2017/09/26 - 2017/10/03
125位(同エリア610件中)
ポポポさん
9月27日 旅行2日目。サマルカンド観光の続きです。
ウルグベク天文台からアフラシャブの丘の側を通って次に着いたのはシャーヒズィンダ霊廟群。アラブシャブの南麓にある聖地で多くの人が巡礼に訪れる場所です。この霊廟にはティムールゆかりの人々や妻や姉など一族の女性の廟が建てられています。この霊廟の中心となっているのがイスラム教の聖人クサム・イブン・アッバースさん。信者さんはこの霊廟に巡礼に来るのです。
この霊廟群で目を引くのが何といっても美しいブルーのタイル。サマルカンド・ブルーと呼ばれている青色の霊廟群は青の都と呼ばれる由縁でしょう。
この後グリ・アミール廟、ビビハニスモスク、ジョブ・バザール、レギスタン広場を観光し夕方行われた歓迎プログラム「サマルカンドの夕べ」に参加しました。
今回はその内シャーヒズィンダ霊廟群とグリ・アミール廟をお送りします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ウルグベク天文台跡からサマルカンド中心方面に向けて走るバスの右車窓から広大な丘陵が見えて来ました。
丘の上には何も見えませんがこの丘こそ、その昔サマルカンドの都があったアフラシャブの丘です。アフラシャブの丘 自然・景勝地
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アフラシャブの丘はサマルカンドの北東に位置し、10haの丘の全域が古都サマルカンドでした。アフラシャブという名前は伝説の最初のソグド人の王に由来しているそうです。かつての町は4つの門を持つ城壁で囲まれ、シルクロードの中継都市として繁栄していました。
当時のサマルカンドは道が舗装され各家庭には大きな鉛管により水道が引かれた緑豊かな美しいオアシス都市だったそうです。
ところが1220年、チンギスハン率いるモンゴル軍の襲来を受けて町は徹底的に破壊され、多くの住民が殺されました。
特にオアシスの水を引き込んが給水設備を完膚なきまでに破壊されたことが致命傷となり、町は二度と復興されることは無なく、荒れ地となってしまったそうです。 -
道路はアフラシャブの丘に沿って走っていますが、荒涼とした風景が続いていました。
アフラシャブの丘は現在も発掘調査が行われていて、チンギスハンに破壊されるまで11層もの厚さで文化的痕跡が積み重なっていることが確認されています。その内いくつかはすでに発掘され、発掘された品々はアフラシャブ考古学博物館で見ることができるそうです。
我々はパックツアーなのでとても見る時間はありませんが、せめて丘の上を歩いてみたかった。アフラシャブの丘 自然・景勝地
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さて、サマルカンドは今から2500年以上も前にイラン系のソグド人によって開かれた街です。古代はマラカンダと呼ばれていて、商才に長けたソグド人の町として、またシルクロードの十字路、東西文明の交流の町として繁栄を続けましたが何度も勃興した王朝の支配を受けました。
古くは紀元前329年東方遠征の途中にアレクサンダー大王に征服されました。大王の死去に伴いソグド人はその支配から逃れ東西交易によって繁栄を取り戻しましたが、西南から台頭したアラブ人の王朝ウマイヤ朝に征服され、この時からイスラム化がはじまりました。
続くイスラム王朝はサマーン朝、カラハン朝、そしてイスラム最後の王朝がホラズム朝(私は高校生の時の世界史ではホラズム王国と習ったと記憶しています。)で1220年チンギスハンに攻められ滅亡。
その後チャガタイハン国の支配下に入り、アミール・ティムールにより1370年に復興。ティムール帝国の首都となり繁栄を極めました。
現在残るサマルカンドの建物群は全てティムール以降に建てられたものです。
ティムール帝国後期以降は部族間の抗争が絶えませんでした。その結果各部族の支配力が低下してロシアに占領されてしまいました。その後ソ連時代を経て現在に至っています。
写真はアフラシャブの丘の下の洞窟住居。古い時代のゾグド人の住居遺跡だそうです。
すでに発掘調査が終わっているそうですが、この様な洞窟住居跡が道路沿いにかなりの距離続いていました。 -
この辺りは丘の中腹に洞窟住居が造ってありました。
アフラシャブの丘 自然・景勝地
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中にはしっかりした造りの物もありました。
これは新しい時代の物かもしれません。 -
そうこうするうちにバスはシャーヒズィンダ霊廟群前に到着。
駐車場がないためか霊廟前の道路は観光バスで数珠繋ぎ。すごい数のバスでした。
そのため道路で下りて霊廟の入口まで歩きました。
霊廟前には土産物店やトイレがありましたが、無料のトイレかどうかは利用していないので不明。
ウズベキスタンではトイレはホテル、レストラン、博物館以外は原則有料です(一部観光施設で無料もあり)。料金は一律2000スム(約30円)、欧州のように高くはありませんでした。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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壁際に沿って進むと霊廟の入口門が見えてきました。霊廟はこの門から入ります。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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ウルグ・ベクが建てた入場門「ダルザワ・ハナ」。
霊廟群が完成した後の1435年にウルグ・ベクによって建てられた記念碑的な門だそうです。
シャーヒズィンダ霊廟群はサマルカンドで有数の聖地。「死者の通り」沿いにはティムールゆかりの人々の霊廟が一直線に立ち並び、今も巡礼の人々が絶えない場所です。
その装飾の美しさと意匠の多様さではウズベキスタンで一番の見所と言えるでしょう。
シャーヒズィンダとは「生きる王」という意味ですが、なぜこの霊廟がそのように呼ばれるているのでしょうか?
それには次のような伝説があるのです。
時は7世紀、サマルカンドがアラブの侵略を受けた時、ムハンマドの従兄であるクサム・イブン・アッバースが布教にやって来て、この地で礼拝をした時に異教徒(ゾロアスター教徒)に襲われ首を切り落とされました
しかし、クサムは首を切り落とされても動じることも無く礼拝を続け、礼拝を終えると自分の首を抱えたまま深い井戸の底に降りて行きました。
言い伝えによると彼はそこで永遠の命を得て、イスラムが危機に陥ったときは救いに現れるのだそうです。
その救世主伝説の主クサム・イブン・アッバースの霊廟がこの霊廟群の奥にあるのです。
そして人々はこの聖地に巡礼に訪れるようになったそうです。
では門を潜ってその聖地に足を踏み入れましょう。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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これは門を潜ってすぐ左にあるモスクのテラスの天井の装飾。
色合いの美しさに目を奪われ、衝動的に撮った写真です。そのためモスクの写真はありません。 -
門を潜った先には階段があります。これは「天国の階段」と呼ばれるもの。
上りの階段の数と下りの階段の数が同じであれば天国に行けて、そうでなかったら・・・。私は数えたら同じだったと記憶しているんだけれど何段だったかは忘れてしまいました。
皆さんご自身で体験してみて下さい。でもこれはイスラム教のお話。
我々は仏教徒なので、もし間違っても問題は無いと思いますが・・・。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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皆さんは下を見て真剣に階段を数えているようでした。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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イチオシ
階段を登り次の門を潜ると別世界が待っていました。
道の両側がサマルカンドブルーの通り。青の美しさにここが霊廟だなんて忘れてしまいそう。
ここは死者の道と呼ばれる通りなんです。我々生者が通ってもよろしいのでしょうか?と問いかける間もなくツアーご一行様はガイドさんを先頭にどんどん前に進んでいくので置いてけぼりをくいそうな私。
すごく綺麗なのにもっとゆっくり歩けばいいのにね。そうだ、ガイドさんはしょっちゅう来ているから感動が無いんだ。
でも俺たちは初めてだからこの美しさに感動しているんだ。もっとゆっくり見たいし霊廟の中にも入ってみたい。
これがパックツアーの辛さ、分刻みのスケジュールだから個人行動はできないの。
でもこの通りににはね青づくしの「アミールソダ廟(ティムールの部下である将軍の息子の廟)」だとか、内外ともに美しく中には絵画のようなタイルがあるティムールの妹を祀った「シリンベク・アカ廟」。
さらにはこの霊廟群で最も美しいと言われている廟でティムールの美しい姪が祀られている「シャーディムルク・アカ廟」があるんです。
ガイドブックによるとそう書いてあった。これらは内部の装飾タイルを見たかったな。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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トゥグル・テキン廟。
階段を上がってすぐ右にある青の化粧タイルがとても美しい霊廟です。
ティムールの部下であるフセイン将軍の母の廟だそうです。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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イチオシ
手前の廟が「アミールソダ廟」で、その右隣りが最も内部が美しいと言われている「シャーディムルク・アカ廟」。廟の前を歩いているのに中に入れないとは情けない。
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「死者の通り」沿いの青の廟群(私が勝手に命名したものです)を過ぎると次に見えてきたのが八角形の廟。写真が近すぎて八角形に見えないよ(泣)。
この廟は誰が祀られているのか今もって不明なのだとか。 -
イチオシ
八角形の廟を過ぎると通りの前は急に開けて全く別の雰囲気。
左の列には霊廟が並んでいるのに右は廟の基壇が残っているだけでした。
ガイドさんの説明が無いから分からないが、ここに廟を建てる予定だったが何らかの都合で中止になったのではないかな。これ、あくまで私の勝手な推測です。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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右側に寄って霊廟群を写してみました。写真のように修復中の霊廟がいくつかあります。修復中の右の霊廟はまだ化粧タイルが張られてなくてこの次に修復されるのでしょう。ところで右の霊廟の基壇を見て下さい。
墓石(石棺)はあるのに廟は建てられていません。その右隣りは墓石もありません。
中止された霊廟には色々とお家の事情があるようですね。 -
アリ・ナサフィー廟。
カラチのナサフィー出身のアリという人が建てた霊廟です。 -
アリ・ナサフィー廟。
入口の上部のムカルナス(鍾乳石飾り)が白一色なので、ここではとても目立つ霊廟です。化粧タイルやモザイクを使わなかったのが斬新だったかも。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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ここが最後の門でこの奥には古い霊廟がありました。すぐにアーチを潜るのかと思ったらガイドからここで買い物の勧め。旅程には入っていないショッピングタイムです。
添乗員さんからは何の反応もない。私はツアー客の引率だけで全ては現地ガイドに任せているんですといった様子。
ガイド曰く、「今から行く店は青色の土産の店です。青色の土産はここの店しか無いのでここで買って下さい。青はサマルカンドの色です。」と・・。
店はアーチ入口のすぐ左にありました。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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サマルカンドで最初の店なので品物の相場が分からない。という事でとりあえずは商品と値段を調べました。
これは確か10ドルから15ドルの飾り物。写真のように壁に吊り下げて飾るようです。
色がカラフルで綺麗でした。全て手作りだそうです。透かしの入ったのが15ドルだったと思います。
これは他の店では見なかったので当店のオリジナルでしょう。 -
可愛いのでいくつか売れました。
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これはサマルカンドの代表的な工芸品で細密画。
木の板に描かれたものでこの店に置いてあるのは絵画ではなく幾何学模様の細密画でした。
小さい板に描かれたもので20ドル。大きなものは40、50ドル。板に描かれた幾何学模様の細密画はバザールや観光施設の近くになどで見かけましたが、だいたい同じタイプで20ドルでした。青色の色調の細密画はここ以外にも沢山あったので、その点はガイドの話に偽りあり。
絵画風の細密画はバザールやメドレセ(神学校)の中の店で立派なものがありましたが、これはかなり値段が高かった。
t -
細密画のほかに陶器の飾り皿も売っていました。絵柄は他の飾り皿とは違い風景画が多かったです。
近くで見ていないので細密画法で描いたのかどうか分からない。というかこの時は陶器の絵柄が絵筆を使わずに細密画法で描かれていることさえ知らなかったのです。この種の絵皿も珍しいようです。いずれも50ドル以上でした。 -
土産物店の様子。店内は狭かったです。霊廟として建てられたはずなので未完成だったのかもしれません。
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こちらは店内の右の壁。壁の飾りが綺麗でした。
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細かいモザイクの幾何学模様が美しかった。
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ここが土産物店の入口。霊廟かと思ったら店舗でした。
でも入口の青のモザイクは繊細で立派。 -
買い物が終わり再集合。買い物時間は15分でした。再び観光を開始。
私としてはこの時間でシャーディムルク・アカ廟を見たかったな。 -
アーチ門を潜ってすぐ右にあるのがクサム・イブン・アッバース廟。
ここは霊廟とモスクへの入口「天国の門」です。チンギスハンのモンゴル来襲の時でもこの霊廟だけは破壊を免れたのでサマルカンドで最も古い建造物となっています。この霊廟に3回詣でるとメッカに詣でたことになると信じられていたので、「天国の門」のドアは「楽園のドア」と呼ばれていました。
中に入ると奥に続く通路があり、これを奥へ奥へと進むと青いタイルのミフラーブがある礼拝堂のホールに出ます。
そしてその奥が礼拝堂です。 -
礼拝堂のホール。ここのホールには青いタイルのミフラーブがありました。
礼拝堂はこの奥です。 -
礼拝所です。まず目を引くのが天井の青いモザイクタイル。
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天井の幾何学模様が美しい。
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天井のモザイクをズームアップ。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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礼拝堂の壁面を飾る装飾タイルは殊の外美しかったです。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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礼拝堂の正面には透かし彫りの格子があり、そこにクサム・イブン・アッバースの墓石があります。
薄暗いのですが格子越しに墓石を見ることができます。但しイスラム教の聖人にカメラを向けることは信者さんたちに対し失礼になると思い、写真は撮りませんでした。 -
壁には腰が掛けられるような席が設けてありました。その席に腰かけて我々も信者さんと一緒にウラマー(イスラム教を専門的に勉強した知識人)が読み上げるコーランを拝聴しました。
写真左から3人目がウラマーです。
イスラム教では聖職者は存在しません。ウラマーというイスラム教を専門的に勉強した知識人がいるだけです。一般のムスリム(イスラム教信者)と同じ立場のなのです。
そのため他の宗教の聖職者と違って妻帯ができ禁欲もする必要がないそうです。 -
壁面の装飾は2面がこの幾何学模様で、ミフラーブがある面とクサム・イブン・アッバースがある廟の壁とが異なった模様でした。
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ウラマーの向かって左側、白壁に窪んた部分がミフラーブと思いますが、非常に簡素な物でした。
周囲の壁や天井の装飾タイル方が遥かに派手です。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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礼拝堂の内部。霊廟群で一番美しいと言われているのはシャーディムルク・アカ廟ですが、この礼拝堂もたいそう美しかったです。
たぶん遜色ないんじゃないでしょうか。 -
細かな文様で土産物店で見た細密画のようでした。
コーランの読経が終わると信者さんたちは一斉に退室、我々もその後から礼拝堂を出ました。 -
アーチを通り抜けるとそこはサマルカンドブルーの世界。シャーヒズィンダ霊廟の中でも古い時代のものでコの字型に配置されていました。
正面にあるのがフッジャ・アフマット廟。
1350年に建設され、この霊廟群で2番目に古い霊廟です。この廟の様式が霊廟群の原形になったと言われています。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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フッジャ・アフメット廟の右にあるのがクトゥルブ・アカ廟。
無名の霊廟とされていますが、ティムールの妻の一人がここに埋葬されているのではないかと言われています。 -
この霊廟は入り口のムカルナス(鍾乳石飾り)が綺麗でした。
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美しい霊廟だったので写真をもう1枚。
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霊廟の装飾タイルです。写真をアップにしてみると、ブルーの色でも濃淡数種類の色を使っているいることが分かります。
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柱部分も同様です。透かし入りの装飾タイルが素晴らしいですね。
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フッジャ・アフメット廟の左にあるのがトゥマン・アカ廟。
ティムールの妻のなかで最も若くてお気に入りだったトゥマン・アカが祀られた霊廟です。
ここは中に入れません。内部は祈りの部屋とモスクになっているそうです。
この廟の特徴は群青色のような濃いタイルです。キラキラしていてとても美しい霊廟でした。外観だけの比較なら、この廟が一番美しかったかもしれません。 -
入口上部のムカルナス(鍾乳石飾り)も大変美しい物でした。トゥマン・アカはティムールのお気に入りの妻だったので、特に美しい霊廟を建てさせたのだと思います。
霊廟の最深部を見学してシャーディムルク・アカ廟群の観光は終わりです。
三々五々入口に引き返しました。 -
死者の道で自然に足が止まってしまうのが写真のあたり。
シャーヒズィンダ霊廟で最も美しいと言われているシャーディムルク・アカ廟です。
ティムールは美しい姪のために相応しい廟を建ててやったのでしょう。入口の上には「貴重な真珠が失われ、ここに眠る」と書かれているそうです。 -
シャーディムルク・アカ廟の真向かいにあるのがシリンベク・アカ廟です。
この廟はティムールの妹を祀った廟で内部には絵画のようなタイルがあるそうです。 -
シリンベク・アカ廟の入口から上部の様子。
光線が反射したのが残念ですが、入り口周辺の細かいモザイクタイルの素晴らしさはお分かり頂けると思います。 -
こちらはアミール・ソダ廟。ティムールの部下の将軍の息子の廟です。
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シャーディムルク・アカ廟(奥の廟)とアミール・ソダ廟。
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シャーディムルク・アカ廟の鍾乳石飾り。
太陽光線が当たって色が飛んでしまった。 -
同じくアカ廟の鍾乳石飾り。
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シャーヒズィンダ霊廟から眺めた景色。見えているのはビビハニムモスク。中央アジア最大のモスクです。
ビビハニム モスク 寺院・教会
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天国の階段の途中にある2つのドームはコシュ・ムンバズ廟。
ウルグベクの天文学の先生であるカズィ・ザデ・ルミの廟と言われていますが、墓室からは女性の骨が発見されたためティムールの乳母ウルジョイ・オイームではないかと言われています。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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コシュ・ムンバズ廟。
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見えているのは霊廟群の門。出口まではあと少しです。
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前に見える門は「ダルザワ・ハナ」。右の建物がコシュ・ムンバズ廟で観光客や信者さんたちが歩いている所は天国の階段。
門の手前右下に見えているのがモスクのテラスです。 -
ここが天国の階段。何段かな?数え間違いしないようにゆっくり下りましょう。
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天国の階段を下りた所。出口の門「ダルザワ・ハナ」はもうすぐです。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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天国の階段を下りた所にあるのがコシュ・ムンバズ廟。
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霊廟群の外から見たシャーヒズィンダ霊廟群、見えている霊廟はコシュ・ムンバズ廟。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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シャーヒズィンダ霊廟群。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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シャーヒズィンダ霊廟群。
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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再び右車窓にアフラシャブの丘を見ながら町の中心に進んで行きました。
アフラシャブの丘 自然・景勝地
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現在サマルカンドは建築ラッシュです。RC工法の建物を結構目にしましたが、このようなレンガ造りの建物もありました。
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中心部の町並み。
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市内にあるナヴォイ公園(車窓から写したもの)。
木の根元には虫除けのため石灰が塗ってありました。この景色は東南アジアでよく見かけますね。サマルカンド (文化交差路) 史跡・遺跡
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大通りの様子。こちらも樹木の根元に石灰が塗ってありました。
サマルカンド (文化交差路) 史跡・遺跡
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次の観光はグリ・アミール廟(アミール・ティムール廟)です。
グリ・アミール廟にはアミール・ティムールと彼の息子や孫、そして彼の師が埋葬されています。ここはティムール一族の霊廟なのです。
この廟には初代ティムール、3代シャー・ルフ、4代ウルグ・ベクと最盛期のティムール帝国の君主が眠っています。
グリ・アミールとはタジク語で「支配者の墓」という意味。アミールとは本来アラブ語で司令官を意味していましたが、15世紀のこの地域では太守や族長の意味で使われていました。
元々ここにはティムールの孫ムハンマド・スルタンが建てたメドレセ(神学校)とハナカ(巡礼者の宿泊所)が建っていました。
ムハンマド・スルタンはティムールの長男ジャハンギールの息子で、ティムールが後継者として指名していた最愛の直系の孫でした。
その最愛の孫が1403年トルコ遠征で戦死したため、彼を偲んでメドレセの隣に建てたのがグリ・アミール廟でした。
現在は入口の門と霊廟と二つのミナレットを残すのみですが、美しいサマルカンドブルーの化粧タイルを見ることができます。
門の鍾乳石飾りや装飾タイルが美しかったのですが、そういう訳か門の写真を撮っていませんでした。と言うか写真に写っていないのです。写真の連番が抜けている訳でもありません。写したはずの写真がメディアに記録されていないのです。
逆光でしたが美しい門だったので確かに何枚も写真を写した記憶があります。この旅行記を書き起こす際にネットで門の写真を確認しましたが、この門ははっきり覚えています。
摩訶不思議な出来事が起こったのですが、門の写真は載せたいと思いコトバンクから拝借してこの写真のみ掲載しました。
その方が霊廟の各建物の配列が分かり易いと思います。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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霊廟は1404年に完成しましたが1405年中国の明に遠征中の途中に急死したティムール自身もここに埋葬されることになりました。
ティムールは生まれ故郷のシャフリサーブスに自身の霊廟を造り石棺も用意して、そこに葬られるよう遺言していましたが、彼の部下によってこの地に埋葬されました。
ティムールは20万の大軍を擁して明に遠征の途上病にかかり1405年2月オトラルで死亡しました。
ティムールは生前後継者は長男の息子であるピエール・ムハンマド(トルコ遠征で戦死したムハンマド・スルタンの弟)とする旨宣言していました。
死期が近づいていることを悟ったティムールは、病床の周りに集まった王子や貴族にピエール・ムハンマドを後継者とする旨再び宣言し、遺言を守るよう誓わせました。
死期に臨んで遺骸は故郷シャフリサーブスの霊廟に埋葬すること、名を刻んだだけの墓標とすよう遺言しましたがどちらも叶えられることはありませんでした。
通説ではシャフリサーブスに向かう途中の山道が積雪のため通行できなかったため、やむなくサマルカンドに引き返してグリ・アミール廟に埋葬したことになっていますが、一説にはティモールの死後王子や王族の間で後継者をめぐる争いが起きることが予見されたため、あえてシャフリサーブスへ回送することを避けて秘密裡にサマルカンドに埋葬されたとも言われています。
いずれにしてもティムールの死去は王族らの知るところとなり、ピエール・ムハンマドをティムールの後継者にするというティムールの遺言に背き後継者争いが王子たちの間で起こりました。
生前ティムールは征服した地方を王子に分封しその支配を委ねていたため、王子らは各地で勢力を蓄えていました。
ティムールの意図は明らかに長子相続制でしたが、後継者に指名されたピエール・ムハンマドは諸王子の中では勢力が弱く権力を掌握できませんでした。
さらにピエールの駐屯地からサマルカンドまでは遠く、ピエールが祖父の死と遺言の内容を知りサマルカンドに向かっている途中に従兄弟のハリール・スルタンがサマルカンドに入場してしまいました。
ハリール・スルタンはサマルカンドでティムールの盛大な葬儀を行い自らが後継者であることを主張してピエールと対立。ピエールは叔父のシャー・ルフ(ウルグベクの父、後のティムール帝国3代目の君主)と合流してハリールと決戦するが負けてしまい、その後ハリールの謀略により殺されてしまいます。
結局ティムール帝国の2代目君主にはハリール・スルタンが就任し、ティムールの遺言は何一つ守られませんでした。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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霊廟の正面です。太陽光線を防ぐために帽子をかざして写真を写したので、帽子のつばが映り込んでしまいました。
写した写真はこの通り、逆光のため青の化粧タイルがくすんでしまいました。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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こちらの方が実物に近い色。青のドームが美しかった。
ちなみに写真の左下に写っている男性が現地のガイドさん。日本語が大変上手で聞きやすかったです。 -
霊廟入口のモザイク模様が美しい。
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霊廟に入るとそこはキラめく黄金の世界。
まさに別世界でした。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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金の装飾のアップ。壁全体にこの装飾が施されていました。
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眩いくらいの美しさ、豪華、すごいの一言です。
霊廟は1996年に修復が完了しました。創建当時の美しさを取り戻すため、内部の装飾の修復には3㎏もの金が使用されたそうです。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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内部の光の加減で微妙に金の色合いに変化が見られますが、いやらしい色では無くとにかく豪華で見飽きません。
霊廟に入った観光客は一様に天井や壁を見渡していました。その中にはもちろん私も入っています。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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イチオシ
天井も豪華です。何処を眺めてもキンキラキン。
アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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天井とムカルナス(鍾乳石飾り)もキンキラキン。
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この美しさ、見飽きません。いつまでも眺めていたい。いや、本当に綺麗。
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目を下に移すとそこにはティムールと一族の墓石にが並んでいました。
墓石の配置は真ん中の黒いオニキスがティムール。ティムールの奥にある墓石は孫のムハンマド・スルタン(当初ティムールが後継者として考えていた人物、戦死した長男の息子)、右が3代目君主ウルグベク、左はティムールの師サイイド・バラカ、手前はティムールに近い順に3代目君主シャールフ、孫、ミーラン・シャーです。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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これらの墓石は墓の位置を示しているだけで、実際の亡骸はこの下の地下3mの所にある墓室に埋葬されています。
さて、ティムールの墓石があばかれたことがあります。それは嘘のような本当の話、しかも作られた物語のような話なのです。
それは1941年6月20日、ソ連の考古学者によってです。墓があばかれティムールの遺体の調査が行われました。棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていたが、ソ連はそのようなことは意に介さず調査は実施されました。
さらに棺の内側には「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」と書かれていたそうです。
その2日後の6月22日、ドイツが突如ソ連に侵攻してきました。それも奇襲攻撃で。それこそバルバロッサ作戦の開始でした。これより両国は独ソ戦に突入し熾烈な戦闘を繰り返すことになりました。
ソ連はティムールの呪いに驚いたのか1942年11月スタ-リングラード攻防戦のさなかティムールの棺が再び開けられないように鉛で塞ぎイスラム式の丁重な葬礼でティムールの遺骸を再び埋葬しました。
再度埋葬した時期が丁度スターリングラード攻防戦のソ連の反撃前だったらしく話自体が出来すぎのような気もしますし、本当であればピッタリ符合しすぎて気味が悪いくらいです。
この調査でティムールが足に障害があったことなどが分かりました。
この話の出来すぎついでに、墓が暴かれた日の記述に諸説あることが分かりました。
Wikipediaでは6月19日、独ソ戦の3日前、但しティムールの記述ではバルバロッサ作戦開始の2日前に暴かれたと記述されているので6月19日が誤記述の可能性が高いです。
次に暴かれたのは6月22日で独ソ戦開始の当日とするものが4トラメンバーさんの旅行記など、旅行プログで散見されました。ガイドブックにそう書いてあるのかな?中には私設ガイドの説明によればという物もありました。
どれが正しいのか分かりませんが、我々のガイドさんは6月20日に墓が暴かれたと話していたので、その日を暴かれた日として掲載しておきます。
もし間違いであればご指摘お願いいたします。 -
ティムールを中心に配置された一族の墓とは別に西のムカルナスの下に大理石の墓石がありました。
これはサイッド・オマルという聖人の墓石。ブハラのアミール・クラル首長の息子で、15世紀にここに埋葬されました。 -
イチオシ
サイッド・オマルという聖人の墓石の側には細い棒が立てられており、棒の先には馬の毛が括り付けられていました。なんで馬の毛があるのかな?
実はこれ、聖人の印なんだそうです。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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霊廟の四方の壁をそれぞれ写真に収めました。
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いずれも豪華で素晴らしい装飾でした。
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光の加減でブルーに見えるところもありましたが、これはこれで美しい。
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霊廟をでた所、出口は入り口の反対側、写真のすぐ左に下に降りる階段があって、そこが地下墓室の入口でしたが施錠されていて入れないようになっていました。
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これは霊廟の北にあるミナレット。ズームアップしませんでしたが装飾が美しい塔でした。
9月下旬でも午後の日差しが強くこの日はかなり暑かったですね。 -
霊廟の後ろ側や側面はかなり荒廃した印象を受けました。
これはブハラに都を置くウズベク人のブハラ王国に侵攻された時にメドレセやハナカと伴に破壊されたのだそうです。 -
ここがメドレセの跡地。
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北側から眺めた玉葱頭のドーム。
実はこのドームは二重構造になっています。先ほど見学した霊廟のドームの上にもう一つ目立つドームが載せられているのです。
「当初のドームではサマルカンドブルーが目立たないではないか」というティムールの?責で10メートルのドームが当初の屋根の上に取り付けられたのです。
そのためバランスが悪く頭でっかちに見えます。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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青い玉葱頭をズームアップ。
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最後に霊廟の全景を写真に収めて昼食会場へ行きました。
次回はショップバザールと中央アジア最大のモスク、ビヒハニムモスクの旅行記を掲載する予定です。
アップまで今しばらくお待ちください。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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チャーター直行便で行くウズベキスタン周遊の旅
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