2017/09/26 - 2017/10/03
100位(同エリア360件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
ブハラからヒヴァまで約450㎞、このツアーで最も長時間のバス移動です。この区間を結ぶ鉄道線路は現在敷設中のため移動手段は長距離バスしかありません。
一日の大半が砂漠を横断するバスの旅となり、夕方ヒヴァに到着してイチャン・カラを約2時間観光しました。
当初の旅程ではイチャン・カラ南門の側にあるホテル、アジア・ヒヴァが宿泊先でした。このホテルなら夜のライトアップも見れると楽しみにしていましたが、ある事情により急遽ウルゲンチのホテルに変更されました。
<旅程>
9月26日 福岡ーサマルカンド(泊)
9月27日 サマルカンド観光 (泊)
9月28日 サマルカンドーシャフリサーブスーブハラ(泊)
9月29日 ブハラ観光 (泊)
9月30日 ブハラーヒヴァーウルゲンチ(泊)
10月1日 ウルゲンチーキジルカラ遺跡ートプラカクラ遺跡ーアヤズカラ遺跡ーヒヴァ観光ーウルゲンチ(泊)
10月2日 ウルゲンチータシケント観光ー(機中泊)
10月3日 -福岡着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
9月30日、旅行5日目です。
この日も朝は寒い。日本の12月の頃の気温でした。冬用の外套が無いと寒さが身に沁みます。
ブハラのホテルを朝7時半に出発。キジルクム砂漠の中を450㎞バスで移動してヒヴァに向かいました。
今回のツアーでは最も長距離の移動です。ブハラとヒヴァの間は鉄道路線が無い為長距離バスによる移動しかありません。
途中村も少ないためこの間のトイレは青空トイレになるかもしれないと事前に添乗員さんから連絡がありました。
実際4月に催行された旅行では青空トイレになったそうです。
男女別の方向にそれぞれ分かれ、女性は傘を広げて見えないようにして用を足すのだそうです。
しかし、我々のツアーではガイドさんの計らいでガソリンスタンドや、道路沿いのレストランのトイレを借りることができたので青空トイレになることはありませんでした。
ブハラはオアシス都市なので街の周囲には写真のようなため池がありましたが、砂漠に入ると景色が一転、荒涼とした砂漠が延々と続きました。 -
キジルクム砂漠と言っても私たちがイメージするような砂の砂漠では無く、ゴロ土の不毛の土地です。
キジルクムとは「赤い砂」と言う意味で、不毛の土地とは言え環境に適したラクダ草という仲間の植物が繁茂していました。広大な砂漠 by ポポポさんキジルクム砂漠 砂漠・荒野
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さらに進むと繫茂する植物が少なくなりました。
広大な砂漠 by ポポポさんキジルクム砂漠 砂漠・荒野
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砂漠の中を横断して真っ直ぐに道路が伸びていましたが、ある場所から鉄道線路が道路に並行して伸びている場所や、交差している箇所が見られました。
この鉄道はブハラとヒヴァを結ぶ路線で、現在敷設工事中とのことでした。広大な砂漠 by ポポポさんキジルクム砂漠 砂漠・荒野
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ホテルから2時間過ぎた所でトイレ休憩です。
このバスは我々が乗車した1号車。 -
こちらがトイレ。砂漠の中のトイレとしてはまずまずのトイレでした。
これはガソリンスタンドのトイレ。中央の赤いバケツに手を洗う水が入っていました。 -
再び砂漠の中をバスは進みます。
広大な砂漠 by ポポポさんキジルクム砂漠 砂漠・荒野
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昼前に緑の木立ちに囲まれたレストランに到着。ここで昼食です。
砂漠の中に緑の木々に囲まれた場所が突然現れたので驚きましたが、たぶんオアシスのようにここには水が湧いているんでしょう。 -
広いレストランで道路沿いのテラス席のほかに、建物の中や緑に囲まれた中庭の中にも座席がありました。
来店客は我々日本人だけでなく欧米人のグループも数組来ていました。 -
前菜はスープと野菜サラダ。それにミネラルウォーターとお茶が無料で提供されました。
ここでのメイン料理はシャシリク(肉の串焼き)ですが中々出てきません。
たぶん今急いで焼いているんでしょう。 -
前菜はスープと野菜サラダ。大分お腹の調子が良くなったのでスープは頂ましたが、野菜は食べませんでした。
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料理が出てこないのでその間にトイレに行こうと外に出ると、白い建物方から香ばしい焼肉の匂いがしてきました。
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建物の中を覗いて見ると今まさにシャシリクを焼く真っ最中。
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おおー、焼けてる焼けてる。
肉は羊の肉で、ぶつ切りにした肉に鉄の串を指して焼いていました。
ぶつ切り肉は結構な大きさでした。 -
こちらの肉は焼き始めたばかりらしい。
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肉の焦げる匂いと煙が食欲を刺激する。美味しそう・・・。
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シャシリクのとナンの見学を終えて席に戻ると、すでにシャシリクが配膳されていました。
すでに冷えていたので肉が堅い。私の歯ではかみ切れそうもないので食べるのは諦めました。先に食した人の話では温かい時の肉は柔らかく美味しかったそうです。
シャシリクは温かいうちに召し上がれ。
その代わり焼き立てのナンをいただきましたが、このナンが殊の外美味しい。
ナンは焼き立てに限る。 -
こちらがナンの厨房。シャシリクの焼き場を見た後に見学しました。
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左の女性は小麦粉をこねているところです。
右の男性はこねた小麦粉をナンの形に整えています。男性の背後の白い壁がナンを焼く釜。 -
男性が釜にナンを入れている所。
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こねた小麦粉を切り分け、分量を計っている所。
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レストランのニャン。
地域が変わると顔立ちも毛並みも日本ネコとは違うらしい。
それにしてもシャイなネコ。声を掛けて呼んでもこちらを向いてくれない。
仕方なくカメラを向けたがご覧の様子。 -
何か気になる物でもいるのか同じ方向ばかり見ていました。
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再びバスに乗り2時間後にトイレ休憩。今度はレストランの敷地内のトイレを借用しました。右が男性、左が女性用でウズベキスタンでは清潔な部類に入るトイレでした。
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駐車場で体をほぐしていると道路の向かい側にある砂漠でラクダを2頭発見。
すごーい、こんな所でラクダに会えるなんてラッキー。野生のラクダかな?広大な砂漠 by ポポポさんキジルクム砂漠 砂漠・荒野
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なんて思っていたらラクダの右側にユルタがあった。
ユルタとは遊牧民の移動式住居のこと。モンゴル族のゲルと同じで中国や日本ではパオとも呼ばれています。
たぶんこのユルタの持ち主のラクダでしょう。 -
再びバスに乗車し砂漠地帯を走っていると大きな川に遭遇しました。
この川はアムダリア川。キジルクム砂漠を流れアラル海に注ぎ込む大河です。
アムダリア川は綿花栽培の灌漑用水としてソ連時代に大量に使用されたため、アラル海に注ぎ込む水量が激減しました。
そのためアムダリア川が注ぎ込んでいたアラル海の水量は往時の6%しかないそうです。さらに湖の水が蒸発して塩湖になってしまったため、魚が住めなくなりました。湖の残された部分も乾燥のためどんどん干上がり植物の植生も砂漠の植物に変わってしまったそうです。
現在もアムダリア川は綿花栽培用の灌漑用水やトルクメニスタンの首都アシガバードの用水として取水されているため、大アラル海には注ぎ込んでいません。アムダリア川 滝・河川・湖
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そういう訳でアラル海は毎年干上がっています。
ソ連時代の無謀な計画による大きな自然破壊ですが、再生への取り組みは周辺諸国の利害が絡み合い遅々として進んでいません。アムダリア川 滝・河川・湖
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アムダリア川にかかる橋を通り過ぎるとウルゲンチに着きました。
ウルゲンチはホラズム州の州都ですが観光地ではありません。建物もソ連時代の建物が多く新しい街としての印象が強かったです。
この町は今宵の宿泊先ですが、観光するところが全くないため本当に寝るだけになりそうです。 -
ウルゲンチの町並み。
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ウルゲンチの町並み。
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ウルゲンチの町並み。
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ウルゲンチの町並み。
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ウルゲンチの町並み。
ウルゲンチの左にある町が世界遺産のヒヴァです。ウルゲンチには飛行場があるのでヒヴァ観光の玄関口になっています。 -
アイヴァンウルゲンチを抜けて約30分ほどでヒヴァに到着しました。
ヒヴァのイチャン・カラ、オタ・ダルヴァザ門(西門)の前でバスを降た所です。
さて、ヒヴァについて簡単に紹介しておきましょう。
ヒヴァがあるウズベキスタンの西を流れるアムダリア川の流域は、昔から「ホレズム(太陽の国)」と呼ばれ多くの国が栄えてきました。高校時代に習った世界史ではホラズム帝国として記憶しています。
ティムール帝国が衰退した16世紀、ホラズム地方にはウズベク属の国が台頭。当初は近くのクフナ・ウルゲンチ(現在のトルクメニスタン)が首都でしたがアムダリア川の流れが変わったことから1592年に首都がヒヴァに移されました。
以後、ヒヴァハン国の首都として繁栄を続けましたが、19世紀末からロシアの介入を受けついに1920年ロシアの支配下に組み込まれました。
ヒヴァの町は二重の城壁で囲まれていて外側の城壁をデイシャン・カラ、内側の城壁で囲まれた内城をイチャン・カラと呼んでいます。
デイシャン・カラはほとんど破壊されてしまいましたがイチャン・カラの中は宮殿・モスク・メドレセ・ミナレットや街並みがそのまま残っています。
内城が無傷で残っているのは中央アジアではここだけなので、イチャン・カラは博物館都市としユネスコの世界文化遺産に登録されています。
内城の建物は10回破壊され10回再建されました。そのため現在残っている建物は17世紀から20世紀にかけて建てられたもので、1棟のみが14世紀の建物だそうです。モスクは18世紀に建てられたものなので価値はないとガイドさんは言っていました。
城壁の長さは2250m、高さは8~10m、厚さは6mでイチャン・カラには現在3000人が居住しています。
欧米人には中世の風情をそのまま現代に残しているヒヴァが最も人気が高いそうで、旅行会社としてはここのホテルを抑えるのが至難の業なんだそうです。
なお、この日の撮影料は2ドルでした。チケット売り場がある入場口 by ポポポさんオタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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当初の旅程では南門の向かい側にあるアジア・ヒヴァが当初の宿泊先だったので、ライトアップも見られるし朝夕の散歩に最適の場所だと喜んでいましたが、出発間際に突然ウルゲンチのホテルに変更になりました。
当社現地のツアー会社を通じて8か月も前にホテルを抑えていたそうですが、ツアー催行前になって一方的に現地ツアー会社からウルゲンチのホテルに変更されたそうです。
旅行会社は契約違反だと現地のツアー会社に当初の契約通りの履行を迫ったそうですが、政府高官との会議が組まれてその宿泊場所として指定されたとのこと。政府の命令には従わざるをえなかったとして全く変更に応じてもらえなかったそうです。
何処の国でも政治の力には敵わないということでしょうか。チケット売り場がある入場口 by ポポポさんオタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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オタ・ダルヴァザ門の入口に掲げてあったユネスコ世界遺産のプレート。
観光はこの門を潜って町に入ります。
なお、入り口にチケットセンターがあります。チケット売り場がある入場口 by ポポポさんオタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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西門から東門に通じるメインストリート。
通りの右に見えるのは未完成のミナレット、カルタミナルとムハンマド・アミン・ハン・メドレセです。鮮やかな青タイルで装飾された塔 by ポポポさんカルタ ミナル 建造物
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通り沿いの壁にはタイルで作られたイチャン・カラの地図がありました。
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イチャン・カラの地図。
観光客に分かり易いように入場した西門を下にして作られていました。この地図の方が観光客には建物の位置が分かり易いです。城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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通りの両側には土産物店が軒を連ねていました。
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ヒヴァで有名なのがこのような帽子店です。西門を入るとこのような店がいくつもあるので、本気で買う気があればかなり値切れます。また、添乗員さんの話では帽子はヒヴァが一番安いそうです。
ちなみにミンクの帽子はここでは60ドル。ミンクの帽子なんてモスクワで買うと30万円もしますよ。
ミンクにしては安すぎると思い触ってみました。手触りは滑らかで柔らかくミンクのような感じがします。でも私は正直見分けがつきません。毛皮であることは間違いないので耳当てがあるウシャンカタイプの帽子があれば買ってもいいかなと思っていました。
そうしたところ同じツアーの男性が帽子の値段交渉をはじめ、結局60ドルのミンクのウシャンカを25ドルで購入しました。
店主が同じ値段で売るのでいい帽子があれば探せと言います。私もウシャンカがいいのですが、サイズが合うウシャンカがありませんでした。
耳当てがないタイプの帽子は沢山あるのですが、買うならやはりウシャンカの方ががいいです。
そのため購入はしませんでしたが、この店が一番安くしてくれました。
カルタミナルの入口の向かい側に店を構えている店で、店主は小太りの中年の男性でした。
よかったら立ち寄ってみて下さい。 -
通りにはこのようにびっしり土産物店が店を構えていました。
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通りで出会った女の子。お婆さんと一緒だったので写真を取らせてもらいました。
笑顔の素敵な子でしたが、カメラを向けると緊張したのか顔が引きつってしまいました。
私が怖そうなオジサンに見えたかな?怖そうなオジサンでゴメンネ。 -
一旦トイレに行くためイチャン・カラに入ったものの再び西門から街の外に出ました。トイレに行かない人は外で待っていたため西門前で再び集合。
そして全員揃ったところで城壁の外から観光開始。チケット売り場がある入場口 by ポポポさんオタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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城壁越しに見たカルタ・ミナルとムハンマド・アミン・ハン・メドレセ。
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ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ。
城壁の外にラクダがいた。このラクダは観光用かな。ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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城壁の側にあるアン・ホラミー(アル・ホレズミ)の像。
ホラズム帝国時代のヒヴァ出身の科学者・数学者でホラズムのムハンマドと呼ばれ尊敬された人物です。 -
城壁に掲げられたシルクロードの地図です。
この図を見て何か違和感を感じませんか?地図をよく見ると天山南路が記入されていません。それにシルクロードの東の起点並びに終点が北京と上海?「ええー、ちょっと違うんじゃないかな。」と思いました。
シルクロードというと日本や中国では唐時代のルートが一般的。天山北路や天山南路(北道と南道)を通じて東西の物流が行われたのですがこの時代には北京や上海は登場していません。
北京という名称が中国の歴史に登場するのは明代永楽帝の時代。この皇帝が元朝の首都だった大都を北京と改称して初めて歴史に登場するんです。
一方上海は元々村として存在していましたが港町として発展し始めたのは元朝になってからです。
つまりこのシルクロードマップは明時代のルートが描かれていると解釈できますが、明時代は陸上ルートは衰退し海のシルクロードが全盛期を迎えた時期なのでこの地図は違うんじゃないかなと思いました。
陸上ルートの全盛期は唐時代であり、シルクロードの東の起点は都長安(現在の西安)だと思っています。
また地図には日本の大阪が記述されているがルートとしては結ばれていません。
日本の大阪は唐時代東西交易の東の一部と考えられているため地図に記載されているのでしょうが、明時代のシルクロードとは符号しません。唐時代、摂津国住吉津は「シルクロード日本の玄関口」であり奈良の平城京はシルクロードの東の終着点でした。そういう意味からも唐時代の地図にするべきじゃないのかな。
なおガイドさんからは「シルクロード終着点は日本だと学校で習った。」と話がありました。
現在も当時の東西交流の証を正倉院御物の中に見ることができる。
ササン朝ペルシア時代の「瑠璃の杯」や「白瑠璃椀」、水瓶の「漆胡瓶」はいずれもシルクロードを経由してもたらされた物です。
さらにはインドから伝えられた世界最古の五弦琵琶が正倉院のみに残されています。1980年NHKが特集した番組「シルクロード」で敦煌莫高窟の飛天が奏でている楽器の琵琶が紹介されました。
その絵に描かれた琵琶はすでに廃れてしまい今はこの飛天の絵でしか見ることができないが、描かれた琵琶と全く同じ琵琶が残っているのが奈良の正倉院御物だと放映されたことを今でも覚えています。
シルクロードを通って遥か東の国日本に届き、天皇の御物として保管されたため幸運にも残された貴重な楽器だと紹介されました。
それが三弦なのか四弦なのか五弦琵琶なのか忘れてしまいましたが、正倉院に行けば見れるんだと感動したのを今もはっきり覚えています。
その時は学生だったのでいつかは見てみたいと思い、社会人になり関西に転勤になったのを機会に毎年開催される正倉院展に足を運びました。
五弦琵琶や四弦琵琶の一部は目にしましたが、どれが敦煌莫高窟の飛天に描かれた琵琶なのかはっきり記憶にありません。寄る年波で残念ですがこれも仕方がないようです。 -
再び西門から入場し最初に観光したのがカルタ・ミナル。ヒヴァで唯一色タイルが貼ってあるミナレットです。
1852に工事に着工されたものの26mの高さで工事が中断された未完成の塔です。
工事が中断された理由は様々取り沙汰されていますが、ムハンマド・アミン・ハンが戦で戦死したため中断されたというのが理由のようです。
完成していたら80mの高さになっただろうと言われています。鮮やかな青タイルで装飾された塔 by ポポポさんカルタ ミナル 建造物
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カルタ・ミナルのカルタとは短いと言う意味。このミナレットはその姿がそのまま名前になったそうです。
鮮やかな青タイルで装飾された塔 by ポポポさんカルタ ミナル 建造物
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ムハンマド・アミン・ハン・メドレセです。
ムハンマド・アミン・ハンによって1852年に建てられたメドレセで、中央アジアで最大規模のメドレセです。
最盛期には99人の寄宿学生がいたそうですが、現在は「オリエントスター」というホテルになっています。
ホテルのため内部観光はできないと記述されたクチコミや旅行記が多かったのですが内部の中庭は観光できました。ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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メドレセのファザード。ブルータイルが美しい。
ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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メドレセの2階建ての各部屋はブルータイルで装飾されていました。
ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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メドレセの中庭です。
中庭には正方形のレンガ造りの舞台のような段がありましたが何のために造られたのかは不明。たぶん、舞踊ショーなどの舞台として使用されるのではないかと思われますが元からあったものなのか、それともホテルが新たに設置したのかは定かではありません。中庭の周囲には庭木が植えられ木陰ができていました。ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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夕方なので日が陰ってきました。
ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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中庭を取り巻く2階建ての建物には125の部屋があるそうですが、これらがホテルの部屋ならかなり規模の大きなホテルといえます。
ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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メドレセの中庭。
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メドレセの入口付近変えあ眺めた西門の景色。
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西門とメインストリート。写真右の城壁はクフナ・アルク(古い宮殿)。
城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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ムハンマド・アミン・ハン・メドレセとカルタ・ミナル。
鮮やかな青タイルで装飾された塔 by ポポポさんカルタ ミナル 建造物
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メドレセとカルタ・ミナルには橋が架け渡されていました。
現在カルタ・ミナルは内部観光できません。ホテルの宿泊者のみが特別の見学できるのでしょうか。
ガイドさんに確認していないので不明です。 -
メドレセとカルタ・ミナルを結ぶ橋を遠目で見るとこんな按配でした。
鮮やかな青タイルで装飾された塔 by ポポポさんカルタ ミナル 建造物
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メドレセのファザード前へ。集合して再び観光開始。
ホテルですが中庭には入れます。 by ポポポさんムハンマド アミン ハン メドレセ 史跡・遺跡
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メインストリートから西門の方向を眺めた様子。
右の建物はクフナ・アルク(古い宮殿)、左の建物はムハンマド・アミン・ハン・メドレセ、中央の塔はカルタ・ミナル。 -
通りを歩くとまた帽子屋さんに遭遇。ウシャンカがあるがサイズが合うかな?
でも今は観光途中で列を離れられない。
明日時間があれば見て見よう。 -
西門から入ると左にある大きな建物がクフナ・アルク。メインストリートを真っ直ぐ東に進み、次の角を左に曲がると入り口があります。
歴史博物館と書かれたプレートがある場所がクフナ・アルクで、内部は博物館になっています。古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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クフナ・アルクとは古い宮殿と言う意味の17世紀に建てられたヒヴァハン国の歴代ハンの旧宮殿。
タシュ・ハウリ宮殿が建てられてから区別するためにそのように呼ばれました。
内部には執務の公邸やモスク、ハーレムや武器庫、火薬庫や造幣所があったそうです。古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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こちらが博物館入り口の前の道と宮殿前広場。
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入場してすぐの場所が夏のモスク。六本の柱に支えられたアイヴァンがありました。
アイヴァンとは屋根付きの空間で高い柱のあるテラスのこと。ブハラのボラハウズ・モスクにも同じものがありましたが、この地方独特の建築様式です。古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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このモスクの極めつけは壁のブルーの幾何学模様の装飾と天井の装飾です。
天井は影のため青っぽく見えますが、拡大してみると・・・・。 -
鮮やかな美しい装飾でした。とても緻密で美しい。これ以上表現の仕様がなく只々魅せられてしまいました。
古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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壁のブルーの装飾もとても緻密です。
中央にある窪みはミフラーブでしょう。
マスクの前には中庭がありその向こうが博物館でした。古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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ここが博物館の入口。博物館の建物は造幣所があった所だそうです。
古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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最初のコーナーは貨幣を鋳造している場面を人形で再現していました。
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貨幣鋳造の様子。
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ヒヴァで鋳造されたコイン。
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こちらは紙幣です。
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こちらは先史時代の摩耗石器や土器の破片。
ヒヴァは実に2500年以上の古い歴史を持つ町です。ヒヴァを含むホラズムと呼ばれた地区は砂漠に囲まれながらアルダリア川という天然の水に恵まれていたため、先史時代から人類が定住していたそうです。
ガイドさんの説明によると2500年以上前のレンガがヒヴァの町では使用されているんでそうですよ。驚きです。 -
こちらは鉄器時代の発掘品
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各地の遺跡から出土した土器類
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七宝焼きのタイル片など。まだほかに多数ありましたが写真には一部しか写しませんでした。
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こちらは謁見の間。夏のモスクと同様二本の柱に支えられたアイヴァンがありました。
中央に三カ所の入口がありますが一番左はハン専用の扉、中央は高級官僚、右は来賓来客が使用する扉です。
こちらの壁もブルーの極めて細密な文様で装飾されていました。古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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二本の柱にも細かな幾何学模様の彫刻が入れられています。
さて写真には写していませんがここでは家庭の主婦の方が厳冬の時期に手編みで作ったウールの手袋や靴下、手織りのウールのストールを販売していました。
まずウールの手袋と靴下、どれでも1ドルです。通り沿いの店ではこれを2ドルで販売していたのでここは格安でした。
手袋も靴下も太い毛糸で編みこんであるので温かそうでした。
これはバラマキ用に最適とのことで、ご婦人方が10枚とか20枚とかの単位で争うように買っていました。
実は夏のモスクでも同じ値段で同様の商品を売っていましたがすぐに売り切れてしまったんです。そこで買いそびれたご婦人方が、ここで買い求めたという訳です。
ストールもここは安かったです。10ドルの言い値でしたが7ドルに値引きされたので男声向けの色柄のストールを購入しました。
ところで写真には写していませんが、ここの中庭には円形の大きな土台がありました。これは接客用のユルタを張る土台だそうです。
冬は石造りの建物は寒いのでユルタの中で接客したんだそうです。
そして円形の土台の奥に見張り台に昇る入り口がありました。 -
アイヴァンの天井装飾。
古い宮殿、今は歴史博物館 by ポポポさんキョフナ アルク 城・宮殿
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謁見の間の右壁に造られた出入り口。
ここはわざわざガイドさんが説明してくれた入り口。そのために写真を撮ったんだけどメモしていないので何の入り口か分からない。
一年前のことなのですっかり忘れてしまって思い出せないよ。ゴメンナサイ。 -
アクシェイフ・ババの見張り台。自由時間でこの見張り台に昇りました。
クフナ・アルクでは外せないのがこの見張り台。ここからはヒヴァの町が一望できますよ。
入り口から階段を登って見張り台に到着します。ここからでも十分町の景色は眺められますが、さらに見張り台の上にある建物に上がることができます。
ここは梯子型の階段なので高所恐怖症の人は下を見ずに登ったほうが登りやすいでしょう。
こちらは東方向の景色。右隅の建物がイスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット。中央がムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセ。城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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こちらは真東の様子。写真右の建物はムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセ。
城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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クフナ・アルクの謁見の間とその奥はカルタ・ミナル、右横の建物はムハンマド・アミン・ハンメドレセ。
左奥の塔はイスラ―ム・ホジャ・メドレセのミナレット。こちらは東南の方向です。城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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夕方で西日が傾いているため日陰の建物が見難くなっています。
城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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東南方向のアップ。
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東方向から東南方向にミナレットが集中しているため、どうしてもそちらの方向にカメラを向けてしまいます。
城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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北東方向の景色。こちらにはミナレットはありません。
メドレセやモスクが多い地区ですがブルータイルを使用した建物が無いため土壁に同化して目立ちません。城壁に囲まれた内城 by ポポポさんイチャン カラ 旧市街・古い町並み
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カルタ・ミナルとムハンマド・アミン・ハン・メドレセのアップ。
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イスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットとパフラヴァン・マフマド廟。
イスラーム ホジャ メドレセとミナレット 建造物
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オタ・ダルヴァザ(西門)と城壁。
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西側の城壁。イチャン・カラはこのような城壁に囲まれています。
内城を取り囲む城壁 by ポポポさんイチャンカラの城壁 史跡・遺跡
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さらに日が沈んできたので土壁が幾分赤みを帯びてきました。
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見張り台の西端から写した西側の城壁。
内城を取り囲む城壁 by ポポポさんイチャンカラの城壁 史跡・遺跡
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左ジュマモスクのミナレットと右はヒヴァで一番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレット。
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見張り台の最上階から写した東側の景色。
自由時間のタイムリミットが近づいたので下に降りました。 -
クフナ・アルクを出ると宮殿前には広い広場があります。
この広場はヒヴァ・ハン国時代には公開処刑場だったそうです。クフナ・アルクには牢獄があり、この牢獄も見学できるそうですが我々のツアーは見学しませんでした。 -
クフナ・アルク前の広場はかつての公開処刑場。今は何もないだだっ広い空間でした。
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本日の観光を終え西門から外に出ると城壁の上に先程上ったアクシェイフ・ババの見張り台が見えました。
日は更に傾き城壁は朱に染まり初めていました。
城壁の色は赤みがかった方がイスラムぽくっていいですね。内城を取り囲む城壁 by ポポポさんイチャンカラの城壁 史跡・遺跡
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西側の城壁の様子。
内城を取り囲む城壁 by ポポポさんイチャンカラの城壁 史跡・遺跡
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西日を浴びるオタ・ダルヴァザ。
本日宿泊する予定だったホテルが急遽ウルゲンチに変更されたため、今からバスに乗ってウルゲンチに向かいます。
次回はキジルカラ砂漠に今も残るホラズム帝国時代の都市遺跡や砦の跡を巡りますのでしばらくお待ちください。チケット売り場がある入場口 by ポポポさんオタ ダルヴァザ門 (西門) 史跡・遺跡
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