代に灌漑用として敷設したんでしょうね。アルダリア川の水を引いているんだろうか。
この周囲は水を引いているから結構畑が多いんです。道を歩いている時は分からなかったけれど、砦に上がって周囲の景色を見た時に分かりました。 -
クリークの水も空の色を写し込んで青いのです。
暑くもなく、風もそよいでいい感じ。砂漠もこんなだったら苦にならないかな。
いい天気でした。旅行に来ているのに何故かピクニック気分。この日は見る物が皆美しかった。
お腹の調子が戻るとこうも気分が変わるものでしょうか。やはり健康っていいな。 -
砦の南側が見えて来ました。砦までは後少し。
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砦に到着しました。この坂を上って砦の中に入ります。
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下が修復された城壁、上が創建当時のオリジナルの城壁。
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砦は城壁で囲まれ,城壁の方々には矢間があったそうですが、城壁の上部は風化し無くなっていました。
残っているのはこのような明りの窓部分。ここから眺める景色が素敵だった。 -
トプラクカラ遺跡から眺められた山の風景がここからも見えました。
キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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クリークの奥に見えるのは畑地です。灌漑用水のおかげで不毛の砂漠も畑地に生まれ変わったんですね。
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砦の中には日干し煉瓦の塊がいくつか風化したまま残っていました。
これは砦の中の部屋の壁だったんだろうか? -
砦の内部と周囲の城壁の様子。
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中はかなり広いのです。隅々まで見ようとすると時間が足りません。
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この砦には脱出用の抜け穴が造ったあったんだとか。
抜け穴ってこの事かな。砦の中で低い場所はここだけだけど。ちょっと下に降りて見てみよう。 -
下はこんな感じ。穴らしい場所はここなんだけど、どこにも通じていないし穴もない。
もしかして塞がったのかな。分からないから深くは追求しない。 -
隣もこんな感じで空き缶が落ちているだけ。抜け穴無し。
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北側の城壁には矢間のような穴が沢山開いている。この壁紀元前4世紀から紀元前3世紀の物だよね。うわー!今から2000数百年も前の壁?感激ぃーっ。
壁を手ですりすりして、駆け抜けた時間を壁と伴に共有しました。というか共有したつもり。
遺跡マニアには垂涎の的の遺跡ですわ。 -
城壁の窓から見た風景。
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城壁の窓と思われる場所と外の景色。
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またまた出ました紀元前のオリジナル城壁。こちらは西側で高さが揃っている。
こちら側は風があまり当たらないのか風化がさほど進んでいませんでした。 -
西側の全体の城壁はこんな様子です。他の方向の城壁に比べると比較的良く残っていました。
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こちらが西側の城壁。下の方から眺めると逆に分かり難かったです。
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砦の航空写真。砦の形状はこの写真の方が分かり易い。(グーグルマップより引用)
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これでキジルカラ遺跡の観光は終了です。最後に南東側から砦の写真を撮り、別れを告げました。
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次はアヤズカラ遺跡の観光。
アヤズカラ遺跡に向かうバスの車中から先ほど訪れたトプラクカラ遺跡がみえました。
バスの中から写したトプラクカラ遺跡の写真です。 -
遺跡を西側面から見た状態です。
写真左端の小高い部分が王宮跡で、右の出っ張った小高い場所は遺跡で一番高い所です。遺跡全体の写真はここから写しましたが、西側から見ると宮殿とほぼ同じ高さなんですね。
写真を撮っている時は右の方が断然高い場所だと思ったんですが・・・。 -
遺跡の西側から南側に回り込んでいる所です。この方向からだと右の方が高く見えますね。
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トプラクカラ遺跡を過ぎ、丘に向かってバスが走って行くと丘の上に黒い塊が見えて来ました。
これがアヤズカラ遺跡、バスが近づく程に遺跡の姿がはっきりしてきました。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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kenntikunenndaiya丘の上に到着。駐車場からは正面にアズヤカラ遺跡の北壁面が見えました。
当然この遺跡も歩いて観光に行くものだと思っていましたが、ガイドさんから「この遺跡は中に入りません。ここから外観だけ見て下さい。坂道が急で滑ると危ないので行きません。これからユルタの中で食事をします。」と説明がありガックリ。
楽しみにしていたのに行けないなんて残念で仕方ありませんでしたが、老人クラブのようなツアーでしたからやむを得ない面もありました。
単独行動する訳にもいかず涙を呑んで団体行動に徹しました。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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行けないけど写真は撮っておこう。アヤズカラ遺跡をアップにしました。
写真の坂道の登攀が危険な場所のようですね。
ここで簡単にアヤズカラ遺跡に触れておきましょう。
アヤズカラ遺跡は古代ホラズム時代に建てられた3つのカラに間違いはないのですが、建物の建設年代や建物の種類や用途などの記述がそれぞれ違います。ガイドブック「地球の歩き方」では年代の他に建てられた標高が大幅に違う2つのカラに橋が架け渡されていたなど空想物語のような記述さえ見られるのです。
正直どの記述が正しいのか分かりません。
そのため現地公認ガイドの説明が正しいとしてこの旅行記では記述していきます。
間違った箇所があればご指摘お願いいたします。
アヤズカラ遺跡は紀元前4世紀から紀元4世紀の間に建てられた3つの都城から構成されていますが、現存するのは2つ都城です。ガイドさんは3つの宮殿と表現していましたが、城塞や砦と表現する方が正しいでしょう。
一つは目の前に見えている山上の城塞。もう一つはここよりかなり下った所の小山の山上にある城塞。そして低い小山の城塞の山裾に古代の町の遺跡(カラ)があります。
山裾のカラは車窓からは見えにくいですが、航空写真ではその存在がはっきり分かります。
ガイドさんの説明に戻しますと、山上の宮殿(カラのこと)は未完成で、未完成のまま住民が逃げてしまったそうです。そのため最も古い高地の宮殿(カラ)では居住の痕跡が無く、居住していたという遺物は発見されなかったそうです。
但しこのカラが2000年以上も前に建てられたということははっきりしているそうです。
低い小山のカラや山裾の町については説明がありませんでした。たぶん観光予定に入っていなかったからでしょう。それと小山のカラは坂道を登るときには気付きませんでしたし、ユルタがある駐車場からは見えませんでした。
さて、アヤズカラのアヤズとは人名に由来しています。伝説では古代ホラズムの王には相続人がいなかったため、誰を相続人にするか日夜王は苦慮していたそうです。
そこで王はあることを思いつきました。「私がある者を指名したとしても周囲の者は納得いかず、禍根を残すだろう。いや私が亡き後は争いが起こるかもしれん。誰もが納得するような方法で相続人を決めよう。」と王は飼っていた鷲を飛ばし、鷲が止まった物を相続人することにしました。
王が鷲を放つと、鷲はアヤズと言う名の放牧を営む男の頭に止まりました。
王は宣言通りこの男を相続人に指名しようとしましたが、周囲の重臣たちや王族らは承知しません。「王よ、我々はこんな下賤な者を次の王として到底認められません。」と猛反対。
王は仕方なく再び鷲を飛び立たせると又もやアヤズの頭にとまりました。再び周囲の者が反対するので王は三度鷲を放ちました。鷲はまともやアヤズの頭に止まったのです。偶然も三度同じことが続くと必然になります。
「三度も同じ男を選んだという事は神の思し召しに違いない。この男を相続人に指名し次代の王とする。」王はこう宣言し、建築中の城塞にアヤズと言う名を付けました。流石に目の前で奇跡のような光景も見せられた重臣たちや王族らは王の命令に従ったという事です。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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アヤズカラ遺跡の向かいには広い広場があって多数のユルタがありました。ここはユルタキャンプ、12個のユルタが2列に配置されていました。
今日の昼食はこのユルタで頂きます。なおここのユルタでは宿泊もできるそうです。外にはしっかりした作りの無料の共同トイレ(確か洋式トイレだったと記憶しています。)がありました。 -
ユルタは一列並びで2か所に設置されていました。
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アヤズカラ遺跡の航空写真。こちらの方が位置関係が分かり易いと思います。
アヤズカラと記入されている所はユルタキャンプの場所です。
アヤズカラ要塞と記入されているのはユルタキャンプの向かい側にあるアヤズカラ遺跡。アヤズカラ要塞2は小山の山上に築かれている城塞です。
航空写真ではユルタのある高台からアヤズカラ要塞2は目視できそうに思えますが、実際は見れませんでした。 -
食事の前にアヤズカラ遺跡の写真を撮っておきましょう。
JICA青年海外協力隊の観光情報によるとアヤズカラ遺跡1(高い山上のカラをアヤズカラ遺跡1、低い山上のカラをアヤズカラ遺跡2として以後区別します。)は1世紀まで使用された城塞で、紀元1世紀には単に見張り台としてしか機能していなかったと記述されています。
この遺跡を訪れた方の旅行記を読むと、アヤズカラ遺跡1は周囲を日干し煉瓦の壁てで囲まれた建物で中には何も無くだだっ広い所だと書かれていました。
この遺跡は砦として造られたものの、紀元前1世紀から5世紀の古代ホラズム王国時代はトプラクカラ遺跡に都がおかれ政権が安定していたため、アヤズカラ遺跡1には防御の兵士を駐屯させる必要がなかったのでしょう。
そのため居住の痕跡が無いのかもしれません。また住民が逃げたのも実際はアヤズカラ遺跡1から兵士が引き下げたことがそう表現されたのかもしれません。
但し遺跡1が未完成だという事や居住の痕跡が全くないという事はJICAの観光情報と矛盾します。
砦であれば兵士が駐屯するため煮炊きの跡や宿舎など建物の痕跡があるはずですが、ガイドさんの説明では居住の痕跡は無かったという事でした。
どちらが正しいか分かりませんが、謎多き遺跡だという事でしょう。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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アヤズカラ遺跡1をアップにしました。写真左隅の2人と比較すると規模の大きな砦であることが想像できると思います。
3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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こちらは砦の北西側。北側の城壁は2か所で大きく崩れていることが遠目からも分かります。
3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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さらにアップ。壊れた部分が砦の入口になっており、進入路が砂漠の方から続いていました。
3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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ユルタキャンプのトイレ。左が男性用で右が女性用、砂漠の中のトイレとしては上等でした。
女性の方は行列待ち。それにしても皆日本人の女性みたい。阪急のツアーの2号車と3号車が続けて到着したのかな。
ユルタキャンプには欧米のツアーのお客さんも大勢詰めかけていたけど今は日本人で大賑わいのようだね。 -
ユルタ(遊牧民の移動式テント)です。
このうちの1つのユルタで昼食を取りました。ユルタって外観は小さく見えますが中は結構広いんです。
中に入った瞬間は薄暗い、でも直ぐに目が慣れました。 -
ユルタの内部、天井です。
写真に写っているのがユルタ内部の骨組み。 -
ユルタの側面はカラフルな布で囲まれているので、中は華やかです。
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屋根の骨組みと側面の骨組み。
冬場は内部に厚い布が張り巡らされるのでしょうが、夏場は骨組みがむき出しでした。 -
テーブルクロスが鮮やか。目が覚めるような色合いが華やかでしたよ。
前菜は果物、野菜の盛り合わせ。
ブドウが美味しいのは良く分かっているので喉から手が出るほど食べたかったけど我慢しました。
折角お腹の調子が戻ったのに、また緩くなるのが御免ですから。 -
野菜と果物のほかに定番の豆菓子と干しぶどう、クッキーがありました。
これらは食べても大丈夫。勿論味は美味しいです。 -
飲み物は無料サービス。通常はチャイ(お茶)とミネラルウォーターが出されますがユルタではチャイと度数35度と45度のウオッカが無料サービスの飲み物でした。
ウオッカは強い酒との印象が強く男性でも好んで飲む人は少なかったのですが、30代の女性の方がウオッカにハマってしまいました。
お母様とお二人で参加された女性ですがウオッカは初体験。口当たりが良くて飲みやすいと、すっかりウオッカに魅了されたようでした。
飲み過ぎるとあとで足に来るからと注意を受けて少量ずつ飲まれていましたが、その方の嗜好に合ったんでしょう追加でウオッカを注文されていました。
帰国時にはウオッカを3本買って帰られましたのでよほど気に入られたんだと思います。
お酒には強い体質なんでしょう。ウオッカを飲まれてもしっかりされていました。 -
マトンと野菜のスープ。これも美味しかったです。
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食事の後は小休憩。アヤズカラ遺跡まで歩いて往復できるような自由時間ではないので遺跡は遠くから眺めるだけでしたが、本音は遺跡に行きたかったですね。
さて、こちらの方向にはアヤズカラ遺跡2のカラがあるんですが、ご覧のように土塊があるため見えません。
写真では土塊の所まで近いように見えますが、道路を越えて遥か先まで歩かないと行けません。
右端には上がって来た道路が見えています。キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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こちらはユルタキャンプから南西方向の景色。
一面砂漠の世界です。キャンプからは遥か遠くまで見渡せますが、一面荒涼とした砂漠の景色が広がっていました。
ここからの見晴らしは素晴らしいですよ。砂漠の景色も綺麗です。
夕方、落日の美しい景色が眼下に広がるでしょうね。ユルタに宿泊してそんな景色を見てみたいです。キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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こちらは西の景色。遥か遠くには山の稜線が見えます。
眼下に広がる景色は本当に素晴らしいものでした。キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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車窓から見たアヤズカラ遺跡1の北側の城壁。
カラカルパクスタン共和国のカラ遺跡の観光はこれで終わり、バスは一路ヒヴァを目指して再びキジルクム砂漠を横断します。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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アヤズカラ遺跡1の西側の城壁が見えてきました。
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西側の城壁をアップしてみました。写真は城壁の一部分です。ピンボケですみません。
3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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西側城壁部分の全景。西側の城壁は崩れずに残っていたのでこちら側の保存状況は良さそうです。
3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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アヤズカラ遺跡1の下にアヤズカラ遺跡2の城塞が見えてきました。
ガイドさんはこれも宮殿と表現していましたが、1と同じく砦もしくは城塞として建てられたようです。
アヤズカラ遺跡2はガイドさんから詳しい説明がありませんでしたが、JICAの観光情報によると城塞として7世紀後半から8世紀前半にかけて造られたと記述されています。
但しこの観光情報は建築年に疑義があります。古代ホラズム王国時代は紀元前4世紀から紀元5世紀頃までを言い、この時代に建てられた都城跡をカラと呼んでいます。ガイドさんの説明ではアヤズカラ遺跡1及び2は紀元前4世紀から紀元4世紀に造られたと説明がありました。
都が置かれたトプラカクラ遺跡が繁栄していたのが紀元前1世紀から紀元5世紀です。8世にはアラブ人の侵攻によりホラズム王国は滅亡しています。
なので7世紀後半から8世紀前半に建てられたというのは古代ホラズム時代の都城としては建築年が遅すぎると思います。
「地球の歩き方」にいたってはアヤズカラ遺跡1および2は6世紀から7世紀に建てられたと書かれており、全くの論外です。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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アヤズカラ遺跡2の南側城壁です。
3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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同じく南側城壁の写真。写真では見えませんが城塞の山裾左下にアヤズカラ遺跡3があります。
城塞としてではなく、古代の町の遺跡として残っています。その形状は航空写真ではっきり分かりました。
観光当日はそのような知識が無かったため、意識して写真を撮っていませんでした。
目に見える遺跡の跡に気付かなかったため見逃してしまいました。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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高い山の上に建てられたアヤズカラ遺跡1と小山の上に建てられたアヤズカラ遺跡2。
さらにアヤズカラ遺跡から麓に下る坂道の先にあるのが平地に築かれた都城跡アヤズカラ遺跡3です。
確かに坂道を下った先には建物の基壇と思える物や右側には宮殿があったであろう小高い大きな土塊があります。
JICAの観光情報によると紀元4世紀に建てられて宮殿やゾロアスター教の寺院がありましたが2度の火災で破壊され、その後6~7世紀に住居として再び使われたと書かれていました。
写真を写した丁度この場所が、偶然にも3つの遺跡を写真に収めることができるベストポイントだったのです。
但しバスの右車窓の光が映り込んでいたのは何とも残念なことでした。3つの都城跡から構成される遺跡 by ポポポさんアヤズ カラ遺跡 史跡・遺跡
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バスが移動して写真を写すポイントが移動すると、アズヤカラ遺跡3の建物の基壇部分は低木の陰に隠れて見えなくなっていました。
しかしこの角度からは宮殿と思える場所には階段らしきものが見えました。
さて、ここから見るとアヤズカラ遺跡1と遺跡2の高低差はかなりあることが分かります。さらに両遺跡の距離もかなり離れています。
このような状況下ガイドブック「地球の歩き方」には「かつては都城跡の2つの小山が橋でつながれていた」と記述されています。
そのため多くの方の旅行記には、かつて2つの山の間には橋が架け渡されていたと記述されています。驚きました。この景色を見て疑問は湧かなかったのでしょうか。
特派員はこの景色を見て橋が架け渡されていたとでも思ったんでしょうか。そんな言い伝えがあってそれをそのまま本社に記事として送ったのでしょうか?
ガイドさんの説明でも、JICAの観光情報でも、その他の文献でも一切そのような事は書かれていませんでした。実際この景色を見て紀元6、7世紀頃に(地球の歩き方では2つの都城は6,7世紀に建てられたとあります)橋が架け渡されていたと思ったのでしょうか。残念ながら不可能です。
この2つの山に橋を架け渡すには長大な橋脚がいくつも必要です。まずそのような橋脚を建てる技術があったのでしょうか。また当時の砂漠に橋脚が建てられたか疑問です。
では吊橋はどうでしょうか。2つのカラの距離が離れすぎているので不可能だと思います。
ガイドブックは皆が参考にします。そのような書籍なので不確実な記事は載せないようにしてほしいと思います。 -
アヤズカラ遺跡1および2、そしてアヤズカラ遺跡3の航空写真です。
城塞の形状がこれではっきりわかります。特にアヤズカラ遺跡3の存在がこれで分かりました。
なお航空写真はグーグル地図から借用しました。 -
小高い山上から平地に下り、今からヒヴァに向かいます。
ヒヴァ観光はまだ途中だったので、旅程では残りを本日観光することになっていました。
以上でカラカルパクスタン共和国にあるカラ遺跡の観光は終了です。
ご覧いただき有難うぎざいました。キジルクム砂漠 砂漠・荒野
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